November 19, 2020

11月18日 共著の誘いをめぐる尽きない悩み

10時から授業、その後少し休憩を挟み卒業した先輩に来てもらって博論の経験シェア、午後2時から結婚と健康の関連に関する論文のミーティング、4時から別のミーティング、最後に9時からreadiと忙しい1日だった。

4時からのミーティングは急遽決まったものだった。先週の授業で高齢者の貧困に関心があるコーホートの友人の報告に対して、日本では(単身)高齢者の増加が格差拡大の要因だけどアメリカではどうなんだろう、と言ったら興味を持ってくれたようで、関連する話題でアメリカの事例を用いた共著の誘いだった。

最近、2nd authorではあるがアメリカのデータを用いた分析にも誘ってもらえる機会が増えてきて、嬉しい気持ち半分、お手伝いでおわってはいけないという危機感半分の二つが交雑することがある。今のところはとりあえず誘いには全て乗っておいて、面白くなりそうなものにはギアチェンジをするように心がけている。忙しいので今回はちょっと…という気持ちもなくはないが、自分の中でまだそんなに選べる地位でもないだろう、という変な卑下が混じることがある。悪い冗談の一種だが,昔のNIHはユダヤ人の頭脳と日本人の手で運営されているというジョークがあり、あながち私のコラボレーションも結果的にその体をとることは少なくない。

カタカナ英語だと自分のバリューをどうやって出すかという話だが、コラボレーションが盛んな研究環境だと、自分ができるユニークな貢献は何かを考えることは、とても大切だと考えている。

なぜか?一つには、そうやって自分の強みを把握することで新たなチャンスをもらえるかもしれないから、他人はいろんなところで見ている。もう一つは自分の研究時間を多少なりとも使うわけなので、他の人でも時間があればできることは今は避けておきたいという気持ちがある。皿洗いも大切なのだが、皿洗いだけで終わるとオリジナルの料理(=博論)を作ることはできない。

ただし、日本が専門という文句で自らを宣伝している身からすると、どこかでアメリカのデータでも分析し、論文を書くことはできるというポーズ(ポーズではダメなのだが)を取っておくことも「日本しか知らない人」という偏見を封じるという意味では無益ではないのかなと思っている(どれだけ益があるのかわからないし、そもそもそういう損得勘定で研究してはいけないとは思いつつも)。日本のスペシャリストという方向性で研究をうまく昇華しつつ、日本以外についても柔軟に検討できると、個人的には望ましい。

そういった他人からの目線(私が勝手に意識しているだけなのかもしれないが)とは関係なしに,アメリカのデータを分析することで自分自身の研究についてもフィードバックはもちろんある。アメリカのリッチなデータを触るたびに,別に日本でなくてもいいのでは?と思うことも増えるので、そう言った意味でも、共著をするたびに悩みは尽きない。日本のデータだといろいろ制約があることも多いので「できない中で何ができるか」と考えがちなのだが、アメリカのデータだとそのリッチな情報を使っていろんなことができるのではないかと思うことは少なくない。もちろんこれは程度の問題で、アメリカの人からすれば北欧のレジスターデータに対して私がアメリカのデータに抱いているような「なんでもできる」という思いを寄せているのかもしれない。

自分の研究が第一と思いつつも、コラボの大切さも感じるのでバランスは難しいところである。とはいえ、多少なりとも目につくことを言ったりしているから興味を持ってもらえると思うので、そこはポジティブに考えている。若干話を逸れると、基本アメリカの人は優しいので、私がどんなコメントをしてもappreciate してくれるのだが、そうしたお世辞を抜きにサブスタンティブな貢献を、私は本当にできているのか、私がそこにいて発言することによって参加者がベネフィットを得ているのか、半信半疑になることは少なくない。これはいわゆるインポスターの一種かもしれない。

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