気仙沼行ってきた。漁港、魚市場、避難施設の市民会館、中学校、仮設住宅やテナントが入るバイパス通り。
火災がひどく、テレビで報道されていたところは漁港周辺で、確かにがれきを撤去しただけで、再生していくにはほど遠い印象を受けた。かたや、山を越えた住宅街はそこまで被害はなく、同じ気仙沼でも被災の具合に違いがあるんだなと。
今日は町の様子や震災後の経過などを伺うのが中心だったけど、明日以降は、もっと人に焦点を当ててお話を伺いたい。
水産加工・観光業を営む阿部長商店さんが経営する魚市場(大きな道の駅みたいな感じ)の二階で部屋いっぱいに、「復興」と書かれたポロシャツを着る人たちが集まっていた。なんでも皆、阿部長商店の従業員だそう。
震災後、仕事を与えることが出来ない、しかしクビにすることもしたくない。そんな思いから、従業員にマナー講習などの訓練をしていたのでした。講習を受けていた人に話を伺うことができ、やはり職を失った人は家族と一緒に気仙沼を離れていってしまったそう。
その人はなぜ、土地を離れない?気仙沼という土地が好きなのか?今更外に出て行っても仕事など見つからないから?地元のコミュニティにいたいから?来年、再来年、10年後、この町はどうなっていて欲しい?自分はどうしていたい?そこら辺が聞ければ・・・明日は河北新報と石巻。
あそーたんも言ってたけど、市民会館の館長さんの言葉「百聞は一見にしかず」本当は陸前高田、南三陸も見ることが出来ればよかった。見るだけでも、違う。見てからが、認識の始まり。
彼女の「ボランティアに来る人は宿泊先も自分で用意するくらいの気概でいて欲しい」とはすくなからずの被災者が思っているのかも知れない。今日の河北新報の記事でも、仙台市のホテルが帰宅難民から今度は支援者を受け入れる体制を整えなくてはならず、その苦労が描かれていた。
それぞれ段階ごとに色んな問題があるんですね。それを五感を通して知ることが出来たので非常に勉強になりました。これをどう生かしていくか。
ボランティアが一種の免罪符になっている感はありますが(「どこのボランティアしにきたの?」)、一方では自分で準備してこいと思う人もいる、一方で百聞は一見にしかずと考えてそういう人を受け入れる人もいる。
僕らはボランティアする準備などもしておらず、だけど被災地を見てみたいという非常に傲慢な気持ちから、地元の人にお話を伺うFWをやっているのでしょうか、そういう位置づけですか。
あと、河北新報の3.11から一ヶ月の主要記事をまとめた本をバスの中で読みましたが、社説の立ち位置が、地元の代表といった感じでした。全国紙とは視点が違う。読んでて面白い。
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