November 15, 2017

博論セミナー

14時50分からゼミで博論セミナーの予行演習。ボスが予想以上にsupportiveで(いつもながらsuggestiveではあるが)逆に拍子抜けしてしまった。使用したいデータの話の中で「〜〜は海外では使えない」と言われて、もしかすると先生の中では私は旅立つ枠として認識されているのではないかとお思ったが特に何も言わなかった。さすがに5年間も指導されていると、何を言わんとしているのかは繰り返し聞かずとも察せられるようになる。 ゼミテンからのコメント。私は「高階層では安定的なライフコース。。。」と安易に使っていて、質問でひとり親を継続している人も「安定」しているのでは、といわれて確かに、と思った。ここでいう安定とは、自分の力では抗しがく、個人の人生に悪影響を及ぼすようなイベントに遭遇するかしないか。では、そういうイベントで調査でわかるモノは何だろう。アメリカではそういうイベントが多そうだなという雑感(evictionとか貧困とか)。 自分が社会学と家族人口学の間の研究をしているのだと理解してから、初めて関心を伝える。私の理解では、家族社会学というのは、結局のところ家族を制度として見たときに、その制度的な様相が変わっているのか、変わっていないのか、変わっているとすればそれはなぜなのかを研究しているのだと理解している。例えば、家族の個人化とは、家族がその制度的な要件としていた現象(成員間のインタラクションや情緒的な繋がり)が脱制度化する過程なのではないだろうか。 そこで、未婚者が増えるというのは、人口学的な側面の話である。例えば、結婚していても、家族的な紐帯が何かに代替されていたら、それは脱家族化なのではないだろうか。 昔は、子どもに対する規範や、イエの話にも関心はあったが、それはあくまで関心というレベルで、端的に何が見たいのかと言われたが、ライフコース上のイベントによって個人がどのような格差に直面するのか、それは言い換えれば人口学的な現象のアウトカムである。ところどころに階層論的な(あくまで「的な」であって、私は社会階層自体を理論化したり、階層構造自体を特定することを生業としているわけではない。あくまでユーザーである。)視点はあるが、それはアメリカの家族人口学の中ではよくあることだろう。少しずつ家族社会学に対する距離感を言語化できているので、もう少し頑張りたい。

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