ときたま日本の方からアメリカの博士課程進学について相談を受けることがある。ありがたいことだとは思いつつも、博士課程進学にはリスクもあるので、迷っている人の背中を押す気にもなれず、のらりくらりと避けてしまうこともあるのだが、心の中では、日本から進学する人が増えて、日本研究を盛り上げてほしいと思うことは多い。
まだ相談を受け始めて数年なので、確からしい傾向は見えないが、「大学院出願を考えている」とコンタクトしてくる人の多くは、実際には出願に至っていないことに気づいた。いくつか仮説があるだろう。
素直な仮説は、大学院出願は大変だ、という説である。一回あたり馬鹿にならない費用のTOEFLやGREのスコアが伸びずメンタル的にくることもあるだろうし、周りに出願する人が多い環境ではないと孤独な受験勉強は負担が大きい。私も準備をしているとき、特に浪人に等しい一年を過ごしていたとき、この時間を研究に使えないことの機会費用が小さくないことに苛立っていた。どこかで出願さえ見合わないリスキーな投資だと考えれば、相談してきた人のうち多くが出願に至らないのは、理解できる。
素直ではない仮説は、相談に来るグループが何かしら特徴を持っていて、それが出願を阻害しているという説である。考えてみると、そもそも出願を決めている人は、相談にすらこない(例:自分)。相談に来るというのは、出願しようか悩んでいるから相談に来るのかもしれない。もし相談に来る人ほど相談にこない人に比べて出願しにくいということであれば、これは(逆?)生存者バイアスと言ってもいいかもしれない。
これまでの経験上、出願を考えている段階の人の悩みというのは、日本に残る/アメリカに行くことのメリット・デメリット、修士を日本でこなしたほうがいいのか、出願までにどういった準備をするべきか、といった割と分類可能な程度には均質的な気がしており、1対1で相談するにしても話すことは似ている。
そのため、広くリーチアウトする意味でも、留学講演会、みたいな機会があればいいのかもしれない。大きく「アメリカの大学院に進学する」の中に社会学の人がポツンと入ることはあるが、経済学のようにもっと社会学として組織的にやったほうがいいのかもしれない、といっても需要はそこまでない気がする。月に一通くらい来るメールでの相談をもって、潜在的にどれくらい関心がある人がいるのか、予想することは難しい。
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