天野先生のご業績、恥ずかしながら試験の社会史、学歴の社会史くらいしか存じ上げなかったのですが、当初は近代化の中における教育の役割、東大に来てからは徐々に選抜や学校から仕事への移行過程という(最近ホットと外野から見ても感じる)テーマに触れ始める、ただし研究の主要な関心は高等教育研究にあるというのがよくわかりました。森先生の遠近感調整のためのコメントもお見事でした。
気になった点がいくつか。天野先生の研究者人生はそのまま教育社会学の発展の歴史と重ね合わせることができるのかなと思いましたが、その中で先生は「教育社会学がエスタブリッシュメントされてしまった」、ようするに昔は(教育学全体の中でしょうか)他の研究領域が目をつけていたかった隙間を埋めていくという産業だったのですが、今は教育社会学をやっているというだけで、何か立派なことを研究しているように聞こえてしまう、さらには、そうやって学会も大きくなり、顕在的なメンバーも増えていくと同時に、そうした読者にしか対象にしなくても十分回すことのできる規模になってしまい、結果として「異なる分野の人に読んでもらう」機会が必然的に減りつつあるのではないかといった趣旨のご発言がありました。ようするに、学問の制度化の過程で自由度が失われるという話かなと思いましたが、これとの関連で先生は理論は問いに応じて変えればよく、包丁だけ研ぎ澄ましても意味はないとおっしゃっていて、これも(私から見るとやや工学的な毛色の強い)教育社会学の特徴なのかなと思いました。
二日目は三つの部会(混合研究法、コストの低調査計画、比較研究)に分かれてワークショップでした。私は有田先生の第三部会を選択。自分くらいしか比較をしていない研究者はいないと勘違いしていたのですが、趣旨としてはこれから始める人でも良いという感じだったようです。有田先生は割とカジュアルに(そこまで高くハードルを設定せずに)地域研究をしてみてもいいのではないかとおっしゃっていたのが印象的でした。また、地域研究から出発した自分の研究を社会学、ないしそれ以外の分野の人に読んでもらうための暗黙知みたいなものを幾つか紹介していただき、これもありがたかったです。将来的に国際学会などで報告する際にも、やはりなんで日本なのかというのは潜在的に問われる可能性が高く、そういう意味では自分も広義の地域研究者、比較社会学者になるのかなと思うので、そういう事情もあり受講しました。そんな偉そうなことを考える前に実際にフィールドに入って真摯に研究している、しようとしている人が大半だったので、私みたいな天の邪鬼がいてもいいかなと思った次第です。強く印象に残ったのは、昨日の天野先生のご講演もひきながら、いかに自分の研究を、その社会を知らない人に面白く伝えるかを常に考える必要があるというのが外国研究・比較研究者の「恵まれた逆境」であると先生が形容していた点でした。天野先生のすき間産業(B級グルメ論)とも似ています。もちろん、一度フィールドにどんな形であれどっぷりつかることが必要なのでしょうが、おそらく、そのあとで「外部者の視点で」冷めた目で見るという視点を強調されておられたのも、そうした違う関心を持つ人にどう研究をアピールするかという点と関連しているのかなと思いました。
というわけで、総じて満足な会でした。今後も検討しながら参加したいと思います。
教育社会学会は千人程度の中規模学会ということである程度小回りが利くということもあるのかこういう教育プログラムもあるのかなと思いました。所属している学会だと、数理も若手支援は充実しているかなと思いますが、教育と同じ規模感であろう家族社会学会には、こういった若手向けのプログラムがなさそうに思えるのでしょうが、いや、じつはあるのかも。。。
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