September 30, 2018

9月30日

ぐっすり眠る。大学に11時半ごろ到着し、友人が送ってきてくれた草稿を二つみてコメントを送る。地熱、RA案件を処理。13時40分。財団からの振り込みを確認しつつ、人口学の課題。1時間で終了し、そのあとはゆっくり時間をかけてreplication packageの作成。

September 29, 2018

9月29日

休日だけど大学へ。今週はあまり疲れなかったので、課題も目処が立ちつつあり、主に日本時代に残した地熱の作業、採択された論文の微修正、共著の分析、それと統計の授業の復習。単回帰分析の際に、相関係数の2乗(R2乗値)が、regression sum of square (yi-y^iの2乗の和)をtotal sum of square(従属変数の分散)で割ったものに等しくなるのはなぜかと考えていたら、該当のページを見つけたはいいが、vector geometryが登場したので諦めた。偏微分含めて、(やろうと思えばできるのに)計算できないものを扱っているのは、やはり良くないと思う。

半休と決めていたので、その足でHilldaleへ。郊外にあるショッピングモールだが、妙に落ち着くので2週連続できてしまった。買い物して帰宅。

今週の予定
×統計学の授業で使用するデータを決めて課題として提出(木曜まで)
×統計学の授業の復習
×統計学のproblem set
×指導教員との共同研究を進める(できれば金曜目処)
×地熱(ハイブリッドモデル)の分析を進める(週末目処)
×婚前妊娠論文の改稿(水曜まで)
×婚前妊娠論文ミーティング(木曜)
×人口学セミナーの文献まとめ(金曜まで)
×学生メンターとのミーティング(水曜)
×ポスドクの人とのミーティング(水曜、傾向スコアについて)
×人口学セミナーのレポートのテーマを決める(できれば金曜)
×学振の廃業届を出す(できれば早く)
×形式人口学の宿題
×形式人口学のレポート
×形式人口学の宿題の採点結果について質問(水曜)

10月目処の予定
・同類婚ペーパーを先生に送る
・友人から送られてきたペーパーを読む(3本)
・10月5日のミーティングの資料作成

September 27, 2018

9月27日

今週の予定
×統計学の授業で使用するデータを決めて課題として提出(木曜まで)
・統計学の授業の復習
×統計学のproblem set
×指導教員との共同研究を進める(できれば金曜目処)
・地熱(ハイブリッドモデル)の分析を進める(週末目処)
×婚前妊娠論文の改稿(水曜まで)
×婚前妊娠論文ミーティング(木曜)
×人口学セミナーの文献まとめ(金曜まで)
×学生メンターとのミーティング(水曜)
×ポスドクの人とのミーティング(水曜、傾向スコアについて)
・人口学セミナーのレポートのテーマを決める(できれば金曜)
・学振の廃業届を出す(できれば早く)
×形式人口学の宿題
・形式人口学のレポート
×形式人口学の宿題の採点結果について質問(水曜)
・10月5日のミーティングの資料作成

10月目処の予定
・同類婚ペーパーを先生に送る
・友人から送られてきたペーパーを読む(3本)

September 26, 2018

PortesからみたUW-Madison Sociology

移民研究で有名なPortesさんですが、UW-Madison Sociologyの卒業生でもあり、先日紹介した歴史本に寄稿されていた文章が面白かったので、簡単に訳しました。

Alejandro Portes, Princeton University (PhD, 1970)

ウィスコンシン大学には1965年から1970年にかけて在籍し、社会学博士号の取得とともに去った。少なくとも私は、実際にそうだったのだが、その後の人生の折に何度も母校に戻ってくるために去るものだと思っていた。マディソンでの5年間は実に密で、困難、緊張、そして対価に満ちた日々だった。もし文学に傾倒していたら、それらの月日についての小説をいくつか書いていただろう。以下は、未だに世界で最も優れている一つである、ウィスコンシン社会学部の印象の要約である。

-規模はものをいう:学部の規模まさにそれ自体が、学部を宇宙へと変える。ファカルティと学生は学部を参照点としている。規模はストレスと時として孤独を伴いながら、目的のための競争と真剣さを養う。

-ゲマインシャフトとゲゼルシャフト:規模から生まれる必然の結果は多くのシニアの教授による学部へのめざましいコミットメントによって釣り合うことになった。彼らの行動は、授業と職位の獲得を超えて、その場所を本物のコミュニティへと変えた。帰属感が養成されるが、それは学生によって達成され、さらには学位終了後に彼らが外に出た後でさえも達成されている。David Mechanic, Edgar Borgatta, Joseph Elder, Archibald Haller, Russ Midleton, Warren Hagstron, とりわけWilliam Sewellが私の時代におけるこうした役割を担った教授たちであった。

-経験的な天職:ポストモダニストや誇大理論家はマディソンではうまくやれなかった。社会学部は断固としてファクト・ドリヴンであり、支持されていない一般性には懐疑的であったし、そうあり続けている。私はこの指向性を誇りを持って学び実行したが、私自身の概念と類型に対する嗜好のために、何度も困難にあったことも事実である。最終的に、マートン流の中範囲の概念が適当な妥協点として現れた。

1998年に名誉博士号を授与されたのが、私のキャリアの頂点の一つであった。一方の側ではダライ・ラマが名誉博士号を授与されていたが、より重要だったのは、もう一方の側に私のメンターであり生涯の友であるWilliam SewellとArchie Hallerー長いウィスコンシンの伝統における不可欠な部分ーがいたことである。

9月26日

朝から寝違えたのか若干首が痛い。肩こりもひどいので、かなり気分が悪かった。8時半すぎに大学につき、人口学の文献まとめ。9時半からマイノリティ学生のためのグループのウェルカムパーティに顔を出す(45分程度)。その後、準備をして形式人口学の先生に初めてのオフィスアワー。彼女の前だと緊張して英語が出てこない気がする。終了後、人口学の準備をして、12時から学生メンターの人と話す。昼食は食堂が混んでいたので食べなかった(首も痛くて食欲もなかった)。色々話したけど、研究とコースワークの両立が難しいという話をしたら、少なくとのうちの学部では論文どれだけかけるかが重要だから最低でもBとる感じでいいんだよ(Aとっても誰も成績は気にしないよ)と言われて少し安心した。広くアメリカの社会学に通じるかもしれないけど、UW-Madisonには良くも悪くもpublication mattersの文化がある。戻って15時からのミーティングの準備をして、14時から人口学のトレーニングセミナー。テーマはhow to publish a paper. こっちにきてからファカルティの先生がhow to write a lotは読んだ方が良いという勧めを頻繁に聞く。日本だと、教員と学生の間には論文投稿に関する考え方に世代差があるが、こっちは若手〜中堅の人と学生との間の意識はとても似ているなと感じる。一番至言だなと思ったのは「小さな論文も大きな論文も出版まで同じだけ時間がかかる」というもの。自分の事例を振り返ってみてもよくわかる。終了後、15時30分からポスドクの人とミーティング。15分程度だったけどよくわかった。

今週の予定
×統計学の授業で使用するデータを決めて課題として提出(木曜まで)
・統計学の授業の復習
・指導教員との共同研究を進める(できれば金曜目処)
・地熱(ハイブリッドモデル)の分析を進める(週末目処)
×婚前妊娠論文の改稿(水曜まで)
・婚前妊娠論文ミーティング(木曜)
×人口学セミナーの文献まとめ(金曜まで)
×学生メンターとのミーティング(水曜)
×ポスドクの人とのミーティング(水曜、傾向スコアについて)
・人口学セミナーのレポートのテーマを決める(できれば金曜)
・学振の廃業届を出す(できれば早く)
・形式人口学の宿題
・形式人口学のレポート
×形式人口学の宿題の採点結果について質問(水曜)

10月目処の予定
・同類婚ペーパーを先生に送る
・友人から送られてきたペーパーを読む(3本)

September 25, 2018

9月25日

昨日は若干残業気味で今日は1日倦怠感があった。9時半すぎに大学について、金曜の人口学セミナーの文献をまとめる。一通り目処がついたところで、統計学の授業で使うデータを考える。授業に出て、プロセミナーに出席。その場で、同期に承認?してもらってcohort representativeをすることになった。名前の割に仕事は大変そうじゃないし、他のコーホートと1年生の橋渡し役ができるなら、やりがいはあるかなと思って手を挙げてみた。学部の内実についてももっとよくわかると思う。

セミナー終了後、研究室に戻って形式人口学の課題を進める。疲れたので8時すぎに帰宅することに。

今週の予定
×統計学の授業で使用するデータを決めて課題として提出(木曜まで)
・統計学の授業の復習
・指導教員との共同研究を進める(できれば金曜目処)
・地熱(ハイブリッドモデル)の分析を進める(週末目処)
・返信が遅れているメールを返す
・婚前妊娠論文の改稿(水曜まで)
・人口学セミナーの文献まとめ(金曜まで)
・学生メンターとのミーティング(水曜)
・ポスドクの人とのミーティング(水曜、傾向スコアについて)
・人口学セミナーのレポートのテーマを決める(できれば金曜)
・学振の廃業届を出す(できれば早く)
・形式人口学の宿題
・形式人口学のレポート
・形式人口学の宿題の採点結果について質問(水曜)

人口学セミナー第4回文献レビュー(出生)

Notestein F. 1945. Population–The Long View. In Food for the World, ed. TW Schultz, pp. 36-57. Chicago: University of Chicago Press.

人口転換について論じた最初期の研究とされる論文。著者はこれまで人口の増加が独立変数として用いられることはあったが、同様に人口増加は従属変数、つまり何かしらの要因に影響を受けて変わりうるものであると論じる。

平均寿命は(当時)65歳に近づきつつあり、これから子どもを産む親たちのストックも決定している。したがって、人口増加には予測可能な要素が多くあるとする。こうした予測をあまり真剣に捉えすぎることは危険だとしつつも、著者は過去の人口変動、および将来的な展望について議論する。

世界各地の人口変動から、以下のような特徴がわかる。まず、人口成長は死亡率の減少の後に生じている。前回の授業で扱ったように死亡の減少を説明する要因には議論があるが、産業化や公衆衛生の進歩などがあげられる。こうした社会の近代化に対して、当初の出生の反応は鈍かった。このギャップの理由として、著者は死亡率が高い社会ではできるだけ多くの出生をすることが制度的にも目指されるが、死亡率が減少していく期間においてこれらの制度の変化が追いつかないためであるとされる。出生率の減少の過程では、人口をコントロールすることに成功することが条件であるとする。具体的には避妊の方法が広がることが重要であるが、著者は避妊の方法自体は出生転換以前から知られていたため、鍵になるのは人々における理想とする家族の規模が変わることであるとする。理想とする家族規模の減少を生じさせるのは個人主義の伸長や都市化であるとする。言い換えると、出生転換の過程で、社会における目標が手段の生存から個人の幸福や成長に移ったことが家族規模の縮小に寄与しているとする。

このようにまとめた上で、著者は世界における出生転換の3段階を提唱する。まず、incipient declineは出生率が人口置換水準を下回り始めた先進国に該当し、出生転換を終えているとする。次に、まだ出生と死亡の水準が高く人口は増加しているが、出生率が減少しつつある段階にある日本やソ連などの国はtranstional growthの段階にある。最後に、まだ出生の減少に至っていない国はhigh growth potentialに該当するとする。推計の結果、2000年には世界の人口は30億人になっていると予想されている。

Coale A. 1973. The Demographic Transition Reconsidered. Pg. 53-72 in The Proceedings of the International Population Conference, Liege, Belgium.

序盤にNotestein(1954)が引用され、大まかには出生転換の条件としてNotestein(1945)と同様に、子どもを育てる費用の上昇や、子どもによる経済的な貢献度合いが少なくなることによって、理想とする家族の規模が縮小することが述べられる。
議論に入る前に、著者は以下の出生関数を定義する。

If=Im*Ig+(1-Im)*Ih

Ifは子どもを出産する年齢にある女性の全出生力であり、Igが現在結婚している女性の出生、lhが結婚していない人の出生である。Imは結婚している人の割合となる。婚外出生が無視できるとすれば、

If=Im*Ig

として定義できる。それぞれのindexは0から1をとり、1の場合は記録上もっとも出生力が高い事例にある(結婚しているフッター派,Hutteritesの女性らしく、8.6だという)。ただし、フッター派の集団においてもImが0.7(7割の女性しか結婚していなかった)ので、Ifは0.7程度になる。そのため、Ifが1というのは生物学的に可能であるが、実際には存在しない値となる。筆者によれば人口転換が起こる前における出生力には地域差が非常に大きい。それは、出産可能年齢における女性の結婚割合の違いに起因するらしく、西ヨーロッパでは初婚年齢が高く、独身でいる人の割合も高かったが、アジアやアフリカにおいては初婚年齢が低く、生涯未婚率も低かったという。たとえば、Imの値の最大値は1930年の韓国(0,91)である一方、最低は1900年のアイルランド(0.33)であるという。

結婚割合の地域差もあるが、結婚している人における出生にも地域差がある。この議論の際に、著者はHenryによるnatural fertilityとcontrolled fertilityの区分が有用だとする。前者は、カップルがその時点の子ども数に応じて出生行動を変えないとするモデルで、後者はカップルが子どもの数を自発的に制限するモデルである。このモデルを応用すると、前近代社会ではほぼ全てがnetural fertilityであった、つまり社会レベルでは禁忌などで子ども数を制限することがあったかもしれないが、個人レベルで制限することはなかった一方で、避妊法が用いられるようになって以降、徐々にcontrolled fertilityに移行していったという。

Notesteinの議論では死亡は出生の減少に先んじるとされてきたが、Coaleは必ずしもこの法則は当てはまらないとする。さらに、Notesteinは避妊の方法よりも、個人の態度の変化の方が重要であるとしていたが、Coaleはこれについても、アメリカにおいて意図せざる妊娠が1960年代においても高かったこと、ラテンアメリカ諸国では出生を避けるためにself inducedで原始的な避妊方法を使っていた事例があるとし、態度と同じくらい技術の変化も重要であるとする。

以上の議論に基づいて、著者はmarital fertilityの減少に必要な3つの条件を提示する。その条件とは
1.出生が意識的な選択の計算に基づいて行われること。カップルは子どもを産む際のメリットとデメリットを計算することが必要。
2.出生の減少が有利な条件をもたらすこと。これは認知される社会経済的な状況によって決定される。
3.出生を減少させる方法が利用可能であること。

Hirschman C. 1994. Why fertility changes. Annual Review of Sociology 20:203-233.

レビュー論文なので、ベーシックなところは端折って、面白かったところをまとめる。

The Focus on the Emergence of Birth Control (pp.206-208)

出生転換に関する議論は、婚姻内における出生の意図的な調整に注目してきたが、著者によればこの注目はあまりに狭すぎるという。Henry(1961)はnatural fertilityをparity specificなコントロールがない出生の状態と定義したが、この概念が普及したことで、既存のデータから出生の意図的制限があったかを間接的に調べる方法が発達する。しかし、natural fertilityからcontrolled fertilityへの以降に焦点を当てすぎることの問題点が指摘されており、具体的には間接的な推定結果の信頼性、および出生に影響を与えるマクロな影響が重要なのであって、中間に位置する意図という変数に着目する必要はないのではないかというものである。この区分のもう一つのジレンマは、転換前の社会において有配偶出生をどのように規制するかが知られていないことが必要になる点である。研究によって、実際にはこのような二項対立的な図式は誤解を招くことが指摘されている。

Theories and Models of Fertility Change

Thompsonから始まる人口転換の理論では、社会経済的なマクロな勢力が低出生をどのように導いたのかに関心が寄せられる。Notesteinの議論では多岐にわたるが、概ね経済発展や都市化に伴って家族規模を維持することへのプレッシャーが高くなる、あるいは子どもを育てるコストが増す、女性の社会進出によって子どもを育てることとの間に摩擦が生じるといった議論があげられている。

この人口転換理論に貢献を果たしたとされるのがDavis(1963)とCoale(1973)である。前者は世帯のサイズと潜在的な経済資源の関数によって表現される経済的緊張の度合いによって出生が抑制されることを唱えているが、経験的な知見の結果は混濁としている。その理由の一つとして経済的緊張を同定することの問題にある。経済的緊張の変化とは独立に社会経済的な変化によって出生へのモチベーションが左右されることがあるからである。Coaleがあげた近接要因仮説は、初期の理論が掲げた社会経済的環境の変化には言及しておらず、著者によれば先行研究を否定することなく人口転換理論の傘の下に置かれることになったという。

標準的な人口転換理論はほぼ否定されている。プリンストンヨーロッパ出生プロジェクトに分析結果から、様々な経済的発展にある国々がほぼ同時期に出生率の減少が始まったことがわかったためである。その後、人口転換理論に変わって複数の対抗仮説が提出されるようになる。

Szreter, Simon. 1993. The Idea of Demographic Transition and the Study of Fertility: ACritical Intellectual History. Population and Development Review 19(4):659-701.

人口学の近年の歴史における制度的な役割と出生転換理論の関係について論じた論文。出生転換理論は二度生まれている。一度目は、1929年にThompsonがAJSに寄稿した論文において展開された。しかし、この時の出生転換理論はほとんど注目を集めなかった。当時のアメリカにおける人口学的な関心は優生学や進化学の観点から社会階級によって出生力がどれだけ異なるかにあった。しかし、Notesteinをはじめとするプリンストンの人口学者たちが戦後になって提唱した出生転換の理論は、多くの注目を集めた。

筆者は、この変化について三つの理由を挙げている。一つ目の制度的な文脈の変化については、ニューディールの成功の後に、政府が経済や社会計画として政策的な介入を行うことが受け入れられるようになった。さらに、学術的には戦間期に新古典派経済学とケインズ派経済学の統合が図られ、ケインジアンから人口構造の変化がもたらす経済的な帰結について注目が集まっていた。さらに、政治的な文脈も転換理論の注目を促した。アメリカでは第二次大戦の期間に、将来的な世界の安全と平和を維持するために、超国家的な管理組織(UNやIMF)、及び、旧植民地国の悪弊を民主化・経済自由化によって取り除こうとする考えが台頭する。人口転換の理論は特に第二の脱植民地化の文脈で応用されることになる。すなわち、経済発展にともなって人口増加から人口減少に転じるという進化論的なモデルを簡潔に提示した転換理論は、旧植民地国と先進諸国を関連づけることに成功し、歴史的な発展モデルを示すことになったためである。この文脈において、日本は欧米諸国の中で出生率の減少を示した事例として、民主化・産業化と人口転換の関係を一般化する際に重宝された。

Notesteinの人口転換理論では、広範な経済成長や、社会・文化的制度の近代化が長いスパンで人口転換をもたらすと考えられていた。しかし、Notesteinは1950年代になって政府の家族計画を推奨する立場をとるようになる。以前の人口転換理論では、こうしたある種付け焼き刃的な対策は人口転換をもたらすことはないと考えられていた。避妊方法を推奨したところで、社会的な基盤が変わらなければ避妊は進まないと考えたからである。だとすればなぜ、Notesteinたちは家族計画を推奨する立場に回ったのだろうか。筆者によれば、Notesteinは当初は出生の変化を従属変数としてしか捉えていなかったが、徐々に社会経済的な状況とは独立して変化する変数としてみなすようになっていった点が挙げられている。

この変化の要因を、著者は国際情勢の変化と重ね合わせている。具体的には、国共内戦によって中国に共産主義体制が成立したことが、西側諸国に対して大きな衝撃を与えた。農業労働者の多い社会において経済成長が見込まれないことは、共産主義化を生み出す要因として考えられる。その中で、プリンストンの人口研究所をサポートした財団や政府機関は、国際関係における人口的な影響を明らかにするよう要請するようになる。Notesteinをはじめとする人口学者たちは、次第に人口転換が経済成長の結果生じるという考えから、人口転換によって経済成長や政治の民主化がもたらされる可能性を検討するようになる。その一つの結果が、Notesteinらがインドをはじめとする途上国における家族計画を推進した背景であるとする。

Hodgson, D. 1988. Orthodoxy and revisionism in American demography. Population and Development Review 14(4): 541-569.

Mason, Karen Oppenheim. 1997. Explaining Fertility Transitions. Demography 34:443-454.

冒頭でHirschmanの議論を紹介しており、出生転換のみに関心をもつために、それ以外の人口の変化を人口学が軽視してきたことを論じている。とはいえ、出生転換は人口学者にとってthe daily meat and breadであったことも事実であるとし、今もう一度、何が出生の転換を促すかを再考しようとしている。

著者ははじめに出生転換に関する6つの理論とそれらに対する批判を紹介する。次に、出生転換の議論における4つの根本問題を指摘する。最後に、著者は認知的、相互作用的なアプローチを紹介する。

6つの理論として筆者が最初にあげるのは、Notesteinの産業化・都市化によって死亡が減少し、死亡が減少することによって、家族規模を維持するために高い出生を保つ動機が弱くなるとする理論である。この理論では、都市化によって子どもを育てる費用が高くなることも出生の減少につながるとする。二つ目の理論はLesthaegheらによる、経済的な近代化によって個人主義や自己実現欲求が高まったとする理論である。三つ目はCaldwellによるwealth flowsの理論で、高い出生の国では子どもが資源の移転を行うが、低出生の国では親が子どもに対して資源を転化することに着目したものである。四つ目は新古典派経済学による理論で、子どもを持つことの機会費用に着目する。五つ目はEasterlinによる理論で、これも、出生を制限することのコストに着目している。六つ目はClealandによるideationalな理論で、出産制限に関する情報とその拡散のタイミングが出生転換の鍵であるとする。

これらの理論は、ある地域では当てはまりがよい一方で、他の地域では当てはまらないといった批判や、経済学的なモデルについては、これまでの人口転換理論が考慮してきた制度的な要因を考慮していないことが批判されているという。

このようにまとめた上で、著者は、四つの根本問題を指摘する。

1.全ての転換が同じ原因を持っているという想定
Masonによれば、この想定は以下の三点で間違っているという。第一に、たとえ出生に対する重要な影響であったとしても、それは一部の地域や時間でしか観察されていないという点。第二に、構造的な変化がなくとも、出生に関する情報や知識の拡散がますます出生転換に影響を与えるという知見が出ている点。第三に、転換前の人口における人口学的・社会的なばらつきの大きさのために、理論の当てはまりにも違いが見られるという点。

2.出生減少の前段階としての死亡の減少を無視していること
Clelandの理論を除きこれらの理論は死亡の減少を出生の減少のための必要条件として考えていない。しかし、平均余命が増加することで、家族規模は増大する。そのため、子どもを持つ親にとっては、平均余命の増加は経済的なストレスになり、このストレスは家族サイズを縮小する誘因となると考えられるという。

3.出生の規制が転換前後で全く異なるという想定
この想定は、natural fertilityとcontrolled fertilityの概念の誤用によって生じているという。具体的には、前者は出生力が社会レベルで規制されているが、個人のparity levelでは規制されていない状況を指し、後者は出産抑制のために意図的な避妊などが行われた時に出生を指す。ここで、重要なのは、個人がparityに関連しないところで行うコントロール、具体的には出産間隔を延長するためのspacingなどは両者にも属さない。したがって、前者のような出生が多い社会においても、個人の合理的な意思は働いている。しかし、あまりに社会レベルの規制を強調してしまったがために、出生の規制が転換前では社会によって規制され、転換後には個人によって規制されるという理解が生まれてしまった。実際には、出生の規制における個人と社会は共存しているという。

4.10年単位の時間軸への注目
10年単位(decadal scale)それ自体がダメというよりは、あまりに時間軸を短く設定してしまって、その近接要因を指摘する研究は、直前のイベントにすぐ反応して人口変動が生じるという想定をしている点を批判している。つまり、人口転換(特に出生の場合?)時間的にしばらく前のイベントが後になって影響を及ぼす可能性を捨象してしまうことを批判している。引用すると、

By choosing a decadal time scale and using a regression-type framework for testing the theory, the project implicitly assumed that the effects of economic modernization on fertility would be felt immediately, regardless of other conditions. As discussed earlier for the case of mortality decline, however, there is every reason to expect loose temporal connections between the structural or ideological changes that may underlie fertility transitions and the onset of these transitions. (Mason 1997: 449)

Bongaarts, J., Watkins, S.C. 1996. Social Interactions and Contemporary Fertility Transitions. Population and Development Review 22:639-683.

9月24日

6時半起床、7時過ぎから軽くジョグ。朝食と昼食を作り大学へ。9時半から形式人口学の授業。宿題の採点結果がきたが、3.75/4で若干ショック。換算すると93.75%なので、このペースならAは取れるけど、どこかでつまづく可能性もあるので次は満点を狙いたい。先生の授業はわかりやすい。特に不満もないが、個人的な事情としては、自分が数年間研究をフォローしてきて、一番憧れている人の一人であるので、そういう人から(その人の専門とは直接関係のない、でも具体例でしばしば彼女の研究に関連する事例が登場するので気が逸れてしまう)授業を受けるのは、若干変な気分になることも事実。余計なことを色々と考えてしまう。例えば、このレベルの授業なら他にも教えられる人いるだろうし、本当は学生に教える時間に替えて研究したいんじゃないかな、その方が彼女の新しい研究を待ってる自分にとってもいいわな、みたいな。おおよそ、授業とは無関係のことである。

終了後昼食を食べ、統計学のラボセッション。終了後、形式人口学の課題を二つ済ませ(解答だけ、解釈は書いていない)。休憩した後、人口学セミナーの授業前に投げる質問を終わらせて帰宅。家に本が二冊届いていたので軽く目を通して、晩酌。

今週の予定
・統計学の授業で使用するデータを決めて課題として提出(木曜まで)
・統計学の授業の復習
・指導教員との共同研究を進める(できれば金曜目処)
・地熱(ハイブリッドモデル)の分析を進める(週末目処)
・返信が遅れているメールを返す
・婚前妊娠論文の改稿(水曜まで)
・人口学セミナーの文献まとめ(金曜まで)
・学生メンターとのミーティング(水曜)
・ポスドクの人とのミーティング(水曜、傾向スコアについて)
・人口学セミナーのレポートのテーマを決める(できれば金曜)
・学振の廃業届を出す(できれば早く)

September 23, 2018

ソーシャルな休日

オフィスは7時半。そろそろ出る。今月の初め頃は7時半くらいに暗くなっていたが、今週は7時15分前後には暗くなってしまう。

休日は特に予定もなく課題をこなす予定だったが、土曜の朝に起きたら全くやる気が起きない。別に今日に限ったことではなく、金曜日の人口学セミナーが終わったら週末は脱力してしまって研究も何もかも忘れたくなるのだった。

ずっとベットで寝ていたいなと思いつつ、一念発起して郊外にあるショッピングモールに出かけてきた。勉強以外のto do listとして、「服を買う」というものがあったからだ。秋用の服をいくつか買って、帰り際にスーパーに寄ってみたら、中華デリが美味しそうで、実際に食べてみると予想以上のできだった。今度から、モールに来るときは朝食抜きでもいいかもしれない。カツカレーを食べたい欲は打ち消された。

買い物を終わらせ、1時から予定もないので、半ば仕方なくオフィスで作業。人口学の文献を読んだりしていたが、向かいに座っている3年生に「今日のポットラック行く?」と言われて、そういえばそんなのあったなと思い出す。ポットラックはポットラックだが、日本語にするとすれば食材持ち寄りの宅飲み、といったところだろうか。3年生の別の人が毎年back to school potluckを開いてくれている。私も誘いをもらっていたが、参加者の多くが女性で若干いづらいかなと思ったのと(東京にいた時は男性ばかりの飲み会に行きにくいと思った人もいたのかなと、当事者になってみて考えることの多い最近)、あとはアルファベット順に食べ物、飲み物、デザート担当と分けられたのだが、私はデザート担当だったので、デザートなんて作れまいと考え諦めていた(しかし一緒に行った3年生によると、実際には自分で作ってこなくてもいいだろうとのこと)ので、返事は曖昧にしていた。とはいえ、誘われたのでせっかくなのでいってみることに。いつも通り、まだ英語には不自由さを感じるし、騒がしい場所になると何を言ってるのかわからないことも多い。それでも、だいぶ聞き取れるようにはなったかなと思うし、やはり休日にほとんど英語を話さないでしまうと月曜にまた苦労するので、英語の訓練にはいい機会だった。社会学部の院生には結構多くあってきたが、この日も初めて合う人が多く、学部の規模の大きさに驚く。

帰り際にメッセンジャーを開くと、4年生でvisit dayの時に私を泊めてくれた人から、誕生日パーティーがあるから明日(明日!?)こない?といわれた。どうやら、誘うのを忘れていたらしい。部屋も大きくないので全員を呼べるわけではないのだが、といわれて、こちらもせっかくだし向かうことにした。とはいえ突然だったので、翌日の朝にスーパーで飲み物だけ買って、集合時間15分過ぎに向かう。しかし、案の定一番乗りだった(アメリカ)。前日のポットラックに比べると、彼女の学部外の友人もいて、それはそれで楽しかった。一方で、前日に引き続きまた未確認院生と遭遇したので、これは卒業するまでに全員と会うことは無理だろうなと考える。

パーティーを少し早く抜けて、議事堂近くのストリートで服とカタンを買って、オフィスに戻る。日曜のオフィスには誰もいないかと思っていたが、隣の同期がいた。彼女は毎日いる。途中休憩でオフィスのあるビルの隣の食堂でワッフルを食べながら、実家の家族と電話して仕事に戻る。地熱には身が入らなかったが、日本時代にやり残した残務を粛々と片付けていた。

月並みだが、両日とも息抜きの機会があり、これが休日たるべしと思った次第である。自分では計画力がなく、ダラダラ研究しているだけなので、誘いがあれば積極的に顔を出したいと思う。

September 21, 2018

UW-Madison Sociologyの歴史

日本だとウィスコンシンモデルで有名なSewellさんですが、UW-Madisonだと当時落ち目だった社会学を再生させた人としても知られています。

そうした弊学部の歴史について、ファカルティに長くいたMiddletonさんがまとめた本が、非常に勉強になりました。


この本によると、1929年から58年まで、社会学部は人類学とjoint departmentだったのですが、1940年代には機能不全に陥っていたらしいです。その理由が、C. Wright Millsと仲の悪かったことで知られるHoward Beckerが頻繁に同僚と仲違いを起こしていたからということ。結局、Rural sociologyから移籍して来たSewellが改革をして分離したと書かれています。

1958年に落ち目の社会学部の改革に専念したSewellさんは、政府から資金をとってこれる研究志向の強い若手を、Harvard、Berkeley、Chicago、Michiganの既知の教授の紹介で連れてくる戦略をとりました。例えば、著者(Middleton)が1967年にMichiganに行ってOtis D. Duncanと話した時、彼の学生で活きのよいのが4人いて、という話を聞いて、その4人全員を1968年から70年の間にマディソンに連れてきたっていうのだから驚きます。なお、その4人とはSweet, Hauser, Bumpass, Feathermanと、今ではみなさんビックネームの方ばかりです。Preston(1978, 未読)によると、(アメリカの)人口学研究には4つの伝統があり、順にPrinceton, Chicago-Berkeley, Penn-Brown, そしてMichigan-Wisconsinとなるらしく、その中でMichigan-Wisconsinは社会経済的なCompositionを強調するということで、人口学の幅を広げることに寄与したと考えられます。学派まではいかないと思いますが、伝統的にMichigan-Wisconsinのネットワークは強かったんですね。

一方で、こうした戦略は多くの利益をもたらしたが、old boy networkを通じた雇用はマイノリティの排除に繋がった側面もあるということで、昔の社会学部には白人男性が多かったようです。

Sewellさんは1946年、農村社会学部と社会学部のjoint appointmentでOklahoma A&MからUW-Madisonに移籍することになるのですが、その前に実質的な海軍の関連機関で統計解析の仕事についており、その関係で第二次大戦の敗戦から僅か10日しか経っていない東京に向かい、2000人以上の市民に対して、空襲の経験についてインタビューした調査に関わっていたという経験を知り、驚きました。ちなみに分析の結果は、計画的な大空襲は市民の士気を低めるよりも、ますますアメリカへの敵対心を高めることにつながったと報告書に書いているそうで、彼の意外な業績の一つかもしれません。

こうした学部の歴史以外についても、与太話も結構あり、以下の話などは面白かったです。

・Paul Allison(1976年卒)は、本当はColumbiaに行ってMertonの指導を受けたかったらしいのですが落ちて仕方なくUW-Madisonに来て、仮面浪人して翌年Columbiaに受かったはいいが今度はstipendが安くてNYで生活できないので蹴った。

・マルクス主義階級論のEric Wright先生、BerkeleyでPhDとった後マディソンに来たはいいものの、1987年にBerkeleyのvisiting profになってテニュアのオファーをもらってしまう。社会学部は当然retention packageを出すが、Wright先生はサラリーには何も言わず、批判社会学の基盤を維持するよう要請した。結果的に、講師のポジション1つ分を数年前にできた社会的正義に関する研究センターへの資金に充てることで、Wright先生はMadsionに残ることになった。彼がきた理由もユニークで、1970年代に新左翼社会学に関心を持った院生たちが、Wright先生がBerkeleyを卒業後すぐ雇うようファカルティに要請したらしいです。ちなみに、Wright先生をUW-Madisonが雇うよう要請したと思われる院生の一人がGøsta Esping-Andersen。なんと、一度も会ったことないのに新マルクス主義階級論の雑誌Kapitalistateに共著で論文書いてしまったということです。

渡米1ヶ月

更新が滞っていました。主たる要因は明らかで、PAA(アメリカ人口学会)のアブスト提出があったためです。昨年は2つ出しましたが(1つポスター、1つ落選)、今年は3つ出しました(正確には、presenter登録が2つ、第2著者としての報告が1つ)。arithmetic growthを仮定すると、来年は4つ出していることになります。

この一ヶ月、本当に密でした。普段の生活も含め、毎日が新しい出会い、発見ばかりなので、大学一年生に戻ったような気分です。なかなか振り返りの時間が取れないのですが、簡単にまとめます。

授業は2/3が人口学関連で、社会学は学んでないに等しいです。UW-Madisonにはエスノグラファーも多いですが、やはり計量が強い感じです。セミナーも充実していて、人口学トレーニングプログラムの一環で人口学研究所がやってるセミナーシリーズに出てますが、それ以外にも貧困研究所のセミナーに出ています。今年は前者のオーガナイザーがHealth関係の人なので、階層や不平等よりも、遺伝や健康に関わる報告が多く、後者の方が関心には近い感じです。

人口学の授業は、月曜日の人口学テクニック(形式人口学)、火曜の人口学研究所のセミナーシリーズ、水曜のトレーニングセミナー、それと金曜の論文購読のゼミに出ています。特に金曜日のセミナーは勉強になり、人口に対する考えが毎週刷新されていくのは小気味良いです。最初は、人口に関する理論を勉強するかと思っていたのですが(実際にマルサスなども勉強しますが)、重点はどちらかというと人口に対する批判的な視点を養うことにあります。具体的には、人口の定義(どう数えるのか)や、人口がどのように変化し、その背景にはどの要因が働いているかという議論がいかに政治的な文脈と距離が近いのかを学んでいるといった感じでしょうか。自分の研究の役に立つかと言われると微妙ですが、人口に対するクリティカルな視野を養成するという授業の目的はよくわかりますし、実際授業はよく練られていると思います。3回目までが終わった段階で、人口学的思考、マルサス、死亡(転換)について議論しましたが、来週は出生(転換)です。人口学セミナーのリーディングの量はそれほどでもないですが、これが2-3つになると(研究と両立するのは)辛いので、毎学期1個にしたいところです。その代わりその1個はちゃんとやりたいと思います。先週のマルサスが一番辛かったです。

とりあえず今年は必修をできるだけ済まして、来年からは社会階層論や因果推論の授業に出てみたいと考えています。他には、公共政策の比較福祉国家論、それとやはりアメリカの研究者の準拠点はアメリカなので、アメリカの家族に関するイントロの授業を取りたいなと考えています。社会学部、あるいはトレイニーになっている人口学研究所は特に教員と学生がコラボすることを勧める雰囲気を作ってくれているので、東大にいた時よりも教員との垣根は低く、共同研究も進めやすい感じがします。

授業も勉強になりますが、より「留学」しているなと感じるのは、プロセミナーや指導教員とのミーティングです。色々と不文律があるんだなと思います。なぜ不文律が不文律なのかというと、不文律であることによって何らかの利益を集団が得ている場合もありますが、人によって不文律に対するアプローチが異なる場合もあって、統一した見解が取れてないことも影響しているのかなと思います。

生活は中国人のルームメイトとコンドミニアムをシェアしながら住んでます。概ね快適ですが、外食は高く、気分転換に美味しいものを食べられないところは、日本が羨ましいです。1週間頑張ったご褒美が食べログ3.3水準なのに17ドルくらいするラーメンだったりします。

マディソンは二つの湖に面しているので、夏は自転車通学には最高ですが、さすがに冬は厳しいところです。バスの本数も多いわけではないので、交通には苦労するかもしれません。すでに寒くなってきたので、そろそろ冬支度もしないといけません。

英語ができなくて落ち込むこともありますが、概ね楽しんでいます。

September 17, 2018

ご冥福をお祈りします。

本当に気さくな方で、学会ではお世話になりました。

会津大学准教授を心肺停止で発見 漁港沖の海底で 大分
https://www.asahi.com/articles/ASL9K4K00L9KTPJB001.html

8月に開催された数理社会学会、会場は会津大学で、吉良さんは大会実行委員長でした。渡米との日程が合わず、参加が叶わなかったのが本当に、本当に残念です。

「またいつか、どこかで」と思っていたら、もう2度と会えなくなってしまうのかもしれない。わかっているつもりで日本を発ったつもりでした。ですが、たとえ今回の数理に行けなくても、吉良さんをはじめ、また次の機会に先生・先輩方には会えるだろうとも思っていました。

過ぎ去った時間を取り戻すことはできません。しかし、もし無理して学会に参加していれば、最後に吉良さんに会えたかもしれない。「その時」が来てしまったら、どうしたところで後悔してしまうでしょうが、最後に会うのが本当の「最後」になってしまうことがあるかもしれないと、今は心に刻みたいと思います。

改めて、本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りします。

2018年9月17日

打越文弥

September 9, 2018

9月7日:「ゼミ」が始まる

金曜日は、大学院セミナーのpopulation and societyから始まった。アリストテレスから始まり、ポーター本の国民国家形成とセンサスの歴史、最近の人口統計の用いられ方などを概観しました。来週はマルサス。先生はJHUのパブヘルで博士を取った若手の人で、授業はinclusive でよかったです。

その足で「ゼミ」に参加した。アメリカには日本の文系にあるような「ゼミ」は制度上存在しないのですが、今回、私のアドバイザーの先生が、学部のもう一人の先生(こちらも同類婚研究のトップランナーであり、一緒に研究したいなと思っている人)と一緒に、family and inequalityに関する「ゼミ」を開いてくれることになりました。なお、「ゼミ」というのはアドバイザーの先生の日本的な表現で、実際にはfamily inequality meetingと称しています。

メンバーは、先生2人に、今年から来ているポスドクの方2人(それぞれコーネルPhDとテルアビブ大PhD)、院生7人の11名で構成。関心は様々だけど、同類婚、親子関係、結婚、労働市場と家族の関係など、分野が近い人同士で集まって進捗報告をしたり、申請書のチェックをしたり、新しい論文や方法をフォローしたり、という感じになるらしい。頻度は月1回になる(この理由は、アメリカの研究大学院には学部や研究所が主催するセミナーが毎週開かれており、授業以外で議論する機会が多いため、通常のスケジュール以上に集まって議論する機会を設けることに対する忌避感があるかもしれないと思う)。日本のような文献購読にはならず、進捗報告の側面が強そう。とにかく、新しく所属するグループが増えたのは心強いです。



September 5, 2018

9月5日

今日は5時過ぎに起床したが、雨がすごかったので若干寝坊。それでも6時には起きて、朝ごはんを作って大学へ。7時半過ぎでも学部生らしき人は結構いる。寮が近いからかもしれない。

12時15分から学部のミーティング。と言っても学生は出る必要はないが、参加は自由というもの。新しいファカルティの先生の紹介や、新学期が始まるので、概要など。公開されている範囲だと、今年は忙しい。つまり3人新しいファカルティを雇う。分野は社会ゲノミクス、reproductive health, あとは韓国研究。

13時からは研究所の財務担当の人のところに行って、アシスタント業務のtimesheetの記入方法のレク。14時からはもう一つの研究所(CDHA)の第一回ミーティング。

18時からは大学近くの百貨店(Hildale)にて、ディナー。アメリカには制度上「ゼミ」は存在しないが、今学期から月に一回指導教員の先生ともう一人の先生で、Family and Inequalityというstudy meetingを開いてくれることになった。タイミングよく、このテーマに関して研究しているポスドクの人も二人来ていて、院生も合わせればゼミ的なサイズになる。金曜の第一回を前に、今日はコンパ的な催しだった。ファカルティの教員が2人、ポスドクが2人、残りは学生で11人(と学生のパートナー)。これから広く家族と不平等に関心を持つ11人で集まれると思うと、これからが楽しみ。


September 4, 2018

9月4日

新学期開始まであと1日。どたばたとしてきた。
8時半に大学について、事務作業。といっても、インターネットの支払いを済ませたり、大学が要求する学生保険に入ったり(2000ドルの支払い…)、あとはSSNに入る必要があるよというメールが来たけど、留学生オフィスからはI20が有効になってから30日以上たたないとダメと書いてあるので、その質問をしたり。まだしばらく先だけど、届けを出す最寄りのsocial security officeが意外と遠かった(研究室からバスで25分)。

PAA用のアブストを進め、午後2時半からCDEのオリエンテーションに参加。当初は自己紹介の他に今年のCDEの計画などが話されると聞いていたが、実際にはほとんどの時間はreplication crisisの話で、要するにプロジェクトをちゃんと管理して公開できるようにしようねという話で、Long先生の本が紹介された。

オリエンテーションの終了後、いつものテラスで懇親会。一旦研究室に戻ってちょっと作業して帰宅。

September 3, 2018

人口学セミナー第1回文献レビュー(population thinking)

人口と社会セミナー(Seminar in population and society)は、これまで学部との合併科目だったが、今年からSOC971として大学院生限定の授業になった。リーディングにどこまで影響したのかはわからないが、第1回目は人口学の起源、及びその思考法に関するものがアサインされた。順に見ていく。

Kreager, Philip. (2008). Aristotle and Open Population Thinking. Population and Development Review 34(4): 599-629.

Aristotleの政治学から"A State is made up of unlike parts."という一文を引用して始まるこの論文では、Aristotleの人口思想について現代人口学の関心と合わせながら概観している。キーになる概念はopen population thinkingである。現代人口学においては、国家内の閉鎖的人口における出生と死亡に関心を寄せているが、これと比べた時のAristotleの人口思想の特徴は(1)membership(共同体によって生じる下位集団の差異)の強調、及び(2)共同体は可変的なため下位集団もdiscreteではない、という考えにまとめることができる。

(1)については、冒頭の引用にあるように、Aristotleは国家は異なる部分(unlike parts)の関係性からなると考えていることが念頭にある。unlike partsは言い換えるとsubpopulation(下位集団)になるが、下位集団間の紐帯が維持されることが国家にとっては肝要であるため、集団間、特に境界を接している集団間に格差がどれほどあるのが重要になる。

ここでAristotleが考えるinequaltiyには地位や権力、あるいは富の分布といった要素と、
集団内の階層性を決定するものと、市民とそれ以外の集団を区別する集団間に見られる階層性の二つが想定されている。

こうした集団間の不平等は、現代においては移民や難民に対する権利の付与といった文脈と似ている。しかし、筆者は19世紀以降の人口学はこうした要素を見落としてきたとする。具体的には、国民国家体制が成立する中で、国家における人口は自国民のことを指すと考えられるようになったからである。言い換えると、Aristotleが強調したようなunlike partsよりも権利を等しくする市民というlike partsに関心が向くようになった。そして、次第にpolitical arithmeticが関心を持っていた集団間の異質性については関心が薄れるようになる。もっとも、こうした閉鎖的な人口という仮定を置くことで、生命表などの分析手法がセンサスデータにも応用できるようになるといった発展もあった。

こうした国民国家体制と結びついた閉鎖的人口に対する考え方とは異なり、Aristotleの人口思想は(2)のような開放的人口思想と呼ぶことができる。まず、Aristotleは領域や人口が固定的であるとは考えなかった。国家は集団間の関係性からなっており、集団間のバランスが変わることはあり得る。人々を特徴づけるのは属性(attibutes)ではなく、どの集団(共同体)に属しているかという関係性に帰着しているため、下位集団の定義も可変的になりうる。

また、Aristotleにとってはセンサスでわかる数字は関心を呼ぶものではなかった。なぜならば、同じ出生をとってみても、それが役割や貢献の異なる市民の出生なのか、移民の出生なのかによって大きく意味が異なっており、比較することができないからである(これをincommensurabilityと呼ぶらしい)。

もっとも、ある集団内において、一人の人間はもう一人の人間と「量的には(numerically)」等しい。例えば、ともに市民である夫婦は、量的には等しい個人である。しかし、Aristotleは同じ市民でも男性は生まれつき知的であり、政治に向いていると考える。性質の異動から生じる(不)平等をAristotleは「比例的(proportional)」なものとしてみなした。

こうしたAristotleの二つの平等概念は、その社会において望ましいと考えられる政治体制とも関係する。もし、比例的な平等概念が優勢の場合、寡頭政治が支持される一方で、量的な平等概念が支持されれば、民主制が生じる。

なお、ギリシャにおける共約不可能性については以下が参考になった(https://www.learner.org/courses/mathilluminated/units/3/textbook/03.php)

人口学的な関心に引きつけて考えると、Aristotleの考えの特徴は人口の構成によって政治体制が変わるという考えよりも、これまでの人口学が重視してきた出生や死亡に対して関心を向けず、代わりに地位や権利、富の多寡が人口のサイズや構成、あるいはメンバーシップを規定すると考えている点にあるだろう。こうして集団間が関係づけられるにつれ、出生や死亡も定義される。すなわち、ある権利を持つ集団にとって適切な出生は、別の集団における出生とは異なる、という考えである。したがって、Aristotleの人口思想の特徴は、人口のサイズや構成の変化がマクロな要因によって影響を受けるのではなく、あくまで集団間の関係性によって規定されるというボトムアップな視点にあると思われる。

Porter, Theodore. (1986) “Statistics as a Social Science” Chapter 1 in The Rise of Statistical Thinking. Princeton University Press. 

日本語の翻訳もある、ポーター氏の統計学史に関する著書の第1章。

社会的な数字(social numbers)が自然哲学の精神のもとで検討され始めたのは、John Grauntが政治算術(political arithmetic)の概念を発明した時に遡る。政治算術を用いる人の中にあった暗黙の信念は、国家の富や強靭さは国民の数と性格によるというものだった(pp.18-19)。

こうした考えのもと、人口のサイズやその成長について、多くの議論がなされるようになる。しかし、当時は正確な統計もなかったため、マルサスが登場するまでは人口成長の社会的・政治的な要因について論争が続いたという。あるいは、人口を規程すると考えられた要因が意識されるようになると、慣習や信念(飲酒や乱交)などが批判の的に立たされるようにもなる。例えば、都市では出生よりも死亡が多く、その要因は都市における怠惰や奢侈、あるいは腐敗などに帰されるようになる。また、Sussmilchのように人口増加を神から与えられた使命であると考える神学的な立場もでてきた。さらに、政治算術の研究者たちは政府に人口を把握することを求めるがあまり、中央集権的で官僚主義的な政治体制を支持することにもなる。Porterは、大陸における政治算術は啓蒙主義における科学的な野心の子孫であると同時に、啓蒙された専制政治(enlightend despotism)の子孫でもあったと指摘する(p.23)。

19世紀初めのフランスやイギリスでは、政治算術という用語は統計学(statistics)にとってかわれるようになる。政治算術から統計学への用語の変化は概念の変化も伴っており、具体的には、統計学によって人口が計算されるようになると、次第に国民同士が平等であるという考えが広まった。加えて、その数字自体が意味を持つようになり、政治的な統制からは独立したものと考えられるようにもなる。このように統計学的な洞察は、政治体制から独立したダイナミズムを持つ「社会」という存在を意識させることになり、官僚制に対して知識を与えた一方、これらの権力に対して制約があることも示唆するようになった(pp.26-27)。Porter氏はこの時代をthe "era of enthusiasm" in statisticsと呼んでいる。

統計学者は、そうした社会の実像を明らかにする能力を持った集団としてフランスやイギリスにおいて認識されるようになる。さらに、初期の統計学者たちは社会改良の手段としての統計学の有用性を主張しており、道徳統計学の起こりにも寄与していた。フランスでも公衆衛生を中心として逸脱的な行動を統制するために統計を用いようとする集団はいたが、Porterの記述はイギリスの事例に厚い。

フランスとは異なりイギリスでは統計協会(statistical society)が設立され、British Associatoion for the Advancement of Scienceの統計学部門は1833年にマルサスを中心として設立されている。さらに、マルサスらは翌年にもロンドンに現在のRoyal Statistical Societyの原型となるStatistical Society of Londonを設立している。これ以外にもマンチェスターをはじめとしてイギリス各地に20もの類似の組織が設立されていった(pp.30-32)。これらの組織に在籍した初期のメンバーは自然科学よりも、現実の社会問題に関心を持った集団であり、政治的な活動をすることも多かった。ただし、イギリスの統計学者たちの一部には、こうした動きには向かず、事実の報告のみをモットーとする考えをもつものもいた。ただし、Porterは彼らの立場を正当化する言明は、種々の問題について事実を明らかにしてしまうことは論争を招くことになり、ひいては統計協会自体を崩壊させてしまうことにもなりかねないとする点で、問題含みであったとする(pp.35-36)。

Krieger, Nancy. (2012) Who & What is a Population? Milbank Quarterly 90(4):634-681. 

Kriegerはパブリックヘルス研究の観点から、人口(population)が統計学的なターム以外にはほとんど定義されていないことを指摘する。その上で、誰がどのように、何を人口と定義するかが、population health研究にとって意義があることを述べる。

筆者は初めに、Oxford English Dictionaryと、それぞれの学術分野における辞書ごとに、人口がどのように定義されているかを確認する。OEDには、人口とはある特定の場所に住む人々、と定義されているほか、より技術的、すなわち統計学における集団全体(母集団)のことを指すしている。

公衆衛生や、社会学、疫学の辞書にも、このOEDと同じような定義が並べられている。これらの辞書では、人口自体が何かは曖昧にしか定義されず、専ら統計学におけるサンプリングとの関連で言及されていることを指摘する。

Kriegerは学術的な辞書においても人口が統計学との関連以外にはろくに定義されていないことに対して、驚きはないと述べる。なぜならば、「人口」と「サンプル」は当初は一緒くたに用いられてきた歴史があるためである。

18世紀初頭に計量的な手法と確率論の法則が人々に対する研究に用いられるようになった際、その特徴的なメタファーとして知られたのがQueteletによる平均人の発想である。Queteletの平均人の発想では、対象となる集団の平均値は、その集団の真の値を示すと理解された。及び、集団における値のばらつきは誤差としてみなされる。

ここで平均値が異なることは、集団間における本質的な特徴が異なることを示唆する。Quetelet自身よりも、萌芽期にあった社会科学を「客観的」とみなすプレッシャーの中で、Queteletの平均人のアイデアは、集団から個人に内在する本質的な特徴の差へと翻訳されてしまう。

しかし、20世紀初頭の疫学者たちによって、平均人のメタファーで理解された平均値=真の値、あるいは集団間の差異が個人に内在する性質に起因するものであるという理解が徐々に退けられていく。二つの流れが紹介されているが、いずれも集団における健康の分布を決定するのは個人の内在的な属性ではなく、集団間のインタラクションや、社会関係であるとするものである。

この流れの中で、疫学者のJeremy Morrisは疫学の分析単位は個人ではなく集団にあることを指摘した。もっとも、Morrisは人口(集団)のより良い定義のために、個人の特徴(property)のなかで、集団のメンバーシップを規定するものを理解する重要性を指摘している。しかし、冒頭に挙げた定義のようにMorrisの議論は黙殺されてしまったと筆者は指摘する。

こうした先行研究のうえで、Kriegerは集団を個人に内在する性質として物のようにしか見ない考えを排し、集団をrelationalな視点から捉え直す。ここで、Kriegerははっきりと「多数から構成される単なるランダムサンプルではない」集団として人口(population)を定義している。

このように議論した上で、Kriegerはパブリックヘルスにおける人口の特徴として以下の四つの関係性をあげる。

(1) genealogical - 生物学的な関係
(2) internal and economical - 個人の生活を維持するにあたって行われている日々の活動、世帯概念に近い
(3) external and ecological - 集団と環境との関係
(4) teleological - 分析上、何らかの目的を持って持ち込まれる定義(市民権など)。

これらの定義を紹介した後に、Kriegerは現実の人口集団を批判的に理解するために必要な四つの命題について述べる。

(1)明かなことを主張する。健康に関連する人口の特徴とそれらが生じる生成的な因果関係に対して洞察を与える平均の意味のありようは、どれだけ集団が内在する本質的あるいは非本質的な生成的関係との関連で人口が定義されるかによる。

(2)これら集団の本質的ないし非本質的な関係によって規定されたチャンスは、人々の健康や疾病の分布を規定する。

(3)科学的な正確性を改善し批判的思考を促進するために、分析に用いられた人々を“study participants”とする。それは必ずしも“study population”ではない。study participantsが意味ある人口である基準を満たしているかは別途説明されなければならない。

(4)以上より既存の知識で理解されているような内的妥当性と一般化可能性との亀裂は誤解を招く。研究対象(study participants)の意味ある選定は、その対象を含む現実の世界、すなわち意味ある集団、において経験されているかという関係から行わなければならないからである。

(3)-(4)についてKriegerは乳がんを予測するリスク要因(若年出産や若年の月経閉止など)を特定したイギリスの研究結果が、アメリカでも再現され、最新の統計手法を用いても支持された事例を引用する。これらはリスク要因の特定という意味では共通の見解をもたらしたが、イギリスでは社会階級の効果が見られなかった一方で、アメリカでは労働者階級において乳がんリスクが低いことがわかった。この差は、Kriegerによればイギリスのサンプルに労働者階級が多く、全体の人口を反映していなかったからだとされる。

この事例が示唆するのは、研究対象(survey participants)が一般的な人口を代表するランダムサンプルでなくとも、実際の社会において経験されている(分布を説明する)ばらつきを研究対象が(ある程度?)捉えていれば良いということである。

Aberg-Riger, Ariel. (2018) A Visual History of the U.S. Census.
https://www.citylab.com/equity/2018/06/a-brief-history-of-the-us-census/564110/

Johnson-Hanks, Jennifer. (2015) Populations are composed one event at a time. Population in the Human Sciences: Concepts, Models, Evidence. 238-253.

Xie, Yu. (2000) Demography: Past, present, and future. Journal of the American Statistical Association 95(450): 670-673.

Hauser and Duncan (1959)における人口学の定義を引用しつつ、その射程やこれまでの研究の知見をまとめている。Hauser and Duncan (1959)によると、人口学は以下のように定義される。

"the study of the size, territorial distribution, and components of population, changes therein, and the components of such changes."

ここで、前半部分、すなわち人口のサイズや分布について検討するのが、Xieによれば形式人口学(formal demography)であり、後半部分、すなわち人口の構成やその変化について検討するのが人口研究(population studies)であるとする。両者には、用いるデータや手法についても差がある。簡潔にまとめると、Xieは以下のような対比をしている。

形式人口学(formal demography)人口研究(population studies)
起源John Graunt, 1662Thomas Malthus, 1798
関心出生、死亡、年齢構造、人口の空間的分布他の学問分野からみて本質的な人口の構成や
その変化。定義から分野横断的になる。
手法数学的、生命表などの活用統計学的。関心によって様々。多変量解析。
データセンサスデータサンプリングデータ

さらに、components of populationとは、人口の異質性のことを指しており、Queteletの平均人(average man)に対比されるGaltonの人口学的思考、すなわち平均からの偏差(deviation)を誤差(error)として捨て去るのではなく、説明できなかった分散(variation)として扱うことを含意しているという。

Schweber, Libby. (2006) Disciplining Statistics: Demography and Vital Statistics in France and England 1830-1885. Duke University Press.

9月2-3日

今日はPAAペーパーの2つの準備。及び日本語の論文の加筆。
これから、同居論文についてメールを書き、再婚論文についても進めたい。

と思っていたが、帰宅後夕食を食べるとすぐ寝てしまった。3時半に起床して、作業開始。