本当は早起きして床屋に行く予定だったが、案の定寝過ごして、午後3時前にバスに乗って緑岡高校前まで行く。床屋の前に、祖母の家を訪れる。どうやら、5時に叔母がくるらしいので、タイミングが良ければ床屋に行った後、また寄ると言って出る。
ここ最近のストレスの一部はダボッたくなった髪にもあり、切ってずいぶんすっきりした。いい加減、東京の店でいいところを見つけたい。
ちょうど5時過ぎに祖母の家に向かうと、叔母が車から降りるところだった。近くの接骨院に祖母を置いてきた後だった。その間、お風呂のお湯を沸かして、叔母と祖母について話す。時間になったので、接骨院に向かい、祖母を迎える。頬を赤くした祖母はだいぶ気持ち良さそうだった。後で聞くと、接骨院で整体してもらった後に風呂に入るのがこの上なく幸せらしい。人と混じることが少ない祖母に我々ができることといったらこのくらいなのだろうか。
風呂に入っている間、叔母が祖母の一件について話してくれた。祖母は団地の集金を担当していたが、先月あたりに自分が集金したのか、記憶が定かではなくなってしまったらしい。誰に集金して、していないのか、こちらも分からないので、叔母と母が二人で協力して聞き回ったという。その時の苦労を聞いて、涙を流してしまった。自分の親が老いるというのは、孫が感じる以上の哀しみなのだろうか。
ひとしきり泣いた後、気持ち良さそうな祖母が戻ってくる。悪化した指にテーピングをして、叔母の車に乗って家を後にする。その日は、泣いてしまったこともあり、ずいぶん眠かった。
翌日(30日)は、父が東京に出張ということで、8時ごろに家を出て、父と二人で水戸駅に降りる。父の特急券を買うついでに自分の帰りのチケットも発券し、別れる。北口の初めて入る喫茶店でモーニング(650円)。1時間くらい新聞を読んだりして、芸術館へ。藤森保信展に一番乗り。自然と調和した建築という言葉よりも、建築の中に自然を植え付けるという表現の方が適切かもしれない。並立や共存というよりも、同化に近い建築物が多かった。それは、路上観察を通じて、人間の作ったものに自然的なものを見だす姿勢と通じるのだろうか。二周して、写真も撮って、芸術館を後にする。
京成で好みのお菓子を買い、祖母のためにねじり大福を買って、県立図書館で昼食をとる。プログラミングの雑誌を読んだ後、川又書店やコンビニで印刷をする。出発しようかという時、祖母が昔働いていたホテルの写真が県立図書館にないかと思い、郷土史コーナーを訪れるが、観光産業系は実際の観光地か、温泉付きのホテルばかりだったので断念して、バスで祖母の家の前まで行く。およそ2時40分。電話していたよりも少し早く着いたからか、祖母が近くのファミレスで何か食べないかというそぶりを見せる。あくまでそぶりで、自分から積極的に行こうという感じではない。ただこれはすぐには風呂には入りたくないのだろうという雰囲気を感じ取り、歩いて1分(それでも祖母と歩けば5分)のファミレスへ。僕は沖縄そば、祖母はネギトロ丼。あっちが払おうというが、割り勘にした。後から考えると、孫には自分で払いたかったのだろうか。その時もどう払うのがいいか考えたが、解としては中間のものを選んだということになる。
小銭入れを持って行かなかった祖母はどこに小銭入れを置いたのか、忘れてしまいあっちこっちに動く。最初は意味がわからず、何をしているのと聞きそうになってしまうが、徐々にこれが症状なのかと考える。問題は、祖母に対してそれが症状とは言えない、あるいはいったところでわかってくれないという点。祖母も記憶が弱くなっていることには自覚があるが、認知症の具体的な症状を、当の本人はなかなか理解することが難しい、あくまで日常生活を営んでいるからだろうか。
自分も祖母の家の風呂を焚くのは初めてだったので、最初は迷ったが、なんとか焚くことができ、祖母にありがとうと言ってもらえたのがこの上なく嬉しかった。
結局、母が仕事を終えてテーピングをしにくるまで待つことになった。それまで、祖母の生い立ちについて訪ねることになる。何点か、誤解していることもあった。もともと大阪の人間かと思っていたが、実際には祖母の父の仕事の都合で北海道から大阪に移っていたらしい。祖母は1944年生まれで、生まれてすぐ終戦、そして再び北海道に行くことになる。したがって、すでに曽祖父(あるいはそれ以前)の時代には北海道に移住していたことになる。そして、曽祖父は炭鉱の組合の仕事をしていたことも新たに分かった。組合の仕事をしているのにもかかわらず、炭鉱夫が嫌いだったらしい。
祖母は中学を卒業してすぐ、美容院に入って下積みの仕事を始めたということも分かった。祖父との出会いや、突然の死、仲間の話、いろいろと聞いた。
母が来て、手の処置を施し、家を後にする。徐々にやる気が出てくる。
31日は、11時過ぎまで寝てしまい、その後離任式終わりの弟と父、それから祖母の四人で寿司屋にいく。祖母は自分の財布を持ってこなかったため、父に出してもらうのが忍びなくあまり食べようとしなかった。家に戻った後、お風呂を焚くスイッチだけ入れたのだが、後で叔母がいうことには、どうやら待ちきれず途中で入ろうとして、ぬるかったとぼやいているらしい。結局、まともに風呂に入ることは今日はできなかった。なかなか、難しい。やはり、時間の感覚がなくなるので、どれくらい待てばいいのかがつかめないのだろうか。
そんなこんなで、祖母と4日間、過ごした。やはり3日目にほぼ二人きりで過ごしたのが思い出深かった。夏には夕張に行って、写真を撮ってきてやりたい。もう祖母は、東京にも夕張にも、行くことは難しいだろうから。
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