March 10, 2014

Might Britain Be a Meritocracy?

Breen, R., and J. H. Goldthorpe. 2002. “Merit, Mobility and Method: Another Reply to Saunders.” British Journal of Sociology 53(4):575–82.

 サンダースのメリトクラティック批判を受けたゴールドソープらの反論リプライ。まず、彼らは社会学の調査では、全ての要因を考慮することはできず、その点で出身階級の効果も現実のそれを正しく反映していないといえる。しかし、仮にそうであるならば、サンダースはメリトクラシーの効果が階級よりもより小さく推定されていることを主張しなくてはならないが彼はそれを無視しているという(批判その1)。さらに、サンダースの用いたデータの分析の結果、能力やモチベーションは階級達成の過程で影響を与えるが、それよりも学歴qualification の方が効果は大きい。そして、それらを投入しても出身階級の効果は残り、イギリスがメリトクラティックな社会とは言えないと主張する。

Pakulski, J., and M. Waters. 1996. “The Reshaping and Dissolution of Social Class in Advanced Society.” Theory and society 25(5):667–91.

 基本的にはポストモダンの時代になって階級が人々の不平等や意識と密接な結びつきを持たなくなったという主張をしている。筆者らは社会学における階級という概念の前提を4つ提示している。一つ目が階級は経済的な要素を基盤にしている、二つ目は階級に基づいた集団を形成する、三つ目は階級は政治的嗜好やライフスタイルと結びつく、四つ目は階級は政治・経済の領域で変化を起こすことのできる集合体であるということだ。これらが全て当てはまっているのはライトの階級論くらいだというが、例えば一つ目に関しては、従来生産手段の所有に基づいて階級が形成されてきたが、それが労働市場を基盤にしたものに変化し、ゴールドソープのような雇用関係や労働者のスキルに着目した階級分析が続いているという点には賛同する。しかし、経済的な資本に代わって文化や情報や審美性からなる象徴が社会の編成原理になりつつあるという主張はやや極端のようにも聞こえる。(資本の複数性は想定すべきだろう。)階級の政治的組織としての側面が衰退していったという指摘も外れてはいないが、これは歴史的な説明であり、現在においてどれほど階級(ただし、論者によって中身が異なることは認めざる得ない)というカテゴリが有効なのかとは別の問題だろう。また、確かにゲマインシャフト的な階級と文化のつながりは無くなっているかもしれないが、文化消費と階級の関係は新しい形で出現していると考えられる。

Saunders, P. 1995. “Might Britain Be a Meritocracy?.” Sociology 29(1):23–41.

 サンダースによる、ゴールドソープらナッフィールド一派の社会移動研究に対する批判論文。一連の社会移動研究の成果は、イギリス社会の階層の流動性を発見するものだったが、それは戦後の経済成長に支えられた絶対移動による部分が大きく、階級間の相対的な移動の移動が見られない点で、イギリス社会が開放的とは言えないと主張した。しかし、サンダースはこうした主張に対しては、職業構造の変動による影響を相対移動の主張は見逃していること、オッズ比を用いた相対移動の解釈には問題があること、最後に彼らの主張の前提には個人間で素質や才能に違いがないという前提があることが批判される。特に最後の点が重要であり、サンダースは彼らがこの点について何ら検討していないことを批判する。この場合の素質とは具体的にはIQのことを指しており、Halseyらの先行研究をもとにした階級間のIQの推定などが紹介される。(Heath (1981)ではBlau and Duncanのようなパスズを使った独立変数の影響力の違いを検討しているらしく、そこでは個人の教育達成が出身階級よりも達成階級に大きな影響を与えていることが指摘される。)その上でサンダースは、完全にメリトクラティックな社会の場合に、各階級のIQはどれほどかを推定している。出身階級と達成階級それぞれ、階級分布に沿って各階級の平均的なIQが算出される。しかし、親のIQが高くても子どものIQが高くなる訳では必ずしもないとした上で、サービス階級と労働者階級の二つに絞って、二世代間の社会移動の値を推定する。結果が実際の値と告示していることから、サンダースはイギリス社会のメリトクラティックな側面を主張している。

Saunders, P. 2002. “Reflections on the Meritocracy Debate in Britain: a Response to Richard Breen and John Goldthorpe.” British Journal of Sociology 53(4):559–74.

 ゴールドソープらの批判を受けて、サンダースがリプライ。といっても、National Child Developemnt Studyという調査のデータを用いて、メリトクラシーの部分以外ゴールドソープの枠組みに準拠した重回帰分析から、出身階級ではなく本人の能力がいかに地位達成に重要かを主張している(だけ)。分析には組み込んではいないが、サンダースは自身の95年の論文から、サービスクラスからワーキングクラスに下降移動するのが彼のモデルより実際の値が25%小さいことを指摘しており、能力的にふさわしくないundeservingなミドルクラスの子どもが階級を維持していると主張しており、この点はもっと掘り下げてもいいかもしれない。

Giles, M. W., and A. Evans. 1986. “The Power Approach to Intergroup Hostility.” Journal of Conflict Resolution 30(3):469–86.

 この論文では、人種間の隔離を説明する際に、心理的な側面からアプローチした接触仮説に対して、集団間の紛争から出発したパワーモデルを提示している。このモデルでは、エスニックグループをそれぞれの利害を追求する集団として捉える。これは、偏見などを考慮した接触仮説に比べると集団間の対立を前提にしている。このモデルの前提にあるのは、自分がどのエスニック集団に属するかというidetificationである。筆者は白人のみを対象にした調査のデータを用いて、回答者が自らをどれだけ白人と認識しているか、白人を含む29のエスニシティへの感情温度計、及び脅威の指標として居住地区における黒人(なぜ黒人に限定するのだろうか)の割合を求めた。敵対心の指標としては、政府の黒人に対する雇用機会の創出、政府の学校の人種間隔離の防止策、及び公共住宅の創出の三つが提起された。分析の結果、寛容さと政府への政策ともに白人認識が強い人、および居住地区の黒人割合が高い人ほどネガティブな意見を持つことが分かった。

Chan, T. W., and J. H. Goldthorpe. 2007c. “Social Stratification and Cultural Consumption: the Visual Arts in England.” Poetics 35(2-3):168–90.

 (金太郎飴のような気もしないが)、この論文ではイングランドにおける文化消費(今回は芸術消費)と社会階層の関係を検討している。階級や地位の区別などは省略。潜在クラス分析の結果、芸術消費に関しては文化的雑食、非消費、その中間であるpaucivoresの三つが抽出された。このようにunivoreが見つからなかったことは、芸術消費が量的な分布をしていることを示唆する。分析の結果、やはりomnivoreはサービスクラスを中心とする層が、そして非消費は低階層の階級が占めていることが分かる。そして、多変量解析の結果、階級ではなく地位が文化志向の違いを説明することが分かった。ただし、omnivoresとpaucivoresの比較では学歴のみが有意となっている。また、4歳以下の子どもを持つことはinactiveとなる確率を高める。

No comments:

Post a Comment