November 26, 2020

11月26日

 午前中にmarriage and health、午後にコロナ、夜にまた別のコロナ論文。

November 22, 2020

11月22日

 朝起きて結婚と健康の分析の用意。

11月22日

 一時帰国。


10年前に大学に入った時に流行ってたサンデルの熱血講義、内心思ってることを打ち明けずに和を保つ日本的なスタイルとは異なる新鮮さを感じた。その後入った東大・北京大で議論するサークルでも、お互い譲れないところまで理解し合うことの大切さを学んだ。

立場の相違を理解する、言うは易し行うは難し。それからの10年は、互いに合意できるベースが失われる流れが強くなり、ソーシャルメディアを始め、違う立場の人が議論し合わず、このままでは対立が深まるばかりなのではないかと、不安になることがある。エビデンスの正しさだけでは人は合意できない。

この不安を解決する手立ては見出せていないが、高等教育の大切さを痛感するには十分すぎる。リベラルアーツは専門教育の前に位置付けられるが、今後はむしろ専門教育を受けた後に異なる分野/立場の人と議論し、どこまで合理できる/ないのか、それはどのような根拠に基づくかを深める教育が必要かも

November 19, 2020

11月18日 共著の誘いをめぐる尽きない悩み

10時から授業、その後少し休憩を挟み卒業した先輩に来てもらって博論の経験シェア、午後2時から結婚と健康の関連に関する論文のミーティング、4時から別のミーティング、最後に9時からreadiと忙しい1日だった。

4時からのミーティングは急遽決まったものだった。先週の授業で高齢者の貧困に関心があるコーホートの友人の報告に対して、日本では(単身)高齢者の増加が格差拡大の要因だけどアメリカではどうなんだろう、と言ったら興味を持ってくれたようで、関連する話題でアメリカの事例を用いた共著の誘いだった。

最近、2nd authorではあるがアメリカのデータを用いた分析にも誘ってもらえる機会が増えてきて、嬉しい気持ち半分、お手伝いでおわってはいけないという危機感半分の二つが交雑することがある。今のところはとりあえず誘いには全て乗っておいて、面白くなりそうなものにはギアチェンジをするように心がけている。忙しいので今回はちょっと…という気持ちもなくはないが、自分の中でまだそんなに選べる地位でもないだろう、という変な卑下が混じることがある。悪い冗談の一種だが,昔のNIHはユダヤ人の頭脳と日本人の手で運営されているというジョークがあり、あながち私のコラボレーションも結果的にその体をとることは少なくない。

カタカナ英語だと自分のバリューをどうやって出すかという話だが、コラボレーションが盛んな研究環境だと、自分ができるユニークな貢献は何かを考えることは、とても大切だと考えている。

なぜか?一つには、そうやって自分の強みを把握することで新たなチャンスをもらえるかもしれないから、他人はいろんなところで見ている。もう一つは自分の研究時間を多少なりとも使うわけなので、他の人でも時間があればできることは今は避けておきたいという気持ちがある。皿洗いも大切なのだが、皿洗いだけで終わるとオリジナルの料理(=博論)を作ることはできない。

ただし、日本が専門という文句で自らを宣伝している身からすると、どこかでアメリカのデータでも分析し、論文を書くことはできるというポーズ(ポーズではダメなのだが)を取っておくことも「日本しか知らない人」という偏見を封じるという意味では無益ではないのかなと思っている(どれだけ益があるのかわからないし、そもそもそういう損得勘定で研究してはいけないとは思いつつも)。日本のスペシャリストという方向性で研究をうまく昇華しつつ、日本以外についても柔軟に検討できると、個人的には望ましい。

そういった他人からの目線(私が勝手に意識しているだけなのかもしれないが)とは関係なしに,アメリカのデータを分析することで自分自身の研究についてもフィードバックはもちろんある。アメリカのリッチなデータを触るたびに,別に日本でなくてもいいのでは?と思うことも増えるので、そう言った意味でも、共著をするたびに悩みは尽きない。日本のデータだといろいろ制約があることも多いので「できない中で何ができるか」と考えがちなのだが、アメリカのデータだとそのリッチな情報を使っていろんなことができるのではないかと思うことは少なくない。もちろんこれは程度の問題で、アメリカの人からすれば北欧のレジスターデータに対して私がアメリカのデータに抱いているような「なんでもできる」という思いを寄せているのかもしれない。

自分の研究が第一と思いつつも、コラボの大切さも感じるのでバランスは難しいところである。とはいえ、多少なりとも目につくことを言ったりしているから興味を持ってもらえると思うので、そこはポジティブに考えている。若干話を逸れると、基本アメリカの人は優しいので、私がどんなコメントをしてもappreciate してくれるのだが、そうしたお世辞を抜きにサブスタンティブな貢献を、私は本当にできているのか、私がそこにいて発言することによって参加者がベネフィットを得ているのか、半信半疑になることは少なくない。これはいわゆるインポスターの一種かもしれない。

November 17, 2020

11月17日

今日は昼に人口学セミナーがあった以外は特に用事がなかったはずだが、ルームメイトの引っ越しの手伝いなどをしている中でやや時間が消えていった。まだ3-4年あるはずなのだが、たまに気持ちが焦ってしまうことがある。

夜ご飯は感謝祭風のもの。アメリカに来て以来、これで3度目の感謝祭ディナーになる。1度目はマディソンの1個上の先輩の家、2度目はプリンストン の1個下のコーホートと一緒に、3度目はルームメイトとしっぽり。普段食べることのない味気ないターキーの上にクランベリーの乗せる時、ああこの季節が来たんだなと過去を振り返るとともに、来年はどこで感謝祭のディナーを食べているのかと考える。

November 16, 2020

11月15日

 今日も比較的のんびりしていた。朝に思いついたアイデアのイントロを書き、朝ごはんを食べコロナの分析と論文を読んで昼飯にして、その後PSIDのデータを作成しつつ、asian americanドキュメンタリーを見た後に、残り物を使って料理(浅漬けx2、味噌汁、かぼちゃの煮物、いなり)。夜ご飯は作った料理でルームメイトと一緒に。大麻などの話を通じてアメリカと日本の比較。部屋に戻って研究会に参加しつつコロナとPSID、その後本を読み、翌日の授業準備を軽くして午前1時ごろに寝る。

これ今に思ったことじゃないけど海外(自分の場合はアメリカ)にいる方が多少なりとも比較の視点で日本を捉えることができるようになると思うので、日本社会を対象に研究したい人には逆説的だけど留学を勧めたい

多分昔は一度海外に出ると資料やデータにアクセスできなくて困る(それは今でもなくはない)という制約があったと思うけれど、そういうのは減っているし、日本にいる人ともオンラインで議論もできるので、日本にいないことのデメリットは減っているから個人的には可能ならどんどん留学すればいいと思う

November 15, 2020

11月14日

今日はのんびりとした1日。昨日はルームメイトのコーホート向けのフェアウェルがあった。

午前中に生活時間関連の論文をいくつか読み、日本人の知人とのランチ。そこで博論構想をしているという話からアイデアを日本語で話したところ、帰宅後多少整理がつくようになった。国際比較は難しいがもう少し頑張っていこうと思う。

帰宅後は昼寝をして、ルームメイトとasian americanのドキュメンタリーを見た、1960年代のアメリカにおける「Asian American」の誕生、ベトナム戦争、および新しいアジア系移民の話。夕食はルームメイトに作ってもらい、その後に人口学会に参加。性・出生に関するもの。最初の報告は転勤が夫婦関係満足度と追加出生に与える影響。予想通り、転勤は満足度にも追加出生にもマイナスなのだが、満足度に関しては転勤の最初が最もネガティブで、その後回複する。こういった介入が難しい連続的な処置変数をどう対処するのかという疑問もあったが、個人的には転勤による因果的な効果がそこまで大きいかと言われると、わからないところもある。出生については、確かに物理的に共同生活していないと難しい部分はあるだろう。第2報告は生活時間、生活基礎調査A票だと6歳以上の末子の場合には育児時間が家事時間とカウントされるらしい。国際比較にはB票が向いてるとのこと。第3報告は無子の話。結婚意欲がある人の中でも無子希望の人が経年で増えているのは興味深かった。

その後小説を読みながらのんびりして終了。明日は多少研究するかも知れない。

November 12, 2020

11月11日

 前日は寝不足であまり記憶がない。人口学セミナーで初めてスピーカーの紹介をするのに緊張して寝れなかった(小心者)、その後スピーカーの先生と話したけどこちらも緊張して変な英語を話していたかも知れない。夜のセミナーの頃には多少起きてきたが、そのあとに午後10時からミーティングというやや非人間的な1日だった。

今日は比較的よく眠れ(パッキングをしてるルームメイトが早くに作業してたので少しだけ眠かったが)9時からのセミナーで博論の構想を報告した。前回よりは上滑り感はなかったが(それは自分が構想に対して持っている自信に依存するのかも知れない)、それでも課題は多いままという感じだった。やはり根本的には、国際比較をしたいという動機と、サブスタンティブな問題関心がまだうまくリンクできていない、ところに尽きるのかなと思う。もう少し粘ってみて、自分の中で自然に問いを提示した結果自然と比較的なアプローチになるとすればそれがいいかなと思う。

自分以外にも博論の構想を一人1時間、しっかり報告した。その雰囲気はさながら日本のゼミを思い出させるもので、言語は違えどやろうと思えば似たような場は作り出せるのだなと思った。サジェスティブにコメントしようとしても内容を踏まえると結果的に結構厳しい雰囲気になることは多々あり、それについて誰も気まずいとは言わないのだが、みんながその気まずさを共有している感じは、特に日本にいた時を思い出した。もちろん周りは気まずさなんて感じておらず、私が勝手にフラッシュバックさせてるだけなのかも知れない。

終了後昼食を食べ、雨の予報が出ていたので、その前に用事を済ませようと外に出る。郵便局はベテランズデイでしまっていた。魚屋でサメとhake(名称不明)を買って、図書館で本を借りる。いまいち眠気が取れなかったので(それでも仕事にならないほどではなかった)、グラフの作成やデータの申請など細々とした仕事をしつつ、午後5時に終了してサメを調理した。他の魚に比べるとお手頃だったので買ったのだが(それでも1ポンド16ドルだが)、味も値段相応という感じだった。ややボソボソした感じで、特に甘味などもない(味覚はある)、ステーキにしたら多少肉感が増して美味しかったが、積極的に食べたい魚ではなかった。

夜に少しきょうだい論文を進めて就寝。昨日の先生との面会、今日の報告で今学期の山場は超えたので、気持ち的に落ち着いている。とはいえ帰国までにやることは割とある。

November 9, 2020

11月9日

 生徒からの質問で「団地にエレベーターってあるの?」と聞かれた(高齢化で団地に住む独居老人の話の延長)。ひとまず基本的にはないと答えておいて(昔、叔母と祖母が住んでいた団地もエレベーターはなかった)住宅土地統計や関係文書を調べたところ、6階以上は法律でマストらしいことがわかった。

5階建ての非木造住宅に限定すると、2013年時点ではエレベーターを設置している団地は32%しかない一方、民間借家では68%に上るのは面白かった。確かに祖母たちが住んでいた団地も4階がマックスだった。

大学で社会学やるまであまり考えたことはなかったけど、自分の通ってた小中学校は県庁の役人の子どもと団地住みの子どもが同じくらいいて、社会経済的には割と多様だったかも知れない。


November 8, 2020

11月8日

 遅くまで小説を読んでしまってやや眠い。午前11時から友人に誘われてブランチ。インサイドだったけど、みんなテストを受けているので多分大丈夫だろう。帰宅後昼寝をして、博論第4章について考える。その後日本社会論の準備と少し論文を書く。夜ご飯はルームメイトに作ってもらう。

November 7, 2020

11月7日

久しぶりにのんびりした1日。朝起きて外でクレープブランチ、その後本屋、日本雑貨店、魚店で買い物。帰宅して昼寝。しばらくしてちょっと仕事。午後6時から買ってきたタラ(cod)を調理。

英語の夢を見る

留学をしてる友達から、たまに英語で夢を見るようになったという話を聞く。これは比較的「あるある」の留学経験の一つかも知れない。私も、いつか英語で夢を見るようになるのかと心待ちにしていたのだが、アメリカについても全然その気配がなかった。夢を見ても、登場人物は常に日本語を話していた。

やはり英語が苦手だから、耳に入ってこないからなのかと思ったこともあったのだが、ここ最近見る機会が増えている。一つには7月から引っ越した家では同じ学部のルームメイトとよく話していること、もう一つは逆にロックダウン以降、現地の日本の人と会う機会が減り、日本語を使う機会が明らかに減った(週に1度の家族との電話と、隔週のポッドキャストくらい)ことが影響しているのかも知れない。あるいは英語の小説も読み始めて、寝るまでずっと英語に脳が触れていることもあるのかもしれない。これは余談だが、こうやって定期的に日本語で文章は書いていても、話すというのはまた別の営みで、しばらく使わないと日本語でも言葉に詰まる時がある。

英語で夢を見るという時に、誰が英語を話しているのかという問題がある。自分の場合は、実際の経験と一致していて、日本語で話している知り合いは日本語で話すし、英語で話している人は英語で登場してくる。両者が一緒の場にいることもあるがその頻度は少ない。

したがって、英語で夢を見る機会が増えるにつれて日本語で話す知り合いの登場頻度は減っているのだが、不思議と舞台は日本のままであることが多い。今日は夢の中でこっちの社会学部にいる人たちと、なぜか日本の中学校の教室で給食を食べていた。高校では給食がなかったから、あれは中学校だと思う。教室の机を6つくらい集めて島みたいにして給食を食べるのが中学校の習慣だったが、一つ向こうの島には、学部の先生が一人と、博士課程の友人たちがいた。マディソンの友人とプリンストンの友人のミックスで、これも普段はありえない。そのテーブルにいるのは全員whiteだったのは少し印象に残った。

給食を食べながら、日本にいる先輩にお子さんができるのでみんなでお祝いしようという話が上がり(これは英語でも日本語でもなかった)、その後に日本語がわからないメンターの先生が大量のシュクダイ(そこだけ日本語だった)があるから忘れず提出するようにと言っていた。その先生は中学校時代の先生と重ね合わされているのだろうか。こういった現実には実現することはないが、ベースは現実の経験をもとにしている、そういう夢を見る機会がたまにある。

November 2, 2020

11月2日

6ポモ>日本社会論の準備、コメント、メール業務

2ポモ>プリセプト

1ポモ>コメント送付

1ポモ>博論プロポーザル修正

3ポモ>査読

1ポモ>査読レポート提出

11月1日

 11月になりました。つまりサマータイムの終了。のんびり小説を読みながら過ごしていたら、論文査読の依頼が来ました。今までも依頼はきたことはあり、指導教員と一緒にやったりしたのですが、今回初めて単独できた依頼を受けることにしました。査読は学界へのサービスなので極力協力したい(しなくてはいけない)と思いますが、あまり時間をかけすぎると自分の研究に差し障りもあるので、6ポモあたりが妥当かなと思っています(1ポモが通読、2ポモが前半コメント、1ポモが詳細に注意して再読、2ポモが後半コメント)。

その後2時からルームショウ。2カ月間の一時帰国のタイミングで部屋をサブレットしようかと思ってポストしてみたのですが、その期間ちょうど部屋を必要としているプリンストンの院生が見つかったので部屋を紹介しました。これで家賃を払わなくてもよくなったのでよかったです。

最近はルームメイトとよく夜ご飯を食べてます。今日は低温調理で焼肉を作り、先日作ったかぼちゃの煮物、残り物のサーモン、あとは買ってきた塩辛にワインでいっぱい。