September 5, 2011

東北フィールドワーク2日目のつぶやき

永野信夫のようなひとになりたい。
人付き合いはとかく難しい。付き合わずには自分のやりたいことは出来ない。もうそういう考え自体がダメなのか。せざる得ない人付き合いの中で利己心が出てきてしまう。日曜に聞かされたこと、少しも守っていないなあ。
石巻に行ってきて、現地で弁護士をされている方の話を聞いた。こちらが想像している以上に石巻の弁護士の仕事にダイナミックさはない。淡々と、時勢の変化に合わせて仕事をしている印象を受けた。
むしろ強く心に残ったのは、彼が被災したときのことを語ってくれたときだった。講演で女川に行ったときに地震が来た。警報の予告する時間から15分過ぎ、安心しかけていた瞬間、波が来た。五階まで上がる、だけど、波は腰まで来る。
その階が機械室だったため、窓がなかった。それが功を奏した。実際波は五階の屋上近くまで来ていたため、窓が無く鉄門だけだったことで水が入ってこなかった。助かった。それでも、機械室という都合上火は使えない。重油でぬれたシートで寒さを凌ぎ、翌日朝、帰宅した。
一方で、波が上がってくる途中で、高台に逃げようとした老人がいた。その男性は、流されたらしい。きっと役場の人、その人の知り合いは彼を止めたんだろう。だけど、それでも進んでしまった人。海に沈む。信夫だったらどうしたんだろうか。

信夫だったら、たった一人の命でも、助けようと思って、自分の命を省みず、その人を助けたんだろうか。救出劇になれなかった、人の死は山ほどあるんだろう。信夫の一生も、そうなる可能性はあったんだ。
そのあと、帰りのバスも迫っていたため、タクシーに三人で乗って、沿岸部を回ってみた。心優しい運転手のご厚意で、途中、何度か降りて被災の現場を見学させてもらった。
津波のあと、火災にあって、外も中もぐちゃぐちゃになった小学校。外から見れば、まだやっていそうな、市立病院。実際は近くの道路が水没するほどの被害。中は、異臭と散乱した机や椅子。コンビニやATMの看板が、そこに人がいたことを思わせる。周りの住宅も一二階は窓も割れ、中のものは流された。
人は住んでない。いるのは僕らのように外から来たように見える若者と、道路を往来する車。こんな平地が、もしかしたら何年も、廃墟になっていく様を想像すると・・・
最後に、避難場所になっている小学校。長期滞在のボランティアと、「チーム神戸」と言われるボランティア組織の方にお話を伺う。前者の方からは、若いのに落ち着いた話し方が印象に残る。淡々と、9月いっぱいで終わるかな、この避難場所は、次にボランティアが必要になるのは、その頃だと。

一方で、チーム神戸の女性の方は、いつ終わるかを考えてはいけないという。自治体に確認が取れてないのに、9月で終わるという噂が流れると、デマとなって避難者の不安感をあおる。今残っている避難者は仮設住宅の抽選結果を待っていたりする人だった。

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