R. K. マートン 「準拠集団行動の論理」 『社会理論と社会構造』 pp.207-256
<要約>
〔序言〕
・社会理論と経験的調査の交流は双方向的(207)
=「系統的な経験的資料は課題を出したり、また往々予期されていなかった線にそって解釈を下す機会を提供したりするが、これが社会理論を進展させる一助となる。一方、社会理論は経験的調査から得た知見の妥当する条件を示すことによって、この知見の持つ予測的価値の範囲を決めたりその価値を増大したりする。」(207)
・「アメリカ兵」の系統的調査を使い、理論と調査の相互作用を「準拠集団行動の理論」に絞り検討する(207)
・関連した二つの主題についても触れる(208)
・集団属性と社会構造の統計的指標を今後の調査に系統的に織り込むことの特殊な価値(208)
=調査事例をインテンシヴに再検討することで調査によって得られた知見を高次の抽象化、一般化に包摂(208)
=どの点で準拠集団の理論が拡大され、戦略的視点を持った調査で追求されるべきかの決定(208)
(理論的拡充を調査部の得た知見に立脚する経験的調査の中へどう織り込むかについて配慮することで、理論の蓄積と新しい調査の相互交流に持続性が保証される、208)
・心理学的に分析した資料を機能社会学が補足(208)=機能的社会学と準拠集団論の緊密な関連の指摘(208)
第一節 相対的不満の概念(209-215)
・相対的不満の概念は操作的性格を持つ(210)
「アメリカ兵」の中には正式な概念規定がないが社会学理論の中で確立している概念との類縁性が認められるため、正式の規定が欠けていることは大きなハンディキャップではない。(209)
・相対的不満(既婚の兵士→未婚の同僚/未招集の既婚の友人 ・教育程度の低い兵士→未招集の知人、友人など)
※兵士の地位の差=独立変数 兵士の感情と態度=従属変数
地位の差の態度や感情への影響を解釈=媒介変数=相対的不満の概念(211-212)=準拠枠(解釈変数)(208下,212)
・準拠枠は三種あり(212)、それらは互いに混合し合う(213) 214の図を参照
・1.実際の結合関係(自分/他人)2.同じ社会的地位、部類(既婚/既婚)3.違う社会的地位・部類(非戦闘員/戦闘員)
→こうした分類によって「どんな場合に自分の所属する集団/しない集団が態度形成の準拠枠になるのか」という準拠団集行動論(ママ)の発展のための中心的意義が出てくる(214)
第二節 相対的不満か相対的不満か
・「アメリカ兵」の執筆者は(相対的)不満を重視
なぜ不満を抱いているか→自分と他者を比べているから
but自分と他者を比べているので不満を抱いており、この意味で「不満」は相対的不満の付随的、特殊的な要素(216)
第三節 準拠集団としての所属集団(217-221)
#事例1
「能力のある兵士は昇進のチャンスに恵まれていると思いますか」
→昇進機会の少ない兵科の方が質問に対する意見が肯定的に(217)
調査部の説明
昇進率が一般に高いと、集団成員(同じ釜の飯をくっている他の連中)の希望と期待が過大になる(218)
理論的含み
・系統的な経験的データがあったからこそ、例の変則的な型が嗅ぎだされた(218)
→新しい理論の可能性=経験的調査のもつ創造的機能(218註)
・自分と同じ地位にある個人が自己評価の準拠枠であるという仮説を提示(219) →社会学的問題の提起
この種の型の発生を促す条件は何か/比較する相手は誰なのか/相手はなぜ人によって違うのか
・自己評価と制度に対する評価の分別を提示
第四節 複数の準拠集団(221-229)
#事例2 葛藤する準拠集団
通常士気旺盛 軍隊はうまくいっている
海外にいる非戦闘隊員 32% 63%
合衆国に駐屯する兵士 41% 76%
調査部の説明
非戦闘隊員の不満が予想より低い要因
=「不満と報償の程度が各自異る」(222) = 母国に残っている兵士>海外の非戦闘員>戦場部隊員
(これは比較のための二つの文脈が交叉していることを示唆している)
理論的含み
・比較のための二つの文脈が互いに交叉した目的のために作用し、それが海外の非戦闘員の評価を左右する(222)
・仮説=個人の占める地位と準拠集団とそれの間に或る類似性が認知され、想像されなければ、比較は生じない(223)
・特定の共通の準拠集団に注意を集中するのは、社会構造の制度的規定のためである(226)
#事例3 互いに支持しあう準拠集団
「あなたが軍隊に入ったとき、自分は招集を延期されるべきであったとお考えでしたか?」(225)
20歳以上・既婚者・ハイスクール卒業せず→41%が徴兵に反対
20歳以下・未婚者・ハイスクール出身 →10%が徴兵に反対
調査部の説明
軍隊にいる未婚の同僚よりも既婚の自分が犠牲
民間にいる既婚者よりも軍隊にいる既婚の自分が犠牲
→既婚者は未婚者よりも、いやいやながら、または不公平だという感じを抱きつつ、入隊することが多い。(225)
理論的含み
1.特定の共通の準拠集団に注意を集中するのは、社会構造上の制度的規定のためであるという仮説の裏付
2.非個人的な地位部類と地位部類の代表者と社会関係を結んでいる場合、どちらが、個人の評価に強く影響するか
3.他の個人や集団の状況について認識が、どのような過程で、どのように(正確に/歪んで)評価されるのか
4.準拠集団の概念がどんな経験的地位を持つか
5.どんな条件で人は特定の個人や準拠枠を明示的に比較するのか
第五節 準拠集団に由来する行動の斉一性(229-238)
・(前節まで)相対的不満の概念を明示的に利用した調査の検討を通し、これがより一般的な準拠集団行動の理論に織り込まれること、次にこの研究が端緒になって新しい累積的調査の対象となる理論的問題が生じることを示す
・この節では、準拠集団論が相対的な不満よりももっと応用が利くものであることを示す
#事例4(230-231)
人員交代の烈しさ→戦闘部隊には未経験者のみの部隊や戦闘のヴェテランと同じ部隊に入る未経験者もいる
→集団脈絡が色んなタイプの人間に及ぼす影響を検討
「態度の領域」の3質問
平気で戦場に赴く 隊をリードできる 身体良好
未経験者のみ 45% 中 57%
混合部隊の未経験者 38% 低 56%
混合部隊のヴェテラン 15% ? 35%
調査部の説明
・まちまちな傾向に対し、まちまちな説明に(231)
理論的含み
・データを概念的に再定式化→第一の変数は「態度」の一方、第二の変数は「自己評定」である(232)
・理論的背景=集団成員として下位にある者がある集団に受容されようとすると、その価値に同調する(233)ヴェテランの感情と価値に全て同調する(233)
→一般民間人のようなヒロイズムをもつ未経験者は「戦闘は地獄だ」と考えるヴェテランの価値に同調する
→この仮説は第一のデータとは一致 but第二のデータとは不整合に見える(234)
→この質問が自己評定に関わる+ヴェテランはリーダーシップを持つには実際の戦闘経験が必要と考える
→補充兵士はこの規準を自分に適用するため、直接彼らと接することのない新編成部隊よりも自己評価は低い(235)
・補充兵士はヴェテランと同じ地位を望むだけで、身体の自信のなさは関係してこない(236)
第六節 社会構造の統計的指標(238-240)
・比較社会学では厳密な比較が欠けていたため、多くの場合「異った」社会構造を示さず、通常それぞれの集団で同じ地位にある人の行動を系統的に比較せず(239)
・調査部の調査は社会構造の指標とその中にある個人の行動指標、この両者を発展させる可能性(240)
第七節 準拠集団論と社会移動(240-248)
・招集された人間が軍の価値の同調することと、その後に彼らが昇進することの間に、どの程度の関係があるか(240)
#事例5
どんな連中が比較的昇進しやすいかについての個々の事例
軍の規律は厳格ではない→19%が昇進 そのほか→12%が昇進(241)
調査部の説明
将校が一人の兵士を昇進させようかどうかと判断する際に、多少とも入ってくる一つの要因は、その兵士が公的に認められた軍のモレスに同調しているか、否かということである(241)
理論的含み
・準拠集団論から再整理→公的な軍のモレスへの同調は外集団の規範への同調、内集団の規範への非同調(242)
→1.外集団への同調はどのような機能的結果、逆機能的結果をもたらすのか
2.どんな社会過程によりこの志向が始められ、維持され、歪められるのか(242)
・1.のために個人、下位集団、社会体系の三者に対する結果を区別して分析
・個人にとって上のような志向は、昇進後の適応を容易にするという意味で将来を見越した社会化である(243)
※こうした志向が個人に鶏機能的になるためには社会の開放性が不可欠(243,244)
・将来を見越した社会科は内集団の規範に同調しないため、集団や階層には逆機能である(244)
・軍という社会体系にとって機能的かは今後の調査に委ねられる(244)
・公的な制度の正当性に兵士が関心を抱いていること、社会的な制度に対する正当性の付与は集団葬ふぉのまたは、個人葬後の間で典型的に行われる比較の幅を明らかにする(244,245)
・2.について。外集団価値へ同調すればするほど、内集団から孤立することになるが、従来の社会学の領域ではこのような集団疎外に系統的な注意が払われなかった(246)今後、準拠集団論の枠組みを用いた系統的な調査により、異なる条件下に生じる同じ過程の現れ方として集団疎外が捉えられる必要がある(247)
第八節 心理的機能と社会的機能(248-252)
・個人、集団・社会体系で一つの行動に対する結果が違う以上、心理学的・社会学的立場の両方からの考察が妥当(248)
#事例6
<補充廟の例>→補充兵が抱く、異常な心理的不安(251)
・補充廟での経験が当の補充兵にどのような影響を与えたか。(心理学的立場)
・補充廟が一集団から一集団への移動という観点から組織にどのような影響を与えたか(社会学的立場)
→補充兵が新しい戦闘部隊にたやすく編入されるためには、訓練部隊からの直接の転属は避けられる(251)
第九節 心理的機能と社会的機能(252-256)
・準拠集団論によって集団類型の記述が可能になる。
Butこの関係を記述したサムナーは分析態度を怠り、外周団に積極/消極的、いずれの志向を持つかを考慮せず(253)
・ジェームズ・クーリー・ミード→系統的な研究に基づき、先行者の定式を改善することはせず(254)
・ハイマン・シェリフ・ニューカム→準拠集団論の理論的問題を提起するような研究(254)
・解釈の特殊化、概念の孤立化を防ぎ、理論的重複や関連を明らかにし一般的な理論体系を構築することが必要(255)
<コメント>
214で述べられているように、所属する/しないの二元コードによって所属集団のみが重要な準拠集団と考えたミードのような社会心理学の限界を超えたことは評価できる。また、215にあるように、従来の社会学の焦点(従来の社会学の著作には実際用いられもしない数々の概念規定 210)を新しい用語で言い換えるのではなく、所属外集団の概念を調査によって導き出したことで、自分の所属する集団外に目を向けさせたことは疎外や孤立の問題に対し理論的な開拓をしただろう。もちろん、第4節など、少々無理があるのではないかという気もぬぐえないが。
月並みな感想になってしまった。最後に、特に〔序言〕で述べられていた以下の言葉の意味が当初分からなかったことを付言しておきたい。読了後、少しは分かった気がするが、まずは語の定義をきちんとしてみたいと思う。
<参考文献>
ロバート.K.マートン (1961) 森東吾 森好夫 金沢実 中島竜太郎訳 「準拠集団行動の論理」 『社会理論と社会構造』 みすず書房 pp.207-256
ロバート.K.マートン (1969) 森東吾 森好夫 金沢実訳 「準拠集団行動の論理」 『現代社会学大系13 社会理論と機能分析』 青木書店 pp.152-226
November 23, 2011
November 15, 2011
大淵寛・高橋重郷編 『少子化の人口学』 要約
岩澤美帆 (2004)「男女関係の変容と少子化」,大淵寛・高橋重郷編 『少子化の人口学』 原書房 pp.111-132
1. 出生力を規定する男女関係
出生力が経済事情や文化など様々な社会的状況の影響を受けることは間違いないが、そのような外部要因は出生力を寄り直接的に規定する要因(近接要因)を通じてのみ出生力に影響を与えると考えられている。
Downing and Yaukey 1979 出生は親密な男女による何らかの安定的な関係、特に婚姻関係においてのみ一般に社会から容認される→配偶関係は近接要因
1960— 世界的に結婚行動を巡って大きな変化が生じるように
男女関係の変化が出生力にどのような影響を与えうるのかについて婚外子の動向と離婚の関係に焦点を当て、欧米の先行研究に触れながら日本の現状を説明
2. 先進国に共通する結婚離れ
1960年代以降先進国共通に見られる婚姻離れ
婚姻率の低下と同じくして多くの国で離婚が増加
→離婚が一般化しているという認識は結婚への投資を引き下げ、ゆえに結婚が続く見通し自体を低めるという効果をもたらす(Bumpass 1990)
Thornton 1989 結婚は社会生活上必ずしも不可欠なものではなく任意の行動として認識されている
3. 非婚社会における様々な男女関係
(1)婚姻率の低下を相殺する同棲率の増加
初婚率・再婚率の低下、離婚率の増加→独身者の増加、独身期間の長期化
but 実際は先進国の多くで同棲が増加→非婚社会のイメージは変容
同棲の背景:晩婚化、離婚の増加と同じく、個人主義の浸透、世俗化、女性の労働力参加、婚前交渉への抵抗感の薄れ。
同棲の(社会学的?)意味づけ
1. 積極的同棲
1.1. 同棲は独身の派生形態説
1.2. 同棲は婚姻の派生形態説
2. 消極的同棲
事実婚説
Smock and Manning 1997 男性パートナーの経済的地位が低いほど同棲から婚姻関係への移行が少ない。
(2)日本における同棲の実態=ほとんどの人は同棲を一時的な状態と考えており、いずれは現在または他の相手との結婚を望む。
(3)非同居カップルとLAT関係
婚姻率の低下している地域の全てで同棲が婚姻に置き換わっているわけではない。(南欧や東欧、日本では同棲が少ない)
非同居カップル=LAT Living apart together
4. 少子化との係わり
日本においては、晩婚化及び非婚化が1970年代半ば以降の出生率低下の7割を説明(岩澤2002)
but 他の先進国では1970年代以降婚外出生が増加しており、結婚行動と出生率関係は従来の枠組みで捉えられない。
婚外出生が望ましいライフパターンとは考えられているわけではない。
婚外子の増加は婚姻のメリットが消失したからとも言える。
日本では婚姻率の低下とともに非同居型カップルが増加、そして若い年齢層では非同居型カップルのもとで多くが妊娠している。統計的に見ても、大部分が婚姻外の関係のもとで出産
・離婚及び再婚の影響(省略)
※日本に置いては、出生が婚姻関係においてのみ社会から是認される傾向が強い、そのような社会では晩婚化や離婚などによる婚姻持続期間の短縮は出生率にマイナスの影響を与えるだろう。
要約
高橋重郷 (2004) 「結婚・家族形成の変容と少子化」,大淵寛・高橋重郷編 『少子化の人口学』 原書房 pp.133-162
1. 結婚・家族形成の変容とその人口学的特徴
落合1994 少子化現象は安定していた人口置換水準の出生率がその水準を割り込み、低下を続ける現象であるが、それはちょうど戦後の家族が安定していた時期からその後の変容へと続く現象に対応している。少子化現象は結婚・家族形成の変容に伴う人口減少であるみることができる。
・女性の年齢別未婚率は1955年から1970年代までは安定的に推移
・20代前半で7割、20代後半で2割が未婚、95%以上の人が結婚する皆婚社会
・しかし、1970年代半ばの以降20代の未婚率が上昇
・特に20歳代後半の未婚率は1980年代半ばに三割を超え、1985年から1990年の5年間に10ポイントの上昇を見せ4割に。
・その後も上昇が続き、2000年には20代後半の5割が未婚
・こうした家族形成の変化は1960年代以降の出生コーホートで明らかに夫婦出生率の低下が見られる。
2. 結婚・家族形成変化の説明仮説
(1) 阿藤1997 女性の社会経済適地の変化による価値変動仮説
(2) 山田1999 宮本2000 パラサイトシングル仮説
(3) 金子1994 需要供給仮説 岩澤1999 結婚概念の変化仮説
3. 経済構造の変化と女性の社会経済的地位の変化
・産業別男女別就業者割合
・女性の働き方と配偶状態別に見た有業率
・女性人口の有業率
・女性の働き方と配偶状態別にみた有業率
→高度経済成長期以降、女性を取り巻く経済環境は大きく変化し、多くの女性が労働力市場に参入し、特に20歳代から30歳代の未婚者の正規雇用労働力化が進行すると共に、35歳以上の既婚女性が労働力市場に多く参入。
4. 結婚・家族形成の時期、時代区分
レキシス図法による期間合計出生率とコーホート合計出生率
5. 女性の就業行動の変化と結婚形成の変化
・出生コーホートでみた1960年代コーホート以降の急速な未婚率上昇は、これらの出生世代が、1980年代に青年期に達し、第三次産業部門における高い雇用労働力需要によって雇用労働力化したことにより、相対的に高い賃金水準が実現し、比較的豊かな生活水準が獲得されたとみることができる。
・男女賃金比
6. 女性の就業行動の変化と家族形成の変化
・第一子出産前職種別就業率
・雇用形態別に見田男女の所得階層別就業者数
1. 出生力を規定する男女関係
出生力が経済事情や文化など様々な社会的状況の影響を受けることは間違いないが、そのような外部要因は出生力を寄り直接的に規定する要因(近接要因)を通じてのみ出生力に影響を与えると考えられている。
Downing and Yaukey 1979 出生は親密な男女による何らかの安定的な関係、特に婚姻関係においてのみ一般に社会から容認される→配偶関係は近接要因
1960— 世界的に結婚行動を巡って大きな変化が生じるように
男女関係の変化が出生力にどのような影響を与えうるのかについて婚外子の動向と離婚の関係に焦点を当て、欧米の先行研究に触れながら日本の現状を説明
2. 先進国に共通する結婚離れ
1960年代以降先進国共通に見られる婚姻離れ
婚姻率の低下と同じくして多くの国で離婚が増加
→離婚が一般化しているという認識は結婚への投資を引き下げ、ゆえに結婚が続く見通し自体を低めるという効果をもたらす(Bumpass 1990)
Thornton 1989 結婚は社会生活上必ずしも不可欠なものではなく任意の行動として認識されている
3. 非婚社会における様々な男女関係
(1)婚姻率の低下を相殺する同棲率の増加
初婚率・再婚率の低下、離婚率の増加→独身者の増加、独身期間の長期化
but 実際は先進国の多くで同棲が増加→非婚社会のイメージは変容
同棲の背景:晩婚化、離婚の増加と同じく、個人主義の浸透、世俗化、女性の労働力参加、婚前交渉への抵抗感の薄れ。
同棲の(社会学的?)意味づけ
1. 積極的同棲
1.1. 同棲は独身の派生形態説
1.2. 同棲は婚姻の派生形態説
2. 消極的同棲
事実婚説
Smock and Manning 1997 男性パートナーの経済的地位が低いほど同棲から婚姻関係への移行が少ない。
(2)日本における同棲の実態=ほとんどの人は同棲を一時的な状態と考えており、いずれは現在または他の相手との結婚を望む。
(3)非同居カップルとLAT関係
婚姻率の低下している地域の全てで同棲が婚姻に置き換わっているわけではない。(南欧や東欧、日本では同棲が少ない)
非同居カップル=LAT Living apart together
4. 少子化との係わり
日本においては、晩婚化及び非婚化が1970年代半ば以降の出生率低下の7割を説明(岩澤2002)
but 他の先進国では1970年代以降婚外出生が増加しており、結婚行動と出生率関係は従来の枠組みで捉えられない。
婚外出生が望ましいライフパターンとは考えられているわけではない。
婚外子の増加は婚姻のメリットが消失したからとも言える。
日本では婚姻率の低下とともに非同居型カップルが増加、そして若い年齢層では非同居型カップルのもとで多くが妊娠している。統計的に見ても、大部分が婚姻外の関係のもとで出産
・離婚及び再婚の影響(省略)
※日本に置いては、出生が婚姻関係においてのみ社会から是認される傾向が強い、そのような社会では晩婚化や離婚などによる婚姻持続期間の短縮は出生率にマイナスの影響を与えるだろう。
要約
高橋重郷 (2004) 「結婚・家族形成の変容と少子化」,大淵寛・高橋重郷編 『少子化の人口学』 原書房 pp.133-162
1. 結婚・家族形成の変容とその人口学的特徴
落合1994 少子化現象は安定していた人口置換水準の出生率がその水準を割り込み、低下を続ける現象であるが、それはちょうど戦後の家族が安定していた時期からその後の変容へと続く現象に対応している。少子化現象は結婚・家族形成の変容に伴う人口減少であるみることができる。
・女性の年齢別未婚率は1955年から1970年代までは安定的に推移
・20代前半で7割、20代後半で2割が未婚、95%以上の人が結婚する皆婚社会
・しかし、1970年代半ばの以降20代の未婚率が上昇
・特に20歳代後半の未婚率は1980年代半ばに三割を超え、1985年から1990年の5年間に10ポイントの上昇を見せ4割に。
・その後も上昇が続き、2000年には20代後半の5割が未婚
・こうした家族形成の変化は1960年代以降の出生コーホートで明らかに夫婦出生率の低下が見られる。
2. 結婚・家族形成変化の説明仮説
(1) 阿藤1997 女性の社会経済適地の変化による価値変動仮説
(2) 山田1999 宮本2000 パラサイトシングル仮説
(3) 金子1994 需要供給仮説 岩澤1999 結婚概念の変化仮説
3. 経済構造の変化と女性の社会経済的地位の変化
・産業別男女別就業者割合
・女性の働き方と配偶状態別に見た有業率
・女性人口の有業率
・女性の働き方と配偶状態別にみた有業率
→高度経済成長期以降、女性を取り巻く経済環境は大きく変化し、多くの女性が労働力市場に参入し、特に20歳代から30歳代の未婚者の正規雇用労働力化が進行すると共に、35歳以上の既婚女性が労働力市場に多く参入。
4. 結婚・家族形成の時期、時代区分
レキシス図法による期間合計出生率とコーホート合計出生率
5. 女性の就業行動の変化と結婚形成の変化
・出生コーホートでみた1960年代コーホート以降の急速な未婚率上昇は、これらの出生世代が、1980年代に青年期に達し、第三次産業部門における高い雇用労働力需要によって雇用労働力化したことにより、相対的に高い賃金水準が実現し、比較的豊かな生活水準が獲得されたとみることができる。
・男女賃金比
6. 女性の就業行動の変化と家族形成の変化
・第一子出産前職種別就業率
・雇用形態別に見田男女の所得階層別就業者数
November 14, 2011
少子化とエコノミー
2008年に出版された 篠塚英子・永瀬伸子編著 『少子化とエコノミー パネル調査で描く東アジア』 作品社 から二つの論文を。お茶大のジェンダー研究者が中心となって韓国・ソウルと中国・北京でおこなったパネル調査がメインで、日本の出生動向調査と一緒に分析しています。ジェンダー研究のフロンティアシリーズということで新しく入ってくる知識が多く結構面白かったです。反面、マルキシズム的というか、経済状態で全て説明できるんじゃないかって勢いで書いているので若干biasedな感じがしました。例えば、未婚化や非婚化現象を説明するに非正規労働の増加のみにしか言及してなかったり、そういった批判どころはあるかと思いますが、それを差し引いても日中間のパネル調査を実施した意義はデカいでしょう。
全て読んだわけではないですが、お茶大のジェンダー研究は質よりも量って感じですね。
ちなみに、編者の篠塚英子先生は白波瀬佐和子が日本に帰国して最初に就職した社人研(社会保障・人口問題研究所)で、彼女を研究補佐員として採用した上司だったようです(白波瀬佐和子「少子高齢社会の見えない格差」あとがきより)
要約
永瀬伸子 (2008) 「少子化、女性の就業とエコノミー」 篠塚英子・永瀬伸子編著 『少子化とエコノミー パネル調査で描く東アジア』 作品社 pp.59-76
0.前書き
・日本と欧米の対比
<日本>低出産、出産後7割が一時的に専業主婦=無業←→<欧米>女性の出産後の就業継続
・パネル調査
→日本と韓国・ソウルの類似性
・子どもが幼いときの専業主婦率
・男女の賃金格差
・家族形成の停滞、少子化の進行
・日韓と中国の対比
<中国>共働きメイン 学歴差>性別差 but一時的な離職増加
・共通項=子どもが育てやすい社会ではない
1. 出産と女性の就業継続
「かつては欧米でも出産後仕事を中断する女性が多かったのだが、過去30年に仕事を続ける女性が大きく増えた。しかし、日本の第一子一歳時の就業継続は2-3割程度であり、驚くことにこの割合は1980年代から変わっていない。興味深いことに、ソウル女性の状況も、労働力の低さと、出産後の無職比率に過去20年間変化がないという点で日本と極めて似ていることが分かった。女性の就業機会の拡大や女性の意識変化は、日韓では女性の出産後の就業継続ではなく、出産の先送り、あるいは非婚・非出産として現れている。」
中国では「改革開放政策により、国有企業が雇用調整を断行、リストラがなされ、有期雇用計画が一般的となり、個人間の賃金格差が拡大した。こうした背景の中で一部の女性の無職化が進展した」ため、北京の出産後の就業は、かつては有業が当たり前だったが、近年むしろ出産離職が増えている。
2. 子どものケア役割
保育園の利用など、伝統的な考え方が薄れているとはいえ、「母親が働いているのであれば、母親以外の育児も当然のものとして受け止める」北京、ソウルよりも、日本では「母親の手による育児」の礼賛、あるいはこだわりが強いと受け取れる。
父親の育児役割は日本が高いが、時間は短い
<中国>年齢と共に女性の就業率が下がっていく傾向にあるため、中年女性に孫の面倒を見る時間的な余裕が出ている。
3. グローバル化と不安定雇用(労働市場の変化)
<韓国>・非正規の増加 ・結婚・出産の遅延
(仮説)夫婦分業を前提(10章)→相対的な男女の賃金の低下→夫婦分業が不可能になる急速な賃金構造変化、2000年以降の急速な少子高齢化
<日本>永瀬2002 雇用の非正規化が日本に置いても男女の結婚を遅延させ、家族形成を遅延させていく計量分析
<中国>高い成長率→労働市場の変化は非婚を促進しないが、出産遅延という形で現れている。
<図3-5>
4. 不安定雇用と夫婦の意識
<日本・韓国>女性の収入は男性の収入を補助するものと思われているが、雇用の不安定化が日韓の若者の意識を変化させている
ダグラス・有沢の第一法則:夫の世帯年収が低い世帯ほど妻が家計補助として働く
日韓で支持、中国では支持されず
日韓で増える非正規+「少なくとも子どもが小さいうちは母親が仕事を持たずに家にいるのが望ましい」へのどういう→出産以後の就業継続困難
5. 子育てがしにくい国、東アジア
・少子化については、経済発展とともに不可避に進行するという考え(Bumpass1990)が支配的but最近は女性が働ける環境が出来ていない先進国ほど少子かが深刻(Morgan 2003)
要約
尾崎裕子・山谷真名 (2008) 「婚姻意識と性別役割意識」 篠塚英子・永瀬伸子編著 『少子化とエコノミー パネル調査で描く東アジア』 作品社 pp.91-112
・北京・ソウル・日本における婚姻、性役割、及び男女の地位の分析
→<婚姻意識>「北京では、独身でいることのメリットが低く、結婚がするべきものという皆婚意識が強い」「ソウルでは、結婚と経済的側面の結びつきが強いということも分かる。」
<性別役割意識>「北京でもソウルでも『夫は仕事、女性は家庭』という狭義の性別役割意識は依然として強いことがわかった」「共働き家庭が多い北京においても、『夫妻ともに仕事をし、家事は等分』したり、あるいは夫が主に家事を担当している夫妻は少なく、『稼得役割は主に夫、家事役割は主に妻』や『夫妻とも仕事をし、家事は妻』という夫妻は多かった」
一見するとエコノミストに矛盾?
中国は社会主義時代に男女平等の考えを押しつけたが、伝統的な規範がまだ残っていることを示すと言えそう。
高学歴化によって男女不平等に否定的見解を持つ女性が増えてきたことは指摘できるだろう。
・独身のメリット
・中国では生涯独身に否定的
・韓国では離婚に対して男女の見解分かれる
・北京ではスウェーデンよりみずからの社会が男女平等と考えているが、高学歴層になると、学歴が高くなるにつれて、<男性優遇>と考える傾向にある。
全て読んだわけではないですが、お茶大のジェンダー研究は質よりも量って感じですね。
ちなみに、編者の篠塚英子先生は白波瀬佐和子が日本に帰国して最初に就職した社人研(社会保障・人口問題研究所)で、彼女を研究補佐員として採用した上司だったようです(白波瀬佐和子「少子高齢社会の見えない格差」あとがきより)
要約
永瀬伸子 (2008) 「少子化、女性の就業とエコノミー」 篠塚英子・永瀬伸子編著 『少子化とエコノミー パネル調査で描く東アジア』 作品社 pp.59-76
0.前書き
・日本と欧米の対比
<日本>低出産、出産後7割が一時的に専業主婦=無業←→<欧米>女性の出産後の就業継続
・パネル調査
→日本と韓国・ソウルの類似性
・子どもが幼いときの専業主婦率
・男女の賃金格差
・家族形成の停滞、少子化の進行
・日韓と中国の対比
<中国>共働きメイン 学歴差>性別差 but一時的な離職増加
・共通項=子どもが育てやすい社会ではない
1. 出産と女性の就業継続
「かつては欧米でも出産後仕事を中断する女性が多かったのだが、過去30年に仕事を続ける女性が大きく増えた。しかし、日本の第一子一歳時の就業継続は2-3割程度であり、驚くことにこの割合は1980年代から変わっていない。興味深いことに、ソウル女性の状況も、労働力の低さと、出産後の無職比率に過去20年間変化がないという点で日本と極めて似ていることが分かった。女性の就業機会の拡大や女性の意識変化は、日韓では女性の出産後の就業継続ではなく、出産の先送り、あるいは非婚・非出産として現れている。」
中国では「改革開放政策により、国有企業が雇用調整を断行、リストラがなされ、有期雇用計画が一般的となり、個人間の賃金格差が拡大した。こうした背景の中で一部の女性の無職化が進展した」ため、北京の出産後の就業は、かつては有業が当たり前だったが、近年むしろ出産離職が増えている。
2. 子どものケア役割
保育園の利用など、伝統的な考え方が薄れているとはいえ、「母親が働いているのであれば、母親以外の育児も当然のものとして受け止める」北京、ソウルよりも、日本では「母親の手による育児」の礼賛、あるいはこだわりが強いと受け取れる。
父親の育児役割は日本が高いが、時間は短い
<中国>年齢と共に女性の就業率が下がっていく傾向にあるため、中年女性に孫の面倒を見る時間的な余裕が出ている。
3. グローバル化と不安定雇用(労働市場の変化)
<韓国>・非正規の増加 ・結婚・出産の遅延
(仮説)夫婦分業を前提(10章)→相対的な男女の賃金の低下→夫婦分業が不可能になる急速な賃金構造変化、2000年以降の急速な少子高齢化
<日本>永瀬2002 雇用の非正規化が日本に置いても男女の結婚を遅延させ、家族形成を遅延させていく計量分析
<中国>高い成長率→労働市場の変化は非婚を促進しないが、出産遅延という形で現れている。
<図3-5>
4. 不安定雇用と夫婦の意識
<日本・韓国>女性の収入は男性の収入を補助するものと思われているが、雇用の不安定化が日韓の若者の意識を変化させている
ダグラス・有沢の第一法則:夫の世帯年収が低い世帯ほど妻が家計補助として働く
日韓で支持、中国では支持されず
日韓で増える非正規+「少なくとも子どもが小さいうちは母親が仕事を持たずに家にいるのが望ましい」へのどういう→出産以後の就業継続困難
5. 子育てがしにくい国、東アジア
・少子化については、経済発展とともに不可避に進行するという考え(Bumpass1990)が支配的but最近は女性が働ける環境が出来ていない先進国ほど少子かが深刻(Morgan 2003)
要約
尾崎裕子・山谷真名 (2008) 「婚姻意識と性別役割意識」 篠塚英子・永瀬伸子編著 『少子化とエコノミー パネル調査で描く東アジア』 作品社 pp.91-112
・北京・ソウル・日本における婚姻、性役割、及び男女の地位の分析
→<婚姻意識>「北京では、独身でいることのメリットが低く、結婚がするべきものという皆婚意識が強い」「ソウルでは、結婚と経済的側面の結びつきが強いということも分かる。」
<性別役割意識>「北京でもソウルでも『夫は仕事、女性は家庭』という狭義の性別役割意識は依然として強いことがわかった」「共働き家庭が多い北京においても、『夫妻ともに仕事をし、家事は等分』したり、あるいは夫が主に家事を担当している夫妻は少なく、『稼得役割は主に夫、家事役割は主に妻』や『夫妻とも仕事をし、家事は妻』という夫妻は多かった」
一見するとエコノミストに矛盾?
中国は社会主義時代に男女平等の考えを押しつけたが、伝統的な規範がまだ残っていることを示すと言えそう。
高学歴化によって男女不平等に否定的見解を持つ女性が増えてきたことは指摘できるだろう。
・独身のメリット
・中国では生涯独身に否定的
・韓国では離婚に対して男女の見解分かれる
・北京ではスウェーデンよりみずからの社会が男女平等と考えているが、高学歴層になると、学歴が高くなるにつれて、<男性優遇>と考える傾向にある。
November 13, 2011
阿藤論文(1997)まとめ
阿藤誠 (1997) 「日本の超少産化現象と価値変動仮説」 『人口問題研究』 第53巻 1号 pp.3-20
日本の合計特殊出生率は伝統的多産体制から近代的少産体制への出生力転換を終えた後、10数年間は人口置換水準近傍を維持していたが、1970年代半ばに置換水準を割って以来、今日まで新たな低下局面に入った。この70年代半ばの20年間の出生率動向は振り返ってみれば、2つの期間に分けることが出来る前半期の1973-1984年の出生率は人口置換水準以下に低下していたものの、一時的ではあれ反転の兆しを見せ、84年には1.81を記録していた。これは当時の先進国中最も高い出生率をもつイギリス・フランス・アメリカなどと同じである。しかし、後半の1984年から95年は一直線に低下を続けた。89年以降は人口動態統計史上の最低記録を更新し続け、95年には1.42となった。
こうした70年代半ば以降の出生率の低下の人口学的要因は比較的明らか、→未婚率の増加による優配偶率の低下(シングル化)、世代が若返るほど平均の未婚期間が延びている
未婚期間の伸びは続いているために平均初婚年齢の上昇が進む結果となる。それではこうしたシングル化・晩婚化と主としてそれが引き起こした出生率の低下にはどのような関係があるのか?
出生率低下の説明には二つの仮説がある
1. 技術論的アプローチ(近代的な避妊法の普及)
2. 経済学的アプローチ
ベッカーら 女性の雇用機会が広がり、その賃金水準が高くなるほど子育ての時間コストが上昇し、女性が子子育てよりも雇用労働を選択することになり希望子ども数が減少
70年代半ば以降の日本では1.は有効ではない。この時すでに望まない出産の水準は著しく低かった。←中絶の容認?
2.は非常に有効→戦後男女の高学歴化、女性の労働力化がこの時期のシングルか晩婚化に寄与したことは間違いない。
Butこれだけで本当に問題の説明は可能か?
これら技術的経済的理由以外に文化的要因が挙げられることは少なくない
非先進国→ex経済発展の違いがあっても同じ時期に出生率低下を経験する傾向のある
→先進国の出生率低下も文化的な要因で説明できるのでは?
(2)西欧における価値変動仮説
価値変動仮説とは?
西欧 17世紀— 夫婦関係を中心とする家族観、子どもの社会的意義→19世紀にこれがさらに強まることに。近代家族の誕生(Shorter 1977) 夫婦による「責任ある子育て」が奨励→子ども中心主義(Van de Kar)
ベビーブームの謎
1960年代以降の第二の人口転換(Van de Kar)
世俗化=個人主義化のながれ
若い世代が自己実現欲求を最高の価値とするようになった
帰省の宗教や道徳に縛られなくなり、集合的な利害への関心を弱め、性行動、同棲、結婚、離婚、中絶、出産時期、子どもの数など再生産に関わる行動を個々人の人生におけるオプションとして選択するようになり、自分の人生を犠牲にしてまで子供を持つことをしなくなった
子ども中心主義からカップル中心主義へ
(3)日本における価値観の変化
1.宗教観一般的道徳観
→戦後の日本人の一般的道徳観の変化は極めて緩やか
宗教観の弱体化とともに個人主義化は進んでいるが、自由が何者にも優先するとは考えてはいない
2.個人主義対絶対主義
親扶養義務・男女の役割意識・男女観・→親子、夫婦男女観の変化が認められる・
3.性・結婚・離婚に関する価値観
すべてにおいて寛容に
4.出生規範
低下率はわずか
(4)価値観の変化とシングル化出生率低下の関係
目的:近年の未婚が現象を家族形成過程における男女関係の親密性に関わる行動変化にすなわちパートナーシップの変化から明らかにしようとする
男女関係に関する行動パターンが未婚・既婚といった枠を越えて女子全体としてみた場合にどのように変化しているのか。その結果1990年代を通じて成功経験率もパートナーのいる人の割合もほとんど変化がなかったが、パートナーと同居している人、及び子どもを生んだことのある人の割合が大きく減少していることが分かる。婚姻率はパートナーとの同居割合の指標にほぼ一致し、同調して低下している。すくなくとも女子に関して言えば、今日の未婚化は交際機会の縮小を反映していると言うよりもパートナーシップのあり方が婚姻同居型から非婚非同居型に移行する過程にあるといえる。欧米諸国では非婚同居型が言える。この遺恨は日本や南欧など一部の先進国に特有なパートナーシップといえる
日本の合計特殊出生率は伝統的多産体制から近代的少産体制への出生力転換を終えた後、10数年間は人口置換水準近傍を維持していたが、1970年代半ばに置換水準を割って以来、今日まで新たな低下局面に入った。この70年代半ばの20年間の出生率動向は振り返ってみれば、2つの期間に分けることが出来る前半期の1973-1984年の出生率は人口置換水準以下に低下していたものの、一時的ではあれ反転の兆しを見せ、84年には1.81を記録していた。これは当時の先進国中最も高い出生率をもつイギリス・フランス・アメリカなどと同じである。しかし、後半の1984年から95年は一直線に低下を続けた。89年以降は人口動態統計史上の最低記録を更新し続け、95年には1.42となった。
こうした70年代半ば以降の出生率の低下の人口学的要因は比較的明らか、→未婚率の増加による優配偶率の低下(シングル化)、世代が若返るほど平均の未婚期間が延びている
未婚期間の伸びは続いているために平均初婚年齢の上昇が進む結果となる。それではこうしたシングル化・晩婚化と主としてそれが引き起こした出生率の低下にはどのような関係があるのか?
出生率低下の説明には二つの仮説がある
1. 技術論的アプローチ(近代的な避妊法の普及)
2. 経済学的アプローチ
ベッカーら 女性の雇用機会が広がり、その賃金水準が高くなるほど子育ての時間コストが上昇し、女性が子子育てよりも雇用労働を選択することになり希望子ども数が減少
70年代半ば以降の日本では1.は有効ではない。この時すでに望まない出産の水準は著しく低かった。←中絶の容認?
2.は非常に有効→戦後男女の高学歴化、女性の労働力化がこの時期のシングルか晩婚化に寄与したことは間違いない。
Butこれだけで本当に問題の説明は可能か?
これら技術的経済的理由以外に文化的要因が挙げられることは少なくない
非先進国→ex経済発展の違いがあっても同じ時期に出生率低下を経験する傾向のある
→先進国の出生率低下も文化的な要因で説明できるのでは?
(2)西欧における価値変動仮説
価値変動仮説とは?
西欧 17世紀— 夫婦関係を中心とする家族観、子どもの社会的意義→19世紀にこれがさらに強まることに。近代家族の誕生(Shorter 1977) 夫婦による「責任ある子育て」が奨励→子ども中心主義(Van de Kar)
ベビーブームの謎
1960年代以降の第二の人口転換(Van de Kar)
世俗化=個人主義化のながれ
若い世代が自己実現欲求を最高の価値とするようになった
帰省の宗教や道徳に縛られなくなり、集合的な利害への関心を弱め、性行動、同棲、結婚、離婚、中絶、出産時期、子どもの数など再生産に関わる行動を個々人の人生におけるオプションとして選択するようになり、自分の人生を犠牲にしてまで子供を持つことをしなくなった
子ども中心主義からカップル中心主義へ
(3)日本における価値観の変化
1.宗教観一般的道徳観
→戦後の日本人の一般的道徳観の変化は極めて緩やか
宗教観の弱体化とともに個人主義化は進んでいるが、自由が何者にも優先するとは考えてはいない
2.個人主義対絶対主義
親扶養義務・男女の役割意識・男女観・→親子、夫婦男女観の変化が認められる・
3.性・結婚・離婚に関する価値観
すべてにおいて寛容に
4.出生規範
低下率はわずか
(4)価値観の変化とシングル化出生率低下の関係
目的:近年の未婚が現象を家族形成過程における男女関係の親密性に関わる行動変化にすなわちパートナーシップの変化から明らかにしようとする
男女関係に関する行動パターンが未婚・既婚といった枠を越えて女子全体としてみた場合にどのように変化しているのか。その結果1990年代を通じて成功経験率もパートナーのいる人の割合もほとんど変化がなかったが、パートナーと同居している人、及び子どもを生んだことのある人の割合が大きく減少していることが分かる。婚姻率はパートナーとの同居割合の指標にほぼ一致し、同調して低下している。すくなくとも女子に関して言えば、今日の未婚化は交際機会の縮小を反映していると言うよりもパートナーシップのあり方が婚姻同居型から非婚非同居型に移行する過程にあるといえる。欧米諸国では非婚同居型が言える。この遺恨は日本や南欧など一部の先進国に特有なパートナーシップといえる
September 5, 2011
東北フィールドワーク2日目のつぶやき
永野信夫のようなひとになりたい。
人付き合いはとかく難しい。付き合わずには自分のやりたいことは出来ない。もうそういう考え自体がダメなのか。せざる得ない人付き合いの中で利己心が出てきてしまう。日曜に聞かされたこと、少しも守っていないなあ。
石巻に行ってきて、現地で弁護士をされている方の話を聞いた。こちらが想像している以上に石巻の弁護士の仕事にダイナミックさはない。淡々と、時勢の変化に合わせて仕事をしている印象を受けた。
むしろ強く心に残ったのは、彼が被災したときのことを語ってくれたときだった。講演で女川に行ったときに地震が来た。警報の予告する時間から15分過ぎ、安心しかけていた瞬間、波が来た。五階まで上がる、だけど、波は腰まで来る。
その階が機械室だったため、窓がなかった。それが功を奏した。実際波は五階の屋上近くまで来ていたため、窓が無く鉄門だけだったことで水が入ってこなかった。助かった。それでも、機械室という都合上火は使えない。重油でぬれたシートで寒さを凌ぎ、翌日朝、帰宅した。
一方で、波が上がってくる途中で、高台に逃げようとした老人がいた。その男性は、流されたらしい。きっと役場の人、その人の知り合いは彼を止めたんだろう。だけど、それでも進んでしまった人。海に沈む。信夫だったらどうしたんだろうか。
信夫だったら、たった一人の命でも、助けようと思って、自分の命を省みず、その人を助けたんだろうか。救出劇になれなかった、人の死は山ほどあるんだろう。信夫の一生も、そうなる可能性はあったんだ。
そのあと、帰りのバスも迫っていたため、タクシーに三人で乗って、沿岸部を回ってみた。心優しい運転手のご厚意で、途中、何度か降りて被災の現場を見学させてもらった。
津波のあと、火災にあって、外も中もぐちゃぐちゃになった小学校。外から見れば、まだやっていそうな、市立病院。実際は近くの道路が水没するほどの被害。中は、異臭と散乱した机や椅子。コンビニやATMの看板が、そこに人がいたことを思わせる。周りの住宅も一二階は窓も割れ、中のものは流された。
人は住んでない。いるのは僕らのように外から来たように見える若者と、道路を往来する車。こんな平地が、もしかしたら何年も、廃墟になっていく様を想像すると・・・
最後に、避難場所になっている小学校。長期滞在のボランティアと、「チーム神戸」と言われるボランティア組織の方にお話を伺う。前者の方からは、若いのに落ち着いた話し方が印象に残る。淡々と、9月いっぱいで終わるかな、この避難場所は、次にボランティアが必要になるのは、その頃だと。
一方で、チーム神戸の女性の方は、いつ終わるかを考えてはいけないという。自治体に確認が取れてないのに、9月で終わるという噂が流れると、デマとなって避難者の不安感をあおる。今残っている避難者は仮設住宅の抽選結果を待っていたりする人だった。
人付き合いはとかく難しい。付き合わずには自分のやりたいことは出来ない。もうそういう考え自体がダメなのか。せざる得ない人付き合いの中で利己心が出てきてしまう。日曜に聞かされたこと、少しも守っていないなあ。
石巻に行ってきて、現地で弁護士をされている方の話を聞いた。こちらが想像している以上に石巻の弁護士の仕事にダイナミックさはない。淡々と、時勢の変化に合わせて仕事をしている印象を受けた。
むしろ強く心に残ったのは、彼が被災したときのことを語ってくれたときだった。講演で女川に行ったときに地震が来た。警報の予告する時間から15分過ぎ、安心しかけていた瞬間、波が来た。五階まで上がる、だけど、波は腰まで来る。
その階が機械室だったため、窓がなかった。それが功を奏した。実際波は五階の屋上近くまで来ていたため、窓が無く鉄門だけだったことで水が入ってこなかった。助かった。それでも、機械室という都合上火は使えない。重油でぬれたシートで寒さを凌ぎ、翌日朝、帰宅した。
一方で、波が上がってくる途中で、高台に逃げようとした老人がいた。その男性は、流されたらしい。きっと役場の人、その人の知り合いは彼を止めたんだろう。だけど、それでも進んでしまった人。海に沈む。信夫だったらどうしたんだろうか。
信夫だったら、たった一人の命でも、助けようと思って、自分の命を省みず、その人を助けたんだろうか。救出劇になれなかった、人の死は山ほどあるんだろう。信夫の一生も、そうなる可能性はあったんだ。
そのあと、帰りのバスも迫っていたため、タクシーに三人で乗って、沿岸部を回ってみた。心優しい運転手のご厚意で、途中、何度か降りて被災の現場を見学させてもらった。
津波のあと、火災にあって、外も中もぐちゃぐちゃになった小学校。外から見れば、まだやっていそうな、市立病院。実際は近くの道路が水没するほどの被害。中は、異臭と散乱した机や椅子。コンビニやATMの看板が、そこに人がいたことを思わせる。周りの住宅も一二階は窓も割れ、中のものは流された。
人は住んでない。いるのは僕らのように外から来たように見える若者と、道路を往来する車。こんな平地が、もしかしたら何年も、廃墟になっていく様を想像すると・・・
最後に、避難場所になっている小学校。長期滞在のボランティアと、「チーム神戸」と言われるボランティア組織の方にお話を伺う。前者の方からは、若いのに落ち着いた話し方が印象に残る。淡々と、9月いっぱいで終わるかな、この避難場所は、次にボランティアが必要になるのは、その頃だと。
一方で、チーム神戸の女性の方は、いつ終わるかを考えてはいけないという。自治体に確認が取れてないのに、9月で終わるという噂が流れると、デマとなって避難者の不安感をあおる。今残っている避難者は仮設住宅の抽選結果を待っていたりする人だった。
September 4, 2011
東北フィールドワーク一日目のつぶやき
気仙沼行ってきた。漁港、魚市場、避難施設の市民会館、中学校、仮設住宅やテナントが入るバイパス通り。
火災がひどく、テレビで報道されていたところは漁港周辺で、確かにがれきを撤去しただけで、再生していくにはほど遠い印象を受けた。かたや、山を越えた住宅街はそこまで被害はなく、同じ気仙沼でも被災の具合に違いがあるんだなと。
今日は町の様子や震災後の経過などを伺うのが中心だったけど、明日以降は、もっと人に焦点を当ててお話を伺いたい。
水産加工・観光業を営む阿部長商店さんが経営する魚市場(大きな道の駅みたいな感じ)の二階で部屋いっぱいに、「復興」と書かれたポロシャツを着る人たちが集まっていた。なんでも皆、阿部長商店の従業員だそう。
震災後、仕事を与えることが出来ない、しかしクビにすることもしたくない。そんな思いから、従業員にマナー講習などの訓練をしていたのでした。講習を受けていた人に話を伺うことができ、やはり職を失った人は家族と一緒に気仙沼を離れていってしまったそう。
その人はなぜ、土地を離れない?気仙沼という土地が好きなのか?今更外に出て行っても仕事など見つからないから?地元のコミュニティにいたいから?来年、再来年、10年後、この町はどうなっていて欲しい?自分はどうしていたい?そこら辺が聞ければ・・・明日は河北新報と石巻。
あそーたんも言ってたけど、市民会館の館長さんの言葉「百聞は一見にしかず」本当は陸前高田、南三陸も見ることが出来ればよかった。見るだけでも、違う。見てからが、認識の始まり。
彼女の「ボランティアに来る人は宿泊先も自分で用意するくらいの気概でいて欲しい」とはすくなからずの被災者が思っているのかも知れない。今日の河北新報の記事でも、仙台市のホテルが帰宅難民から今度は支援者を受け入れる体制を整えなくてはならず、その苦労が描かれていた。
それぞれ段階ごとに色んな問題があるんですね。それを五感を通して知ることが出来たので非常に勉強になりました。これをどう生かしていくか。
ボランティアが一種の免罪符になっている感はありますが(「どこのボランティアしにきたの?」)、一方では自分で準備してこいと思う人もいる、一方で百聞は一見にしかずと考えてそういう人を受け入れる人もいる。
僕らはボランティアする準備などもしておらず、だけど被災地を見てみたいという非常に傲慢な気持ちから、地元の人にお話を伺うFWをやっているのでしょうか、そういう位置づけですか。
あと、河北新報の3.11から一ヶ月の主要記事をまとめた本をバスの中で読みましたが、社説の立ち位置が、地元の代表といった感じでした。全国紙とは視点が違う。読んでて面白い。
火災がひどく、テレビで報道されていたところは漁港周辺で、確かにがれきを撤去しただけで、再生していくにはほど遠い印象を受けた。かたや、山を越えた住宅街はそこまで被害はなく、同じ気仙沼でも被災の具合に違いがあるんだなと。
今日は町の様子や震災後の経過などを伺うのが中心だったけど、明日以降は、もっと人に焦点を当ててお話を伺いたい。
水産加工・観光業を営む阿部長商店さんが経営する魚市場(大きな道の駅みたいな感じ)の二階で部屋いっぱいに、「復興」と書かれたポロシャツを着る人たちが集まっていた。なんでも皆、阿部長商店の従業員だそう。
震災後、仕事を与えることが出来ない、しかしクビにすることもしたくない。そんな思いから、従業員にマナー講習などの訓練をしていたのでした。講習を受けていた人に話を伺うことができ、やはり職を失った人は家族と一緒に気仙沼を離れていってしまったそう。
その人はなぜ、土地を離れない?気仙沼という土地が好きなのか?今更外に出て行っても仕事など見つからないから?地元のコミュニティにいたいから?来年、再来年、10年後、この町はどうなっていて欲しい?自分はどうしていたい?そこら辺が聞ければ・・・明日は河北新報と石巻。
あそーたんも言ってたけど、市民会館の館長さんの言葉「百聞は一見にしかず」本当は陸前高田、南三陸も見ることが出来ればよかった。見るだけでも、違う。見てからが、認識の始まり。
彼女の「ボランティアに来る人は宿泊先も自分で用意するくらいの気概でいて欲しい」とはすくなからずの被災者が思っているのかも知れない。今日の河北新報の記事でも、仙台市のホテルが帰宅難民から今度は支援者を受け入れる体制を整えなくてはならず、その苦労が描かれていた。
それぞれ段階ごとに色んな問題があるんですね。それを五感を通して知ることが出来たので非常に勉強になりました。これをどう生かしていくか。
ボランティアが一種の免罪符になっている感はありますが(「どこのボランティアしにきたの?」)、一方では自分で準備してこいと思う人もいる、一方で百聞は一見にしかずと考えてそういう人を受け入れる人もいる。
僕らはボランティアする準備などもしておらず、だけど被災地を見てみたいという非常に傲慢な気持ちから、地元の人にお話を伺うFWをやっているのでしょうか、そういう位置づけですか。
あと、河北新報の3.11から一ヶ月の主要記事をまとめた本をバスの中で読みましたが、社説の立ち位置が、地元の代表といった感じでした。全国紙とは視点が違う。読んでて面白い。
August 12, 2011
ナショナリズム
李洋陽 「中国の学校教育と大学生の対日意識」
ナショナリズムをめぐっては、中国の反日感情の背景が「愛国主義教育」と「メディアの報道」などの他の要素という二つに大きく分けられている。ともに反日感情を喚起するものと考えられるが、日本のメディアが中国の反日デモについて報道し、その背景について分析する際、前者を強調している。中国の反日感情は「日本の首相の靖国参拝の有無にかかわらず、中国内部で長年、極めて意図的、体系的に培われてきた反日の執念の産物なのだ。中国共産党当局は教育と宣伝で日本への嫌悪を一般国民の心に植え付けてきたのである 。」といったように。
しかし、「中国の学校教育は、はたして『反日教育』という単純な括りで語れるのだろうか 。」社会学者の李洋陽はそう唱える。彼女は、確かに日中両国の間で、日中戦争という「負の遺産」があり、中国人が学校教育を通じて、そうした事実を知ることで日本や日本人に対して否定的な感情を抱くのは仕方ないとする。一方で、中国社会に見られる反日感情の原因を学校教育にのみ求めることを正しくないとする。
「反日」を「日本や日本人に対してネガティブな印象と感情を持ち、反発的な行動をとること 」と定義した上で、彼女はまず、中国の「愛国主義教育」が1989年の天安門事件を契機にして、国家・国民統合の課題をつきつけられたこと、加えて、世代交代により中国の歴史上における社会主義イデオロギーと共産党の功績の風化を恐れたこと、この二つを背景に成立したと述べる。すなわち、愛国主義教育は「反日」要素よりも、現在の統治体制の正当性に重きを置いたものだった 。
彼女は次に、北京市内の大学生のもつ対日イメージを分析することで、日本のイメージを悪化させる「戦争イメージ」が学校教育に由来するのかについて考察する。
社会調査の結果は、「戦争イメージ」の強いグループが対日意識の情報源として利用するのは「学校教育」以外に、「雑誌」「新聞」「テレビ局の日本関連報道」といった「メディア」と周りからの「口コミ」であることが分かった。彼女は「中国の学校教育は情報源の一つとして大学生の対日意識に一定の役割を果たしているものの、対日イメージへの影響は絶対的なものではな」く「戦争イメージ」について「学校教育はそれを生成する情報源の一つに過ぎず、その活性化はむしろ新聞、雑誌、テレビなどのマスコミの日本報道との関連性が高いことが分かった」と結論づけた 。(990字)
石井健一(2008)「中国の愛国心・民族主義と日本・欧米ブランド志向」
これを受けて、石井健一は中国人のナショナリズム感情を別の側面から分析する。
まず、中国人のナショナリズム意識には二つの理論が存在する。ひとつは過去の歴史から受けた屈辱と中国的な「面子」の概念が謝罪を求めるとするもので、もうひとつは中国のナショナリズム意識の高揚は、民衆の自発的な反応ではなく、江沢民が共産党政権を正当化するために行った愛国主義教育からの影響が強いとする見方である。石井は社会調査データを用いて、どちらの理論が妥当なのか、すなわち中国人のナショナリズム意識は自発的なのか非自発的なのかについて分析する。
中国のナショナリズム意識の高揚が反日意識と結びついていることは多くの先行研究が指摘すると述べた上で、石井はまず「愛国心」と「民族中心主義(排外主義)」は弱い相関関係はあるものの、別次元の変数として考えるべきとする。
日本への嫌悪感、愛国心、民族消費主義を目的変数とした回帰分析の結果、「愛国心」は反日感情を高めるよりも、むしろ愛国心が高い人ほど日本への反日感情は低いという傾向が明らかになる。反日感情と結びついているのは、民族消費主義(外国製品を拒否し、中国製品を重視する)や「民族文化主義」(海外の文化を拒否する)といった排外主義の方であった。2005年の反日デモでは「愛国無罪」がスローガンとして掲げられたが、分析からは愛国心は反日感情を弱めることが分かる 。
また、愛国主義教育が愛国心に与える影響は疑わしいことが分かった。仮に、愛国主義教育が愛国心の養成に影響を持つとすれば、教育年数の長い人であればあるほど、愛国心が強いという傾向が示されるはずだが、回帰分析の示す結果は教育年数の長い人ほど愛国心は弱いという、全く逆の結果だった 。(個人的にここらへんは怪しい気がするが、筆者注)(721字)
これら二つの論文からは、中国のナショナリズム意識には愛国心と排外主義の二つがあり、両者は区別されるべきであること、さらに、愛国主義教育が反日感情を喚起しないという点については、石井が反日感情と結びついているのは排外主義の方であり、愛国心と反日感情の結びつきは弱いという言い方で、李が、北京の大学生にとって、愛国主義教育を伴う学校教育が、日本のイメージを悪化させている「戦争イメージ」を喚起させる絶対の要素ではないという言い方で述べている。そして、反日感情を強めているのは、メディア報道であり、そのメディア報道の内容は、小泉首相の靖国神社訪問であったり、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が検定教科書として採択されたことだったりすることが分かる。
笠原十九司「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」
ここまでで分かることは、中国のナショナリズム意識を考えるときに、中国の愛国主義的教育に目を向けるだけではなく、日中間の歴史認識をめぐる日本政府の政治的な態度とそれを報じるメディアの存在を考慮することの方が重要な点である。前者について、歴史学の立場から言及したのが、笠原十九司編の「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」である。
この本は2010年に公表された「日中共同歴史研究」の成果の重要性を扱ったものだが、笠原は冒頭で、この共同研究によって提出された報告書が、日中間の「歴史事実の認知」の前提として活用されることの必要を説いている。
戦後日本の歴史政策は侵略や植民地支配の犠牲になったアジア諸国・国民との歴史認識問題をめぐる反発と対立を深めてきたが、ASEANが台頭してくると共に、戦争被害国との和解を果たさなければ、経済的なレベルでの信頼は得られないとする危機感を抱いた。これを一つのきっかけにして、侵略戦争と植民地支配に対する謝罪と反省を述べた「村山談話」が表明された。しかし、「お国のため」に出征した戦没者を侵略者として断罪することは「戦死者をむち打つ行為」だという心情的な論理を用いて、旧軍人・遺族などが侵略戦争反対の国会決議を阻止するための反対運動を展開した結果、国会決議は骨抜きのものとなった。
こうして、村山政権後の自民党は「村山談話」という戦争に対する反省と謝罪を述べた声明を引き継ぐ一方で、東京裁判を否定し、南京大虐殺や従軍慰安婦問題は無かったとする歴史政策を進める正当性を得た。笠原はこれが対外的には戦争に対する反省を述べる一方で、国内では日本の戦争を侵略戦争としない歴史政策をすすめる「ダブルスタンダード」になっているとする。
笠原にしてみると、このダブルスタンダードは日本の侵略戦争を美化し、植民地支配を肯定的に描いた「新しい歴史教科書」(扶桑社)が採択されたことに対して中韓でデモが起こっても、日本のメディアに「原因は中国の愛国主義的教育にある」とし、直接の契機が、小泉首相の靖国訪問や教科書問題にあるという省察を欠かせたという。日中共同歴史研究が広く国民に知らされることの必要は、こうした日中間の歴史認識の摩擦や齟齬を個人レベルで解決するためにあるとする。(934字)
参考文献
石井健一(2008)「中国の愛国心・民族主義と日本・欧米ブランド志向」石井健一編『グローバル化における中国のメディアと産業』 pp.? 明石書店
李洋陽 (2008) 「中国の学校教育と大学生の対日意識」 石井健一編 『グローバル化における中国のメディアと産業』 pp.? 明石書店
笠原十九司編 (2010) 「戦争を知らない国民のための日中歴史認識」勉誠出版
August 4, 2011
対岸の火事
今回は、丸山真男が唱えた「執拗低音」の概念から出発して、日本人の思考構造の中にみられる「他者性の欠如」について述べる。それが戦中、戦後、20世紀末、そして現在にわたっても様々な現象の背後に隠れていることに触れるが、力点は現在の格差・貧困論の弱さに置いている。
まず、丸山が「歴史意識の「古層」」で唱えた「執拗低音(basso ostinato)」の概念を用いながら、日本の「他者性の欠如」という現象について述べていきたい。
社会学者の佐藤俊樹は著書「格差ゲームの時代」の一項のなかで、9.11テロ以後の言説をめぐる非現実性について述べている。9.11テロをアメリカ合衆国が「民主主義対テロリズム」の構造に落としこみ、唯一の正義である民主主義に対する憎悪が「近代化に失敗したアラブ自身の自己嫌悪」を生んだという素朴なすり替えをした点に、9.11テロをめぐる地に足がつかない浮遊感、非現実性を彼を読み取る。一方で、日本の言説に現れる非現実性はそうしたアメリカ側の浮遊感に気づきつつも、「自分たちだけでは何も決められない。何も出来ない。だからこそ、対岸の火事だ『自分は当事者ではない』と自分を納得させるしかない」という、一種の開き直りから来ているとしている。
そのため、彼にとっては「九月十一日を境に世界は変わった」という言説は上滑りしたものにしか見えない。9.11テロを境に日本が採った「力の行使への追随」という右傾化も、日本が変わったという証拠にはならない。それは、根底では日本人の「自分は当事者ではない」という意識が変わっていないからだろう。
ここで、「力への行使への追随」、すなわち「自分は当事者ではない」という日本人の意識は、彼によれば「他者性の欠如」という風に言い換えることができる。つまり、日本人は思考様式には他者性が欠如しているのだ。彼は他者性が欠如しているという点で、一見戦後以来の絶対平和主義の流れから一八〇度転換したと思われる「力への行使の追随」は前者とも共通点を持っているとする。以下にそれについて述べた一節を引用する。
力への行使への追随には、他者がいない。他人と違う自分を見ようとしないからだ。自分がいない人間には他者もいない。自分がない以上、自分と違う意志なぞありえない。
絶対平和主義にも、他者はいない。「自分が敵意をもたなければ相手も敵意をもたない」というのは、「自分が相手を憎まなければ相手も自分を憎まない」ということだ。そこには、相手の独自の意志はない。あるのは自分の意志(の反射)だけである。絶対平和主義も論理の上で他者を排除している。いるのはただ自分の延長、いわば「自分たち」だけである。これもまた、自分と違う他人、他人と違う自分を見ようとはしていない。
佐藤はこのように結論づけているが、丸山が「歴史意識の『古層』」で述べるように、こうした「力の行使への追随」は、「『時勢止むをえず』とか、『姿勢の還変る事は天地の自ずからなる理なるか、または神の御はからひなるか、凡慮の測しるべきならねど、畢竟、人の智にも人の力にも及ぶべき事ならず』というように『時運』と同じくほとんど宿命的必然性に近いトーンが全面に出ていることは否みがたい。」ということができよう。「執拗低音」の概念で、日本人の、自分の意志を必要としない「対岸の火事」の思考法は説明できることになる。
丸山は「歴史意識の『古層』」の中で、日本の神話的伝承の記述から「その後の長く日本の歴史記述なり、歴史的出来事へのアプローチの仕方なりの基底に、ひそかに、もしくは声高にひびきつづけてきた、執拗な持続低音(basso ostinato)」を導き出している。この日本人の精神構造を規定してきた執拗低音は三つあり、その一つが自分は当事者ではないと考え、まわりに身を任せる「いきほひ」「なりゆきまかせ」の概念である。
「自分は当事者ではない」と考える「力の行使への追随」は、第二次大戦時を推進した神輿層と呼ばれる人々の思考方法にも通じるものがある。第二次大戦時の推進層について述べるのが本稿の目的ではないため簡単に触れるにとどめるが、丸山は第二次大戦において、日本の戦争推進層は「神輿」類型「役人」類型「無法者」類型の三種類に分けることができるとする。ロジックとしては、一部の無法者が時として上層部の怒りを買いながらも突飛な行動に出る。その結果生じた悪い影響を神輿層は「起こってしまったことはしょうがない」「あとは流れに身を任せる」といった、「なりゆきまかせ」の姿勢で受け流す。これを役人類型の層が官僚精神に基づいて粛々と業務を行う。結果として無法者が起こした事態は放置されたままである。役人は自分に責任があるとは思わないので、責任者がいない形でずるずると戦争にのめり込んでいってしまった。ここで、御輿層、また役人にも自分の意志を行使しようとしないという意味でのなりゆきまかせの姿勢がみられたということは、表現を変えて多くの学者が指摘することである。
さて、このように、9.11以後の「力の行使への追随」は戦中の神輿層の思考方法に似ていることが分かる。しかし、佐藤がこの文章を書いたのは2001年である。更に10年経って、日本にはもうひとつ新たな潮流が生まれた。格差社会である。格差・貧困の言葉はリーマン・ショック以後の年越し派遣村をピークにして、盛んにメディアが報じたことは記憶に新しい。
佐藤自身も「不平等社会日本」というタイトルで格差社会論を展開している。かつての日本では一億総中流という言葉が流布したように、国民の9割が、自分が中流にいると認識していた。しかし、それはあくまでも幻想であり、このようなモデルを提示できていたのもバブル崩壊までだった。変わって登場してきた格差社会であるが、自分たちの住んでいる社会には格差が存在すると認識する人が増えたというのが(また実際に格差は拡大している)この言葉の意味するところである。
しかし、佐藤が感じたように格差社会、貧困層の拡大、これをめぐる言説には上滑りの感が否めない。佐藤に言わせてしまうと、結局は「八〇年代前半ぐらいまでは職業や収入で格差があるにもかかわらず、『いや、この差は大したことないんだ、皆本当は平等なんだ』という意識を多くの人が共有してきた。地位の違いを『関係ないんだ』とみなす感覚を分かち持っていた。そういう形で平等ゲームをつづけてきた。ところが、だんだんとそれが軋みだし、息苦しくなってきた。みんなで『中の下』の顔をすることがつらくなり『もうやってられるか』と思う人たちが増えてきた」だけなのだろう。つまり、ゲームのルールが変わっただけで、人々の根底の意識は変わっていないのだ。それを以下で明らかにしたい。
格差の是非は人によっても分かれる。しかし貧困については、一般的によくないと認識されているのではないだろうか。格差貧困を批判する側も、貧困の解消の方に力点を置いている。ここで彼らの主張の根拠として上がってくるのが自己責任論批判である。
しかし、この自己責任論自体が上滑っている。それはやはり、他者の視点がかけているという、丸山の「なりゆきまかせ」の考えに近いのではないか。
「反貧困」で著名な湯浅誠は著書「生きづらさの限界」で貧困が可視化されるときは「他に方法がなくなったとき」だとする。相談事例としては「三歳、四歳、六歳の子供と、妻の五人で、派遣会社の社宅にいますが、収入が、五万円あるか、ないかで、今月は、風邪で、休んだため、ゼロの可能性があり、生活困難な状況です。四月から小学校入学もありますが、準備すらままならない状態です。助けてください」が挙げられている。湯浅は多くの著書でこのような相談事例を紹介しており、これくらいのケースは日常的に起こっていると思われる。
では彼らは「生活困難な状況」に陥った末に、どのような姿で私たちの前に現れるだろうか。それは「40歳のいい男がネットカフェでその日暮らしをしている」「働き盛りの男が、路上でゴロゴロしている」といったような姿ではないだろうか。
初めて聞く人には、上記のような生活困難な状況に陥った人と、ネットカフェ難民やホームレスを結びつけることは難しいかもしれない。しかし、両者はかなり連続性を持っている。少なくとも連続性が強くなってきたのが、この数年の格差・貧困社会である。私も何度か新宿に炊き出しに行ったけれども、最初の印象と現場は違う。道端ですれ違っていたら普通のサラリーマンに見えるような人が炊き出しに来ていたり、髪を染めた若い青年や、時には子連れの母親なども来ていたりする。両者の差は一般に思われている以上に近いというのが実情だろう。
話がそれたが、こうして貧困が可視化されるのである。この時に私たちは自己責任論を持ち出す、「何やってんだよ」と。彼らに対して、働けるはずなのに、なぜここに、そういう心情が湧き上がる。
自己責任論とは抽象化すると、貧困に陥った人を「努力をしていない」と判断することである。「もっとできたはずだ」「どこかで怠けたのだろう」、特にある程度の努力や苦労を重ねて、一定の地位についている人から見たら、努力はかなり信頼の置ける指標になってしまっている。
このような自己責任論を批判するのが、貧困を「努力を怠ったせいではない」と主張する湯浅誠など、近年の運動家の特徴である。確かに、事実ではある。彼らは、特別努力を怠ったわけでもなく、人並みに働いていた。運が悪くなければ、普通の生活ができていた。あるいは、昔なら路上で生活することはなかったかもしれない。人間関係に貧しかったり、怪我や病気が重なったり、湯浅に言わせれば自信や器用さも、貧しければ経済的貧困に結びつくことになる。そして、なにより「自己責任論は自由な選択可能性を前提」にしており、湯浅はアマルティア・センのcapability(潜在能力)の概念を用いながら、金銭・学歴・持ち家などがなければ選択の自由が制限されてしまい、自己責任論は破綻すると論じる。湯浅が潜在能力という言葉に当てる「溜め」を欠く人は自己責任を問う前提である自由な選択可能性を欠いているからだ。
確かに、私たちは努力を唯一の指標にしすぎているのかもしれないし、生活保護制度などは、理念上、貧困状態に陥った人が最低限の生活をしていくための制度である。そのため、これに対する誤解は解かれるべきだし、できるだけ多くの人が生活保護制度を利用できるようにすべきだろう。
しかし、上滑りの根幹はこの自己責任論批判にある。私たちの多くは格差社会が日本に到来していることを感じている。貧困はまずいとおもっている。しかし、なぜ格差が駄目なのか、なぜ貧困は駄目なのかというとこの論拠を撃ち出すことは、じつは難しいのではないか。
格差については人々の意見もわかれることだろう。努力した分だけ評価を受けたいというのは人間の基本的な心情だろう。しかし、いくら努力をしても貧困に陥ってしまう人が出てしまうことには、拒否反応を示す人が多いと思われる。この点で。自己責任論批判は支持されるのだ。すなわち、自己責任論批判は一見すると、貧困が許されない理由を提供してくれる。努力しても恵まれない場合があるからだと。そう自己責任論は気づかせてくれる。だから支持されるのだ。
しかし、本当に自己責任論は貧困を否とするに十分な論拠なのだろうか。
上滑り、すなわち彼らの言説に非現実性を感じてしまうのは、彼らが自分の自己責任を棚上げにしているからだ。考えてみると、私たちは人生で多くの自己責任をリスクとしてかけている。今まで一切の自己責任を持ってこなかった人はいないだろう。人は自己責任をリスクにかけながら、一定の地位についたり、目標を達成してる、挑戦といってもいいかもしれない。結局、世界はトレードオフの連続である。何かを得るためには何かを失わなければいけない。人はそうして目標を達成していく。
そこで、運悪く、階段から転げ落ちるかのように自己責任の罠に落ちてしまう人がいる。自由の選択可能性が制限されているからだ。先ほど述べたように、格差貧困社会にNOをつきつける論者は、これを自己責任論批判の根拠にしている。しかし、自己責任論批判がこのような場合に有効性を持つためには、一種の切迫感が必要なのだ、言い換えれば、「自分も、ともすると貧困に陥るかもしれなかった」という恐れに近い感情である。
人間一般が自己責任のリスクを免れていない以上、誰しも選択の自由が制限されながら自己責任を果たしていることになる。そうである以上、この自己責任論批判を支持するためには、自らも選択の自由が制限されていた経験があり、ともすると自分も自己責任を十分に果たせず、貧困に陥ってしまうのではないかと不安を感じた経験(もしくは今後感じる恐れ)が必要になってくる。もしそのようなことを経験したことがなかった、もしくは今後そのような不安を感じない人間が自己責任論批判を支持しても、結局は貧困問題から自分を棚に上げているのである。
貧困が許されない理由が弱いのはここにある。すなわち、自分が貧困に陥ると思えなければ、貧困は否定できないのだ。しかし、自己責任論批判をするような論者はともかくとして、彼らを支持するような言説に違和感や上滑り感を覚えるのは、果たしてどれだけの人が、自分の身にそのような問題が降り掛かるかと考えているか、見えないからだ。
結局、自己責任論批判の周囲には、「自分は当事者ではない」という思惑が埋めいている。そこには、自己がいない。自己がいない場に他者はいない。ここにも佐藤が言うような「他者性の欠如」や丸山が言うような「なりゆきまかせ」の思考がみられるのだ。これが上滑りの感を引き起こしている。
貧困問題を「対岸の火事」だと思っている人は、自己責任論批判を「なんとなく」支持するような人の中にこそ多いのではないだろうか。
まず、丸山が「歴史意識の「古層」」で唱えた「執拗低音(basso ostinato)」の概念を用いながら、日本の「他者性の欠如」という現象について述べていきたい。
社会学者の佐藤俊樹は著書「格差ゲームの時代」の一項のなかで、9.11テロ以後の言説をめぐる非現実性について述べている。9.11テロをアメリカ合衆国が「民主主義対テロリズム」の構造に落としこみ、唯一の正義である民主主義に対する憎悪が「近代化に失敗したアラブ自身の自己嫌悪」を生んだという素朴なすり替えをした点に、9.11テロをめぐる地に足がつかない浮遊感、非現実性を彼を読み取る。一方で、日本の言説に現れる非現実性はそうしたアメリカ側の浮遊感に気づきつつも、「自分たちだけでは何も決められない。何も出来ない。だからこそ、対岸の火事だ『自分は当事者ではない』と自分を納得させるしかない」という、一種の開き直りから来ているとしている。
そのため、彼にとっては「九月十一日を境に世界は変わった」という言説は上滑りしたものにしか見えない。9.11テロを境に日本が採った「力の行使への追随」という右傾化も、日本が変わったという証拠にはならない。それは、根底では日本人の「自分は当事者ではない」という意識が変わっていないからだろう。
ここで、「力への行使への追随」、すなわち「自分は当事者ではない」という日本人の意識は、彼によれば「他者性の欠如」という風に言い換えることができる。つまり、日本人は思考様式には他者性が欠如しているのだ。彼は他者性が欠如しているという点で、一見戦後以来の絶対平和主義の流れから一八〇度転換したと思われる「力への行使の追随」は前者とも共通点を持っているとする。以下にそれについて述べた一節を引用する。
力への行使への追随には、他者がいない。他人と違う自分を見ようとしないからだ。自分がいない人間には他者もいない。自分がない以上、自分と違う意志なぞありえない。
絶対平和主義にも、他者はいない。「自分が敵意をもたなければ相手も敵意をもたない」というのは、「自分が相手を憎まなければ相手も自分を憎まない」ということだ。そこには、相手の独自の意志はない。あるのは自分の意志(の反射)だけである。絶対平和主義も論理の上で他者を排除している。いるのはただ自分の延長、いわば「自分たち」だけである。これもまた、自分と違う他人、他人と違う自分を見ようとはしていない。
佐藤はこのように結論づけているが、丸山が「歴史意識の『古層』」で述べるように、こうした「力の行使への追随」は、「『時勢止むをえず』とか、『姿勢の還変る事は天地の自ずからなる理なるか、または神の御はからひなるか、凡慮の測しるべきならねど、畢竟、人の智にも人の力にも及ぶべき事ならず』というように『時運』と同じくほとんど宿命的必然性に近いトーンが全面に出ていることは否みがたい。」ということができよう。「執拗低音」の概念で、日本人の、自分の意志を必要としない「対岸の火事」の思考法は説明できることになる。
丸山は「歴史意識の『古層』」の中で、日本の神話的伝承の記述から「その後の長く日本の歴史記述なり、歴史的出来事へのアプローチの仕方なりの基底に、ひそかに、もしくは声高にひびきつづけてきた、執拗な持続低音(basso ostinato)」を導き出している。この日本人の精神構造を規定してきた執拗低音は三つあり、その一つが自分は当事者ではないと考え、まわりに身を任せる「いきほひ」「なりゆきまかせ」の概念である。
「自分は当事者ではない」と考える「力の行使への追随」は、第二次大戦時を推進した神輿層と呼ばれる人々の思考方法にも通じるものがある。第二次大戦時の推進層について述べるのが本稿の目的ではないため簡単に触れるにとどめるが、丸山は第二次大戦において、日本の戦争推進層は「神輿」類型「役人」類型「無法者」類型の三種類に分けることができるとする。ロジックとしては、一部の無法者が時として上層部の怒りを買いながらも突飛な行動に出る。その結果生じた悪い影響を神輿層は「起こってしまったことはしょうがない」「あとは流れに身を任せる」といった、「なりゆきまかせ」の姿勢で受け流す。これを役人類型の層が官僚精神に基づいて粛々と業務を行う。結果として無法者が起こした事態は放置されたままである。役人は自分に責任があるとは思わないので、責任者がいない形でずるずると戦争にのめり込んでいってしまった。ここで、御輿層、また役人にも自分の意志を行使しようとしないという意味でのなりゆきまかせの姿勢がみられたということは、表現を変えて多くの学者が指摘することである。
さて、このように、9.11以後の「力の行使への追随」は戦中の神輿層の思考方法に似ていることが分かる。しかし、佐藤がこの文章を書いたのは2001年である。更に10年経って、日本にはもうひとつ新たな潮流が生まれた。格差社会である。格差・貧困の言葉はリーマン・ショック以後の年越し派遣村をピークにして、盛んにメディアが報じたことは記憶に新しい。
佐藤自身も「不平等社会日本」というタイトルで格差社会論を展開している。かつての日本では一億総中流という言葉が流布したように、国民の9割が、自分が中流にいると認識していた。しかし、それはあくまでも幻想であり、このようなモデルを提示できていたのもバブル崩壊までだった。変わって登場してきた格差社会であるが、自分たちの住んでいる社会には格差が存在すると認識する人が増えたというのが(また実際に格差は拡大している)この言葉の意味するところである。
しかし、佐藤が感じたように格差社会、貧困層の拡大、これをめぐる言説には上滑りの感が否めない。佐藤に言わせてしまうと、結局は「八〇年代前半ぐらいまでは職業や収入で格差があるにもかかわらず、『いや、この差は大したことないんだ、皆本当は平等なんだ』という意識を多くの人が共有してきた。地位の違いを『関係ないんだ』とみなす感覚を分かち持っていた。そういう形で平等ゲームをつづけてきた。ところが、だんだんとそれが軋みだし、息苦しくなってきた。みんなで『中の下』の顔をすることがつらくなり『もうやってられるか』と思う人たちが増えてきた」だけなのだろう。つまり、ゲームのルールが変わっただけで、人々の根底の意識は変わっていないのだ。それを以下で明らかにしたい。
格差の是非は人によっても分かれる。しかし貧困については、一般的によくないと認識されているのではないだろうか。格差貧困を批判する側も、貧困の解消の方に力点を置いている。ここで彼らの主張の根拠として上がってくるのが自己責任論批判である。
しかし、この自己責任論自体が上滑っている。それはやはり、他者の視点がかけているという、丸山の「なりゆきまかせ」の考えに近いのではないか。
「反貧困」で著名な湯浅誠は著書「生きづらさの限界」で貧困が可視化されるときは「他に方法がなくなったとき」だとする。相談事例としては「三歳、四歳、六歳の子供と、妻の五人で、派遣会社の社宅にいますが、収入が、五万円あるか、ないかで、今月は、風邪で、休んだため、ゼロの可能性があり、生活困難な状況です。四月から小学校入学もありますが、準備すらままならない状態です。助けてください」が挙げられている。湯浅は多くの著書でこのような相談事例を紹介しており、これくらいのケースは日常的に起こっていると思われる。
では彼らは「生活困難な状況」に陥った末に、どのような姿で私たちの前に現れるだろうか。それは「40歳のいい男がネットカフェでその日暮らしをしている」「働き盛りの男が、路上でゴロゴロしている」といったような姿ではないだろうか。
初めて聞く人には、上記のような生活困難な状況に陥った人と、ネットカフェ難民やホームレスを結びつけることは難しいかもしれない。しかし、両者はかなり連続性を持っている。少なくとも連続性が強くなってきたのが、この数年の格差・貧困社会である。私も何度か新宿に炊き出しに行ったけれども、最初の印象と現場は違う。道端ですれ違っていたら普通のサラリーマンに見えるような人が炊き出しに来ていたり、髪を染めた若い青年や、時には子連れの母親なども来ていたりする。両者の差は一般に思われている以上に近いというのが実情だろう。
話がそれたが、こうして貧困が可視化されるのである。この時に私たちは自己責任論を持ち出す、「何やってんだよ」と。彼らに対して、働けるはずなのに、なぜここに、そういう心情が湧き上がる。
自己責任論とは抽象化すると、貧困に陥った人を「努力をしていない」と判断することである。「もっとできたはずだ」「どこかで怠けたのだろう」、特にある程度の努力や苦労を重ねて、一定の地位についている人から見たら、努力はかなり信頼の置ける指標になってしまっている。
このような自己責任論を批判するのが、貧困を「努力を怠ったせいではない」と主張する湯浅誠など、近年の運動家の特徴である。確かに、事実ではある。彼らは、特別努力を怠ったわけでもなく、人並みに働いていた。運が悪くなければ、普通の生活ができていた。あるいは、昔なら路上で生活することはなかったかもしれない。人間関係に貧しかったり、怪我や病気が重なったり、湯浅に言わせれば自信や器用さも、貧しければ経済的貧困に結びつくことになる。そして、なにより「自己責任論は自由な選択可能性を前提」にしており、湯浅はアマルティア・センのcapability(潜在能力)の概念を用いながら、金銭・学歴・持ち家などがなければ選択の自由が制限されてしまい、自己責任論は破綻すると論じる。湯浅が潜在能力という言葉に当てる「溜め」を欠く人は自己責任を問う前提である自由な選択可能性を欠いているからだ。
確かに、私たちは努力を唯一の指標にしすぎているのかもしれないし、生活保護制度などは、理念上、貧困状態に陥った人が最低限の生活をしていくための制度である。そのため、これに対する誤解は解かれるべきだし、できるだけ多くの人が生活保護制度を利用できるようにすべきだろう。
しかし、上滑りの根幹はこの自己責任論批判にある。私たちの多くは格差社会が日本に到来していることを感じている。貧困はまずいとおもっている。しかし、なぜ格差が駄目なのか、なぜ貧困は駄目なのかというとこの論拠を撃ち出すことは、じつは難しいのではないか。
格差については人々の意見もわかれることだろう。努力した分だけ評価を受けたいというのは人間の基本的な心情だろう。しかし、いくら努力をしても貧困に陥ってしまう人が出てしまうことには、拒否反応を示す人が多いと思われる。この点で。自己責任論批判は支持されるのだ。すなわち、自己責任論批判は一見すると、貧困が許されない理由を提供してくれる。努力しても恵まれない場合があるからだと。そう自己責任論は気づかせてくれる。だから支持されるのだ。
しかし、本当に自己責任論は貧困を否とするに十分な論拠なのだろうか。
上滑り、すなわち彼らの言説に非現実性を感じてしまうのは、彼らが自分の自己責任を棚上げにしているからだ。考えてみると、私たちは人生で多くの自己責任をリスクとしてかけている。今まで一切の自己責任を持ってこなかった人はいないだろう。人は自己責任をリスクにかけながら、一定の地位についたり、目標を達成してる、挑戦といってもいいかもしれない。結局、世界はトレードオフの連続である。何かを得るためには何かを失わなければいけない。人はそうして目標を達成していく。
そこで、運悪く、階段から転げ落ちるかのように自己責任の罠に落ちてしまう人がいる。自由の選択可能性が制限されているからだ。先ほど述べたように、格差貧困社会にNOをつきつける論者は、これを自己責任論批判の根拠にしている。しかし、自己責任論批判がこのような場合に有効性を持つためには、一種の切迫感が必要なのだ、言い換えれば、「自分も、ともすると貧困に陥るかもしれなかった」という恐れに近い感情である。
人間一般が自己責任のリスクを免れていない以上、誰しも選択の自由が制限されながら自己責任を果たしていることになる。そうである以上、この自己責任論批判を支持するためには、自らも選択の自由が制限されていた経験があり、ともすると自分も自己責任を十分に果たせず、貧困に陥ってしまうのではないかと不安を感じた経験(もしくは今後感じる恐れ)が必要になってくる。もしそのようなことを経験したことがなかった、もしくは今後そのような不安を感じない人間が自己責任論批判を支持しても、結局は貧困問題から自分を棚に上げているのである。
貧困が許されない理由が弱いのはここにある。すなわち、自分が貧困に陥ると思えなければ、貧困は否定できないのだ。しかし、自己責任論批判をするような論者はともかくとして、彼らを支持するような言説に違和感や上滑り感を覚えるのは、果たしてどれだけの人が、自分の身にそのような問題が降り掛かるかと考えているか、見えないからだ。
結局、自己責任論批判の周囲には、「自分は当事者ではない」という思惑が埋めいている。そこには、自己がいない。自己がいない場に他者はいない。ここにも佐藤が言うような「他者性の欠如」や丸山が言うような「なりゆきまかせ」の思考がみられるのだ。これが上滑りの感を引き起こしている。
貧困問題を「対岸の火事」だと思っている人は、自己責任論批判を「なんとなく」支持するような人の中にこそ多いのではないだろうか。
July 29, 2011
加藤周一考
今日は11時くらいに起きてサンデルのジャスティスを見たあと、明大前駅から中央大学へ向かった。インターンの面接があったからだ。
受かる自信はわからないが、楽しく話せたので悪い印象は与えなかっただろう。中大は赤レンガに白い建物、そして緑の自然が周りを囲む、非常に美しいキャンパスだった。なんでも、建物が白い(学園祭も白門祭と呼ぶらしい)理由は、赤レンガ(たる東大)の上に白き中央大学がそびえ立っている、という見方があるようだ。まあ、昔からそういうたぐいのコンプレックスはあったのだろう。
その後駒場キャンパスに戻りメイドや五大と話しながら、五大と一緒に展に行った。一号館の時計台で開かれ手織り、バシュラールの空間の詩学に着想を得た表象文化論の学生たちが企画したようだ。時計台から眺める景色としゃれおつな点自分つを見ていい気分転換になった。
一日通して、丸山真男集第一巻と、加藤周一著作集第八巻、佐藤俊樹の格下げー雨の時代をちまちま読んでいた。
ここで俊樹先生の「暴力の現在形」に気になる一節。以下引用。
憎しみが見えない、他人と違う自分が見えない。力の行使への追随と絶対平和主義は真っ向から対立するようでいて、全くそうではない。他者がおらず、それ故自分もいないという点で両者は共通する。現在の「右」路線もまた、かつての「左」路線の後継者なのだ。「右」と「左」の、あまりにも日本な的ななれあい。
これは、「9.11を境に世界は変わった」と論じる空気、すなわち9.11テロにまつわる言説が彼にとっては非常に浮ついた話に聞こえるということについて分析した「消された憎しみ、消えた言葉」からの引用になる。上滑りの感じが、アメリカ側の言説では、自らがテロ集団によって憎まれていることを否定したいという心情から来ている一方、日本ではアメリカの非現実的とも言える「民主主義vsテロリズム」の構図に気がつきながらも、一方でアメリカに従わないという選択肢もないため、結局はテロを「対岸の火事」としてしか見ることができないという自体から来ていると論じている。日本は「9.11以後世界は変わった」という強迫観念に縛られているのだ。引用文の「憎しみが見えない、他人と違う自分が見えない」とはその後に続く言葉である。
力への行使への追随という現在の「右」路線は、あたかも絶対平和主義というかつての「左」路線を一八〇度転換したものに見える。しかし、本当はそうではない。両者には、大きな共通点がある。どちらも、自分と違う意志、自分と違う正義への感覚が欠如しているのだやや手垢のついた表現だが、他者がいないのだ。
力への行使への追随には、他者がいない。他人と違う自分を見ようとはしないからだ。自分がいない人間には他者もいない。自分がない以上、自分と違う意志なぞありえない。
絶対平和主義にも他者はいない。「自分が敵意を持たなければ相手も敵意を持たない」というのは、「自分が相手を憎まなければ相手も自分を憎まない」ということだ。そこには相手の独自の意思はない、あるのは自分の意志(の反射)だけである。絶対平和主義の論理の上で他者を排除している。いるのはただ自分の延長、いわば、「自分たち」だけである。これもまた自分とは違う他人、他人とは違う自分を見ようとはしていない。(下線は筆者注)
佐藤俊樹はこのように論じる。自爆テロは「周到な計画性と強固な意思」を要求し、犯人にはなんの利益ももたらさない点で、自分たちの正義とは違う正義があることを強く印象づけるものになる。にもかかわらず、日本ではそうした他者に気づく視点がかけているため、「左「も「右」も上滑りの議論をしている。佐藤俊樹の言っていることはおおよそこのようなことである。
それでは、かつての「左」の代表格、加藤周一はどのような主張をしていたか。沖縄が米軍支配下にあったときに、土地収用をさらにすすめるプライス勧告というものが出たことがある。それについて、加藤周一は「君よ知るや南の国」という論文を「世界」に寄稿している。この論文で加藤は、アメリカが沖縄に基地を置く理由として「民族主義運動のないこと」「外国政府による制限のないこと」をあげていることに触れながら、沖縄において日本の散見が通用しないことを認めたサンフランシスコ平和条約批准に賛成した政府、保守政党、その支持者を批判する。沖縄問題を創りだしたこのような頭に沖縄問題を解決することはできないと。
しかし、その後に、沖縄問題にも希望はあると論じる。以下引用
しかし、ながい眼でみれば、沖縄に希望がないわけではないだろうと私は思う。なぜならば、その軍事基地化は「脅威のつづくかぎり」であるが、「脅威」があると考える人の数は、ーというよりも脅威があると主張する人の数は、いよいよ減っていくにちがいないからだ。すでに最近数ヶ月の間にも(中略)一方では、ソヴェトが軍縮をはじめ、イギリスもまた軍事予算の削減を考慮し始めた。現在の国際情勢から見れば、日本に対する軍事的侵略の可能性は、ほとんど空想的なものであり、誰も真面目には考えず、少数の人々がそういいふらすだけではないかという疑いさえも起こるほどである。誰が考えても沖縄に巨大な基地をおくことは、少くとも「日本をまもる」ためには緊急でないだろう、ということの印象が日米両国内で強くなってくればーそれ以外の国ではとっくに強くなっているがー、影響は当然沖縄の扱いそれ自体にも及ぶだろうと思われる。(下線は筆者注)
加藤はこう述べているが、これは、俊樹先生が言っているような他者の視点の欠如に当たるのではないか。現在の状況を見てみると、加藤の予想は楽観的すぎたと言わざるを得ない、たしかに、沖縄に基地を置くことを緊急とする時代ではないのかもしれないが、それでも米軍が基地からでていく積極的な理由など存在しないというのが現実的な答えではないだろうか。この点において、加藤周一の予想はアメリカの思惑を無視した論調だったと言わざるを得ない。
受かる自信はわからないが、楽しく話せたので悪い印象は与えなかっただろう。中大は赤レンガに白い建物、そして緑の自然が周りを囲む、非常に美しいキャンパスだった。なんでも、建物が白い(学園祭も白門祭と呼ぶらしい)理由は、赤レンガ(たる東大)の上に白き中央大学がそびえ立っている、という見方があるようだ。まあ、昔からそういうたぐいのコンプレックスはあったのだろう。
その後駒場キャンパスに戻りメイドや五大と話しながら、五大と一緒に展に行った。一号館の時計台で開かれ手織り、バシュラールの空間の詩学に着想を得た表象文化論の学生たちが企画したようだ。時計台から眺める景色としゃれおつな点自分つを見ていい気分転換になった。
一日通して、丸山真男集第一巻と、加藤周一著作集第八巻、佐藤俊樹の格下げー雨の時代をちまちま読んでいた。
ここで俊樹先生の「暴力の現在形」に気になる一節。以下引用。
憎しみが見えない、他人と違う自分が見えない。力の行使への追随と絶対平和主義は真っ向から対立するようでいて、全くそうではない。他者がおらず、それ故自分もいないという点で両者は共通する。現在の「右」路線もまた、かつての「左」路線の後継者なのだ。「右」と「左」の、あまりにも日本な的ななれあい。
「消された憎しみ、消えた言葉」『格差ゲームの時代』(2009)中公文庫 pp.124-125 初出は「日本が消した『米国への憎しみ』」『中央公論』(2001)
これは、「9.11を境に世界は変わった」と論じる空気、すなわち9.11テロにまつわる言説が彼にとっては非常に浮ついた話に聞こえるということについて分析した「消された憎しみ、消えた言葉」からの引用になる。上滑りの感じが、アメリカ側の言説では、自らがテロ集団によって憎まれていることを否定したいという心情から来ている一方、日本ではアメリカの非現実的とも言える「民主主義vsテロリズム」の構図に気がつきながらも、一方でアメリカに従わないという選択肢もないため、結局はテロを「対岸の火事」としてしか見ることができないという自体から来ていると論じている。日本は「9.11以後世界は変わった」という強迫観念に縛られているのだ。引用文の「憎しみが見えない、他人と違う自分が見えない」とはその後に続く言葉である。
力への行使への追随という現在の「右」路線は、あたかも絶対平和主義というかつての「左」路線を一八〇度転換したものに見える。しかし、本当はそうではない。両者には、大きな共通点がある。どちらも、自分と違う意志、自分と違う正義への感覚が欠如しているのだやや手垢のついた表現だが、他者がいないのだ。
力への行使への追随には、他者がいない。他人と違う自分を見ようとはしないからだ。自分がいない人間には他者もいない。自分がない以上、自分と違う意志なぞありえない。
絶対平和主義にも他者はいない。「自分が敵意を持たなければ相手も敵意を持たない」というのは、「自分が相手を憎まなければ相手も自分を憎まない」ということだ。そこには相手の独自の意思はない、あるのは自分の意志(の反射)だけである。絶対平和主義の論理の上で他者を排除している。いるのはただ自分の延長、いわば、「自分たち」だけである。これもまた自分とは違う他人、他人とは違う自分を見ようとはしていない。(下線は筆者注)
同pp.125-126
佐藤俊樹はこのように論じる。自爆テロは「周到な計画性と強固な意思」を要求し、犯人にはなんの利益ももたらさない点で、自分たちの正義とは違う正義があることを強く印象づけるものになる。にもかかわらず、日本ではそうした他者に気づく視点がかけているため、「左「も「右」も上滑りの議論をしている。佐藤俊樹の言っていることはおおよそこのようなことである。
それでは、かつての「左」の代表格、加藤周一はどのような主張をしていたか。沖縄が米軍支配下にあったときに、土地収用をさらにすすめるプライス勧告というものが出たことがある。それについて、加藤周一は「君よ知るや南の国」という論文を「世界」に寄稿している。この論文で加藤は、アメリカが沖縄に基地を置く理由として「民族主義運動のないこと」「外国政府による制限のないこと」をあげていることに触れながら、沖縄において日本の散見が通用しないことを認めたサンフランシスコ平和条約批准に賛成した政府、保守政党、その支持者を批判する。沖縄問題を創りだしたこのような頭に沖縄問題を解決することはできないと。
しかし、その後に、沖縄問題にも希望はあると論じる。以下引用
しかし、ながい眼でみれば、沖縄に希望がないわけではないだろうと私は思う。なぜならば、その軍事基地化は「脅威のつづくかぎり」であるが、「脅威」があると考える人の数は、ーというよりも脅威があると主張する人の数は、いよいよ減っていくにちがいないからだ。すでに最近数ヶ月の間にも(中略)一方では、ソヴェトが軍縮をはじめ、イギリスもまた軍事予算の削減を考慮し始めた。現在の国際情勢から見れば、日本に対する軍事的侵略の可能性は、ほとんど空想的なものであり、誰も真面目には考えず、少数の人々がそういいふらすだけではないかという疑いさえも起こるほどである。誰が考えても沖縄に巨大な基地をおくことは、少くとも「日本をまもる」ためには緊急でないだろう、ということの印象が日米両国内で強くなってくればーそれ以外の国ではとっくに強くなっているがー、影響は当然沖縄の扱いそれ自体にも及ぶだろうと思われる。(下線は筆者注)
「知るよ君や南の国」『加藤周一著作集8』(1979年)平凡社 p.116 初出は『世界』(1956年)岩波書店
加藤はこう述べているが、これは、俊樹先生が言っているような他者の視点の欠如に当たるのではないか。現在の状況を見てみると、加藤の予想は楽観的すぎたと言わざるを得ない、たしかに、沖縄に基地を置くことを緊急とする時代ではないのかもしれないが、それでも米軍が基地からでていく積極的な理由など存在しないというのが現実的な答えではないだろうか。この点において、加藤周一の予想はアメリカの思惑を無視した論調だったと言わざるを得ない。
January 3, 2011
帰省中にしてたこと
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
グーグルカレンダー見て、今月の予定を確認したところ
1月7日 金 髙ゼミ論考第二次締め切り 朝まで生志水家
1月8日 土 川人学責パート長会議
1月12日 水 フレスタ会議
1月13日 木 論考読み合わせ
1月14日 金午後 東博ツアー(未定)
1月15日 土 渡辺読書会(ヘミングウェイ「日はまた昇る」)
1月16日 日 川人新年会
1月26日 水 英一試験
1月29日 土 バイト(終日)
3連休で積み残したものを消化しないとまずいですね、試験も近いし。
今年こそは弁当男子になります。
帰省中にロフトで良いもの見つけた。
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/gourmet/5573/6.html
最近はやっている(らしい)シリコンスチーマー ルクエ社製
簡単においしく蒸し料理ができるが売り文句。
まだパスタしかゆでてないけど(そのまま妥当値の小さいレンジじゃ回りきらない容器に入れなくちゃいけなくてあんまりうまくゆでられなかった、これを機にパスタを半分に折ることにし成功!)なんか弁当男子になれる、気がする、あくまで気がする。
形からはいる人間なので、弁当箱も新しく買い直しました。
肉じゃがとか蒸しケーキのレシピの簡単さ見て笑ってましたね今日は。
☆☆☆
帰省中に読んだ本(まだ読んでいるものも)
センセイの鞄 川上弘美
夜の公園 川上弘美
人間の条件 H・アーレント
公共性の構造転換 J・ハーバーマス
シャーロック・ホームズの回想 コナン・ドイル
今は小説で「泳ぐのに安全でも適切でもありません 江國香織」、学術書でアーレントとハーバーマス、アーレント難しすぎて何言ってるのか不明。
以下小説をレビュー
センセイの鞄 川上弘美
川人ゼミでお世話になったOBの人に勧められて読んだ。高校時代の恩師とはとうてい言えないほどにしか記憶がない国語教師に偶然20年ぶりに会っちゃった39の女と優しい国語教師、センセイとの淡い恋のお話。
言ってるほどエグくない、世代間ギャップかこれは。まあいつか自分が世帯持ちになって叶わぬ恋とか目の前にしちゃったら考えてしまうんでしょうか。
センセイは一切求めてこない、あくまで教え子を暖かく見守るスタンスに徹する、ですます口調で。それがすごく優しくて、酒の席で隣にいるのは彼でもなく父でもなく、むしろおじいちゃんのような。
キャラ設定として、主人公の女に言い寄ってくる同級生の立ち位置が微妙、女への応対は大人なんだけど、なんかあどけなさが残る、中途半端なのが嫌み無くていいんだけどね。
夜の公園 川上弘美
川上弘美もういっちょ。こっちの方がエグい。とりあえず関係が複雑。そんで訳わかんないタイミングで訳わかんない理由から心中しようとしたり。シンプルじゃないだけに一つの場面を複数人の視点で語らせているが、その割には重厚感がない、のっぺりした印象。
シャーロック・ホームズの回想 コナン・ドイル
もう一回読み直そうとは思う。英一に刺激された。
おもしろかったですよ、タダ最近のミステリ作家の作品が放つようなスリルにはかけましたが。短編集だけに切迫感がない、正確にはあるんだろうけど追いつけない。
まああれですよね、国、時代が違い、使う小物や情報を得る手段、交通手段、ほぼ全てが今生きている人とはかけ離れているからどうしても客観的に見ちゃうんでしょう。一言単語言われただけでその当時の人はいろんな想像をかき立てられるんだろうな、だから読み直そうって言うか。
映画も二本見た。
東京物語 1953年 監督 小津安二郎
広島にすむ老夫婦が東京に住む子供たちと会うために上京、手厚いとは言えない扱いを受けて寂しさを感じる夫婦だが、子供は成長すると冷たくなるものと割り切って帰郷。しかしその最中に妻が倒れ、もう一人の息子が住む大阪で回復するが、広島に戻ると急逝してしまう。
俗によく言われる高度経済成長と核家族化、そして高齢化の問題を感じさせる。教科書に核家族の傾向が強まるとか言われてもいまいちぴんと来てなかったんですが、登場人物の体験を通して、心理的に腑に落ちた。両親を迷惑そのものとは思って無くても、それぞれ自分のやりたいことがあって、そっちを優先させてしまう、それだけのことなんだけど、外から見てるものにとっては冷たく感じられてしまう。戦争で次男である夫を失った未亡人を原節子が演じているが、彼女が老夫婦、つまり義理の両親に一番優しいって言う皮肉。
母の危篤を知り息子娘は広島に帰省するが、母の死後すぐ形見にこれが欲しいと言う長女を彼女は非難する。でも長女だって母が助からないって聞いたときには涙を流す。よくあると言えばよくある光景だけど、この作品50年代かあって思うと、むげにに扱われて死んでいく団塊の世代だって自分たちの両親を同じように扱ってたのかも知れない。
結局家族って擬似的なものなんだなあと。
作品としてそういう風潮が問題だとか言ってるわけじゃなく、そういう生き方にならざるを得ないよねっていう。だから当時の人からの共感は得られたんだろうと思う。
アメリ 2001年
アメリはアメリです。こう言うのが可愛いって思える価値観って果たしてこの生涯のうちで持てるんだろうか。いたずらは好きだけど、他人のいたずらって結構ばからしく思える 笑
アリスがいまいち好きになれない人にとってはアメリもアリスと同じ印象を持つ。眠いのでこれくらいにして。
本年もよろしくお願いします。
グーグルカレンダー見て、今月の予定を確認したところ
1月7日 金 髙ゼミ論考第二次締め切り 朝まで生志水家
1月8日 土 川人学責パート長会議
1月12日 水 フレスタ会議
1月13日 木 論考読み合わせ
1月14日 金午後 東博ツアー(未定)
1月15日 土 渡辺読書会(ヘミングウェイ「日はまた昇る」)
1月16日 日 川人新年会
1月26日 水 英一試験
1月29日 土 バイト(終日)
3連休で積み残したものを消化しないとまずいですね、試験も近いし。
今年こそは弁当男子になります。
帰省中にロフトで良いもの見つけた。
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/gourmet/5573/6.html
最近はやっている(らしい)シリコンスチーマー ルクエ社製
簡単においしく蒸し料理ができるが売り文句。
まだパスタしかゆでてないけど(そのまま妥当値の小さいレンジじゃ回りきらない容器に入れなくちゃいけなくてあんまりうまくゆでられなかった、これを機にパスタを半分に折ることにし成功!)なんか弁当男子になれる、気がする、あくまで気がする。
形からはいる人間なので、弁当箱も新しく買い直しました。
肉じゃがとか蒸しケーキのレシピの簡単さ見て笑ってましたね今日は。
☆☆☆
帰省中に読んだ本(まだ読んでいるものも)
センセイの鞄 川上弘美
夜の公園 川上弘美
人間の条件 H・アーレント
公共性の構造転換 J・ハーバーマス
シャーロック・ホームズの回想 コナン・ドイル
今は小説で「泳ぐのに安全でも適切でもありません 江國香織」、学術書でアーレントとハーバーマス、アーレント難しすぎて何言ってるのか不明。
以下小説をレビュー
センセイの鞄 川上弘美
川人ゼミでお世話になったOBの人に勧められて読んだ。高校時代の恩師とはとうてい言えないほどにしか記憶がない国語教師に偶然20年ぶりに会っちゃった39の女と優しい国語教師、センセイとの淡い恋のお話。
言ってるほどエグくない、世代間ギャップかこれは。まあいつか自分が世帯持ちになって叶わぬ恋とか目の前にしちゃったら考えてしまうんでしょうか。
センセイは一切求めてこない、あくまで教え子を暖かく見守るスタンスに徹する、ですます口調で。それがすごく優しくて、酒の席で隣にいるのは彼でもなく父でもなく、むしろおじいちゃんのような。
キャラ設定として、主人公の女に言い寄ってくる同級生の立ち位置が微妙、女への応対は大人なんだけど、なんかあどけなさが残る、中途半端なのが嫌み無くていいんだけどね。
夜の公園 川上弘美
川上弘美もういっちょ。こっちの方がエグい。とりあえず関係が複雑。そんで訳わかんないタイミングで訳わかんない理由から心中しようとしたり。シンプルじゃないだけに一つの場面を複数人の視点で語らせているが、その割には重厚感がない、のっぺりした印象。
シャーロック・ホームズの回想 コナン・ドイル
もう一回読み直そうとは思う。英一に刺激された。
おもしろかったですよ、タダ最近のミステリ作家の作品が放つようなスリルにはかけましたが。短編集だけに切迫感がない、正確にはあるんだろうけど追いつけない。
まああれですよね、国、時代が違い、使う小物や情報を得る手段、交通手段、ほぼ全てが今生きている人とはかけ離れているからどうしても客観的に見ちゃうんでしょう。一言単語言われただけでその当時の人はいろんな想像をかき立てられるんだろうな、だから読み直そうって言うか。
映画も二本見た。
東京物語 1953年 監督 小津安二郎
広島にすむ老夫婦が東京に住む子供たちと会うために上京、手厚いとは言えない扱いを受けて寂しさを感じる夫婦だが、子供は成長すると冷たくなるものと割り切って帰郷。しかしその最中に妻が倒れ、もう一人の息子が住む大阪で回復するが、広島に戻ると急逝してしまう。
俗によく言われる高度経済成長と核家族化、そして高齢化の問題を感じさせる。教科書に核家族の傾向が強まるとか言われてもいまいちぴんと来てなかったんですが、登場人物の体験を通して、心理的に腑に落ちた。両親を迷惑そのものとは思って無くても、それぞれ自分のやりたいことがあって、そっちを優先させてしまう、それだけのことなんだけど、外から見てるものにとっては冷たく感じられてしまう。戦争で次男である夫を失った未亡人を原節子が演じているが、彼女が老夫婦、つまり義理の両親に一番優しいって言う皮肉。
母の危篤を知り息子娘は広島に帰省するが、母の死後すぐ形見にこれが欲しいと言う長女を彼女は非難する。でも長女だって母が助からないって聞いたときには涙を流す。よくあると言えばよくある光景だけど、この作品50年代かあって思うと、むげにに扱われて死んでいく団塊の世代だって自分たちの両親を同じように扱ってたのかも知れない。
結局家族って擬似的なものなんだなあと。
作品としてそういう風潮が問題だとか言ってるわけじゃなく、そういう生き方にならざるを得ないよねっていう。だから当時の人からの共感は得られたんだろうと思う。
アメリ 2001年
アメリはアメリです。こう言うのが可愛いって思える価値観って果たしてこの生涯のうちで持てるんだろうか。いたずらは好きだけど、他人のいたずらって結構ばからしく思える 笑
アリスがいまいち好きになれない人にとってはアメリもアリスと同じ印象を持つ。眠いのでこれくらいにして。