May 14, 2019

批判的人口学へ向けて

先日、統計の授業に対する振り返りは終えたので、今回は人口学の授業の振り返りをしてみようと思う。

人口学に関連する授業は多い。先学期の振り返りでも述べたが、私は社会学部の博士課程に在籍するとともに、社会学部と関係の深い人口学研究所にもトレイニーとして所属している。本来、研究所と学部は独立のはずだが、なぜか本学では人口学研究所に所属すると社会学部から要求されるコースワークのrequirementが増える。具体的には学部の指定する授業と、人口学研究所の主催するセミナーに出席することが義務付けられる。

したがって、今学期もそのノルマに従うことになった。月曜日には先学期と引き続きpopulation and societyという名前の文献購読のセミナーに出る。火曜日と木曜日の午前中は形式人口学(人口学方法論)の授業、火曜日はその授業が終わった後に人口学研究所が主催するセミナー(外部の講師を呼んで報告をしてもらう形式)。水曜日にはもう一つの人口学研究所の主催するトレーニングセミナーに出た。

先学期は月曜日の文献購読セミナーが最もついていくのが辛かったことは前回の振り返りで述べたが、今学期は新しく上級生が数人加わった以外は、講師・学生とも同じラインナップで、この授業をいかに負担なくこなせるかが課題だった。結論から言えば、多少の慣れと工夫のおかげで前回よりも負担なく終えることができた。

「慣れ」からいえば、メンバーも前回と同じだったので、緊張感も前回ほどはなく、自分の思ったことをすぐ言える雰囲気にはなっていた。また、わからないときにどう言う表現を使えばいいのか、いい意味での「ごまかし」に関するスキルも他の学生を見ながら会得していけた気がしている。

今学期の文献購読セミナーでは多少の「工夫」もしてみた。まず文献を読み過ぎないことである。もちろん、時間が許す限り文献を丁寧に読み込むことは重要だが、アメリカの博士課程教育で課される文献の数は日本に比べると明らかに多く、文献購読のセミナーを二つとった今学期は先学期よりも読まなくてはいけない文献が倍以上になった。丁寧に読んでいては読み終わらないのだ。ではどうするかというと、論文の要点を素早く掴むスキルを身につける必要がある。それと、時間をかけすぎると他の課題を済ませる余裕がなくなるので、今学期はこの日までに読み終わり質問をポストする(この文献購読のセミナーでは前日までに文献を読んで浮かんできた疑問点をウェブポータルにポストすることになっていた)、ポストしたら当日までは文献を読み返さないポリシーを取った。こうすることで、期日までにアサインされた論文を読みきらなくてはいけない動機が生まれるし、終えてからは他の課題に集中できる。

こういった「工夫」は丁寧に文献を購読してこそ研究と考える見方からすると邪道に思われるかもしれない。私も、論文を読むときは要点だけではなく細部まで理解する必要があると考えていた。その考えはまだ捨ててはいないが、(どこまで一般化できるかわからないが、少なくとも社会学では)アメリカの大学院での教育では個々の論文の論点よりも、アサインされた論文に共通するテーマや対立する観点、比較してわかる課題などに重点が当てられる。訓詁学的に論文を丁寧に読み込む作業よりも(もちろんそういった作業は自分の論文を執筆するときには必要になるだろうが)全体の流れの中に文献を位置付けて体系的に議論する力の方が優先されるのだろうと現在は考えている。よくアメリカの教育では文献が大量に課され、「スキミング」のスキルが必要になるとされるが、別にそのスキミング能力を身につけること自体が文献を大量に課す目的なのではなく、数多くの文献から特定の論文がなぜアサインされ、アサインされた論文間の関係性を把握した上で全体の議論を掴むことが目的なのかもしれないと今は考えている。結果的にそうした全体の流れをつかむ力は論文を書く際のliterature reviewに通じるのだろう。

そういうわけで、人口学の文献購読セミナーについては前回よりもかなり負担なくこなすことができたので、その点はコースワークを通じて得ることのできた収穫なのではないかと考えている。もう一つの文献購読セミナーは政治学部の質的調査法でこれは色々と別の難しさがあったのだが、その点については後述する。

人口学の方法論、形式人口学については先学期が基礎、今学期が応用となっていて、先生も違う人になった。指導教員いわく、本学の応用形式人口学は人口学部を持つ他の大学(バークリーなど)のプログラムと競える水準にあると言われ、期待半分、ついていけるのか不安半分の気持ちで受講した。指定された教科書は形式人口学の世界では定番中の定番とも言えるペンシルバニア大学のPreston教授らが書いたDemographyという本で、基本的にはこの本に準拠して授業が進んでいった。

この本については、日本にいた時からその評判を聞いていたので、以前勉強会で読み通したことがあったのだが、その当時は何をいっているのかよくわからないところばかりだった、もちろん、今学期授業を受けてみてもまだわからないところはあるのだが、講師の先生の解説もあってかなり理解度は深まった。特に形式人口学にはいくつかの人口モデルがあるのだが、stable populationに関するモデルのコアな部分を掴めたのは非常に大きな経験だった。また、人口予測のモデルについても学んだのだが、このモデルの応用例で、私が自分の研究で取り組みたかった人口学的な観点から社会階層・社会移動を分析するモデルを扱ってくれたのは非常にありがたかった。

この授業の特徴は、ほぼ毎週のように課題が出るのだが、(1)統計ソフトウェアのRのggplotと呼ばれるvisualizationのツールを使って(2)課題をできるだけvisualizeして提出することが推奨された。もちろん、最初はエクセルを使って死亡率を計算して、といった風にできるのだが、人口予測のシミュレーションなどに入り出すと統計ソフトを使用する必要が出てくる。この授業ではRのプログラミングなどは教えてくれなかったので、毎回課題に取り組むときはみんなで協力して知恵を振り絞った。必要にかられると人間は学ぶもので、私はRと並んで社会科学ではよく使用されるstataを使用していたのだが、この授業でon the jobにRのトレーニングを受けた(というか自学自習をした)結果、Rの方が時と場合によっては使いやすいと感じるまでになったのは大きな収穫だった。

社会学に限らず、社会科学ではdata vidualziationの重要性が指摘されるようになっており、近年これに関する教科書も相次いで出版されている。私も学期中に人口学研究所の支援を受けて参加したアメリカ人口学会では、学会に先立ってdata vizのワークショップが開催されており、これに参加した。この形式人口学の授業は2年おきに開講されているが、今回が初めてRを本格的に導入しdata vizを強調した年だったので、そこまでオーガナイズされてはいなかったがdata vizのエッセンスをつかむことはできたので、今後はこのスキルを伸ばしていきたい。

タイトルとは全く関係ない振り返りになってしまった。critcal demographyは本学の界隈ではホットなトピックになっている。既存の人口学的研究はbroken down by sex and ageというスローガンに代表されるように、性別と年齢に分けた上で死亡率や女性の出生などについてみることが一般的だった。こういった分析ではsexは所与のものとして考えられ、出生は女性が行うもの、としてみなされるわけだが、社会学やジェンダー研究によってその想定が必ずしも適用できるものではなくなってきている。sexual identiyはどの時点でも固定ではなく、変わりうるものであり、同様にrace/ethnicityについても近年の研究では自らのracial identityに揺らぎがある現象(racial fluidity)が注目を集めている。社会学的な観点に立てば、こうした個人の社会的なアイデンティティは社会的に構築される面もあるため、これまでの人口学が扱ってきたようなそれらを所与のものとする仮定は批判の対象となる。

批判的人口学というのは、社会学で重視され、議論されてきたこうした個人のアイデンティティを人口学が所与の変数として扱ってきたことを反省し、sex/gender, race/ethnicity, あるいはそれらのintersection、さらにレイシズムといった集合的な現象をどのように人口学的な分析に組み込むかというもので、文献購読セミナーでは時折議論する機会があった。形式人口学では伝統的な方法に則ったアプローチが紹介されるにとどまったが、講師の先生は今後これまでの人口学が自明としてきた想定を批判的に再検討した上で、新しい方法的アプローチを開発する必要性についてはオープンだった。このテーマについては自分の中でも勉強が不足しているが、今後考えていきたいテーマとして強く印象に残っている。

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