Link, B. and J. Phelan. 1995. Social conditions as fundamental causes of disease. Journal of Health and Social Behavior. 35:80-94.
近年の疫学研究では、病気の近接要因、すなわち病気を直接引き起こすもの(食事、コレステロール、高血圧など)に着目した研究が多くを占めている。しかし、その一方で病気を引き起こすより重要な要素である社会的要因には注目が集まっていない。もちろん、疫学の中でも社会的な要因に着目する研究はあるが、これらは社会的な条件が一つの因果的なパスを通じて一つの病に影響すると考えがちな点で、欠点を持つ。
筆者による社会的状況(social conditions)の定義は、他者との関係性から生じる要因であり、社会経済的な構造の中で生じる関係は全て社会的なものとする。これらには人種、社会経済的地位、ジェンダー、あるいはソーシャルなサポートも含まれている。
これらの中でも、SESと健康の関連については非常に多くの蓄積がある。これらはあくまで両者の相関に関するものであるが、近年になって因果の向きとメカニズムについて検討する研究が進展してきた。因果の向きについては準実験的なアプローチ、あるいは工場の閉鎖といった健康に寄って生じないような社会経済的状況の変化を検討するアプローチ、あるいは縦断データを用いた分析などが挙げられている。
このように、SESと健康について検討している研究は医療社会学や疫学においても多い。因果の向きに加えて、因果メカニズムについて検討する研究も増えてきた。例えば、Karasekらの研究ではLow SESとcoronary heart deseaseの関係について、低い地位の職業では高い仕事の欲求と自由な意思決定の低さによって特徴付けられるjob strainが両者の関連を説明するとしている。
こうした因果メカニズムの議論の落とし穴として、筆者らはますます病気に近い要因(先の例で言えばストレス)に関心が向いてしまう点を挙げている。さらに、筆者は医療社会学・社会疫学の研究者たちはこうした現代疫学の傾向について反論するべきと提起している。一つの方法として提案するのが、個人ベースのリスクファクターを文脈化(contextualizing)することだとしている。具体的には(1)なぜ人々がそうしたリスクに晒されるようになったのかに関する解釈的な枠組みを用意する、(2)こうしたリスクファクターが病気と関連するような社会的状況を特定することを挙げている。
続いて、筆者は病気の「根本的な」要因を特定する必要性を主張する。既存研究のレビューから、SESと健康の関連は変わっておらず、変わっているのは両者を介在するリスクファクターであるとする。なぜSESが持続的に健康に影響を及ぼすのか、筆者らはSESが病気が生じた時の帰結を最小化するようなリソースへのアクセスと関連しているからだとする。ここでいうリソースとは、お金や地位、権力、ネットワークなどに分類されているが、これらに加えて、病気を防いだり、生じた時にどのように対応するべきかに関する知識も含めている。SESはリソースへのアクセスと関連している限り、複数のリスクファクターと関連を持ち、複数の病気と関連するとしている。
Hamlin, C. (1995). Could you starve to death in England in 1839? The Chadwick-Farr controversy and the loss of the “social” in public health. American Journal of Public Health 85(6), 856-866.
イギリスの公衆衛生のパイオニアであり、1834年救貧法設立に関係したEdwin ChadwickとWilliam Farrの間で1838年から1840年の間に展開された論争を紹介した論文。Farrは当時死因統計を分類する仕事についており、Chadwickは上司だった。Farrは哲学的な意味ではどこまでが死因として適切なのか、実際上は飢餓は死因として適当なのかについて悩んでいた。新しい救貧法では貧民を懲治院(ワークハウス)に収容することにしており、この法律に携わっていたChadwickにとっては、貧民層における飢餓の問題は大きな関心だった。懲治院にはいれば飢餓はなくなるはずなのに、Farrは148,000件の死のうち、63件を「飢餓」によるものとした。このことにChadwickは強い懸念を表明し、論争が始まる。はじめに、Chadwickは63件の死亡のうち約半分の36件は幼児の死亡によるためで、これは母乳が足りなかったことによるものだから飢餓ではないとした。Farrは、幼児死亡の多くで、Chadwickが指摘したような母乳を十分に提供できないで死亡していることを認めつつ、36件の死亡は本当の意味での飢餓であるとした。これ以外にも、Farrは寒さによる死も、飢餓という枠組みで理解した方がよいとする。彼は分類に従って死因を分けていったが、分けていった死因の中には飢餓が要因で直接の死因が生じたと主張する。
このように議論の核心は、病因にしたがって死因を分類することの政治的・社会的なインプリケーションだった。現代において病因を適切に把握できるという想定は、病因が特定できる形で実際に存在するというontologicalな立場であるとする。しかし、この想定は論争が起こった時代には共有されていなかった。Farrが主張したように、病因によって死亡を分類することは、死亡を原因によって分類していることにはならないのである。Farrはむしろ、伝統的な病気のphysiologicalな定義によっていたとする。つまり、死亡は特定の死因ではなく複数の複雑な過程によって生じると考えた。こうしたconstitutional medicineの立場では、死因統計はあまり意味をなすものではない。Farrにはconstitutional medicineの立場を理解しつつも、死因を分類する必要があることへの葛藤があり、それがChadwickとの論争につながっていった。
M. Marmot. 2002. The influence of income on health: view of an epidemiologist. Health Affairs 21(2):31-46.
収入は健康に影響するのか?というシンプルな問いについてレビューしている。国家間のレベルが問題なのか、国家内の不平等が問題なのか、それとも貧困が問題なのかといった点を検討している。
筆者ははじめに低収入(貧困)の問題から入る。貧困について、筆者は「物質的貧困」と「社会参加」の二つをあげる。物質的貧困の例としては安全な水にありつけるかというものがあげられており、これはある域値を下回るまで収入と相関すると考えられるため、ある値の収入までは、物質的貧困によって収入と健康の関連が生じると考える。反対に、物質的貧困が変わらないレベルまで収入が上がった時には、社会参加の違いが健康に影響するという。
筆者は、貧困について考えるために、歴史的な事例を持ち出す。事例は幼児死亡(infant mortality)。Joseph Rowntreeの息子であるB. S. Rowntreeは、19世紀後半のイギリスにおける3つの労働者階級の幼児死亡率について調査を行なった。これらの三つの地区では幼児死亡率は1000人あたり173-247だったが、同時期のヨークにあるservant keeperの地区では94だった。
Rowntreeは幼児死亡率の高さを労働者階級の人の無知に見だしたが、筆者はこれに対し反対の立場をとりつつ、仮に無知が原因だったとしても、当時のイギリスで豊かと考えられた集団の1000人あたり94という幼児死亡率が現代イギリスにおけるもっとも脆弱な集団(シングルマザーなど)に比べて明らかに高いのはなぜかと提起する。筆者は、労働者階級の死亡率の高さは物質的な窮乏にあるだろうとした上で、豊かな層においても同じように現代からすれば栄養や医療的な技術が足りなかったのだろうとする。合わせて、Prestonの分析も踏まえながら、個人の収入の豊かさだけが問題なのではなく、彼らの住むコミュニティの豊かさも重要なのだとする。
続いて、Whitehallらによるイギリスの公務員を対象にした調査によると、死亡率に域値はなく、社会階層性に従って死亡率にも差が見られるようになっているとする。この事実から筆者は現代においては物質的な窮乏、つまり貧困ではなく不平等が重要なのだとする。
続いて、筆者は平均余命の国際比較データをもってくる。見なれた図であるが、ポイントは現在の先進国では豊かさと余命の国レベルの差は弱くなっている。いくつかの事例を弾きつつ、先進国では収入は健康における差を生み出すcondition of lifeを測る適切な指標ではなくなっているとする。この例として、筆者はコスタリカの一人当たりGNPは$2,800に過ぎなく、これはアメリカの黒人の平均年収($26,000)に比べれば低いことを指摘する。しかし、コスタリカの平均余命は74歳であるのに対して黒人の平均余命は66歳であるとする。
仮に絶対的な水準ではなく、不平等が重要であるとする場合、それは何によって説明できるのか。カナダの事例からは不平等と死亡率の間の関連がアメリカより弱く、これはカナダではアメリカに比べ貧困でも広範な医療サービスにアクセスできるといったインフラ的な文脈の違いがあることを指摘する。あるいは、イチロー・カワチの研究のように不平等と死亡の関連はソーシャルキャピタルによって媒介されているとする研究もある。
Lynch, J.W., Davey Smith G., Kaplan, G.A., House, J.S. 2000. Income inequality and mortality: importance to health of individual income, psychosocial environment, or material conditions. BMJ 320:1200-4.
収入の不平等と死亡を含めた健康との関連に対する解釈枠組みのレビューと少し珍しい論文。筆者らは三つの解釈をレビューしている。まず個人収入による解釈。一人当たりGDPと寿命の関連を見ると、曲線的、具体的には先進国ほど個人所得の平均の伸びと寿命の関連は無くなっていくが、これは平均を見ているからで、一社会内部における所得の分散によって多少は健康の分散も説明できるとする立場である。
次は心理社会的な要因。これは収入の不平等によって階層性があると、それを人々が認識することによって下位に位置する人の中では否定的な感情が生じ、反社会的な行動や社会関係資本の低さとなり、健康に分散が生じるとする考え。ちょっとよくわからないが、筆者らもこの考えには批判的である。まず、不平等をすべて主観的な要因に帰しているため、構造的な要因を過小評価している。あるいは、ソーシャルネットワークには健康に対してマイナスの効果もあるのに、それを過小評価している。
最後の新物質的な解釈では、収入の不平等によって得られるリソースに差が出るというもの。単に収入だけではなく、様々なリソースにアクセスできるかが重要というのがポイントかもしれない。筆者らはこの解釈を、飛行機のファーストクラスに乗るか、エコノミーに乗るかで健康への影響が異なってくる可能性の例を用いながら説明する。
Case, A., Deaton, A. (2015). Rising morbidity and mortality in midlife among white non-Hispanic Americans in the 21st century. Proceedings of the National Academy of Sciences, 112(49), 15078-15083.
アメリカでは1999年から2013年の間に、非ヒスパニック系白人の中年層における死亡率が、どの病因でも増加していることを指摘する。この死亡率の反転は先進国ではアメリカだけであるとする。特にドラッグとアルコール、自殺、慢性疾患による死亡が増加している。学歴別に見るとどの層でも死亡率は増加しているが特に低学歴層における死亡率の増加が顕著である。死亡率の増加は疾患率の増加とパラレルである。この背景にある経済的な要因として、筆者は経済的不確実性の増大との関連を指摘する。アメリカのベビーブーム世代は、1970年代初頭の経済不況を経て、中年期になって初めて自分の親よりも豊かになれないことを実感するに至ったとする。しかし、成長の鈍化はアメリカだけではない。これに加えて、defined contribution pensionを維持しているヨーロッパとは異なり、アメリカではdefined contributionとstock market riskを合わせた形に移行していることが背景であるとする。将来に対するリスクがより高まったという解釈だろうか。アメリカでは合わせて障害を持つ人も増加しており、病因の増加とともに、近年のアメリカにおける労働供給率の低下を説明するのではないかとしている。
Escherichia coli 大腸菌
Poultry 家禽(domestic fowl)
Vigilance 警戒
filth 汚らわしいもの
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