March 19, 2015

社会科学の哲学の春

表題のとおり、18-19日は一橋大学にて社会科学の哲学の本の輪読会に参加してきました。
輪読、といいつつ2日で一冊の洋書を読み終えるというもので(ただし一部の省は省略)、昼から午後七時までなかなかの密度だった。

昔はレジュメを詳しく書くスタイルだったが、最近は簡潔に書くという環境に身を置いているので、今回担当した章もシンプルにまとめることを心がけた。実際のところ、他の発表者はおおよそ1章に六枚程度のレジュメをつくり、かなり丁寧に解説をしていた。1章あたりの時間も1時間20分と個人的には非常に長い設定で、私の回はじゃっかん時間にあまりが見られ気まずかった(と思っているのは本人だけかも知れない)。


哲学プロパーの人の知識量はやはりすさまじく、今回の文献に関しては私からは実際に分析している時の経験や、調査法におけるトピックを紹介するくらいしかできなかった。とはいえ、他分野からの人が多いことによって議論にも豊かさが生まれた気がするし、参加者はみな非常にきちんとした方だったので、運営的にも大きな問題は特に生じることなく2日間を終えることができた。


私は、社会科学の哲学というと、社会科学を哲学的に対象化するものと考えていたのだが、もう一つ、哲学において古典的な問題を社会科学的な手法で解決する分野もあるらしい。今回の文献は、後者の視点も入ったテイストになっていた。感じたこととしては、日頃私たちが何気なく使っている、価値や因果、メカニズムといった言葉にも様々な次元、定義があるのであり、哲学はそこをできるだけ明晰に分析していくのに努力しているという印象を持った。こうした姿勢は、既存の社会科学の営みを哲学的に批判することには長けているのかも知れないが、一方でこれまでの営為を踏まえてどのように改善していくべきかという方向性の提示まではしていないように感じた。社会科学の哲学で議論されている内容を踏まえれば、実践者はより反省的になれるかも知れないが、やはりその一歩先にじゃあどうすればいいのかということを言いたくなったときに、この分野はどのように応答してくれるのだろうか。


そのようなことも考えたのだが、これ以上に様々な大学、分野の人と話すことができたのも(予想はされたが)副産物的な意義だった。2日目の懇親会が終了した後、結局、一橋の社会学の人たちと吉祥寺で3時までの飲むはめになり(ここまで遅く飲んだのは3年ぶりくらいだろうか。久しぶりに飲んでとても楽しかった)、今日は9時半に起床、その後すぐに例の執筆アシスタントに入った。

明日からまた日常が始まるのでしっかり生きよう。






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