朝起きて「現代日本人のライフコース」、「現代日本の人口問題」に目を通す。前者は、藤見先生の戦争体験の章、後者は河野先生の上位婚選好を仮定した時の配偶者性比。兵役の経験がライフコース上のイベントの遅延や錯乱をもたらすという知見、この本は割と大きなプロジェクトの成果本といったところだが、昨今の家族社会学界隈では耳にすることは稀である。池岡先生の兵役体験の章は渡邊先生が引用している。河野先生の章は、山田先生の「結婚の社会学」(1996, 80頁)で女性の学歴上位婚(自分より同じか高い男性としか結婚しない)と男性の下位婚を仮定すると、一部の学歴で構造的な配偶者候補の供給不足が生じるという知見が引用されていたため。実際には、河野論文では、女性は自分より年齢の高い男性と結婚する傾向を踏まえたり、上位婚の程度を変えたり、ログリニアのようなデザイン行列思しき表を掲げながらいくつか試している。
そのあと、Blossfeldらが編集,寄稿している、合理的的選択と大規模調査に関する本の中の、EriksonがHedstromに対して投げかけているコメントを読む。曰く、のちに分析社会学となるこの立場、やはりメカニズムの説明自体に関心があるゆえに、現実で起こっている事象の重要性よりも、説明できるかどうかで問題を選ぶ傾向にある点に警鐘を鳴らしている。結局、分析社会学は説明のツールボックスなのではないかという批判だ。これに加えて、Hedstromらは大規模データではメカニズムの特定ができず、今後はより理論的にサンプリングした焦点を絞ったデータでメカニズムを検討するべきだという点、この点を重視するならば、データはランダムサンプリングである必要はない。これ自体には、個人的には賛成。Eriksonの批判は、代表制のないサンプルでは社会変動はわからない,集合的な皇后の帰結もわからないというもの。大規模ランダムサンプリングデータは趨勢の確認くらいに考えていたが、Eriksonに言わせれば、代表性があるからこそ社会変動について検討できるそうだ。そして、彼はあくまで社会変動、集合的なレベルの帰結を個人の行為から説明するという立場なので、小規模でもいいじゃないかというHedstromの考えには批判的。なるほどという感じ。メカニズムの観察可能性についてもコメントしている。
そのあとは論文執筆、締め切りは1ヶ月後だけどひとまず書き上げて投げる。そのあと、外をブラブラして、本当は銭湯に行きたかったのだが、三が日でしまっていた。地熱作業の復習をして明日に備える。ログリニアモデルによる欠損データの分析を今度の数理でやろうかと考えているのだが、間に合うか不安。ひとまず、Schaferと保田先生の論文を読む。
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