プリンストンでの3年目が始まった。自分は入学年度で数えると3年生だが、ウィスコンシンに1年いてから転学したので、社会学部は自分のことを4年生として扱っている。毎度学期の始まりは自分が何年生なのか、分からなくなる。説明するのがめんどくさいという意味では、自分の出身地を英語で聞かれた時と似ている(茨城と言っても誰も知らないのでnear Tokyoと言っている。出身を聞いてくる人の頭にあるのは東京、大阪、京都、神戸くらいなのだ)。
今学期は博論を進めつつ、主としてティーチング義務を終わらせることが目標になる。社会学部では、博士候補になる頃にはティーチングは終わっているのが通常だが、自分は転学してきた都合で、1年目にティーチングができなかったのがハンデになっている。週2回のレクチャーに加えて、3セクション+オフィスアワーは正直時間が取られるが、自分が勉強したいと思っている社会ゲノミクスの授業にアサインしてもらったので、教えるのが学ぶことへの最短経路と思って覚悟している。
それでも流石に、平日の火水木曜の午前から午後がぽつぽつとティーチングで埋まっていると、なかなかまとまった研究時間がとりにくい。zoomが浸透してしまったので、ウェビナーの数も増え、それだけならマシだが遠隔の人とのミーティングも増えている。共同オフィスでzoom会議に参加するわけにもいかず、音響設備が整っている家を選びがちになり、ずっとオフィスにいることが難しい。
コロナ禍で爆発的に増えたウェビナーの類いも、始めたらやめにくいようで、in personには戻らずに学外の人も参加できるようなウェビナーを続けているところも多い。どうしても参加できると参加したくなってしまうのが人間の性で、情報の取捨選択により意識的になる必要性を感じている。in personの学期を再開しながら、コロナ禍で行っていた東アジアにいる人とのウェビナーにも参加していると、昼も夜も働き詰めになり、バーンアウトしてしまうかもしれない。
本来であれば、査読に落ちた博論の第2章を改稿して再投稿するのが目標だったが、メンターの先生と出していた投稿していた論文が6ヶ月近く経ってようやくR&Rが来て、今週はその作業に6時間ほど使ってしまった。もっとも、一番時間をかけたのは、博論第3章にすることにした選抜的大学における女性の少なさに関する論文で、これが忙しい。徐々に定まってきた論文のフォーカスは間違っていない気がするが、穴だらけでそんなすぐに全て埋まる類いのものではない。そんな状態でフィードバックをもらうと、さらに穴が見つかり(それ自体は感謝している)、一向に終わる見込みがない。直感的にはあと2ヶ月くらいはこの論文をメインに取り組まないと、先が見えてこない気がする。ただ、何かが見える感覚はある。それ以外にも、日本で出版されるコロナ禍に関する本の1章の校正、springerから出る本の校正、奨学金をもらっている財団への報告書、readi seminarのオーガナイズなど、教育・研究業務以外の仕事も盛り沢山で息を休める暇が全くなかった1週間だった。研究の方では、アメリカ人口学会に提出する第一著者の論文が二つ、それ以外の論文が二つある予定。
かろうじて3本ほど映画を見ることができ、少しばかり息抜きになった。
日本は学会シーズンで、今月は数理、家族、教育の三つにエントリーした。自分は英語で論文を書いているけれど、欲を言えば日本の人にも読んでもらいたい。日本の人に読まれない日本研究とはなんぞや、という変な意識もある。彼らにも引用してもらえるように、自分の研究をセールスしに行く必要がある。カセットコンロを売るときに、どういう仕組みでカセットコンロが動いているかを説明する必要はない、ただこのカセットコンロは役に立つことをわかってもらえれば、それでいい。
口で言うのは簡単だが、実際はなかなか難しい。カセットコンロをふだん使わない家庭にセールスに行っているからだ。アメリカのオーディエンス向けに報告する内容をそのまま翻訳するだけでは、日本のオーディエンスに関心を持たれないことがある。これを知的関心が共有されてないと言ってしまうのは簡単だが、自分の仕事は、アメリカのアカデミアで大事にされている研究の一つとして自分の研究を位置付けつつ、その先行研究を広報しながら、日本の研究者にも納得してもらえるような知見を提供すること。これはかなり大変だと、徐々に気づき始めている。
学会によっても毛色は違う。例えば、数理は良くも悪くも理論フリーな世界なので、どんな研究でも食わず嫌いなく、コメントをもらえる。先行研究に根ざしたコメントが来ることは少ないが、その場で思ったことを言ってもいい雰囲気があり、確かにそういう可能性もあるなと気付かされるという意味では、非常に助かっている。
そんな訳で、昨日は数理でポスター報告(深夜2時まであり疲れた)、今日は家族社で報告(報告するたび、いまいち納得してもらっていない雰囲気を感じる、家族社会学者向けのパッケージングは改めて考えないといけないと反省した)。また、月曜には東大の日本研究所のセミナーで報告、来週末には教社で報告、最後に再来週にインディアナ大のワークショップで報告がある。家族社以外は、同じ内容で報告するが、オーディエンスにかぶりがないので、いろんな視点からフィードバックをもらえることができるのは非常に有益。今月は多すぎだけど、それでも今学期は毎月2回くらい報告機会がある。問題は、自分に全てを消化し、反映する能力がないこと。
休日は積極的に人に会うようにしている。コロナ禍で人と話せなくなって、頭が硬くなっているのを時々感じるからだ。平日の忙しさで家でのんびりしたくなる気持ちもあるが、土日のどちらかにはキャッチアップの機会を設けている。今日は、東大からプリンストンに交換留学しにきた学部生、および東アジア学部の関係者とお茶。その後に友人とキャッチアップ。学ぶことは多い。特に普段接しない年齢の違う人からは若い人もシニアの人からも、刺激を受ける。