引越しは大変だった、この10年で10回目の引越しだったが(杉並⇨池袋⇨川口⇨マンチェスター⇨井の頭⇨巣鴨⇨水戸⇨マディソン⇨プリンストン)今回が間違いなく一番大変だった。まずコロナで非常に神経を使うし、湿度が高い中でもマスクをしなければいけない場面が多い。これに加えて、引越し当日はあいにくのtropical stormとバッティングし、大雨で何度も引っ越しが中断、最終的に全てが終わって寝たのが午前2時だった。翌日は買出しをした後に元いた部屋の掃除、部屋のオーガナイズ、鍵の受け取りをしていたが、頭痛がひどくてほとんど記憶がない。今日は今日で別の友人の引っ越しの手伝いをした後にマットレスの回収、日本語のボランティアをしていたが、午前の手伝いで疲れて午後5時くらいに1時間昼寝をしてしまった。前日の用意も含めてほぼ4日研究から離れてから今こうやって明日からの1週間の予定を考えていると、新鮮にプロジェクトを眺められるよさもある一方で、4日間で結構忘れていることもあるなと、危機感を覚える。
アメリカの引っ越しは日本とは異なり、自分でトラックを手配して運ぶ(つまりクロネコヤマトのような引っ越しサービスが相対的に少ない)のだが、今回はルームメイトになる学部の友人がトラックを運転してくれたので、その点は非常に助かった。次引っ越すときは自分が免許を持っていなければいけないと思う。
というわけで、ようやく新生活に入った。今まで私は自分の大学生活と関係ない人と一緒に住んだほうがいいと考えて、学部の友人と住もうとは考えていなかったのだが、今回は本来一緒に住むはずだった人がコロナ関係で予定が変更になり、同じくルームメイトを失ったその友人と住むことになった。この話も簡単に書いているが、色々と面倒くさいことがあり、コロナ下での引っ越しという経験は、これからの人生でも忘れないだろうと思う。
新しいルームメイトは台湾で生まれたアジア系アメリカ人で、学年は異なるが授業を一緒に取っていたので以前からよく話していた。専門的には東アジアに関心があるという一点を除き、ほとんど被りがないが、ネイティブのアメリカ人が多数を占めるプリンストンの社会学部にあって、背伸びせずに話せる数少ない友人の一人だった。もとから政治的にアクティブなのは知っていたが、この数日話してみると学部のホールウェイの立ち話では入れなかったような混み入った話もできて、価値観めいたもの(彼がどのように世界を見ているか)が少しずつだが、わかってきた。私は政治的にあまりアクティブな人間とは言えないので、こうやって言論の自由が許される空間で奇譚なく話せる友人に恵まれたのはありがたいことだと思っている。
時間があるときに書きたいと思うが、引っ越しの最中に起こっていた留学説明会の話を小耳に挟んだ後に、留学の意味とはなんだろうと考えると、こうやって自分が経験してこなかった、考えてこなかった、もしかしたら見ようとせず目を背けてきたことを抱えて生きている人の価値観に触れ、自分の考えをアップデートできることなのかもしれない。
新しい環境に入れば境遇の違う人と会うのは難しいことではなく、そういう意味でこの点は留学だけが提供できる経験ではないだろう。例えば、上京して大学に進学することは、自分が住んでいたことのない地域の人と接して考えを改める機会になるだろう。それでも、国を跨いだ移動は、価値観の異なる人との接触頻度を大幅に増やしてくれるだろうし、自分の価値観への揺らぎの幅も多いはずだ。
留学の利点はなんだろうと突き詰めて考えると、学位やネットワークといった便宜的なものも大事かもしれないが、こうした自分の人生を豊かにしてくれるような人、環境との出会いなのかもしれない。新生活に入って多少感慨深くなっているので、普段とはいっていることが違うかもしれないのはご愛敬。
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