October 21, 2020

10月21日

 今日は研究デー、といきたかったが午前中に二つオフィスアワーが入った。早起きしたので眠く、昼ごはんを食べながらセミナーを聞いた後眠る。その後、立て続けに論文を3本投稿。1本は某フィールドトップ誌に投稿してRRまでもらっていたが、2回目の査読で落とされた、査読者が論文の結果を誤読した上でのリジェクトだったので納得がいかなかったが、これならもっとインパクトのあるジャーナルに載せてやろうという気になっている。残り二本はゲノムの論文。1本は某雑誌にリジェクトをもらってからトップ誌へ再投稿。もう1本はスペシャルイシューへの投稿。夜ご飯にかぼちゃコロッケを作ったが、カボチャが熟して水っぽくなっていてあまり硬くならなかった。その後水曜の授業の予習。途中で宮崎駿と半藤一利の対談を見る。明日は授業に二つセミナーがあるので、研究デーにはならなさそう。

October 20, 2020

10月20日

 日曜に寝過ぎて眠れなかった月曜日。9時半に起きてすぐグロサリーへ。ロックダウン以降はついつい買いすぎてしまうが、残り1ヶ月しかプリンストン にいないのにまたもや買いすぎてしまった。帰宅後2時半からの現代日本論ティーチィングの用意。今回のテーマは結婚だったので、やや個人的に張り切ってしまった。ついつい自分の質問を話してしまいがちになるが、そういう時こそ対極的に物を見て解説する力が試されるのだなと思った。終了後すぐにcovidのミーティング。それでだいぶ疲れてしまったので5時過ぎに料理をして、ハツを使った簡単な炒め物。6時に食べてそのあと8時くらいまでだらだらする。その後に共著者から上がってきたアクセプト済み原稿に目を通しコメント、およびもう一つ違う共著が返ってきたのでそれも返答。そうしているうちに日付が変わり、最後に現代日本論の受講生のリフレクションへのコメント。明日はオフィスアワーが二つ入ったので、もう寝ないといけない。

October 19, 2020

日曜

 前日はNYCを歩き通したので非常によく寝れた。寝過ぎてNessになるくらい寝て、起きたのは11時過ぎ。メールを開くと論文のアクセプト、といっても2nd authorなので「やった」という感はほとんどない。やる気が出なかったので、髪を切り、洗濯をし、フレンチトーストを作り、お昼過ぎから論文の改稿。カレーを作り、日本社会論の用意。今週のトピックが結婚で、受講生のコメントを見てると、なぜ日本では大半の独身男女は将来結婚を希望しているのに半分以上に現在交際相手がいないのか、結婚率が減少しているのかという疑問があり、よくわかる。アクセプトされた論文ではこのパズルを解く仮説を提示して検証している。

October 18, 2020

ヌヨォーク日帰り旅行

学期も前半が終わり進級試験も無事パスできたので、週末の1日を使いヌヨォークに日帰り旅行をしてきた。旅行といっても、1時間ちょっとで行ける距離にあるところなので、そんな大それたものではないわけだが、とにもかくにもロックダウン以降(その前から数えれば2月に東大同窓会の行事でヌヨォークに行って以降)プリンストン の外から一歩も出ていなかったので、NJ transitの電車に乗るだけでもちょっとした冒険気分だった。

本当に久しぶりの外出だったので、全てが改めて新鮮に感じられ、その度にこのパンデミックの影響の大きさを感じさせられる。アメリカで最初にハードヒットを食らったのがヌヨォークだったのを覚えている人も多いだろう。BLMで大きなうねりが生まれ、もしかしたら一部暴徒化した人たちによる店舗の破壊の動画を見た人もいるかもしれない、私もその一人だった。久しぶりに降り立ったヌヨォークは、人がマスクをするようになった以外は、一見するといつもの街並みのままで、この8ヶ月間メディアを通じてしか見てこなかった「あのヌヨォーク」との落差を感じた。


プリンストン を出るときは気持ち肌寒かったが、気温が上がると踏んでシャツにセーターで出発した。ところがヌヨォークはビル風が強い上にビルに隠れて太陽の光が入らない通りが多いため、だいぶ寒く感じた。最初の予定まで時間があったので、その足でMujiに行き、ブルゾン(と靴下、ランドリーで多数紛失したため…)を買った。ほぼ全ての通行人がマスクを着用していて、そこはプリンストン と同じだが、何せすれ違う人の多さが比べ物にならない。その数はプリンストンで8ヶ月すれ違ってきた人よりも多かった気さえする。あちらこちらで工事が行われ、マリファナのきつい匂いに複数回巻き込まれ、時々訳のわからないことを叫んでいる人を見るのも、全てヌヨォークに来たことを教えてくれる。

お昼に大学時代の友人と蕎麦でランチを取るのが最初の予定だった。この旅行、特に目的らしい目的もなく(というより、ヌヨォークは目的を持ってわざわざ計画を立てる距離でもない)、とりあえずこの1年会ってなかった友人に会いたくなり、予定を合わせてもらった。コロナ前はこうやって、東京なりヌヨォークなりに行って昔の友人とお茶をするなんてことは当たり前にあったわけだが、その「普通」が8ヶ月ぶりに戻ってきた。プリンストン ではなかなか食べることができない蕎麦を友人が選んでくれたのは嬉しかった。日本に帰ればこれくらいの蕎麦を食べることは難しくないわけだけど、その「普通」の味にも、ずいぶん長い間待たされたものだ。


大学時代の友人と話すと、いつも大学時代の感覚にすぐ戻ることができる。今日あった友人とは、リアルであったのはいつか覚えていないくらい会っていなかったのだが、あまりそういった時間の長さは感じなかった。今はツイッターやzoomもあるので、会っていなくても近況を確認できるのが、それを助けてくれるのかもしれない。

最近あいつはどうしてるとか、これからどうするのかとか、そういう他愛もない話のするのだが、そうしたただの近況確認が、zoomのような一見便利なツールでは生まれにくく、時間を合わせて実際に会わないと出てこないものなのは、とても興味深い。逆説的かもしれないが、この類の話は、わざわざzoomをするまでのものではないのだが、しかしながら(だからこそ?)わざわざ会わないと出てこないらしい。

こういう目的のない他愛もない話が、時に気分転換になり、最近近況を見てなかった友人の存在を思い出させてくれることもあり、全く別の文脈で自分が疑問に思っていたことを喚起させてくれたり、実は生活のかけがえのない一部を構成していることに気づかされる。

途中で友人とは別れて、そのあとはMoMAでJudd展を見に行った。プリンストンの本屋で開催中の回顧展のカタログを見る機会があり、シンプルなデザインの中にも強いメッセージを感じて、しばらく気になっていた。前回MoMAに行こうとしたときは改修中だったので、念願の訪問になった。

本人は否定しているらしいが、Juddはミニマリストの走りとされている。おそらくミニマリストの考えとは違うところで彼はデザインをしていた気がするが、結果的に出てくるデザインは、確かに類似性は見つかるだろう。以下はいくつかあるStuckシリーズの作品の初期のもの。ただの金属製のボックスが縦に並んで壁から出ているだけではないかと思ってしまうが、解説を読むとJuddはこのボックスの間隔も詳細に決めていたらしい。つまりボックス同士の距離もデザインの一部といえるのだ。このボックスの距離感の演出は物理的には壁を通じて可能になるもので、その意味では壁、あるいはこの空間自体もデザインの一つの要素になっている。本人がどう考えていたのかはわからないが、そういう含意があるのかなと思った。絵画のように中で閉じて世界を表現するのではなく、空間とつながることによって世界を拡張した世界を表現しているのかなと思った。別にこの作品だけがそういう性格を持っているのではなく、デザインとは本来、世界と地続きにあるものだというメッセージもあるのかもしれない。


次に展覧会の広報にも最初に載る代表作。画面に入りきらないほどの長さだが、この位置から(実はどの位置からでも同じなのだが)、各列が5色に濃淡を交えた計10色あるように見えた。しかけ(なのかわからないが)としては、各ボックスは内側にくり抜いてできていて、それぞれの縁が飛び出している。そのため上から光が当たることによって影ができる仕組みになっている。広報で出てくる写真では、ここまで綺麗に半々に濃淡がわかれているわけではないのだが、もしかしたら今回の展示は意図的に半々に見えるように光の角度を調整しているのかもしれない。これも、私たちが通常考えるような作品が単位なのではなく、光の角度も踏まえた空間全体がデザインである、というメッセージなのかなと思った。


5時ごろになって会場を後にする。そろそろ帰ろうかと思ってPenn Stationに向かって歩き出したら、途中で紀伊國屋を偶然見つけた。今回行こうとも思っていなかったのだが、日本の小説でも買おうかと思って多少並んで中に入った。

ヌヨォークに紀伊國屋があることは知らなかった。私がアメリカで初めて入った(そしてこれまでは唯一の)紀伊國屋はサンフランシスコの日系人街にある店舗で、かなり大きかったのを覚えている。今回と同じように、前回も別に入ろうと思って入ったわけではなく、偶然見かけたので何気なく入ってみたのだった。しかし、一度入ると、そこは完全に外とは別世界、「日本の書店」になる。私には、書店はどの施設よりも、依拠する社会の様相を色濃く出しているような気がしている。日本語の本が陳列されているのは当たり前といえば当たり前なのだが、単に言語が違うだけではなく、扱っている内容も英語とは大きく異なる。ある雑誌は主婦向けの弁当のレシピを扱い、ある雑誌は北欧テイストの住居空間の作り方を紹介している。そうやって表紙を見るだけで、いい部分、嫌な部分ひっくるめて、日本のユニークさが喚起されて自分に向かってくる。

書店というのはいろんなジャンルの本を置いている。私は料理や家具にはあまり興味はなく、大体奥にある学術書や小説、新書のコーナーに行くわけだが、そこに至るまでにお目当てではない雑誌も否応なく、目に入ってしまう。その一つ一つが、自分にとっては日本の文化や流行を色濃く反映していて、日本にいた時の感覚がフラッシュバックしてくる。そういう意味で、紀伊國屋がアメリカで一番「日本」を感じさせ、擬似的に一時帰国したような気分にさせる施設といってしまうのは、やや大袈裟だろうか。

しばらく滞在して、Penn Stationから電車に乗り、午後8時半に帰宅した。半日程度の簡単な日帰り旅行だったが、喧騒に包まれ、マリファナの匂いがきついヌヨォークの空気は、あの大都会が私が8ヶ月過ごしてきた、五感を全く刺激させない完全な静けさとは真逆に位置していることを、懐かしく思い出させてくれた。

October 17, 2020

10月16日

 7時半からポッドキャスト,終了後covid, そのあと査読コメントで誤解があった部分をステートした物を送付、そのあとはずっとゲノムの論文。午前中にparentingに関する論文と本を読む。集中しすぎてミーティングを忘れる。

October 15, 2020

2020年秋学期の途中経過

ちまちま日記というか、1日にやったことは書いていたけれど、そういえば最近何をしているのかをまとめて書く機会を逃していた。いずれ奨学金の報告書に書かねばならないので、ちょうど前半が終わったこともありまとめてみたい。構成は(1)今学期のアウトライン、(2)コースワーク、(3)研究・ティーチング、(4)生活、(5)その他、(6)まとめ、後半への展望になる。

(1)今学期のアウトライン

今学期は多くの大学がそうであるように授業やセミナーは全てオンラインに移行した。アメリカは通常感謝祭で1週間程度の休みを挟むのだが、プリンストンでは移動を抑制するためこの休みがなくなり、学期開始を早めることで感謝祭前に授業が全て終わることにした。そのため、通常は12月半ばまでかかっていた授業も、11月の下旬に終わることになった。

今学期の大きな目標はコースワークの終了だった。授業自体はほぼ取り終わっているが、後述するシレプログラムの必修授業が一つ残っているので、今学期はそれだけ履修している。および、general examと言われる進級試験を済ませることがもう一つの課題だった。進級試験と書くと大袈裟に聞こえるが、プリンストンの社会学では少なくとも落ちることはないと思われる…それでも口述試験までにそれなりに準備しなくてはいけないことはあるので、これを授業やティーチングと両立させながらこなしていくのは予想はしていたがあまり楽しい類のものではなかった。

(2)a. コースワーク

既に言及した人口学の必修授業は、これまで人口学プログラムを卒業した先輩たちの博論を読み、それを議論することで自らの博論への展望を形作ることに主眼が置かれたものである。これについては時々ブログでも書いているので(その1その2)詳細は省略するが、これまで3本の博論を読んだ感想としては、博論といえども完璧とは程遠いということに尽きる。

人口学プログラムの博論は計量的な論文にもっぱら限られるため、いわゆるempiricalな章を3つ書くthree chapter formatが取られているが、このうち少なくとも1本はどこかのジャーナルに掲載されていることが多い(正確には、どこかに掲載されているような論文がないと就職が難しい→掲載されるまで卒業を伸ばす)。掲載済論文の再収録のチャプターは非常に洗練されているのだが,それ以外の章は、問いがはっきりしていなかったり、メソッドが弱かったり、議論が追いづらかったり、読みにくいものも少なくない。この授業を通じて、プリンストンの社会学といえども、博論の水準がどの章も高くある必要はなく、少なくとも1章非常に強い論文があれば就職でき、それ以外の章は卒業後にアップデートしていけばいいのだと思えたことだった(実際に、卒業時点では雑誌に掲載されていなかった章も多くはその後掲載されている)。もちろんこれも、ジョブトークで話す論文(JMP相当)が評価されて就職が決まったら、急いで他の二つの章を仕上げる,という流れでクオリティに差が出てるのかもしれない。

ここまで博論も意外と質はそうでもないという書き口で書いてしまったが、もちろん最低限の水準は満たしているし、どちらかというと分析するまでのデータを作っている間に時間切れを迎えてしまった、という印象の論文が多く、ポジティブに評価すると,分析できるまでのデータを一人で作るのはすごいなと思う。

方法が弱いとも書いたが,これは提出されてから10年も経っている論文に対して投げかけるコメントとしてはいささか酷かもしれない。ただ、強調した方がいいと思うのは、10年前にもてはやされたメソッド(e.g. 傾向スコアマッチング)の弱点が広く知られるようになると、論文で「因果」を言ってる部分が急に怪しく見えてくる。観察研究から因果的な言明を導くのが社会学の一つの重要なスタイルだが、ここで用いられるメソッドは、幸運なことに目覚しく発展しているため、10年前の論文でも古く感じられてしまう。本人たちは10年後に自分の博論が学生たちにつべこべ言われると思って書いてるわけではないと思うが、10年後の読者が読んでも強いと思える論証で論文を書きたいと思った。一つ思うのは、観察研究から因果関係を求めようとするアプローチで用いられる手法は,10年後にさらにアップデートされてるだろうから(例えば、10年後の読者が今の博論を読んで、なんで機械学習使ってないのプギャーみたいなことは大いにあるわけだ)、手堅いのはひたすら記述に徹することかもしれない。再現性の問題も考えると、10年後も確かなエビデンスを出せるのは人口学などのメソッドを使った記述的な論文と言っても、大袈裟ではないだろう。方法に限らず,もしかしたら10年後は社会学でもpre registrationが当たり前になってるかもしれず、アーカイブにあげてない仮説の検証はp-hackingをしているのではないか、と疑いの目を(今よりもさらに)求められるのかもしれない。

(2)b. 試験

さて、こうしてコースワークをこなしている間に、試験の用意をしなくてはいけなかった。マディソンの時は夏休みが試験期間だったので、試験勉強に集中できたのか良かったが、プリンストンでは学期中に行われる。

選択した科目は社会階層論と家族社会学である。「選択」というのは語弊があるかもしれない。マディソンではおよそ20ほどある試験科目の中から二つ選ぶのが条件だったが、プリンストンでは科目を自分で作ることができる(これはプリンストンに限らず、他のプログラムでも見られる)。なので、例えば「社会科学における因果推論と機械学習」みたいなナウいトピックを作ることもできるのだ。試験カルチャーで育ってきた私は、リーディングリストも自分で作るスタイルがあまりなれなかった。自分が慣れてきたのは、あくまで過去問があり、それをもとに時間を逆算してできるだけ多くの問題に対応できるように準備をしていくスタイルなので、今回のような創造性が求められるタイプに試験は、最後まで何が求められているのか掌握できなかったところがある。

実際に口述試験で聞かれるのは,試験勉強を通じて何を学んだのか、およびそれに関連して教員の方からトピックに関する質問がされるという感じで、そこまで「試験」と言った感じではなく、いつものようにoverpreparedだったし、やや肩透かしを喰らったところもある。というわけで、口述試験をパスして心が晴れやかになっている感じはないのだが、準備を通じて作ったリーディングリストは今後重宝することもあるだろう。ただ、個人的には試験だけに集中する時間が2ヶ月ほど欲しかったなと思う。もうこういう時間は取れないのだなと思うと、少し寂しくもある。

(3)研究・ティーチング

研究の方は,夏休みに投稿した論文のうち、返ってきたもの、最初の査読で落ちたものもあれば、再投稿してまだ結果が来ていないもの、最初の査読も返ってきていないものなど様々である。10月末にいくつか論文の締め切りがあるので、来週からまたエンジンをかけ直さなくてはいけない。

論文の投稿に関しては考えが変わった。今まではトップジャーナルに載りにくいものでも重要な話はあり、それに時間をかけることも大切だと思っていた,実際にはまだ思ってもいる。ただそれ以上に、やはりトップジャーナルに論文を載せることも大切だなと思っている。

一つには、先に言及した授業の影響で、1本のトップジャーナル論文が持つ重みが、より際立って見えるようになったことがある。もう一つは,結局のところ、トップジャーナルでも、それ以外のジャーナルでも、投稿して修正して再投稿しての繰り返して1年くらいは潰れることに気づいたことがある。同じ時間をかけるのであれば、多くの人に関心を持ってもらえる内容にしたいし,それがひいてはトップジャーナルへの掲載に繋がるのだなと思った。

変に遠慮はせず、これから書くものは自分オリジナルの貢献ができ、それが結果的にいいところに乗るような論文を書いていきたい。人生は限られてるので、自分以外の人でも書ける論文は、わざわざ自分で書く必要はないのだと,今月30歳になって、より強く思う。

ティーチングは現代日本論の授業を教えている。正確には指導教員がレクチャーした授業のTAだが、私の担当するセッションについてはかなり自由を認めてもらってるので、自分でデザイン(というと大袈裟だけど)した流れで教えされてもらっている。これも何も新規性はないが、授業を教え始めてわかるのは、教えられているのは自分自身だということだ。特に,日本で育った経験をもとに日本を眺めていると,やはり現状を当たり前に思ってしまうところがどうしてもある。これに対して学生たちの素朴な、しかし確信をついているコメントには常にハッとさせられ、彼らの持っている素直な疑問に答えられるような研究がまだ少ないことに気づく。思いもよらず,研究のモチベーションにつながっていることに感謝している。

(4)生活

(5)その他

(6)まとめ、後半への展望

October 13, 2020

社会階層研究の第5世代?

たまには社会学をやってる仕草を見せたいと思います。

社会階層論(と家族社会学)の科目で進級試験を受けるので、最近は階層論とはなんぞやと考えていました。最初に所感を述べるので、本当に雑駁ですが口述試験では以下のようなことを話そうかと考えています。

社会学で格差や不平等を扱う社会階層論は2000年代中盤時点で第4世代まで形成されているという議論があります(Hout and DiPrete 2006; Treiman and Ganzeboom 2000)。第1-3世代は社会移動とその国際比較が中心、第4世代は制度によって格差や移動がどう異なるかの検討があり、そろそろ第5世代を作りたくなってくる頃です。

実は第5世代は何か、みたいな議論は全く起こっていないのですが、私だったら、不平等の源泉の定義を拡大したことに求めます。

社会階層論では、典型的には父職(origin)や学歴(educaction)が自分の達成(destination)に至るまでの、不平等の源泉とされてきました(自分で獲得した学歴がなぜ不平等なのかという話は疑問に思われるかもしれませんが、ある学歴を達成する際に無視できない出身階層の格差がある場合,および学歴によるリターンが異なる場合、教育は出身階層の効果を媒介すると考えます)。いわゆるOEDトライアングルの話です。

集団間の格差に関心を持つアメリカ的な階層論はジェンダー、人種、移民など源泉となる地位を拡大してきました(Gruskyのリーダーを参照)。経済格差が拡大するにつれ職業とは異なる所得(Mayer 1997)や富(Killewald et al. 2017)、スキル(SBTC)、組合の有無(Western and Rosenfeld 2011)が格差を形成するメカニズムについても研究が増えています。経済格差と社会移動の関連でいえば、グレートギャッツビー(Corak 2013)の話が社会学でも熱いテーマの一つです(でした?)。

これらがある世代(コホート)の格差の分布を形成するとして、次の問いはなぜそれが次の世代に継承されるのかです。世代間の移動を考える際に、子どもの幼少期の環境が重要だとわかってきました(近隣、親の離別)(Chetty and Henderen 2018; McLanahan and Percheski 2008)、これはアウトカムに曝露されるタイミングの重要性を示唆します(親子世代ともに)。個人の人生の中でどう格差が蓄積していくのかというテーマと合わせて、時間的な側面は非常に重要です(DiPrete and Eirich 2006)。

継承という点では、遺伝の影響も見過ごしてはいけません(Conley and Fletcher 2017)。親からの遺伝は子の教育年数と少なくない関連を見せています(Lee et al. 2018)。重要なのは古い遺伝決定論を展開しているのではなく、階層研究は行動遺伝学の知見も交え遺伝が環境とどう相互作用するのか(Conley and Fletcher 2017)、遺伝しない親の遺伝子がどう格差を形成するか(Kong et al. 2018)を検討しています。

第4世代までの階層論は、究極的には格差の源泉を職業に狭めることで理論的、方法論的なアップデートを図ってきました(Treiman and Ganzeboom 2000)。第5世代はこの遺産を生かしつつ、格差の源泉の定義を拡大し、経済学、公共政策、公衆衛生、行動遺伝学の研究者とコラボしながらメカニズムを明らかにしようとしている、と自分は思います。定義を拡大すること、他の分野の研究者とコラボすることで、アイデンティティを見失ってしまうかもしれませんが、実際にはコラボが盛んになる中で、階層論の中で培ってきた理論的・方法論的な基礎はより重要性を増しているものと思われます(e.g., Ridgeway 2014)。