October 30, 2013

水曜日

冗談ではなく一ヶ月ぶりに体調がよい水曜日を迎えた。


10月1週目に風邪を引きはじめ、2週目に発熱し、3週目は半ば治りかけてたが咳はとまっていなかった、というわけで、約一ヶ月ぶりに健康な水曜日を過ごした。


記憶がなぜ確かかというと、10月1週目の水曜日は僕がinternational societyで日本語を教え始めた日だからだ。生徒には申し訳ないことに、三回連続で僕は咳をしながら、時は発熱しながら日本語を教えてた。


というわけで、今週が初めて健康な姿で授業に顔を見せることができたのだが、リーディングウィーク(レポートのために授業が休講になる週、ただし文系に限る)ということもあって、今日来たのはいつもの半分(4名だった)。


人数は変われど教えるのが大変なのが常である。だんだん、できる子とできない子、この差は本人がどれだけ復習予習するかによると思うのだが、彼らの差が開いてきた。授業を受けている身だったときは、上にあわせた方が良いと思っていたが、実際教えているときにできない子がきちんと発音してなかったりすると、そのフレーズだけ繰り返して読み上げたりしてしまう。そういう配慮を察してか、できる子は自分は分かってますよという視線を投げ掛けてくる。なかなか痛い。分かってるんだよ、だけど教える側としては下に合わせる気持ちも分かってほしい、こんな気分だった。


ただ、別にこれを職業としている訳でもないので、ドライになるべきところはドライに、というスタンスでいる。授業外で補習などはするつもりはないし、いくらできない子ができないままでも、授業は予定通り進める、冷たいかもしれないが、生徒とはそういう関係の方が、お互い変な情をかけなくていいのではないかというのが暫定的な結論になる。


ただ、もう少し生徒のモチベーションを考えた授業運営にしてもいいかもしれない。だが、生徒によって到達目標が大きく違う気もするので、結局また悩むことになるだろう。その辺りはある程度、距離感を持っていこうと思う。繰り返すと、自分はこれで飯を食っている訳ではない。


その後、4時半からSNAのセミナー。今日の報告者はマンチェスター大学の院生で、これから野郎としてる研究計画の発表だった。全て聞き取れた訳ではもちろんないが、出来上がった結論を聞くのとは大きく異なり、今回は「どうやって紐帯を測るのか」「マルチレベルにするときの統計的問題は考えたか」「そもそもお前は調査地の言語を話せるのか」(これに対して報告者が'No'と悪気も無く言ったのには笑ってしまった。)など、リサーチクエスチョンや方法論的問題をたたくのがメインだった。ああ、この人はこういうところに注目するんだなというのがなんとなく分かって、出てきた結果を議論するのとは違った楽しみを見つけることができた。


その後、先生たちと(もちろん、学部生で参加しているのは自分だけである)パブに行った、大通りを一本はずれたところにあるパブで、人が少なくいい雰囲気だった。パブでは学部の授業で僕を教えてくれているElisaが毎回ビールを奢ってくれて、今回も例に漏れずエールを頂いた(本当は1 pint飲みたいのだが、酔うと帰った後勉強できないのと奢ってもらっている気恥ずかしさからhalf pintにしている)。一ヶ月前と違って、彼らの話している英語も何となく分かってきて、自分から話を振ることもできるくらいにはなった。(これはリスニング能力云々じゃなくて、話に興味を持っているか、自信がついたかどうかに帰すると思う)。


そのときに隣にいた女性に「日本ではクロスリーが有名なんですよ、Making Sense of Social Movementとか訳されてます」と言ったら、その人が参加している社会運動の研究会のメーリングリストに登録してもらえることになった。(正直言うと社会運動に興味がある訳ではないのだが、暇は暇なので、都合が合えば積極的に参加していこうと思う)


ところで、Elisaはリーディングウィークで授業を持たない代わりに日本でいうところのファカルティディベロップメント、要はどうやったらクリエイティブな授業ができるかといった講習を受けていると話してくれた。(彼女は今年から授業を持っている新任教員である)


イタリア人らしく?、彼女ははっきりと「講習がつまらない」と年上のMartin Everett に愚痴る。それに対してMartinは上司の体で愚痴を聞く。(彼自身も愚痴るのはかなり好きそうなのだが、そういう意味でいいコンビだと思う)このやりとりを見るのはなかなか楽しかった。MartinとElisa自体15歳は年が離れていると思うし、MartinはProfessorなのだが、お互い下の名前で呼び合って愚痴を言い合っているのは微笑ましい光景だった。まあ、それを学生の前でするというのも新鮮と言えば新鮮なのだが。


水曜日はこういう感じで過ぎていくのだった。


明日は外出します。


The Church Inn, Manchester (今日行ったパブ)


http://www.beerintheevening.com/pubs/s/24/24124/Church_Inn/Manchester

October 25, 2013

雑記

先々週の水曜から今週始めくらいまで長めの風邪を引いていた。
日本から薬を持ってきたので、特にGPなどには行かなかったのだが、喉が弱いので、寒くなる冬に向けてお茶を常備してうがいをかかさないようにしようと思う。

何が辛いかというと、熱があると英語で会話する意欲が大幅にそがれるし、喉が痛いとはっきり発音するのに大変苦労してしまうことだ。熱と咳がひどかった一週間は、人と話す気にもなれず、随分無駄な時間を過ごしてしまった気もする。ただ、上述の通りしっかり対策をとることを決意したので、今後風邪を引かなければ、今回の件は必要だったと納得できる、だろうか。

あっという間に留学も二ヶ月を迎える。全体の五分の一くらいは消化しているので、九ヶ月の留学は短いものかもしれない。ただ、今のペースで勉強を続けていれば、成果としてはそれなりに充実したものが手に入るような気もするので、そこまで焦っていない。

特に会話能力とかが進化したりした訳ではないのだが、できない人はどうやってもできないんでしょうかね(棒 そこらへんにも気をつけたいと思います。

来週はリーディングウィークと言って授業が無い代わりに,週明けにレポートの〆切が待っています。翌々週は出かける予定が増えるので、明日から関係ない本を読むのをやめて、しっかり授業の予習と復習に時間を費やしたいと思います。

[今週までにメモした文献、手につけてないものも多いです。]

Ahearn, L. M. (2003). Writing desire in Nepali love letters. Language & Communication, 23(2), 107–122.
Bachmann, V. (2010). Participating and observing: positionality and fieldwork relations during Kenya's post-election crisis. Area, 43(3), 362–368. doi:10.1111/j.1475-4762.2010.00985.x
Brown, P. (1990). The “Third Wave”: education and the ideology of parentocracy [1]. British Journal of Sociology of Education.
Ceja, M. (2006). Understanding the Role of Parents and Siblings as Information Sources in the College Choice Process of Chicana Students. Journal of College Student Development, 47(1), 87–104. doi:10.1353/csd.2006.0003
Chan, T. W. (2004). Is There a Status Order in Contemporary British Society?: Evidence from the Occupational Structure of Friendship. European Sociological Review, 20(5), 383–401. doi:10.1093/esr/jch033
Crompton, R. (2006). Class and family. The Sociological Review, 54 (4), 658–677.
Crompton, R. (2008). Class and Stratification. Polity.
Crompton, R., Devine, F., Savage, M., & Scott, J. (2000). Renewing Class Analysis. Wiley-Blackwell.
Devine, F. (2004). Class Practices: How Parents Help Their Children Get Good Jobs. Cambridge University Press.
Devine, F., Britton, J., Mellor, R., & Halfpenny, P. (2000). Professional Work and Professional Careers in Manchester's Business and Financial Sector. Work, Employment & Society, 14(3), 521–540. doi:10.1177/09500170022118554
Goldthorpe, J. H. (2007). “ Cultural Capital”: Some Critical Observations. Sociologica.
Goldthorpe, J. H., Lockwood, D., & Bechhofer, F. (1968). The Affluent Worker: Political Attitudes and Behaviour - John H. Goldthorpe, David Lockwood, Frank Bechhofer - Google Books.
Gross, N. (2009). A Pragmatist Theory of Social Mechanisms. American sociological review, 74(3), 358–379. doi:10.1177/000312240907400302
Hall, S. M. (2009). ‘Private life’ and ‘work life’: difficulties and dilemmas when making and maintaining friendships with ethnographic participants. Area, 41(3), 263–272. doi:10.1111/j.1475-4762.2009.00880.x
Hann, C. M. (1998). Property relations: renewing the anthropological tradition.
Honda, Y. (2004). The formation and transformation of the Japanese system of transition from school to work. Social Science Japan Journal, 7(1), 103–115.
Hossler, D., & Stage, F. K. (1992). Family and High School Experience Influences on the Postsecondary Educational Plans of Ninth-Grade Students. American Educational Research Journal, 29(2), 425–451. doi:10.3102/00028312029002425
Hossler, D., Schmit, J., & Vesper, N. (2002). Going to College : How Social, Economic, and Educational Factors Influence the Decisions Students Make. JHU Press.
Kulick, D. (1997). The gender of Brazilian transgendered prostitutes. American Anthropologist, 99(3), 574–585.
Kuper, A. (2008). Changing the subject–about cousin marriage, among other things*. Journal of the Royal Anthropological Institute, 14(4), 717–735.
Li, J. (2008). Ethical Challenges in Participant Observation: A Reflection on Ethnographic Fieldwork. The Qualitative Report, Volume 13, 100–115.
MacCormack, C. P., & Strathern, M. (1980). Nature, Culture and Gender. Cambridge University Press.
Marsden, M. (2007). Love and elopement in northern Pakistan. Journal of the Royal Anthropological Institute, 13(1), 91–108.
Raveaud, M., & Zanten, A. V. (2007). Choosing the local school: middle class parents' values and social and ethnic mix in London and Paris. Journal of Education Policy, 22(1), 107–124. doi:10.1080/02680930601065817
Savage, M., Warde, A., & Devine, F. (2005). Capitals, assets, and resources: some critical issues1. The British Journal of Sociology, 56(1), 31–47. doi:10.1111/j.1468-4446.2005.00045.x
Sorenson, A. B. (2000). Toward a Sounder Basis for Class Analysis. American journal of sociology, 105(6), 1523–1558. doi:10.1086/210463
Stevenson, D. L., & Baker, D. P. (1992). Shadow education and allocation in formal schooling: Transition to university in Japan. American journal of sociology, 1639–1657.
Swift, A. (2003). How Not to be a Hypocrite. Routledge.

Yan, Y. (2005). The individual and transformation of bridewealth in rural north China. Journal of the Royal Anthropological Institute, 11(4), 637–658.

October 18, 2013

Analytic Induction


昨日Finch & Masonを持ち上げてしまったので、Analytic Inductionについて書いてみる。

マルチメソッドの手法の一つにAnalytical Inductionなるものがある。

参照した文献はDevine & Heath (1999)によると、Finch & Mason (1993)によるNegotiating Family ResponsibilitiesがAnalytical Inductionを実践した研究として紹介されている。

この手法、マルチメソッドの一つなので、量的研究と質的研究を巧く融合させている。説明されれば当たり前の論理なのだが、これが社会調査の枠内で実践できることに少し感動する。これはグラウンデッド・セオリーをパッケージ化したようにも思え、実際のそのようなデータがあれば、すぐにでも実践できるのではないか。(データがあればの話だが、)


また、この手法は普通の量的調査だけで本音が分かるような質問には向いていない。(本音とは何かはさておいて)



手順を示す前に、このことについて確認しておこう。

質問紙調査では往々にして社会規範が邪魔をする。
代表例が相対リスク回避の質問である。相対リスク回避とは何かというのは省略するが、具体的には以下のような状況で行為者が下す判断のことを指す。

ひとまず、社会をアッパークラス、ミドルクラス、ワーキングクラスの三つに分けよう。それぞれの階級の人間のもとには子どもがいる。
ここで、親は自分の子どもに、最低でも自分と同じ階級に辿り着いてほしいと考えるという強い仮定をおく。例えば。ミドルクラスの親は子どもに最低でもミドルクラスを継承してほしいと考える。

そして、各階級に達成するために、単純に学歴だけが必要な社会を考えよう。大学に進学することと中等教育で学歴を終えることの間では、ミドルクラスに到達する確率が大きく異なるとしよう。(もちろん、大学への進学がミドルクラスに到達する確率を高める。)

ここで、ワーキングクラスとミドルクラスの親は子どもの教育達成に対して異なる考えを抱く。前者は大学に進学しなくても子どもは最低でも自分と同じ階級に到達できる。後者は大学に進学しなければ、ワーキングクラスに子どもが到達してしまうかもしれない。このような階級の再生産を個人の合理性(具体的には、相対的なリスクを回避すること)から説明するのが相対リスク回避論である。

これを社会調査で確認するために手っ取り早いのは、親が子どもに対して、自分と同じ階級に到達してほしいかを聞くことである。

例えば、以下のような質問文が考えられる。
「お子さんには最低でも自分と同じ社会的地位を得てほしいと思う」

相対リスク回避は階級の再生産を個人の合理性から説明する有力な仮説の一つになっているが、社会調査でこれを実証するときには一つの大きな困難がつきまとう。それが先程述べた社会規範との衝突である。

親は「本音」としては自分の子どもに自分と同じくらいの地位や収入を得てほしいと思っているかもしれない、しかし社会調査で出てくるのは「建前」、つまりそんなこと思っていないことを示唆するような回答をしがちになる。

しかし、社会調査で「本音」を聞き出すことは不可能ではない。質的調査によって深層まで入り込むようなデータが手に入れば、可能性は出てくる。in depth interviewとか言われるやつだ。

長くなったが、トライアンギュレーションの一つであるAnalytic Inductionはこのような「本音」と「建前」が調査によってバラバラに出てくるようなセンシティブな問題に向いている手法だ。


前置きが長くなってしまったが、手順をフローに示す。


1. 量的調査で仮想的な質問をする
2. 量的調査の回答者から、仮想的質問に最も近い対象者を選びインタビュー調査をする。
3. インタビューから仮想的質問の背後にある特徴をあぶり出す。
4. 仮想的質問の状況に似ている対象者、似ていない対象者双方に、3から出てきた共通の特徴が彼らにも該当するかを突き合わせる。
5. 3-4の結果、仮想的状況を経験した対象者にのみ該当する部分を明らかにする。

この結果明らかになった部分が、本音と建前を分けている要因と想定できる。

Finch & Mason (1993)の調査では、978のランダムサンプリングにより抽出された大人に、Vignettesという仮想的な質問をしている。
例えば、この調査では「海外での労働を終え帰国してきた子連れの若い夫婦が住宅を見つけられず困っている。このとき、彼らの親戚は自分の家に彼らを招くべきだろうか」という質問をしている。家族の責任や義務についての仮想的質問をしている訳だ。

さらに、回答者のうち31名及びその家族、計88名に複数回のインタビュー(合計120回)を実施している。
Analytic Inductionが実践されているのは、以下の離婚後の義理の母との良好な関係についての質問に対してである。

1. 3歳と5歳の子どもを持つJaneは最近離婚した。就労する場合は子どもを誰かに見てもらわなくてはいけない。彼女自身の家族は遠くに住んでいるが、義理の母であるAnn Hillは近くに住んでいる。JaneとAnnの関係は良好だ。このとき、AnnはJaneの子どもたちの面倒を見るべきだろうか?
2. Annは子どもたちの面倒を見ることになった。しかし、数年後にAnnは介護が必要になってしまう。このときJaneは仕事を辞めて義理の母の世話をするべきだろうか?
3. Janeは仕事をやめてAnnの介護をすることを選んだ。数年後、Janeは再婚した。JaneはなおもAnnの世話をすべきだろうか?

量的調査から離婚後の義理の母との良好な関係を尋ねたVignettesでは、1.に対して多くの賛成の意見が、2.に対しては賛否は分かれ、3.については賛成が圧倒的だったという。全体的に、賛成が多かったが、これはNormativeな回答をしていると考えられる。実際、88サンプルのインタビュー調査では、ほとんど賛成が得られなかったのだ。(もちろん、これは代表性に欠けているので、ランダムサンプリングの結果と直接リンクしている訳ではない。)

両者が対立しているのを、異なる現実を明らかにしていると見るか、同じ現実の重なる側面を移していると見るかは認識論的な議論になるのでここでは省略する。(ただし、注意すべきは認識論的なレベルでは決着がつかないのがこの調査の限界である。)

次にFinch & Masonがとったのは、88名のインタビュー協力者のうち、この仮想的質問の状況に最も近い人を選び出す作業である。18名の離婚経験者のうち、Mary Mycock(仮名)という人が、離婚後も義理の母と良好な関係を続けており、Vignettesの質問に最も近い人物であった。

Maryへのインタビューから、Vignettesの状況に関して、義理の母との互酬的な関係があったことなど、5つの特徴が判明する。この特徴のうち、どれが離婚後の良好な関係にとって必要なのかを、仮想的質問の状況に似ている対象者、似ていない対象者双方にインタビューすることで突き合わせる。

結果としては、離婚前の良好な関係が重要であるという、当たり前と言えば当たり前の結論が出てくる。だが、量的調査の仮想的質問においては、この離婚前の良好な関係が質問文で明示されている。そのため、Finch & Masonによれば、この前提がNormativeな回答を引き出したという。しかし、実際にインタビューしてみると、(回答者は自分のことだと思って答えるからだろうか)、量的調査とは異なる結果が出てくる。それは、多くの家庭では離婚前の良好な関係はめったにないからだ。



書いているうちに、この調査、じつは問題含みばかりなのではないかという気もしてきたが、恐らく重要な点はいかにまとめられる。

・仮想的質問を量的調査でおこなうと、回答者は規範的な回答をする。それは、自分の状況を棚に上げて答えるからだ。
・仮想的質問をインタビューでおこなうと、量的調査とは異なる回答をする。それは、仮想的質問を自分に重ねて答えるからだ。

なんだか、違う気もするのだが、一応このようなことが言えたとする。
その上で、最初の相対リスク回避の規範的回答問題について、何か言えないか考えてみよう。としたが、思いつかない笑

「お子さんには最低でも自分と同じ社会的地位を得てほしいと思う」ではあまりに抽象的すぎるので、上手く質問紙とインタビューで意見が割れそうな質問を考えたいのだが、、、(というか設計者がこれを考えている時点で結構アウトな気がしてきた。。。)







October 17, 2013

現地で評価の高いものが紹介されるとは限らない。


寝られないので久しぶりにブログ

こっちにきて、日本にいるときよりも一日あたりに吸収できる知識が三倍くらいに増えた気がする。
理由としては、単純に、受ける授業の数が減り予習時間が増えたことが挙げられる。また、受けてる授業はソシャネ、人類学、質的研究法と今まであまり触ってこなかった領域なので、新しい知識が増えるのは当たり前と言えば当たり前だ。

だが、一番大きいのは、日本では知ることがなかったであろうイギリスの社会学の仔細に、毎日接することができるからだと思う。

それは言い換えると、同じ社会学でもイギリスと日本の文脈は大きく異なるということだ。

特に、イギリス(とアメリカ)の質的研究法の研究伝統が日本の教育にはほとんど反映されていないことを強く感じる。

こっちだと学部生のSocial Researchの教科書には、必ずと言っていいほどBrymanやSilvermanの書いた本がリーディングに挙げられる。そして、その本を読めば、今まで、社会調査を巡ってどのような議論が展開されてきたのか、大体を把握することができる。シラバスに書いてあるAdditional Readingに指定された論文を読めば、細かいところまで分かる仕組みになっている。

例えば、質的研究法を巡る存在論・認識論の議論、方法論を巡るパラダイム戦争などはDenzin & Licolnによって詳しく紹介されているが、日本にいる間、質的研究法がここまで理論的、方法的に議論されていることなど知るすべも無かった(というと言い過ぎというか、自分の勉強が足りなかったことを棚に上げているような気もする)。

最近になって専門書が出てくるようになったマルチメソッドに関しても、これらの研究伝統に位置づけられる。こうした文脈の機微について、授業の冒頭で指定されたリーディングで分かるのだから、最初はかなり驚いた。
(こっちの質的研究法の授業で指定されている教科書でほぼ唯一訳されているのは、Flickの質的研究法入門である。)
http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-49909-2/



とは言いつつ、別に文脈を踏まえなくとも、役に立つ方法はそれとして紹介されれば、特に社会調査法においては充分だろうと思っている。

例えば、ソシャネの教科書(Scott 2000)によれば、現在のソシャネが形成されるまではMorenoらの初期の研究の後に、ハーバード→マンチェスター→ハーバードの順に(マンチェスターを経由して再びハーバードでGranovetter, Burtらにより花開くらしい)、計三つの大学で刷新があったと書かれているのだが、正直このような歴史を踏まえなくてもUCI-NETとそれに関する教科書を手にすれば、ソシャネは学べてしまう。マルチメソッドに関しても、歴史的位置づけなど踏まえなくても、Brymanなどの本を読めば理解できる。


ただし、こっちで得られている知識はそうした文脈の違いだけで、役に立つ方法は日本にいても十分勉強できる。という結論にはならない。単純に、イギリスの社会学それぞれの分野で古典とされている研究で訳されていないものはたくさんあるからだ。

これに関して思うのは以下の二点
・イギリス社会を舞台にした細かい議論よりも、理論的文献の方が好まれる(ex. ギデンズ)
・日本人の訳者とイギリス人の研究者の間にコネクションがないと訳されにくい(ex. ファーロング、クロスリー)

例えば、ファーロングとクロスリーについて考えてみる。
アンディ・ファーロングはイギリスの教育社会学者でリスク社会論をベースに若者の移行期変容について研究している。
この人に関しては、乾彰夫(首都大学東京)が個人的な付き合いがあるらしく(乾(2010)のあとがき参照)、以下の訳書が刊行されている。

若者と社会変容―リスク社会を生きる [著]アンディ・ファーロング、フレッド・カートメル
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704778.html

また、マンチェスター大学のニック・クロスリーに関しては西原和久(名古屋大学)が彼の著作を三つ訳している。
http://kazuhisa-nishihara.com/3.html

訳書は全て2003年以降の刊行になっていて、経歴から2002年にマンチェスター大学に客員研究員として滞在していたことがわかるので、恐らくこの時期にクロスリーとコネクションを持ったのだろう。

つまるところ、訳される本には何らかの傾向性があると同時に、訳者との個人的なコネクションも重要になってくると思う。

もちろん、これ以外にも出版社の都合や予算的な問題などは関わってくるだろうが、現地で評価されている本が、必ずしも訳される可能性が高いとは言えないことに変わりはない。


例えば、イギリスの家族社会学では、Finch & MasonのNegotiating Family Responsibilities は古典的な評価を受けていると思われる。(google scholarでの引用数1104)
http://www.amazon.co.uk/Negotiating-Family-Responsibilities-Janet-Finch/dp/0415084075

ちなみに、google scholarでFinch and Masonが日本語の論文で引用されているか調べてみると、1件しかなかった(恐らくgoogle scolarに日本語の論文はあまり載らないので参考までに)
http://scholar.google.com/scholar?lr=lang_ja&hl=ja&as_sdt=2005&sciodt=0,5&cites=2147854281829395894&scipsc=

他にも、MorganのFamily Connectionsも引用数500超だが、日本語の論文でこれを引用しているのは2件にとどまる。
http://scholar.google.com/scholar?lr=lang_ja&hl=ja&as_sdt=2005&sciodt=0,5&cites=17026884468652732871&scipsc=


このように、現地で評価を受けているものが必ずしも日本語の論文で引用されたり、邦訳されたりする訳ではない。しかし、読んでみると日本の事例にも応用できそうなものは多いので、少し残念な気持ちになる。





【一週間で新しく読んだ文献】

Ahearn, L. M. 2003. “Writing desire in Nepali love letters.” Language & Communication.
Becker, H. S. 2008. Writing for Social Scientists. University of Chicago Press.
Berg, B. L. B. L. 2009. Qualitative Research Methods For the Social Sciences.
Burgess, R. G. 1990. Studies in Qualitative Methodology. Jai Press.
Marsden, M. 2007. “Love and elopement in northern Pakistan.” Journal of the Royal Anthropological Institute.
Morgan, D. 1996. Family Connections. Polity.
Neuman, W. L. 2010. Social Research Methods. Pearson Education.
Sugimoto, Y. 2010. An Introduction to Japanese Society. Cambridge University Press.
Williams, M. 2000. “Interpretivism and generalisation.” Sociology.






October 9, 2013

10月9日


今日はチュートリアル→日本語指導→SNAセミナー→帰宅→Japanese Societyの勉強会。

チュートリアルでは、リサーククエスチョンの話。今回から時間が移動して5人と、より少人数になった。あらかじめ考えてきた興味のあるトピックを問いに落とし込む議論の時間に、先生がペアの相手になってくれて嬉しかった。

日本語指導は結構疲れた。やっぱり考えてから発言すればいい生徒とは違って、先生は常に考えながらしゃべらなくちゃいけなくて、とても大変。もっと英語の表現身につけようと思った。生徒はみんないい人そうで、安心している。勉強にはなるので、今後も頑張ります。

SNAセミナーはケンブリッジの神学部(the faculty of divinity)からreligious groupの研究をしている若い先生が来てくれた。Social Fields Generatorという手法を使って、イスラム系教育機関の生徒の寛容性open mindedとネットワークの中心性を明らかにする、という研究報告をしてもらった。ネットワークの中心にいる人は対立する考えに寛容らしく、その結果、他の人から相談を受けるネットワークも築けているという内容。当たり前かもしれないけど、例えば日本でも、ある集団のネットワークの周縁にいる人は排外主義的な考えを持つ、みたいな研究はできるかもしれない。

報告の元になった論文は雑誌に掲載されています。

Ryan J. Williams, 2013, Network Hubs and Opportunity for Complex Thinking Among Young British Muslims

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/jssr.12050/abstract

最後に翻訳。昨日に比べて良くなったと褒められた、シンプルな文章を心がけよう。
ちなみに、日本学専修のチュートリアルでは小杉礼子さんの本をリーディングに指定して、フリーター(若年失業者)の問題について勉強しているそうです。なるほど。

今日は風邪気味で疲れたのでもう寝ます。こっちは乾燥してて、喉にくる。元々喉が弱いので、今日は部屋を少し湿らそうと思います。

October 6, 2013

雑感と文献リスト

あっというまに三週目が終わってしまった訳ですが、一週目がオリエンテーション期間で特になにも授業がなかったこと、二週目が講義だけで、先週からようやくチュートリアルが開始して、通常授業の雰囲気になりつつあると言った感じです。

色々思うところはありますが、三週間で漠然と感じたことを書き連ねておきます。

1. 教育がしっかりしている

・シラバスがすごい
こっちではアウトラインといいますが、一学期の予定と全ての回のリーディングが授業を選ぶ段階で公開されています。試験の日程や評価方法も含めて、全て事前に開示するというのは始めてなので驚きました。リーディングがアウトラインに書かれているので、来週以降の予習をすることも簡単で助かります。 

・チュートリアルがすごい
レクチャーは20−30人くらいの講義で、東大とそこまで違いは感じませんが、質的研究法と人類学の授業にチュートリアルがあります。前者は初回は12人でしたが、人数の少ないところに移ってほしいと言われたので、次回から合計2人のところに。人類学も初回は8人のはずが3人しか来れず、1対3というなかなかない比率で指導を受けることができました。チューターの先生の教え方もすごく上手で、有り難いです。

・自習環境がすごい
図書館では25冊の本が1ヶ月借りられる他、24時間空いているコモンズもあり、自習するには最高の環境です。

2. 教科書が産業化している

これは質的研究法の授業に限ったことですが、下記に挙げた文献以外にもadditionalにはたくさんの質的研究法の文献が指定されています。各筆者それぞれ強調する点は異なりますが、基本的にどの教科書を読んでも質的研究の手順がよく分かるようになっていて、教科書産業の大きさに驚きます。

3. 社会学の研究環境がよい

これはどのように測るか難しいですが、社会科学部にはたくさんの付属の研究所があり、そこで毎週のようにセミナーや研究会、講演などが開かれています。僕自身、社会ネットワーク分析の研究センターが毎回開くセミナーに参加させてもらっていて、こうやって研究者のネットワークが形成されていくのだと痛感します。

他にも諸々ありますが、ひとまずこれくらいに、最後に今日までに授業関連で読んでみた文献をまとめてあげておきます。papersで作成しました。





[10月7日までに読んでみた文献]
Babbie, E. R. 2011. The Practice of Social Research, 13th ed. Cengage Learning.
Becker, H. S. 2008. Tricks of the Trade. University of Chicago Press.
Borgatti, S. P., M. G. Everett, and J. C. Johnson. 2013. Analyzing Social Networks. SAGE Publications Limited.
Bottero, W., and N. Crossley. 2011. “Worlds, Fields and Networks: Becker, Bourdieu and the Structures of Social Relations.” Cultural Sociology 5(1):99–119.
BRANNEN, J. 2005. “MIXED METHODS RESEARCH: A discussion paper.” NCRM Methods Review Papers NCRM/005 1–30.
Bryman, A. 2012. Social Research Methods. 4(null) ed. Oxford University Press, USA.
Crossley, N. 2010. Towards Relational Sociology. Taylor & Francis.
Crossley, N., and J. Ibrahim. 2012. “Critical Mass, Social Networks and Collective Action: Exploring Student Political Worlds.” Sociology 46(4):596–612.
Denzin, N. K., and Y. S. Lincoln. 2003a. Strategies of Qualitative Inquiry. SAGE.
Denzin, N. K., and Y. S. Lincoln. 2003b. The Landscape of Qualitative Research. SAGE.
Devine, F., and S. Heath. 1999. Sociological Research Methods in Context.
Evans-Pritchard, E. E. 1969. The Nuer. Oxford University Press.
Gilbert, N. 2008. Researching Social Life. SAGE Publications Limited.
Housley, R. W. 1997. Lewis Henry Morgan “Ancient Society.”
Mason, J. 2002. Qualitative Researching. SAGE.
McKinnon, S. 2000. “Domestic Exceptions: Evans-Pritchard and the Creation of Nuer Patrilineality and Equality.” Culutural Anthropology 1:1–49.
Morgan, L. H. 1877. Ancient Society. University of Arizona Press.
Scott, J. 2000. Social Network Analysis. SAGE.
Seale, C. 2004. Social research methods. Psychology Press.
Seale, C., D. Silverman, J. F. Gubrium, and G. Gobo. 2006. Qualitative Research Practice. SAGE.
Shipman, M. D. 1997. The limitations of social research. Longman Pub Group.
Silverman, D. 2009. Doing Qualitative Research. SAGE.
White, P. 2009. Developing research questions. Palgrave MacMillan.

傍目



外から見ていると、言説分析ってめんどくさそうな印象を受ける。広く取ろうとしたら一人じゃ処理しきれない言説を抱えることになるし、狭く取ると一般化ができない。一般化する必要はないと思うけど、リサーチクエスチョンが広く取るか狭く取るかに依存する。
広く取ってしまって論理に欠陥が見られるとrigourじゃなくなる。それに、他の質的研究法に比べて反証主義に弱い(反例を出されたらどうするんだろう)。

要は、非常にスキル・巧さが必要な印象を受けるので、戦略的に考えると、インタビュー調査や参与観察の方が、ビギナーには向いているような気がする。

あと、discourse analysisって、独特な認識論を前提にしていると気がする(思い込み?)、哲学的な立場にこだわらないのであればドキュメント分析なる方法もあるので、そっちの方が手続き的に寛容かもしれない。

まあとにかくめんどくさそうな印象を受けるわけです。言説分析を採用しているのは、それじゃないとできない調査戦略なんですよねきっと。だとしたら、何でこんなに多いんだろうかというのが疑問でした。

(というか、新聞記事や政策資料の収集を言説分析と言っているのであれば、それは多くの資料から一定の主張を見出すメタ分析とかさっきのドキュメント分析のことを指しているような気もする。)

October 4, 2013

SCS論争


どうやら、ホワイトのSCSを巡って、1996年のqualitative inquiry上で論争があったらしい。

論争の源流は1992年のjournal of contemporary ethnography上でBoelenという人がコーナーヴィルを再訪して、ホワイトの言ってることは嘘だったとぶちまけたことまで由来するようだ。

この論争はSCSの実証性云々の枠を飛び越えて、社会調査の認識論(epistemology)のレベルに達している。
ホワイトはがちがちの論理実証主義者のようで、descriptionとinterpretationの二分法を結構ナイーブに信じている。
これに対して、Denzinなどが脱構築パラダイムで批判をしている、そうしたfact/fictionの二項対立自体を否定しにかかっている訳だ。(まあこんな認識論だったら調査できないと思うのですが。)

論争に決着がつかないのは明々白々だろうが、Philosophy of Social Science的な議論を知っているかどうかは、調査記録の文脈性を考える際に重要かと思う(例えば、SCSは論理実証主義パラダイムのホワイトが書いたということ)。

こっちにきて、(それに乗っかるか否定するかは別にして)量的調査と質的調査の認識論的な違いは議論の大きな前提になっていることを痛感する。Mixed Methodの流れは、この認識論を相対化するところから始まるので、安易にMMを採用するのも、逆に量と質の対立なんて馬鹿げてるみたいな安直な議論も、文脈を踏まえないことになるので気をつけた方がいいかなと思った(別に踏まえなくてもいいと思うんですけどね。)

ちなみに、この論争はSealeのSocial Research Method: Readerに簡潔にまとめられており、僕はそっちを参照した。



P.S. SCSの訳書解説に似たようなことが書いてあったらすみません