Shelly Lundberg Robert A. Pollak Jenna Stearns. Family Inequality: Diverging Patterns in Marriage, Cohabitation, and Childbearing. JOURNAL OF ECONOMIC PERSPECTIVES.
人口学セミナーのリーディングの一つ。社会学や家族人口学では分岐する運命(Diverging destinies)と呼ばれる仮説が流行している。この仮説はすなわち、アメリカを中心とする西洋諸国において、かつて非典型的とされた同棲、非婚出生、離婚などが増加しており、これは低学歴層に集中しているため、階層差を伴う形で進行する家族形成の変化が世代間の不平等を増加させているのではないかというものである。この仮説は、主に社会学のバックグラウンドを持った人口学者によって提唱されてきたが、この論文の著者たちは、分岐する運命仮説を経済学的に説明しようとしている。
要約
1950年では、家族形成に学歴差はほぼなかった。男女とも多くの人が結婚していたし、その割合は低学歴層の方が多かった(高学歴層は結婚のタイミングが遅い)。しかし、2010年になるとこの学歴と結婚の関係が変わる。全体として結婚する人は減少している。これに加えて、今では高学歴層の人の方が結婚している傾向にある。結婚していない女性が子供を持つことは稀だったが、結婚率が減少する中で、非婚出生が増えている。かつてから婚外出生には学歴差があり、低学歴層の方がその傾向が強かったが、近年では学歴間の格差が拡大している。
結婚率の減少の中で懸念込みで語られてきたのが「結婚からの退避(retreat from marriage)」だった。これらの議論は非婚出生と離婚率の上昇に注目してきたが、重要な視点が抜けている。同棲の増加である(経済学では、同棲に対する軽視がより大きかったらしい)。今では「シングル」のアメリカ人の多くが、パートナーを持ち、子どもを持っている。実際、結婚からの退避は、おおよそ同棲の増加によって説明できると考えられている。なぜならば、若いカップルが最初に世帯を形成する年齢自体には大きな変化がないからだ。つまり、昔は結婚によって世帯を形成していたが、同棲がその一部を切り崩す形で増大した。
しかし、こうした家族形成の変化には社会経済的地位による分断がある。具体的には大卒・非大卒の間に分断がある。大卒者に比べて、その他の低学歴層では同棲に入るタイミングが早く、同棲期間中により子どもを持つ傾向にある。さらに離婚率も高い。また、同棲の意味も学歴間によって異なる。大卒者にとっては、同棲期間中に子どもを持つことは少ない。子どもが生まれると結婚に移行する傾向にある。これに対して、他の学歴では同棲とは結婚の代替として選択されている。
何故このような学歴による家族形成上の格差拡大が生じたのか。二つ説明がある。第一に、低学歴男性の経済的な見込みが減少したことが指摘される。女性の相対賃金の増加は分業へのリターンを減少させている。社会学ではこれに加えて低所得層における「結婚可能な」男性の供給量の不足がこうした格差の拡大の主要因であるとする向きもある。しかし、この命題が正しいとしても、なお中間層にいる男性が世帯に寄与しないことは考えにくい。この理論が結婚率の減少をより広範に説明するためには、ジェンダー役割への言及、すなわちかつて支配的だったジェンダー規範が崩れることに伴う結婚の利益の減少が、こうした中間の所得を持つ男性を「結婚不可能」にしたと考えるべきだろう。
第二の説明は、結婚のコミットに対する要求の学歴差が拡大していることに着目する。結婚が伝統的な分業モデルに基づいていた頃は、そのコミットメントは妻が家庭にとどまり、子どもを育て、結果的に市場にレリバントな人的資本を蓄積することを妨げることに関する利害を守ってきた。しかし、技術革新によって分業の利得が減少する。同棲は結婚よりも退出コストが低いと考えられるため、コミットメントが少なくてすむ同棲の利得が増す。この論文では、さらに大卒の親が結婚をコミットメントの装置として使う場合に、子どもへの共同の投資を円滑に進めるために活用していることを主張する。低学歴・低所得のカップルではこうした投資は理想的とは考えられず、実行に移すことも難しいため、コミットメントに対する価値は同棲に比べると低い。
感想
結婚への退避に対しては、結婚タイミングの遅延だけではなく、離婚率の上昇による退避も含意されているとは、あまり考えていなかった。一つの疑問としては、この論文では社会規範が変わり、非典型的だった家族形成行動が許容されるに伴って、筆者は女性が結婚を拒否する自由を増していったとしている(women have increased freedom to reject marriage)。つまりこの論文は、結婚が減少して同棲が増加する傾向が低学歴層で顕著であることの説明を、経済学的に「結婚のメリットがなくなったから」あるいは離婚コストなどのデメリットが同棲よりも高いから、という個人の合理性(利得計算)に求めている。
これに対して分岐する運命という言葉を発明したMcLanahan(2004)では、のちにJMFに掲載されるGibson-Davisらとの共著論文を引用して、社会経済的に不利な集団においては、結婚しない理由として「結婚と結びつくようなライフスタイルを獲得するまで結婚せずに待っている」という点が挙げられている。ただ、McLanahan(2004)でも、なぜ分岐する運命が生じているのかの説明で、特に高階層においてはフェミニズムの影響があり、ジェンダー分業的なモデルを否定する行動を促進したとしており、これはLundbergの説明と近い。
いわゆる結婚からの退避に関して言及する文献は、結婚からの退避が何故生じているのかに対して、(主に高階層において当てはまる)女性の自立が促進されて結婚を積極的に拒否する人が増えたという説明と、反対に結婚への価値は置きつつも、経済状況の悪化によって「結婚できない」人が増えたという説明の二つについて、あまり明確に議論してこなかったという気がしている。結婚からの退避というのは、女性側の意図的な行為による拒否の結果なのか、それとも結婚自体に対する価値は高いままで、結婚したくても結婚に移行「できない」のか、いずれなのか、それともそのどちらもが正しく、階層差を伴っているのか。
McLanahanはジェンダー規範の変化による女性の経済的自立は高階層に特に当てはまるとしているが、Lundbergは規範の変化は低階層の女性にとっても当てはまり、これによって中間層の男性が結婚しにくくなったことが示唆されている。さらに、Lundbergは低階層のカップルでは結婚が子どもへの投資をする制度として評価されないために、結婚が選択されないと説明している。むしろ、低階層のカップルにおいて親になるための動機とは安定や生存を意味するものであると指摘もしている。この説明でも、Lundbergは低階層のカップルは「結婚する必要がなくなった」という説明に重きを置く。社会調査やエスノグラフィの結果を読めば、実際にはまだ人々の多くは結婚に対して肯定的な意味を見出し、意識の上では結婚したいと考えている人が多いわけだが、Lundbergの説明は階層にかかわらず、結婚のメリットが減ったことによって結婚が減少したという合理的な、個人が積極的に選択している側面を強調しているように読める。
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