January 31, 2014

難しくて理解に苦しむソシャネ論文(30/107)


Parks-Yancy, R. 2006. “The Effects of Social Group Membership and Social Capital Resources on Careers.” Journal of Black Studies 36(4):515–45.

 この論文では、ソーシャルキャピタル及び人種とジェンダーが仕事の収入と昇進に与える影響を検討している。分析枠組みとしてはLin (2001)を踏襲するかたちで、有益な情報を提供してくれる人を持たないなどの意味でのcapital deficitと例え上司との同じ関係を持っていたとしても、職業上の利益の還元が異なる場合のreturn deficitの二つをsocial capitalが職業上の不平等を引き起こす要因として考える。先行研究の検討から、女性に比べて男性が、黒人に比べて白人の方が二つのdeficitを受けない有利な立場にいると仮定した筆者は、人種とジェンダー間において、social capitalへのアクセスとreturnに違いがあるかをパネル調査を用いて検討する。returnには賃金と昇進の二つを操作的に定義している。分析の結果、アクセスについては、白人と比べた時の黒人のdeficitが明らかとなり、男性と白人は職業上の利益を長期的に得ていることが分かった。

McDonald, S., and G. H. Elder. 2006. “When Does Social Capital Matter? Non-Searching for Jobs Across the Life Course.” Social Forces 85(1):521–49.

 この論文では、social capitalと職業達成の関係を検討してきた既存の研究が公的な機関を通じて職業を探したり、友人を伝って職を得たりというような方法をとらずに職を得ている場合を見逃していること、およびライフコースの観点を考慮していなかったことを批判し、探さずに仕事を得たnon-searching for jobをinformalな職業達成と見なして、彼らのsocial capitalと地位達成の関係について考察している。non-searchersがなぜ重要かと言えば、彼らはパーソナルな及び職業上のネットワークから求めずとも職業の情報を得て就職・転職する傾向にあり(invisible hand of social capital)、先行研究から彼らの方が仕事を探して就職した人々よりもよい職業に就くことが明らかにされているからである。彼らは既存の研究では自らネットワークの紐帯を行使して仕事を見つけた訳ではないため、調査から排除されていたが、上記を踏まえると、それを除外することはSCと地位達成の関係にバイアスをかけてしまう。また、そうしたinformalな就職について検討した研究においては、SCがライフコースに応じて異なる影響を与えることを考慮してこなかったという。その上で、この論文では、non-searcherにおけるSCと就職の関係を個人のライフコースを考慮に入れて検討している(ただし、仕事を探していない人は調査設計上、ネットワークの質問がされていないため、ここではネットワークは直前の職業に代替されている。その理由は直前の職業的地位はネットワーク資源と相関関係にあるとされているが、この点に関しては妥当性に疑問が残る。さらに、キャリア初期においては職業上の地位とネットワーク資源を反映しないため父親の職業を投入する点に関しても納得はできない)。

 informal job matchingの効果はキャリア初期と中期に分けて検討されている。分析の結果、キャリア初期においてはSC(というか直前及び父の職業)は現職を得る方法に対して効果を持たないが、中期においてはSC(というか直前及び父の職業)を持つ人ほど仕事を探さずに就職する傾向にあり、得た職業の地位は仕事を探した人のそれよりも高いものであることが分かった。また、中期においては、就業年数に従って男性においてはformalな方法での就職とnon-searchingとの間で賃金に対する交互作用が確認される(年数を減るにつれて後者の方が賃金が高くなる傾向にある)が女性においてはそれが確認されないことが分かった。これは、組織内部において女性よりも男性の方がネットワークの中心性が高いという既存の研究結果を踏まえると、non-searchingが女性労働者の「ガラスの天井効果」に関係していることを示唆している。

Lin, N. 1999. “Social Networks and Status Attainment.” Annual Review of Sociology 467–87.

 ナン・リンによるsocial resource theory(ネットワーク資本と社会経済的地位達成の関係に関する理論)の発展のレビューと将来の展望。

 まず、この理論が発展する前にグラノベッター及びsmall world theoryによって以下の三つの命題が提示された。すなわち(a)ネットワークからアクセスできる資源は地位達成などの手段的行動に影響を与える、(b)社会的資源は個人のネットワーク上の位置の影響を受ける、(c)社会的資源は強い紐帯よりも弱い紐帯の影響を受ける。その後、コールマンやブルデューといった理論家によって提唱されたsocial capitalの理論とsocial resource theoryが合流し、その後、social capitalへのアクセスの差にはどのような要因が考えられるか、およびそれ自体が個人の地位達成にどう影響するか(これにnon-searchersの研究も含まれるだろうか)という観点、またそのような資源を実際に利用して仕事を見つけるというthe mobilization of social capitalという二つのプロセスに関心が持たれ、経験的な研究が進んでいった。研究成果の紹介は割愛するして将来の展望について。まず、personalな(informalな)コンタクトを通じて職を得た場合と公的機関を通じて職を得た場合のものの間に特徴的な差異が見られないことや、こうしたinformalなチャネルが教育年数の少ない人であったりスキルレベルの低い人だったりといった相対的に不利な人々に主に使用されてきたということが指摘されてはいるが、有利な立場にいる人がそうしたコンタクトを必要としないかについて及び不利な立場にいる人の資源の用い方については今後の検討が待たれること、その他には紐帯の強さがどの地位達成に関係するか、ポジションジェネレーターの改善、SCの不平等な分布についての検討などが今度の課題であると述べられる。

 蛇足的な感想になるが、この理論の限界としては、ナン・リン自身が認めているように、ネットワークと言ってもdensityやcentralityといったネットワークの特徴を踏まえた議論をしていない点だろう。個人と周りの関係性から出発していても、ネットワークを資源として捉える時点で、やはりこの理論は既存の社会調査にマッチした個人主義的なものだと思う。


sociology of personal life

ひどい雨だった、月に一二回、びしょ濡れになる。

今日は、sociology of personal lifeという授業でした。これは一年生向け。留学が決まった時にfixされたやつで、変更できなかった。授業を受ける前はシラバス読んでも指定文献少ないし、いかにも入門って感じで気乗りがしなかった。

ただ、今学期からきちんと先生に自分の素性を伝えるようにしていて、日本人で、社会学をある程度やってて、こういうところに関心があって、院に行きたいとかを。

今日も、授業終了後に先生と話して、簡単とは思ってないけど、自分は特定の分野に興味を持ち始めているので、この授業にどうコミットしていいか分からないという旨を伝えたら親身に聞いてくれた。

向こうは留学生がいることは知っているけど、大多数は学年別に分かれた現地の学生なので、基本的に彼らを想定して授業をするのは仕方のないこと。授業ではマイノリティだからこそ、自分の素性と要望を伝える必要があると考えるに至った。

別に現地の学生に比べて留学生が劣っている訳ではない、単純に違うニーズを持っているだけ。だから、もし授業で何か得たいのであれば、自分は何を勉強したくてここにきたのか、やりたいことと実際の授業のズレはどうかというのを先生と共有する必要があると思うようになった。

こうやって先学期と違ってアクティブに参加できるようになったのはプラスかもしれない。相変わらず私生活では根暗だけど、必要がある時はちゃんと主張をしようということになった(疲れるけど…)

今日の授業なんて、僕はチューターと一年生の間くらいの年齢だし、僕が受ける曜日のチューターはソシャネのセミナーで何度も顔を合わせているので、なんとも言えない気分になるけど、まあそれなりに楽しもうと思う。

入門の授業でも、勉強になるところはたくさんあると思う。先生の初学者への教え方は参考になるし、一年生の授業にできるくらい、sociology of personal lifeという日本では全く耳にしないディシプリンはマン大では成熟してるんだと思えば、論文読む時と違う角度から勉強できると思う。

マン大には最近、モーガン・センターという家族やジェンダーについて研究する機関ができた。sociology of personal lifeを含め、いろんなプロジェクトが進んでいる。このセンターの中心を担っているMorganやFinch, MasonやHeathらはイギリスでは有名な家族社会学者だと思うけど、cimiiとかで検索しても日本語の論文には全然引用されていない。MorganのFamily ConnectionやFinchのFamily Obligations and Social Change、Finch & MasonのNegotiating Family Responsibilitiesとかは名著だと思うので、輸入されてほしい。

January 30, 2014

男はつらいよソシャネ論文(27/107)



Latkin, C. A., V. Forman, A. Knowlton, and S. Sherman. 2003. “Norms, Social Networks, and HIV-Related Risk Behaviors Among Urban Disadvantaged Drug Users.” Social Science & Medicine 56(3):465–76.

 先行研究の知見から、HIV関係の行動の変化には規範normが深く関わっていることが指摘されている。本論文では、都市の薬物使用者におけるコンドーム使用と規範、及び彼らのネットワークとの関係を探っている。この論文では、先行研究から二種類の規範を紹介する。一つ目が、prescriptiveなもので、重要な他者が自らにすべきとする主観的な規範を指している。二つ目がdescriptiveなもので、重要な他者が実際にしているという実質的な規範を指している。これに加えて、筆者らはコンドームの使用がネットワークにいる人との会話に出てこない場合をcommunicationの規範として定義し、以上三つの規範(コンドームしように準拠させている)と性行動の関係について考察している。

 サンプルはバルティモア市内の18歳以上の男女のうち、薬物使用者とのコンタクトがあり、AIDSのアウトリーチ教育に参加する意欲のあるものがターゲットサンプリングで選ばれている。その後に個別の面接が行われ、そこで薬物使用について尋ねられているため、実際に薬物を使用していると答えたのは全体の4割程度になっている。ネットワークについては、Barrera (1980)を参考に6つのソーシャルサポートについての質問から抽出されている。性的行動に関しては、過去90日間でメインとカジュアルなセクシュアル・パートナーと行ったvaginal, oral, analの三つのセックスにおけるコンドーム使用を聞いている(2×3で6通りの性行動のパターンが調べられた)。その他、対象者のsocio-demographicな属性についても尋ねている。

 分析の結果、以下のようなことが分かった。まず、コンドームに対する規範とコンドーム使用との関係に関しては、anal sex以外の二つに関して、三つの規範全て及び年齢、ジェンダー、HIVへの陽性反応の有無、教育、薬物使用、そして、教会への参加頻度が影響していることが分かった。特に、メインのパートナーとのoralの際に規範の効果は最も大きくなっている。しかし多変量解析にかけると個人的な属性のほとんどは有意ではなくなり、規範に関しては一部支持されることとなった。ネットワークとコンドーム規範の関係に関しても、個々には有意となるが、変数を複数設定した場合には、ネットワークの中で健康問題に関するアドバイスをしてくれる人を持つことのみが全ての規範に対して有為に働く。薬物使用者に限ったネットワークと規範の関係については、教育と健康問題のサポートが全てに有意に働いたほか、ネットワークのdensityも3つのうち2つに有為に働いている。男女の比較では異なるパターンが見られた。分析結果をまとめると、規範は性行動におけるコンドーム使用に影響を及ぼし、ネットワークのうち、その規範に対して影響を与えるのは健康問題のサポートであることが分かった。

Pichler, F., and C. Wallace. 2009. “Social Capital and Social Class in Europe: the Role of Social Networks in Social Stratification.” European Sociological Review 25(3):319–32.

 この論文では、Euroバロメーターのデータを使用して、ヨーロッパ各国におけるソーシャルキャピタル(SC)と階級の関係について考察している。分析に際しては、formalなSCをボランティア集団を通じた社会参加、infomalなSCを家族、友人、同僚と定義している。分析の結果、(1)専門・管理にあたる高階層の人々はformalな組織を通じたネットワークの参加頻度が多く、ネットワークを構成する人々の属性も多様である(2)労働者階級はinformalな紐帯が強いが、失業している人は子の限りではない(3)南・東ヨーロッパ及びイギリスでは社会階級とSCの関係が強く、これはジニ係数を投入することで部分的に説明されている。一方で、北欧諸国は階級とSCの関係が薄く、エスピン=アンデルセンの福祉国家レジーム論を反映している。

Granovetter M. S., 1973, The strength of weak ties, American Journal of Sociology, 78, 6: 1360-1380.

 理論的な仮説の部分だけおさらい。まずグラノベッターは紐帯を強い紐帯と弱い紐帯に分ける。これは概念的な区分であって、経験的な研究のレベルでは接触頻度によって操作化される。次に、強い紐帯の持つoverlapの効果を定義する。Sという集団がA, B, C, D, E…という人々から構成されているとする。グラノベッターは仮にAとBが強い紐帯で結ばれているとしたら、Sの集団に属する個人が強い紐帯もしくは弱い紐帯で結びつく可能性が増すと考えた。さらに、彼は強い紐帯がもたらすhomophilyについても言及する。仮にA, B, Cの三者のうち、A-B, B-C間に強い紐帯があったとしよう。このとき、関係がないBとCはAと似た行動をすることを通じて紐帯を結ぶ可能性が高まる。逆に言えば、A-B, B-C間が弱い紐帯であったならば、C-Bが強い紐帯になる隔離は低くなると考えられる。

 このような仮定を定義すると、以下のような禁じられた三者関係forbidden triadが想定できる。すなわち、A-B, B-C間が強い紐帯で結びついているにもかかわらず、C-B間に何も紐帯がないような三者関係である。C-B間には少なくとも、弱い紐帯が存在するはずだとグラノベッターは考えた。

 このforbidden triadを応用すると、ネットワークにおいて重要な役割を果たす紐帯は必ず弱い紐帯であると言える。仕事を得る時のような情報が流れるネットワークを考えるとき、ある集団間を橋渡しするブリッジと呼ばれる人々及びその紐帯の役割は大きい。このブリッジは弱い紐帯でなくてはならない、なぜなら、強い紐帯であった時には先のforbidden triadのように、B-C間がブリッジだとしても、A-B, B-C間で紐帯ができる可能性が高く、その結果B-C間は唯一のブリッジではなくなってしまうからだ。
こうした仮定をおいた上で、グラノベッターは実際の経験的なデータを参照して、このような弱い紐帯が仕事を得る際に重要になることを論じる。

Campbell, K. E., P. V. Marsden, and J. S. Hurlbert. 1986. “Social Resources and Socioeconomic Status.” Social networks 8(1):97–117.

 この論文では、「資源としてのネットワーク」にとって重要な二つの問題を議論している。ネットワークが資源として機能するための条件とは何だろうか。まず、グラノベッターの弱い紐帯のように、異なる集団間をつなげるようなレンジの広さが考えられる。次に、個人がどこに位置しているかによってネットワークから得られる利益も異なってくる。この論文では以上のように考え、レンジをどのように測るか及びそれらが有利な社会経済的な属性SESという配置(composition)と関連するかについて検討している。資源としてのネットワークは、実際に資源として用いられたネットワークを対象にした分析がなされてきたが、この論文では、比較可能性と仮説検証のしやすさから一般的な社会調査によって抽出されたネットワークから両者の問題を検討するとしている。レンジの計測においては、考えられるレンジ15種類(3種類のsize, 6種類のdensity, 人種や性別など4種類のproportion、及び地理的距離と年齢の多様性)を因子分析にかけて6つの因子を抽出している。次に、これらのレンジが実際に有利な配置と関係にあるかを調べるために社会経済的地位(教育と家庭収入)との相関が求められ、仮説と一致した見解が得られた。

それでも私は諦めないソシャネ論文(23/107)


Bernard, H. R. et al. 1990. “Comparing Four Different Methods for Measuring Personal Social Networks.” Social networks 12(3):179–215.

 この論文では、ego networkを抽出する四つのname generatorの方法を2つの集落で比較検討している。第一の方法はemotional support groupと呼ばれるもので、「大切なことを話す人」「寂しさを感じた時に話す人」など、情緒的なサポートを提供してくれるintimateを抽出する際に用いられる。二つ目の方法はsocial support groupと呼ばれるもので、お金を借りたり、看病をしてくれたり、そうした具体的なサポートを提供してくれる人を抽出する際に用いられる。今回の調査では11個の質問が用意されている。第三の方法はthe reverse small world technique (RSW) と呼ばれるもので、やや複雑な手法をとっている(詳細はKillworth et al. 1984にあるらしい)。まず、世界中に散らばる500人の架空の人間の名前のリストを作成する。400人はRSWの実験をする時に毎回用いられる標準として、100人が各調査ごとに追加される新しい名前として設定される。各人にはどこに住んでいるかとどのような職業に就いているのかという情報が付されており、実験の対象者はsmall world techniqueについて説明を受けたあと、この計500人それぞれにたどり着くために最も適切な最初の人物を自分のネットワークから選んでもらう。最後に、the global networkと呼ばれる手法がある。まず、対象者の住む地域の電話帳から305人がランダムにリストアップされる。対象者はこのリストの中で自分が知っている人の名前を挙げてもらう。先行研究から、この方法では挙げられる知人の名前はごく限られていることが分かっている。

 対象となった地域はフロリダにあるJacksonVilleという集落(Jと略記)、もう一つがメキシコシティにある一集落(MCと略記)。この論文では、以上の四つの方法で挙げられる名前を二都市間でその平均や分布を比較した後、男女別、各質問別ごとの違いを検討している。(ちなみに回答時間は4時間から12時間だそうだ。。。)また、RSWに関しては、先行研究との比較も行われている。分析自体は非常にテクニカルなものなので、大まかな要旨を述べることはできないが、(1)どの質問においてもMCの対象者が挙げた人数はJより少なかった。(2)Jの分析結果は全国(アメリカ全土)のサンプルの結果と似ているものだった。(3)対象者ごとの回答分布の違いを説明する要因は見つけられなかった(だが、旅行者は大規模なネットワークを持っていることが多いこと、年齢は非線形的な効果があることは分かった。)(4)女性の方が男性よりも多くの名前を挙げることが分かった、などが挙げられている。これ以外にもRSWに関しては、職業的地位が上昇すると、知人を選んだ理由として職業を答える割合が上昇することやターゲットの居住地(架空のターゲットは北アメリカや西ヨーロッパなど世界10地域と対象者の地元に均等に配分されている)ごとに、知人を選んだ理由として居住地を回答する割合に一貫した傾向が見られることなどが分かった。例えば、アフリカのターゲットは知人を選んだ理由としてlocationと答える割合が低いが、日本や中国の東アジアのターゲットはその割合が高い(つまり、知人がこれらの国に滞在した経験がある、などが理由に挙がりやすい)。最後に各方法によって重複が生まれているかどうかに関しては、やはりemotionalのsocialとの重複率は9割近いものだった(emotionalの方が母数が小さいため、socialからみると重複率は3割だが、これはemotional intimateの重要性を物語っている)。socialのRSWとの重複率は3分の2程度と欠落が目立っているが、逆から見るとRSWの2割程度はsocial supportの質問と名前が被っている。

Mok, D., and B. Wellman. 2007. “Did Distance Matter Before the Internet?.” Social networks 29(3):430–61.

 この論文では、Wellmanらが主導して行った1978年のイースト・ヨーク調査を利用して、(掘り出すに近いが)1970年代において、距離distanceがface to faceの面会と電話の交流頻度、そしてソーシャルサポートにどのような影響を及ぼすかをマルチレベル分析で明らかにしている。独立変数には相手との親密性と相手がどのkinshipに該当するかも設けられている。その結果、face to faceの交流は5 mileを境に大きく減少すること、その後も距離が離れるごとに交流頻度を減らすが、再び50 mileと100 mileの間で大きな断絶があること、電話の交流頻度は100 mileを境に大きく減少すること(ただし、トロント市内の通話は無料であるのに対して、市外へかける際には料金がかかることには注意しなくてはならない)。ソーシャルサポートに関しては、食べ物や調理器具を貸すことや少額のお金を貸すこと、そして大きな感情的サポートの提供には距離の影響が有意に見られた。最初の二つは物理的な距離に起因するが、感情的なサポートに関しては、日々接する可能性が高いことが重要であることを示唆している。筆者らは、この分析が1970年代のものであることから、インターネットや携帯電話が発達した現代との比較研究が待たれるとしている。

Wellman, B. et al. 2003. “The Social Affordances of the Internet for Networked Individualism.” Journal of Computer‐Mediated Communication 8(3).

 この論文では、インターネットがコミュニティにおける人間関係と組織への参加に与える影響をcivic involvementの観点から考察している。元来、コミュニティとは互いを知っている集団に属する人々による社会的な相互作用から構成され、それは地理的条件によって制約されると考えられてきた。様々な社会変動(産業化や情報化)は既存のコミュニティに大きな影響を及ぼすようになると、上記の伝統的な見方に対して、社会変動とコミュニティの関係を問うCommunity Questionが掲げられるようになる。こうした研究は、コミュニティはもはや地理的条件によって定義されるものではなく、個人の利益に従ってつくられるものになってきているという主張をした。これは、既存のコミュニティが崩壊しているのではなく、そのプロセスが変わっているというロジックをとる。共通の利益を基盤にしたコミュニティが現代的なものとすれば、インターネットの発達はより地理的条件を無効にし、個人主義的なコミュニティの形成を助けるはずだという旨の主張を、筆者らは北アメリカの調査とカタルーニャ、及び日本の調査との比較から導きだしている。ひいては、こうした利益ごとに結成された集団が地理的制約を超えた運動を可能にし、それが既存の政府や民主主義の構造を変化させる可能性を指摘している。

 コメントとしては、論文ではネットワークを頻繁に利用している人ほど、近隣住民との社交も多くなるという結果を発見しているが(そして、これが既存のコミュニティとインターネットの融合例として紹介される)、それはインターネットが使われてなかった時代の紐帯が移行したことを意味するのであって、もともとインターネットを使用するデジタル・ネイティブの様な世代が友人の家を今までのように訪問したりするかは疑問が残る。

McPherson, M., L. Smith-Lovin, and M. E. Brashears. 2006. “Social Isolation in America: Changes in Core Discussion Networks Over Two Decades.” American sociological review 71(3):353–75.

 この論文では、1985年と2004年のGeneral Social Survey を使用して、アメリカ社会における親密な友人(confidant)の減少について議論している。


 まず、先行研究の検討から、いわゆるdiscussion network(who are the people with whom you discussed matters Important to you?)によって抽出された人々が日々頻繁に会う重要な他者であることが確認される。比較の結果、ネットワークサイズの減少(平均で2.94→2.08、特にno confidantの増加が10%から24.6%と顕著)、配偶者以外の回答割合が減少、densityは変化がないものの、confidantsとの接触頻度や交流期間は増加しており、より親密性が増しているという解釈が可能になっている。年齢、教育、人種、性別ごとのheterogenityを検討すると、変化がないことが観察されるが、人口変動を重み付けとして加えると、年齢と教育はより均質的に、人種はより異なる人種をconfidantsとして答える傾向になっている。またネットワークサイズと内訳におけるkinshipとnon-kinshipの割合に対する個人的属性の影響も検討している。主立ったものとしては、教育程度が高ければ高いほどconfidantは増加し、この影響力は二時点間で増加している。相変わらず女性の方が多くのkinshipを答える傾向にあるが、1985年時点では男性よりも少なかったnon-kinの人数は2005年では変わらないものになっている。最後に、こうした変化がvalidityを持つものかについて、調査設計や質問の順番をもとに検討している(テクニカルな部分なので省略、後半部分については再読)。

January 27, 2014

だんだん雑になってきたソシャネ論文(19/107)


Prell C., 2012, Social Network Analysis. History, theory and methodology, Sage, London. Chapter 2: 19-52.

 Prellによる社会ネットワーク分析の歴史を概観したもの。教科書の一部なので論文のような議論の形はとっていない。外観といったものの、Prell本人は先行するScott(2000)やFreeman(2004)よりも詳しく紹介していると初めてに述べている。基本的な命題はこれまでと同じで、SNAは単一の直線的な歴史ではなく、複数の領域が合流して今に至っているという解説がなされている。これを読むと、Scottの教科書を読んだ時よりも、英米間の人の移動と数学、社会心理学、人類学、そして社会学の諸分野の交流が連動し、その中で現在のSNAで使われているアイデアの萌芽が生まれていることがよく分かる。たとえば、観察できない文化ではなく人間の紐帯から出発したネットワークを社会構造として分析しようとしてラドクリフ・ブラウンはシカゴとオックスフォード双方でネットワークに関心を持つ研究者に影響を与えているし、社会心理学からはモレノなどがゲシュタルト心理学をウィーンで学んだあとアメリカに移民し、ソシオグラムを生かした研究を始めている。また、フェスティンガーやカートライトがミシガン大学で創刊したHuman Relationsはロンドンにも支部がおかれ、そこでエリザベス・ボットが研究員として勤務していたことも紹介される。この期間を通じてボットはアメリカの文化人類学の知見を学んでいった書かれている。数学にしても、マンチェスター大学のEverettは当初イギリスに生まれ数学を学んだ後UC アーヴァインに移り、方法論的な論文やUCINETの開発をBogarttiと一緒に行った後、再びイギリスに戻っている。また、世界各地から研究者の集結したハーバード大学ではハリソン・ホワイトがネットワーク分析の発展をリードし、ボナチッチやグラノベッター、Wellmanら次代を担うネットワーク研究者を育てたことがよく分かる。


Schweizer, T., M. Schnegg, and S. Berzborn. 1998. “Personal Networks and Social Support in a Multiethnic Community of Southern California.” Social networks 20(1):1–21.

 この論文では、南カルフォルニアのmulti ethnicな集落を対象に個人のパーソナルネットワークにおけるソーシャルサポートが検証されている。分析結果は友人が社交などを通じて比較的小さなサポートしている一方で、家族が重大な問題を相談する役割を持っており、4割以上のつながりは近隣のコミュニティによって成り立っていることなど、既存の調査に概ね沿うものだが、既存の研究と比較すると、エスニシティとkinshipに主張の力点が置かれている。このコミュニティはアングロサクソン系とヒスパニック系が多く居住している地域であり、筆者らは両者のネットワークの比較を行った。すると、ヒスパニック系のネットワークでは家族をサポート源に答える割合が高く、家族は近隣に居住しているが、アングロ系のネットワークにおいては家族も重要なサポート減にはなっているものの、友人もサポート源として大きな割合を占めており、家族は全国に散らばっているなど、違いが見られた。さらに、kinshipとサポート内容に対する対応分析をすると、全体サンプルとヒスパニックサンプルの共起関係は大きく異なることが分かった。質問の形式がsuppose youのように、実際にサポートしたかではなく、仮にサポートがあるとしたらという文脈であるため、これらの関係はエスニシティそれぞれにおける文化的な規範が異なることを示唆すると論文では述べられている。また、アメリカの他の都市の調査に比べて家族をサポート減と答える割合が高く、家族の絆の衰退という論調には批判的となっている。

Plickert, G., R. R. Côté, and B. Wellman. 2007. “It‘s Not Who You Know, It’S How You Know Them: Who Exchanges What with Whom?.” Social networks 29(3):405–29.

 この論文では、互酬的な関係を規定する要因をパーソナルネットワークのデータから分析している。

 先行研究を検討した後、この論文では誰からサポートを得るのか、どのようなサポート資源が互酬的になりやすいのか、他者からのサポートが水からがサポートすることに対して与える影響という観点から、以下の7つを仮説として提示している。

1 人々は同じタイプのサポートを交換する
2 あるタイプのサポート資源を提供すると他のタイプのサポート資源を得る
3 強い紐帯は互酬性を強める
4 友人関係よりも家族(親子)関係の方が互酬的である
5 物理的なアクセスが違い方が互酬性を高める
6 女性の方が互酬的な交換の確率を高める
7 大規模なネットワークの方が互酬的である

 この仮説を検証するために、対象者からネットワーク上の人々へのサポートと個人の属性やネットワークの性格を独立変数、交換関係無し、一方向の関係、互酬的な関係の三つを従属変数とするロジット回帰分析が行われた。また、サポートの種類はemotional, minor, majorの三類種類に設定されている。分析結果は、サポートを対象者が提供している場合に他者からサポートを得る確率が上昇することが分かった。ただし、majorなサポートを与えても帰ってくるのはmajorのみで、minorやemotionalなサポートは必ずしも期待できない。仮説に関しては紐帯の強さや接触の頻度は互酬性を高めるとは言えず、近所に住む人、また親子である以外は紐帯の性格も影響せず、仮説3が否定、仮説4,5は部分的にしか支持されないものになった。仮説6は支持されたものの、仮説7に関しては大規模なネットワークであれば互酬性が高まるということはemotionalのみ支持されている。


Fischer, C. S. 2005. “Bowling Alone: What's the Score?.” Social networks 27(2):155–67.

 この書評では、FisherがPutnamの孤独なボウリングを批評している。統計の恣意的な解釈(例えば、彼の議論の一般的な主張と矛盾するボランティアの増加については検討しているものの、スポーツなど公共的なイベントへの参加が増加していることについては脚注で触れるだけで議論していない、もしくは若年層のボランティア参加が30%増加したことに対してはmodestと言っているのに対して、それ以外では同じ変化を大きなものとして述べている)なども指摘されているが、最も深刻なものとして考えられるのはソーシャルキャピタルという概念そのものへの批判だろう。「キャピタル」という言葉に込めた意味としてPutnamはこのようなネットワークが個人や集団の生産性に影響することを含めているが、これでは容姿などもキャピタルになってしまうし、関係性には生産性に対して府の影響をもたらすものもある。また仮にソーシャルキャピタルが社会的に条件づけられる個人の特徴であるとすれば、社交の能力やカリスマなどあらゆるものがキャピタルになってしまう。さらに、Putnamのように様々な個人的行動(投票や教会への参加など)が個人の社会的コミットメントを反映していると考えると、これらの行動は相関関係にあると考えられるというが、実際にはそのような関係は強く見られない。

 以上のように論じた後で、FisherはPutnamが主張しているような個人の行動の変化はソーシャルキャピタルに関連するのではなく、社会学で以前から用いられてきた概念が有効だとする。すなわち集団行動から個人的な行動への変化は個人主義、さらに公的な利益を追求しない原理主義的な宗教団体などにPutnamがbridging/bondingという区分を当てたことに対しては、公私の二分法が適切なのだ。最後に、ボランティア行動の現象に関しても、ソーシャルキャピタルの衰退という前に、女性就労者数の増加と言う文脈を踏まえツベキであるとする。


 ただし、Putnamは関係が府の影響をもたらすことに対して検討を加えていた。さらに、この書評ではキャピタルが個人の持つ資本として捉えられていたが、それはむしろナン・リンなどの議論に見られるもので、Putnam自身はより社会の構造や規範的なものという意味を込めていたはずだ。

January 26, 2014

コミュニティ・クエスチョン カナダ、フランス、ドイツ、イランの国際比較(おまけつき、15/107)

Wellman, B. 1979. “The Community Question: the Intimate Networks of East Yorkers.” American journal of sociology 1201–31.

    都市化がコミュニティにどのような影響を与えるかは、社会学の古典的な問題の一つだった。古くはドイツの社会学者テンニースが近代化のプロセスをコミュニティの共同体的な秩序が支配するゲマインシャフトから都市化が進んだ個人主義的なゲゼルシャフトへの移行という形で描いた。都市化が、コミュニティの統合を破壊するのではないかという危惧に動かされた研究は、20世紀になってシカゴ学派の一連の都市社会学的な研究を生み、社会学の中心的な探求課題の一つになった。

    このように、都市化という社会構造の変化がコミュニティにおける一次的な紐帯に与える影響についての研究をBally WellmanはCommunity Questionと呼ぶ。彼は、既存の調査が様々な問題関心からこの問題に取り組んできたことを評価しつつも、そこには上記の問題関心に加えて、コミュニティ内部における連帯soridarityが維持される条件に関する関心と一次的な紐帯の位置づけをローカルな地域と結びつける関心が混ざっていたという。Wellmanによれば、このような議論の前提がおかれたために、都市における紐帯は地域単位の連帯に回収されることになった。結果として、個人の移動の増加や空間的な分布の広がりは地域単位の連帯を崩壊させるという意味で、コミュニティの衰退が主張されていた。

    WellmanはCommunity Questionに対して提出されてきた答えを三つに整理しているが、上記のような結論はCommunity Lostと呼ばれるもので、いわゆる崩壊論である。逆にコミュニティは存続しているという議論はCommunity Savedと呼ばれる。これら二つは上記の地域に回収される紐帯の前提を持っていたため同じ次元にあるが、最後にWellman自身がFisherらと同じ立場に立つとして紹介するのが、Community Liberatedである。この主張は前の二つを取り合わせたものに近く、一次的な紐帯の重要性は変わらず残るものの、それは地域に縛り付けられたものではなく、凝集的でもないという。この主張における命題の概要は、ゲマインシャフトの時代のような一次的紐帯はコミュニティに根付いたものではなく、居住地や職場、親族集団はそれぞれ分離して存在するようになり、高い移動率は既存の紐帯に変わって新しい紐帯をつくる。これは交通手段の発達によって促進され、都市化が進み多様性が担保された都市では、そのような新しい紐帯をつくる可能性が増大するというものだ。

    Wellmanはこの命題を検証するために、トロントのイーストヨークと呼ばれる都市においてパーソナルネットワークの調査を行った。検証すべき課題は、一次的な紐帯は現代都市においてどれだけ重要なのか、それはどの程度友人関係ではなく親類関係によって占められているのか。またネットワークはどれだけ均質的で凝集的か、さらに個人間のソーシャルサポートを得る際の構造的な条件は何かといったものだ。

    調査の結果、一次的な紐帯(近隣や親類)は職場や友人に比べて親密な紐帯と思われているが、近隣関係は紐帯の源泉を独占している訳ではなく、あくまで様々な紐帯の一つに過ぎないことが分かった。これはCommunity Lostを否定しつつ、Community Savedを一部支持するものである。また、サポートは地域的な条件に縛られている訳ではなく、それは個人間の関係によって発生しており、Wellmanの調査はCommunity Liberatedを全面的に支持するものだった。

    Wellmanのイーストヨーク調査の結果は1979年に報告されたが、その28年後、彼の命題が他の社会にも通じるかを検討するために、Social Network誌上で国際比較を目的にした特集が行われた。ここでは、フランス、ドイツ、そしてイランの事例を紹介する。


Grossetti, M. 2007. “Are French Networks Different?.” Social networks 29(3):391–404.

    フランスはトゥールーズ地域を対象に2001年に調査が行われている。この論文ではWellman ではなくFisherによるカルフォルニア調査に枠組みを依拠していることが最初に述べられ、まずFisherの研究が紹介され、今回の調査との若干の枠組みの違いが述べられる。サンプリングは都市度と階級を考慮して5つの地区が選ばれた。他にも質問の際にフルネームを尋ねなかったり、対象者を男性にするよう調整することもしないことなど、Fisherの調査とは若干の違いがある。さらに、Fisherの調査では上位8人の名前しか記録しなかったが今回の調査では全てを対象にしているため、今回の調査の方が名前の挙がった人物の数は多かった。これはエラーである一方で有益になったとしている。しかし、分析の際にはFisherと同じ方法で上位8人まで切り詰めている。そうしてもなお今回の調査の方が平均の人物数がFisherのそれよりも2人弱多くなっているが、この点については違いとせず、調査設計上の違いがもたらした誤差としている。この見解は、名前の数と回答者の社会経済的地位の相関関係が同じであること、学歴が高ければ名前の数も増えること、数が増えるとその中に占める親族の割合が減ること、高学歴者は親族の名前を上げる確率が高いことなど、両方の調査で同じ傾向が見られたことによっても支持されているという。また、年齢や男女などのHomophilyも確認されている。

    このように、基本的に分析結果は(誤差を方法的な違いに帰していいのかという問題は議論されていないが)カルフォルニア調査と変わらなかったことに対しては、三つの解釈が提示されている。一つ目は、同じ方法をとったからというものだが、個人的にこれは解釈に値しないと思う。二つ目はトゥールーズの人々はカルフォルニアの人々と生活様式が似ているという、調査から検証しようのないぶっ飛んだ解釈が提示されている(トゥールーズの都市部には70年代からマクドナルドが進出してなどの下りは笑えてしまう、70年にやってたら違う結果になっていただろうという反実仮想の話をされても困る)。三つ目は産業化した社会では違いなどはなく同じような構造をしているという、こちらも検証不可能なものが挙げられている。よくこれで投稿できたと半ばあきれてしまった。

Hennig, M. 2007. “Re-Evaluating the Community Question From a German Perspective.” Social networks 29(3):375–90.

    ドイツはベルリン、ハンブルク、シュトゥットガルトの三都市を対象に2003年に調査が行われている。先行研究の検討の箇所では、ドイツらしく、Community Lostのところにベックの危険社会の議論(家族は近代社会における敗者である、など)が引用されている。また、シカゴ学派からFisherに至るまでの研究はCommunity Questionに答えるためにWellmanの三分類のどれかを主張するだけだったのに対して、Wellman自身は三つの考えが互いに共存しあうものという折衷的な立場を取っているとする(そして筆者もこの考えに従っている)。調査はベックなどが主張した家族の孤立化を検証するものとなっている。また調査対象は子どものいる家庭に限定されている。調査の特徴的な点としては、家族の孤立化を分析対象とするためにWeberのOikosモデルを利用し、その結果、実際の9割程度の親類関係(直系二等親以内)を捕捉できているとする。

    この調査ではWellmanの問題意識を引き継ぎ、サンプルをクラスター分析からLostタイプ、Savedタイプ、Liberatedタイプの三つに分けている。その上で、Wellmanとの調査の比較が行われるが、それに比べるとこの調査は家族を名前に挙げる傾向が強かったために、multiplexとなる(その意味でLostでもLiberatedでもない)サンプルが多かったことを報告している。この結果と照らし合わせると、Wellmanの調査ではLostが少なく、Liberatedが多かったようだ。クラスター分析からはLostタイプが全体の4割強を占める結果になったが、実際にはこのネットワークは親類の割合が少ない一方で、ソーシャルサポートが充実しているなど、実際にはLostと断定しづらいことが主張される。結論としては、三タイプが質的に違う形で存在しているというよりかは、それぞれの左派系公的なものであることが述べられ、Wellmanの結論とはやや違うニュアンスが示されている。

Bastani, S. 2007. “Family Comes First: Men‘s and Women’s Personal Networks in Tehran.” Social networks 29(3):357–74.

    イランはテヘランを対象として調査が行われている。唯一の非西欧の社会からのデータということで、筆者もイラン社会の特異性を冒頭で強調している。特に、男女の別が強調される社会にあって、女性は家庭にこもることが社会規範になっていることやいまだにkinshipが社会組織の基礎になっているということが中心が調査に何かしらの影響を及ぼすと述べられる。


    分析結果は確かに家族がネットワークの中心に位置することを裏付けるものであったが、親戚は名前にはあがってこなかった一方でimmidiate family(子どもや親や兄弟)などのつながりとして多く回答される傾向にあったという。また、ネットワークの同質性を検討してみると、ネットワークが様々な年齢や性別、教育や職業によって構成されており、同質性が低いことが分かった。これは、家族による紐帯がネットワークの中心にあるということの裏返しでもあると述べられている。この研究では、家族内のメンバーが増えることで回答者の全体のネットワークも拡大することが述べられており、イラン社会においてはなお家族が重要であることを示していると言える。これは政治や経済単位としての家族がまだ持続しているからでもあるが、北米社会との比較では、地理的移動の差も指摘している。ただし、この調査はテヘランの中産階級の結婚している家庭を対象に行われたものであり、これと同じ条件で北米社会と比較すると同様の傾向が見られるため、イラン社会の文化的特異性を強調することは危険だと論じている。


Borgatti, S. P., A. Mehra, D. J. Brass, and G. Labianca. 2009. “Network Analysis in the Social Sciences.” Science 323(5916):892–95.

    Nature誌に掲載されたネットワーク分析についてのごく短い論文だが、社会科学におけるネットワーク分析を自然科学者に解説するという体裁で書き進められている。

    まず1932年にアメリカの社会心理学者であるMorenoによって社会ネットワーク分析の起源ともいうべき研究がなされたのち、40年から50年代になってグラフ理論が導入されたこと、MITのグループネットワークラボによる、異なるつながりの構造が情報伝達の違いに与える影響についての研究、さらにKochenらによるのちにsmall worldと呼ばれる現象についての研究、Ficherらのコミュニティ研究、人類学者によるネットワークに重点を置いた調査、最後にグラノベッターの研究のインパクトが紹介される。その後、80年代になるとINSNAの設立やUCINETの開発が研究を促進させたことが概観される。

    次に、ネットワーク分析の理論と問題関心が述べられる。そこでは、社会科学におけるネットワーク分析の多くが物理化学のそれと異なり、ネットワーク上における位置が個人にとってどのような影響を与えるかという点に主な関心が払われてきたことが紹介される。次にネットワーク分析における理論的なメカニズムが述べられる。それは抽象的に言うと、情報や資源がネットワーク上の個人から個人へと伝播することで説明されるという。具体的にはadaption(同じ環境に身を置くことで似た考えをもつようになること)、binging(ノード間の結合の仕方によって新たな性格を持つ構成体が生まれること、structual holesなど)、exclusion(競争的な環境下で、関係を利用することで第三者を排除すること)が紹介される。さらに将来的な展望として、ネットワークが可視下されることでギデンズのような二重の解釈学のような行動を個人がすることについての研究が紹介される。

    最後に、自然科学的な見方では、人に尋ねるよりもネットワークを直接観察する方が好ましいとされるが、社会科学は客観的な指標が可能な場合でも、現実の世界を観察するよりも、人々の認識を尋ねる方が行動を予測するのには適していると考えると述べられている。(この辺りは、自然科学から見ればサーヴェイ調査は対象者の主観に依存していると批判され、社会科学者もそれを人々の認識を聞くという点で主観的と見なしているのが面白い。客観性の基準は複数あるのだろう。)

January 25, 2014

ソシャネ論文(10/107)


Burt, R. S. 1984. “Network Items and the General Social Survey.” Social networks 6(4):293–33

 この論文で、BurtGSS調査にName Generatorの質問を追加するに際してどのような問いが可能になるのか、また各質問をどのように設定するべきかという議論をしている。調査設計に近い論文。

 1章の序論の後、2章 Questions of general concernでは、GSSに用いられた質問の性格が詳細に紹介された後、先行する研究の紹介、そして既存のGSS調査における社会関係を問う質問と比較した時のname generatorの強みが紹介される。最後に、どのようなリサーチクエスチョンが考えられるかが議論されており、人間同士の関係が彼らの持つ属性によってどれくらい分断しているのか、統合しているのかというネットワークに関心をおいた問いや、既存のGSS調査で聞かれた問いを従属変数とした時のネットワークの効果はどれほどかという問い、さらに既存の属性や考えなどとの相互作用を測ることも提案されている。

 3章 Questions of specific concerns with the proposed itemsに入ると、具体的にどのような方法でネットワークを集めるかが紹介されている。最初に、3.1節で インタビュー時間について検討された後、3.2節では、どのようにして人物を特定するかを議論している。まずGSS以前に行われた調査における人数の分布から、名前を挙げる人数を3人に限定することが時間的制限を踏まえた理想的な基準として提案される。また、name generatorを一つにするか複数にするかという問題が議論される。問いを複数設定した方が多くのネットワークについて詳細に聞ける一方で時間的コストがかかるのは想像に難くないが、Burtによれば複数の問いを設定することのデメリットとして、あまりにも細かなネットワークを聞くことはGSSのような総合的な社会調査の目的に沿わないこと、特定のネットワークを聞いてしまうと、他の調査との比較ができないこと、さらに対象者にとっても重要とは必ずしも言えない場合が出てくることが述べられる。以上より、明確な基準を示しつつも詳細については対象者が定義できるようなsingle generatorの有効性が説かれる。具体的には、重要な問題について議論するという質問が親密な関係にある他者を明らかにする問い採用される。実際にこの質問を実施してみると、挙げられた人物の数も一定数おり、社会関係も友人や仕事仲間など多様であること、ここであがった人々が実際に親密だと考えられていること、また年齢や性別などもばらけることからその質問の妥当性が説かれている。最後には、3.3節でどのようにして人物間の関係を特定するか、3.4節でどのinterpreter itemsを選ぶか、3.5節で対象者-人物間の関係のデータをどのように得るか、3.6節で どのようにデータを配布するかが述べられる。

Otte, E., and R. Rousseau. 2002. “Social Network Analysis: a Powerful Strategy, Also for the Information Sciences.” Journal of Information Science 28(6):441–53.

 この論文では、SNAの発展に触れながら、論文データベースを用いてSNAの発展に寄与した研究者同士のネットワーク分析をしている。また、情報科学とSNAとの関連についても論じており、最後には情報科学においてどのSNAの研究者が多く論文を執筆しているかが述べられる。SNAの基本的な説明をしている前半は省略する。4章から、CSA Sociological Abstractsなどの論文データベースを用いて、1963年から2000年までに執筆されたSocial Network Analysisをテーマとする論文の推移を紹介している。期間中の論文総数は1601であり、1980年代から持続的な論文数の増加が確認できる。筆者はこの要因にWellmanが主導して設立したINSNAや雑誌Social Networksの創刊が背景にあると分析する。また、関連分野にまたがる研究も年を追うごとに増加していることが分かった。5章では、論文の共著者リストをデータに研究者のネットワーク分析を行っている。1601の論文の中で、三度以上執筆者に名を連ねている133人をco-authorship graphにかけたところ、57人のコンポーネントとその他数人から鳴る小さなコンポーネントに分かれたため、前者に限定して議論を進めている。この53人の中で最も投稿数が多いのは上記のWellmanで、彼はdegree centrality (9)もいちばん高い結果になっている。しかし、意外にもclosenessとbetweenessはDoreianという研究者がいちばん高いスコアを示している。続いて、筆者は情報科学の論文データベースの中に先のデータベースで6本以上SNAについて投稿している研究者の論文がいくつあるかを明らかにしている。47人の著者の論文のうち、12本がこの情報科学のデータベースに登録されていることが分かった。その論文の執筆者を見ると先ほどあがったDoreianが最も投稿数が多い(8)ことが分かった。

Edwards, G., and N. Crossley. 2009. “Measures and Meanings: Exploring the Ego-Net of Helen Kirkpatrick Watts, Militant Suffragette.” Methodological Innovations Online 4(1).

 この論文では20世紀初頭の婦人参政権運動家(Suffragette)であるHelen Kirkpatrick Wattsのego networkを彼女の手紙やスピーチのアーカイブ記録から明らかにすることを通じて、社会運動論における社会ネットワークの重要性とともに、量的アプローチと質的アプローチを同時に行うことで方法論への貢献も目指している。具体的には、ネットワーク分析の量的アプローチで二値として処理されてしまうような人間関係に対して、質的な資料を通じて、そこにどのような相互作用があったのかを分析することができたり、ハリソン・ホワイトが主張するようなネットワークや相互作用において重要なアイデンティティーがどのように形成されたのかを分析できるという。

 方法論的な部分に焦点を当てると以下のようなことが論じられている。手紙の質的分析を通じて、手紙はHelenではなく彼女の親に向けて書かれているものが多いことが分かった。これを裏付けるために、手紙のやり取りをグラフ化したネットワーク分析をすると、確かに両親の中心性が高いことが分かる。他にも、質的な分析からは、彼女の運動家としてキャリアにとって家族や彼女が所属した組織WSPUといった密度の濃い様々な社会圏(Social Circles)が影響を与えることが分かる。このような分析からは彼女に影響を与えた個人の存在にも気づくが、これは質的な分析だけでは分からない以下のような問いを導くという。すなわち、こうした他者がネットワークの中でdistinctiveな位置にいるのか、ネットワークは結束しているのか、様々な社会圏はそれぞれに独立しているのか重なっているのか、彼らの属性はネットワークにおけるdistinctiveな社会圏と言えるのか、それとも一つの社会圏におけるいくつかのカテゴリに過ぎないのかといった問題である。筆者はdensityやblock modelingといったネットワーク分析の指標を用いることでこの問いに答えることができると主張する。











January 24, 2014

ソシャネ論文(7/107)

Marin, A., and K. N. Hampton. 2007. “Simplifying the Personal Network Name Generator: Alternatives to Traditional Multiple and Single Name Generators.” Field Methods 19(2):163–93.

 パーソナルネットワークが記述データとしての信頼性をリスクとして抱えることは多くの論文が指摘している。この信頼性を確保するために、name generatorの質問項目を増やすことで改良が進められてきたが、それは同時に質問の複雑さを招き、対象者への負担を増大させるものだった。この論文では、信頼性の問題をクリアしつつ、質問を簡略化する試みを紹介している。

 Milardo(1998)やvan der Poel (1993)はパーソナルネットワークへのアプローチをrole-relation、interaction、affective、exchangeの四種類に分けている。これはMarsden (1990)ではrole-relatedとaffectiveの二種類に分けられていたものをさらに細分化したものと考えられる。筆者によれば、人とのコンタクトを基準にするinteractionアプローチはコンタクトの多さがその人の重要性を示している訳では必ずしもないとして最も信頼性から遠いとする。次に、role-relationとaffectiveに関しても、friendshipやvery closeといった言葉が人々によって異なって解釈される可能性が高いとして、これも信頼性の基準に照らした時には弱点があるという。筆者は相互のサポート関係などのようなexchangeアプローチが最も客観的であり論理の妥当性を担保するとして、質問簡略化の際に用いることにしている。

 簡略化が信頼性を損なわないかを調べる試みは以下のように行われる。まず、簡略化のための質問として「重要な問題について議論する」という特定の交換を指さない質問を採用した上で、他に具体的な交換を記述する4つの質問、最後に以上の質問で抜け落ちた人がいないかを確認するaffectiveの質問、計6問が用意された。最初の質問はサポート関係の詳細について尋ねない代わりに、名前を挙げられた人々がパーソナルサポートのネットワークを代表していることが妥当性を満たす条件になっている。

 これら5つを総合したネットワークと5つそれぞれをsingleとして見なした時のネットワークを比較すると、一部で強い相関は見られたものの、どのgeneratorも信頼性の基準を満たすものではなかったという。そのため、筆者は代替案として最も頑強性のある二つのgenerator(今回はdiscussとsocializing)を採用するMMG(the modified multiple generator)とalterの順位制を無視してランダムにalterを定めたname interpreterを採用するMGRI(the multiple generator random interpreter)の二つを提案する。両者はsingle generatorよりも信頼性があることが分かった。

[メモ] MGRIがよく理解できなかったのでもう一度復習の必要あり


Hogan, B., J. A. Carrasco, and B. Wellman. 2007. “Visualizing Personal Networks: Working with Participant-Aided Sociograms.” Field Methods 19(2):116–44.

 この論文ではネットワークの可視化を通じて、対象者が紐帯を持つ人々の名前をあげるのを容易にし、データの統合と回答者の負担を減らす試みを紹介している。筆者らはまず、ネットワークがどのように集められるかについてまとめている。紐帯を調べるName Generatorには条件に見合う人々を全て挙げてもらうrecall (Wellman approach)と特定のサポート内容を提供する人を挙げてもらう方法(Fisher approach)の二つがあり、さらに挙げられた人物の中で違う条件に当てはまる人を挙げてもらうper-network questions、挙げてもらった個人と対象者との関係を尋ねるper-alter wuestion、そして、挙げてもらった人物間の関係を尋ねるper-dyad questionの三つが尋ねられることを確認する。筆者らはこのName generatorの過程でvisualizationを導入してデータの信頼性の向上や回答者の負担軽減を目指している。

 次に、この論文が提唱する方法は、egoから中心円状に広がるconcentric circleを採用し、データ収集の今までと別の方法としてではなく、name generatorの修正版として用られることが述べられる。続いて、name generatorへの批判としてデータの信頼性(BKS調査などが引用されている)、一般化可能性(ランダムサンプリングをしていてもサンプル数の少なさのためネットワーク構造の全体を把握できない)、特異性(紐帯の数を限定することによって重要な弱い紐帯を見逃してしまう)、時間的なコストがレビューされる。

 調査自体は以下のように行われた。ランダムサンプリングで350人の大人にdrop off survey(留め置き調査?、この調査はConnected Livesという日常生活におけるコミュニティメディアの効果について検証した調査の一環として行われている)をした後、25%(87ケース)に関して、追加のインタビュー調査を行った。この際にname generatorが用いられ、調査員が対象者の自宅を訪れ、22’’×17’’の専用の装置をキッチンなどのテーブルまで運び、2時間から4時間に渡って調査を行っている。

 装置を言葉で説明するのは難しいし意味もあまりないのだが、イメージを膨らましてほしい。装置は5つのレイヤーに分かれている。真ん中に仕切りとして板があり、これを挟んで二枚ずつのレイヤーが二セットある。セットはvery closeかsomewhat closeの二つの紐帯を聞くために分かれている。一つのセットには最大33人分の名前が書き込めるようなポストイットが縦三列に並べられている。各セットのうち、上面はポストイットが貼ってある三列以外の部分を覆うようになっている。これは最初は名前や役割を書くだけにして、あとからポストイット同士を動かしやすくするための配慮だという。というのも、ポストイットが貼ってある面には2”ごとに円が書いてある図が用意されている。ポストイットは横幅1.7”のため、円周の線上に重なることはない。こうして、Egoからみてalterがどれくらいの距離にあるのかが視覚的に把握できる方法で調査される。円上への貼り方には以下のようなルールがある。各線上に接するようにポストイットを貼ること、中心になればなるほど対象者にとって近しい人物であること、互いに知り合いの人物は近くにおくこと、そして満足するまでそれを続けることだ。こうすることによって、視覚的に理解可能な形で個人のパーソナルネットワークが把握できる。さらに、alter間の関係を尋ねるために、cliqueの存在を尋ねたり、対象者にとって近しい(遠い)人物が、どうしてそのような位置にいるか、またalterと対象者が最後にトロントであった時を尋ねている。

[メモ] summationとの比較をもう一度読んでまとめる。




January 23, 2014

ソシャネ論文 (5/107)


Marsden, P. V. 1990. “Network Data and Measurement.” Annual Review of Sociology 435–63.

    この論文では、ネットワーク分析における測定方法とデータの正確性についての検討がなされている。後者のクオリティの問題に入る前に、筆者はまずネットワークの測定とそれに関連するリサーチデザインとデータソースの議論をしている。ネットワーク分析の研究者は社会構造を特定の社会関係のパターンとして考えてきたが、それはまるで社会関係は何によって構成されるかが自明だったかのようであるという。しかし、実際には研究者の間で定義が明確に共有されているとはいえず、いくつかの概念が混在しており、それによってネットワークデータの質の問題も変わってくるという。何をネットワークとするかに関しては二つの問題がある。

    まず、実際に存在する社会関係を測るのか、それとも対象者によって認知されているものを関係と見なして測るのかという問題がある。次に、紐帯の時間的要素に関わる問題がある。一瞬の相互作用まで関係に含めるようなミクロ社会学の考えがある一方で、ある程度の期間持続した紐帯をネットワークとして見なすこともできる。潮流としては後者が多くの研究の関心の的となっているが、こうした定式化された紐帯についてはstatic bias、つまり何を持って紐帯と見なすかについての多様な議論があり、操作的定義をせざるを得ないという限界を抱えている。最後に、紐帯の記述に関心がある場合と異なる集団や個人間の差を反映する尺度としての紐帯に関心がある場合では、評価基準が異なる。前者ではデータの正確性が重要だが、後者では分析手法のエラーに対する頑強性基準が重要になる。

    次に、リサーチデザインの段階になると、分析レベルとして構造的特徴と個人に対する影響、さらにその中間の3種類があると述べられる。そして、これはWhole-networkとego-centricの両アプローチの対比にもつながる。前者では、アクターが認識するものをネットワークとして考えるRealist アプローチと研究者が観察したものをネットワークとして考えるNominalist アプローチの二つがある。さらにネットワークの境界を定める戦略としては組織や集団への所属、アクター間の個人的なつながり、そしてイベントへの参加という三種類がとられる。後者の場合には、研究者の操作的定義のもと、Name Generatorによってアクターの直接の知り合いがあげられる。サンプリングはWhole-network アプローチをとる際にはあまり問題とはならない。そのかわり、あるまとまりを持った全体のネットワーク同士を比較するという試みは少なくなる。ego-centricの場合には、サンプリングが代表性を持つかどうかが問題になる。

    続いて、データソースの問題だが、種類としては大きく分けてサーヴェイをしてデータを集めるか、元々ある記録を利用したアーカイブデータの利用の二つがある。前者がego-centricの場合に持つ論点についてはCampbell (1991)が詳しい。これら以外にも人類学的なフィールドワークやスモールワールドのような実験的な方法でデータが集められることもある。このように測定手法に関しては多様性が見られるが、筆者らは多くの調査はサーヴェイ方式によって集められるとする。これはすなわち、Realist アプローチがとられており、その前提には紐帯が客観的に存在するという考えがあり、そのためデータの信頼性が問題になるという。(ただし、サーヴェイ調査についても対象者の認知的なつながり(affectionなど)を聞くことはあるように思われる)

    このように論じた上で、筆者たちは対象者の正確性、およびName Generatorによってあげられた人物の情報の正確性を担保する試みが紹介される。前者に関しては三つあり、第一に、サーヴェイデータを他の基準と比較する試みとしてBKS研究が紹介される。この研究は質問し調査によって得られたデータを記録や観察から行動履歴を集めたものを比較した上で、その不一致を主張して一種の問題提起を行った。この研究自体はサーヴェイデータへの疑義を呈した訳だが、これに対する検討が行われた結果、人々は起こった出来事にまつわる関係よりも、互酬的な関係などのような、より典型的な関係についての記憶力はすぐれていることが分かっている。第二に、こうした研究結果によって、どれだけ互酬的な関係にあるか探ることでデータの正確性を担保しようとする試みが生まれた。これはデータの裏取りをするのと似ていて、アクターが関係があるといった人物がそのアクターを認識しているかという方法を持って正確性が測られる。大規模なサーヴェイデータではBKSのような行動履歴まで把握できないため、この手法は実用性が高い。最後に、一定期間をおいて再調査をすることで正確性を測る試みもある。後者は信頼性の担保の試みというよりかは、実際にどれくらい一致しているかという結果のみ報告されている。最後に、近年登場してきた中心性などの測定概念が登場するが、これは現在の視点から見ると新鮮味に欠けるので省略する。


Fu, Y. C. 2007. “Contact Diaries: Building Archives of Actual and Comprehensive Personal Networks.” Field Methods 19(2):194–217.

 明示はされていないが、この論文は実証主義的な立場をとって個人のパーソナルネットワークを全て完璧に把握する試みとして、Diary Logを用いた調査が紹介されている。ここでDiaryとは日記のような意味ではなく、一定期間のうちに個人が接触した人物の情報と関係を細かく記録したものを指している。筆者はこの手法の利点を打ち出しがちだが、客観的に見てみると、一長一短といった方がよいだろう。確かに、筆者がいうように記録をつけるという作業自体は、観察やサーヴェイ調査よりも回答者にとって親しみやすいものだろう。しかし、一定期間の個人的な接触を全て記録するという作業は非常に根気がいるものである。もちろん、この点を筆者も認めているが、こちらも筆者が認めているDiary調査が広がらなかった要因を考える際に、このような対象者への負担の問題を見逃しては鳴らない。

 調査自体は台湾で行われ、データは54人の対象者に3ヶ月間、挨拶などの最低限のコンタクトも含めたあらゆるコンタクトを記述してもらうことであつめられた。コンタクト総数は10万を超え、平均すると、人々は3ヶ月で1900回のコンタクトをとっていることになるようだ。もちろんこれには同じ人物との複数のコンタクトや一度しかすれ違わなかったような人物も含まれている。その上で、ユニークな知人が一人当たりどれくらいかを算出すると、227人という結果になり、これは既存の先行研究の推定結果に沿うものだという。最後に、コンタクトの認知を従属変数、コンタクトの属性を独立変数とした時の多変量解析も紹介されている。

 読了後、SNA研究のコアにある実証性を重視する学派には三つのドグマともいうべきものが存在することに気がつく。一つは「客観的かつ完璧なネットワークは存在する」というドグマであり、これは「測定手段の改善を通じて完璧なネットワークデータを手にすることができる」というドグマを導く。さらに、人々のコンタクト、接触が社会的紐帯の根本であるという考えもドグマに近い。このような観察可能な紐帯を客観的に全て把握しようとする試みを相対化する必要性を感じた。

 余談になるが、調査協力者はサーヴェイデータ(ただしrepresentativeではない)から20人とその家族や友人34人の合計54人から成り立っている。興味深いのはドロップアウトの少なさと協力者の属性の偏りだ。54人以外にも、筆者は当初8人の協力を得ていた。つまり彼らは途中で調査から脱落したのだが、これは3ヶ月全てのコンタクトを記録するという試みの大変さを鑑みると非常に少ないように思える。信頼関係の構築がうまくいったのだろうが、実際この手の調査でどれくらいのドロップアウトが出るのか知りたくなった。次に、54人の属性には一定の偏りがあり、女性が多く(57%)、若年者が多い(40歳以下が61%)、さらには高学歴者が多い(9割以上が高卒以上の学歴を持つ、ただし、高卒が台湾社会において高学歴なのかは分からない)筆者によれば既存の同様の調査でも女性と高学歴層が多いことが分かっているらしい。直観的にこの偏りは理解できるが、考えられる要因についての説明が欲しかった。調査はボランティアなので、そうした活動に対する理解があるということなのだろうか。


Heath, S., A. Fuller, and B. Johnston. 2009. “Chasing Shadows: Defining Network Boundaries in Qualitative Social Network Analysis.” Qualitative Research 9(5):645–61.


 この論文は、ある調査の過程から生まれた副産物といってもよい。筆者らの研究グループは従来主流だった進路選択 educational decisionに対する個人主義的なアプローチに対して、ネットワークが個人の選択に与える影響についての質的調査を行った。調査では「高等教育に行ける能力や条件を備えていたにもかかわらず進学しなかった」16人がケーススタディの対象として選ばれ、彼らを囲む91人、合計107人の人物に対してインタビュー調査が行われた。

 筆者らの議論の出発点は、質的調査の持つ弱さを強みに変えていることにあるのが興味深い。調査では16人の対象者それぞれにとって進路選択の際に重要だった人物を挙げてもらい、コンタクトをとっている。これは一見すると、データの偏りを生む質的調査の弱点に思えるかもしれない。しかし、筆者らはこの偏りこそネットワークの性質を考える際に重要だと論じる。

 この調査はある個人から出発して彼らの周りのネットワークを把握する点でego-centricだと言えるが、サーヴェイ調査において操作化されたパーソナルネットワークとは大きくデータの性格が異なる。筆者らは後者をフォーマル・アプローチと呼んで自らの調査を一種の亜流と見なしている。彼らの集めたネットワークデータは操作化されて得られたthe networkではなく、広いネットワークの一部でしかないthe achieved networkなのだ。そのため、対象者が紹介した彼らの進路選択に影響を与えた人々は何らかのフィルタリングを介している。このフィリタリングはフォーマル・アプローチでは問題にされない関与者の欠如が問題化している点で示唆的なのだ。人々はどのように影響ある他者を定義してネットワークに入れているのか、もしくは排除しているのか、これが彼らの問題関心だ。

 調査は以下のように行われた。まず、対象となった16人に対して調査の目的を話し、彼らの教育や雇用における経験を語ってもらい、その際に誰が彼らに影響を与えたかを話してもらう。この時に、影響についての明確な定義はしないため、彼らは自分なりにその言葉を解釈して語りが進められた。そして、調査はこの中で登場してきた人物を紹介してもらい、彼らにも教育や雇用の遍歴を尋ねるとともに、対象者にどのような影響を与えたかも調べられた。筆者らによれば、この16人による選別の段階において最も重要なフィリタリングが起こっているという。筆者らはこれを三種類に分けている。まず、対象者らの何らかの想定が選別の基準になっていることがあった。例えば、調査がローカルなネットワークを調べるものだと思っていた対象者らは地域を越えたつながりを持つ人物を紹介せずにいようとした。次に、対象者がある候補者が参加を断ると判断した時の説明でも選別が見られる。それは、対象者がある候補者に対して調査に興味を持たないだろうと判断を下して調査者に薦めない場合や、対象者自身が候補者に対してネガティブな感情を持っていることを理由に薦めない場合がある。最後は逆に参加を承諾すると判断した時の説明における選別だ。対象者は様々な理由を付けて、候補者が調査に協力するだろうと説明しながら彼らを紹介する。このように、候補者の紹介の際に対象者がする選別は、彼らの進路選択に影響があったからというよりはむしろ、調査に協力的かどうかによっている。また、影響がないと見なされた人物は薦められない。さらに、より複雑な理由から薦められないと思われる場合がある。ある対象者は当初、調査に興味がないという理由で彼の兄弟を紹介するのをためらっていたが、尋ねるうちに「調査に関わらせたくない」と述べたという。筆者らは実際にはこのような選別は誰にでもありふれたものに鳴っていると推測するが、多くの場合、明らかにされないまま調査データから漏れていくとしている。

 筆者らが問題にするのは、こうした大きな影響を与えたと考えられるのにも関わらず、調査に表れてこなかったMissing Membersだ。これは対象者が薦めなかった場合と、薦められた候補者が断った場合の二通りがある。一般に、個人に対する他者の影響は、一時点の選択に限らず、過去を含めたライフコース全体に渡る場合も考えなくてはならない。このように考えると、親や兄弟、また旧友が少なからず影響を与えていることが考えられるが、過去に影響を与えた家族や友人たちとのつながりが様々な理由で途切れている場合は彼らを紹介することができない。筆者たちは対象者が紹介した人物からなるthe achieved networkだけではなく、こうしたMissing Membersからなるthe shadow networkも彼らの進路選択に重要な影響を与えていると主張する。


 彼らはBousserainを引用する。すなわちSNAのアプローチには「ネットワーク同士はdensity、size、さらにはcompositionという点から比較でき、それはさながら蝶の収集家が彼らの好む種の色や羽の幅、斑点の数を比較できると考えているのと同じである」という前提がある。蝶をpin downするように、ネットワークにはある一つの静的な状態があるとする見方を筆者らは拒否する。しかし、これは質的ネットワーク分析(QSNA)が唯一の手法だといっている訳ではない。筆者らはQSNAがネットワークの選別の過程で生まれるフィルタリングを通じたインクルージョンとエクスクルージョンの過程を明らかにする可能性を評価しているのだ。

January 22, 2014

ソシャネ論文(2/107)

Campbell, K. E., and B. A. Lee. 1991. “Name Generators in Surveys of Personal Networks.” Social networks 13(3):203–21.

    1991年のSocial Networksに投稿された、Name Generatorを使った調査を比較検討した論文。アメリカにおいてパーソナルネットワークを集めた調査は1973年のLaumannのデトロイト調査に始まり、1985年にはアメリカ全土を対象としたGSS(General Social Survey)にこの項目が盛り込まれた。その間には日本でも著名なWellmanやFischerによるコミュニティ調査も実施されている。

    Name Generatorは単純化すれば「誰を知っていますか?」という質問を調査対象者に聞く形で、その人物のネットワークを把握しようとする試みである。しかし、個人と関係を持った人間の数は、定義によって様々に変わりうる。調査のコストを考えても、何らかの制限を加えなくてはならない。

    例えば、関係の内容や役割(重要なことを議論するのは誰かであったり、サポートの提供者)や親密性、さらには地域(近所に住む人)によって絞り込みが行われる。これとあわせて、時間的な区切り(直近の半年間で~~した人)を用いることで制限だけではなく回答の正確性を担保することもできる。(他によく用いられる方法には、基準に見合う人を○人まで挙げる、というa numerical limitが用いられることも多い)

    本論文は、このように同じName Generatorといっても、調査ごとに異なる手法を用いている現状を鑑みて、手法の違いが調査結果にどのような影響を与えるか、四つの調査を比較して分析している。調査に用いられたのはWellmanのイースト・ヨーク調査、Fisherの北カリフォルニアコミュニティ調査、MarsdenらのGSS、そして筆者らが行ったThe Nachville Neiborhood Surveyである。筆者らの調査は、South Nachvilleから81地点を選び出し、1地点ごとに10の隣接する住宅の居住者に、近隣及びそれよりも広い範囲に住む住民との交流について尋ねている。この調査が他の三つの調査との比較の時に用いられる参照カテゴリになっている。

    比較の結果から(1)手法によって最も幅が出るのは挙げられた人数(Fischerの調査には名前を挙げるための複数の質問が用意されている、また親密性について尋ねる質問については回答数が少ないなどが要因として挙げられる。)、(2)年齢や学歴、性別の割合などの平均は調査間でほぼ同じだが(3)これらのばらつきは大きい。最後に(4)関係の特徴(期間や連絡の頻度)は調査間のばらつきが大きいことが分かった。

Knox, H., M. Savage, and P. Harvey. 2006. “Social Networks and the Study of Relations: Networks as Method, Metaphor and Form.” Economy and Society 35(1):113–40.

    ネットワーク分析の学説史研究とも言うべき論文。筆者たちは、ネットワーク分析ないしネットワーク的な志向性を持った研究が増しているにもかかわらず、相互の関係がネットワークになっていないことに疑問を呈する。筆者たちによれば、ネットワーク思考の研究には二つの潮流があるという。一つは社会ネットワーク分析(SNA)と呼ばれる分野、もう一つが社会人類学の系譜だという。この二つの潮流の発展過程に沿って、筆者たちはネットワーク思考に関する問題点を提示し、解決の糸口を探っている。

    はじめに、筆者らはRilesによる人類学的なネットワーク調査の事例を紹介する。Rilesは調査の過程で、調査者の分析と被調査者にとっての現象が同じものになっていくと論じる。「ネットワークの効果は、その記述によって生み出されるのだ」、この言葉を引用しながら、筆者らはネットワークが方法として、メタファーとして、そしてformsとしてどのように展開したかを考察する。

    はじめにSNA領域の検討が行われる。Social Networksに代表されるように、SNAの研究者たちは自らの研究者コミュニティを中心にその手法や測定技術を発展させてきた。一見すると、SNAの研究は一枚岩のように見えるが、実はそうではないと筆者たちは論じる。その例として挙げられるのがグラノベッターの弱い紐帯の研究だ。これは一見すると、そして彼自身が主張するように、個人は関係性の中に「埋め込まれている」、つまり個人の力ではどうしようもないところで経済的な有利不利が決まってくることが述べられている点で、経済学的な、そしてそれまでの個人の持つ資源から地位達成を考える社会移動研究の個人主義的なモデルとは対立すると思われる。しかし、「埋め込み」という比喩は、コンテクストに制約される個人について考えるときの方法に等しい。あくまで弱い紐帯は個人によって所有される、そしてこれがName Generatorによって既存の社会調査で集められることは、グラノベッターによる弱い紐帯のモデルは非常に個人主義的であると考えることができるというのだ。すなわち、弱い紐帯の議論は一見構造主義的に見えても、手法としては個人主義的なのだ。

    このName Generatorという方法は一般にwhole networkを調べるのに対比してego-centricと呼ばれる。この二つの方法は、SNAの研究者が持つ二つの関心(contactとfield)に対応する。contactはアクター間の交流・接触がネットワークにとって重要だとする見方で、例えば会社の重役兼任に関する研究では、重役同士が互いを知っているかがネットワークの密度を増す際に大きな影響を与えると考える。しかしこれは、紐帯がないことをどのように評価するかについてなにも言明していない。Fieldの関心はグループごとの関係にあり、構造に関心を持つ見方と相性がいいとされる。特に、ホワイトの構造同値やバートの構造の空隙と言った考えは、ネットワークを一つの構造と見なして、そこから各アクターにとっての影響を探る。そのため、全体のネットワークがどうなっているかが分からなくては始まらない。こうした構造に関心を持つ見方がSNAにとっては一般的とされるが、これには二つの問題がある。一つはこの見方が重視するwhole networkは実際に集めることが難しいこと、もう一つはどこを境界にすればwholeと言えるかについては定義ができないことである。このように、ネットワークを分析する「手法」を発展させてきたSNAは内部で対立が見られ、構造主義的な見方も問題を抱えている。

    続いて、人類学領域の検討がなされる。筆者たちは、人類学の研究においては、ネットワークはメタファーとして用いられたことを主張する。例えば、初期のラドクリフ=ブラウンは当該社会のkinshipのシステムをより広い社会的な構造として語る際に、ネットワーク(ここでは、relatedness)を両者を結びつけるメタファーとして用いたという。ただし、これは単なる具体から中小への過程としてだけで片付けてはならないという。ネットワークが人類学の研究で用いられたのは、階級やジェンダーといった同じだけ広い射程を持つ社会的カテゴリが現実の生活情況と結びつかないからでもあったのだ。人類学の研究が構造機能主義的な見方から人々の持つ意味に焦点が写るのと平行して、ネットワークの分析方法としての色合いは薄くなり、かわりにメタファーとしての要素が強くなっていったという。しかし、階級やジェンダーが疑われたように、ネットワークも思弁的なカテゴリとして疑いを持たれている。

    このように、SNAと人類学双方に期限を持つネットワーク思考は批判に晒されている。しかし、筆者たちは両者を跨ぐ形でこれらの困難を解消できる可能性があることに触れる。そしてそこでは「文化」が重要な役割を持つという。筆者たちはホワイトがネットワークの構造主義的見方を批判し、文化社会学的な観点からネットワークを分析する主張を紹介する。SNAが苦しんだ、境界性の問題について、ホワイトは既存の研究がネットワークをアドホックなものと仮定したことを批判する。ホワイトによれば、領域はそれはもはや構造ではなく、それに付随するストーリーによって認識できるという。そのストーリーはネットワークに属している内部者が構成する言説の形で表現されるという。近代化が様々なネットワークを互いに交差させてきたことに振れ、彼はネットワークはもはや構造ではなく、文化的構築物そのものだと主張する。

(ここで中断。)