November 30, 2013

機能主義的階層論としてのデュルケム階級理論

今回はデュルケム理論を発展させたGruskyの階級概念を紹介します。デュルケムの階級理論というか、ほとんどGruskyのオリジナルなものですが。

 David B. Gruskyの階級論の議論にはデュルケム的な社会観がベースにある。『社会分業論』において、デュルケムは近代化とともに職業の専門分化が進むこと、及び出身など選択の余地のなかった機械的連帯から個人によって選択される有機的連来への転換を説いた。Gruskyはデュルケムの考えに従って、産業化が進展するなかで職業の分化が起こっていると主張する。Gruskyによれば、Goldthorpeのような階級図式はあくまで階層秩序を操作化した名目的nominalなものに過ぎないという。これに対して彼は、先の二項図式の他、属性ascriptionから業績attainmentとも呼ばれる近代化プロセスの中で、前近代的とされるゲマインシャフト的な集団として職業を捉えている。というのも、ポストフォーディズムにおける職業の専門分化は、生産に基盤をおいた連帯を弱体化させるのではなく、むしろよりローカルなものして強化する方向に働くからだ(Grusky and Sørensen 2001)。

 このようにGruskyは、それぞれの職業集団の中で利害や文化、政治的志向が共有されているという想定をしている。以前は職業上の地位や収入から測定した階級でも現実における階級意識と対応を持っていたのかもしれないが、現在においてそれはノミナルでしかないというのが、議論の出発点になっている。Gruskyの中では、職業が個人と社会を結ぶ価値を備えていて、労働者は自らの価値に合う職業を選ぶし、雇用者も職業の価値に見合うような労働者を雇うのだ。従って、職業単位で見たときに、彼らの階級意識や文化消費、ライフスタイルは似通ったものになる(Grusky and Weenden 2001)。

 ただし、こうした職業の性格はデュルケム的な機能主義だけによって定義されている訳ではないことに注意したい。Gruskyによれば、職業は機能主義的な見方から演繹的に分類されるのではなく、言説を用いた職業間の象徴闘争から定義されるという。例えば、眼科医ophthalmologyと検眼医optometristは目の手術に関して、それぞれ異なる利害や目論みをもっている。どちらの主張が通るかはどちらの言説が説得的に作用したかによる。しかし、それにもかかわらずGruskyは機能という観点から職業集団をとらえることの重要性を指摘する。職業の機能自体が言説として職業間の闘争に用いられるためだ(Grusky and Weeden 2002)。

 ここまでで、Gruskyの階級概念には理論的折衷が見られることに気づく。彼は機能主義的な理論をベースにしながらも、その分化の過程を職業間の言説を用いた闘争としている。この意味で彼の階級概念には紛争理論の影響も見られることが分かる。特に闘争を言説を用いた文化的なものとしている点で、彼の考えはブルデューに近い。ただし、この概念は「~~の職業集団には共通のアイデンティティがある」という主観的な側面に依拠している点を見逃してはならない。太郎丸(2005)がGrusky and Galescu(2005)に対して指摘したように、自分が想像している階層秩序が実際の秩序と対応を持っている訳では無いことは、こうした主観的な定義の危険性を示唆する。Goldthorpe階級理論とは、階級の主観・客観的測定という次元で大きな差異があることに注意したい。その一方で、文化闘争といった主観的側面を無視すると、Goldthorpeのような合理的選択理論に傾くこと、ゆえに階級が個人の選択への制約constraintsとしか見られなくなってしまうとGruskyが指摘している点は重要だ。

 GruskyはこのようなMicro Class Analysisの手法を用いて、WeedenとともにアメリカのGSSデータを使用した職業図式を作成している(Weeden and Grusky 2005)。最近ではSSMデータを用いて日本の階層秩序の趨勢をこの手法で分析している(Jonsson et al. 2008)。

[文献]

Grusky, D. B., and G. Galescu. 2005. “Foundations of a Neo-Durkheimian Class Analysis.” Pp. 51–81 in Approaches to class analysis, edited by Erik Olin Wright. Cambridge: Cambridge University Press.
Grusky, D. B., and J. B. Sørensen. 2001. “Are There Big Social Classes?.” Pp. 183–92 in Social Stratification: Class, Race, and Gender in Sociological Perspective, edited by David B Grusky. Boulder, CO: Westview Press.
Grusky, D. B., and K. A. Weeden. 2001. “Decomposition Without Death: a Research Agenda for a New Class Analysis.” Acta Sociologica 44(3):203–18.
Grusky, D. B., and K. A. Weeden. 2002. “Class Analysis and the Heavy Weight of Convention.” Acta Sociologica 45(3):229–36.
Jonsson, J. O., D. Grusky, Y. Sato, S. Miwa, and M. Di Carlo. 2008. “Social Mobility in Japan: a New Approach to Modeling Trend in Mobility.”
Weeden, K. A., and D. B. Grusky. 2005. “The Case for a New Class Map.” American journal of sociology 111(1):141–212.
Weeden, K. A., and D. B. Grusky. 2009. “Is Inequality Becoming Less Organized?.” Stanford University the Center for the Study of Poverty and Inequality Working Paper 09-1.

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