現在、私はアメリカのマサチューセッツ州にあるケンブリッジというところに住んでいます。ご存じの方も多いかもしれませんが、ケンブリッジはボストンから見てチャールズ川を挟み北側にある街で、ハーバード大学のキャンパスがあることで知られています。私も、ご縁があって去年の夏からハーバードで研究をさせてもらっています。
9月はじめのボストンの天気は晴れの日が多く、昼は夏に比べると日差しの強さも和らいできて、日陰に入ると心地よい風に秋の訪れを感じます。朝夜は少し寒いくらいです。日本では残暑、というよりまだ真夏の途中かもしれません。
ともあれ、最近はとても心地よい日々を過ごしているわけですが、わずか三ヶ月前は、9月に無事アメリカに滞在できるかも、気を揉む状況でした。
トランプ政権が学生ビザの面接を停止し、ソーシャルメディアチェックをするというニュースを見たのが5月28日です。そこから急いで申請手続きをしましたが、その時点で東京での面接は9月なかばまで一杯でした。仕方なく、その日に予約可能だったなかで最短の、9月17日に東京のアメリカ大使館でのビザ面接のアポを入れます。つまり、もしそのまま予約枠が見つからないままだったら、執筆時点で私はアメリカに戻れておらず、まだ面接を待つ状況にあったわけです。
それから数日間、空いた時間にやることといえば、ビザ予約のページをひたすらクリックし、突発的なキャンセルによって生じる予約枠を見つける作業でした。幸いなことに2日後の5月30日、7月1日のスポットを見つけて再予約しました(なお、当日は面接時間に都内の私大でセミナー発表の依頼を受けていたため、そちらの時間を後ろにずらしてもらうことになります)。
約2週間後に帰国をする予定だったため、そこから数日間は、帰国してすぐの6月なかばの予約枠が見つからないかと思って、予約ページを更新する作業をしばらく続けていたのですが、さすがに幸運は二度も起こらず、7月1日の面接で投了することにしました。なお、日本での面接は東京の米国大使館以外でも、札幌、大阪、沖縄の米国領事館でも受け付けていますが、領事館ではそもそもの面接枠が少なかったり、管轄が東京から移ったりして混乱を招くため、あまりおすすめはしません。
6月に入ると、トランプ政権がハーバードの新規留学生に対してビザを発給しないという、字面だけ見ると全く信じられないニュースが飛び交い始めました。その頃から、入国時に何かしらの干渉を受けることを懸念して、周りの留学生も夏休みに母国に一時帰国することは見送り、アメリカに残ることを考え始める人も出てきました。私はビザを更新するという必要もあり、日本に帰ることにしましたが、たとえビザを更新できたとしても、入国を拒否されたらどうしよう、という一抹の不安は、一時帰国のあいだ、常につきまとっていました。また、帰国時に夏からアメリカに留学する人と話す機会が何度かありましたが、面接の予約が9月以降でないと取れず、予定通り出国できるか不透明なケースを、複数みかけました。トランプ政権のビザ政策をめぐる混乱は、国境をまたいで存在していました。
そしていよいよ迎えた面接当日の7月1日。面接開始時間は1時45分でしたが、午後3時からセミナー発表の予定が入っていたため、余裕を持って1時間前に大使館に到着しました。6月にビザを更新した友人の話では、面接自体は数分で終わると伝えられていたので、1時間みておけば余裕を持って終わるだろうと踏んでいたのです。
にもかかわらず、大使館に着くと待っていたのは面接を待つ人の長蛇の列。恐らくですが、自分のように早めに面接を受けようと、同じ日でも私より遅い時間に予約が入っていた人が殺到していたのではないかと思います。あるいは、ビザの面接を中止していた影響で、再開後に通常より多くの枠を提供していたのかもしれません。
そういった事情で、面接は予定していた開始時間を大幅に過ぎて開始。面接自体はこれまでのように、なぜアメリカに滞在するのかといった簡単な質問で終わり、なんとか予定していたセミナー発表の時間には間に合ったものの、大学に着いたのは開始時刻の10分ほど前で、本当にギリギリといったところでした
さて、面接が終わればハッピーエンドかといえば、それですまないのがトランプ政権です。面接の最後に、若干申し訳なさそうな顔の審査官から「これからソーシャルメディアのスクリーニングが入るので、すぐに承認は出せない」と言われます。具体的には、まずスクリーニングのためにXやInstagramのアカウントを公開設定にすること、さらにスクリーニングが終わったあとにビザを発給するので、パスポートを預ける必要がありました。
厄介なことに、私は翌週に海外での学会を控えていました。そのためダメ元で「ビザは1週間後には発給されるだろうか」と聞きますが、それまでには確実に間に合わないと言われたので、一旦パスポートを返してもらい、それからオーストラリアと韓国の学会に参加することにしました。パスポートが無いと海外には行けないという、極めて当たり前な事実を、さらに言えば、自分の身体や移動が国によってコントロールされていることを再確認しました。
不幸中の幸いは、スクリーニング自体はパスポートがなくても進められるということでした。そのため、日本に帰国した時点で、パスポートを大使館に郵送すれば、(スクリーニングで何も問題が生じていないという条件の上で)後日パスポートを受取るか、指定した住所まで郵送してもらうことできます。
そこで、7月20日の午後にソウルから戻った私は、急いで郵便局に向かい、パスポートを郵送しました。しかし翌日はあいにく祝日(海の日)で大使館は休み。そして翌7月22日にビザのステータスが“rejected”から“approved”になりました(機械的な分類なのですが、面接時に承認できなかったビザ申請を一旦rejectedにするのは、あまり気分がいいものではありません)。
しかし、“approved”になるだけでは足りず、ビザをもらうためには、監督者の最終判断をもって発給される状態(issued)になる必要がありました。“approved”から“issued”になるまで、通常は1-2日しかかからないと聞いていたにも関わらず、私のビザ申請は2日以上経っても状態が変わりませんでした。この辺りから、私の背筋は凍り始めていきました。8月4日にアメリカに戻る予定で航空券をすでに予約していたからです。
その頃の私と言えば、もしかして、Xなどで変なことをつぶいていなかったか(正直に言えば誰しもが不快に思わないツイートしかしてこなかったといえば嘘になりますが、まさかトランプを不快にさせるようなこと、私つぶやいていたっけ?と不安になりました)、そうした杞憂に終わるような心配ばかりしていました。
翌週の月曜になりようやくビザが発給され、その週の木曜日に自宅に郵送されました。これが7月31日です。あと4−5日遅かったら航空券を変更する必要がありました。
振り返ると、たかだか一年の研究滞在ビザをもらうために、なぜこんなにもストレスを抱えなければいけなかったのだろうかと、今振り返っても疑問に思います。面接を受けた際に、大使館に貼ってあった一枚のポスターに目がいきました。そこには、アメリカへのビザは「権利」(right)ではなくて「特権」(privilege)と書いてあり、それが今でも強く印象に残っています。アメリカに滞在するための「特権」を得るために、一ヶ月以上にわたる不安に耐えるのは、これからますます当たり前になっていくのかもしれません。
アメリカの大学院への留学は、留学した人に有形無形の機会をもたらしてくれるものと思っていました。しかし、現在の状況が続く限り、周りの人にアメリカへの留学を勧める気にはなかなかなれません。
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