自分はアメリカオーディエンス向けに日本事例を面白いと思ってもらえるようなフレーミングで論文書いてるけど、そのフレーミングを必ずしも共有しない(日本の)オーディエンスに報告しても、ピンとこないのは仕方ないかなと思う。日本とアメリカ両方の社会学の人に面白いと思ってもらえる研究がしたい。
その過程で生じうる非本質的なミスコミュニケーションは極力排除すべき。これは自分でなんとかできる部分、できない部分がある。できない例:最低限知っておくべき方法的知識のラインが高くなく、日本のコースワークの多くでクオリティコントロールができていない。古いコーホートほど、個人差が大きい。
その帰結として、アメリカで報告するように報告すると、オーディエンスにとって必要な説明を飛ばしてしまうことがある。本質的な解釈が重要なので、メソッドについて必ずしも詳しくない人にも、それが何を意味しているのか、説明を適宜加えることで、多少ミスは減らせると思う(前回の学会報告の反省)。
ちゃんと理解・解釈してもらった上で、自分の研究が面白くないのであれば、それは一つのフィードバックなので、とてもありがたい。次、面白いと思ってもらえるように頑張る。
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