December 30, 2018

論文掲載

この度、論文が二本掲載されました。Uchikoshi and Mogi(2018)では、近年増加している婚前妊娠(できちゃった結婚)の人口学的な帰結を問うています。近年の日本では、第一子に占める婚前妊娠の割合が4分の1にも達し、こうした従来では非典型とされた家族形成行動をあゆむカップルにおいて、それ以外のカップルに比べて出生力などでみた人口学的なアウトカムが異なるかが関心を集めています。分析の結果、婚前妊娠カップルは、それ以外のカップルに比べて有意に第二子出生をしやすいことがわかりました。

Fujihara and Uchikoshi(2018)は日本の学歴同類婚のトレンドとパターンについて検討した論文です。学歴同類婚とは、文字どおり夫婦の学歴が似かよる傾向を指し、社会の開放性から、次世代への格差の連鎖といった点まで、社会階層に広く帰結をもたらす現象です。就業構造基本調査と国民生活基礎調査を使用した分析の結果、日本の学歴同類婚はアメリカなどとは異なり継続的に減少していること、及びそのパターンはジェンダー非対称的(女性の学歴上昇婚傾向が強い)であることがわかりました。
いずれの論文もオープンアクセスとなっております。ご関心があるかたは、ぜひご笑覧ください。

Uchikoshi, Fumiya and Ryohei Mogi. 2018. “Order Matters: The Effect of Premarital Pregnancy on Second Childbearing in Japan” Demographic Research 39: 1305-1330. doi: doi.org/10.4054/DemRes.2018.39.48

Fujihara, Sho and Fumiya Uchikoshi. 2018. “Declining Association with Persistent GenderAsymmetric Structure: Patterns and Trends in Educational Assortative Marriage in Japan.” Research in Social Stratification and Mobility. doi: doi.org/10.1016/j.rssm.2018.12.001

December 25, 2018

Assortative mating, preference, opportunity structure

It is well known that assortative mating is influenced by preference and opportunity structure. The latter is often translated into marginal distribution in log-linear modeling, and log-linear modeling is often criticized by its inability to account for the effect of opportunity. Harmonic mean model is an alternative approach that explicitly distinguishes between preference and opportunity, but it doesn't assume both of them are interacted. Recent studies, however, suggest that the effect of preference on assortative mating depends on opportunity structure. Also, changes in opportunity affect assortative mating through shifting preference (mediation). A good example is the reversal of the gender gap in education makes men increasingly seek to marry highly educated women. Any methods that can disentangle these relationships?

December 24, 2018

帰国時の予定(2018年12ー2019年1月)

12月24日(アメリカ)
9:54 マディソン発
11:55 シカゴ発

12月25日(日本)
16:20 成田着

12月27日
6:41 バス
09:00 Hさんと朝食
10:00-13:00 計量社会学研究会
13:00 Mくんと昼食
15:00 Mとお茶
17:00 Mさんと論文執筆ミーティング
19:00~ 学部同期と夕食

12月28日
12:30~14:30 奨学財団によるパーティー(渋谷)
14:30-19:00 駒場、下北、杉並、吉祥寺を散策、靴が欲しい。
候補:いせや、タレカツ
19:30~ 松尾先生との夕食

12月29日
本郷、御茶ノ水、神保町周辺を散策
候補:こくわがた、織恩、ねむ瑠、川菜館

1月9日
13:30 大学院ゼミ
19:00 飲み会

1月10日
10:00-12:00 二次分析
15:00- 小西先生
18:00 豊島寮同窓会
候補:ときわ食堂、ぼんご

1月11日
10:00 研究室訪問
12:00 余田さん
15:30 Uとお茶
19:00 IHS同窓会

1月12日
誰かと会う
19:00 京論壇同窓会

1月14日(日本)
17:05 成田空港発

1月14日(アメリカ)
13:45 シカゴ着

・Asicsのビジネスシューズ
・メガネ
・サランラップ
・創味シャンタン
・スマブラ
・お土産用のお茶
・いらないスーツ
・お茶(緑茶・烏龍茶)
・目のケア(目薬、アイマスク)
・日本でしか買えない書籍、及び小説をいくつか。
・論文管理を更新する
・エージェントベースドの勉強
・髪を切る
・同類婚文献のまとめ
・ログリニアモデルのまとめ
・会いたい人に聞きたいことをメモしておく

December 23, 2018

博士課程1学期目

この1週間、時間ができたので今学期までに書き上げたいと思っていた論文をずっと書いていた。おかげで、体調が悪いというか、今日は何もする気が起きない。代わりに、今学期を振り返っておきたいと思う。

8月後半からの4ヶ月は、本当に変化の激しい日々だった。毎日誰かしら新しい人と出会い、新しい考えに触れ、学び、時間はあっという間に過ぎて行った。それらをいくつかの単語にまとめれば、コースワーク、研究、ジョブトーク、メンタルヘルス、アイデンティティなどになる。時系列で追っていくには、これらが互いに深く結びついているので難しい。したがって、一つずつ懐古的に振り返っておく。

コースワーク
博士課程の学生として、コースワークは当たり前にこなさなければいけない。今学期は、統計学、人口学方法論(形式人口学)、人口学大学院セミナーを履修した。加えて、単位としては博士課程に入学したコーホートで一緒に受けるプロセミナー(professional developmentの側面が強い)、及び所属する人口学研究所のセミナーを二つ履修した。

私もまだ区別がうまくできないのだが、アメリカではインタラクティブに学ぶ機会を全てセミナーと括れてしまう気がする。日本でいう「ゼミ」もセミナーだし、外部のスピーカーを招いて報告してもらい、議論するのもセミナーである。ただ、各々のセミナーの性格は異なっていて、ゼミに近い大学院セミナーと呼ばれるものはこちらが文献を読んで、議論し、最後にタームペーパーを書くという意味では、もっともコースワークに準拠している。これに対して、外部のスピーカーを招く研究所のセミナーはブラウンバックと呼ばれることもあり、オーディエンスは学生に限らず誰にでも開かれており、最先端の研究について皆で議論し合う機会になっている。また、外部から来たスピーカーは、大抵1ー2日大学に滞在し、セミナーでのトーク以外にも、招聘した研究所や学部のファカルティ(教員)との面談やディナー、あるいは院生とのランチを共にする。おそらく、ファカルティとのディナーではより突っ込んだ話をするだろうし、その先生が現在の所属先に対してなんらかの不満を抱えている場合には、将来的にオファーを出そうとするのかもしれない。院生は、外部のスピーカーと積極的にコンタクトを取ることを勧められている。もちろん、コネを作るという意味もあるだろうが、トークに来る先生の研究は、その分野の最先端であることが多いので、学生に対して新しい研究と触れ合う機会を提供しているものと思われる。このように、アメリカの大学院は日頃から外部の研究者とのインタラクションが多く、非常に流動性に満ちている。

早速脱線してしまったが、研究所のセミナーはコースワークと研究、並びにprofessional developmentが分け難く結びついていることの好例だろう。私が人口学研究所に所属しているので、セミナーに出ることを通じて単位も履修している。その意味では、これらのセミナーは教育の機会として提供されているが、新しい研究に触れるという意味では、自分の研究に対するフィードバックの役割もあるし、スピーカーとの個人的な話の中で、どういった就活の戦略をすれば良いかなどについてアドバイスをもらうのはPDの側面が強い。

メインで履修している3科目はテストやレポートがあるという意味で、日本でもよくある授業である。興味深いことに、私は社会学部に所属しているが、今学期は社会学らしい授業を一つも履修していないし、来学期も履修しない予定である。これは、私が人口学研究所に所属していることと関係する。アメリカでは、伝統的に人口学が社会学者によって発展してきた経緯があり、社会学部と人口学の距離が非常に近い。アメリカでは人口学部もあり、自らをピュアな人口学者として定義している人もいるが、そういう人は割合としてはかなり少なく、アメリカ人口学会は社会学者や経済学者が中心になって運営されている。ウィスコンシンの人口学研究所(CDE)も、かつては社会学の下にあったが、学際的な研究教育体制を築くため、10数年前に独立したと聞いている。ちなみに、CDEは全米でもっとも遅く社会学部から独立した人口学研究所として知られており、このことはウィスコンシンにおいて社会学部と人口学の関係が非常に密接だったことを物語る。

独立したものの、現在でも社会学部と研究所の関係は深く、多くのファカルティの研究者が研究所にも所属しており、その中心を担っている。社会学部のカリキュラムにもそれは反映されており、minor in demographyやjoint degreeといった制度はないが、もし研究所に所属する場合は、博士課程の修了要件として社会学部が開講する人口学の必修科目を収める必要がある。ウィスコンシンの社会学部は、人口学的なアプローチによる研究では全米でも指折りの業績があるが、私はそのような環境で、社会学よりも人口学に比重のおいたコースワークを先に済ませている。1年目から人口学を履修する必要は必ずしもないが、最初のプレリムを人口学にしようと決めており、そのためにはあらかじめコースワークを履修しておくのが得策であると考えているからである。

といっても、全く社会学から縁遠い生活をしていたわけではない。コースワークの中で最も面白かったのは、人口学の大学院セミナーであった。最初は、古典のマルサスから始まり、人口転換の議論などをリーディングとして消化していったのだが、後半に入るにつれ、既存の人口学の研究の限界を指摘するような批判的な文献を多く読むようになった。人口学者の最大の関心は正確な数え上げ(counting)と人口予測にあるが、これらの背後にある想定を、社会学などの他分野の先行研究と合わせて読むことで、批判的に再検討する文献を読んだ。例えば、我々は人種を個人の属性として固定的なものと捉えがちであるが、実際にはセンサスや社会調査で収集されている人種とは、個人のracial identificationであり、要するに個人がどのようなraceに自分を帰属させているかという問題になる。個人のアイデンティティとして人種が定義される以上、それは流動的に変化しうる。人口学者は人種というカテゴリの不変性を想定しているが、社会学的な視点に立てばアイデンティティは社会的な状況に照らし合わされて変化しうる。また、人口学のみならず、低出生という「社会問題」は長く政策的な関心を呼んでいるが、近年になって一社会のジェンダー平等の進展が低出生を解決するという命題が人口学者から提起されるようになった。一見すると、ジェンダー平等が達成されると、夫の家事育児時間が増え、妻の出生意欲が増し、子どもが増えるというストーリーは理想的に聞こえるかもしれない。しかし、この理論の背景には、すでにジェンダー平等が達成されており、低出生国の中でも比較的出生力が高いとスウェーデンに代表される北欧諸国が他の社会が目指すべき「目標」になっている。社会の発展に伴ってジェンダー平等が進展すると考える点で、これは一種の収斂理論であるといってよいだろう。この理論は、近代化によって社会が一様に、線形的に変わりうるとするようなイデオロギーと何が違うのだろうか?実際には一時点の各社会のばらつきがあるに過ぎないのに、それを歴史的な発展になぞられる考え方はreading history sidewayとして批判されている。人口学は政策と非常に距離が近いために、こうした収斂理論の亜種のような理論を批判なく受け入れてしまう傾向があるのかもしれない。そうした研究に対して、社会学の批判的な視点が重要になるということを、今学期学んだ。日本では、人口学を体系的に学ぶことがそもそも難しい(それが私が日本を飛び出した理由の一つである)が、仮に海外に出て人口学を学べたとしても、今学期受講したような人口学に対する批判的な視点を養うようなプログラムが提供されていることは多くないのではないかと考えている。そういう意味で、私はこの大学に進学できて非常に良かったと思っている。

研究
学生としての本分は授業を履修して単位を取ることかもしれないが、実際には博士課程は研究者の養成機関であり、在学中から研究に勤しむことも重要である。特に、アメリカの社会学では近年になって、就職する際に最低1本査読付きの論文を持っていることが推奨されるようになったことを聞く。こうした状況の中で、院生はマーケットに出る前に最低一本、できれば複数のパブを持ち、就活することを目指している。この状況では、できるだけ長く大学院に在学した方がパブを稼げるので、院生の在学期間も長期化している。
とはいえ、一年目から論文を書く必要はないと考えられていることも事実である。コースワークと研究を両立することは容易ではないからだ、研究に時間を取られて単位を逃したら元も子もない。そもそも一年目から関心が定まっている人も多くないだろうし、在学中に関心が変わることについて、多くの教員は寛容であり、当たり前に起こると考えている。多くの社会学の院生にとって、少なくともうちの学部では、最初の投稿論文は修論が元になることが多い。修論を書いてから、研究者としてのファイティングポーズを取り、ラウンドに出るわけである。もちろん、その前に指導教員の研究をRAとして手伝いながら、学会で報告させてもらったり、論文に共著者として名前を載せてもらうこともある。

ここで個人的な事例になるが、私の場合には上記のような慣例は全く当てはまらなかった。それはすでに修士論文を書いてきたということもあるし、何よりそうした修士論文などを元にすでに論文を投稿していたからだった。結果として、今年は英語で2本、日本語も合わせれば5本の論文が出版及び掲載決定となった。

数だけ聞けば生産的にみえるかもしれないが、アメリカのマーケットで評価されるのは、英語のみである。また、英語の査読付きでも、(特にテニュアを取るまでの若い間は)トップジャーナルないしそれに準ずるような中堅以上のジャーナルに論文を載せることが推奨されている。別に自分が出したいところに出せばいいじゃないかと考えられるかもしれないが、ジョブマーケットではジャーナルのランクも重要になる。私が今回出版した2本の論文は、トップジャーナルではないが、その分野の研究者(人口学・階層論)の間ではよく読まれるものであり、テニュアをとった教員もよく載せているジャーナルなので、悪い評価にはならないだろう。それでも、最低限の業績といったところで、これからトップジャーナルに載せることが就活を有利にするために必要な作業になると考えている。現在の目標として、とりあえず毎年2本は中堅以上のジャーナルに掲載したい。そうすれば就活する頃には10本あるので、さすがに食いっぱぐれない気がする。また、そのうち2本はトップジャーナルに載せたい。とりあえずトップジャーナルから投稿してみることを勧められるので、ガチャに当たることを願うばかりだ。もちろん、10本、数として必ず載せようというのが具体的な目標ではなく、そのつもりで研究をしようということである。

論文に対しては、日本にいた時は闇雲に査読付き論文に出したいという気持ちが先行し、次第に投稿している論文がないと不安になってくる体質になってしまった。結果的に多くの論文を書けている要因はいくつかあるが(例えば、共著者の存在)、私はタイムマネジメントが得意なわけでは必ずしもなく、1週間や月単位で目標を定めることはあるが、1日にやることは得てして当日まで固まっていないことも多い。もし、他の人より論文を書くペースが早いとすれば、大きな理由の一つは、論文のハードルを高く設定していないことだろう。最初は、論文というものは何かしら大きな命題を唱えたり、先行研究を元に仮説を検証するものかと思っていた時期がある。こういう発想は必ずしも間違っておらず、長く読まれる論文というものやはり大きな主張をしている。しかし、研究者の論文が全てこのような論文であることは稀だろう。多くの研究者の業績は、社会学で言えば10年でgoogle scholarで20-30回引用されればいいくらいの論文が大半である。こうした論文の価値が低いかというと、そういうわけでは全くない。もちろん、本当に意義を疑うような論文もあるかもしれないが、多くの論文は、問いがシンプルであり、かつ非常にスペシフィックである。誰もやったことのない研究として新規性を打ち出すのだから、当たり前と言えば当たり前だが、その主張のインプリケーションが広い場合に、論文は分野を超えて多くの読者に読まれるのだと思っている。

したがって、初めから大きな主張をしようとせず、問いを分節化し、何が先行研究で見落とされてきたことなのか、何をアップデートするべきなのかを考えている。一つでもそれが見つかって、かつ相応の時間や資源的な制約の中で結果が出るのであれば、論文を書く。方法に自信がなかったり、違う分野の研究者の助言を募りたい時には共著者を見つける。そこまで難しくはない。論文ではせいぜいわかったことをシンプルに1-2つ書けば査読には通る(その「わかったこと」がなんらかの基準に照らし合わせて「新しく」なければいけないが)。ある程度数を稼ぐためには、こうした割り切りも必要だろうと思う。あとは、計画的でなくても良いので、常に論文を書いたり、分析を進めたり、文献を探したり、執筆途中の論文を常にアクティブにしておくことが必要だろう。ストレスになるかもしれないが、別に毎日全ての論文について考えるというわけではない、1ヶ月でいえば、最低2ー3日はその論文について上記のどれかに当てはまるような作業をして、共著者がいれば数ヶ月に一度しっかりミーティングをし、原稿を書き、再びミーティングをして詰め合わせ、学会や他の同僚の助言をもらい改稿し、またミーティングをして原稿を完成させ、投稿し、もしR&Rをもらえれば上記の作業を繰り返すように改稿する。そうしていれば、3-4ヶ月のスパンで論文を1本投稿し、1年に1-2本は出版できるだろう。常にアクティブな論文を複数持っておくことが重要である。査読によっては非常に時間がかかることもある。先日RSSMから出た論文は最初の査読が帰ってくるまで8ヶ月を要した。8ヶ月の間、その論文の結果を待っているだけではもったいない。8ヶ月あれば、2本は投稿し、2本は執筆中のステータスにできるだろう。常に問いを考え、アイデアとしてまとめ、人のアドバイスをもらいながら文章に残しておく作業が重要だと思う。

このように、私は論文を書くこと自体はそこまで難しくないのではないかと考えている。もちろん、英語で論文を書くためには、ライティングのスキルを身につける必要はあるが、最低限の教育を受けたら、ひたすら書いてコメントをもらう。そういう作業を1ー2年繰り返していれば、書くこと自体は苦ではなくなる。問題は、書いた論文が雑誌に載るかという問題であり、更に言えばトップジャーナルに載るかという問題である。私がアメリカに来た目的の一つは、この点と関係する。一つのargumentをロジカルに提示すれば論文にはなるが、今どのような研究が求められていて、主張をサポートするためにはどのような素材や方法が支持されていて、どのような研究に「意義」があると思われているのかは、実は社会的に決定されている部分も大きい。日本社会を対象とする場合には、単に日本の事例を検討してこういうことがわかりました、だけではアメリカのジャーナルには載りにくいだろう。残念ながら、アメリカの社会学はアメリカを前提に成立しているので、日本を対象にしたところで「なんでわざわざ日本なの?」と聞かれるのが関の山だからだ。これはtipsになるかもしれないが、私は自分の研究が日本から示唆を得て成立していることを前提に、日本の事例が当該分野の研究に対してどのようなpotential implicationをもたらすかを常に考えている。これは、誰も明示的に教えてくれないし、「アメリカでアメリカ以外の研究対象を選ぶ人のための研究入門」みたいな教科書があればよいが、そんなものは存在しない。しかし、この発想は必須である。詳細は省略するが、要するにアメリカだけを見ていては理論的な議論の重要な部分を見落としてたりするんじゃないでしょうか?という気持ちで私は論文を書いている。これが、日本を事例に研究を続けたいと考えているドメスティックな志向と、社会学や人口学一般の理論の上に貢献をしたいと考えているアカデミックな志向の妥協点になっている。ウィスコンシンに来て、この妥協点の上に立ちながら、どういう問いをRQとして提示するか、その問いを提示するまでにどういった先行研究を持ち出せばいいか、といった点に関しては、ファカルティや同僚から非常に大きな示唆を得ており、ここに来て良かったと考えている。私の日本を事例にした階層論や人口学に対する研究の姿勢は若干歪んでいるというか、素直に社会学部の教育を受けて出来上がるものでもないので、なかなか一言で言うのが難しい。ただ、今のような考えに至った経緯については後悔していないし、現在はこういうハイブリッドな考え方は、日本で教育を受け、研究している研究者とも異なり、アメリカで教育を受け、研究している研究者とも異なる、自分のオリジナリティだと思うようになっている。自分の考えに近いのは今の指導教員であり、彼はアメリカ人だが、日本に長く滞在し、基本的に全ての論文は日本を事例にしているが、アメリカのトップスクールでテニュアを取り評価を得ている。日本の事例を取り上げる際に陥ってしまう地域的な固有性を強調する志向を「脱文脈化」させつつ、アメリカを中心としてできて来た先行研究の知見自体も「脱文脈化」ないし「再文脈化」させる作業は、大変なことも多いがやりがいも感じる。

振り返ると、1学期目からこうした「妥協」をしているのは、何度か学会発表や査読、ないしインフォーマルな機会で自分の研究を英語圏の研究者に提示する機会を経て、(少々残念ではあるが)自分がやりたい研究が、相手が求めている研究と一致しない(=査読に通らない、評価されない)こともあるということを学んだからである。ただ、これは単に残念という言葉で片付けるには勿体無い。日本の文脈を共有していない読者に対して、社会学や人口学の一般的な理論の上に立って日本の事例を紹介する過程を通じて、著者自身が当初意図していなかったような、事例研究を飛び越えた意義を見つけることができるからである。この「英語論文の発見的作用」ともいうべき役割に気づくと、論文執筆は、単純に「今、日本がどうなっているのか」を明らかにすること以上の知的刺激に満ちた冒険になる。段々、私の考えが歪んでいることが伝わってきただろうか。私は自分が「妥協」をしているとは思っているものの、その妥協に対して積極的な意義を見出している。

ジョブトーク
アメリカに来て最もエキサイティングな経験として強く印象に残っているのがジョブトークであり、これは日本では目にすることがないイベントである。就活の慣行は分野によって異なるので、はじめにアメリカの社会学に関して確認しておく。まず、学部や研究所がポジションの募集を始める。ここで、分野を限らないオープンなものから、特定の分野に絞った公募をすることもある。また、social justiceとも関連するが、多様性を考慮してアカデミアでunderrepresentedされてきたマイノリティを優先的に雇用したり、学部の特段の必要性を満たすためのtarget of opportunity(ToO)といった制度もある。最近では、大学が主導して学際的な分野を作るための公募もあり、この場合は各ポジションに分野名が付され、そのポジションに採用された場合には所定の学部に所属しつつ、学際的なポジションにおける仕事もこなすcluster hireと呼ばれる制度もある。

このように、ポジションの募集自体は様々なメカニズムから成立するが、一度募集が始まれば、基本的にプロセスは似通っている。まずは書類選考。応募者はライティングサンプルやシラバスのサンプル、並びに履歴書や推薦状を用意して提出する。そこから、面接に呼ばれるのは1-3人ほど。非常に狭き門である。また、面接(フライアウト)も非常に過酷で、2ー3日の滞在中、プライベートな時間はほぼないといってよい。朝からファカルティの教員との朝食、ファカルティの車に乗って学部に行き、いくつかの個人面談、そしてメインイベントのジョブトーク、終了後に院生とのランチ、再び教員との個人面談、そして教員とのディナーといった予定が続く。cluster hireのように複数の分野にまたがる公募の場合には、二回ジョブトークをすることもある。人生で何度も経験したい類のものではない。しかし、ジョブトークは非常にエキサイティングなイベントである。まず、候補者は自分の就職がかかっているので、本当に自信のある研究を、何度も練習してプレゼンする。ファカルティも、仮に候補者を採用した場合、最低テニュアを取れるまで投資をしなくてはいけないし、テニュアを取れないような教員は(テニュア審査までに投資した分が戻ってこないため)採用したくないので、非常に慎重に審査する。特に、assistant professorのような若手を対象とした公募の際には、現在の業績だけではなく、その人がテニュアを取れるか、という意味で研究のポテンシャルという不確実なものを評価しなくてはいけないので、慎重さは極まる。表向きはみんなフランクで笑顔に満ちているが、これは表向きのパフォーマンスといったところで、複数の候補者から誰が学部に採用されるべきか、みんな真剣に考えている。学生たちも、将来ジョブトークの場に立つことを目標にしているわけで、生きた教材を直接目にできるられる機会は非常に恵まれているし、話から伝え聞くよりも勉強になることは多い。トップスクールに採用される候補者はトップスクールの出身者であることが多いのにはいくつか考えられる要因があるが、その一つはトップスクールの方が教員のポジションが相対的に多く、ジョブトークが頻繁に行われる。出してくる候補者も非常に優秀な人が多く、早くから就職活動について意識的になれることもあるだろう。

幸運なことに、今年は複数のジョブトークが行われ、一年目から多くのトークを目にすることができた。ToOが1つ、cluster hireが3つあり、うち社会学部が主催したトークが5つあり、合計6つのジョブトークに参加した。その中でも、候補者とのランチに5つ参加して、候補者の人たちから、色々と本音を聞くことができた。その中でも最も興味深かったのが、現代韓国研究のcluster hireであり、このポジションの最終候補者は全員社会学者だったので、3人のトークを聞くことができた。興味深いことに、このポジションは「現代韓国社会」を「質的な方法」で研究している人を採用するという、今後数十年アメリカでも見られないようなユニークな公募であった。また、最終候補者も全員が韓国人の女性研究者であり、様々な要因があらかじめ揃っており、いくつかの点について比較をすることができた。トークやランチに参加した院生はフィードバックを送ることが推奨されており、日本を対象に研究している自分にとっても、現代韓国研究の先生は関心が近い可能性が高く、慎重に、1日かけてフィードバックを作成した。自分なりに誰を採用したいかは考え、文章に残した。もちろん、自分の考えが決定に影響するわけはないのだが、仮に採用する側になってみて考えると、誰を採用するべきかという思考で録画されたジョブトークを何度も聞くことになり、得るものは非常に多かった。今回のジョブトークを振り返って、その研究の知見がどれだけ他の事例にインパクトを持つかが大切であることを感じた。先ほどの問題に戻るが、「なんで韓国なの?」「それって韓国だけでしか見られないんじゃないの、どういう意味があるの?」といった、それだけ見れば馬鹿げたようなものである。しかし、一歩進んで、その事例から社会学一般にどういったインプリケーションがあるのかを考えるという意味では、やはりなぜその問いが韓国を対象にしていて、そこから何が導き出されたのかを考える必要はあるだろう。もちろん、別に韓国に限ったことではなく日本でも台湾でも、ひいてはアメリカを事例にしても、なお考える必要のある点である。

メンタルヘルス
言葉としては知っていたが、大きく考えを改めるに至ったのがメンタルヘルスである。院生は鬱になりやすい。それは事実として知っている。要因として、業績主義のプレッシャー、教員との開放的でいるとは言えない関係、経済的な不安、熾烈な競争、色々とあることも知っている。それは日米で共通だろう。異なるのは、メンタルヘルスに対する考え方と、その考えに基づく取り組みである。日本時代にいた研究室では、メンタルヘルスを悪くすることはどちらかというと、個人が陥りがちな病気といった印象が近く、誰にでもなってしまう可能性があるが、なった場合はカウンセリングに行ったり、多少研究をストップしてみたりといったことしか想像していなかった。もちろん、私の知らないところで色々と取り組みがあったのかもしれないが、あまり公にはなっていなかったと思うし、そういう意識は共有されていたとは言い難い。

これに対して、うちの学部では、院生自治会に当たるSGSAという組織の下にメンタルヘルスとウェルネスに関する専門のセクションがあり、何人かの院生がメンタルヘルスを悪化させないような予防策を検討している。一言で言ってしまえば、メンタルヘルスが悪化する原因は、研究というプレッシャーを一人で抱え込んでしまうことにあり、そう言った状態に陥らないようにピア(同僚)によるサポートが必要になる。自治会では、研究に直接関係ないようねピア・ネットワークを構築できるような機会を提供している。例として、ポットラックや、Mindfulnessを維持するためのワークショップなどである。こうしたイベント以外でも、学生個人々々のメンタルヘルスに対する理解は深く、個人が陥る病気ではなく、メンタルヘルスを悪化させるような社会的な要因があり、それに対して介入できる(と明確にいうわけではないが)という意識があると感じた。他のプログラムや学部でどういう取り組みがされているのかはわからないが、うちの社会学部では、多くの院生が大学院生活は孤独で辛く、それをみんなでサポートしていくことが必要であるという意識が強い気がした。

まとめ:ハイブリッドなアイデンティティ?
まとめれば、今学期は非常に濃密に、瞬く間に過ぎ去っていった。その中で私の価値観も日々めまぐるしく変わっていった。まさしく疾風怒濤(Sturm und Drang)である。思えば、この数年は変化が欲しかった。東大に入学し、今後も自分の人生に影響を与えてくれるような人たちに出会えたことは貴重だったが、東大という環境に少し身を長く置きすぎていたと感じていた。マディソンに来て、日々様々な考え方に触れ、少し幅も出て来た気がする。その意味で、私の博士課程留学の1学期目は非常に充実していたが、このような考えに至ったのも、日本での経験がもとになっていることは間違いない。仮に、日本で修士や博士をせずに直接アメリカに来た場合と、一定程度研究者としての生活を始めてからくるのとでは、同じものを目にしても、異なる解釈に至るだろう。私はいまだに、自分の研究や考え方が、日本時代の経験に強く影響されていることを感じている。その中で、なぜ二つの社会で、こうまで異なる考え方をするのか、あるいはしないのかについて思いを巡らすことも多い。大げさにいってしまえば、私は自分自身の経験を対象とした比較社会学的な研究をしているかもしれない。こうした比較を通じて、私自身、少しずつではあるが、日本で育った研究者としてのアイデンティティに加えて、アメリカの(中西部という)土地に生活しつつ、社会学PhDで教育を受け、研究をしていることによって形成されるアイデンティティの二つがハイブリッドに混ざり合っていくのを感じている。当初、私は日本時代の経験を置き去りにして、アメリカの価値観に完全に適応してしまうことを恐れていたというか、そうならないようにしていこうと思っていたフシがあるが、鼻からそういう可能性は存在していなかった。両方の社会において軸足を置いて研究している以上、私の研究者としてのアイデンティティはハイブリッドなものにならざるを得ないのだ。

もちろん、その比較から、何か本質めいたものを見出すつもりもないし、できもしないが、2つの異なる環境にどっぷり身を浸かることで、多少捻じ曲がった、それでも異なる角度から見ればユニークなアイデンティティが形成されているのではないかと思う。そういう意味で、東大での経験も、マディソンでの日々も、同様に私の人生を豊かにしてくれているのではないかと考えている。ここに至るまで紆余曲折はあったが、今を楽しみ、これからも研究を楽しみながら進めていき、いくつかの人生の目標を実現したいと考えている。
人口学研究所の看板

今学期の我がオフィス

December 22, 2018

Paper published

My paper coauthored with Sho Fujihara (UTokyo) has been published (online first) in Research in Social Stratification and Mobility. This paper is about educational assortative marriage, which is my favorite topic. Results show that assortative marriage by education has declined from 1950 to 1979 (birth cohorts) in Japan, but gender asymmetric structure has not changed. If you are interested in assortative mating or categorical data modeling, please read it.

By the way, for some reason I needed to look back on a submission history for my RSSM paper, so here is what I know.

Submitted: Aug 8, 2017
Paper sent for review: Sep 8
First R&R: Jun 19, 2018 (!!)
Revision submitted: Aug 18
Second R&R: Oct 8
Revision submitted: Nov 15
Accepted: Dec 20

What I learned from this publication: Hold your horses, but always be prepared. Peer review process takes a long time, sometimes longer than you'd hope (10 months!). Also, results come suddenly, and sometimes we are allowed to have only two months for revision.

December 17, 2018

Paper published

Uchikoshi, Fumiya and Ryohei Mogi. 2018. “Order Matters: The Effect of Premarital Pregnancy on Second Childbearing in Japan” Demographic Research

Paper is out in Demographic Research. Applying a life-course approach, I examined a consequence of premarital pregnancy on subsequent fertility in Japan. Results show that this is related to increasing risk of second childbearing. I have more than 20 comments on this paper since I came to Madison, but this is still my work.


December 14, 2018

12月13日

今日は久しぶりにじっくり論文を書くことができて楽しかった。

明日のジョブトークに備え、候補者の論文を読む。トークやランチに参加した院生はthoughtsを送ることが推奨されてるので、自分なりに誰を採用したいかは考えた。もちろん自分の考えが決定に影響するわけはないけど、仮に採用する側になってみて考えると、得るものは多い。やはり、その研究の知見がどれだけ他の事例にインパクトを持つかが大切。

今回のようなアメリカ以外の特定の地域に絞った研究の場合は特に。社会学では、ある特定の地域の専門家であることを強調すると、地域研究者として分類され、就活上デメリットになる可能性もあるけど、その地域のスペシャリストだからこそ、地域を飛び越えた知見を導出することが期待されるのだと思う。

December 12, 2018

社会階層研究の進め方

命題を知る
・LZ
・FJH
・MMI
・Rational choice
・Diverging destinies
・Educational credentialism
・College as a great equalizer
・Assortative mating - preference or constraints?

命題の前提を確かめる
・メカニズムは?どの社会でも通じるのか?→疑問が浮かべば比較する
・いつ?→古ければアップデートできる
・男性だけ?女性も含む?
・白人だけ?マイノリティも含む?

データの性質を確かめる
・クロスセクショナル?
・パネルデータ?
・key variableの操作化は十分?
・セレクションバイアスはないか?



December 10, 2018

12月10日-3度目のジョブトーク

いつのまにか今年が終わろうとしている。渡米してから4ヶ月近くである。
今日は若干の頭痛があり、あまりはかどらなかった。テスト勉強のため土日も大学に来ていたが、正直疲れている。

朝は人口学の授業、続いて遅れてジョブトーク、候補者とのランチ、統計のラボ、その後人口学のレポート。ラボでは、residualのvarianceがnormalかどうかと、homoskedasticityの仮定の違い、あとはsuppresorがmediatorにもconfounderにもなりうるというのが収穫だった。とはいえ眠い。

今日のトークはサンプルをかなり特徴的なグループに絞った割には、そのレバレッジを活かしきれていない印象だった。それゆえ研究のインプリケーションが分からないというコメントが多かった。知見が韓国における何かを典型的に示しているのか、あるいは他の社会にも通じるのか、あたりが欲しかった。

しかし、ジョブトークのレベルの高さというか、真剣さ、スケジュールの大変さには下を巻く。学会報告はできるし、論文も投稿→掲載もできるだろうけど、ジョブトーク周りのイベントを乗り越え就職する自信は現時点ではない。起床→ファカルティと朝食→ファカルティの車でホテル発→ファカルティと1:1面接×3→ジョブトーク→院生とランチ→再び1:1面接×3→ファカルティとディナーみたいな日程。果たして、こんなに大変なジョブトークをくぐり抜けて就職することができるのだろうか。それとも、そもそも呼ばれないのだろうか。

今日の候補者は社会学プログラムのトップ30にギリギリ入る州立大の出身者の人だったが、院生とのランチではR1の大学に就職することと、それ以外の大学に就職することの協会を明確に分けていた。あるいは、その人の大学では5年間のファンディングがあるが、1年目はグレーダー、2ー3年目はTA、4年目からはインストラクターとしてのティーチングが基本らしく、フェローシップやRAはないらしい。話をしながら感じたのは、どことなく、その人の大学はR1には入るだろうが、シンボリックにはトップ30に入るそれ以外の大学と、トップ30外の大学の間に位置付けている気がした。全く話が噛み合わなかったわけではないのだが、どちらかという研究の話よりも、大学間の違いをすり合わせている間にランチが終わってしまった感じがある。今回の韓国研究の候補者二人を比べると、最初に来た人の方が、うちの大学とカルチャーというか、研究環境が相対的に近いような気がした。州立と私立という違いがあれど、何かが近かった気がした。まだうまく言語化はできない。


December 7, 2018

12月7日-再びジョブトーク

9時から人口学大学院セミナーの最終回。前回終わりきらなかった部分を議論してから、レポートの進捗確認。後ろが詰まっていた(ジョブトーク)ので、最後に報告した自分は言葉足らずのままに終わってしまったけど、ジョブトークのためにあまり集中できなかったので結果オーライかもしれない。タームペーパーの進捗確認はテーマが似ている人同士がペアになって互いの論文にコメントし合うというもので、ユニークだった。かなり楽観的な評価だが、割と先生は自分のレポートを買ってくれるのではないかと思う。人口学セミナーの最初の方で、classificationと国勢調査の関係についてのリーディングを読んだので、それに寄せて職業分類についてのレポートを書いていた。

そのあと、ジョブトーク。今回は前回よりもファカルティの先生がいた。議論もまずまず。集合的沸騰まではいかなったけど、今回の枠に応募している人の中では、多分盛り上がった方に分類されるのではないかと思う(他の候補者は来週だが)。

その後、院生とのランチ。今回はランチで話したことを口外しないという約束はなかったので、多少の雑感を書いておく。

今回のキャンディデートの人は様々な意味で興味深かった。現代韓国を対象に、ジェンダーと不平等を軸に質的調査をしている人だが、分析のアプローチは違えど、関心が非常に近いので、将来の自分を重ね合わせてしまう。ジョブトーク含め、どの質問にも的確に答え、自分の考えを付け加えるという意味では、隙がなかった。ただ、他の候補の人に比べると、多少回答が冗長だったかもしれない。もちろん、それは知識があることを示しているかもしれないが、まあ個人の好みの幅かもしれない。

次に、候補者の指導教員が自分が一緒に研究したいと思っていた人で、その意味でも重ね合わせることになった。違いが手法にあると言ったが、候補者の関心はよりジェンダーやcultural normの方にあり、私はもっと人口学的なアウトカムに関心があるので、完全にはかぶらない。

話を聞くうちに、ジェンダーと質的手法がメインの関心というか、「武器」なのだなと思った。どう言った授業を院生向けに考えているかという質問に対しては、はっきりとジェンダーの授業と質的手法の授業と答えていた。特に、後者は従来のような授業ではなく、ビックデータ時代に質的方法は何をできるかという観点でやりたいということで、発想の柔らかさを感じた。また、質的な人口学の研究もしているということもあり、人口学の授業を量質両方の先生が一緒に教えるというアイデアは面白いなと思った。

いろんな意味で、日本と韓国は似ている。自分が似たような家族環境で韓国に生まれたら、どうなっていただろうか、と考えることもある。この一見すると似過ぎているとも言える社会をどう比較するのか、比較することで何が見えてくるのか、自分と考え方や研究関心が似ている人を見ながら、今後の研究についても考える時間になった。また、アジア系の男性で計量やる人は英語能力に問題を抱え、数と対話しているので(鶏と卵)、結局母国に帰る傾向にある、と正直に言ってくれてよかった。

December 6, 2018

12月5日-ジョブトーク

今日はジョブトークがあった。cluster hireという、大学が先導してある特定分野の教員をまとめて募集するというもので、今回はreproductive health。ジョブトークの前にキャンディデートの人とランチ。採用後にはpopulation healthとsocial work、およびgender studiesも兼任するらしく、それらの学部の学生も少し来ていた。

ジョブトークの方だが、時間が少しイレギュラーなこともあってか、教員の数が少なかったのは少し残念だった。トークは勉強になったが、全体的にこれまでのジョブトークやコロキウムトークに比べると盛り上がりに欠ける印象だった。本当に凄い発表というものは、分野外の先生に対しても響き、彼らもポテンシャルのあるコメントを残す。今日はそういう教員がそもそもいなかったのが残念だった。もしかすると、cluster hireは余り学部がイニシアチブを取れないのかもしれない。とはいえ、もっと来て欲しかった。

12月4日-demsem, networking, 学会

今日のdemsemのスピーカーはスタンフォードのbio-demographerの人で、序盤で疫学における因果推論のconsistencyの重要性を指摘していた。たぶん統計で習う一致性とは異なり、同じ100ドルが健康に与える影響でも、収入による100ドルとくじによる100ドルが同じ、という想定らしい。

socio-genomicsが流行っているアメリカの社会学では、bio-demographyのトレーニングを受けた人の活躍の幅は広がりそうである。うちの学部では2日に1回はマット・デスモンドという単語を聞くが、同じ頻度でpolygenic scoreやGWASという単語も飛び交う。それくらい流行っている。毎度のことながら、批判的人種理論と社会ゲノミクスの研究者が同居するのは不思議としていいようがない。

ミシガン大で来年の6月に開かれる社会ゲノミクスのワークショップはさすがに自分の研究に使う段階ではないので行かないけど、来年のアメリカ人口学会で1日で終わるワークショップがあるので、それは行こうと思う(というか登録した)。今日の報告者の人も、個人のgenotype統制して信頼区間めっちゃ縮めたそうだったので、遺伝自体に関心がなくとも、推定の精度を高めたいという目的で使用したいと考える人は多いだろう。

人口学のセミナーでも、普通にmethylationという単語が出てくる。辞書で検索してメチル化か〜と納得するふりはできても、そもそもメチル化が何か全く分からないから、こういうワークショップで勉強するのが手っ取り早いだろう。

余談だが、今日のスピーカーの人は、Robert Wood Johnson Foundation Health & Society Scholarとしてセミナーのオーガナイザーの先生と同じ時期にポスドクやっていたみたいで、社会学と人口学のトレーニングを受けた後にこういう人とオフィスをシェアできるのはポスドク経験として有益だなと思った。

続いて、プロセミナーでは、前半で公共社会学、後半でネットワーキングについて。公共社会学にも色々と定義はあるが、従来のcommunity organizingと余り変わらないことをやっている人もいる他、自分の研究を一般の人にもわかりやすく伝えていこうとするpublic writingは、自分でもできる実践なのかなと思った。

後半では、今学期にリタイヤするファカルティの大御所の先生。アメリカ社会学会の副会長まで務めた有名なジェンダー研究者。ASAやPAAと言った大きな学会では人と話す機会が少ないので、自分の知っている研究者が参加する小さな学会(ジェンダー研究の場合にはSWS, society for women in sociology)から始めることが重要といっていた(start with small conference)。また、(分野にもよると思うが)自分の研究が必ずしも伝統的な社会学の領域に収まらない場合には、これとは別に地域学会などの分野横断的な学会に参加することがいいということだった(networking outside the sociology)。また、学会とは別に1ー2年に1回の頻度で開催される本当に小さな、数十人規模のカンファレンスにも足を運んでみることもできる(panels at small conferences, special purpose conference)。

これらの学会活動とは別に、大きな学会は大抵セクションごとに分かれているので、そのセクションの学生代表(student representative)ないしnewsletter editorになると、必然的にその分野の先生、特にセクションの代表に選出されるような有名な人と知り合いになれる点が指摘されていた(working with people elected as a leader)。ただし、前者は仕事量が多すぎることがデメリットらしく、コスパよくネットワーキングをするのであれば後者のエディターが良いということだった。

自分のケースに当てはめてみると、地域学会としてassociation for asian studiesには入っていたが、確か年会費を払っていなくて大会になっていたかもしれない。でも、メールニュースはまだもらっているので、機会があれば参加してみようかなと思う。分野別の小規模学会としては、すでにRC28にコミットしているので良い。メインの所属はPAAだと思うが、ASAとどれくらい関わっていくかは今後の考慮事項。考えているセクションは、IPM, Population, Family、どれも研究と関連が深いので、エディターは考えてみるかもしれない。

また、大規模な学会ではネットワーキングが難しいというのは学会側も承知しているようで、ASAの場合にはround tableがthe best session for networkingとして用意されている他、PAAでも(30 bucksかかるが)mentoring lunch が用意されている。

PAAのregistrationとworkshop登録を終わらせて、旅程を変更した。日程を確認すると、ポスター報告が11日に3件入っていて絶句した(自分で報告するのは2つ)。PAAの暫定的なスケジュールは公開されている。

December 4, 2018

12月3日(続き)

人口予測で書き連ねてしまったので、続き。

昼食をとって、統計のラボの時間まで人口学の課題を進める。ラボではmissing dataに関する説明。TAの先輩がベイズ統計の授業をとっているらしく、先生よりだいぶわかりやすく詳細だった。この日からスタンディグデスクを導入してみたが、当たり前かもしれないが立っていると眠くならない。さらに、頭が疲れる前に足が疲れるので、疲れすぎないタイミングで適度に休憩できる。普段よりだいぶ集中的に取り組めた気がする。

その後、統計の勉強会までに人口学セミナーのレポート作り。今日終わらせようと思っているところまではできたので、多少は満足。

PAAからメールが来てワークショップ一覧が送られて来たが、その前にregistrationをする必要がある。いつになれば研究所はお金を出してくれるのか、それとも参加費は自腹ないのか、よく分からないのでメールしないといけない。聞くところによると、700ドル一律支給らしいので、これに参加費が含まれているとうすれば結構ギリギリかもしれない。何を隠そう、州立大学なので。

帰宅するとStratification in higher educationが届いていた、日本でもご存知の方は多いのではないだろうか?私もShavitの名前は知っていたが、編者の一人のGamoranは兵学に最近までいた教育社会学の専門家だった。彼の後任は統計を教えているEricで、彼も寄稿している。全員調べたわけではないが、Shavit, Gamoran, EricそれにParkさんもいるので、ウィスコンシンネットワークは強い。なぜこの本を注文したのかは忘れたが(だいたい本が届くくらいの時期には注文した同期の半分は忘れている)、高学歴化と同類婚の論文について考えているところだったので、参考になる記述があった。行き詰まった時はアナロジーで他の研究から示唆を得るというのは、誰かが言っていた気がする。ここ数年で初めて、書いている論文がない状態なので、そろそろ取り掛かりたい。ASAに出したいが、間に合わない場合はバックアップを用意している。と考えていると、多分間に合わないのだが。

ということで、気分の落ち込みからは多少回復し、研究について少し前向きに考えられるようになった。すぐ忘れるので、自分の記録はこまめにつけとかないといけない気がする。

12月3日(人口予測)

今年もそろそろ終わりかけようとしている。師走の忙しさは期末試験とレポートから始まるとはよく言ったもので、感謝祭後に生活リズムが狂ったのを許してはくれない。というか、冬休みが間近にあるのに感謝祭で1週間休む合理的な理由が見つからない。来年は、1週間日本に帰ってやりたいくらいである。

ここ数日、というか1週間近く、太陽を拝めない日々が続き気が狂いそうだったが、人の慣れは怖いもので、今日はまた曇っているかくらいの気持ちで大学に登校した。

1限は形式人口学、いよいよpopulation projectionに入ってきた。相変わらずRowlandの教科書を使って、実習や宿題が課される。この教科書、たまに誤記があったりするが、味気ない形式人口学の世界に現実味を加えようとしている点では、入門書としては最適だろう。自分が人口学を教えることがあれば、この教科書を指定したい。他にもいい教科書はあるが、次点として挙がるPollardはほぼ絶版しているので入手しにくい。定番のPrestonやWachterのEDMは初心者には高難度である。Rowland -> Preston -> Wachterが順番としては良いのではないだろうか。1年くらいかければ習得はできるだろう。

今日の授業では、projectionにおけるいくつかの想定が紹介される中で、Ron Leeの以下の論文が紹介されていた。
Lee. 2004. Quantifying Our Ignorance: Stochastic Forecasts of Population and Public Budgets. PDR.
この論文では将来人口の予測をする際の不確実性にどのように対処するかについて論じているが、その中でセンサス局と社会保障局(SSA)の人口予測の仮定が異なっていることを指摘している。具体的には、センサス局では高出生、低死亡、高移動を仮定している一方で、SSAでは高出生と高死亡・移動を仮定している。前者の想定によれば、人口成長が最も進みやすくなるが、後者の想定に従えばold-age dependency ratio(生産年齢人口あたりの65歳以上人口)が最も低くなり、人口成長は安定的になりやすい、すなわち将来の社会保障費用を予測しやすい。こう言った行政の予測では、high, middle, lowのシナリオが用意されることが多いが、筆者によればこれらシナリオを用意するアプローチは確率を考慮していないとする。そして、これらの想定の妥当性は明確ではなく、人口成長を強調したいセンサス局・OADRが低くなるように見せたいSSAの思惑があるのではないかと疑われても仕方がない。

日本では、社人研以外に人口予測をしているのか分からないので、こう言った比較ができるかは怪しいが、社人研がどう言った想定に基づいて人口予測をしているのかは気になるところである。これと関連して、数年前にバズったいわゆる「増田レポート」を思い出した。

このレポートでは、社人研の推定を元に自治体別に20ー39歳の女性人口を予測した結果、2010年から2040年の30年間でこの年齢に属する女性人口が半減する自治体が全体の2割を超える、という提言をしている。これは報告書の主張の一つで、自治体間を移動するnet migration rateは「2005~2010 年の性別・年齢階級別の率が2020 年にかけて概ね 1/2 程度に縮小する」とされているが、後半では人口移動が縮小しないシナリオに基づいて予測をしており、「消滅可能性の高い」自治体の割合は全体の半分になるという。

「増田レポート」でググったところ、基本的に言及されているのは後者の結果だった。まあ、消滅可能性の高い自治体が全体の半分に上るというのはインパクトが強いので分からなくもないが、この二つのシナリオからわかることは、人口サイズが相対的に小さくなる自治体レベルでは、「移動」の程度をどのように仮定するかによって推定の結果が大きく異なることである。

人口移動が収束する場合と、しない場合、どちらが現実的な想定なのだろうか。収束するという仮定は、なぜそうなるのかの説明が全くないので、よく分からない。とはいえ、最近の政府の政策を見ていると、明らかに人口移動を鈍化させる、言い換えれば東京への移動を抑制する方向にシフトしている。収束しない、つまり人口移動の程度が現在と同じ水準で持続する場合の方が現実的に聞こえるが、かなり保守的な想定だろう。自治体レベルの人口予測においては移動が占める要因が大きいことを考えれば、確率的な計算に基づいて確率区間を示した方が良いように思える。

時間があればこういったアプローチで将来の地域別人口推計はできると思うので(すでにやられているかもしれませんが)、政府の言っていることに人口学的な方法でいちゃもんをつけたい方はぜひトライしてみてはいかがでしょうか。

December 2, 2018

12月第1-2週の予定

3日(月)
09:30-12:00 demtech
12:30-13:20 demtechのレポート
13:20-15:30 lab session
15:30-15:45 demtechのレポート(続)-分析結果までは終わる。
15:55-17:45 人口学セミナーレポート
18:00-19:00 統計の宿題
19:00- 統計の勉強会
4日(火)
10:00-12:10 人口学セミナーレポート
12:15-13:30 Demsem
14:00-14:30 Universal design workshop
14:30-15:45 Soc 361
16:00-18:00 Proseminar
18:00-20:00 統計の課題、PAAの登録、メールの返信
5日(水)
9:30-??:?? MA thesis defense
8:30-9:00 jobtalkerの論文を読む
9:00-9:25 メール
9:30-10:05 同類婚の分析
11:30-12:40 Job-talker lunch
13:00-13:45 Mental health workshop
14:00-15:15 CDHA
15:30-17:00 Job talk
17:00-18:00 人口学のレポート
19:00- 統計の勉強会
6日(木)
7:00-9:00 査読修正、レポート、二日間の振り返り、地熱(全て終了!)
11:00-14:00 同類婚の分析
14:30-15:45 Soc 361
16:00-20:00 971の用意・統計の勉強・ジョブトーカーへの質問を考える・論文へのコメント
7日(金)
09:30-12:00 Soc971
12:00 Job talk
14:00-15:15 Job-talker lunch
8日(土)
16:30-Proseminar dinner

週末以降の予定
×DR論文の校正
×評論論文の校正
×テスト勉強
・demtechの復習
・同類婚の分析
×SSNの提出
×香港
×人口学のレポートを進める
×地熱

10日(月)
09:30-12:00 demtech
10:30- Job talk
12:00-13:15 Job-talker lunch
11日(火)
12:15-13:30 Demsem
14:30-15:45 Soc361 exam
16:00-18:00 proseminar
12日(水)
14:00-15:15 CDHA seminar
13日(木)
14:00-16:00 SGSA meeting
14日(金)
12:00 Job talk
13:30 Grad student potluck
14:00-15:10 Jobtalker lunch
Soc674 report due
15日(土)
15:00 CDE party

12月2日

ここ最近、全く日差しが空から顔を見せない日々が続き、日照時間や寒さの問題よりも、陽を浴びられないことによるストレスが大きいです。

今日は若干早め(それでも9時とか)に起きて、11時に大学へ。スタンディングデスク用のアジャスターを導入して、比較的集中して作業できました。主に形式人口学の課題、共著論文の修正、来週のジョブトークの人の論文、自分の研究など。あとは、人口学のレポート。

December 1, 2018

今学期の反省

今学期を振り返ると、最初の数ヶ月は慣れるのに精一杯だったように思います。それから、少し慣れて、集中的に勉強できたんですが、感謝祭の間に緊張の糸が途切れてしまった、結果的に最後は少しだらけてしまいました。

最初の数回の授業は、どういう感じで授業が進むのかもわからず、慣れるまで予想より時間がかかった印象があります。基本的には、授業中でも積極的に発言することには寛容で、割と自分の理解が追いついていない時に、もう一回言ってくれます?みたいな発言もみんなよくしていました。could you repeat again?と言いたい時もあったんですが、どこか怖気付いてしまいそういった発言できず。やっぱり、日本の教育経験をひきずっているのかもしれません。

学期が始まって数週間後にはPAAのアブスト締め切りがあり、勉強と研究の両立が非常に難しいなと思ったのがこの時期でした。あまり予習ができなかったこともあり、反省すべき点として残っています。

人口学の大学院セミナーでは、文献4ー5つを基にインテンシブに少人数で議論する形がとられ、これが一番ストレスフルでした。やはり、発言するまでにまだバリアを感じます。自分で英語でどう発言するかを考えている間に時間が経ってしまったり、あとは質問の意図がよくわからなかったりするときは多いです。ただ、後者はネイティブの学生もわからない場合もあるので、そういう時には、彼らはどういう意味なの?と聞けるのですが、自分の場合は、理解できていないのが自分だけなのではないかと考えてしまうことから抜け出せず、この点も反省点です。

やはり、恥ずかしがらずに積極的にコミュニケーションする必要性を痛感しました。これは授業街にも当てはまり、インフォーマルな会話が研究にとっていかに重要かを感じます。気分がいいときは自分でも声をかけられるのですが、眠かったり、気分がすぐれないときは怖気付いてしまうので、やはり体調を整えることも大切なのかなと思います。

単位を取り、試験をパスするだけなら、おそらくそこまで難しくないのではないかと思うのですが、よりアクティブに学んでいこうとする時には、まだまだ乗り越えなければいけない壁があるなと感じた一学期でした。

12月

いよいよ年の瀬ですね。12月25日に帰国して、3週間程度滞在します。会いたい人、食べたいものがたくさんで困ります。

授業らしい授業は終わったので、残すは大小のレポートです。授業が終わったので、研究にシフトしたい気持ちもありますが、今学期勉強したことを振り返りたくもあり、またnetflixでドラマ見たい気もあり、時間は足りないです。

How to get away with murderというロースクールを舞台にしたスリラーを見ているのですが、4シーズン60エピソードを集中的に見たら多少リスニングが向上したような気がしました。このドラマはダイバーシティに配慮していて、アメリカに来るまではあまり聞き慣れることのなかった黒人英語も多く聞くことができるので、慣れるためには役に立っています。

多少心境や対人関係の変化もありますが、やはり気を抜かずに勉強することが大切だなと感じました。今日の人口学セミナーは、いつものようなメモはせず、しかも前日ほとんど眠れなかったので(感謝祭以降から生活リズムが崩れがち)、今学期一番発言できなかったかもしれません。やっぱり恥ずかしいというか、もったいない気持ちがあるので、来学期のセミナーの授業はちゃんと予習してメモを残そうと思います。

日本に帰国したら食べたいもの・行きたい店・買いたいもの

日本というか東京だった。大学院時代によくいってた店が多い。さすがに数日の東京滞在で全ては回れなさそうなので、多少絞る必要がありそう。

本郷
・こくわがた
・山手
・織恩
・ねむ瑠
・赤門ラーメン
根津
・車屋
巣鴨・大塚
・ときわ食堂
・ぼんご
吉祥寺
・いせや
・タレカツ
御茶ノ水
・川菜館

・Asicsのビジネスシューズ
・メガネ
・サランラップ
・創味シャンタン
・スマブラ
・お土産用のお茶
・いらないスーツ
・お茶(緑茶・烏龍茶)
・目のケア(目薬、アイマスク)
・日本でしか買えない書籍、及び小説をいくつか。
・論文管理を更新する
・エージェントベースドの勉強
・髪を切る
・会いたい人に聞きたいことをメモしておく

November 29, 2018

Latex上でStataの出力を楽に引用する

はじめに、stata用のstyファイルをltxファイルと同じ階層に置く。stata上で

copy http://www.stata-journal.com/production/sjlatex/stata.sty stata.sty

とすればstyファイルが手に入る。あるいは、以下のコマンドでも同様らしい。

net from http://www.stata-journal.com/production
net install sjlatex

さらにstataにtexdocをインストール。
ssc install texdoc, replace

下ごしらえは終了。基本的にtexdoc do filename.doと実行していくことで、texファイルができる。texdocのウェブ上に豊富な例が掲載されている。latex上でコンパイルする際にプリアンブルに

\usepackage{stata}

を加えた上で、本文中に

\begin{stlog}\input{Sample_1.log.tex}\end{stlog}

などのように作成したtexファイルを貼り付ければ良い。

November 28, 2018

今週の計画

今週の目標
・統計のタームペーパー提出
・形式人口学のテスト
・同類婚の分析
・共著論文の修正

日曜
・人口学テスト

月曜
・統計のタームペーパー
・統計のラボ

火曜
・統計のタームペーパー
⇨提出
・人口学の質問ポスト
・統計の授業
・DemSem
・プロセミナー
・同類婚の分析

水曜
・同類婚の分析
・コロキウム(JLMトーク)
・JLMとインフォーマルセッション

木曜
・同類婚の分析
⇨モデルが間違っていないかを確認してメール
・同棲の分析
・人口学タームペーパー

土日
・demtechの課題
・人口学セミナーのレポート

***
・waiveの準備
・ジョブトークの候補者の論文を読む
・質的調査法の先生にメール
・同類婚地域分析の文献
・TTSのまとめ
・Professional development
・夏のファンディングとワークショップ機会についてメール

November 27, 2018

履歴書の書き方

今日のプロセミナーの前半がCVに関してだったので、気になった(参考になった)箇所をメモ。

UW-Madisonの最近の卒業生のCVを例に話が進んだ。結局時間の関係で、しっかり見たのは現在USCのProvost’s Postdoctoral ScholarをしているKingさん。早速話がそれるが、もしUSCに就職できたらすごく幸せだと思う。幸いかどうかわからないが、地熱方面で共著をしている先生もいるので、何かと縁を感じる大学である。ちなみに行ったことはない。カリフォルニアというだけでかなり憧れる。

本題に入ると、彼女は経歴からもわかるように、研究業績以外にも新しい授業を作る際に関わったり、ASAの前に開かれている学生カンファレンスのオーガナイザー、ASAのセクションの院生代表、豊富な教歴、様々なサービスなど、多彩な活動をしていることがわかる。

先生としては、こういった側面も重視されることはあるが(例えば教育重視の大学への就職を考えている場合は教歴やサービス歴は重要かもしれない)、研究大学を考えている場合には、hiring committeeが見ているのは、基本的に採用した場合にテニュアが取れるか、つまり研究のポテンシャルがどれくらいあるのか、ということらしい。

細かいところでは、referenceあるいはPhD thesis committeeの欄に書いた先生は、hiring committeeが採用を考える際に、誰に聞けば当人の研究を詳しく聞けるかという側面もあるが、自分はこの先生の弟子というシグナルにもなるようで、自分はどういうラインの研究をしているのかをシンボリックに伝える機能もあるという。これは私の感想だが、committeeの先生は、少なくとも数人はその界隈ですでに評価が確立している先生の方が、話は進みやすいのかもしれないなと思った。

Research experienceでは、自分が共著には入らなかったが、どのようなスキルを持っているかを示すためにRAやPA歴を書くところで、できれば1行でどう行った作業をしたかを書くと良いという。そのrationaleは、共著であれば自分が担当したところを書けばすぐわかるが、RAというのはそういった貢献として表には出にくいからだろう。

サービス歴については、基本的にあまり重視はされないが、何かをしていればgood citizenであることをアピールできるらしい 。とはいえ、サービス歴がなくともbad citizenだとは思われないので、なくても良いということ。

カンファレンスでの発表歴も、業績というよりは、自分がどの学会にフルにコミットしているかを知らせるための機能が大きいらしい。また、就職先候補のファカルティに候補者がコミットしている学会、あるいはセクションにコミットしている先生がいれば、もしかしたら候補者の発表をすでに聞いているかもしれないので、事前に探りを入れることができる。学会はネットワーキングとしての機能を持つが、何も良い側面ばかりではない。もし学会で変な報告をしてしまったり、社交的ではないと判断されれば、whispering networkを通じて当人の評価が下がることになるという。怖い。

グラントの項目ではmajorとminorというわけかたと、internalとexternalのわけかたがあるらしい。好みによって使い分けるということ。最後に、査読中の論文をCVにあげることはよくあるが、単にunder reviewではあまり意味はなく、R&Rに入った時点で雑誌名を上げるだけで良い。後者の方が、実際にその論文が当該雑誌に掲載される確率が圧倒的に高いからだ。

終了後の感想としては、私はアメリカの大学院に出願するときに、アメリカの院生のCVを真似ていたが、正直あまり意味がわからないところもあり、その一部が解決された。ジョブマに出ている人が気にする箇所(under reviewなど)が、かならずしも大学院出願者にとって重要であるとは限らないので、もし昔に戻れるなら、恥ずかしくて書き直していることだろう。

November 26, 2018

アメリカにいると、raceについて考えない日はない。

昨今、ダイバーシティという言葉が日本のメディアでも頻繁に聞かれることになった。主として女性の活躍という文脈で使われている印象が強いが、例えばセクシュアリティの多様性といった場面でも、この言葉は用いられるだろう。

日本から見ると、アメリカは非常にダイバーシティに富んだ社会だと思われるかもしれない。大学の在籍者で見れば、すでに男性よりも女性の割合の方が大きく、研究者はこれをthe rise of womenと呼んでいる(一方で、労働市場における男女の賃金格差の是正は停滞気味である)。トランプ政権の登場によって逆風が吹いているかもしれないが、アメリカでは多くの州で同性婚が認められるようになっている。

こういった文脈で、アメリカにおけるraceあるいはethnicityの多様性を耳にすることがあるかもしれない。raceの分布に地域差があることも、知っている人は多いだろう。西海岸はアジア系が多く、テキサスは保守的な土地だが国境を合わせるメキシコからのヒスパニック系住民が多い。意外と知られていないが、中西部でもイリノイは他の週に比べればヒスパニックや黒人の割合が多いが、私が住んでいるウィスコンシンは、NYCからきた友人をしてvery whiteと形容される街である。

アメリカに来る前は、raceもジェンダーやセクシュアリティといった多様性の中の一つだと考えていた。しかし、アメリカを一つの社会としてみたときに、何が社会を構成する要素として影響力が一番大きいのかと聞かれれば、今では真っ先にraceと答えるだろう。

アメリカにいると、raceについて考えない日はないのだ。社会がどのように動いているのか(how society works)を考えるときに、raceが占める比重は非常に大きい。その影響力の大きさゆえに、raceについては様々な定義をすることが可能でもある。

例えば、raceをethnicityと対立的に捉え、前者を身体的(生物学的)な特徴、後者を文化的(社会的)な特徴とするのは、見慣れた区分かもしれない。もちろん、skin colorもraceを構成する要素であるとは考えられるが、両者は対立的に捉えられるものではない。例えば、国勢調査ではヒスパニックという`race'は存在しない。ヒスパニックはethnicityとして捉えられている。ヒスパニックの中にも、raceでいえばwhiteの人もいるしblackの人もいるからだ。ただし、国勢調査的にはアジア系はethnicityではなくraceである。ややこしいことに、私みたいな人間はraceをアジア系としてidentifyし、ethnicityをJapaneseとすることが期待されている。

期待されているとしたが、これがraceの定義を複雑にさせる要因でもある。raceは身体的な特徴と考えてきた人には、不思議に思われるかもしれないが、raceを語る際にそれがracismにならないのは、race自体が一つのアイデンティティとして確立しているからである。つまり、blackというカテゴリは、他者によって帰属させられるカテゴリであると同時に、自分自身をどのように定義するかというアイデンティティの側面も持つ。例えば、raceにもとづいた、根拠のない主張は偏見や差別になるが、本人が自分のraceを定義した上でraceに基づいて何かの主張をしている場合、その主張をraceと結びつけることには異論は出ない。

要するに、raceは自らを規定するカテゴリでもあると同時に、他者から規定されるカテゴリでもある。アメリカの社会学者がraceをsocial constructと捉える際に念頭に置いているのは、raceカテゴリがこのように社会的な相互作用から規定される側面である。繰り返すが、raceが全て社会的な構築物に還元できるわけではなく、文脈によっては身体的な特徴が押し出されたり、raceが帰属的な地位であると考えられることは多いが、アメリカ社会に身を置くと、raceを一言で定義することの難しさを痛感することになる。

raceは社会的な相互作用によって規定される。そのため、raceに対する意味付けや解釈が頻繁に行われることになるが、その解釈が差別になるのか、ならないのかには、実際に相互作用に参加している人でなければ掴めない綾がある。例えば、ある人を(本人が自分をどうidentifyしているかは省略して)blackだとかwhiteだとか同定することは、差別とは考えられない。したがって、道端ですれ違った人はwhiteだったと思う、という言明に差別的な意図は見出されない(それがなぜそのように判断されるのかは、説明が難しい。例えば、日本で見た目から当該人物を中国人や韓国人と判断したら、それは偏見だと思われるのではないか)。しかし、raceに基づいて、それ以上の判断、例えばアジア系だから見分けがつかない、というのは差別的な言明になる。

また、マイノリティ側であるraceの集団が、ある制度や組織をマジョリティによる独占やダイバーシティの欠如といった文脈で批判することは、コンフリクトを生じさせることはない程度に許容されている。しかし反対に、マジョリティ側がある組織がマイノリティによって独占されていることを言明することは差別的だと判断されるだろう。このようにraceによって、どのような言明が問題になるのか、あるいはならないのかの線引きは、おおよそ明瞭に決まっているが、その線引きがなぜ妥当とみなされているかの合理的な説明をすることは難しい。マイノリティがマイノリティであることによって不当な扱いを受けているという言明には説得力があるが、マジョリティ側が、マイノリティに対する優遇のせいで不遇を買っていると主張することは支持されない。

raceは日常生活のあらゆる場面に登場するが、非常にセンシティブな問題になることも多い。そのため、「線引き」を、無意識に判断してその場で適切な振る舞いを行えるスキルを持っている人と、そうでない人が出てくる。これをコンピテンスと呼べばいいのかはわからないが、いわゆるマジョリティ側(white)の中にも、こういったコンピテンスが高い人とそうでない人がいて、前者はマイノリティ側が潜在的に抱くであろう考えを、それが表出する前に察知することができるため、コンフリクトを生じさせないことができる。後者の場合、マイノリティ側の心情を考慮しない発言をしたりしてしまうため、そうした配慮に欠ける人だと考えられてしまう。

これは、raceに限ったことではなく、genderやsexualityに対するセンシティブさも同様に議論できるが、社会の機制として、raceが果たしている役割が、アメリカでは非常に大きい。

November 23, 2018

Same results


LEM: log-linear and event history analysis with missing data.

Developed by Jeroen Vermunt (c), Tilburg University, The Netherlands.
Version 1.0 (September 18, 1997).


*** INPUT ***

    man 3                     
    dim 2 6 6                 
    lab C W H 
   ***HOMOGAMY (MAT1) with changing RCII
    mod {cov(H,1) cov(H,1) cov(H,1) cov(H,1) cov(H,1)}      
  des[
  1 0 0 0 0 -1
  0 1 0 0 0 -1
  0 0 1 0 0 -1
  0 0 0 1 0 -1
  0 0 0 0 1 -1
  ]
dat sample.fre              
      nco     


*** STATISTICS ***

  Number of iterations = 25
  Converge criterion   = 0.0000006002

  X-squared            = 14181.7959 (0.0000)
  L-squared            = 11171.3442 (0.0000)
  Cressie-Read         = 12616.3463 (0.0000)
  Dissimilarity index  = 0.4448
  Degrees of freedom   = 66
  Log-likelihood       = -36482.70566
  Number of parameters = 5 (+1)
  Sample size          = 9684.0
  BIC(L-squared)       = 10565.5810
  AIC(L-squared)       = 11039.3442
  BIC(log-likelihood)  = 73011.3025
  AIC(log-likelihood)  = 72975.4113

  Eigenvalues information matrix
    3317.3117  1775.1841  1292.5114   852.5569   317.1529


*** LOG-LINEAR PARAMETERS ***

* TABLE CWH [or P(CWH)] *

  effect           beta  std err  z-value   exp(beta)     Wald  df  prob
  main           4.3243                       75.5102 
  cov(H)
   1             0.0378   0.0317    1.191      1.0385     1.42   1 0.234
  cov(H)
   1             1.7772   0.0206   86.426      5.9131  7469.54   1 0.000
  cov(H)
   1             0.8285   0.0249   33.285      2.2900  1107.88   1 0.000
  cov(H)
   1            -0.1333   0.0337   -3.951      0.8752    15.61   1 0.000
  cov(H)
   1            -1.2144   0.0527  -23.048      0.2969   531.23   1 0.000

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

LEM: log-linear and event history analysis with missing data.
Developed by Jeroen Vermunt (c), Tilburg University, The Netherlands.
Version 1.0 (September 18, 1997).


*** INPUT ***

    man 3                     
    dim 2 6 6                 
    lab C W H 
   ***HOMOGAMY (MAT1) with changing RCII
    mod {H}      
  
dat sample.fre               
      nco     


*** STATISTICS ***

  Number of iterations = 2
  Converge criterion   = 0.0000000000

  X-squared            = 14181.8075 (0.0000)
  L-squared            = 11171.3442 (0.0000)
  Cressie-Read         = 12616.3527 (0.0000)
  Dissimilarity index  = 0.4448
  Degrees of freedom   = 66
  Log-likelihood       = -36482.70566
  Number of parameters = 5 (+1)
  Sample size          = 9684.0
  BIC(L-squared)       = 10565.5810
  AIC(L-squared)       = 11039.3442
  BIC(log-likelihood)  = 73011.3025
  AIC(log-likelihood)  = 72975.4113

  Eigenvalues information matrix
    3317.3172  1775.1003  1292.5355   852.5780   317.1440

*** LOG-LINEAR PARAMETERS ***

* TABLE CWH [or P(CWH)] *

  effect           beta  std err  z-value   exp(beta)     Wald  df  prob
  main           4.3243                       75.5092 
  H 
   1             0.0378   0.0317    1.191      1.0385 
   2             1.7772   0.0206   86.426      5.9132 
   3             0.8286   0.0249   33.285      2.2900 
   4            -0.1333   0.0337   -3.951      0.8752 
   5            -1.2145   0.0527  -23.049      0.2969 
   6            -1.2957                        0.2737  7740.30   5 0.000


Control marginal


In log-linear model approach, we are taught that we should control `marginal distribution' in contingency tables. Let's think about why. In the sample table below, C is cohort (just 2), W and H refer to wife's and husband's education, and each number corresponds to educational rank (the larger, the higher). A design matrix(quasihetero.txt) allows us to see a kind of quasi-independence, but in this example, we do not control marginal distribution. As usual, I'm interested in the magnitude of homogamy parameters. Results are agains my expectation, since I suppose that the diagonal cells are more likely to occur, but of course, this model did not consider marginals, so the results are understandable given that the union between highly educated men and women are less likely to occur. This is why we need to control the marginal distribution of wife's and husband's education. As this example shows, even when we are not interested in the marginals, we need to consider adding the parameter. In the same token, conventionally lower BIC means worse fit, so we need to do something when we see the BIC is not negative, even if it seems we add enough parameters. 




LEM: log-linear and event history analysis with missing data.
Developed by Jeroen Vermunt (c), Tilburg University, The Netherlands.
Version 1.0 (September 18, 1997).


*** INPUT ***

    man 3                     
    dim 2 6 6                 
    lab C W H 
   ***HOMOGAMY (MAT1) with changing RCII
    mod {fac(WH,7) }      des quasihetero.txt
        dat sample.fre                   
      nco     


*** STATISTICS ***

  Number of iterations = 20
  Converge criterion   = 0.0000003082

  X-squared            = 9082.8294 (0.0000)
  L-squared            = 8078.8462 (0.0000)
  Cressie-Read         = 8310.0803 (0.0000)
  Dissimilarity index  = 0.3188
  Degrees of freedom   = 64
  Log-likelihood       = -34936.45669
  Number of parameters = 7 (+1)
  Sample size          = 9684.0
  BIC(L-squared)       = 7491.4395
  AIC(L-squared)       = 7950.8462
  BIC(log-likelihood)  = 69937.1610
  AIC(log-likelihood)  = 69886.9134

  Eigenvalues information matrix
    2241.6153   522.8455   441.5313   291.4483   182.6207   151.1644
      68.8027


*** LOG-LINEAR PARAMETERS ***

* TABLE CWH [or P(CWH)] *

  effect           beta  std err  z-value   exp(beta)     Wald  df  prob
  main           4.5501                       94.6463 
  fac(WH)
   1             1.0333   0.0458   22.552      2.8104 
   2             2.8773   0.0227  126.488     17.7661 
   3             0.0037   0.0740    0.050      1.0037 
   4             0.5093   0.0583    8.741      1.6641 
   5            -0.7967   0.0466  -17.092      0.4508 
   6            -0.1744   0.0807   -2.162      0.8400 
   7            -0.9948   0.1204   -8.260      0.3698 18807.52   7 0.000


November 21, 2018

Summer workshop opportunities for demographers and sociologists 2019

Annual Workshop on Formal Demography (UC Berkeley)
Date: June 4-8, 2018 (not updated yet)
Funding: Partial support for travel. Accommodation is covered.

Genomics for Social Scientists (U of Michigan)
Date: June 17-21, 2019
Funding: $200 course fee, travel stipends available.

Rostock Retreat (MPIDR)
Date: July 1-3, 2019, which can be follow by Agent Based Modeling course on June 24-28, 2019
Funding: not clear yet

Inequality Workshop (Stone Center at CUNY)
Date: June 10-14
Funding: "Attendees from outside of New York City are responsible for arranging and funding their own accommodation and travel"

Parenting Among Asians ISSBD at CUHK
Date: June 25-28
Funding: There will be no registration fee for participants. Participants will also be provided with accommodation, meals, and a travel allocation.

November 20, 2018

11月20日

午前中はミーティング。大学に来て形式人口学の課題を進める(作業時間40分)。統計の課題を終わらせてレポートとして提出(作業時間20分)。最後に形式人口学のレポートを仕上げる。いつもハードワークで笑顔を振りまいてくれてる清掃員の人に感謝の手紙。統計の授業を経て人口学の課題を提出。日本語の論文を執筆。移民の課題を提出。

11月19日

今週はthanks givingでほぼ休暇なのだか、そのぶんレポートやtake homeのテストがたんまりとあり、休んでいいのか勉強しなくてはいけないのかよく分からない1週間。同期のアメリカ人は、火曜に授業があるにもかかわらず平気で月曜に地元に帰っていった。

9時半から形式人口学の授業。今日は移民。自分が先週移民を担当したので、いくつか質問も出てきた。例えば、decennial censusから人の移動を推定する場合、2時点のmid year populaitonのうち、(forwardアプローチの場合)前者を生存比で重み付けした後に差分を取り、net migrationとして算出するが、これはあくまでnetなので、inとoutを区別できていない。また、undocumentedも含まれるが、峻別はできない。あるいは、移民の人がアメリカで産んだことも(定義上はアメリカ国民)と産んでから移民してきた親と子供を区別できない。色々と課題はあるのだと思った。

昼ごはんは大学で一番お金がかかってそうな広報用の建物に入っている地中海料理の店でランチ。その後統計の授業。終了後、レポートなどを片付ける。博論のテーマもボヤリト感がつつ、世代間移動と人口学の視点を前に進めたDDの議論などしたいなと考える。因果推論も大事だけど、自分の関心は近接要因ではなく、もう少し社会変動と結びついたスパンの大きなものかもしれない。

帰宅後、共著のことなどを進める。

November 18, 2018

JLM-Thinking Through Statistics

11月28日にJLMがマディソンに来てトークをしてくれることになりました。今週はサンクスギビングで中盤から休暇なので、トークで話してくれるTTSを読み進めたいと思います。

Introduction(google playの無料で読めるところまで)
多くの統計は不要であり、世界に関する異なる主張の妥当性を判断するための手法が必要である。ごく少数の事例ではモデルのフィットを良くすることが重要かもしれないが、多くはそうではない。アナロジーで考えよう。医科学の研究に対しては、不可能に思える問題ー不死ーに多くのリソースを割いてることに対して批判がある。しかし、実際にはより重要な問題として、栄養や運動、環境への被曝リスクなどがあげられている。これらの問題は、単に解くことも難しいために敬遠されている。

統計についても同様である。多くの統計の分野で行われて入るのは絶対的に最も優れた推定値を出すことである(bestimates)。しかしながら、たいていの場合、正しいモデルを知っているのであれば、統計をやる必要はない。ここでの問題は、真のモデルからパラメータのbestimatesを得ることではなく、モデルの結果が誤解を招かないようにすることにある。我々にとって必要なことは、社会的世界に関するアイデアを提示することであり、その世界から私たちが間違っていることを知らせてもらうことであり、我々が実際に間違っている時により頻繁に、それを指摘してもらうことである。

多くの読者は統計学者は一つの正しいモデルを知っているとは想定しないと反論するだろう。たしかに、現在注目を集めているのはいくつかのモデルに対して、それらのうちどれが一番フィットがいいかを選ぶ手法である。こうした研究に対して肯定的な意見もあるが、あくまでも可能なモデルのうち、その一部しか見ていないことを肝に銘じるべきだろう。こうしたアプローチの重要性は否定されるべきではないが、繰り返すように、基本的な問題、すなわち真のモデルに近づいているのかを確証させるものではない。

統計学者はありえる変数の中でベストなモデルを選ぶ。社会学者の仕事はより世界をよく理解するためのモデルを考えること、すなわち欠落変数がないかを考えることである。
OLSよりも「正しい」モデルはあるが、多くの場合、OLSはその想定に対する違反に頑健である。ベストな推定量を出すわけではないが、全く間違っているわけではない。

さらに、より重要なこととして、そのデータのモデルとは独立の特徴と関係している。係数をある種の因果効果として解釈することもできるし、偏相関係数としてみることもできる。これらの記述的な解釈は役に立つだろう。多くの研究者は行動理論的なモデルに近づいているが、私(著者)からすればそれは話の半分にすぎない。政治家の「平和を望むなら戦争に備えよ」になぞらえれば、「モデルを望むなら記述に備えよ」となる。

ここでいう「モデル」とは、実際の世界に対して検証可能な含意を含む主張をすることである。あるいは、それは因果や過程に対する主張となる。モデルが仮に正しければ、パラメータは真の世界らしき解釈を導いてくれる。

パラメータの推定値と、測定値(測定の単位とやりとりをする過程)の区別をしておこう。我々は、モデルのパラメータ(及び測定値)と記述統計量との区別をしようとする。記述とはモデルとは独立なデータのセットにおいて情報を要約する方法である。つまり、どんなモデルであっても平均は平均である。それに対して、複雑なモデルではパラメータは、もしそのモデルが間違っている場合には、意味をなさない。

休日

金曜の人口学セミナーを終えたらそれから土曜は丸一日休むと決めていたので、それに従った。

セミナー後に、社会保障番号(SSN)を取得するためにマディソン郊外に向かった。東部に住んでいる自分にとって、マディソン西部はほぼ未開拓の地。バス停を降りて数分歩くと、周囲にトヨタ、マツダ、スバル、ブリジストンの販売店があり奇妙な日本感がある。

事務所に到着して受け付けよう番号をもらい、待つ。だいぶ、おそらく25分くらい待ったところで呼ばれ、必要書類を提出。パスポートと申請書以外にも、大学からの雇用証明書、留学を証明するI20や直近のアメリカ到着を示すI94や、大学からこの学生はSSNを必要としているのでお願いしますという旨が書いてある書類を提出した。

以外とあっさり手続きは終わり、セミナーの司会とSSNという二つの重荷から解放された気分で買い物でもしようかと思い、近くのモールへと向かった。最初に古本屋に入ったが、当たり前かもしれないが日本語の本はおろか学術書もなく、特に買い物はなし。スピリチュアル系の本がたくさんあったのはアメリカっぽい。西部のモールでは、Hilldaleというところに入ったことがあったが、今回行ったWestgateは初めて。駐車場から見て左半分の側のエリアはほぼ店が閉店していて、郊外感があった。感謝祭用のワインなどを購入して帰宅。

土曜は15時過ぎまで寝ていた。その後、ナイトマーケットに行ったが寒さにやられて40分もしないうちに帰宅。

November 17, 2018

一時帰国時の予定

ダブルブッキングがないように備忘録

12月24日(アメリカ)
11:55 シカゴ発

12月25日(日本)
16:20 成田着

12月27日
6:41 バス
9:00~ Hさんとお茶
10:00-13:00 計量社会学研究会
13:00 Mくんと昼食
15:00 Mとお茶
17:00 Mさんと論文執筆ミーティング
19:00~ 学部同期と夕食

12月28日
12:30~14:30 奨学財団によるパーティー(渋谷)
14:30-19:00 駒場、下北、杉並、吉祥寺を散策、靴が欲しい。
19:30~ 松尾先生との夕食

12月29日
本郷周辺を散策

1月9日
13:30 大学院ゼミ
19:00 飲み会

1月10日
10:00-12:00 二次分析
15:00- 小西先生
18:00 豊島寮同窓会

1月11日
10:00 研究室訪問
12:00 余田さん
15:30 Uとお茶
19:00 IHS同窓会

1月12日
19:00 京論壇同窓会

1月14日(日本)
17:05 成田空港発

1月14日(アメリカ)
13:45 シカゴ着

5月27日(アメリカ)
11:20 シカゴ発

5月28日(日本)
14:20 日本着

6月1-2日
日本人口学会(香川大学)

Week12の予定

Thanksgiving

土日
・Demtechの宿題修正
・再婚論文

月曜
・統計Lab
・Demtechの宿題

火曜
・Regression2課題提出
・Demtechのレポート
・DemSemはお休み
・共著ミーティング

水曜
・Demtechのテスト
・サンクスギビング

初Co-lead

金曜日、人口学大学院セミナーのCo-leadを無事(?)務めました。この授業では、各学生が学期に一度、プレゼン資料を作ってディスカッションをリードするというので、これが終わったのでだいぶ楽になりました。

意外と、座ってる時に比べて緊張しなかったのが自分でも驚きでした。昔から、発表するまでは緊張しいなんですけど、いざ発表するときになると役になりきるというか、演じる癖がついている気がします。もちろん、スライドに話す内容は書いてあるし、議論の時はあまり発言しなくていいからかもしれません。座っているときは、誰も発言しない緊張感と気まずさが、さらに発言しづらさを助長するんですよね(苦笑)。

ただ、最後だらけて棒読みになったのは反省点です。自分の英語、みんな理解してくれてるのか、半信半疑になりながらの2時間半、あっという間でした。後半は棒読みだったのでちょっと評価は低かったかもしれないです。それでも、一応終わったので、安堵感があります。これで今学期最大の難所を突破しました。あとはテストやレポートを流す感じです。

この1週間のストレスやばかったです。日照時間が少なってきたこともあるからか、体調が優れず鬱気味の日々が続いていて、ついツイッターでもぼやいてしまいました。もっとも、セミナー終了後の開放感でそういう鬱っぽい気分も何処かに行ってしまったので、季節性のものと、やっぱり初めてアメリカの大学院で2時間半の議論のリードをするプレッシャーがあったんだと思います。

以上のように、このセミナーは負担も大きいのですが、そのぶん自分の人口学に対する今まで抱いていた考え方、ひいては学問観一般までに影響を与えるような印象深いものになっています。

今日のセミナーではDavid ColemanのThird Demographic Transitionに関する論文を読みました。この論文には二つの顔があり、一つはEUとUSの移民人口の予測をしているパートで、もう一つはその後に移民に反対するキツめの主張をしている議論パートがあります。
Immigration and Ethnic Change in Low-Fertility Countries

彼はイギリスの優生学を信奉する人による結社(Galton Institute)のメンバーで、論文は移民反対の主張をしたいがために、種々の仮定を置いて移民人口の予測をしたと思われても仕方ない内容です。

今日も含めて先生が論文のアサインやセミナーでの議論で一貫して伝えようとしている点は、人口現象は使い方によっては人々の分断を生むツールになってしまう危険があることなのかなと思います。古くはマルサスの時代から、人口現象というものは国の将来を決定づける要素として考えられてきましたし、その結果としての人口抑制策が多くの社会で見られてきました。

先生の学問観というか、研究に対する考え方は、少なくとも人口学では客観的な分析にみえても、その背後にあるassumptionには何らかの価値が含まれることは拭えないので、良い研究というのは科学的な態度の背後にある暗黙の想定を批判的に検討・顕在化し、修正していこうというもので、とても尊敬します。彼女からは、研究を通じて少しでも世界に対する理解を深め、社会をよくしていってほしいというマインドを感じます。最近、何がよい研究なんだろう、どういう研究をしたいんだろう、と考えるときに、この授業で学んだことの存在は大きいです。これから、もっと大きくなると思います。




別れ

木曜日に、来週にオフィスを去るあるスタッフの人に会ってきました。
彼女は主に人口学研究所のfinanceを担当していた方で、16年間、このポジションで働いていたということです。

私が彼女のお世話になったのは8月中旬からの3ヶ月弱でしたが、特に最初の右も左も分からない時期には本当にお世話になりました。私は外部資金を持って入学して来ているので、RA/TAなどはしていないのですが、指導教員との共同研究に必要な作業をhourly assistantとしてやらせてもらっています。これ以外にも、当初はどの保険に入れば良いかもよくわからず、彼女に聞くべきではない質問を誤ってしてしまっても、丁寧に答えてくれたのが本当にありがたかったのを覚えています。

こういった仕事・保険関係以外でも、話の折にマディソンの気候や人々の性格について、彼女の経験から色々と教えてくださって、こちらに移ってきた最初の時期に、一番サポーティブだったと言える人でした。

まさか別れがこんなに早く来るとは思わず、彼女の新しいポジションへの移動の連絡を聞いたときには驚きました。16年間の勤めの労を祝って、彼女とのお別れパーティーが金曜に企画されていたのですが、当日は社会保険事務所に行ってSSNを取得する予定だったので、このままではお別れの言葉を言えないと思い、前日にオフィスを訪れることにしました(SSNの取得に必要なemployment letterは彼女のサインがされています)。

感謝の気持ちを、なかなか英語で流暢に表現することができないので、時間をとって手紙を書きました。

別れは突然やってきます。様々な形で。留学して、日本で知り合った人たちに、また会えるのだろうか、不安に思うこともあります。逆にこちらで会った人と、日本に帰ったら会えなくなってしまうのではないかと思うこともあります。もし最後の出会いが本当に「最後」になってしまっても、後で後悔をできるだけしないように、感謝の気持ちを伝えていきたいなと考えています。

November 14, 2018

11月13日(DemSem)

今日は気持ちよく目覚めた。しかし昼ごはんは再びほとんど食べず。

10時からはdemsemのスピーカーのFabianさんとのミーティング。彼とランチしたい院生が多くて、特別に朝に時間を作ってくれた。私を含め院生は4人。彼らの研究関心を聞きながら、こういうデータがあるからこういう分析をしてみたらどう?みたいなsuggestiveなコメントを多くもらった。彼は階層論の中でもwealthの分析で有名だけど、それ以外の分野についても詳しくて、聡明さを強く感じた。

セミナーの報告も非常に面白かった。普段のdemsemの2倍くらいの人が来て、関心の高さを窺わせる。階層論では回顧的に親の地位を尋ねるのではなく、前向きにデータを集めて、ある世代(G1)の子どもやその孫(G2, G3)の達成を見る研究が流行っている。こうすることで、階層によって異なる出生力の影響を見ることができるのが大きな利点で、社会階層論と人口学を架橋する研究として潜在的な注目は大きい。

今回の報告は、ミシガン大学が60年代から実施しているパネル調査PSIDを利用して、最初の対象者を追跡して、彼らの孫世代に至る貧困の連鎖を捉えるものだった。まだ途中の研究ということだけど、会場の盛り上がりが半端なかった。

良いトークとは、賛否両論含めて、聴衆の手を自然に上げさせるようなものを指すと考えている。面白いトークは、終了後もオフィスに戻った人同士で面白かったね、あそこは納得いかなかったと、様々な感情を呼び起こすものだと、いくつかのセミナーをみて考えるようになった。いつか、自分もこういう人の感情に波を立てられるような報告ができればいいなと思った。

賛否両論といったが、盛り上がったのは何もポジティブなコメントが多かったからではない。アメリカの文脈では貧困研究はraceによる貧困の差が重要になってくる。Fabianさんもそうした研究を踏まえて、white/blackに分けて出生力と貧困の再生産を検討していたのだが、その中で、blackのグループの出生力が高いはずだという議論になり(はずだ、というのはPSIDでは前向きに子どもたちを追跡しているがattritionが生じていて、それがランダムには生じていない、具体的には貧困に陥りやすい世帯で抜けが大きいので、blackを含め出生力をimputeする必要があった)。

そういう議論の中で、シニアの先生が若干決めつけ気味にblackの出生力について予測するのにこうしたほうがいいというアドバイスをしていたのだが、若干説教気味のコメントで、会場の空気も、あーこれ曇ってきたぞ、、、という感じになった後に、3年生の先輩が、アメリカにおけるblackのreproductionには特殊な(政策的な)歴史があるので、パブリケーションの際にはそういう側面に言及しないと誤解を生みかねないという指摘をしていた。彼女は人口学の中でも避妊行動をメインに研究しているが、単なるfeminist empiricismに終わるのではなく近年のジェンダー理論の流れも踏まえて、既存の人口学の研究を批判的に検討している。こういう人が次世代型の研究者になるのだなと思った。

その後、統計、及びプロセミナー。内容はメンタルヘルスで、UHCの人が来てくれてストレスを溜めない方法や、周りの人が何か不調をきたしているときにどう声をかければ良いのか、あるいは不調をきたしているとき自分にどう語りかければ良いかという点などをアドバイスしてもらった。

これも話すと長くなるが、アメリカに来て学生のメンタルヘルスに関する問題は構造的に生じていて、学生は労働者ではなく一人の人間で、研究の良し悪しとは別に一人の人間として尊重しなくてはいけないという原則が広く共有されていることを強く感じる。

もちろん、実際は業績を巡って違いをライバル視する側面が全くないとは言わない。しかし、少なくとも社会学部ではできる限り教員と学生間、あるいは学生同士の風通しをよくしようという雰囲気を感じる。

大学院生というのは、自分の研究が今後どう展開するかの確信が持てるまで時間がかかり、金銭的にも不安定で、来年のポジションが常に約束されているとは限らず、就職も熾烈で、研究は個人作業の面もあり、ときには研究について「話さないこと」によって利益を得ることもできてしまうという意味で、ストレスフルな環境であり、意識的に変えていかなければ悪循環に陥ってしまう。

メンタルに不調をきたした人は、その人の心が弱いからだと考えるのではなく、一つの症状として捉えて(そうした不調を病として見做すこと自体にも問題性は含まれるだろうが)、できるだけ制度としてサポートしようとしているのは、個人的にはとても良いことだなと考えている。

帰りに2ヶ月ぶりの散髪。この2ヶ月で色々と学んだ。2ヶ月前は右も左もわからなかったなと、振り返る機会となった。


November 12, 2018

心境

月曜日は眠い、いつも。いまいち食欲がなくて昼食用に作った弁当も食べなかった。調子が悪いわけではないけど、いまいちフィットしない1日。

形式人口学の授業、今日は先生(クリスティン)が色々と生命表を用いたサブスタンスを紹介してくれた。離婚の学歴格差の拡大や自身のproximate ditermintnants of educational homogamyなどで生命表を用いていて、その解説が半分。前者はDRでトップ10に入る引用数だけど、最初JMFにリジェクトされたらしい。後者はクリスティンの修論らしく、出版まで12年かかったということ(大体は寝かせていたらしい)。

残り半分は、学部の先輩で生命表を用いている人が来てくれてその紹介。授業中に、来学期の授業登録をした。途中でPAAの結果が出ていることを知ってチェックしたが、オーラルセッションには自分の名前がなく、少し挫折感を感じる。他人と比べるのは良くないが、CDEの先輩の中にはオーラルで通っている人も多く、その時は悔しかった。しばらくたって、そういう感情は研究に負の影響しかないと思って、考えるのはやめようと思った。

今の指導教員と書いている論文は、結構指導教員からも推しがあったので、個人的にはオーラルはいけるかなと思っていたので、そういうのも含めて悔しかった。もちろん、オーラルに通らなかったから質が低いということではないけど、今年の目標の一つは1本オーラルで通すことだったので、やっぱり悔しいかな。何でダメだったんだろうと自問気味。

こういう時のマインドコントロールは大切だと思う。かんぜんに忘れるのも良くないし、いつまでもくよくよしていてはダメ、単にオーラルに通るか通らないかなので、そこまできにする必要はないかもしれない。とは言え、この感情をどのように処理すれば良いのかは、似たような状況に何度直面したところで、いつも悩むものである。

これと合わせて、こちらで人口学など新しい分野、視点を学ぶに連れて、今までの研究を一度見直してみたい気がしてきた。抜本的に変えるわけではないけど、やはり留学する前と今とでは、なにが良い研究かという見方も含めて、色々修正をする必要があるなと考えている。今までの研究は手放したくないと思う一方で、同じままでは意味がないと思う、このバランスの問題はなかなか難しい。

余談だが、今日は報告者の友人に誘われて初めてブラウンバッグに出てみた(race&ethnicity)、テーマがracial segregationとhomicidesで、実にアメリカらしい。ブラウンバックの方がこじんまりとしてて質問しやすい。ファカルティの先生のコメントも容赦なかったけど。

ブラウンバックでの議論を聞いてみて、日本と似ている、というかどこでも見られるのだなと思われることがあった。報告者のスライドに対して、1つずつ教員がこうしたほうがいい、このほうが誤解がない、ここをもっと明確にと細かく指摘しているのが印象的だった。犯罪学のカンファレンスなので、ここは省略しても大丈夫だろうという指摘もあった。こういう細かい報告へのコメントは、日本でもよく目にしていたので、逆に新鮮だった(アメリカでもこういう感じで指導するんだ、という意味で)。ただ、一方で10分ちょっとの報告に対してここまで気を配るのかというのにも驚いた。もしかするとこの報告で興味をもらって就職につながったり共同研究に誘われたりするのかもしれない。ただ、彼女は論文の第2著者で、第1著者は指導教員。そういう人がどこまでこの報告をブラッシュアップする必要があるのかは、よくわからない。

Is the second demographic transition theory a development idealism?

Lesthaeghe, R., 2010. The Unfolding Story of the Second Demographic Transition. PDR

In this paper, Lesthaeghe attempts to theorize the demographic change under the sub-replacement fertility, but he implicitly assumes, using a Maslow's framework, an inclination towards a post-material value (self-realization and autonomy) as a consequence of societal development. On the other hand, he also mentioned the strong family regimes in Southern European countries. Strong family regimes are quite comparable to that of East Asia, where intergenerational coresidence has been prevalent. The majority (approximately 70% or more) of never-married young adults stay in their parents’ home, and this trend has been stable over the past decades. These countries with strong family regimes often emphasize the importance of family lineage (ie in Japanese or jib in Korean), and eldest sons have long been expected to live with their parents after marriage, in order to maintain the family lineage. The wives of eldest sons are thus more likely than women married to second and third sons to coreside with their parents-in-law.

Based on this cultural context, the Japanese government recently started to promote three-generation living arrangements to "facilitate the flow and volume of intergenerational support" (Izuhara 2018). Behind the "re-familiarization" policy, some studies provided an empirical support a positive association between intergenerational coresidence and (1) mother's labor force participation and (2) additional childbearing. The relationship is also observed in countries with other family regimes, such as UK (Kanji 2017).

The role of intergenerational coresidence reminds me an assumed distinction between "traditional" and "modern" in family demography. As Thornton (2001)'s article revealed, developmental idealism influences our thinking about family formation in various ways. Except for a couple of scholars who strongly emphasized the inertia of Japanese family system, most demographers in Japan seem to be against the abovementioned “re-familiarization” policy, because it has been considered as the policy towards "traditional" living arrangement which oppress individual autonomy. However, living with parents after school graduation or marriage is not a "traditional" thing, or not limited to those strong family countries. Other affluent countries, where there has been a rise in cost of living and growing economic uncertainty, have seen an increase in Boomerang kids: adult children coming back to parents home after independence (Newman 2013).

Why did the second demographic transition theory pay a bit too much emphasis on individual autonomy and associate it with social development, while dismissing a potential importance of "traditional" living arrangement? Is this also due to the development idealism which labels free and equal family as modern and the modern family as good?

A critical assessment of gender revolution theory

In this short note, I aim to critically examine the gender revolution theory (GRT, hereafter), both from theoretical and empirical perspective. This note is particularly focused on Goldscheider et al. (2015). This theory has been paid a considerable attention in demography in recent years. The theory originates from a response to recent reversal trends of fertility in rich countries, and focuses on structural change in gender relationship in public and private spheres. There are some weak points, as I argue below, in this theory: its theoretical inclination towards development idealism and limited empirical supports. This note consists of four sections. First, I introduce a general overview of this theory: what does the theory try to explain and what is a unique feature in this theory compared with other fertility transition theory? Second, I examine the GRT from a theoretical perspective, while the third section deals with a couple of empirical expectations derived from the theory. Lastly, I will discuss a potential implication of this theory and conclude the note.

Gender revolution theory: what is unique?

The theory is based on a theoretical response to a rise in the total fertility rate (TFR) in rich countries. In some Northern European countries, the TFR has risen in recent years. In particular Sweden has seen a dramatic reversal trend in the TFR from late 1990s to late 2000s as the figure below shows. A dominant theory to explain sub-replacement fertility trends is the Second Demographic Transition (SDT), which emphasizes a transition from material to post-material value (self-realization and autonomy) as a consequence of societal development. Under the SDT framework, individuals with ‘untraditional’ norms and individualistic values will pursue higher order needs and choose multiple forms of living arrangement (Lesthaeghe 2010). During the SDT, fertility and nuptiality are increasingly less connected, and thus there has been an increase in cohabitation, non-marital childbearing, and divorce.

An theoretical expectation derived from the SDT is a continuous decrease in the TFR. In contrast to the expectation, however, some rich countries have seen a reversal trend in the TFR. These countries are typically geographically located in Northern Europe, and demograhers started to explore a possible mechanism to explain the reversal trend, which is the GRT.

One uniqueness of the GRT is its focus on changing structure of gender relationship. According to Goldscheider et al. (2015), the gender revolution has two phases. In the first phase when women's participation in labor market started to rise, there was a delay in marriage, a decrease in probability of marriage, delay in childbearing, and an increase in divorce. In the second phase, however, the relationship between women's labor participation and these demographic behaviors has gradually weakened or even reversal. In the current European countries, Sweden in particular, the TFR is also high in countries where women's labor participation is high. This structural change in gender relationship both in the public and private sectors, which is referred to as a gender revolution in Goldscheider et al. (2015), is an important aspect to explain this reversal trend in fertility. According to Goldscheider et al. (2015), there has been an increase in men’s involvement with housework and child care, which contributed to stabilizing families and increasing fertility.

Also, unlike other fertility transition theories, the GRT focuses not only on fertility but also other family dimensions (union formation and dissolution). While giving a credit to McDonald (2000)’s gender equity theory, which explains a variation in the TFR in affluent countries from policy perspective, Goldscheider et al. (2015) argues that these family formation behaviors are less influenced by the policy, but largely influenced by changing gender relationship.

Moreover, the GRT has an orientation for comparative perspective. As Goldscheider et al. (2015) examined, the theory compares the association between gender inequality and fertility both in Western and non-Western countries, while the primary focus of the second demographic transition theory was on Western countries, and it later started to examine whether the theoretical expectation fits with other countries (Lesthaeghe 2010). This initially formulated comparative perspective has a theoretical advantage. On the one hand, the SDT theory started from sub-replacement fertility countries in Europe, and found that it is correlated with a rise in non-material value. Thus their analytical approach examines whether the findings in European countries is generalizable to other contexts, which may dismiss a potential important institutional characteristics in the non-Western countries. As England insightfully suggested, the post-materialist culture might be rooted in the liberal individualism which is dominant in most of Western societies (England 2010). On the other hand, the GRT focuses on gender inequality, which is an obviously common characteristics to many rich countries, and it thus successfully includes both Western and non-Western countries into their analysis.
Figure: Fertility trends in selected countries 1960-2016 (source: the world bank)

Theoretical assumption of gender revolution theory and its critique

Although the GRT has many advantages to explain the reversal trends in low fertility, the same critiques for the past fertility transition theory are applicable. First, the theory assumes fertility trends are associated with social development because it implicitly argues industrial countries converge into gender-egalitarian regimes (specifically, Sweden). This assumption is quite comparable to what Thornton (2001) calls ‘development idealism’, which is characterized by its propositions that modern families are good and modern individuals are labeled as free and equal. A possible critique towards the GRT is not to argue that changing gender relationship should not be considered as good or bad, but to argue that it should be cautious to link gender equality to a reversal trend in fertility with an assumption that every gender-inegalitarian countries will converge to what contemporary Sweden has seen.

The theory also mentions ‘strength’ of families. For instance, Goldscheider et al. (2015: 208) argues the gender revolution “is actually strengthening families”. By this they meant that equal relationship between men and women makes families more stable and cohesive. This assumption seems to propose that families are measured by strong or weak, and also there are some families that are weak. The theory is focused on the gender inequality between men and women at private spheres, which implicitly ignores other types of families, such as single parent families or same-sex couples. Although the GRT did not explicitly mention, it should be the case that the theory solely limit their focus to two-parent families.

Empirical assessment of the theory

As this note mentioned, the GRT emphasizes the role of structural shift towards gender egalitarian regimes, but most of the changes are attributable to individual behaviors (women's labor force participation, better access to higher education, and men's increasing involvement with private spheres). In that sense, as Riley (1999) argued, the GRT might ignore socio-institutional basis of gender. Comparing a sum of individual behaviors across countries with different institutional contexts may inhibit a clear empirical analysis. For example, it is skeptical that the Goldscheider's emphasis on women's labor force participation as a key indicator to understand the relationship between fertility change. Women's labor force participation in Japan outpaces that of US in 2014. If Goldscheider's prediction is right, the US should increase the women's labor force participation, but the rate has not shown an upward trend. Obviously, gender inequality in Japan is more serious than in the US in many respects (persistent gender wage gap, father's lower rate of taking parental leave, and men's lower contribution to housework).

Also, a sole focus on quantitatively collected information ignores contextual features that might be distal for low fertility. Although Goldscheider et al. (2015: 222) argued “there is growing evidence that men’s increasing involvement in homemaking and childcare may potentially increase fertility. Such evidence has been found in countries with ultra-low fertility”, this is still one side of the coin. Studies have found mixed supports for the relationship between father’s involvement and a transition to fertility. Fathers’ contribution to childcare has a positive  effect (but depends on mother's employment status) on the likelihood of a second birth in Spain, but not for Italy (Cooke 2009). Also, women’s fertility intentions are influenced by unequal division of household work only for those who have long work hours and children (Mills et al. 2008).

Mixed supports for the relationship may stem from different institutional contexts in those low and ultra-low fertility countries. Brinton et al. (2018), for instance, examines the gap in desired and actual fertility in four rich countries - Sweden, US, Spain, and Japan -, and focuses on the role of gender inequality, as Goldscheider et al. (2015) did. Although sharing research interests, unlike comparing quantitative measures in different countries, their approach to ask this question was to use qualitative interview. Their analysis reveals that the influence of gender inequality on fertility intention differs by institutional contexts. In Japan, most women implicitly accept unequal division of labor as given and did not reason the lack of husband’s housework share constraints their intention. This finding is supported by their analysis of male interviewees among full-time couples, showing that they are likely to have gender egalitarian attitudes but their long work hours prohibits husband’s contribution to housework (Brinton et al. 2018: 299). In contrast to the Japanese case, in Spain, couples emphasized high levels of economic uncertainty as a condition to maintain both partners work fulltime. In these lowest-low fertility countries, the role of gender inequality is not performed to the extent that GRT expected. Rather, institutional contexts, possibly combined with gender inequality, creates their perception towards gaps in desired and actual fertility.

Although Goldscheider et al. (2015) slightly discussed growing class inequality, another skeptic view stems from the fact that family trends are not converging even within a single country. Sociologists understand that family formation is increasingly stable among highly-educated couples, and that the opposite is the case among the less educated - `diverging destinies', as coined by McLanahan (2004). The GRT does not clearly reconcile the gap in the sociological literature on family adaptation to demographic change. This is understandable given that the GRT originates from Swedish experience where income inequality is not high under the strong welfare regime.

Conclusion
Demographers have tried to theorize trends in fertility in the world. While the SDT explains why the TFR reached the below replacement fertility, it fails to explain a recent reversal trend in fertility in some rich countries. The GRT has emerged as an alternative theory to explain the reversal trends. In that sense, the most fundamental contribution of the theory to demographic transition is its application of the gender equity theory (McDonald 2000) to explaining trends in fertility. That being said, it should be criticized both from theoretical and empirical perspectives. In particular, its extensive focus on the Swedish case is a double edge sword. On the one hand, by largely relying on the forerunner of the demographic transition, it successfully provides a strong argument to predict a future fertility change in other rich countries. On the other hand, its assumption that ‘developed’ countries will converge into the Swedish case in terms of its gender equality and fertility is to be considered a bit too much optimistic and may fall in the development idealism. While the thesis provided by the theory is clear and easy to test, demographers also need to be cautious about its assumption behind the theory and potential limitations.

Reference
Brinton, Mary C., Xiana Bueno, Livia Oláh, and Merete Hellum. 2018. “Postindustrial Fertility Ideals, Intentions, and Gender Inequality: A Comparative Qualitative Analysis: Postindustrial Fertility Ideals, Intentions, and Gender Inequality.” Population and Development Review 44(2):281–309.
Cooke, Lynn Prince. 2009. “Gender Equity and Fertility in Italy and Spain.” Journal of Social Policy 38(1): 123-140.
England, Paula. 2010. “The Gender Revolution: Uneven and Stalled.” Gender & Society 24(2):149–66.
Goldscheider, Frances, Eva Bernhardt, and Trude Lappegård. 2015. “The Gender Revolution: A Framework for Understanding Changing Family and Demographic Behavior.” Population and Development Review 41(2):207–39.
Lesthaeghe, Ron. 2010. “The Unfolding Story of the Second Demographic Transition.” Population and Development Review 36(2):211–51.
McDonald, Peter. 2000. “Gender Equity in Theories of Fertility Transition.” Population and Development Review 26(3):427–39.
McLanahan, Sara. 2004. “Diverging Destinies: How Children Are Faring Under the Second Demographic Transition.” Demography 41(4):607–27.
Mills, Melinda, Letizia Mencarini, Maria Letizia Tanturri, and Katia Begall. 2008. “Gender Equity and Fertility Intentions in Italy and the Netherlands.” Demographic Research 18:1–26.
Riley, Nancy E. 1999. “Challenging Demography: Contributions From Feminist Theory.” Sociological Forum 14(3):369–97.
Thornton, Arland. 2001. “The Developmental Paradigm, Reading History Sideways, and Family Change.” Demography 38(4):449-465.

November 11, 2018

easywineを使ってMacでRからLemを走らせる

多分全世界で10人くらいしか興味を持たなそうなやつですね。

Easywineのインスト
http://mattintosh.hatenablog.com/entry/20140706/1404653173

藤原先生の解説
https://sites.google.com/site/shofujihara/lem

Easywineとlemがインストールされていれば、R上で

setwd("/Users/fumiyau/lemwin/LEM")
system("/Applications/EasyWine.app/Contents/Resources/wine/bin/wine lem95 AnalysisRSSM_2nd.inp AnalysisRSSM_2nd.out")

Rのsystemでwineを走らせた場合、wine PROGRAMのようにwineの後に続くのが具体的に実行するプログラムになるようです。lem95(lemwin)、inp、outファイルは全て/Users/fumiyau/lemwin/LEMのディレクトリ下にあります。

当初、以下のようなエラーが出ました。

0009:err:process:init_windows_dirs directory L"C:\\windows" could not be created, error 2
0009:err:process:init_windows_dirs directory L"C:\\windows\\system32" could not be created, error 3
000b:err:process:init_windows_dirs directory L"C:\\windows" could not be created, error 2
000b:err:process:init_windows_dirs directory L"C:\\windows\\system32" could not be created, error 3

原因はよくわかりませんが、以下のウェブサイトで問題は解決されました。
https://wine-users.winehq.narkive.com/n6jN7Ibu/err-process-init-windows-dirs-directory-l-c-windows-could

もしかすると以前別のwineを使っていたので、wineフォルダが重複していたのかもしれません。seedで乱数を固定することを忘れずに。

November 10, 2018

Week11の予定

土曜
×論文チェック(PDR)
×同類婚分析
×掲載決定論文のreplication readme作成・図の修正
×床屋の予約
×溜まったメール
×再婚論文の確認
×Easywineのインストール
・チャーシュー
×ラストfarmars market
×買い物(30ドル)
×洗濯

日曜
×醤油と酒の購入
×Demtech予習
・同棲論文の確認
・ABM
×スライド準備
×SSN
・統計のプロジェクト(余裕があれば)

月曜
・統計のプロジェクト-regression(due on Tue)
・ABM
・Demtech
・Lab

火曜
・人口学セミナーの資料作り
・DemSem
・統計の授業
・プロセミナー
・投稿論文の修正
・投稿論文のreplication data作り
・散髪

水曜
・午前中:人口学セミナーの資料作り
・投稿論文の修正
・投稿論文のreplication data作り
・CDHAセミナー
・執筆予定の論文の分析

木曜
・午前中:人口学セミナーの資料作り
・転職するスタッフへの手紙
・自治会ミーティング(忘れた)
・統計
・再びスライド作り
・計画中論文へのコメント

金曜
・発表練習
・大学院セミナー
・SSN

土日
・Demtechの宿題修正
・再婚論文

目を通したい雑誌

-General
AJS
ASR
Social Forces
Social Problems
SSR

-Demography & Policy
PDR
Demography
Demographic Research
European Journal of Population
IMR
JSP
Social Politics
JHSB
PDPR
人口学研究
人口問題研究

-Education & Stratification
Sociology of Education
Child Development
RSSM
JHR
SER

-Family & Gender
JMF
Gender and Society
JFI
Family Relations
家族社会学研究

-Review
ARS
ANNALS-AAPSS
Sociology Compass

-Regional?
ESR
CSR
BJS
Acta Sociologica
Sociological Perspectives
Sociological Forum
The Sociological Quarterly
Socius
SSJJ
社会学評論

-International/Comparative
International Sociology
Current Sociology
IJCS

-Method
SMR
SM
Social Networks
理論と方法


November 7, 2018

人口学セミナーの振り返り

水曜日、午前中は同類婚の分析に使った。選挙の結果が気になって眠れなかったので、あまりリーディングを読む気にはなれず。

Social Justice

今日のプロセミナーは自分の価値観を変える契機になるかもしれない。考えてみると、2018年のアメリカにおいて、社会学の大学院という場所は、政治的に極めて特殊な、というかある政治的環境の典型なのだろう。

みんな投票する政党は(visibleには)一つしかないけど、政治的にアクティブで、社会の不正義や価値観を変えようとするラディカルなマインドを持った人が多く、日常のマイクロなレベルでも政治的な現象を拾い上げていると思う。

言葉遊びに聞こえるかもしれないけど、ここでは意見を表明しないことも一つの意見と見なされるし、常に自分は何から目を背けているのか、何の意見を聞いていないのかを意識しなくてはいけない。

社会正義に対する理想に反対する人はいないけど、日常の実践レベルでは、自分がどのsocial positionに位置していて、どこでidentityに基づいた主張をしていいのか、どこではidentityをもとに判断してはいけないのかを巡る政治はある。こういうのにセンシティブになるのには、それなりの慣れが必要。

社会に潜む不正義を根底から正そうとするマインドに溢れた人が多いのはアメリカの社会学の強みで、公共社会学もその流れだろうと思う。こういうラディカルさと、社会を冷静に分析する姿勢が個人の中で両立するのが理想だけど、バランス取るのは難しいので学界として多様性を維持するのが望ましいと思う。

アメリカに来る前から社会学の大学院の人はみんな民主党に投票するリベラルな人ばっかりなんだろうと思っていたのは、表面的には間違っていなかったけど、その大学院の中で、日常のマイクロなレベルで日々政治的な現象が立ち現れ、それに対してここまで声を上げることは、想定していなかった。

というのが表面化したのが、今日のプロセミナーだった。プロセミって基本professional developmentの時間だと思うけど、うちだと(結果的に)social justice, diversity, inclusionなどを考える機会がたまにある。


November 3, 2018

Assortative mating

Educational assortative mating across marriage markets: Nonhispanic whites in the United States Demography 37 1 10.2307/2648094 Susan K. LewisValerie K. Oppenheimer 2000
Effects of Early U.S. Compulsory Schooling Laws on Educational Assortative Mating: The Importance of Context Demography 52 4 10.1007/s13524-015-0402-5 Emily Rauscher 2015
Educational Homogamy and Gender-Specific Earnings: Sweden, 1990'2009 Demography 50 4 10.1007/s13524-012-0188-7 Martin DribePaul Nystedt 2013
Pathways to educational homogamy in marital and cohabiting unions Demography 47 3 10.1353/dem.0.0124 Christine R. Schwartz 2010
Opportunities to Meet: Occupational Education and Marriage Formation in Young Adulthood Demography 51 4 10.1007/s13524-014-0313-x David McClendonJanet Chen-Lan KuoR. Kelly Raley 2014
Partners' Educational Pairings and Fertility Across Europe Demography 55 4 10.1007/s13524-018-0681-8 Natalie NitscheAnna MatysiakJan Van BavelDaniele Vignoli 2018