November 7, 2020

英語の夢を見る

留学をしてる友達から、たまに英語で夢を見るようになったという話を聞く。これは比較的「あるある」の留学経験の一つかも知れない。私も、いつか英語で夢を見るようになるのかと心待ちにしていたのだが、アメリカについても全然その気配がなかった。夢を見ても、登場人物は常に日本語を話していた。

やはり英語が苦手だから、耳に入ってこないからなのかと思ったこともあったのだが、ここ最近見る機会が増えている。一つには7月から引っ越した家では同じ学部のルームメイトとよく話していること、もう一つは逆にロックダウン以降、現地の日本の人と会う機会が減り、日本語を使う機会が明らかに減った(週に1度の家族との電話と、隔週のポッドキャストくらい)ことが影響しているのかも知れない。あるいは英語の小説も読み始めて、寝るまでずっと英語に脳が触れていることもあるのかもしれない。これは余談だが、こうやって定期的に日本語で文章は書いていても、話すというのはまた別の営みで、しばらく使わないと日本語でも言葉に詰まる時がある。

英語で夢を見るという時に、誰が英語を話しているのかという問題がある。自分の場合は、実際の経験と一致していて、日本語で話している知り合いは日本語で話すし、英語で話している人は英語で登場してくる。両者が一緒の場にいることもあるがその頻度は少ない。

したがって、英語で夢を見る機会が増えるにつれて日本語で話す知り合いの登場頻度は減っているのだが、不思議と舞台は日本のままであることが多い。今日は夢の中でこっちの社会学部にいる人たちと、なぜか日本の中学校の教室で給食を食べていた。高校では給食がなかったから、あれは中学校だと思う。教室の机を6つくらい集めて島みたいにして給食を食べるのが中学校の習慣だったが、一つ向こうの島には、学部の先生が一人と、博士課程の友人たちがいた。マディソンの友人とプリンストンの友人のミックスで、これも普段はありえない。そのテーブルにいるのは全員whiteだったのは少し印象に残った。

給食を食べながら、日本にいる先輩にお子さんができるのでみんなでお祝いしようという話が上がり(これは英語でも日本語でもなかった)、その後に日本語がわからないメンターの先生が大量のシュクダイ(そこだけ日本語だった)があるから忘れず提出するようにと言っていた。その先生は中学校時代の先生と重ね合わされているのだろうか。こういった現実には実現することはないが、ベースは現実の経験をもとにしている、そういう夢を見る機会がたまにある。

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