「自分の研究はこれしか進んでないのに、周りにこんなに人がいるのに気づいた」
本日の退職記念パーティーの最後に、松本先生が仰った言葉です。今日の最終講義を通じて、先生の研究者としての姿勢と、研究活動を通じて先生が築いたネットワークの広さの二つを言い表す言葉だなと思いました。
本日16時より、弊研究室の松本三和夫先生の退職を記念した最終講義がありました(*1)。天気は小雨気味でしたが、花粉の飛来が激しいこの季節、個人的にはこれくらいの天気での方が何も苦労なく外に出ることができるのでよかったです。
16時をわずかに回った頃、法文2号館の一番大教室に入りましたが、その時には既に教室は人でいっぱいでした。やや仕方ない気持ちで(?)前方に座ると、いつも大きく見える松本先生が、教壇に立っているのでさらに大きく見えます。
座り始めて、気づきました。先生の講義を受けたことがなかったのです。先生が冒頭に紹介された、科学技術社会学の視点からみた技術発展の歴史の話についても、知りません。福島原発事故の話を経た構造災の話は少し本で読みましたが、最後の戦前の軍学連携の話も、初めて聞きました。考えてみると、私は先生の専門について、ほとんど知らないまま今日を迎えたのでした。
それではなぜ、私は先生の最終講義に、義務感からではなく自発的に、来たのでしょうか。それは、先生のゼミで学んだ「理論観」というようなものが、今の私の研究にも、小さくない影響を与えているからだと思います。
学部時代は、松本先生の授業を受けることはなかったのですが、卒論を書き終えて、自分の研究が、結局のところ変数と変数の関連を見つけ出す一種のゲームに思えてしまうことがありました。それは、やや過激な言い方では、昨日のシンポジウムでも出た変数(主義)社会学と呼ばれるものに等しいです。さらにいえば、少なくない先行研究において、結果の解釈がアドホックにみえることがありました。具体的には、出て来た結果を解釈して、それをもとにして、問いと仮説を作っていくような姿勢を感じたのでした。こういう結果の解釈の仕方は、今日の最終講義でいえば後知恵で考える、ということに近いだろうと思います。
その当時、私なりに理論と経験的な研究の関係はどのようなものなのだろうか、あるいは仮説はどのようにすれば検証したことになるのだろうか、といった問題について、特に解もなく、悶々と不満めいたものを抱えていました。その話を偶然、先生にする機会があったのですが、先生の返事は「であればゼミに来るといい」という一言でした。それは、修士課程になる春のことです。ちなみに、先の結果から解釈することの問題点は、先生に言わせれば「絶対に勝てるゲーム」みたいなものに等しい、ということでした。結果を見た後で、結果に適合的な仮説を考えれば、絶対に仮説は検証できてしまうことになるからです。
というわけで、一年間、先生のゼミに出て、以上の不満を解消するための勉強が始まりました。結論としては、その前後で関心を持ち始めていた分析社会学の考え方に、腑に落ちるところがあり、夏に書評論文を書き始め、年末に掲載される頃には、自分なりにどうやって定量的なデータを分析し、解釈していくべきかについての立場のようなものが、でき始めてきたと記憶しています。先生のゼミでDissecting the socialを輪読したことも、理解の一助になりました。
というわけで、私は松本先生の専門には詳しくないし、著書も通読したことはないのですが、それでも先生に学恩を感じてるのは、ゼミで難しい理論の論文を輪読して、色々勉強になったからです。今日の最終講義で、改めて社会学の良さは、個々の専門が異なっていても、理論と方法論では一緒に議論しあえる、寛容さにあると思いました。
松本先生の研究対象は、私が対象とする家族や階層に比べても、研究者と対象の距離が近くなりすぎることがあるのだと思います。今日の講義でも質問があったように、科学技術に対しては、サイエンスコミュニケーションなり、アウトリーチなり、いろんな言葉はありますが、研究者にも専門知とローカル知の媒介を担うことが期待される可能性が高まっていくのではないかと思いました。先生も、そうした仲介者の存在は今後ますます重要になってくると考えていると思いましたが、自身がそうした役割を担うことには、「やり残した仕事がある」とやんわり答えていましたが、本音のところでは研究者は研究に徹するべきであると考えているようにも見えました。
実践を求められやすい分野を研究しているにもかかわらず、あるいはであるがゆえに、先生は研究者に徹しようとしている。それが元来からある研究者「肌」なのか、それともそう努めようとしているのかはわかりませんが、そういう姿勢が冒頭で紹介した「自分の研究はこれしか進んでない」という、控えめな表現につながるのかなと、思いました。
ただ、松本先生は研究に徹するだけではなく、先生自身で率先されて科学・技術・社会の会や科学社会学会を創設し、できる限り多様なの利害をもつ人との議論を興そうと試みてきたことも事実だと思います。その結果として、「周りにこんなに人がいる」という言葉に表されるように、本日の最終講義に社会学者だけではなく、工学系をはじめとする多くの分野からなる研究者、あるいは研究者に限定されない幅広いバックグラウンドの人が集まったのだと思いました。
ということで、先生の研究、そして自分の研究についても、想起することのできた、よい1日でした。先生の今後益々のご活躍を祈念しております。
(*1)非常に細かいことですが、「退官」ではなく「退職」が正確です。国立大学法人の「教員」は、文部省の「教官」ではないからです。
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