March 2, 2021

大学院進学のパラドックス

友人と話してて、一橋の田中拓道先生のホームページに、「大学院進学のリスク」について書いてあることに気づきました。https://www.soc.hit-u.ac.jp/~takujit/graduate_school.html

なかなか業界全体で大学院進学、特に博士課程進学にリスクがありますよ、とはいえないところもあるので、こうやって研究室を持つ先生が個人として発信してくださるのは、進学を考える人にとっても助けになると思います(田中先生は政治学領域を念頭に書かれていますが、現状は社会学でも多かれ少なかれ同じだと思います)。

このページを見て、先日博士課程に進学しようか考えている人の相談を受けたことを思い出しました。私は今まで進学しようと決めた人の話を聞くことはありましたが、考え中の人の相談は初めてだった気がします。

私は基本的に、進学しようと決めた人には精一杯のアドバイスをしようという立場でいます。一方で、まだ決めかねている人にはメリット・デメリット双方を踏まえて話をしなくてはいけません。昔の自分であれば、アメリカの博士留学にはメリットが大きいと思っていたので、おそらくメリットの方を強調したでしょう。しかし、最近のアメリカの社会学博士課程は、卒業してからの競争が激しくなるばかりなのに、入学するのがますます難しくなってきている雰囲気があります。そういう状況を見て、正直進学したいと決めた人以外には何も言えないのが、現時点での私の考えです。

これと関連して、先日アメリカの院生がつぶやいてて本当にそうだなと思ったのは、「将来やりたいことが博士号がなければできない場合は進学するべきだが、そうじゃない場合は進学せずに目標を実現する方策を考えた方がいい」というものです。文脈としては、アメリカの社会学では(例として)racial justiceやcriminal justiceの実現に貢献したくて博士課程に入ってくる人も多いという事情があります。そして、そういったことはnon-profitの領域に入っても十分できることです。自分のやりたいことが、博士号がなければ、あるいは博士課程でのトレーニングがなければできないことなのか、きちんと考えてから出願すべきなのは、確かにそうだろうと思います。

少し矛盾することを言うようですが、博士課程中に本人のやりたいことは頻繁に変わります。さらに言えば、本人の関心を変えることが博士課程プログラムの肝でもあります。昔、メンターの先生の一人(DGS、大学院プログラムディレクター)が「博士課程に入った学生の研究関心を変えられなかったらそのプログラムは失敗だ」といってたのはよく覚えています。やりたいことが決まっている人が多い一方で、博士課程も教育制度の一つであるわけなので、学生のやりたいことが入る前後で変わらなければ、そのプログラムは学生を教育できたことにならないのです。実際、入学前から関心が変わる人はごまんといますし、理念としてはそうあるべきでしょう。

このように、大学院教育の一応の建前(理想)としては「大枠の関心を決めて入ってくれればよくて、最初の2年で頭の中をシェイクした後にテーマを決めてくれればいいよ」なのですが、にしては入学するまでの基準が厳しくなりすぎてるきらいがあり、なんとなくこれがやりたい、ではとても入学できるものではなくなっているのも事実です。実際、選抜する側も、将来のポテンシャルに加えて、現場でどれくらいその学生がクリティカルにものを考え、それを実証できるかを重視している気がします。

やりたいことが決まってないと進学を勧められないのに、入ってからはやりたいことを変えることが推奨される。この二つの側面を強調しすぎると、なんだかパラドクスが生じているように見えます。実際には、選抜する側は「いいバランス」を求めていて、狭すぎる関心の学生は逆に取りづらいのではないかと思っています。矛盾しているように見えてしまうのは、やはり入学のハードルが高くなっているからなのではないかなと考えていますが、隣の芝は赤く見えるもので、アメリカ国内のエリート大学を出てもプレドクが必須になっているような経済学に比べれば、まだ入るまでに3年、みたいな状況ではありませんが、そういう状況に近づきつつある気がします。

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