November 1, 2013

BBC Philharmonic with Nobuyuki Tujii

寮の友達に誘われて、コンサートに行ってきました。

BBC Philharmonicのコラボレーションシリーズのようで、今回は辻井伸行さんがはるばるマンチェスターに来てくれました。

素晴らしかったです、辻井さんはショパンを演奏してくれました。

感想を書くと、中学校以来クラシックコンサートはおろかクラシック自体ろくに聞いてない自分のぼろが出そうなのでやめときますが、辻井さんのピアノに向ける指先が見られる席に座れて本当によかったです。右利きなのだろうか、どちらかというと右手を大きく使って演奏しているように見えたのですが、彼にしか表現できない世界観に観客と他の演奏者たちが吸い込まれていて、会場が一つになっている感じがしました。彼の演奏している姿はしばらく頭に焼き付いたままになりそうです。

生まれて初めてスタンディングオベーションをしました。こういうのも、なかなかいいもんですね。

限界を露呈する前に(笑)やめておきましょう。学生はで座れるので、今後も暇があれば通い詰めてもいいかもしれません。大人でも一番安くて10£で座れるので、なかなか良心的なのではないでしょうか。


いや、例えばコンサートを通じて感じた社会学的なコメント(爆笑)もできるような気がしますが、うわっつらで終わるのでやめておきましょう。一つ気になった点を挙げるとしたら、どうしたら「いい音楽」ができるんでしょうかね。例えば、僕の高校の同期はクラシック好きが高じて学部は物理を専攻していたのに大学院で音響工学に専門を変えたらしいのですが、確かに音響設備だけで聞こえ方は様変わりすると思うので、そういうのは質の高いコンサートのために必要だと思います。一方で、音それ自体の研究をしている人もいる、というか駒場時代それを専門にしている人の授業をオムニバスで受けた記憶があるのですが、どういうリズム、音が人に心地よく聞こえるか、みたいなのも多分重要だと思います。重要というのは、彼らの研究成果は質の高いコンサートのために必要だろうというくらいの意味です。

心理面に注意を向けると、今日のコンサートで右となりに座っていたご老人が途中で寝だしたのですが、たまに聞こえてくる寝息はコンサートに聞き入る注意力を邪魔します。これはいい音楽には不適切だろうと思います。ですが、隣に人がいないとそれでいいかというと、少し違う気もする。隣に人がいなかったら空虚感を感じて逆に集中できないかもしれない。人はどういう心理状態だと心地よく音楽を聴く事ができて、そのためにはどういう条件が必要になってくるのかとかも重要そうです。

他にも照明の明るさや、休憩時間の長さ、演奏者との距離感(距離や空間的配置は圧迫感以外にも聞こえ方に影響しそうです。)、休憩時にサーブされるドリンク、トイレ、チケットの格、もしかすると移動手段や終了後の感想を言い合える友達の存在も「いいコンサートだった」と言えるかどうかの判断基準になりそうです(基準自体が人によって違うのであれですが)。

別にする必要もないと思いますが、例えばコンサートの満足度調査をするときに、これらの要素はdivideされて、多くは線形的(多分1-5とかの尺度で)に考えられるのでしょうが、まあそういう訳にも行かないだろうなと思います。


何がいいたいかというと、質的研究者が量的研究者の考え方を批判する気持ちも分かるということですかね、世の中の事象は複雑で、何を構成要素と見なすか(存在論的)、どのように構成されていると見なすか(認識論的)に多様な考えがある中で、統計的検定で何が言えるんだ(大意)みたいなことを質の人は言う訳ですが、ふと「いい音楽」とは何かと考えてみると、まあ答えは出ないだろうと思います。社会学が注目するところとしては、他にはフューチャーされてる演奏者が日本人かどうかで、日本人とその他で満足度はどう変わるかとかもありそうですね。まあめんどくさそうだし、手を付ける必要も感じません。


演奏とは別に、痛感したのはプロってすごいなあという当たり前のことでした。
プロって、失敗が許されないからプロなんだと(もしかすると今日のコンサートでもプロから見れば失敗したところがあったのかもしれません)。


これも当たり前ですが、コンサートはライブなのでなおのこと失敗が許されない。もちろん、だからといってドラマや映画が失敗してもいいから楽だとは思ってませんが、緊張感は相当なものだろうと察します。評価をする客が目の前にいて、怖くないんでしょうか。
そんな緊張感の中で最高のものを提供するというのは素晴らしくやりがいのあることで、これを生業にできている人は、職業にできるだけの技術の高さはもちろんのことその精神面からも尊敬します。


翻って、学術研究はどうかというと、論文を評価の単位とされたときに、コンサートをする演奏者とは置かれているプレッシャーが大きく違う事に気づかされます。
恐らく、BBC Philharmonicの人たちは一流の腕前に甘んずる事無く、本番のために何度も真剣に練習を重ねていると思うのですが、じゃあ自分が同じくらいの努力を一本の論文に書けているかというと、自信がなくなる。論文でなくてもいいから、毎日それくらいの気持ちで論文を読んでいるか、絶対に読んでない(たまに寝てるし、たいてい段落を読み飛ばす)。「真剣に」研究するというのが何を指すのかは釈然としませんが、少なくとも失敗が許されない本番に向けて努力しているのと同じだけ、もしくはそれ以上の努力を僕はしていない、これは間違いない事実で、いつ発表しろと言われてもいいくらいには毎日心がけてないと駄目なんだと思いました。(思うのと実行に移すのは違うと思いますが)

とはいえ、「練習大変じゃないですか」と聞いて「楽しいので苦しくないですよ」みたいな返事が返ってきそうな気もする。
そういう返事には謙遜も含まれていると思うのだが、同時にそれも然りとも思う。
恐らく、好きじゃなければ音楽なんて続けてないと思うし、同時に嫌いになるくらい練習してなければ生き残っていけない世界でもあるだろう。

学問も同じ事が言えるような気がする。僕は社会学が大好きだが、好きなだけではいい研究はできない、努力は必要だ。だけど、好きじゃなければ努力も続かない。
ひとまず学べた事は、彼らが本番で直面する緊張感みたいなもののひとかけらでも、僕は共有した方がいいということだ。仮にそれで飯を食ってくとすればなおさらだ。


あとは、楽団って社会調査のグループに似ていると思ったのですが、これは見りゃ分かる事なので、今日はこんなもんにしときます。ほんと、プロはすごい。プロになろうとするのであれば、彼らから学ぶ事は多いだろう。同じような理由で、スポーツ選手の考えや苦労を知るのも好きです。ナンバーとかたまに見ます。スポナビのコラムは勉強になります。

例えば、自分の書いた論文を一字一句読みなおして、この表現で正しいか、他にもっといい論じ方はないか、図表は理解の助けになっているかとか、そういう職人気質に近い気配りは「いい論文」の構成要素かもしれません。


さいごにコンサート会場の外観





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