October 17, 2013

現地で評価の高いものが紹介されるとは限らない。


寝られないので久しぶりにブログ

こっちにきて、日本にいるときよりも一日あたりに吸収できる知識が三倍くらいに増えた気がする。
理由としては、単純に、受ける授業の数が減り予習時間が増えたことが挙げられる。また、受けてる授業はソシャネ、人類学、質的研究法と今まであまり触ってこなかった領域なので、新しい知識が増えるのは当たり前と言えば当たり前だ。

だが、一番大きいのは、日本では知ることがなかったであろうイギリスの社会学の仔細に、毎日接することができるからだと思う。

それは言い換えると、同じ社会学でもイギリスと日本の文脈は大きく異なるということだ。

特に、イギリス(とアメリカ)の質的研究法の研究伝統が日本の教育にはほとんど反映されていないことを強く感じる。

こっちだと学部生のSocial Researchの教科書には、必ずと言っていいほどBrymanやSilvermanの書いた本がリーディングに挙げられる。そして、その本を読めば、今まで、社会調査を巡ってどのような議論が展開されてきたのか、大体を把握することができる。シラバスに書いてあるAdditional Readingに指定された論文を読めば、細かいところまで分かる仕組みになっている。

例えば、質的研究法を巡る存在論・認識論の議論、方法論を巡るパラダイム戦争などはDenzin & Licolnによって詳しく紹介されているが、日本にいる間、質的研究法がここまで理論的、方法的に議論されていることなど知るすべも無かった(というと言い過ぎというか、自分の勉強が足りなかったことを棚に上げているような気もする)。

最近になって専門書が出てくるようになったマルチメソッドに関しても、これらの研究伝統に位置づけられる。こうした文脈の機微について、授業の冒頭で指定されたリーディングで分かるのだから、最初はかなり驚いた。
(こっちの質的研究法の授業で指定されている教科書でほぼ唯一訳されているのは、Flickの質的研究法入門である。)
http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-49909-2/



とは言いつつ、別に文脈を踏まえなくとも、役に立つ方法はそれとして紹介されれば、特に社会調査法においては充分だろうと思っている。

例えば、ソシャネの教科書(Scott 2000)によれば、現在のソシャネが形成されるまではMorenoらの初期の研究の後に、ハーバード→マンチェスター→ハーバードの順に(マンチェスターを経由して再びハーバードでGranovetter, Burtらにより花開くらしい)、計三つの大学で刷新があったと書かれているのだが、正直このような歴史を踏まえなくてもUCI-NETとそれに関する教科書を手にすれば、ソシャネは学べてしまう。マルチメソッドに関しても、歴史的位置づけなど踏まえなくても、Brymanなどの本を読めば理解できる。


ただし、こっちで得られている知識はそうした文脈の違いだけで、役に立つ方法は日本にいても十分勉強できる。という結論にはならない。単純に、イギリスの社会学それぞれの分野で古典とされている研究で訳されていないものはたくさんあるからだ。

これに関して思うのは以下の二点
・イギリス社会を舞台にした細かい議論よりも、理論的文献の方が好まれる(ex. ギデンズ)
・日本人の訳者とイギリス人の研究者の間にコネクションがないと訳されにくい(ex. ファーロング、クロスリー)

例えば、ファーロングとクロスリーについて考えてみる。
アンディ・ファーロングはイギリスの教育社会学者でリスク社会論をベースに若者の移行期変容について研究している。
この人に関しては、乾彰夫(首都大学東京)が個人的な付き合いがあるらしく(乾(2010)のあとがき参照)、以下の訳書が刊行されている。

若者と社会変容―リスク社会を生きる [著]アンディ・ファーロング、フレッド・カートメル
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704778.html

また、マンチェスター大学のニック・クロスリーに関しては西原和久(名古屋大学)が彼の著作を三つ訳している。
http://kazuhisa-nishihara.com/3.html

訳書は全て2003年以降の刊行になっていて、経歴から2002年にマンチェスター大学に客員研究員として滞在していたことがわかるので、恐らくこの時期にクロスリーとコネクションを持ったのだろう。

つまるところ、訳される本には何らかの傾向性があると同時に、訳者との個人的なコネクションも重要になってくると思う。

もちろん、これ以外にも出版社の都合や予算的な問題などは関わってくるだろうが、現地で評価されている本が、必ずしも訳される可能性が高いとは言えないことに変わりはない。


例えば、イギリスの家族社会学では、Finch & MasonのNegotiating Family Responsibilities は古典的な評価を受けていると思われる。(google scholarでの引用数1104)
http://www.amazon.co.uk/Negotiating-Family-Responsibilities-Janet-Finch/dp/0415084075

ちなみに、google scholarでFinch and Masonが日本語の論文で引用されているか調べてみると、1件しかなかった(恐らくgoogle scolarに日本語の論文はあまり載らないので参考までに)
http://scholar.google.com/scholar?lr=lang_ja&hl=ja&as_sdt=2005&sciodt=0,5&cites=2147854281829395894&scipsc=

他にも、MorganのFamily Connectionsも引用数500超だが、日本語の論文でこれを引用しているのは2件にとどまる。
http://scholar.google.com/scholar?lr=lang_ja&hl=ja&as_sdt=2005&sciodt=0,5&cites=17026884468652732871&scipsc=


このように、現地で評価を受けているものが必ずしも日本語の論文で引用されたり、邦訳されたりする訳ではない。しかし、読んでみると日本の事例にも応用できそうなものは多いので、少し残念な気持ちになる。





【一週間で新しく読んだ文献】

Ahearn, L. M. 2003. “Writing desire in Nepali love letters.” Language & Communication.
Becker, H. S. 2008. Writing for Social Scientists. University of Chicago Press.
Berg, B. L. B. L. 2009. Qualitative Research Methods For the Social Sciences.
Burgess, R. G. 1990. Studies in Qualitative Methodology. Jai Press.
Marsden, M. 2007. “Love and elopement in northern Pakistan.” Journal of the Royal Anthropological Institute.
Morgan, D. 1996. Family Connections. Polity.
Neuman, W. L. 2010. Social Research Methods. Pearson Education.
Sugimoto, Y. 2010. An Introduction to Japanese Society. Cambridge University Press.
Williams, M. 2000. “Interpretivism and generalisation.” Sociology.






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