2月9日
今週からティーチングが始まりました。社会学101のセクションを二つ持っています。学生は社会学の授業を撮ったことがない人が大半で、彼らに非ネイティブの私がアメリカの社会の事例を用いながら社会学の基本のコンセプトを紹介する、危ない橋を渡る気しかしない授業です。
初回からいきなりつまづきました。自己紹介を終えて本題に入ろうとしたら、いきなり「社会学って何?」と学生に聞かれて、しばしフリーズします。あとでわかったことですが、その学生はアップされた授業映像をみてないばかりか、教科書も読んでいませんでした。
こういう学生がいるのはイレギュラーな気がしますが、それでも授業は進めなくては行けません。ということで、用意してたdiscussion questionなどは全て置いて、まず社会学を定義しよう、社会学って何に注目するのか、他の社会科が買うと何が違うのか、議論しました。危ない橋と言いましたが、私が今学期渡らなくては行けないものは、橋ほど頑丈ではなく、綱みたいに細いのかもしれません。
2月16日
2週目が終わりました。今回のカバー範囲は、方法論と文化。
一言で言うと、私の英語を聞き取れる学部生ほんとすごいと思います。
同業者であれば、ある程度この言葉はこういう意味を含意してるという共通理解がある分、気張らなくてもいいところがありますが、予習しているとはいえ学部生にゼロから社会学教えるのはなかなか大変です。
なにより、反応の薄い学生が(1)単に興味ないのか、(2)考えてて発言してないのか(3)私の英語が分からないのか、が分かりにくいのが気苦労の元なのかなと思います。
内容ですが、方法論のところは、量と質の話とかすればいいのでそんなに難しくはありませんが、文化というのは社会学のイントロみたいな本でも数多の定義が出てくるテーマで、専門にしていない身からするとすごく教えにくかったです。それを正直にいって、文化ってどう定義しよう、文化ってどう測定しようという話をしてました。こんなんで学部生がためになっているのか、自分にはよくわかりません。教えれば教えるほど、教えることの難しさに気づきます。
2月23日
第3週目が終わりました。今週のトピックは社会化とグループ・ネットワーク・組織でした。
アメリカの教科書で社会学入門の授業を教えていると、教える内容が日本と同じ時、異なる時があり勉強になります。例えば今回カバーした社会化では、ミードのI/meや一般化された他者は扱うのは日米で同じですが、アメリカではその後にコーン/スクーラーの子育ての価値の研究から、ラローの階級によって異なる子育ての話までいきます。
アメリカでは、はn=1なので言い過ぎかもしれないですが、アメリカの文脈を踏まえるとラローを言及しないわけにはいかない気がします。基本、どの話にも格差・不平等が絡むのがアメリカの特徴なのではないかと思います。日本の社会学の教科書は、階層の章はありますが、階層の話がどの章にも登場するわけではありません。意識的にそうしているわけではなく、おそらく社会化が出身階層によって異なるとか、家族形成パターンが学歴によって異なるとか、そういったことをあまり考えないのだろうと思います。
このように、私は日米の社会学を比較しながら教えることができているので、とても勉強になっていますが、今後一人で英語で社会学入門の授業を教えるのは無理な気がするので、これで最後にしたいところです。
というのも、社会学は普段慣れ親しんだものを違う角度から見てみましょう、という姿勢の学問なので、ベースとなる社会で社会化されてないと、その常識を常識として見れないところがあるんだろうなと思います。多分18歳になるまでの期間の半分くらいをアメリカで過ごさないと、専門外のことまで話すのは難しい気がします。
学部からアメリカという選択肢は存在しない家庭環境でしたが、もし高校生の時に戻れるなら東大とアメリカのリベラルアーツカレッジ併願してみたいです。ダートマスとか、グリネルとか、アムハーストとか。自分は東大で教育を受けて後悔はしてませんが、アメリカの、大学院生がいない(これは超重要です)田舎にある、日本人がいないようなリベラルアーツカレッジで教育も受けてみたかったです。
こういう言い方が正しいのかわかりませんが、プリンストンの学部生を見ていると、大学って楽しそうな場所だなと思います。大学側は学生に得難い経験を提供しようという姿勢でプログラムを作ってて、なんか遊園地みたいだなと感じます。
3月2日
コロナで中間試験のウィンドウが3日間と広がり、私のセクションがその中に入ってしまったので、今日(と明日)は学生は中間試験の答えを書いてる中で(2時間そこらで終わると思うけど)私のセクションに参加することになっている。
前回は技術的なトラブルがあり、それで焦ってしまいろくな授業ができなかったのだが、その反省を生かして今回はしっかり準備をした。ただ、学生がリーディングを読んでこない。質問してもほぼ反応がない。試験と被っているとは言え、少し困ってしまった。
3月9日
なんとか日付が変わる前に、中間試験の採点、いわゆる採点の祭典が終わりました。今教えている社会学入門の授業や、そのテストが学生たちにどれだけためになってるのか考えだすとキリがないので、一人でもこの授業をとってよかったと思ってくれる人がいることを願って採点してました。
入門の授業だから学生たちも割と軽い気持ちでとってるだろうし、アメリカだと社会学はスポーツ推薦できた学生がとる授業(パスしやすいから)みたいな偏見もあり、それを内面化してしまうとモチベーションに負に影響してしまいます。ティーチングは大切な仕事だと思うのですが、やはり教えている間に消えていく研究時間を考えると(50分2コマの授業でも2日弱の研究時間はティーチングで消えます)、将来的に何か教えることになったらその時間を使ってでも教えたいことだけ教えたいなと思います。
統計は私より教えるのうまい人たくさんいるでしょうし、できるとしたらやりたいのは、階層論と日本社会論です。後者は需要があるかと言われると、自信はありません。
今教えてるセクションにアメフト部の人が複数いることがわかったので、階層論を教えた今日はトム・ブレイディとジョー・バイデン、どちらが高い階層にいるかクイズを出した。最初名前を隠して、サラリーだけ出した後に写真出したらちょっとウケた。確かサンデルが熱血講義か何かでオバマとイチローの所得差は合理的に説明できるかみたいな話をしてて、その真似。
3月30日
今日の社会学入門は家族と教育だったので割と自信を持って話せた。やっぱり英語になると知らないことをごまかせない。
zoom授業で助かってるのが研究者が作っているインタラクティブマップ。今回は学区ごとのSESとテストスコアの地図を使わせてもらった。色々試行錯誤したけど、結局自分はデータから何が見えるか、みたいな授業が相対的に得意なのだと思った
最初は「教えよう」としたけど、やっぱりどうやってもアメリカで育った人の方が詳しいことはある。なので、教えるよりも面白いデータを見つけてきて、背後で何が起こってるのかを考えてもらう。正解っぽいことは最後に言うけど、学生は学生で面白い仮説を出したりする。これでいいのかわからないけど。
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