December 23, 2018

博士課程1学期目

この1週間、時間ができたので今学期までに書き上げたいと思っていた論文をずっと書いていた。おかげで、体調が悪いというか、今日は何もする気が起きない。代わりに、今学期を振り返っておきたいと思う。

8月後半からの4ヶ月は、本当に変化の激しい日々だった。毎日誰かしら新しい人と出会い、新しい考えに触れ、学び、時間はあっという間に過ぎて行った。それらをいくつかの単語にまとめれば、コースワーク、研究、ジョブトーク、メンタルヘルス、アイデンティティなどになる。時系列で追っていくには、これらが互いに深く結びついているので難しい。したがって、一つずつ懐古的に振り返っておく。

コースワーク
博士課程の学生として、コースワークは当たり前にこなさなければいけない。今学期は、統計学、人口学方法論(形式人口学)、人口学大学院セミナーを履修した。加えて、単位としては博士課程に入学したコーホートで一緒に受けるプロセミナー(professional developmentの側面が強い)、及び所属する人口学研究所のセミナーを二つ履修した。

私もまだ区別がうまくできないのだが、アメリカではインタラクティブに学ぶ機会を全てセミナーと括れてしまう気がする。日本でいう「ゼミ」もセミナーだし、外部のスピーカーを招いて報告してもらい、議論するのもセミナーである。ただ、各々のセミナーの性格は異なっていて、ゼミに近い大学院セミナーと呼ばれるものはこちらが文献を読んで、議論し、最後にタームペーパーを書くという意味では、もっともコースワークに準拠している。これに対して、外部のスピーカーを招く研究所のセミナーはブラウンバックと呼ばれることもあり、オーディエンスは学生に限らず誰にでも開かれており、最先端の研究について皆で議論し合う機会になっている。また、外部から来たスピーカーは、大抵1ー2日大学に滞在し、セミナーでのトーク以外にも、招聘した研究所や学部のファカルティ(教員)との面談やディナー、あるいは院生とのランチを共にする。おそらく、ファカルティとのディナーではより突っ込んだ話をするだろうし、その先生が現在の所属先に対してなんらかの不満を抱えている場合には、将来的にオファーを出そうとするのかもしれない。院生は、外部のスピーカーと積極的にコンタクトを取ることを勧められている。もちろん、コネを作るという意味もあるだろうが、トークに来る先生の研究は、その分野の最先端であることが多いので、学生に対して新しい研究と触れ合う機会を提供しているものと思われる。このように、アメリカの大学院は日頃から外部の研究者とのインタラクションが多く、非常に流動性に満ちている。

早速脱線してしまったが、研究所のセミナーはコースワークと研究、並びにprofessional developmentが分け難く結びついていることの好例だろう。私が人口学研究所に所属しているので、セミナーに出ることを通じて単位も履修している。その意味では、これらのセミナーは教育の機会として提供されているが、新しい研究に触れるという意味では、自分の研究に対するフィードバックの役割もあるし、スピーカーとの個人的な話の中で、どういった就活の戦略をすれば良いかなどについてアドバイスをもらうのはPDの側面が強い。

メインで履修している3科目はテストやレポートがあるという意味で、日本でもよくある授業である。興味深いことに、私は社会学部に所属しているが、今学期は社会学らしい授業を一つも履修していないし、来学期も履修しない予定である。これは、私が人口学研究所に所属していることと関係する。アメリカでは、伝統的に人口学が社会学者によって発展してきた経緯があり、社会学部と人口学の距離が非常に近い。アメリカでは人口学部もあり、自らをピュアな人口学者として定義している人もいるが、そういう人は割合としてはかなり少なく、アメリカ人口学会は社会学者や経済学者が中心になって運営されている。ウィスコンシンの人口学研究所(CDE)も、かつては社会学の下にあったが、学際的な研究教育体制を築くため、10数年前に独立したと聞いている。ちなみに、CDEは全米でもっとも遅く社会学部から独立した人口学研究所として知られており、このことはウィスコンシンにおいて社会学部と人口学の関係が非常に密接だったことを物語る。

独立したものの、現在でも社会学部と研究所の関係は深く、多くのファカルティの研究者が研究所にも所属しており、その中心を担っている。社会学部のカリキュラムにもそれは反映されており、minor in demographyやjoint degreeといった制度はないが、もし研究所に所属する場合は、博士課程の修了要件として社会学部が開講する人口学の必修科目を収める必要がある。ウィスコンシンの社会学部は、人口学的なアプローチによる研究では全米でも指折りの業績があるが、私はそのような環境で、社会学よりも人口学に比重のおいたコースワークを先に済ませている。1年目から人口学を履修する必要は必ずしもないが、最初のプレリムを人口学にしようと決めており、そのためにはあらかじめコースワークを履修しておくのが得策であると考えているからである。

といっても、全く社会学から縁遠い生活をしていたわけではない。コースワークの中で最も面白かったのは、人口学の大学院セミナーであった。最初は、古典のマルサスから始まり、人口転換の議論などをリーディングとして消化していったのだが、後半に入るにつれ、既存の人口学の研究の限界を指摘するような批判的な文献を多く読むようになった。人口学者の最大の関心は正確な数え上げ(counting)と人口予測にあるが、これらの背後にある想定を、社会学などの他分野の先行研究と合わせて読むことで、批判的に再検討する文献を読んだ。例えば、我々は人種を個人の属性として固定的なものと捉えがちであるが、実際にはセンサスや社会調査で収集されている人種とは、個人のracial identificationであり、要するに個人がどのようなraceに自分を帰属させているかという問題になる。個人のアイデンティティとして人種が定義される以上、それは流動的に変化しうる。人口学者は人種というカテゴリの不変性を想定しているが、社会学的な視点に立てばアイデンティティは社会的な状況に照らし合わされて変化しうる。また、人口学のみならず、低出生という「社会問題」は長く政策的な関心を呼んでいるが、近年になって一社会のジェンダー平等の進展が低出生を解決するという命題が人口学者から提起されるようになった。一見すると、ジェンダー平等が達成されると、夫の家事育児時間が増え、妻の出生意欲が増し、子どもが増えるというストーリーは理想的に聞こえるかもしれない。しかし、この理論の背景には、すでにジェンダー平等が達成されており、低出生国の中でも比較的出生力が高いとスウェーデンに代表される北欧諸国が他の社会が目指すべき「目標」になっている。社会の発展に伴ってジェンダー平等が進展すると考える点で、これは一種の収斂理論であるといってよいだろう。この理論は、近代化によって社会が一様に、線形的に変わりうるとするようなイデオロギーと何が違うのだろうか?実際には一時点の各社会のばらつきがあるに過ぎないのに、それを歴史的な発展になぞられる考え方はreading history sidewayとして批判されている。人口学は政策と非常に距離が近いために、こうした収斂理論の亜種のような理論を批判なく受け入れてしまう傾向があるのかもしれない。そうした研究に対して、社会学の批判的な視点が重要になるということを、今学期学んだ。日本では、人口学を体系的に学ぶことがそもそも難しい(それが私が日本を飛び出した理由の一つである)が、仮に海外に出て人口学を学べたとしても、今学期受講したような人口学に対する批判的な視点を養うようなプログラムが提供されていることは多くないのではないかと考えている。そういう意味で、私はこの大学に進学できて非常に良かったと思っている。

研究
学生としての本分は授業を履修して単位を取ることかもしれないが、実際には博士課程は研究者の養成機関であり、在学中から研究に勤しむことも重要である。特に、アメリカの社会学では近年になって、就職する際に最低1本査読付きの論文を持っていることが推奨されるようになったことを聞く。こうした状況の中で、院生はマーケットに出る前に最低一本、できれば複数のパブを持ち、就活することを目指している。この状況では、できるだけ長く大学院に在学した方がパブを稼げるので、院生の在学期間も長期化している。
とはいえ、一年目から論文を書く必要はないと考えられていることも事実である。コースワークと研究を両立することは容易ではないからだ、研究に時間を取られて単位を逃したら元も子もない。そもそも一年目から関心が定まっている人も多くないだろうし、在学中に関心が変わることについて、多くの教員は寛容であり、当たり前に起こると考えている。多くの社会学の院生にとって、少なくともうちの学部では、最初の投稿論文は修論が元になることが多い。修論を書いてから、研究者としてのファイティングポーズを取り、ラウンドに出るわけである。もちろん、その前に指導教員の研究をRAとして手伝いながら、学会で報告させてもらったり、論文に共著者として名前を載せてもらうこともある。

ここで個人的な事例になるが、私の場合には上記のような慣例は全く当てはまらなかった。それはすでに修士論文を書いてきたということもあるし、何よりそうした修士論文などを元にすでに論文を投稿していたからだった。結果として、今年は英語で2本、日本語も合わせれば5本の論文が出版及び掲載決定となった。

数だけ聞けば生産的にみえるかもしれないが、アメリカのマーケットで評価されるのは、英語のみである。また、英語の査読付きでも、(特にテニュアを取るまでの若い間は)トップジャーナルないしそれに準ずるような中堅以上のジャーナルに論文を載せることが推奨されている。別に自分が出したいところに出せばいいじゃないかと考えられるかもしれないが、ジョブマーケットではジャーナルのランクも重要になる。私が今回出版した2本の論文は、トップジャーナルではないが、その分野の研究者(人口学・階層論)の間ではよく読まれるものであり、テニュアをとった教員もよく載せているジャーナルなので、悪い評価にはならないだろう。それでも、最低限の業績といったところで、これからトップジャーナルに載せることが就活を有利にするために必要な作業になると考えている。現在の目標として、とりあえず毎年2本は中堅以上のジャーナルに掲載したい。そうすれば就活する頃には10本あるので、さすがに食いっぱぐれない気がする。また、そのうち2本はトップジャーナルに載せたい。とりあえずトップジャーナルから投稿してみることを勧められるので、ガチャに当たることを願うばかりだ。もちろん、10本、数として必ず載せようというのが具体的な目標ではなく、そのつもりで研究をしようということである。

論文に対しては、日本にいた時は闇雲に査読付き論文に出したいという気持ちが先行し、次第に投稿している論文がないと不安になってくる体質になってしまった。結果的に多くの論文を書けている要因はいくつかあるが(例えば、共著者の存在)、私はタイムマネジメントが得意なわけでは必ずしもなく、1週間や月単位で目標を定めることはあるが、1日にやることは得てして当日まで固まっていないことも多い。もし、他の人より論文を書くペースが早いとすれば、大きな理由の一つは、論文のハードルを高く設定していないことだろう。最初は、論文というものは何かしら大きな命題を唱えたり、先行研究を元に仮説を検証するものかと思っていた時期がある。こういう発想は必ずしも間違っておらず、長く読まれる論文というものやはり大きな主張をしている。しかし、研究者の論文が全てこのような論文であることは稀だろう。多くの研究者の業績は、社会学で言えば10年でgoogle scholarで20-30回引用されればいいくらいの論文が大半である。こうした論文の価値が低いかというと、そういうわけでは全くない。もちろん、本当に意義を疑うような論文もあるかもしれないが、多くの論文は、問いがシンプルであり、かつ非常にスペシフィックである。誰もやったことのない研究として新規性を打ち出すのだから、当たり前と言えば当たり前だが、その主張のインプリケーションが広い場合に、論文は分野を超えて多くの読者に読まれるのだと思っている。

したがって、初めから大きな主張をしようとせず、問いを分節化し、何が先行研究で見落とされてきたことなのか、何をアップデートするべきなのかを考えている。一つでもそれが見つかって、かつ相応の時間や資源的な制約の中で結果が出るのであれば、論文を書く。方法に自信がなかったり、違う分野の研究者の助言を募りたい時には共著者を見つける。そこまで難しくはない。論文ではせいぜいわかったことをシンプルに1-2つ書けば査読には通る(その「わかったこと」がなんらかの基準に照らし合わせて「新しく」なければいけないが)。ある程度数を稼ぐためには、こうした割り切りも必要だろうと思う。あとは、計画的でなくても良いので、常に論文を書いたり、分析を進めたり、文献を探したり、執筆途中の論文を常にアクティブにしておくことが必要だろう。ストレスになるかもしれないが、別に毎日全ての論文について考えるというわけではない、1ヶ月でいえば、最低2ー3日はその論文について上記のどれかに当てはまるような作業をして、共著者がいれば数ヶ月に一度しっかりミーティングをし、原稿を書き、再びミーティングをして詰め合わせ、学会や他の同僚の助言をもらい改稿し、またミーティングをして原稿を完成させ、投稿し、もしR&Rをもらえれば上記の作業を繰り返すように改稿する。そうしていれば、3-4ヶ月のスパンで論文を1本投稿し、1年に1-2本は出版できるだろう。常にアクティブな論文を複数持っておくことが重要である。査読によっては非常に時間がかかることもある。先日RSSMから出た論文は最初の査読が帰ってくるまで8ヶ月を要した。8ヶ月の間、その論文の結果を待っているだけではもったいない。8ヶ月あれば、2本は投稿し、2本は執筆中のステータスにできるだろう。常に問いを考え、アイデアとしてまとめ、人のアドバイスをもらいながら文章に残しておく作業が重要だと思う。

このように、私は論文を書くこと自体はそこまで難しくないのではないかと考えている。もちろん、英語で論文を書くためには、ライティングのスキルを身につける必要はあるが、最低限の教育を受けたら、ひたすら書いてコメントをもらう。そういう作業を1ー2年繰り返していれば、書くこと自体は苦ではなくなる。問題は、書いた論文が雑誌に載るかという問題であり、更に言えばトップジャーナルに載るかという問題である。私がアメリカに来た目的の一つは、この点と関係する。一つのargumentをロジカルに提示すれば論文にはなるが、今どのような研究が求められていて、主張をサポートするためにはどのような素材や方法が支持されていて、どのような研究に「意義」があると思われているのかは、実は社会的に決定されている部分も大きい。日本社会を対象とする場合には、単に日本の事例を検討してこういうことがわかりました、だけではアメリカのジャーナルには載りにくいだろう。残念ながら、アメリカの社会学はアメリカを前提に成立しているので、日本を対象にしたところで「なんでわざわざ日本なの?」と聞かれるのが関の山だからだ。これはtipsになるかもしれないが、私は自分の研究が日本から示唆を得て成立していることを前提に、日本の事例が当該分野の研究に対してどのようなpotential implicationをもたらすかを常に考えている。これは、誰も明示的に教えてくれないし、「アメリカでアメリカ以外の研究対象を選ぶ人のための研究入門」みたいな教科書があればよいが、そんなものは存在しない。しかし、この発想は必須である。詳細は省略するが、要するにアメリカだけを見ていては理論的な議論の重要な部分を見落としてたりするんじゃないでしょうか?という気持ちで私は論文を書いている。これが、日本を事例に研究を続けたいと考えているドメスティックな志向と、社会学や人口学一般の理論の上に貢献をしたいと考えているアカデミックな志向の妥協点になっている。ウィスコンシンに来て、この妥協点の上に立ちながら、どういう問いをRQとして提示するか、その問いを提示するまでにどういった先行研究を持ち出せばいいか、といった点に関しては、ファカルティや同僚から非常に大きな示唆を得ており、ここに来て良かったと考えている。私の日本を事例にした階層論や人口学に対する研究の姿勢は若干歪んでいるというか、素直に社会学部の教育を受けて出来上がるものでもないので、なかなか一言で言うのが難しい。ただ、今のような考えに至った経緯については後悔していないし、現在はこういうハイブリッドな考え方は、日本で教育を受け、研究している研究者とも異なり、アメリカで教育を受け、研究している研究者とも異なる、自分のオリジナリティだと思うようになっている。自分の考えに近いのは今の指導教員であり、彼はアメリカ人だが、日本に長く滞在し、基本的に全ての論文は日本を事例にしているが、アメリカのトップスクールでテニュアを取り評価を得ている。日本の事例を取り上げる際に陥ってしまう地域的な固有性を強調する志向を「脱文脈化」させつつ、アメリカを中心としてできて来た先行研究の知見自体も「脱文脈化」ないし「再文脈化」させる作業は、大変なことも多いがやりがいも感じる。

振り返ると、1学期目からこうした「妥協」をしているのは、何度か学会発表や査読、ないしインフォーマルな機会で自分の研究を英語圏の研究者に提示する機会を経て、(少々残念ではあるが)自分がやりたい研究が、相手が求めている研究と一致しない(=査読に通らない、評価されない)こともあるということを学んだからである。ただ、これは単に残念という言葉で片付けるには勿体無い。日本の文脈を共有していない読者に対して、社会学や人口学の一般的な理論の上に立って日本の事例を紹介する過程を通じて、著者自身が当初意図していなかったような、事例研究を飛び越えた意義を見つけることができるからである。この「英語論文の発見的作用」ともいうべき役割に気づくと、論文執筆は、単純に「今、日本がどうなっているのか」を明らかにすること以上の知的刺激に満ちた冒険になる。段々、私の考えが歪んでいることが伝わってきただろうか。私は自分が「妥協」をしているとは思っているものの、その妥協に対して積極的な意義を見出している。

ジョブトーク
アメリカに来て最もエキサイティングな経験として強く印象に残っているのがジョブトークであり、これは日本では目にすることがないイベントである。就活の慣行は分野によって異なるので、はじめにアメリカの社会学に関して確認しておく。まず、学部や研究所がポジションの募集を始める。ここで、分野を限らないオープンなものから、特定の分野に絞った公募をすることもある。また、social justiceとも関連するが、多様性を考慮してアカデミアでunderrepresentedされてきたマイノリティを優先的に雇用したり、学部の特段の必要性を満たすためのtarget of opportunity(ToO)といった制度もある。最近では、大学が主導して学際的な分野を作るための公募もあり、この場合は各ポジションに分野名が付され、そのポジションに採用された場合には所定の学部に所属しつつ、学際的なポジションにおける仕事もこなすcluster hireと呼ばれる制度もある。

このように、ポジションの募集自体は様々なメカニズムから成立するが、一度募集が始まれば、基本的にプロセスは似通っている。まずは書類選考。応募者はライティングサンプルやシラバスのサンプル、並びに履歴書や推薦状を用意して提出する。そこから、面接に呼ばれるのは1-3人ほど。非常に狭き門である。また、面接(フライアウト)も非常に過酷で、2ー3日の滞在中、プライベートな時間はほぼないといってよい。朝からファカルティの教員との朝食、ファカルティの車に乗って学部に行き、いくつかの個人面談、そしてメインイベントのジョブトーク、終了後に院生とのランチ、再び教員との個人面談、そして教員とのディナーといった予定が続く。cluster hireのように複数の分野にまたがる公募の場合には、二回ジョブトークをすることもある。人生で何度も経験したい類のものではない。しかし、ジョブトークは非常にエキサイティングなイベントである。まず、候補者は自分の就職がかかっているので、本当に自信のある研究を、何度も練習してプレゼンする。ファカルティも、仮に候補者を採用した場合、最低テニュアを取れるまで投資をしなくてはいけないし、テニュアを取れないような教員は(テニュア審査までに投資した分が戻ってこないため)採用したくないので、非常に慎重に審査する。特に、assistant professorのような若手を対象とした公募の際には、現在の業績だけではなく、その人がテニュアを取れるか、という意味で研究のポテンシャルという不確実なものを評価しなくてはいけないので、慎重さは極まる。表向きはみんなフランクで笑顔に満ちているが、これは表向きのパフォーマンスといったところで、複数の候補者から誰が学部に採用されるべきか、みんな真剣に考えている。学生たちも、将来ジョブトークの場に立つことを目標にしているわけで、生きた教材を直接目にできるられる機会は非常に恵まれているし、話から伝え聞くよりも勉強になることは多い。トップスクールに採用される候補者はトップスクールの出身者であることが多いのにはいくつか考えられる要因があるが、その一つはトップスクールの方が教員のポジションが相対的に多く、ジョブトークが頻繁に行われる。出してくる候補者も非常に優秀な人が多く、早くから就職活動について意識的になれることもあるだろう。

幸運なことに、今年は複数のジョブトークが行われ、一年目から多くのトークを目にすることができた。ToOが1つ、cluster hireが3つあり、うち社会学部が主催したトークが5つあり、合計6つのジョブトークに参加した。その中でも、候補者とのランチに5つ参加して、候補者の人たちから、色々と本音を聞くことができた。その中でも最も興味深かったのが、現代韓国研究のcluster hireであり、このポジションの最終候補者は全員社会学者だったので、3人のトークを聞くことができた。興味深いことに、このポジションは「現代韓国社会」を「質的な方法」で研究している人を採用するという、今後数十年アメリカでも見られないようなユニークな公募であった。また、最終候補者も全員が韓国人の女性研究者であり、様々な要因があらかじめ揃っており、いくつかの点について比較をすることができた。トークやランチに参加した院生はフィードバックを送ることが推奨されており、日本を対象に研究している自分にとっても、現代韓国研究の先生は関心が近い可能性が高く、慎重に、1日かけてフィードバックを作成した。自分なりに誰を採用したいかは考え、文章に残した。もちろん、自分の考えが決定に影響するわけはないのだが、仮に採用する側になってみて考えると、誰を採用するべきかという思考で録画されたジョブトークを何度も聞くことになり、得るものは非常に多かった。今回のジョブトークを振り返って、その研究の知見がどれだけ他の事例にインパクトを持つかが大切であることを感じた。先ほどの問題に戻るが、「なんで韓国なの?」「それって韓国だけでしか見られないんじゃないの、どういう意味があるの?」といった、それだけ見れば馬鹿げたようなものである。しかし、一歩進んで、その事例から社会学一般にどういったインプリケーションがあるのかを考えるという意味では、やはりなぜその問いが韓国を対象にしていて、そこから何が導き出されたのかを考える必要はあるだろう。もちろん、別に韓国に限ったことではなく日本でも台湾でも、ひいてはアメリカを事例にしても、なお考える必要のある点である。

メンタルヘルス
言葉としては知っていたが、大きく考えを改めるに至ったのがメンタルヘルスである。院生は鬱になりやすい。それは事実として知っている。要因として、業績主義のプレッシャー、教員との開放的でいるとは言えない関係、経済的な不安、熾烈な競争、色々とあることも知っている。それは日米で共通だろう。異なるのは、メンタルヘルスに対する考え方と、その考えに基づく取り組みである。日本時代にいた研究室では、メンタルヘルスを悪くすることはどちらかというと、個人が陥りがちな病気といった印象が近く、誰にでもなってしまう可能性があるが、なった場合はカウンセリングに行ったり、多少研究をストップしてみたりといったことしか想像していなかった。もちろん、私の知らないところで色々と取り組みがあったのかもしれないが、あまり公にはなっていなかったと思うし、そういう意識は共有されていたとは言い難い。

これに対して、うちの学部では、院生自治会に当たるSGSAという組織の下にメンタルヘルスとウェルネスに関する専門のセクションがあり、何人かの院生がメンタルヘルスを悪化させないような予防策を検討している。一言で言ってしまえば、メンタルヘルスが悪化する原因は、研究というプレッシャーを一人で抱え込んでしまうことにあり、そう言った状態に陥らないようにピア(同僚)によるサポートが必要になる。自治会では、研究に直接関係ないようねピア・ネットワークを構築できるような機会を提供している。例として、ポットラックや、Mindfulnessを維持するためのワークショップなどである。こうしたイベント以外でも、学生個人々々のメンタルヘルスに対する理解は深く、個人が陥る病気ではなく、メンタルヘルスを悪化させるような社会的な要因があり、それに対して介入できる(と明確にいうわけではないが)という意識があると感じた。他のプログラムや学部でどういう取り組みがされているのかはわからないが、うちの社会学部では、多くの院生が大学院生活は孤独で辛く、それをみんなでサポートしていくことが必要であるという意識が強い気がした。

まとめ:ハイブリッドなアイデンティティ?
まとめれば、今学期は非常に濃密に、瞬く間に過ぎ去っていった。その中で私の価値観も日々めまぐるしく変わっていった。まさしく疾風怒濤(Sturm und Drang)である。思えば、この数年は変化が欲しかった。東大に入学し、今後も自分の人生に影響を与えてくれるような人たちに出会えたことは貴重だったが、東大という環境に少し身を長く置きすぎていたと感じていた。マディソンに来て、日々様々な考え方に触れ、少し幅も出て来た気がする。その意味で、私の博士課程留学の1学期目は非常に充実していたが、このような考えに至ったのも、日本での経験がもとになっていることは間違いない。仮に、日本で修士や博士をせずに直接アメリカに来た場合と、一定程度研究者としての生活を始めてからくるのとでは、同じものを目にしても、異なる解釈に至るだろう。私はいまだに、自分の研究や考え方が、日本時代の経験に強く影響されていることを感じている。その中で、なぜ二つの社会で、こうまで異なる考え方をするのか、あるいはしないのかについて思いを巡らすことも多い。大げさにいってしまえば、私は自分自身の経験を対象とした比較社会学的な研究をしているかもしれない。こうした比較を通じて、私自身、少しずつではあるが、日本で育った研究者としてのアイデンティティに加えて、アメリカの(中西部という)土地に生活しつつ、社会学PhDで教育を受け、研究をしていることによって形成されるアイデンティティの二つがハイブリッドに混ざり合っていくのを感じている。当初、私は日本時代の経験を置き去りにして、アメリカの価値観に完全に適応してしまうことを恐れていたというか、そうならないようにしていこうと思っていたフシがあるが、鼻からそういう可能性は存在していなかった。両方の社会において軸足を置いて研究している以上、私の研究者としてのアイデンティティはハイブリッドなものにならざるを得ないのだ。

もちろん、その比較から、何か本質めいたものを見出すつもりもないし、できもしないが、2つの異なる環境にどっぷり身を浸かることで、多少捻じ曲がった、それでも異なる角度から見ればユニークなアイデンティティが形成されているのではないかと思う。そういう意味で、東大での経験も、マディソンでの日々も、同様に私の人生を豊かにしてくれているのではないかと考えている。ここに至るまで紆余曲折はあったが、今を楽しみ、これからも研究を楽しみながら進めていき、いくつかの人生の目標を実現したいと考えている。
人口学研究所の看板

今学期の我がオフィス

No comments:

Post a Comment