Pawson. 2000. Middle-range realism. European Journal of Sociology.
前半部読みました。まず、European Journal of Sociologyという雑誌(一応フランス語の雑誌ですが、英語論文も掲載しています。フランス語だとArchives Européennes de Sociologie、メンバーみると結構多様なのかもしれない)
Pawsonによれば、MRTに対する批判は二つ。一つがtop-downであること、つまりMRTはデータに触れる前のpreconceivedな理論を検証しており、カバーされてこなかったデータが持つ創発性との関係を持たない。二つ目がuni-layered、つまり彼は概念の性質は精査せず、概念が適用可能な範囲を拡張する(手段的、ということか)。彼はagency/structure, individual/societyといった存在論的な議論を捨象し、構造を選択を制限するものくらいに考える。つまり社会の全体性やそれがどのように構成されているかという問いは立てない、そういうontological skeltonの想定のもとに、現象の説明をしようとする。
上手く理解できていないかもしれないが、後者の批判はミクロマクロをつなげると主張する分析的な社会学の潮流に対しても言えるかもしれない。マクロな社会の変化を説明するのに個人の行為に還元しようというのは、マクロとミクロの間に存在論的な区別を敷いていないのかもしれない。HedstromのDissecting the Socialでは、行為に対する基礎付けが弱いなと思ったが、それは説明しようとする社会現象や帰結に対する基礎付けの弱さとも一体かも知れない。Sampson的には社会的メカニズムにsupraindividualを求めているが、それも個人ではない何か以上の意味はないかもしれない。
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