知人に紹介してもらった若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」を紀伊國屋で買って、早速読んでみました。個人の内面をあれだけ炙り出して、最後の方は現実と区別がつかなくなってくるところ、それが東北弁と標準語の対比もあって力強く出ていて、とても面白かったです。
この本だと本人の主観を表現するときの東北弁と、それを客観的に描写する標準語の対比が非常にうまく組み込まれていて、こんな方言の生かし方もあるのかと勉強になりました。
最近読んだ本だと、柳美里さんの「JR上野駅公園口」も福島出身の主人公が方言を使っていましたが、外の世界とのつながりが重視されてる「JR上野駅公園口」に対して、若竹さんの作品はひたすら内面に焦点が当てられてて、それが本人の主観を表現した東北弁と、客観的描写の標準語の対比を強く感じた理由なのかもしれません。また、若竹さんの小説の東北弁は、福島よりももっと北で、さらに標準語との対比がより際立った気がします。別に対比する必要はないと思いますが、天皇、オリンピック、格差といった大きな背景の中で生きる個人を描いた「JR上野駅公園口」と、ひたすら個人の内面を描いた「おらおらでひとりいぐも」では、読後感が全然違います。
東北文学、あるいは常磐線文学、みたいなジャンルはないと思いますが、両作品に共通する、常磐線に乗って最初に降りた上野駅から上京が始まる場面などは象徴的で、北関東・東北出身者にとっての上野から始まる地方からの離脱、そこから年月が経ち家族と別れると、地縁がない都会では孤独が待っている、といったモチーフは、作品の背景として非常に似ていると感じました。
こんなことを考えるのは、私自身も上野駅から始まる上京の物語を経験した一人だからということもあるのでしょうが、残念ながら常磐線は上野終点ではなくなってしまったので、最近上京される方には、上野駅に着いたときの、海底トンネルにいるような不気味さ、地下から地上に登っていくまでに感じる期待と不安、こうした感情はあまりもたれないかもしれません。
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