June 27, 2015

6/27 二次分析研究会第1回

同じデータを分析する二班合同に集まる。その話までは聞いていたが、誰が来るかは全く知らされていなかった。一方が若手、もう一方が中堅と想定したのだが、部屋に入ってみると驚いてしまう。

誰が来るか分からないため、それなりに準備して計画書を作っていたが、くしくも日本の社会学者で一番尊敬している一人の前で計画について報告するというのは、緊張と同時にやりがいを感じさせるものだった。このような自体は想定していなかったので、帰り路でふつふつと考えてしまう。

やはり、指導教官や、仲間内の学生に発表するのとは少し訳の違う気分だった。とはいっても、そこまで緊張することはない。むしろ、この計画書をどのように読むのか、それが気になって仕方なかった。終了後、F先生から面白いと思うと言われたので少しほっとしたが、テーマが保守的すぎないか、気になっている。ただ、修論で扱うテーマの前に避けることはできないと思われるので、一度研究会で報告しようということになった。ただ、問題の核心はこのデータでやる必要もないかもしれない。


この研究会が終わったら解放されるかと思っていたのだが、周りのレベルの高そうな研究計画や、ここでコメントをもらえるとは思えなかった先生に囲まれるということを考えると、うかうかしていられないと思った。修士課程に入って、初めて研究者としての第一歩を,今日,歩み始めたと言えるのではないだろうか。その道のプロの前で研究報告をするというのは、そういう経験だった。

懇親会も楽しく、二次会は恒例の三蔵。二次会のメンバー構成が面白かった。留学直前の二年前から、二次分析研究会にはオブザーバーとしてお世話になっており、今年から正規のメンバーとして研究することになる。F先生とは3年目の付き合いになり、月日が経つのを感じる。リーダーのN先生や、先日お会いしたT先生など、ISAの時に偶然集合写真を撮った先輩方にお世話になっているのは、少し不思議な縁だなと思った。


博論の後何をするかという話を、気が早いがぼやぼやと考えている、もっと理論的に考えて選択しようかとも思うが、同時に家族形成と不平等の関係に関する国際比較調査に関与したいという思いを確かめる。

June 26, 2015

あり研にて近隣効果研究の文献購読

水曜日にあり研にお邪魔してきました。近隣効果の論文のレビュー。エコメトリック分析における個人と空間の信頼性の話とマルチレベルがどう関わるのかという点は後日自分で確かめる必要があるなと思いました。

感想としては、報告文献のSampson et al. (2002)と参考文献にあったShaply and Haber (2014)を較べると、この10年で近隣効果の研究も進展したのだなと思いました。二つの方向性があり、一つはSampsonのレビューの頃にはほとんどなかったパネルデータを用いた分析例が増え、選択バイアスの問題などについてより精緻な因果推論的な分析ができるようになったこと。二つ目が、これと対極に、空間的なものが個人のアウトカムに影響する過程について分析的に明らかにする点を強調した結果、計量分析よりもエスノグラフィのほうがよいのではないかという知見が提出されている点。この二つは、他の分野でも起こっていることかなと思います。最近、ますます統計的な因果推論とメカニズム・アプローチの溝の深まりが個人的な感心になりつつあります。パス解析とかでは駄目なんでしょうね。

他には、測定の問題に関して先のエコメトリックとDuncan and Raudenbush (1999), Small and Newman (2001), 人口学からMassey (1996)はイントロとして必読かなと思いました。やはり、インナーシティの貧困層と同時に、もう一方の極、つまり富裕層の集中的な居住などもどんどん分析が進むといいですね。6年後あたりにこの分野に進出したいと思っています。


June 22, 2015

今後の予定

課題が多く、どれもミスれない戦々恐々した日々。疲れたので、もう寝ることにする。
火曜2限 授業
(都市地域政策のレポートを書く)
火曜4限 ライティング
(移動、1時間ほど余裕あり、あり研の文献でも読む)
火曜6限 サイエンスリテラシー 発表まで二週間ちょっと
(レポートと4限後のやる気を使ってドラフトを書く)
水曜1限 質的調査法 インタビュー2つのこり(休むかも)
水曜2限 方法基礎 文献は読み終えた。
水曜3限 社会調査法 データ入力は済ませた
(レポート最終確認、木曜の勉強会の予習、余裕があればドラフトを書く)
水曜19時-研究会(あり研)
(遅くならないうちに帰る)
木曜10時-研究会(計量)
木曜11時-インタビュー(本郷)
(レポート印刷、ドラフトを書く)
木曜5限 都市地域政策 授業時にレポート+課題の消化
(帰宅してドラフトを書く)
金曜11時-インタビュー
金曜午後 知人宅訪問
(ドラフトを書き上げる)
土曜2限 ライティング この日までにドラフト
土曜午後 研究会 プロポーザルを前日までに提出、ほぼ終了。

日曜→火曜報告の用意、デュルケムのレジュメ、リテラシーの準備。

レポートとドラフトが厄介。研究会が二つとインタビューが二つもしんどい。休日に文字起こしを終わらせる必要がありそう。二つ返事でOKしてしまうが、来るものは拒まない。

来週は読書会、火曜に報告、再来週はゼミの文献報告とリテラシーの発表、ライティングの課題締め切り。4,5,11の休日も午後に予定がある。ひとまず、7月2週目まで気を抜くことができない。3週目に都市地域政策でグループ発表。

June 21, 2015

昨今の...

 前回の月曜の授業では,昨今の(最近、研究室やゼミで「昨今の」と言っただけでどんな話題かが共有されてしまうくらい、この問題は連日大学関係者を賑わせているのかもしれない)大学改革の中で「役に立つ/立たない」「社会的要請のある/ない」学問分野の今後についての議論が行われた.私自身は,賛成派・反対派の意見を交互に聞く中で,それぞれが自分の分野の知見を持って何かしらの主張をしていることに,どこか専門性が浮遊してしまっている印象を持つ.例えば,人文系のある分野の人が主張する当該分野の「役に立つ」ポイントは,その分野に精通している視点からの意見だ.こういうと聞こえはいいかもしれないが,逆に言えば,自分の所属する専門分野の観点からしか主張をしていない.それは,賛成派・反対派に限らずそうである.所属集団の利害にとらわれず,どれだけの人が俯瞰的な視点で,それぞれの分野に目を行き届かせながら主張をしているのか判断がつかない.私個人としては,この手の問題に関しては,学者の意見,研究者の意見,官僚の意見,政治家の意見,民間出身の人の意見をまんべんなく集めて判断を下す必要があると考えている.現時点で明確な回答はできない.

 一つだけ,授業に対してコメントしておきたい.80年代後半に生命倫理学が日本に導入され,90年代になってそのポストを掲げる大学が増加したという趣旨の話についてである.この例はすなわち,大学のポストの社会的要請に従って変容するというものだと解釈した.生命倫理とは,文字通り生命に関する倫理的な問題について現状を記述し,判断を下す学問であると考えられるが,倫理的な問題が生じるのは,医学や遺伝子工学の発展と社会的な倫理の摩擦が生じているからである.その意味で,倫理的問題の境界の一面は研究の側にあると言える.
 近年,日本でも研究倫理(Research Ethics)の分野が盛んになってきた印象を受ける.とりわけ,医学系の分野ではIRB制度が知られる. これはInstitutional Review Boardの略で,人を対象とする研究について,その事前審査を義務づける制度であり,日本では倫理審査委員会に相当する.日本でも,医学系の研究科についてはこの制度はすでに定着しており,人を対象とする社会科学に関しても,次第に制度が浸透している.このように考えると,生命倫理学が普及したように,今度は昨今の「社会的な要請」のもと,研究倫理の分野が殿大学でも必要となるかもしれない.一つのケースとして,研究倫理委員会に焦点を当て,研究倫理が普及して行った過程について確認することは無駄ではないだろう.
 IRBは世界医師会が1966年に制定したヘルシンキ宣言と深い関わりにある.第二次世界大戦後,ナチスドイツ内でおこなわれた人体実験に関与した罪に問われた23人の被告人がニュルンベルク裁判で裁かれた.この際の判決文の中に「ニュルンベルク綱領」が盛り込まれた.これは,人を対象にした実験を行う際に守らねばならない10の原則を示したものである.この綱領の理念が,ヘルシンキ宣言に継承されることになる.
 同年2月,米国連邦政府の公衆衛生局は,研究計画における事前審査の必要性について初めて言及する.この前後から,医学研究における倫理性が議論され,1971年に当時の保健教育福祉省の助成を受ける研究に対して,研究計画の事前審査が課されることになる.(同年夏,方針策定委員会に初めて社会科学領域の研究者が参加したが,当時の社会科学系の学術団体は,事前審査の導入には否定的だったとされる.)
 非医学分野にもIRBが導入されるべきという議論が盛り上がった背景には,Humphreys (1970)が行ったティールーム・トレード研究の存在が大きい.この研究では,調査者であるHumphreys自身が見張り役を装いながら,公衆トイレでの男性同性愛者の性行為を観察し,男性を尾行し個人情報を得て,インタビューまで実施した.Humphreysには同性愛者に対する偏見を取り除くという意図があったとされているが,研究目的を伝えない詐欺行為 (deception)などの非倫理性が問題となる.1979年のベルモント・レポートを経て,1981年に連邦規則(コモン・ルール)に被験者保護の原則が関係省庁で採択されることになる.これをもってIRB制度の制定過程は一応の帰結をみたとされる.
 近年のアメリカでは,IRB制度は生命科学モデルに依っており,社会科学研究に対しては必ずしも合致しない点があることが指摘されている.例えば,口述史研究が行うインタビュー調査に関しては,以下のような点がShorpes (2007)によって指摘されている.Shorpesによれば,IRBは対象者の心理的苦痛を緩和するために機微に触れるような質問をしないよう求めたり,インタビュー終了後にカウンセリングを紹介することを求める.しかし,口述史の会話は,語り手と聞き手の信頼関係に基づいてセンシティブな語りがなされることが重要であり,関係性の構築が必要だとされる.また,IRBでは対象者のプライバシーを守ることが必要とされるが,口述史は語り手の特徴を知ってこそ分析が可能になるのであり,情報の匿名性は研究の障害となる可能性がある.近年では,医学主導で形成されSchrag (2010)によって倫理帝国主義(Ethical Imperialism)と呼ばれるIRBの権力性に対する,社会科学者によるクレイム申し立てが行われ,徐々に米国でのIRB制度も改善に向けた動きが見られている.
 こうしたアメリカにおける研究倫理をめぐるコンフリクトの状況が,日本の研究者に広く共有されているとは言いがたいと思われる.そもそも,研究倫理の概念がいち早く輸入されていた日本の医学分野においてさえ,アメリカの研究倫理の展開が正しく理解されていたと主張することは難しい.この受容には,以下のような特徴があった.まず,日本の医学分野では「倫理委員会」が1980年代から組織されるようになるが,これは大学が自主的に始めたものであり,IRBと同一視できるものではない性格を持つ.また,かつての日本は医薬品開発で欧米に遅れを取っており,開発の初期段階は欧米に依存していた.このため,医学分野では臨床試験を治療の一環として見なす傾向が強く,厳しい倫理が課される「実験」であるという考えが普及しなかった.インフォームド・コンセントは,治療・実験(研究)双方の文脈で用いられるが,前者においては自己決定権が重視される一方,後者は人を対象とする研究において,社会の利益のために個々の被験者がリスクを負う状況に対する,政府規制による被験者の保護という性格が強い.しかしながら,日本では70年代に登場した治療におけるインフォームド・コンセントのみ受容されており,「研究のIC」は見過ごされる時期が長かった(田代 2011).
 これとは別に,武藤(2014)は文科省など行政が策定する研究倫理指針が疫学や医療分野には遠い社会学分野には及んでいないことを指摘する.日本の研究倫理方針には,審査方法,何を審査するべきか,採決のルールなどのIRBの質を示す事柄は各機関や学会の判断に委ねられている現状に,武藤は警鐘を鳴らす.
 私事になるが,私が所属する人文社会系研究科にも倫理審査委員会は設置されているが,その存在を知らない院生も多い.そもそもの問題として,倫理審査委員会がどのような役割・機能を持っているのか,それを学会の倫理綱領と変わらないものと考えている可能性も含め,人を対象にした研究を行う科学者である私たちは,どれだけ知る機会を与えられているだろうか.日本でIRB制度に対する社会科学者側からのクレイム申し立てが見られないのは,この制度に対する情報不足が原因としてあるのかもしれない.
 この事例から読み取れることは,少なくとも二点ある,第一に,「社会的要請」から必要性が主張された研究倫理の正当性をめぐるコンフリクトが異なる分野に存在する.その上で先行する生命科学分野のレジームに対抗する社会科学という図式が存在する.すなわち,コンフリクトに関係するアクターには権力の多寡が存在する.第二に,同じ研究倫理という言葉を持ってしても,国を跨いだときに異なった受容のされ方をする.各国の文脈が利害という形で代表され,同じ概念という一般性の中に多様性が生じる.
 恐らく,昨今の大学改革の議論に対しても同じことが言えるのではないだろうか.即ち,異なる分野間で力の優劣があり,「役に立つ」が指す意味内容は多義的であり得る.意味が偶有的に決まるからこそ,コンフリクトの中でどの分野が優勢で,どの分野が劣勢なのかを見極める必要がある.そして,多勢に流れることなく,無勢に肩入れすることもなく,状況を客観的に見つめ,議論の中で,何が鼓舞され,何が覆い隠されているかを特定する必要があるのではないだろうか.賛成か反対かを主張するのは,その後でもよいのかもしれない.

参考文献

Humphreys, Laud. 1970.  Tearoom Trade: Impersonal Sex in Public Places, Duckworth.
武藤香織. 2014. 「社会科学とIRB制度米国での経験から何を学ぶべきか. 『社会学研究』93号.
Schrag, Z. M. 2010.  Ethical Imperialism: Institutional Review Boards and the Social Sciences, 1965-2009. JHU Press.
Shorpes, Linda. 2007. “Negotiating Institutional Review Boards.”  American Historical Association Perspectives Online 45:3. available at https://www.historians.org/publications-and-directories/perspectives-on-history/march-2007/institutional-review-boards.
田代志門, 2011,「研究倫理とは何か」,勁草書房.



カフェ・ド・クレスプキュール吉祥寺

駅から15分ほど歩いたところにある、成蹊大学に近いカフェ。

椅子や壁、カウンターも含め、店全体が木目調でデザインされており、都会の喧騒を離れて小さな山荘に訪れた気分にさせてくれます。店に来るお客も駅中心部から離れていることもあり、ほとんどが近隣に住む家族連れという印象。もしくは読書や手芸をしている主婦の方なので、非常に静かです。

木製の椅子が固いので腰が弱い方は長時間居座ることは難しいかもしれませんが、お勧めはコーヒーをポットで頼むことでしょうか。約2杯分をお得な値段で楽しめ、長居することができます。

時間帯は、ランチ、カフェ、ディナーの三つに分かれており、メニューが変わります。全ての時間でドリンクメニューとガレットを注文することができます。ガレットは、ハム、ベーコン、サーモンの三種類です(2015年6月時点)。

とにかく、非常に落ち着いた空間で読書や自習をすることができます。フランチャイズのカフェよりは値がはりますが、煙草臭くなく、木の香りに癒されながら、静かに何かに打込みたいときには非常にお勧めです。ちなみに、音楽がJPOPやアニソンのピアノ編曲が特徴的で、この手のジャンルが好きな人にはたまらないかもしれません。

アクセスは、東急のあるとおりをまっすぐ歩くこともできますが、北西循環バスに乗って第一小学校西でおりると店のすぐ脇に着くことができます。

外観

ガレット(ハム)1000円


June 18, 2015

今学期授業で読んだ文献

今学期授業で読んだ文献

多文化共生概論
Rattansi, A. (2011). Multiculturalism: A very short introduction (Vol. 283). Oxford University Press.
Hofstede, Geert, Hofstede, Gert  Jan, Minkov, Michael (2010), Cultures and Organizations -Software of the Mind-, 3rd edition, McGraw Hill. (岩井紀子,岩井八郎訳, 『多文化世界 ―違いを学び共存への道を探る―』,有斐閣, 2013年)
Yaguchi, Y. (2014). Japanese Reinvention of Self through Hawaii’s Japanese Americans. Pacific Historical Review, 83(2), 333-349.
'Mediations of democracy' in James Curran and Michael Gurevitch (eds.), Mass Media and Society, 4th edition (London: Arnold, 2005) pp. 122-149.


サイエンス・リテラシー
Doerr, Anthony. 2010. Memory War.
Crary, Jonathan. 1992. Techniques of the Observer: On vision and Modernity in the 19th Century (1990) 

Advanced Academic Writing
Swales, J. M., & Feak, C. B. (2012). Academic writing for graduate students: Essential tasks and skills (3rd edition). Ann Arbor, MI: University of Michigan Press.

質的調査法 報告2回
Bellah, R. N. et al. 1985. Habits of the Heart: Individualism and Commitment in American Life. University of California Press. (= 島薗進・中村圭志訳.1991.『心の習慣』,みすず書房.)
島薗進・宮島喬編「現代日本人の生き方報告書」
河西 宏祐 2005. 『インタビュー調査への招待』 世界思想社

方法基礎 報告2回
Althusser, Louis, 1974, Philosophie et philosophie spontanee des savants (1967), Paris: Francois Maspero. (西川長夫・阪上孝・塩沢由典訳『科学者のための哲学講義』福村出版.)
Popper, Karl, 1960, The Poverty of Historicism, London: Routledge & Kegan Paul.(久野収・市川三郎訳『歴史主義の貧困』中央公論社.)
Kuhn, Thomas S., 1962, The Structure of Scientific Revolutions, Chicago: The University of Chicago Press.(=1971,中山茂訳『科学革命の構造』みすず書房.)
日本学術振興会.2015.「科学の健全な発展のために」,丸善出版,141頁.
上山隆大, 2010. 『アカデミック・キャピタリズムを超えて アメリカの大学と科学研究の現在』, NTT出版.
Zetterberg, Hans [1954]  On Theory and Verification in Sociology. Stockholm : Amquist& Wicksell, Totowa, NJ : The Bedminster Press. (安積仰也・金丸由雄訳 1973『社会学的思 考法』ミネルヴァ書房).

公共財の社会学 報告1回
Gould, R. V. (1991). Multiple networks and mobilization in the Paris Commune, 1871. American Sociological Review, 716-729.
Hedström, P. (2005). Dissecting the social: On the principles of analytical sociology. Cambridge: Cambridge University Press.
Arthur, W. B. (1989). Competing technologies, increasing returns, and lock-in by historical events. The Economic Journal, 116-131.
Wynne, B. (1992). Misunderstood misunderstanding: Social identities and public uptake of science. Public understanding of science, 1(3), 281-304.
Kyriazis, N. (2006). Seapower and socioeconomic change. Theory and Society, 35(1), 71-108.
Granovetter, M. (1978). Threshold models of collective behavior. American journal of sociology, 1420-1443.
科学倫理検討委員会.2007. 『科学を志す人々へ』,化学同人.
Quine, W. V. (1951). Main trends in recent philosophy: Two dogmas of empiricism. The philosophical review, 20-43.
Merton, Robert K. 1967.  On the history and systematics of sociological theory. On theoretical sociology : five essays, old and new. Free Press.
Boltanski, Luc et Laurent Thévenot, 1991, De la justifíconomies de lagrandeur, Paris: Gallimard.(=2007, 三浦直希訳『正当化の理論― 偉大さのエコノミー』新曜社.)

社会階層の実証分析 報告1回
Kalleberg, A. L. (2003). Flexible firms and labor market segmentation effects of workplace restructuring on jobs and workers. Work and occupations, 30(2), 154-175.
Granovetter, M. (2005). The impact of social structure on economic outcomes. Journal of economic perspectives, 33-50.
Kalleberg, A. L. (2009). Precarious work, insecure workers: Employment relations in transition. American sociological review, 74(1), 1-22.
Kalleberg, A. L., Wallace, M., & Althauser, R. P. (1981). Economic segmentation, worker power, and income inequality. American journal of sociology, 651-683.
Petersen, T., Saporta, I., & Seidel, M. D. L. (2000). Offering a Job: Meritocracy and Social Networks. American Journal of Sociology, 106(3), 763-816.
Spilerman, S., & Lunde, T. (1991). Features of educational attainment and job promotion prospects. American Journal of Sociology, 689-720.
Sørensen, A. B. (1977). The structure of inequality and the process of attainment. American sociological review, 965-978.
Sørensen, A. B. (1996). The structural basis of social inequality. American Journal of Sociology, 1333-1365.
Sakamoto, A., & Chen, M. D. (1991). Inequality and attainment in a dual labor market. American Sociological Review, 295-308.
Ishida, H., & Spilerman, S. (2002). Models of career advancement in organizations. European Sociological Review, 18(2), 179-198.


研究会
Durkheim, Emile. [1912] 2003. Les formes elementaires de la vie religieuse: Le systeme
totemique en Australie. Paris: Presses universitaires de France. (= 山崎亮訳.2014.『宗教生活の基本形態 オーストラリアにおけるトーテム体系』,筑摩書房.)

June 16, 2015

人文社会系研究科社会学専門分野の大学院入試について

今後書き増しします。

参考書
・有斐閣のNew Liberal Arts Series「社会学」
★★★☆☆
コメント:多くの人がこれを進める。読みながら知識を自然に得て行くには良いという印象だが、1学期15回の授業を網羅するための教科書なので、参考書のような詳しさはない。あくまで入門書という感じで、個人的にはもう少し体系だった本を読んだ方が良いと思う。

・有斐閣の「社会学の基礎知識」
★★★★★
出版年が1978年と、現在50代の先生が院試を受けるときに必須とされていた本らしい。古さのため、例えばポパーが歴史主義の貧困で批判して現代の我々には実感の乏しいマルクス主義的な視点で解説された項目も多いが、第一次集団や機能、地位と役割といった社会学の基本的な概念が丁寧に解説されている。この辺りは、現代では定義されずに用いられるようなことも少なくなく、学ぶ側にとっては盲点になりやすい。その他、貧困研究の歴史や日本の社会学の基礎ともいえる農村社会学から家族社会学への流れ等も抑えており、古典的な問題が出されることも少なくない院試では重宝すると思われる。手頃な値段で入手できるのもお勧め。

・丸善の「社会学事典」
★★★★☆
丸善のこのシリーズは、見開き一ページで解説している中項目方式。2ページ簡潔でさくさく読めるので、継続的な学習にはぴったりだと思われる。前掲書に較べて機能主義以降の社会理論(再帰的近代化や個人化など)や社会構築主義的な視点についてもカバーされており、院試に限らずできれば家においておきたい一冊でもある。難点は値段で、一人で買うのは忍ばれる価格なので、図書館のお世話になる。

調査法編
上記の教科書が社会調査を網羅的にカバーしているわけではないので、いかにあげた本を読んで、調査計画の設問、ならびに社会調査に関する小問に対する対策を講じられたい。二冊あげておく。

盛山和夫「社会調査法入門」(有斐閣)
轟・杉野「入門・社会調査法」(法律文化社)



最終的な成績
英語 B
ドイツ語 A
専門 S

Pawson. 2000. Middle-range realism

Pawson. 2000. Middle-range realism. European Journal of Sociology. 

前半部読みました。まず、European Journal of Sociologyという雑誌(一応フランス語の雑誌ですが、英語論文も掲載しています。フランス語だとArchives Européennes de Sociologie、メンバーみると結構多様なのかもしれない)

Pawsonによれば、MRTに対する批判は二つ。一つがtop-downであること、つまりMRTはデータに触れる前のpreconceivedな理論を検証しており、カバーされてこなかったデータが持つ創発性との関係を持たない。二つ目がuni-layered、つまり彼は概念の性質は精査せず、概念が適用可能な範囲を拡張する(手段的、ということか)。彼はagency/structure, individual/societyといった存在論的な議論を捨象し、構造を選択を制限するものくらいに考える。つまり社会の全体性やそれがどのように構成されているかという問いは立てない、そういうontological skeltonの想定のもとに、現象の説明をしようとする。

上手く理解できていないかもしれないが、後者の批判はミクロマクロをつなげると主張する分析的な社会学の潮流に対しても言えるかもしれない。マクロな社会の変化を説明するのに個人の行為に還元しようというのは、マクロとミクロの間に存在論的な区別を敷いていないのかもしれない。HedstromのDissecting the Socialでは、行為に対する基礎付けが弱いなと思ったが、それは説明しようとする社会現象や帰結に対する基礎付けの弱さとも一体かも知れない。Sampson的には社会的メカニズムにsupraindividualを求めているが、それも個人ではない何か以上の意味はないかもしれない。

June 14, 2015

多文化共生という言葉について

「多文化共生」と名前のつくプログラムに関わりはじめてから2ヶ月。それまでは、なんとなく耳にはしつつも積極的には学んでこなかったトピックについて、考える機会を与えられている。

周りの環境についていくつか注意しなくてはならないところがある。まず、これは、国主導のプロジェクトであるという点だ。それぞれの大学が個性ある提案をしているが、大枠は「多文化共生」と決まっており、どのプログラムも、この言葉を時折反省しながら、自分たちの計画を軌道修正して行く必要がある。今回の大阪出張も、大きく言えばその一つに数えられるだろう。実際、学術振興会の担当者も来ていたらしく、今回のイベントに対して、何らかの意図を持って、議論の行方を見守っていたのだろうと思う。

次に、プログラムの教員と学生は、いくつかの点に対して批判的でありながら実践的でなくてはいけない。このプログラムは「有用な人材」を生み出すことを主眼においているので、ひょっとすると後者だけでいいのかもしれない。しかし、特に我々のプログラムを主導しているのが駒場であることを考えると、多文化共生やグローバル人材といった概念には、非常にクリティカルになる必要がある。例えば、多文化共生という概念はいつから使われるようになったのか、欧米のmulti-culturalismとの相違はあるのか、この概念によって何が代表され,何が削ぎ落とされているのか。教員達も盛んに実践や分野の横断を訴えているが、大学院で学問をやっている以上、国家的な政策からは自律的ななくてはいけない。特に駒場の人文系の先生はこの点について非常に意識的になっているとは思うが、あまり口には出さないかもしれない。やはり、実践志向を少し強く打ち出しすぎなきもする。現場に行くのも大切だが、個人的には、そうした政治的な意図を含んだ概念の使用には意識的でいたい。

政策的な文脈では、「多文化」共生という言葉は、カバーする対象をかなりの部分絞っている。具体的には、異なるエスニシティ間の共生という意味で用いられることが多い。このイベントでも、特に大阪大学などはその色を濃く出していた。多文化をMulti-culturalと捉えるのならば、欧米の多文化主義との関係が連想されるし、この想定は自然だと思われる。

ただし、—これが今回の議論でかろうじて得た収穫の一つだが—アカデミックには多文化共生の概念を拡大することをいとわなくてもいいのではないだろうか。これが今回のイベントで得た一つの結論である。
実際には、先週の月曜の概論でジェンダーのアンバランスさも多文化ではない事例として先生が数えていたり、それ以外の場面でも、科学技術と社会の接点や、都市と地方の格差についてなどを私の大学のプログラムはカバーしていることからも、どうやらcultureの多様性から導きだされるのは、エスニシティだけではないことが、少なくとも実践的なレベルでは確認される。それでは、概念的に多文化共生をエスニシティ以外に広める余地はあるのだろうか。

ここで、私たちのグループの一人の参加者が出した「アイデンティティ」という概念が重要になってくるように思われる。ここでは、アイデンティティは個人の持つ意味の帰属先ではなく、ある集団として認識可能な集合的なアイデンティティを指す。仮に、社会を異なる価値観や利害を共有した複数の集団から成り立つとし、かつ集団間で資源の多寡や権力の階層性が確認される場合、集団間で何かしらの対立が生じる可能性がある。それは、どちらが正当なものかを争う形になるかもしれないし、片方がもう片方の価値観を蹂躙する場合かもしれない。集団を具体的な民族や国家、それ以外の集団として考えると、歴史的にこのような対立の例には事欠かないだろう。

ここで、集団が成立する契機は集合的なアイデンティティに見出す。識別可能性をどこに求めるかに議論はあるだろうが、少なくとも性的マイノリティやある理念を共有する政策集団等は、ひとつのグループとして考えることができるだろう。
先ほどの参加者は多文化社会における「アイデンティティの政治」の重要性を指摘したのだが、仮にこのような理論から入る場合、文化をグループ単位に代表されるような有形無形の規範や実践と捉えれば、多文化社会に含まれるのはエスニシティに限らなくなる。例えば、科学と社会の接点については、科学的合理性を信奉する科学者集団と、それ以外の社会的合理性を重視する市民社会の側という対比が可能になるし、都市や地方、男性と女性に関しても、こうした集合的なアイデンティティを基礎とした文化の多様性を措定することは可能だ。

これが、多文化共生の「多文化」の部分をエスニシティ以外に拡張しても差し支えないのではないかと考える由縁である。分析的に有用な概念であれば、政策的に用いられているのとは異なる意味での使用は妥当性を持つ。現代の日本には以上にあげたような課題が山積しており、これを多文化共生という枠組みで考える,という提案については議論されても良いかもしれない。私たちはデファクトで多文化共生の中にエスニシティ以外の例も含めているが、理論的には以下のような道筋が考えられる。



June 6, 2015

メディア・システムについての考察

メディア・システムについての考察
英地方紙の衰退にみる,マスメディアが今後とるべき適応策の提案

はじめに
 ここ数年,先進国における地方紙の廃刊が次々に報じられている.世界で最も影響を受けているのはアメリカの地方紙であるが,ヨーロッパではイギリスの状況が深刻とされている.イギリスでは2008年末から2009年にかけて地方紙が80紙以上廃刊した[1]
 そもそもの問題として,イギリスでは単純に人口あたりの地方紙の数が多いということがある.日本における地方紙の数が100紙前後であるのに対して英米の地方紙数は1000を超える.1000紙の中の80紙というとあまり大きな数字には聞こえないかも知れないが,それまでほとんど廃刊することがなかった地方紙が一年で一気にその数を減らしたことを考えると,この数を小さく見積もることはできない.
 廃刊の背景として指摘されているのは以下の二点である.まず最初の原因としては広告費の減少が挙げられる.2008年に始まった金融危機は新聞社だけでなくほぼ全てのメディアに広告収入の減少をもたらした.後に詳述するが,全国紙よりも地方紙の方が広告費に依存しており,さらに危機の中でも収入を伸ばしたインターネットに主要な広告源を奪われてしまったため,影響は深刻なものとなった.第二の理由は無料ニュースの増加である.これは地方紙に直接の打撃は与えなかったが,価格競争を引き起こすことになり広告収入に苦しむ地方紙にとっては小さくない影響を与えたという意味で,第一の原因を促すものといえる.
 地方紙が消えた地域では様々な動きが出てきている.市民ジャーナリストが独自に,もしくは元新聞記者と協力して非営利の報道機関を設立しているところがある.媒体は紙ではなくブログ形式がメインである.そのほか,BBCが地方ニュースに力を入れる一方,地方議会などの公共機関が代わりにニュースを配信する動きもある.このように地方紙が無くなっても,市民の側から地域の情報を発信する動きが出てもおかしくない.幸いなことにインターネットの存在によって,スタートアップにコストをかけずに,地域報道に特化した少人数の市民報道機関が十分可能である.つまり,地方紙が今見せている生き残りの動きは,必ずしも地方におけるジャーナリズム再生の唯一の手段ではない.この意味で,経済危機はイギリスにおける地方メディアの多様性を促進しているともいえる.
 本稿では,イギリスの地方における地方紙の衰退を,カランのメディア・システム論の観点から評価する.地方紙衰退によって,地方では多様なメディア環境が現出しつつある現状をどのように考えることができるだろうか.地方紙は地域における公共性を維持する役割を今後も持つことはできるのだろうか.
 本稿の構成は以下のようになる.まず,イギリスにおける地方紙衰退の動きについて概観し,その背景を分析した後,カランによるメディア・システムの考えを応用し,地方におけるメディアの役割と地方紙の位置づけ,そして地方におけるメディア・システムの可能性について考える.

地方紙廃刊の現状
 まず,改めて廃刊の現状について確認する.The Economistの記事では2008年末から2009年にかけて,広告収入の減少によりイギリスの地方新聞は80紙以上が廃刊になったと伝えられている.今後5年間で地方紙の3分の1から半分が廃刊になると予想する動きもある[2]
Guardian紙では,20092月時点の13ヶ月で53紙が廃刊になったと伝えている.その多くがNSNewspaper Society[3]の中の主要グループTorinity Mirrorによって所有されているものであった.もっとも同期間にNS13紙が新たに加盟していること,さらに2紙が一紙に統合したことも廃刊とカウントされているため,純粋に53紙分減ったということにはならない[4]
新聞紙数だけではない,雇用者も削減されている.先の廃刊紙を多く経営していた地方紙大手のトリニティ・ミラー社は1年で1200人の社員の解雇に踏み切り,地方紙業界全体でも2007年に41000人だった雇用者の数は一年後には35000人に減少することになった.また,Torinity Mirror紙の元会長であったRoger ParryFinancial Times紙は2014年までに雇用者の数は半分になると予測している[5]

地方紙廃刊の背景
3.1広告費の減少
 イギリスの広告収入はここ最近までテレビ,プレス,インターネット,その他で推移してきた.地方紙の収入は2005年まで上昇傾向にあったが,the economistの記事を参照すると,ここ数年で急激に減少している.また,地方紙は収入に占める広告費の割合が全国紙よりも高い.全国紙が半々に対し,地方紙は約8割を広告費に依存している.特に地方紙においてはクラシファイドと呼ばれる広告が特に減った.クラシファイド広告とは,目的や地域によって募集された広告をまとめた形で掲載した広告媒体である.日本でいう「案内広告」で,個人間の物品の取引,不動産,求人,中古車などがこれに当てはまる.インターネットの広告支出のうち伸びたのは検索連動型広告とクラシファイド広告だったとされる.オンラインクラシファイド広告が約10%伸びたのに対し,Pressのクラシファイド広告からの収入は37%減少している.すなわち地方紙の強みであったクラシファイド広告が特定の趣味を持つ人たちに「素早く,柔軟に,低予算で」広告を渡すことのできるインターネットとの相性の良さから奪われていった[6]

3.2 無料ニュースの増加
 地方紙廃刊の背景には無料ニュースの増加も挙げられる.2008年,金融危機の影響で広告収入が減少し,市場のギャップをまかないきれなくなった地方新聞に代わりBBCが地方ニュースの動画配信拡充を発表した.加えて,全国の路上,地下鉄の構内などで,単なるチラシとは異なる新聞を模したメトロなどの無料誌が配布されている.メトロはその名の通り地下鉄構内で配布されており,ニュースはロイター等が配信したニュースを載せている.収益源は広告である.
 地方自治体による無料新聞(Council-run-newspapers)の創刊も見逃せない.地方自治体のおよそ半分が民間広告を自治体の議会報などに載せている.その中でも,自治に関する内容以外の,テレビの番組表やスポーツ情報などを載せた新聞が現れている.例えばロンドン市のLondon Borough of Hammersmith & Fulhamでは専用のウェブページを用意しており,発行する新聞も地方紙と大差がない[7]

3.3 購読者数
 意外なことに,地方紙において購読者数は減っていない.もともと地方紙はその収入の多くを広告費に頼っていたため,金融危機の影響を強く受けることになった.地方紙1300紙は合計4000万の読者を抱えている.Johnston pressでは2009年のオンラインの固定読者は昨年の15倍になっており必ずしも地方紙の需要が薄れてきたわけではない[8].さらに,経済危機の影響によって全国紙が地方ニュースから撤退,ロンドンを中心とした報道に移行してしまったため,今後も地方におけるニュース需要は維持されていくと予想される.
3.4 小括
 このように地方新聞は廃刊の危機にさらされているが,改めてその原因について触れておきたい.大きな要因は二つである.第一にインターネットとの広告抗争に敗北しつつあるということが挙げられる.地方紙に比べ安価であり,特定の趣味を持つ人たちに容易に広告を渡すことのできるオンラインのメリットは新聞の広告収入の減少の大きな要因である.特に,地方紙が得意としてきたクラシファイド広告のオンライン化は先に挙げたように地方紙にとって大きな打撃を与えた.
 第二にフリーペーパーが増加したことが挙げられる.ここで言うフリーペーパーとは紙媒体として価格競争の面で地方紙と競合するメディアと定義できる.フリーペーパーは綿密な調査報道や地域ニュースなど取材費のかかる記事は書かずに通信社から配信される全国ニュースやスポーツニュース,もしくは自治体発行のフリーペーパーの場合は議会の進行状況を載せるなど,記事の内容では地方紙の方がよりバラエティに富んでいるものの,収入を広告のみとすることで有料の地方紙に打撃を与えている.
 こうした動きは最近まで顕在化しておらず新聞側も対策を講じてこなかったのが実情である.しかし金融危機以降になって広告費全体が縮小したことで問題は顕在化した.この現状だけを見ればインターネットと新聞は相容れないメディアと見えるかも知れない.しかし第三章で述べる地方紙が講ずる対策を見ていけば,むしろ新聞はネットに融合していけるようにも思える.

4地方紙が講ずる対策
4.1 反対活動
BBCの地方ニュースの拡充に対してはBBCの大規模な予算のもとでの無料ニュース配信に地方紙から反対運動が起こり,最終的にBBCは拡充策について断念することになった.200812月にBBCトラストはオンラインによる地方ニュースの動画配信を始めるために6800万ユーロを投資に当てるとしたが,文化省大臣はこれに反発,BBC会長のMark Thompsonもプレスとラジオが受けている広告費減少がやむまで計画を中断することを命じた.
 次に,地方自治体による無料新聞(council-run-newspapers)の創刊に対しては20103月トリニティ・ミラー社が政治的中立の問題を掲げ反対署名活動を開始した.この動きに対応して政府側では,1月に自治体監査委員会による調査報告[9]4月に下院委員会による報告がなされ,公正取引庁に影響調査を指示した.委員会の報告では,自治体による新聞発行は新聞社側が主張していた「公費の無駄遣い」ではないと結論付けている[10]

4.2 ニュースの有料化
 以上のような反対運動以外に,ウェブニュースを有料化した例もある.全国紙の中ではFinacial Times,ルパート・マードックがオーナーのニューズ社が発行するTimes, Sunday Times, News of the worldが有料化の実施に踏み切った.一部の地方紙でも有料化の動きは出てきており,273紙を発行するジョンストン・プレスや70紙を発行するTindle Newspapersでは40紙の有料化について計画していた.一方で,有料化したからと言って読者数が変わるのかどうかについては統一した見解がないのが現状である.Guardian の記事にもある通り,有料化した際に新聞を取り続けるかというアンケートの結果には一貫性がない[11].調査方法が違うことを鑑みても,今後新聞が行く道を予測していくことは難しい.
 単純な有料化以外にも有料ページと無料ページの共存(Dual revenue streams)という方法もある.2008年,Gravensend Reporterが,Richmond Twickenham Times Manchester Evening News に続き,デュアルモデルに踏み切った.Manchester Evening News2006年にマンチェスター市内では新聞を無料配布し,郊外に出ると有料にするデュアルモデルを採用した.これは先述のメトロの台頭が影響している.

4.3 規制緩和
 圧力団体が政府に規制緩和を求める動きもある.NSの所属する主要7グループが組織したロビイスト団体LMA(Local Media Alliance)20091月に政府のOFT(the Office of Fair Trading)に報告書を提出した.「競争的なメディア市場によって広告主は適切な選択ができる」「地方に住む人々は様々な媒体から情報を得ているが地方の情報は地方紙からしか得られない」「地方紙に焦点を当てた大規模な組織を構築することが地方紙の多様性を保持するのに有効である」,さらに全てにおいて「地方紙の合併はこれに悪影響を与えない」ことを付け加えて,地方紙間の合併促進のために規制を緩和することを求め,その一週間後にキャメロン首相が賛成の意を表した[12].もっとも,こうしたTorinity Mirrorを中心に進む大手地方紙グループによる寡占には「中央化された企業による買収が地方紙の衰退を招いた」などのような,合併によって解雇される可能性のある地方紙記者からの反発もある.
4.4 小括
 以上のように地方紙は様々な手法を用いて存続を図ろうとしており,その対策の中には積極的にウェブとの融合を狙う向きもある.そのため,一概に衰退の背景を絶対視することは出来ない.すまり,広告費の減少は一過性の出来事の可能性もある.
 とはいえ,短期的にみて地方紙が衰退の危機にある事実は変わらない.その原因は広告費が減少していること,そして無料ニュースが増えたことにある.そして現在進行しているのは,大手新聞グループによる地方紙の合併である.政府もこれを容認しており,このままだと,地方紙は合併によってその数を減ずることになると考えられる.

メディア・システム論からみた地方紙
 それでは,市場の競争によって,地方紙が廃刊していくことには,どのような社会的な帰結をもたらすのであろうか.この点について考えるために,本稿では地方紙は地方のメディアの中で何らかの役割を占めていると仮定する.その上で,具体的に地方紙がどのような機能を持っているかについては,カランによる分析枠組みが参考になる.「メディア・システム」の概念を唱えたカランは,メディアの役割には,様々な利害を持つ集団から意見を公平に募りそれを一覧にして市民に伝え,そうすることで市民が広い視座を獲得し民主政治にコミットしていけることを実現する目的があると考える.カランはこのメディアを「中核メディア」とよび,メディア・システムに不可欠な存在と位置づける.そしてその周りに互いの長短を補うメディアが並立することになる.公共的な役割を果たす中核的なメディア,「私的な番犬」としての市場主義メディア,「公的な番犬」としての社会的市場メディア,市民メディア,専門家集団といった,互いの長短を補い合うメディアからなるシステムを概念図式として提案した.以下,それぞれの役割についてみていきたい.

5.1 中核メディア
 カランにとって中核メディアは公共放送と想定されている.ここでの公共放送は国家によって所有されているメディアではなく,公共的な役割を法的に義務づけられているメディアである.中核メディアに公共放送が採用されているわけは,中核メディアこそ全ての人がアクセスできることが要請されるのであり,公共放送であるBBCは強制的な受信料徴収によって,経済的な理由でメディアから排除される人たちが出ることを防ぐことが期待されている.また,法的に公平な報道を義務づけられているため,受け手が「様々に異なる見解やパースペクティブに触れるようにする」ことができる[13].ただし地方における議会のニュースなどは今までBBCが担ってきたところではなく,代わりに地方紙がその役割にあったと考えてよい.それが現在の危機によって窮地に立たされている.簡潔に言ってしまえば,このままだと地方に中核メディアが無くなってしまうことになるが,その代わりに2008年地方ニュース拡大を発表したBBCがつくことがあればそれに越したことはないことになる.
 しかし,この公共放送モデルも理想というわけではなく,政府による恣意的な介入の恐れを捨てきれない.BBCではこれを解決するために政治的に中立な社員による市民サービスモデルを採用することで政治的な介入を避けようとしてきた.しかしカランが主張するようにこのシステムも必ずしも欠陥がないわけではない.1980年代に公的な介入が起きたことを例にとり改善の余地を残すとしている.このようにして,中核メディアを囲む部門別のメディアが要請されることになる.また90年代の衛生放送の開始による多チャンネル化によって,BBCはそのシェアを縮めるかと考えられたが,戦後数十年5チャンネルしかなかった英国テレビ市場が一気に100局以上に増えてもBBCはその視聴率シェアを減らすことはなかった[14].あくまでもBBCは国民に見られている最も大きなメディアのままである.
 中核メディアの役割は,社会的な合意や妥協は「支配に基づく考案された合意に基づくものではなく,互いの違いを通じての開かれた話し合いに」基づかなければならず,それは中核メディアの公共的な役割によって実現することである.しかし,その中核メディアだけでは不十分であり,公的介入の危険を和らげるための補完的なメディアが必要になってくる.

5.2 中核メディアを補完するメディア
 まず,「私的企業部門」である.近年,私的メディアは経済のグローバル化に伴い,多国籍コングロマリットとしてその規模を拡大し続けている.ルパート・マードックを代表とする経営者には単に営利目的で合併を繰り返しているのではなく,そこには右派的イデオロギーのもと新聞をタブロイド化していくことで発行部数を伸ばそうとする方針が見て取れる.この点に関しても,すなわち右派的イデオロギーのメディアがイギリスを席巻した場合に公平性が失われるという点において,カランは中核メディアに市場主義化されたメディアを置くことを拒んでいる.それでも,私的企業部門にも利点はあり,政府に対するチェック機能を果たせると考えられる点においてメディアの番犬としての機能を果たすとされている.
 しかし中核メディアと私的企業部門のみでも,今度は新規参入が困難になってしまう.そのため「社会的市場部門」が提唱されることになる.カラン自身も市場主義モデルの欠陥は,それが想定したようには機能しなくなったこと,つまりコングロマリットに対抗する新しいメディアが誕生することは参入するためのコストが足かせとなって難しい,ということであるとし,これを解決するために,「社会的市場部門」が次に提案されてくる.ここでは,新規参入のための障壁を軽くするためにスウェーデンで実施されている新聞補助制度に類似したものを設立することでコングロマリットに対抗する際の財源を保障することが提案されている.同時に過度な独占に対する規制についても言及している.
 これら比較的大規模なメディア以外にも,中核メディアを補完する二つの部門がある.一つは市民メディア部門である.市民メディアといっても,ニュアンスとしては市民側に近いという意味であり,ブログなどを活用した市民ジャーナリストの必要性については言及されていない.ここで述べられていることは,党派性を持ち,利害を一般に伝える政党機関紙,組織化された集団ではなくその支持者に焦点を当て彼らを組織化するマイノリティのためのメディア,そして組織化された集団を対象とする,組合の機関紙などのメディアの3つであるが,カランとしては中核メディアに主張を拾ってもらうためにはその前段階として同じ主張を持つものたちによる組織化が必要だと考えており,その組織化のために同じ意見を持つものたちによるメディアが必要と訴えている.もう一つは専門職部門である.企業の中にいるジャーナリストは少なからず社の方針に従わなくてはいけない,広告主の影響力を排せないことがある.こうした一定の制約を受ける企業ジャーナリズムの欠点を排するため,カランは小規模なラジオチャンネルを媒体としてあげているが,NPOの形をとったジャーナリスト集団でもこれは可能と考えられる.アメリカでは国家や企業の影響力を極力排した形でのNPO報道機関が成長している[15]

5.3 カラン・システムからみた地方紙の評価
 ここまで,イギリスの地方における地方紙の衰退,その背景,これに対する反応,そして地方紙の役割を考えるために,カランによるメディア・システム論を概観してきた.
 カラン・システムに照らし合わせると,地方における地方紙の役割は,様々な利害団体からの意見を吸収する形でそれを市民に伝えてきた中核メディアであると考えられる.すなわち,地方における地方紙の減少は,地域のメディア・システムの中核に位置する機能が消失することを意味する.中核メディアがそもそも存在しなくても,読者からの需要が減っているのだからよいのではないかという主張があるかもしれない.しかし,先のように購読者自体は減っていない.さらに,多様な言論空間を実現するためには複数の利害を同時並行的に知らせるメディアが不可欠だという主張は可能である.したがって,カランの主張に立つならば,地方紙が衰退した場合,解決策としては地方紙を存続させるか,地方紙に代わる新たな中核メディアの登場を待つかのいずれかが必要になってくると考えられる.
 後者の場合であれば,衰退の要因にもあげたBBCが地方ニュースを拡大してきたことで,地方における情報発信の中心となる中核メディアは地方紙に変わってBBCが担うことも可能だろう.BBCが中核のメディアとなった場合の利点は,もともと視聴料を強制的に徴収されているため,市場主義の波にのまれないことである.さらに地方ニュースの拡大にインターネットを活用しているため,次世代のメディアにも適合していけるだろう.
 一方で地方紙がこのまま中核メディアの地位に居続けることは難しい可能性がある.まずBBCという公共放送が地方に参画してきたからである.政府によってストップがかかっても簡単にはBBCの地方進出路線は頓挫しないだろう.加えて,地方紙が中核メディアとして存続するのであれば,過度な市場主義からは隔離されるべきであり,今以上に広告費が減ずることにでもなれば,何らかの政府の支援が必要になってくる.
 中核メディアは国家におけるBBCと照らし合わせて考えれば,多様な利害を平等に扱うという公共的な役割が要請されてくるだろう.この前提のもとでは,地方紙が新聞グループの手によって合併させられることは避けられなくてはならない.なぜなら,カランが指摘するように,過度な市場主義の下では参入するのにコストのかかる産業では独占が進行すると考えられるからだ.地方紙を一紙創刊するには莫大なコストがかかり,人件費などで有利に立つ市場主義化された地方紙の前ではすぐ廃刊に追い込まれてしまうだろう.加えて完全なる市場主義の下では,公平性の観点から中核メディアが担ってきた公共的な役割が不採算であることから切り捨てられる可能性がある[16]
 現実的には,まだ政府からの支援を得られるかどうかといえば,むしろ市場主義化してしまう可能性が高い地方紙が中核メディアになれるのかと考えるよりも,もともと公共放送として政府からの支援もあり安定的な収入が見込めるBBCが新たな中核メディアになっていく可能性がとられるというのが,暫定的な回答になる.

6.結語
 以上から,人々に多様なパースペクティブを提供するために公平性を重視する中核メディア,そしてその周りに互いの欠点を補い合う形で私的企業部門,社会的市場部門,市民メディア部門,専門職部門が並立し合う状態がカランの提唱するメディア・システムであった.イギリス全体で見れば,中核メディアはBBCであり,私的企業部門は市場主義のもとで成長してきたメディアコングロマリットであった.ただし,社会的市場部門と専門職部門は未発達だったといってよい.それでは地方においてはどうか.それまで中核メディアは地方紙であったが,これが今回の地方紙の衰退についての分析で私的企業部門に吸い込まれていく可能性が高いと予想される.中核メディアは必要不可欠であり,今後その役割を担えることが期待されるのはBBC Local[17]であるというのが結論である.しかしBBCのローカル化は200812月を境にして止まっている.背景には地方紙側の反対があった.したがって現状は,各地方紙はコスト削減によって廃刊から逃れようとしているが,広告費が今よりも減少することがあれば,今後は地方紙の吸収合併が進行することになるだろう.しかしこのままでは中核メディアが存在しなくなり,地方において多様なパースペクティブの提供がなされない恐れがある.幸いEconomistの記事にあるように地方紙が衰退してきたことによって市民によるブログ新聞が出現してきたことは述べた.これが市民メディア部門に成長することは十分考えられるし,一方で新たに登場してきたcouncil-run-newspapersも議会の意見を代表する形ではなく,予算を新聞補助制度に回すことで社会的市場部門の形成に寄与することができる.以上のように以前に比べれば地方におけるメディア環境はカランが提案するシステムに近づいていっていることが分かる.
 必要なことは大規模なメディアが地方紙に代わって中核メディアとして地方に現れること,そして地方紙が自治体からの支援を受ける形で社会的市場部門として存続していくことである.これによって,地方紙の代わりを担おうとしてきた他のメディアは自然と公的なメディアを補完することになる.保守党政権内でメディア政策がどのように展開しているのかはこの一年見えてこないが,地方のジャーナリズムを維持していくためには,BBC Localの成長が必要になってくる.今後イギリスのメディア状況がどのように変化していくか,注意深く見守っていきたい.



[1] “The town without news”, The Economist, Jul 26th 2009
[2] “The Town without News”, The Economist, Jul 26th 2009
[3] NS(Newspaper society)とは,イギリスの地方紙が加盟する協会である.このNSに登録されている新聞史の数がおよそ1300ということで,イギリスの地方紙の数は1300紙と言われているが,実際にはGuardianの記事にもあるように,NSに加盟していない新聞も少なからずあると見られる.

[4] “Britain's Vanishing Newspapers”, Guardian, Feb 18th 2009

[5] “Choice for Local Newspapers :evole or die” Financial Times, Feb 26th 2009

[6] “A loss of local papers damages democracy”, Financial Times Jun 18th 2009

[7] h&f Newsについては以下を参照.http://www.lbhf.gov.uk/directory/news/homepage.asp

[8] “The Big Question: Why are regional papers in crisis, and does it matter if they close down?” The Independent Mar 13th 2009 

[9] 小林恭子(2010)『岐路に立つBBC -受信料削減,規模の縮小化の先は何か?』 新聞通信調査会「メディア展望」10月号
[10] 委員会が管轄するイングランド地方の自治体のほとんどが情報媒体を発行しているが,1か月に一度以上の頻度で発行している自治体は全体の5%のみであり,47%が企業の広告を掲載していたが,地方紙が収入を依存する求人広告は6%だった.また,監査委員会は,自治体の新聞が地方紙市場へどのような影響を与えているかに関しては「管轄外」として,意見を控えている.
[11] “News Corp Executive: Pay-walls and Free Model Can Co-exist”, Guardian, March 10th 2010
[12] “Local Media Mergers: Modernising the Approach to Safeguard Industry’s Multimedia Future”, LMA Apr 1st 2009
[13] カラン,J (児玉和人・相田敏彦訳),1995. 「マスメディアと民主主義:再評価」J.カラン・M.グレヴィッチ編,『マスメディアと社会 新たな理論的潮流』勁草書房.
[14] カラン,J (渡辺武達訳),2003.『メディアと権力』創元社.
[15] 代表的なNPO報道機関にはPro Publicaなどがある.
[16] カラン(1995),前掲.
[17] BBCの地方ニュースを専門に扱うサイトはBBC Localと呼ばれている.

June 1, 2015

6月2-3日

MBAにScrivenerをトライアルで導入し、論文執筆を始めてみる。空白セル込みの7重クロス表なんとか作成し(9720セル!)、ひとまず家のstataで分析にかけてみる。モデルを複雑にしても仮説は支持された。明日、LEMでも試してみる。5限の授業は明日からArcGIS実習。

前日は4時くらいまで論文の執筆等。8時に起床して朝食をとり、そのまま1時間半くらい眠りにつく.10時過ぎに起床して,同類婚の論文執筆の続き.texもそうだが,scrivenerには論文の構造を可視化してくれるのがよい.ただ、もっと他にも色んなご利益があるはずなのだが.

12時過ぎに一段落つけて、大学へ。ArcGISのインストールをしながら,ポパーの原稿を進める予定.荷物が多そう。

Scrivener導入

原稿を四件抱えている、というと語弊があり、実際には四件、自分でどこに出すか分からないが書いている。日本語二本、英語二本。

そういう事情なので、とうとうScrivener を落としてしまった(ただしトライアル版)。どんなものでも、何か新しいものを導入する時は少し手間取るものである。ひとまず、マニュアルを見て、最低限のことは出来るようになった感じ。こういうときに、あまり回りに頼ることが出来ないのは良くない性格。

一端このソフトになれてしまうと、他に手が出せないというのは、長所でもあり短所のような気もする。ひとまず、日本語の論文に対応できるフォーマットを捜し、いくつか書いてみようと思う。これって、共同作業しにくくなる感じがするが、大丈夫だろうか。今のところ、章や節をtexのように自動で作ってくれたりしないのか、方法を探している。

6月1日

最近、角部屋の隣人が夜遅くまでスカイプで友人と話していて、眠ることが出来ない。今日も、起きたのは10時過ぎだった。エリオットの原稿と6限の予習をして、学校へ、今回のIHSの課題文献の著者であるCurranは、実は四年前に高ゼミのレポートで引用していることを思い出す.久しぶりの再開だった。当時の記憶を懐かしみながら、吉祥寺駅近くのパン屋でカレーパンと塩パンを一つずつ購入して、本郷へ。ついてから、まず文学部に書類を提出し、次に郵便局にGESISの支払いへ。八月の予定について、段々と埋めつつある。というか、八月はコーディングの期間以外、ほとんど日本にいないことになりそう。

それを済ませていたら、いつの間にか講演会の時間になり、エリオットの話を聞きに二大教室へ。先生が、South Australia大のキャップを被っているのが可愛かった。議論は、posthuman時代における、技術とアイデンティティの関係について、特に後者に力点を置いたものだった。個人的には、彼の趣旨、すなわち新しいbio-technologyや人工知能が登場する時代において、技術ばかりではなく、アイデンティティの変容についても注目する必要があること、さらに、そうした時代の前後におけるアイデンティティの差異について意識的になること、これはそうなのだろうと思うが、彼の分析には、グローバルに進行するposthumanの側面が強調されていて、それを管理するような政治権力についての言及がないように思われた。また、技術をあまりにも受動的に捉えているような気がした。議論において、技術というのは人間の手によって選びとられて、それによって人間のアイデンティティに影響が生じる、という論理で用いられていたように思われる。ただ、その後のQ&Aセッションを聞くと、そうでもない感じはした。質問の中では、間主観性の問題をどうするのか、精神分析の位置づけ、制度のダイナミズムとの位相の違い、それとakgw先生のposthumanの多様性や無意識の関係などは議論に即したものだったと思う。他の質問は、よく分からなかった。やはり、日本にいてもできるだけ英語に触れておく必要はあるように思う。一朝一夕には身に付かない。A先生は、日頃から努力されているのだなという印象を受けた。尊敬する。先生の方が発言してて、この研究室らしいなと思った。

こうした、他の国大学からの研究者を招いて議論するという懇話会の趣旨にはとても賛同する。学生たちも、英語力や世界的な議論のトレンド等、色々考えるところがあったのではないだろうか。これが年に一度ではなく、ひと月に一度になるだけで、学生側の意識も少し筒外向きに変わって行く気がする。こうした試みを、どんどん続けていって欲しい。

終了後、ArcGISのインストールが終わらないまま、駒場へ。PBSの議論。昔この手の話に触れていたので、知識の整理といった感じだった。今回は、公共放送と市民社会の関係についてが主だったので、市民社会論の中における公共放送の役割という点については詳しくなく、概念的な説明は理解に助かった。国によって、公共放送のあり方が異なるというのは,余り気にしてこなかったので勉強になる。授業で、先生が「○○先生(指導教官)のところの打越さんね」と言われ、やはりこういう場面でもそうした肩書きが使われてしまうのだなと思った。深く考えすぎなのかもしれないが、先生の名誉に傷を付けるような真似だけはしてはならないと襟を正してしまうような.ドキッとした機にさせられた。

最近、会いたい人に会えない、話したい人と話せないというのが続き、日々の人付き合いが仕事上、研究上のものが多くなり、本当に心の底から話したい、という人になかなかめぐりにくくなっているような気がする。それだけ、少し残念に思う日だった。