Showing posts with label 研究構想. Show all posts
Showing posts with label 研究構想. Show all posts
August 24, 2012
今考えていること.
卒論を書くにあたっていくつかのクライテリアがある.
・社会学理論ではなく,仮説提示型の実証研究
・社会の公共性に関係するもの,具体的には社会的資源の不平等分配の問題とか
・単なる政策科学に終わらない研究,自分なりの社会学っぽい色を出したい.
・20年後に読んでもそれなりに面白いテーマ,要は近視眼的じゃないもの.
最後の基準に関して少し説明を加えると,現状分析→仮説提示→結論,政策提言という一連の論文を書いても,結語で書いたことが20年後に読んだとき,古くささしか感じないようなものは書きたくないということ.時代に拘束されるのは承知だが,誰がいつ読んでも面白いものを書きたい.
色々考えて,テーマを男女間の社会的資源の不平等問題,としている.
1986年の男女雇用機会均等法以来,日本も男女共同参画社会の名の下,男女の法的社会的な平等が担保されてきている.
もちろん,男女間の不均衡・不平等はまだ至る所に見られる,男性の大学進学率は未だに女性のそれより高いし,数は少なくなってきてはいるが,女性は短大という往々に女性らしさを強調された学歴トラックを歩みがちだ.これは,不均衡であって不平等ではないと思う.考え方にもよるが,進路は男女が自発的に選んでいると仮定すれば,底には不平等は生じない.望まない区別を不平等と考えている.
次は男女賃金の格差.これは不平等.男性の賃金を100とすると女性の賃金は70くらい.入社一年目から賃金格差があるところも少なくない.男女同一労働同一賃金の必要はいわずもがなだけど,賃金格差から何か書こうとも思えない.また,男性=総合職,女性=一般職の労働自体に違いがあるケースもあり,これはちと複雑.
次は家庭内における男女の格差.いっこうに増えない夫の家事労働時間は,主に男性の長時間労働が原因じゃないかと言われてきた.私もそう思う.そうであるが故に,労働市場の問題と結びつくが,これに関しては性別役割分業観の影響も少なくないと思う.
企業福利も減り,男性に安定的な雇用が提供されなくなった現在,女性が専業主婦として家で家事をしているのは,世帯としてみたときに大きなリスク要因になっているのは言うまでもない.同時に,企業の側も女性の消費意欲を喚起する,また純粋労働力として女性の就業を必要としている.以上から,女性の就業が勧められるのは時代の必然とも言える.それ自体に,私は特にどうも思わない.もちろん,男女が互いに対等な地位に立った上で労働市場にたてることが前提となっている.(本当に平等というのは不可能だろうけど)
こうして考えていくと,現在でも男女の目に見える不平等は至る所にあるんだろうなと感じる.ただ,観察可能な不平等に注目するのもいいけど,個人的には当の男性と女性がこうした現状をどう捉えているかの方に関心がある.
話をひっくり返すようだが,女性たちが現状に不満を持っていなければ,それはそれで一つの秩序として成り立っているんだからいいんじゃないかと思ったりする.フェミニストは,そうした規範,例えば専業主婦願望とか,それらは家父長制による男性支配の結果だとか一喝するんだろうが,少し反省的に考えると,女性の全員が全員そうした意見に感化されるのは考えにくい.専業主婦が夢の時代に生きてた人にとっちゃ,それが封建的な「家」から抜け出して愛する夫との情緒的な関係のもとに築かれた象徴だからだ.それは「家」からの自由である限り,本人にとって望ましいものだろうから,何も言えないと思う.
ただ,ことはそう簡単には運ばない,男性の家事育児不参加を不満に思う女性は多い,男性の長時間労働に関係の停滞を感じる女性は多い.あくまで,全体としてみたときに一定数いるという話なので,すぐこうすべきとは言えないのだが,言いたいことは現秩序の中に安住する人も入れば,不満を持つ人もいるということ,それは階層によっても,教育年数によっても異なるだろう.
つまり,人々の価値規範なんてものは非常に流動的で,時代時代で変わっていくものだろう.つい三十年前まで一億総中流なんてまことしやかな言説が社会的事実として流布したかと思えば,今はやれ格差社会だやれ貧困だと,時代がすっかり変わってしまった.人々の意識なんてものは,社会構造にも規定されるが,それ自体ふわふわ動いていくものくらいに考えた方がいいのだろうと思う.
人々が,自由を感じているか,公平感を感じているか,それは結構大事なことなんだろうと思う.財政が逼迫する中でばらまきの社会保障政策なんて不可能になった時代,ゼロサムゲームと似ている構図の中で,私たちは限りある社会的な資源を分け合っていかなくてはならない.要は再分配だが,結果として不満を持つ人がいるだろう.(生活保護バッシングを見ていると強く感じる)
資源が限られている以上,分け方が大切になってくる.どう分けたらちょうどいいかの一つの目安として,人々が不平不満を持たない均衡点を探すことは必要になってくると思う.
一応,その延長として,ジェンダーと結びつける感じで,先のテーマを選ぶことになった.男女の公平感は何によって規定されているか,それを若年層,結婚適齢期の層,子どもを育て終わった層にそれぞれ聞いたりアンケートとったりして,性別と年代によって,何が公平感を規定するか,一応その方向で行こうと思っている.
August 20, 2012
Introduction
何に使用するか分かりませんが,今自分が調べていることを導入の形で文章にしたものです.冗長に語りすぎる嫌いがあるのは問題.
社会保障制度を含めた公的な制度が「標準」として採用してきた「夫婦と子どもからなる世帯」は,高度成長期の日本にあっては,確かに「標準家族」としての意味を持っていた.85年に全世帯数のうち4割を占めていたこの「標準としての世帯」は,しかしながら,2005年には3割を切るようになる.代わりに増加したのが単身世帯だった.85年の段階で全世帯のうちわずか20%の割合しか占めていなかった単身世帯は,標準世帯が減少するのとは対照的に増加の一途をたどり,2005年には29.5%を記録した.(総務省:『国勢調査』)
このような世紀をまたぐ中で進行している家族の変化を,私は「個人化」もしくは「多様化」と呼ぶことにしたいが,一般的にはそのようなニュートラルな表現よりも,むしろ「家族の危機」などといったネガティブなイメージで家族の変化が語られてきたことは,家族社会学を中心に多くの論者が指摘してきたことである.(落合,1997;目黒,1999;山田,1994;上野,1990)例えば,落合(1997)は経済企画庁国民生活局(現内閣府)が発表してきた「国民生活白書」の社会指標として採用された「経済的安定」「勤労生活」「健康」など8つのうち,1975年以来,ほとんどの指標がプラス指標を記録する中で「家庭生活」のみが悪化の一途をたどったことが「マスコミや世間一般の家族危機感を煽った」と述べている.この指標に用いられたのは,少年非行率や離婚,家庭内暴力などで,これらが家族の機能の低下として語られた.このような機能低下の原因として「日本の家族が核家族化したこと,さらに家庭の中心となるべき主婦が就労のために家庭の外に出るようになったこと,などが議論されていた」という[1].(目黒,1999,2)こうした危機感は,1989年に合計特殊出生率が1.57を記録した「1.57ショック」によって広く共有されるとともに,来たる少子高齢化社会への不安を駆り立てることになる.
ここからは,家族の変化と同時に進行した女性の社会進出が家族の機能低下の原因とされ,否定的な評価が下されたということが分かる.上野(1990)に言わせれば「『核家族の働く母親』が攻撃のターゲットされた」事態において,家族の変化を「危機」として捉える考えは,フェミニズムを中心に,家父長制的規範の女性への適用として議論の遡上に挙げられる.男女の不平等の源泉を家事=不払い労働という物質的に求めたマルクス主義フェミニズムの代表的論者である上野千鶴子にしても,現象学的社会学から出発して日常的な相互作用の中にジェンダー秩序が生起していると論じた江原由美子にしても,以下の点でフェミニストとしての問題関心を共有している.すなわち,社会的な産物に過ぎないジェンダーによって,女性は男性から支配を受けるのであり,その解決を志向するという姿勢だ.ファミニズムからすれば,女性に妻として,母親として,家庭におけるケア役割を期待することは,直系家族に端を発する父権的家父長制秩序という前近代の産物を踏襲しているのであり,解体されねばならない.家族危機論の背後には,男性による女性の性支配の正当化が隠されているのであり,
しかし同時に,こうしたフェミニズムの考えは,「家族危機論」と同様の振れ幅を呈している.すなわち,赤川が指摘するように「フェミニズムは観察可能な男女の差異が存在するならば,そこには性支配が存在しているはずだ」という理論的前提を共有している.(赤川,2006,127-132)フェミニストではない側からすれば,家族危機論が「男は仕事,女は家庭」という男女の役割期待に基づいて,女性に家庭におけるケア役割を無垢に想定したのと同じように,フェミニストたちも「観察可能な男女差の陰には性支配が存在している」という構図を暗黙のうちに前提としているのだ.観察可能な男女の差異が性支配以外では説明できないという事態をもってはじめて,外部に説明可能な理論図式を提示できるこの論法は,フェミニズムが想定しているよりも,意外と脆いのかもしれない.
同時に,江原(2001)が反省的に述べるように,こうしたフェミニズムの論法は,既成の秩序の正当化に繋がりかねない危険性をはらんでいる.いくら社会的に形成されたものという意味でジェンダーという言葉を使おうとも,私たちが当該社会で採用されている男女の分類基準に基づいて議論を進める限り,「明らかにするべきこと(当該社会の男女の『性差』)を,予め作業の中に組み込む」ことになり,「その結果を公表することは,まさに当該社会のジェンダーを学問的に『正当化する』ような結果とならざるを得ない」のである.(江原,2001,3-7)
もちろん,このような当該社会で用いられている分類基準の採用が,その秩序の正当かにつながりかねない危険性は,他の領域でも確認できる.(例えば,貧困や民族など)ただ,フェミニズムは「解放の思想」として出発しているが故に,観察可能な男女の差異を普く家父長制による性支配に結びつけがちである.そのような議論の中では,先のような正当化リスクを抱えていることに反省的になりつつ,経験的なデータを提出していくという学問に真摯な姿勢が忘れ去られてしまう,特徴的な言説磁場を孕んでいるのではないのだろうか.
話が冗長になってしまった.私の問題関心は,そのような性支配の構造を明らかにすることではない.戦後の社会変動の一つの帰結として,冒頭に述べたような家族の変化が起り,それは今後の日本に少子高齢化の波の中で(人口学的な意味での)「危機」をもたらす可能性を多分に秘めている.その一方で,女性の高等教育進出や労働参加を通じての「男女共同参画社会」が曲がりなりにも宣言されているにもかかわらず,男女の観察可能な差異=不平等は存続している.社会の変化,家族の変化,男女の関係性の変化,その中でさえ,残り続ける不平等.さらにそうした不平等は,女性内部でも差がある.ここで提起されている問題は,階層論の視点である.私の問題関心は,家族の多様化,個人化の中における,階層性を帯びた女性のライフコースの変化にある.
August 18, 2012
どのような既婚女性が就業しているのか,という問題についての自分のスタンス
M字カーブという言葉は人口に膾炙しているだろうから説明する必要はないだろう.(主に日本において)女性が結婚後に仕事を退職する結果,女性の労働力率が子育て期間において相対的に減少することだ.
昔の女性労働力率の図を見るときれいなM字を描いていたが,現在は既婚女性でも就業することが多く,谷底が上に上がったようなグラフになっている.それでも,アングロサクソンや北欧の国に比べれば,子育て期間だけ労働力率が低い状況は続いている.
データを見て確認してみよう.
厚生労働省が発表している『平成22年版 働く女性の実情』のページから引っ張ってきたデータだ.(URLは参照文献に記載している.
赤線の平成22年と黒線の平成12年に絞って見ていきたい.
10年前に比べて,20代後半から30代前半にかけて女性の労働力率が上昇しているのが分かる.20代後半では約8ポイント,30代前半に至っては10ポイント近くも上昇している.やや古いデータを用いて分析した岩間(2008)は「このような女性の労働力率の伸びが晩婚化や未婚化をもたらすと同時に,晩婚化や未婚化の進展が女性の継続就業を促している」と述べている.
ここでのポイントは,M字カーブは依然として存在し,女性の就業に出産や子育てが影響してることは見て取れるものの,その状況は変化しつつあるということになる.
次の図は女性の労働力率を配偶関係との関連で分けてみたものだ.
こちらも先の厚労省のデータから拝借した.
これを見ると,先に注目した20代後半から30代前半の女性のうち,既婚女性が就業率上昇に寄与していることが分かる.未婚女性に関しては,10年前とほとんど差が見られない一方で,有配偶女性の労働力率は10年前に比べともに10ポイント近く上昇している.
それでも,30代後半になると平成22年も平成12年でも労働力率は上昇し,同じようなカーブを描くようになる.M字カーブ自体は,家庭でケア役割を担った女性が職場復帰することによって説明できるだろう.ちなみに,これの古いデータを分析した岩間(2008)の段階では,30代前半の女性の労働力率は10年で44.5%から47.4%に上昇するにとどまったことから,仕事を優先するのは20代のうちと言及してる.
これは既婚女性の話をしているので,未婚,晩婚の話というよりかは,理由はまだ分からないにせよ,既婚女性は20代後半から30代前半という子育てをすると思われる時期においても労働を選ぶようになってきたということになる.それは夫の収入が減少したからかもしれないし,もしかすると子どもを持たなくなったからかもしれない.下記の共働き世帯の増加は,バブル崩壊以後の男性の安定雇用の減少の中で稼得役割を担う女性が増加したことを思わせる*.
このように見ていくと,具体的にどのような女性が就業を選ぶようになったのかとう疑問がわいてくる(わいてほしい.
つまり,全体としてみたときに,未だにM字カーブは残っているのだが,子育て期にある有配偶女性の労働力率上昇にともなって底が浅くなくなってきている.共働き世帯の増加は,男性だけの就業では世帯収入を十分に確保できなくなった昨今の格差社会の事情が見て取れるが,実際のところどうなのだろう.岩間(2008)では,社会学が重要視する学歴や子ども数といった変数を用いることによって,この疑問に応えようとしている.「結婚と家族に関する国際比較調査」を用いて分析した簡単に彼女の識見を引用させていただくと,
・ジェンダーに基づく性別役割分業が根強い国では,ダグラス=有澤の第一法則,すなわち核となる収入を持つ世帯成員の年収が低い家計では,非核的な収入を持つ構成員の就業率が高くなる.この場合は,ブレッドウィナーたる男性の収入が低い世帯では女性の労働力率が高くなるということになる.
・分析の結果,夫の年収や家のローンは妻の就業確率に影響を与える.年収が高いと就業確率は抑えられるし,ローンがあると確率は高くなる.
・子ども数は就業確率に影響を与えないが,3歳以下の子どもの存在は確率減少に影響する.
→「既婚女性の就業行動は家族の経済的地位と家族要因の双方によって規定される」(120)
また,彼女自身が「興味深い知見」と述べるのは,「子ども数の及ぼす影響が年齢階層によって異なる点である」(122)
20代,30代では子ども数の多さが就業を抑制する一方で,50代では逆に,子ども数が多いほど就業が促進されているというのだ.前者では子育て,後者では専門的な教育を受けるようになった子どもの教育費や老後の貯蓄のために,子ども数が異なって影響すると述べながら「このような分析結果は,既婚女性の就業がライフ・コース上の主要な問題の課題のありよう——ケアなのか,教育費や老後の費用なのか——によって決定される実態を示している」とする.(122)
また,学歴はどの世代でも有意ではないようだ.この分析結果は,既婚女性の就業は子育てとの関係で決定されることが多く,女性は出産,子育てによってケア役割の遂行が期待されている日本の家父長制的な秩序を示唆しているとする.
個人的には,学歴が既婚女性の就業に影響しないというのが意外だった.
常々,自分はフェミニストではないと思っているし,言明しているが,せっかく自己実現を求めて高等教育に進んだ女性も,結婚すると,やれ子育てだ,やれ夫の転勤だで,学歴達成としての正規労働を棄ててしまう(そしてそれは,子育て後の再就業がほとんど非正規労働でもあるという意味でもある.)のは,果たして「男女共同参画社会」なのだろうか.
男女共同参画の英語表記は Gender Equalityである.ジェンダーによって社会経済的な差別を受けない社会を指すとすれば,今の日本がジェンダー平等かと言われると,様々な点でNOだろう.
ただ,高等教育を受けた女性が一律,就業し続けたいのかと言われると,それも違うだろう.恐らく「働く/働かない」「産む/産まない」の自由は互いに独立して選択されるはずだし,そうであるべきだと思う.(この社会が,本当に自由な社会ならば
私個人としては,「東大まで行って」専業主婦になる女性が,いくら経済的に不合理だろうと,構わない.個人の選択は,国の政策や市場の合理性に基づいて正当かどうか判断されるべきではない,個人の意志はそれらとは独立して尊重されるべきだと思っている.
問題は,そうした秩序に現在の日本はなっているかということ,ではない←
社会学をやっている身としては,秩序の妥当性云々を語りたいが,それそのものが難しい.
つまり,秩序という言葉には,一定の「望ましさ」が含まれている.先の言説に従えば,「男女が性別によって差別を受けずに,意思を尊重しあえるような社会」となろう.
秩序には望ましさが内包されている以上,政策的なインプリケーションは,価値判断を含まざるを得ない.
それはすなわち,そのような秩序はどのようにして決めればいいのか=秩序を決めるのは誰か,という問いを引き起こす.
ひとまず,誰がどのように秩序を決めればいいか,答えを出したとしよう,それでも次に待ち構えるのは,「そのような秩序の決め方を決めるのは誰か」であり,その次に来るのは「そのような秩序を決める決め方を決めるのは誰か」,その次は...と,無限のゲームが続くことになる.
赤川先生は,Weberの「職業としての学問」を引きながら似たようなことを述べ,客観性に担保された学問に身を投じるものといえども,そのような秩序問題にコミットすることは避けられないのだから,一定の信頼が置ける「客観的な」データを提供していく,そのような真摯な姿勢が肝要だと言う.私も全く賛成で,私自身フェミニストではないが,先のような秩序を望みながら,そしてそれを一つのモチベーションにして勉強している,その時点で客観的なのかと言われるとはなはだ疑問であるが,(とは言っても,疑問に思わないくらいには,自分の政治的なイデオロギーは薄いと思う)それでも,日本の現状を捉えることに真摯であること,これさえ満たしていれば,いろんな人に世話になりながら,金にならない勉強をし続けてもいいような気がする.間違っているだろうか.
*ここまで,女性がケア役割を担うとか,男性の安定雇用とか,本当は前提をおいた方がいい話をしているのだが,ブログという性格の都合上,日本の家族がどのような構造を持って推移してきたかという歴史的な説明は省略しているのでご配慮願いたい.
参照文献
岩間暁子,2008,『女性の就業と家族のゆくえ』,東京大学出版会 より第二章「女性の就業と福祉レジーム」及び第四章「どのような女性が働いているのか」
厚生労働省雇用均等,児童家庭局編,2011,『平成22年版 働く女性の実情』
URL: http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wp/index.htm
内閣府,2011,『男女共同参画白書 平成23年版』
URL: http://www.gender.go.jp/whitepaper/h23/zentai/index.html
昔の女性労働力率の図を見るときれいなM字を描いていたが,現在は既婚女性でも就業することが多く,谷底が上に上がったようなグラフになっている.それでも,アングロサクソンや北欧の国に比べれば,子育て期間だけ労働力率が低い状況は続いている.
データを見て確認してみよう.
厚生労働省が発表している『平成22年版 働く女性の実情』のページから引っ張ってきたデータだ.(URLは参照文献に記載している.
赤線の平成22年と黒線の平成12年に絞って見ていきたい.
10年前に比べて,20代後半から30代前半にかけて女性の労働力率が上昇しているのが分かる.20代後半では約8ポイント,30代前半に至っては10ポイント近くも上昇している.やや古いデータを用いて分析した岩間(2008)は「このような女性の労働力率の伸びが晩婚化や未婚化をもたらすと同時に,晩婚化や未婚化の進展が女性の継続就業を促している」と述べている.
ここでのポイントは,M字カーブは依然として存在し,女性の就業に出産や子育てが影響してることは見て取れるものの,その状況は変化しつつあるということになる.
次の図は女性の労働力率を配偶関係との関連で分けてみたものだ.
こちらも先の厚労省のデータから拝借した.
これを見ると,先に注目した20代後半から30代前半の女性のうち,既婚女性が就業率上昇に寄与していることが分かる.未婚女性に関しては,10年前とほとんど差が見られない一方で,有配偶女性の労働力率は10年前に比べともに10ポイント近く上昇している.
それでも,30代後半になると平成22年も平成12年でも労働力率は上昇し,同じようなカーブを描くようになる.M字カーブ自体は,家庭でケア役割を担った女性が職場復帰することによって説明できるだろう.ちなみに,これの古いデータを分析した岩間(2008)の段階では,30代前半の女性の労働力率は10年で44.5%から47.4%に上昇するにとどまったことから,仕事を優先するのは20代のうちと言及してる.
これは既婚女性の話をしているので,未婚,晩婚の話というよりかは,理由はまだ分からないにせよ,既婚女性は20代後半から30代前半という子育てをすると思われる時期においても労働を選ぶようになってきたということになる.それは夫の収入が減少したからかもしれないし,もしかすると子どもを持たなくなったからかもしれない.下記の共働き世帯の増加は,バブル崩壊以後の男性の安定雇用の減少の中で稼得役割を担う女性が増加したことを思わせる*.
このように見ていくと,具体的にどのような女性が就業を選ぶようになったのかとう疑問がわいてくる(わいてほしい.
つまり,全体としてみたときに,未だにM字カーブは残っているのだが,子育て期にある有配偶女性の労働力率上昇にともなって底が浅くなくなってきている.共働き世帯の増加は,男性だけの就業では世帯収入を十分に確保できなくなった昨今の格差社会の事情が見て取れるが,実際のところどうなのだろう.岩間(2008)では,社会学が重要視する学歴や子ども数といった変数を用いることによって,この疑問に応えようとしている.「結婚と家族に関する国際比較調査」を用いて分析した簡単に彼女の識見を引用させていただくと,
・ジェンダーに基づく性別役割分業が根強い国では,ダグラス=有澤の第一法則,すなわち核となる収入を持つ世帯成員の年収が低い家計では,非核的な収入を持つ構成員の就業率が高くなる.この場合は,ブレッドウィナーたる男性の収入が低い世帯では女性の労働力率が高くなるということになる.
・分析の結果,夫の年収や家のローンは妻の就業確率に影響を与える.年収が高いと就業確率は抑えられるし,ローンがあると確率は高くなる.
・子ども数は就業確率に影響を与えないが,3歳以下の子どもの存在は確率減少に影響する.
→「既婚女性の就業行動は家族の経済的地位と家族要因の双方によって規定される」(120)
また,彼女自身が「興味深い知見」と述べるのは,「子ども数の及ぼす影響が年齢階層によって異なる点である」(122)
20代,30代では子ども数の多さが就業を抑制する一方で,50代では逆に,子ども数が多いほど就業が促進されているというのだ.前者では子育て,後者では専門的な教育を受けるようになった子どもの教育費や老後の貯蓄のために,子ども数が異なって影響すると述べながら「このような分析結果は,既婚女性の就業がライフ・コース上の主要な問題の課題のありよう——ケアなのか,教育費や老後の費用なのか——によって決定される実態を示している」とする.(122)
また,学歴はどの世代でも有意ではないようだ.この分析結果は,既婚女性の就業は子育てとの関係で決定されることが多く,女性は出産,子育てによってケア役割の遂行が期待されている日本の家父長制的な秩序を示唆しているとする.
個人的には,学歴が既婚女性の就業に影響しないというのが意外だった.
常々,自分はフェミニストではないと思っているし,言明しているが,せっかく自己実現を求めて高等教育に進んだ女性も,結婚すると,やれ子育てだ,やれ夫の転勤だで,学歴達成としての正規労働を棄ててしまう(そしてそれは,子育て後の再就業がほとんど非正規労働でもあるという意味でもある.)のは,果たして「男女共同参画社会」なのだろうか.
男女共同参画の英語表記は Gender Equalityである.ジェンダーによって社会経済的な差別を受けない社会を指すとすれば,今の日本がジェンダー平等かと言われると,様々な点でNOだろう.
ただ,高等教育を受けた女性が一律,就業し続けたいのかと言われると,それも違うだろう.恐らく「働く/働かない」「産む/産まない」の自由は互いに独立して選択されるはずだし,そうであるべきだと思う.(この社会が,本当に自由な社会ならば
私個人としては,「東大まで行って」専業主婦になる女性が,いくら経済的に不合理だろうと,構わない.個人の選択は,国の政策や市場の合理性に基づいて正当かどうか判断されるべきではない,個人の意志はそれらとは独立して尊重されるべきだと思っている.
問題は,そうした秩序に現在の日本はなっているかということ,ではない←
社会学をやっている身としては,秩序の妥当性云々を語りたいが,それそのものが難しい.
つまり,秩序という言葉には,一定の「望ましさ」が含まれている.先の言説に従えば,「男女が性別によって差別を受けずに,意思を尊重しあえるような社会」となろう.
秩序には望ましさが内包されている以上,政策的なインプリケーションは,価値判断を含まざるを得ない.
それはすなわち,そのような秩序はどのようにして決めればいいのか=秩序を決めるのは誰か,という問いを引き起こす.
ひとまず,誰がどのように秩序を決めればいいか,答えを出したとしよう,それでも次に待ち構えるのは,「そのような秩序の決め方を決めるのは誰か」であり,その次に来るのは「そのような秩序を決める決め方を決めるのは誰か」,その次は...と,無限のゲームが続くことになる.
赤川先生は,Weberの「職業としての学問」を引きながら似たようなことを述べ,客観性に担保された学問に身を投じるものといえども,そのような秩序問題にコミットすることは避けられないのだから,一定の信頼が置ける「客観的な」データを提供していく,そのような真摯な姿勢が肝要だと言う.私も全く賛成で,私自身フェミニストではないが,先のような秩序を望みながら,そしてそれを一つのモチベーションにして勉強している,その時点で客観的なのかと言われるとはなはだ疑問であるが,(とは言っても,疑問に思わないくらいには,自分の政治的なイデオロギーは薄いと思う)それでも,日本の現状を捉えることに真摯であること,これさえ満たしていれば,いろんな人に世話になりながら,金にならない勉強をし続けてもいいような気がする.間違っているだろうか.
*ここまで,女性がケア役割を担うとか,男性の安定雇用とか,本当は前提をおいた方がいい話をしているのだが,ブログという性格の都合上,日本の家族がどのような構造を持って推移してきたかという歴史的な説明は省略しているのでご配慮願いたい.
参照文献
岩間暁子,2008,『女性の就業と家族のゆくえ』,東京大学出版会 より第二章「女性の就業と福祉レジーム」及び第四章「どのような女性が働いているのか」
厚生労働省雇用均等,児童家庭局編,2011,『平成22年版 働く女性の実情』
URL: http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wp/index.htm
内閣府,2011,『男女共同参画白書 平成23年版』
URL: http://www.gender.go.jp/whitepaper/h23/zentai/index.html