February 6, 2020

新型コロナウィルス

新型コロナウィルス(2019-nCoV)は、私の周りでも、色々と厄介な問題になりつつあります。具体的には、アメリカ政府が中国本土に滞在していた外国人のアメリカへの渡航禁止を決めた余波で、うちの大学も中国に残された学生の対応をしていますし、また渡航禁止が決まる前にアメリカに戻ってこれた学生に関しても、最後に中国に滞在していた日から14日間の自己隔離をするよう通達がありました。渡航禁止はしばらく有効なので、例えば中国研究所のセミナーで報告予定だった人の渡航が難しくなり、中止になったものもあります。

「厄介」というのは、これらの決定が新型コロナウィルスがどれくらいの伝染力があるものなのか、感染した後に死亡するリスクはどれくらいあるのか、それらが年齢や性別によって違うのかなどが分かっていないからです(NYTの記事なんかを見ると、伝染力と感染後の死亡率 -case-fatality rates-はまだいまいち分かっていないところでしょうか)。さらに、ワクチンも開発されていないので、このウィルスが収束に向かうのか、確実に収束に向かうとは思うのですが、それがいつなのかがわからないので、今後何が起こるのかに関して、不透明性が高いままです。私の場合、10月に北京で参加を予定しているワークショップはまだ予定通り開催される見通しですが、それも10月以前に収束に向かうことが前提の上です。

合わせて、発症例が確認された国において、アジア系の差別も報告されているようです。この問題は、私自身にも降りかかる可能性がある話でもあります。仮に私がそういう場面に遭遇した時は、私は例えば友達だったり、もしかしたらパブリックな媒体に書くかもしれませんが、今回のコロナウィルスの扱われ方を見ると、そうした事例が際立って扱われてしまう可能性を、危惧してもいます。

差別を受けたのかどうか、これは自分か経験したことの範疇に入るので、私は好きなように書けばいいと思います。むしろ、差別された人は差し支えがなければどんどんそういうのを書いたほうがいいと思います。暗数が怖いので。一方で、日々人が経験した事柄を、第三者が取り上げる時というのは、多少事情が違ってくる気がします。特に、取り上げる第三者がその人が経験した事柄が生じるコンテクストを共有していない人に(具体的には、今回の場合それは日本や中国にいる人だと思うのですが)、そのことを取り上げる時は、コンテクストを捨象してその事柄を書いてしまうと、ちょっと誤解を招いてしまう可能性もあるかなと思います。

今回の場合はコロナウィルスのことだと思うのですが、初めに私がこの件に関して、日本の人がやや騒ぎすぎてる感があり、そういったのがさらなる扇動を生んで、我々が意図していなかった結果を生むんじゃないかと危惧してます。社会学の意図せざる結果と少し似てて、このコロナウィルスが危険なものとして、その拡散を防ぎたいために色々なことが起こり、メディアなどを通じて伝播した結果、例えば中国への渡航禁止が起こったり、それがひいてはアジア系の差別に繋がったり、そこまでは私たちが起こって欲しいとは思っていないので、意図せざる結果に似ています(厳密には違いますが)。現実に、こうした言説が、適度に警戒しているもののか、警戒しすぎなのかは線引きが難しいのと、こうしたメディアを通じた事例の伝播がどれくらい政府機関などの決定に影響しているかはわからないので、この件に関して私は何かを言うことは避けていますが(と言いつつ、ブログで書いているわけですが)。

非東アジア圏でアジア系がどのような差別を受けているか、それはヨーロッパだったり、アメリカだったり、昨今ニュースで色々報じられていると思うのですが、このあたりの話は日本の人にとってはセンシティブで、なぜかというと自分たちは現場にいないから、実際にどれくらい差別が起こってるのか、わからないわけです。

だからこそ、そういう差別が起こった時に、ショッキングなこととして扱われると思うのですが、一方で差別が起こった事例ばかりに言及するのは、欧米などでアジア系が差別されてるというイメージをさらに強めるものになる気がします。現象としてはコロナウィルスの件で差別が起こっているかといえば、0か1で言えば1だと思うんですが、「どれくらい」起こっているのかに関しては(誰も)わからないけど、実際に我々アジア系が経験する差別の頻度よりも、より大きな頻度で差別を経験していると、日本の人に印象付けるような影響がある気がします(これは私のただの印象ですが)。

この0/1でいえば1だけど、どれくらいそれが起こっているのかが、現地にいたり、事情に詳しい人じゃないと過剰に見積もられてしまう話は、今回の件に限らないので、私はこういった件については、いつも問題となっている事象が実際により多く、深刻に生じているというイメージを植え付けてしまうものになってしまうんじゃないかなあ、と少し危惧しています。

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