October 30, 2020

10月30日

 この二日は博論のことを考えていた。今日も考えている。

今日の作業

10時からコミュニケーション(1)、共著依頼の論文へのコメント(データとモデルについて)(1.5)、covid(0.5)その後testing kitをとりに外へ。帰ってきて博論構想(5)4時15分。その後も博論構想。

October 27, 2020

10月27日

 水曜の授業の予習(6)、covid(3)、同類婚の分析(5)、現代日本社会論質問対応(1)

October 26, 2020

10月26日

 メール業務(1ポモ)、日本社会論および論文掲載のサイン(1ポモ)、日本社会論最終レポートへのコメント(1.5ポモ)メール業務(0.5ポモ)。日本社会論の授業準備、中間試験のレビュー(3ポモ)、プリセプト(2ポモ)、きょうだい論文の改稿(3ポモ)、ナオミスギエさんの博論3~6章購読(2.5ポモ)。職域分離論文改稿(1.5ポモ)

ナオミ・スギエさんの博論を読み終えた。スマートフォンを使った刑務所出所後の労働者の職探し研究。書いてゴールではなく、新しい研究の未来が見えるタイプの博論は、読んでてワクワクする。分野外の研究を読むことのメリットも多く、今後も先輩の博論購読は続けたい。

各言語に一定数の読者がいる英文誌は(掲載稿なのか投稿原稿なのかは分からないけど)翻訳サービスはありだと思う。一方でそういった強みがなく、年500本も投稿される一方で掲載率が数%のようなトップ誌になると、翻訳のメリットは少ないだろう。なので翻訳のようなサービスが増えると、結果的にそういう地域誌と一般誌の間で、出せる論文と出せない論文の差は広がると思う。

日本語の論文書きながら英語の論文書くのはやっぱり大変なので、どっちも高いレベルでできる人はすごいなと思う。英語の書き方、日本語の書き方というのはある。同じ野球でも日本とアメリカでは使うボールもマウンドの硬さも違うのと似ている。日本語の論文書きながら英語の論文書くのはやっぱり大変なので、どっちも高いレベルでできる人はすごいなと思う。英語の書き方、日本語の書き方というのはある。同じ野球でも日本とアメリカでは使うボールもマウンドの硬さも違うのと似ている。

ナオミスギエさんの博論を読み終えた。スマートフォンを使った刑務所出所後のなので翻訳のようなサービスが増えると、結果的にそういう地域誌と一般誌の間で、出せる論文と出せない論文の差は広がると思う労働者の職探し研究。書いてゴールではなく、新しい研究の未来が見えるタイプの博論は、読んでてワクワクする。分野外の研究を読むことのメリットも多く、今後も先輩の博論購読は続けたい。ナオミスギエさんの博論を読み終えた。スマートフォンを使った刑務所出所後の労働者の職探し研究。書いてゴールではなく、新しい研究の未来が見えるタイプの博論は、読んでてワクワクする。分野外の研究を読むことのメリットも多く、今後も先輩の博論購読は続けたい。

October 25, 2020

10月25日

現代日本社会論のリーディング(2ポモ)、水曜日のセミナーの文献(1ポモ)、女性の出生の文献探し(1ポモ)、メール返信。現代日本社会論のレフレクションを読みセッションについて考える(2ポモ)論文の改稿(4ポモ)。

October 24, 2020

10月24日

 今日は朝9時から近くの川の道を自転車で2時間ほどサイクリング。そのあと11時から別の友人も加えてワインを飲みながらのんびり。いい1日だった。論文へのコメント、ポッドキャストの編集などを済ませる。明日は羽田ラナ会といけない。

October 23, 2020

10月23日

 午前中にコロナの分析、そのあとsubletの用意。4時ごろまで掲載が決まった原稿のreplication fileの作成。

10月22日

 今日はやや眠かった。午前中にcovidの分析、午後に友人との共著のチェック、昼寝して同類婚の分析。夜に地熱のミーティング。その話をルームメイトにしたら盛り上がった。今日もビールを飲んで、一通り楽しくできたのでいい日々だった。もっとできたのではないかと思うこともないけど、ベターではあった。

October 22, 2020

10月21日

 午前9時から人口学のセミナー。間違いなく今回の博論が一番炎上したことは先週書いた。であるが故に?ジャーナルレビューの議論もあまり盛り上がらなかったというか、褒めモードには慣れなかったので、授業の雰囲気的に失敗から学ぶ、という感じになってしまいややしょっぱかった。

終了後スパッと昼食を食べて、12時から社会学のwork in progress seminarで友人の報告を聞く。自分は研究してないテーマなのに一家言あるタイプの話だったので、質問して、そのあともいくつかメールしてしまった。この辺りのappropriateな作法がまだよくわからない。個人的には質問が来るのは嬉しいので、悪い気はしないかなと思ってしているけど、アグレッシブに思われるかもしれない。

前日にルームメイトのビールを飲んだので、その代わりのビールを買いにリカーショップに行ったところ、ネストビールが置いてあり、値段を見ずに買ってしまった。1本6ドル、まあそれくらいはするか…地ビールなので懐かしく飲んだ。

その後日本社会論の講義に目を通し、博論に使えそうなデータを探して、夜ご飯を食べ、途中でMLBワールドシリーズを見て、readiセミナーに入る。今日は面白い報告いくつも聞けていい一日だった。同類婚の話だったので、ついつい話し込んでしまったけど、多少の延長も悪くないかもしれない。DRMの闇の話など。

帰国までの残り1ヶ月悔いなく研究しようと思った。24時間研究するという意味ではなく、無理なく、だけど一つ一つの時間に全力を注げるようにしたい。


今日が人生最後の1日でもよかったか?

−良かったと思う。

なぜか?

−授業はやや消化不良だったけど、面白い報告を二つも聞けたし、それにサジェスチョンもできたから、自分も楽しめ、多少は貢献できたかなと思うから。MLBのゲームをルームメイトとのんびり見たのも楽しかった。ネストビールを飲めたのは幸せだった。日本社会論の学生のプロポーザルにもすぐ返信できた。悔いはない、できることはやった。

October 21, 2020

10月20日

 今日は研究デー、といきたかったが午前中に二つオフィスアワーが入った。早起きしたので眠く、昼ごはんを食べながらセミナーを聞いた後眠る。その後、立て続けに論文を3本投稿。1本は某フィールドトップ誌に投稿してRRまでもらっていたが、2回目の査読で落とされた、査読者が論文の結果を誤読した上でのリジェクトだったので納得がいかなかったが、これならもっとインパクトのあるジャーナルに載せてやろうという気になっている。残り二本はゲノムの論文。1本は某雑誌にリジェクトをもらってからトップ誌へ再投稿。もう1本はスペシャルイシューへの投稿。夜ご飯にかぼちゃコロッケを作ったが、カボチャが熟して水っぽくなっていてあまり硬くならなかった。その後水曜の授業の予習。途中で宮崎駿と半藤一利の対談を見る。明日は授業に二つセミナーがあるので、研究デーにはならなさそう。

October 20, 2020

10月19日

 日曜に寝過ぎて眠れなかった月曜日。9時半に起きてすぐグロサリーへ。ロックダウン以降はついつい買いすぎてしまうが、残り1ヶ月しかプリンストン にいないのにまたもや買いすぎてしまった。帰宅後2時半からの現代日本論ティーチィングの用意。今回のテーマは結婚だったので、やや個人的に張り切ってしまった。ついつい自分の質問を話してしまいがちになるが、そういう時こそ対極的に物を見て解説する力が試されるのだなと思った。終了後すぐにcovidのミーティング。それでだいぶ疲れてしまったので5時過ぎに料理をして、ハツを使った簡単な炒め物。6時に食べてそのあと8時くらいまでだらだらする。その後に共著者から上がってきたアクセプト済み原稿に目を通しコメント、およびもう一つ違う共著が返ってきたのでそれも返答。そうしているうちに日付が変わり、最後に現代日本論の受講生のリフレクションへのコメント。明日はオフィスアワーが二つ入ったので、もう寝ないといけない。

October 19, 2020

日曜

 前日はNYCを歩き通したので非常によく寝れた。寝過ぎてNessになるくらい寝て、起きたのは11時過ぎ。メールを開くと論文のアクセプト、といっても2nd authorなので「やった」という感はほとんどない。やる気が出なかったので、髪を切り、洗濯をし、フレンチトーストを作り、お昼過ぎから論文の改稿。カレーを作り、日本社会論の用意。今週のトピックが結婚で、受講生のコメントを見てると、なぜ日本では大半の独身男女は将来結婚を希望しているのに半分以上に現在交際相手がいないのか、結婚率が減少しているのかという疑問があり、よくわかる。アクセプトされた論文ではこのパズルを解く仮説を提示して検証している。

October 18, 2020

ヌヨォーク日帰り旅行

学期も前半が終わり進級試験も無事パスできたので、週末の1日を使いヌヨォークに日帰り旅行をしてきた。旅行といっても、1時間ちょっとで行ける距離にあるところなので、そんな大それたものではないわけだが、とにもかくにもロックダウン以降(その前から数えれば2月に東大同窓会の行事でヌヨォークに行って以降)プリンストン の外から一歩も出ていなかったので、NJ transitの電車に乗るだけでもちょっとした冒険気分だった。

本当に久しぶりの外出だったので、全てが改めて新鮮に感じられ、その度にこのパンデミックの影響の大きさを感じさせられる。アメリカで最初にハードヒットを食らったのがヌヨォークだったのを覚えている人も多いだろう。BLMで大きなうねりが生まれ、もしかしたら一部暴徒化した人たちによる店舗の破壊の動画を見た人もいるかもしれない、私もその一人だった。久しぶりに降り立ったヌヨォークは、人がマスクをするようになった以外は、一見するといつもの街並みのままで、この8ヶ月間メディアを通じてしか見てこなかった「あのヌヨォーク」との落差を感じた。


プリンストン を出るときは気持ち肌寒かったが、気温が上がると踏んでシャツにセーターで出発した。ところがヌヨォークはビル風が強い上にビルに隠れて太陽の光が入らない通りが多いため、だいぶ寒く感じた。最初の予定まで時間があったので、その足でMujiに行き、ブルゾン(と靴下、ランドリーで多数紛失したため…)を買った。ほぼ全ての通行人がマスクを着用していて、そこはプリンストン と同じだが、何せすれ違う人の多さが比べ物にならない。その数はプリンストンで8ヶ月すれ違ってきた人よりも多かった気さえする。あちらこちらで工事が行われ、マリファナのきつい匂いに複数回巻き込まれ、時々訳のわからないことを叫んでいる人を見るのも、全てヌヨォークに来たことを教えてくれる。

お昼に大学時代の友人と蕎麦でランチを取るのが最初の予定だった。この旅行、特に目的らしい目的もなく(というより、ヌヨォークは目的を持ってわざわざ計画を立てる距離でもない)、とりあえずこの1年会ってなかった友人に会いたくなり、予定を合わせてもらった。コロナ前はこうやって、東京なりヌヨォークなりに行って昔の友人とお茶をするなんてことは当たり前にあったわけだが、その「普通」が8ヶ月ぶりに戻ってきた。プリンストン ではなかなか食べることができない蕎麦を友人が選んでくれたのは嬉しかった。日本に帰ればこれくらいの蕎麦を食べることは難しくないわけだけど、その「普通」の味にも、ずいぶん長い間待たされたものだ。


大学時代の友人と話すと、いつも大学時代の感覚にすぐ戻ることができる。今日あった友人とは、リアルであったのはいつか覚えていないくらい会っていなかったのだが、あまりそういった時間の長さは感じなかった。今はツイッターやzoomもあるので、会っていなくても近況を確認できるのが、それを助けてくれるのかもしれない。

最近あいつはどうしてるとか、これからどうするのかとか、そういう他愛もない話のするのだが、そうしたただの近況確認が、zoomのような一見便利なツールでは生まれにくく、時間を合わせて実際に会わないと出てこないものなのは、とても興味深い。逆説的かもしれないが、この類の話は、わざわざzoomをするまでのものではないのだが、しかしながら(だからこそ?)わざわざ会わないと出てこないらしい。

こういう目的のない他愛もない話が、時に気分転換になり、最近近況を見てなかった友人の存在を思い出させてくれることもあり、全く別の文脈で自分が疑問に思っていたことを喚起させてくれたり、実は生活のかけがえのない一部を構成していることに気づかされる。

途中で友人とは別れて、そのあとはMoMAでJudd展を見に行った。プリンストンの本屋で開催中の回顧展のカタログを見る機会があり、シンプルなデザインの中にも強いメッセージを感じて、しばらく気になっていた。前回MoMAに行こうとしたときは改修中だったので、念願の訪問になった。

本人は否定しているらしいが、Juddはミニマリストの走りとされている。おそらくミニマリストの考えとは違うところで彼はデザインをしていた気がするが、結果的に出てくるデザインは、確かに類似性は見つかるだろう。以下はいくつかあるStuckシリーズの作品の初期のもの。ただの金属製のボックスが縦に並んで壁から出ているだけではないかと思ってしまうが、解説を読むとJuddはこのボックスの間隔も詳細に決めていたらしい。つまりボックス同士の距離もデザインの一部といえるのだ。このボックスの距離感の演出は物理的には壁を通じて可能になるもので、その意味では壁、あるいはこの空間自体もデザインの一つの要素になっている。本人がどう考えていたのかはわからないが、そういう含意があるのかなと思った。絵画のように中で閉じて世界を表現するのではなく、空間とつながることによって世界を拡張した世界を表現しているのかなと思った。別にこの作品だけがそういう性格を持っているのではなく、デザインとは本来、世界と地続きにあるものだというメッセージもあるのかもしれない。


次に展覧会の広報にも最初に載る代表作。画面に入りきらないほどの長さだが、この位置から(実はどの位置からでも同じなのだが)、各列が5色に濃淡を交えた計10色あるように見えた。しかけ(なのかわからないが)としては、各ボックスは内側にくり抜いてできていて、それぞれの縁が飛び出している。そのため上から光が当たることによって影ができる仕組みになっている。広報で出てくる写真では、ここまで綺麗に半々に濃淡がわかれているわけではないのだが、もしかしたら今回の展示は意図的に半々に見えるように光の角度を調整しているのかもしれない。これも、私たちが通常考えるような作品が単位なのではなく、光の角度も踏まえた空間全体がデザインである、というメッセージなのかなと思った。


5時ごろになって会場を後にする。そろそろ帰ろうかと思ってPenn Stationに向かって歩き出したら、途中で紀伊國屋を偶然見つけた。今回行こうとも思っていなかったのだが、日本の小説でも買おうかと思って多少並んで中に入った。

ヌヨォークに紀伊國屋があることは知らなかった。私がアメリカで初めて入った(そしてこれまでは唯一の)紀伊國屋はサンフランシスコの日系人街にある店舗で、かなり大きかったのを覚えている。今回と同じように、前回も別に入ろうと思って入ったわけではなく、偶然見かけたので何気なく入ってみたのだった。しかし、一度入ると、そこは完全に外とは別世界、「日本の書店」になる。私には、書店はどの施設よりも、依拠する社会の様相を色濃く出しているような気がしている。日本語の本が陳列されているのは当たり前といえば当たり前なのだが、単に言語が違うだけではなく、扱っている内容も英語とは大きく異なる。ある雑誌は主婦向けの弁当のレシピを扱い、ある雑誌は北欧テイストの住居空間の作り方を紹介している。そうやって表紙を見るだけで、いい部分、嫌な部分ひっくるめて、日本のユニークさが喚起されて自分に向かってくる。

書店というのはいろんなジャンルの本を置いている。私は料理や家具にはあまり興味はなく、大体奥にある学術書や小説、新書のコーナーに行くわけだが、そこに至るまでにお目当てではない雑誌も否応なく、目に入ってしまう。その一つ一つが、自分にとっては日本の文化や流行を色濃く反映していて、日本にいた時の感覚がフラッシュバックしてくる。そういう意味で、紀伊國屋がアメリカで一番「日本」を感じさせ、擬似的に一時帰国したような気分にさせる施設といってしまうのは、やや大袈裟だろうか。

しばらく滞在して、Penn Stationから電車に乗り、午後8時半に帰宅した。半日程度の簡単な日帰り旅行だったが、喧騒に包まれ、マリファナの匂いがきついヌヨォークの空気は、あの大都会が私が8ヶ月過ごしてきた、五感を全く刺激させない完全な静けさとは真逆に位置していることを、懐かしく思い出させてくれた。

October 17, 2020

10月16日

 7時半からポッドキャスト,終了後covid, そのあと査読コメントで誤解があった部分をステートした物を送付、そのあとはずっとゲノムの論文。午前中にparentingに関する論文と本を読む。集中しすぎてミーティングを忘れる。

October 13, 2020

社会階層研究の第5世代?

たまには社会学をやってる仕草を見せたいと思います。

社会階層論(と家族社会学)の科目で進級試験を受けるので、最近は階層論とはなんぞやと考えていました。最初に所感を述べるので、本当に雑駁ですが口述試験では以下のようなことを話そうかと考えています。

社会学で格差や不平等を扱う社会階層論は2000年代中盤時点で第4世代まで形成されているという議論があります(Hout and DiPrete 2006; Treiman and Ganzeboom 2000)。第1-3世代は社会移動とその国際比較が中心、第4世代は制度によって格差や移動がどう異なるかの検討があり、そろそろ第5世代を作りたくなってくる頃です。

実は第5世代は何か、みたいな議論は全く起こっていないのですが、私だったら、不平等の源泉の定義を拡大したことに求めます。

社会階層論では、典型的には父職(origin)や学歴(educaction)が自分の達成(destination)に至るまでの、不平等の源泉とされてきました(自分で獲得した学歴がなぜ不平等なのかという話は疑問に思われるかもしれませんが、ある学歴を達成する際に無視できない出身階層の格差がある場合,および学歴によるリターンが異なる場合、教育は出身階層の効果を媒介すると考えます)。いわゆるOEDトライアングルの話です。

集団間の格差に関心を持つアメリカ的な階層論はジェンダー、人種、移民など源泉となる地位を拡大してきました(Gruskyのリーダーを参照)。経済格差が拡大するにつれ職業とは異なる所得(Mayer 1997)や富(Killewald et al. 2017)、スキル(SBTC)、組合の有無(Western and Rosenfeld 2011)が格差を形成するメカニズムについても研究が増えています。経済格差と社会移動の関連でいえば、グレートギャッツビー(Corak 2013)の話が社会学でも熱いテーマの一つです(でした?)。

これらがある世代(コホート)の格差の分布を形成するとして、次の問いはなぜそれが次の世代に継承されるのかです。世代間の移動を考える際に、子どもの幼少期の環境が重要だとわかってきました(近隣、親の離別)(Chetty and Henderen 2018; McLanahan and Percheski 2008)、これはアウトカムに曝露されるタイミングの重要性を示唆します(親子世代ともに)。個人の人生の中でどう格差が蓄積していくのかというテーマと合わせて、時間的な側面は非常に重要です(DiPrete and Eirich 2006)。

継承という点では、遺伝の影響も見過ごしてはいけません(Conley and Fletcher 2017)。親からの遺伝は子の教育年数と少なくない関連を見せています(Lee et al. 2018)。重要なのは古い遺伝決定論を展開しているのではなく、階層研究は行動遺伝学の知見も交え遺伝が環境とどう相互作用するのか(Conley and Fletcher 2017)、遺伝しない親の遺伝子がどう格差を形成するか(Kong et al. 2018)を検討しています。

第4世代までの階層論は、究極的には格差の源泉を職業に狭めることで理論的、方法論的なアップデートを図ってきました(Treiman and Ganzeboom 2000)。第5世代はこの遺産を生かしつつ、格差の源泉の定義を拡大し、経済学、公共政策、公衆衛生、行動遺伝学の研究者とコラボしながらメカニズムを明らかにしようとしている、と自分は思います。定義を拡大すること、他の分野の研究者とコラボすることで、アイデンティティを見失ってしまうかもしれませんが、実際にはコラボが盛んになる中で、階層論の中で培ってきた理論的・方法論的な基礎はより重要性を増しているものと思われます(e.g., Ridgeway 2014)。

10月12日

学者(という言葉は権威性を帯びてるので好きではないけど)は思いの外嫌われているなと思うこの頃。

誤りを指摘するにとどまらずに、自らの知識を露骨に見せてしまうのもまた権威性を強めているかもしれない。研究成果をパブリックに還元する試みは大切、そして成果の見せ方にも意識を配るべきだと思う。パブリックにアウトリーチする研究者に対してアカデミックなコミュニティがインセンティブを与えることも大切だなと思う(ルー大柴みたいだが)。

今日は一日中general examの勉強。明日が試験…思ったことは別の記事にする。

October 11, 2020

10月11日

試験勉強も疲れたので、博論案のためのデータ探しをしていた。その過程でIPUMSがヨーロッパのセンサスの統合も始めていることを知った。

10月9日10日

午前中は博論プロポーザルのプレのプレを書いていた。その後試験用の原稿を確認、途中で2時から2時間程度コロナのミーティング。深夜にゲノムの論文の改稿。査読結果が帰ってくるが、コメントがメインの結果を誤解釈どころか無視して書かれていてショック。対応するかもしれない。

土曜は午前中に博論プロポーザルのプレプレを指導教員に共有、その後ナッソーでランチ。この辺り全然詳しくないので、日本で歴史ある紡績企業だった東洋紡、最近(だいぶ昔からだけど)は紡績以外(バイオ、ヘルスケア)の方がメインになっているという話は技術の応用という意味でとても面白かった。バイオ系の留学支援もしているらしい。https://toyobo.co.jp/biofund/

帰宅後ゲノムの論文の改稿と試験用のレビュー。

浪人時代に通ってた予備校のアカウントを見つけた。浪人して初めてちゃんと勉強できたので、感謝している。昔いた先生は当たり前だけどもういない。昔は東大に現浪複数受かってたけど、そういう層は全て新しくできた河合塾にとられていったみたいだ。数学の先生はすごくお世話になって、大学入ってからも数年交流は続いた。どこかのタイミングで途切れて、その後亡くなられていることを知った。授業の延長が名物だった。

October 9, 2020

10月8日

今日は授業もなく、ゲノム論文の執筆と、それが終わってから来週の試験の勉強。

夜に論文を1本読み、その後先輩の博論の1章を読む。今学期は2週間に1本のペースで博論を読んでる、否が応でも博論について考えさせられるので、いいトレーニング。提出は3-4年後だけど年明けからプロジェクトは始める予定なので、悠長なことは言ってられない。

ちなみにその博論、一章で仮説16個検討してておったまげた、なぜ指導教員止めなかったんだろう…

仕事が終わった後、ストリートに出てイタリアングロサリで少し買い物をして、本屋に行き、日本雑貨店で散財し、アイスクリーム屋で季節限定のローストパンプキンを買った。アメリカ人の好きなもの1位はアイスクリーム、4位はパンプキンなので、もう横綱同士のマリアージュという感じ。



October 8, 2020

えっせい

年に一度村上春樹が話題になる時期である。私はなぜ村上が(読むけど)世界から評価されているのかわからないが、彼の「やがて哀しき外国語」は面白いと思うし、海外の人から見ても当時のアメリカがどのように日本を見ていたのか(そしてそれをどう一日本人である村上が感じているのか)は興味深いと思う。

一種の日本社会論としても読めるものを読むと、日々何が起こったのかを書き留めておくだけではなく、少しまとまったエッセイも残したおいた方がいいんだろうなと思う、なかなか当時の空気感を思い出すことは難しい。例えば、今年の3月がどういう雰囲気だったのかをありありと思い出すことは難しい。

といっても眠る間際に各日記にそういった意欲は湧くことはない。今日は午前中に博論を読むセミナーで、先輩たちを読んで博論プロポーザルの話。みんな当たり前のように最初はASRからチャレンジすることが確認できた。チェア以外の教員との付き合い方、JMPへの時間のかけ方など色々アドバイスをもらえた。その後ずっと論文を書き、目処が立ったので明日共有できるようにしたい。もっと批判的な考察は後になってからだろう。

October 6, 2020

teaching第5回反省

前回の反省を踏まえて、今回はブレークアウトで議論(前回は7分だったが生徒には足りないと思ったので10分にした)、その後に考えをシェアしてもらう構成にした。また、私は基本ファシリテート+細かい点の補足にして、シェアしてもらった考えに対するリプライを違うグループの人にお願いする、そうして発言機会の確保+重層的なインタラクションを目指した。

結果的に、ブレークアウトでまず自分たちの考えを共有し、その考えを他のグループに伝え、質問に対してリプライするという流れを自然に作ることができた。そこで最後に私がなぜこのようなディスカッション(今回は日本における女性にとっての学歴の意味)を用意したのか、伏線回収も含めて若干の解説。

これで40分は使ったので、残りの10分は予備で用意しておいた2つ目のディスカッション質問を、グループワークはしてもらわずに考えてもらった。発言のインテンシティはやや落ちるが、流しとして考えれば悪くはなかった。最初の導入で5分使うので、正味ブレークアウト10分、考えのシェアと議論25分という、タイトといえばタイトな時間になる。量だけ見ると1セット35分は短いように感じるが、何度かブレークアウトを試していくにつれ、問題は量ではなく短い時間でもどれだけ意味のある議論ができたかなのだなと思うようになった。

というわけで、今回はやや自己評価高め。5回のティーチング+2回ほかのセッションの代打を通じて、徐々にティーチングもできるようになってきたような気もする。しかし、うまくいってる気がするのは、上記のように自分でリードするより、まずzoomのブレークアウトルームで学生たちに話してもらって、その後に議論するスタイルに落ち着いたからかもしれない。

さらに言えば、こうした学生中心のオーガナイズは、学生の側がきちんと何を議論したいのか、明確である場合に機能する。東大とプリンストンという、私の限られた経験から由来する非常に奇妙な比較になるが、プリンストンの学生の方が自分の疑問をうまく言語化するスキルが高い気がする、さらにその質問を適切な場で共有する、一種の空気を読むスキルも高い。これはおそらく、受講生が2-3年生で、すでに他の授業を通じてディスカッションに慣れてるからというのは影響しているだろう。

とにもかくにも、学生たちに助けられて、自分の役目は交通整理でいいんだなと思った。変に先生ぶる必要はなく、彼らが考えていることはどれも素晴らしいポイントをついているので、セッションでは彼らのインタラクションから互いに新しい論点について気づきを得て欲しいし、私は彼らの気づきをサポートするアシスタント役が適切なのだと思っている。

これが大学院の3時間のセミナーになればまた役割も変わってくるのだろうが、50分のセッションは短く、文献のファクトやロジックを細かく確認する時間は取れないので、多少大雑把でも、大きな話から日本社会への理解を深めてくれればいいのではないかと考えている。

teaching第4回反省

今日の授業は、後半やや失敗した気がする。最初にブレークアウトで議論してもらった後、考えをシェアするところまでは良かったが、そこで扱った内容以外の質問に対する答えを考えていたので、全てこなそうと思って一つ一つの説明が不十分になってしまった。反省としては、次回からは、事前提出のリフレクションに書かれている質問を全てのせることはせず、こちらで議論した方がいいと思うものを選択した方がいいと考えた。変に平等的な思考が入ってしまって、どの学生の質問も等しく暑かった方がいいだろうと考えていた節があったが、おそらくセッションで目指すべきは平等なトリートメントではなく、議論したからこそ生まれる新しい示唆であって、その示唆を得るに適切な質問は何か、優先順位をつける必要がある。

ポジティブな点としては、ブレークアウト自体はうまくいった。やはり、ある程度議論してもらった後に答えや考えを提示するのがいいかもしれない。ただし、最初にブレークアウトは遅れてくる人もいるので難しいので、最初に事項の確認→ブレークアウトがいいのかもしれない。

October 2, 2020

10月1日

 この2週間はgeneral examsの用意でてんやわんやだった。火曜に提出したあと、水曜は朝から授業があり、疲労のピークという感じ。木曜の今日はよく眠れた。水曜にタイミングがよく?リジェクトのお知らせをもらったので、今日1日はコメントをもとに修正し、別のジャーナルへの投稿準備をしていた。4時半から人口学研究所のタウンホールミーティング。質問特にないのにcold callされて驚いてしまった。意外と長引いてしまい、疲れてその後の韓国セミナーには出れず。夜ご飯を食べてしまうと、本当に眠気がすごくなってしまうこの頃。

明日から心機一転走るのも再開しようかと思う。

October 1, 2020

これまでの10年・これからの10年

誕生日を気にしなくなって久しいが、今年はいよいよ30代に入ることが数日前に頭をよぎり、これまでの10年とこれからの10年に思いを馳せていた。

10年という数字で過去を振り返るのも恣意的かもしれないが、人口学をやっていると人の年齢や出生年を10年区切りにして考える癖がついてしまい、いよいよ自分も「20~29歳」ではなく「30-39歳」に丸をつける年になったのだと思うと、ずいぶん歳を取ったような気もしている。

この10年の自分は非常に我儘だった。自分が持っていないものを得ようとがむしゃらに、時に人に迷惑をかけながらも突き進んでいった気がする。東大に入り、与えてもらったチャンスは全て自分のものにしようと、興味が出たらすぐ手をあげ、新しい世界を見させてもらった。その結果、両立ができなくなって駒場に残りたかったにもかかわらず成績が足りずに文学部に進学することになった。駒場の後期教養学部に進学したかったのは、当時駒場生にのみ機会が開かれていたミシガン大学への交換留学を目指していたからだが、その願いは叶わず、文学部の協定で行けるマンチェスター大学へ留学をした。大学院に進んでからは、留学するか、国内に残るか悩みながらの日々が続いたが、既に自分で論文を書けることを示したくて、修士課程から投稿論文を出していった。そうすることで、アメリカに行ったら日本で就職できなくなるよとか、日本語で論文を書けないのになぜ海外に行くのかといった疑念を抑えたかったのかもしれない(そういうことを露骨にいう人はほとんどいなかったが、心の中に重圧はあった)。そして幸運なことに第一志望の大学に留学でき、指導教員の移籍に伴って偶然プリンストンに来てしまった。

このように、20歳からの10年は常に現状を変えたいという思いで、選択肢が与えられたら積極的にリスクをとってきたと言えるだろう。そういう意味では、あまり周りを顧みることはできなかったし、自分本位だったと思う。

それで失ったものも少なくないが、今の自分の視点から過去の自分を擁護すると、昔の自分には何もなかった。田舎から上京してきた学生で、親戚に大学に進学した人が1人を除きいないところで育った自分は、大学で何をすれば良いのか、アドバイスしてくれる人がいなかった。だから、自分で探すしかなかった。親は研究者ではもちろんないから、大学院に行くこと、留学することなんて選択肢にもなかった。だから、チャンスを生かして、そこから自分で考える他なかった。裏を返すと、東大で出会った友人や先生たちがこういう身勝手な自分にたくさんの機会を提供してくれ、それを享受するばかりの10年だったと言えるかもしれない。

この10年で年を取ったのと、今いる大学の恵まれた環境のおかげで、この10年の自分がいかに利己的だったか、世の中の流れに抗いながら生きていたかを振り返ることができている。これからの10年も、チャンスを得るためにチャレンジを続けることは必要だが、いい意味で無理をしない、現状を受け入れることも大切なのではないかという気がしている。この10年は無理をすることも多かった、それで得るものもあったが、失うものも、もちろんあった。それが原因で、身体的に、精神的に疲れることも増え、少しづつであるが無理が効かなくなってきた気もする。

体調が優れない日々を経験して学んだのは、無理をして体を、心を壊してしまってはできるものもできなくなってしまうことだ。短期的には、それが正解かもしれない。しかし、次の10年を考える時、20代の10年のように行き当たりばったりの無理ばかりをしていては、そもそも40歳になれるかわからない。計画的に、無理をせず、諦める勇気も持ちながら、これからの10年を生きていきたい。世の中の流れに抗せず、うまく身を委ねることで自分を目的地に運んでもらう気持ちも必要なのではないかと考えている。

これからの10年は、自分の人生の中盤、後半に対して非常に重要な期間になってくる。予定が狂うことがなければ、4年後に博士号をとり、35歳前後で職を得ているだろう。現在の第一希望はアメリカの研究大学だが、その場合7年間で業績を積み、テニュアを取らなくてはいけない。40歳になる頃はテニュア審査期間の後半に入ってるだろうから、おおよそ目処は立っているだろう。そこでアメリカに残るのか、日本に帰るのか、もちろんそれ以外の選択肢もあるだろうが、40歳になった時に、できるだけ自分が希望する次の10年を歩めるような状態になっていたいと思う。

並行して、自分が全力で研究できる、最後に10年になるかもしれない。この10年で基礎はできた。これからの10年で自分にしかできない研究を本当に世に出すことができるのか、試されることになる。これまでお世話になった先生は、これからの私の研究に投資をしてくれたと思う。期待に応えられるよう研究生活を歩んでいきたい。あまり日本的な道徳観は好きではないのだが、最近見たドラマの言ってることを真似すれば「恩返し」の10年にしたい。