February 10, 2020

2月10日

月曜から色々あった。土日はオフィスにいてしまったのであまり疲れは取れたとは言えず、授業が始まる1時間前にオフィスに。授業の後にセミナー(ウィスコンシンの先生で再会できて嬉しかった)。1時間挟んでプリセプト。実は、プリンストンでプリセプトを受けたのは今日が初めてだった(今まで取っている授業は全て3時間の大学院セミナーだったので)。今日は合間合間に理論のリーディングを終わらせ、ファンディングの申請書を書き、諸々の事務メールも書き、研究は特にやらなかった。やはり、学期が始まると忙しいが、こちらの人は学期中は本当にハードワークの人が多いので(それは労働時間が長いということではなく、決められて時間の中で非常に負荷のかかる作業をやっているという意味)、自分も周りの人を見てがんばらないといけないなと思えるのは、休み中とは違うことかもしれない。何気ない会話から意外と重ための話になることもあり、単に疲れているだけかもしれないが、気苦労は多かった。気苦労というか、やはり人間は人間くさい話をするのだ。

夜は日本の人の集まりでディナー。東アジア図書館のライブラリアンの人が企画してくれた。指導教員も招待されたのだが、自分にとっては、日本の集まりに普段英語で接している指導教員がくるというのは、少し気まずいものがある。バイリンガルの人は違うかもしれないが、自分は日本語の時と英語の時では喋る内容やポジティブさが変わるので、自分のようで自分でない2時間だった。英語テンションから日本語テンションに戻ると、自分で自分が気持ち悪く見えてしまう。

プリンストンに来てからやはり日本語を使う機会は増えたと思う。私は実際に日本ネットワークがあるとその中にいてしまうので、マディソンで1年間ほとんど日本人と会わない一年は非常に貴重だった。今の考えの基礎は、やはりマディソンで築かれたと思う。日本語を使えるのは、確かに楽なのだが、楽をしてていいのかというよく分からない不安が少々と、日本語を使うことによって、自分が日本人であることを思い出してしまう。これだけ言語によって考えや感情が左右されてしまうと、自己というアイデンティティが存在しているのか疑わしくなってしまう。もちろん、言語と共存する形で自我があるのかもしれないが、それにしても人はなぜ話す言語によってここまで考えが変わってしまうのだろうか。これは英語だと日本語のように深く考えられない、ということではない。それもまだあるかもしれないが、考える内容そのものが変わってしまうのだ。

私は日本から離れたい思いもありアメリカの大学院にきたが、同時に日本の研究をしていて、度々日本に帰っているので、一見すると矛盾したことをしているかもしれない。日本で生活することと日本を研究することは違うけど、日本人にもアメリカ人にもなりきれない宙吊り状態にいると感じることは増えた。

今日は指導教員と、私が日本語を使い、普段全く別の時間を過ごしているサークルにいる日本の人と「いよいよ」会ってしまったので、以上のようなことを感じるに至った。自分で英語と日本語を交互に使っている時にはあまり考えないのだが、日本語のサークルと英語のサークルが交わることによって、自分は今まで時と場合を分けていずれかのサークルにいること、そして二つのサークルは決して交わらないことを再確認させられた。ある意味で、英語は私にとってのパブリックな言語で、日本語はプライベートな言語なので、両方が交わることは考えにくい。しかし、こういう意図的にしか作られない場に身を置くことで、両者が交錯する可能性が現実としては存在しないことをつぶさに見せつけられるのだった。

この異なるサークルの交錯によって意外な発見もある。違うサークルにいる親しい人同士が会うことによって、自分にとってその人がどういう存在だったのかわかることがあるのだ。普段英語を使って話している指導教員が、日本語で話す友人と話している姿を見ると、私が普段英語を使っている時には考えない、どちらかと言えばプライベートな世界において、指導教員がどのような存在なのかを考えるし、同じように、普段日本語を使って話している人が、例えば指導教員と話している時には、どちらかと言えばプライベートな世界において、あるいはその指導教員との関係において、その友人がどういう存在なのかを考えることになる。これは英語と日本語が混ざる場で起こるとは思っていなかった予想外の出来事で、興味深かった。

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