September 26, 2018

PortesからみたUW-Madison Sociology

移民研究で有名なPortesさんですが、UW-Madison Sociologyの卒業生でもあり、先日紹介した歴史本に寄稿されていた文章が面白かったので、簡単に訳しました。

Alejandro Portes, Princeton University (PhD, 1970)

ウィスコンシン大学には1965年から1970年にかけて在籍し、社会学博士号の取得とともに去った。少なくとも私は、実際にそうだったのだが、その後の人生の折に何度も母校に戻ってくるために去るものだと思っていた。マディソンでの5年間は実に密で、困難、緊張、そして対価に満ちた日々だった。もし文学に傾倒していたら、それらの月日についての小説をいくつか書いていただろう。以下は、未だに世界で最も優れている一つである、ウィスコンシン社会学部の印象の要約である。

-規模はものをいう:学部の規模まさにそれ自体が、学部を宇宙へと変える。ファカルティと学生は学部を参照点としている。規模はストレスと時として孤独を伴いながら、目的のための競争と真剣さを養う。

-ゲマインシャフトとゲゼルシャフト:規模から生まれる必然の結果は多くのシニアの教授による学部へのめざましいコミットメントによって釣り合うことになった。彼らの行動は、授業と職位の獲得を超えて、その場所を本物のコミュニティへと変えた。帰属感が養成されるが、それは学生によって達成され、さらには学位終了後に彼らが外に出た後でさえも達成されている。David Mechanic, Edgar Borgatta, Joseph Elder, Archibald Haller, Russ Midleton, Warren Hagstron, とりわけWilliam Sewellが私の時代におけるこうした役割を担った教授たちであった。

-経験的な天職:ポストモダニストや誇大理論家はマディソンではうまくやれなかった。社会学部は断固としてファクト・ドリヴンであり、支持されていない一般性には懐疑的であったし、そうあり続けている。私はこの指向性を誇りを持って学び実行したが、私自身の概念と類型に対する嗜好のために、何度も困難にあったことも事実である。最終的に、マートン流の中範囲の概念が適当な妥協点として現れた。

1998年に名誉博士号を授与されたのが、私のキャリアの頂点の一つであった。一方の側ではダライ・ラマが名誉博士号を授与されていたが、より重要だったのは、もう一方の側に私のメンターであり生涯の友であるWilliam SewellとArchie Hallerー長いウィスコンシンの伝統における不可欠な部分ーがいたことである。

No comments:

Post a Comment