September 25, 2018

人口学セミナー第4回文献レビュー(出生)

Notestein F. 1945. Population–The Long View. In Food for the World, ed. TW Schultz, pp. 36-57. Chicago: University of Chicago Press.

人口転換について論じた最初期の研究とされる論文。著者はこれまで人口の増加が独立変数として用いられることはあったが、同様に人口増加は従属変数、つまり何かしらの要因に影響を受けて変わりうるものであると論じる。

平均寿命は(当時)65歳に近づきつつあり、これから子どもを産む親たちのストックも決定している。したがって、人口増加には予測可能な要素が多くあるとする。こうした予測をあまり真剣に捉えすぎることは危険だとしつつも、著者は過去の人口変動、および将来的な展望について議論する。

世界各地の人口変動から、以下のような特徴がわかる。まず、人口成長は死亡率の減少の後に生じている。前回の授業で扱ったように死亡の減少を説明する要因には議論があるが、産業化や公衆衛生の進歩などがあげられる。こうした社会の近代化に対して、当初の出生の反応は鈍かった。このギャップの理由として、著者は死亡率が高い社会ではできるだけ多くの出生をすることが制度的にも目指されるが、死亡率が減少していく期間においてこれらの制度の変化が追いつかないためであるとされる。出生率の減少の過程では、人口をコントロールすることに成功することが条件であるとする。具体的には避妊の方法が広がることが重要であるが、著者は避妊の方法自体は出生転換以前から知られていたため、鍵になるのは人々における理想とする家族の規模が変わることであるとする。理想とする家族規模の減少を生じさせるのは個人主義の伸長や都市化であるとする。言い換えると、出生転換の過程で、社会における目標が手段の生存から個人の幸福や成長に移ったことが家族規模の縮小に寄与しているとする。

このようにまとめた上で、著者は世界における出生転換の3段階を提唱する。まず、incipient declineは出生率が人口置換水準を下回り始めた先進国に該当し、出生転換を終えているとする。次に、まだ出生と死亡の水準が高く人口は増加しているが、出生率が減少しつつある段階にある日本やソ連などの国はtranstional growthの段階にある。最後に、まだ出生の減少に至っていない国はhigh growth potentialに該当するとする。推計の結果、2000年には世界の人口は30億人になっていると予想されている。

Coale A. 1973. The Demographic Transition Reconsidered. Pg. 53-72 in The Proceedings of the International Population Conference, Liege, Belgium.

序盤にNotestein(1954)が引用され、大まかには出生転換の条件としてNotestein(1945)と同様に、子どもを育てる費用の上昇や、子どもによる経済的な貢献度合いが少なくなることによって、理想とする家族の規模が縮小することが述べられる。
議論に入る前に、著者は以下の出生関数を定義する。

If=Im*Ig+(1-Im)*Ih

Ifは子どもを出産する年齢にある女性の全出生力であり、Igが現在結婚している女性の出生、lhが結婚していない人の出生である。Imは結婚している人の割合となる。婚外出生が無視できるとすれば、

If=Im*Ig

として定義できる。それぞれのindexは0から1をとり、1の場合は記録上もっとも出生力が高い事例にある(結婚しているフッター派,Hutteritesの女性らしく、8.6だという)。ただし、フッター派の集団においてもImが0.7(7割の女性しか結婚していなかった)ので、Ifは0.7程度になる。そのため、Ifが1というのは生物学的に可能であるが、実際には存在しない値となる。筆者によれば人口転換が起こる前における出生力には地域差が非常に大きい。それは、出産可能年齢における女性の結婚割合の違いに起因するらしく、西ヨーロッパでは初婚年齢が高く、独身でいる人の割合も高かったが、アジアやアフリカにおいては初婚年齢が低く、生涯未婚率も低かったという。たとえば、Imの値の最大値は1930年の韓国(0,91)である一方、最低は1900年のアイルランド(0.33)であるという。

結婚割合の地域差もあるが、結婚している人における出生にも地域差がある。この議論の際に、著者はHenryによるnatural fertilityとcontrolled fertilityの区分が有用だとする。前者は、カップルがその時点の子ども数に応じて出生行動を変えないとするモデルで、後者はカップルが子どもの数を自発的に制限するモデルである。このモデルを応用すると、前近代社会ではほぼ全てがnetural fertilityであった、つまり社会レベルでは禁忌などで子ども数を制限することがあったかもしれないが、個人レベルで制限することはなかった一方で、避妊法が用いられるようになって以降、徐々にcontrolled fertilityに移行していったという。

Notesteinの議論では死亡は出生の減少に先んじるとされてきたが、Coaleは必ずしもこの法則は当てはまらないとする。さらに、Notesteinは避妊の方法よりも、個人の態度の変化の方が重要であるとしていたが、Coaleはこれについても、アメリカにおいて意図せざる妊娠が1960年代においても高かったこと、ラテンアメリカ諸国では出生を避けるためにself inducedで原始的な避妊方法を使っていた事例があるとし、態度と同じくらい技術の変化も重要であるとする。

以上の議論に基づいて、著者はmarital fertilityの減少に必要な3つの条件を提示する。その条件とは
1.出生が意識的な選択の計算に基づいて行われること。カップルは子どもを産む際のメリットとデメリットを計算することが必要。
2.出生の減少が有利な条件をもたらすこと。これは認知される社会経済的な状況によって決定される。
3.出生を減少させる方法が利用可能であること。

Hirschman C. 1994. Why fertility changes. Annual Review of Sociology 20:203-233.

レビュー論文なので、ベーシックなところは端折って、面白かったところをまとめる。

The Focus on the Emergence of Birth Control (pp.206-208)

出生転換に関する議論は、婚姻内における出生の意図的な調整に注目してきたが、著者によればこの注目はあまりに狭すぎるという。Henry(1961)はnatural fertilityをparity specificなコントロールがない出生の状態と定義したが、この概念が普及したことで、既存のデータから出生の意図的制限があったかを間接的に調べる方法が発達する。しかし、natural fertilityからcontrolled fertilityへの以降に焦点を当てすぎることの問題点が指摘されており、具体的には間接的な推定結果の信頼性、および出生に影響を与えるマクロな影響が重要なのであって、中間に位置する意図という変数に着目する必要はないのではないかというものである。この区分のもう一つのジレンマは、転換前の社会において有配偶出生をどのように規制するかが知られていないことが必要になる点である。研究によって、実際にはこのような二項対立的な図式は誤解を招くことが指摘されている。

Theories and Models of Fertility Change

Thompsonから始まる人口転換の理論では、社会経済的なマクロな勢力が低出生をどのように導いたのかに関心が寄せられる。Notesteinの議論では多岐にわたるが、概ね経済発展や都市化に伴って家族規模を維持することへのプレッシャーが高くなる、あるいは子どもを育てるコストが増す、女性の社会進出によって子どもを育てることとの間に摩擦が生じるといった議論があげられている。

この人口転換理論に貢献を果たしたとされるのがDavis(1963)とCoale(1973)である。前者は世帯のサイズと潜在的な経済資源の関数によって表現される経済的緊張の度合いによって出生が抑制されることを唱えているが、経験的な知見の結果は混濁としている。その理由の一つとして経済的緊張を同定することの問題にある。経済的緊張の変化とは独立に社会経済的な変化によって出生へのモチベーションが左右されることがあるからである。Coaleがあげた近接要因仮説は、初期の理論が掲げた社会経済的環境の変化には言及しておらず、著者によれば先行研究を否定することなく人口転換理論の傘の下に置かれることになったという。

標準的な人口転換理論はほぼ否定されている。プリンストンヨーロッパ出生プロジェクトに分析結果から、様々な経済的発展にある国々がほぼ同時期に出生率の減少が始まったことがわかったためである。その後、人口転換理論に変わって複数の対抗仮説が提出されるようになる。

Szreter, Simon. 1993. The Idea of Demographic Transition and the Study of Fertility: ACritical Intellectual History. Population and Development Review 19(4):659-701.

人口学の近年の歴史における制度的な役割と出生転換理論の関係について論じた論文。出生転換理論は二度生まれている。一度目は、1929年にThompsonがAJSに寄稿した論文において展開された。しかし、この時の出生転換理論はほとんど注目を集めなかった。当時のアメリカにおける人口学的な関心は優生学や進化学の観点から社会階級によって出生力がどれだけ異なるかにあった。しかし、Notesteinをはじめとするプリンストンの人口学者たちが戦後になって提唱した出生転換の理論は、多くの注目を集めた。

筆者は、この変化について三つの理由を挙げている。一つ目の制度的な文脈の変化については、ニューディールの成功の後に、政府が経済や社会計画として政策的な介入を行うことが受け入れられるようになった。さらに、学術的には戦間期に新古典派経済学とケインズ派経済学の統合が図られ、ケインジアンから人口構造の変化がもたらす経済的な帰結について注目が集まっていた。さらに、政治的な文脈も転換理論の注目を促した。アメリカでは第二次大戦の期間に、将来的な世界の安全と平和を維持するために、超国家的な管理組織(UNやIMF)、及び、旧植民地国の悪弊を民主化・経済自由化によって取り除こうとする考えが台頭する。人口転換の理論は特に第二の脱植民地化の文脈で応用されることになる。すなわち、経済発展にともなって人口増加から人口減少に転じるという進化論的なモデルを簡潔に提示した転換理論は、旧植民地国と先進諸国を関連づけることに成功し、歴史的な発展モデルを示すことになったためである。この文脈において、日本は欧米諸国の中で出生率の減少を示した事例として、民主化・産業化と人口転換の関係を一般化する際に重宝された。

Notesteinの人口転換理論では、広範な経済成長や、社会・文化的制度の近代化が長いスパンで人口転換をもたらすと考えられていた。しかし、Notesteinは1950年代になって政府の家族計画を推奨する立場をとるようになる。以前の人口転換理論では、こうしたある種付け焼き刃的な対策は人口転換をもたらすことはないと考えられていた。避妊方法を推奨したところで、社会的な基盤が変わらなければ避妊は進まないと考えたからである。だとすればなぜ、Notesteinたちは家族計画を推奨する立場に回ったのだろうか。筆者によれば、Notesteinは当初は出生の変化を従属変数としてしか捉えていなかったが、徐々に社会経済的な状況とは独立して変化する変数としてみなすようになっていった点が挙げられている。

この変化の要因を、著者は国際情勢の変化と重ね合わせている。具体的には、国共内戦によって中国に共産主義体制が成立したことが、西側諸国に対して大きな衝撃を与えた。農業労働者の多い社会において経済成長が見込まれないことは、共産主義化を生み出す要因として考えられる。その中で、プリンストンの人口研究所をサポートした財団や政府機関は、国際関係における人口的な影響を明らかにするよう要請するようになる。Notesteinをはじめとする人口学者たちは、次第に人口転換が経済成長の結果生じるという考えから、人口転換によって経済成長や政治の民主化がもたらされる可能性を検討するようになる。その一つの結果が、Notesteinらがインドをはじめとする途上国における家族計画を推進した背景であるとする。

Hodgson, D. 1988. Orthodoxy and revisionism in American demography. Population and Development Review 14(4): 541-569.

Mason, Karen Oppenheim. 1997. Explaining Fertility Transitions. Demography 34:443-454.

冒頭でHirschmanの議論を紹介しており、出生転換のみに関心をもつために、それ以外の人口の変化を人口学が軽視してきたことを論じている。とはいえ、出生転換は人口学者にとってthe daily meat and breadであったことも事実であるとし、今もう一度、何が出生の転換を促すかを再考しようとしている。

著者ははじめに出生転換に関する6つの理論とそれらに対する批判を紹介する。次に、出生転換の議論における4つの根本問題を指摘する。最後に、著者は認知的、相互作用的なアプローチを紹介する。

6つの理論として筆者が最初にあげるのは、Notesteinの産業化・都市化によって死亡が減少し、死亡が減少することによって、家族規模を維持するために高い出生を保つ動機が弱くなるとする理論である。この理論では、都市化によって子どもを育てる費用が高くなることも出生の減少につながるとする。二つ目の理論はLesthaegheらによる、経済的な近代化によって個人主義や自己実現欲求が高まったとする理論である。三つ目はCaldwellによるwealth flowsの理論で、高い出生の国では子どもが資源の移転を行うが、低出生の国では親が子どもに対して資源を転化することに着目したものである。四つ目は新古典派経済学による理論で、子どもを持つことの機会費用に着目する。五つ目はEasterlinによる理論で、これも、出生を制限することのコストに着目している。六つ目はClealandによるideationalな理論で、出産制限に関する情報とその拡散のタイミングが出生転換の鍵であるとする。

これらの理論は、ある地域では当てはまりがよい一方で、他の地域では当てはまらないといった批判や、経済学的なモデルについては、これまでの人口転換理論が考慮してきた制度的な要因を考慮していないことが批判されているという。

このようにまとめた上で、著者は、四つの根本問題を指摘する。

1.全ての転換が同じ原因を持っているという想定
Masonによれば、この想定は以下の三点で間違っているという。第一に、たとえ出生に対する重要な影響であったとしても、それは一部の地域や時間でしか観察されていないという点。第二に、構造的な変化がなくとも、出生に関する情報や知識の拡散がますます出生転換に影響を与えるという知見が出ている点。第三に、転換前の人口における人口学的・社会的なばらつきの大きさのために、理論の当てはまりにも違いが見られるという点。

2.出生減少の前段階としての死亡の減少を無視していること
Clelandの理論を除きこれらの理論は死亡の減少を出生の減少のための必要条件として考えていない。しかし、平均余命が増加することで、家族規模は増大する。そのため、子どもを持つ親にとっては、平均余命の増加は経済的なストレスになり、このストレスは家族サイズを縮小する誘因となると考えられるという。

3.出生の規制が転換前後で全く異なるという想定
この想定は、natural fertilityとcontrolled fertilityの概念の誤用によって生じているという。具体的には、前者は出生力が社会レベルで規制されているが、個人のparity levelでは規制されていない状況を指し、後者は出産抑制のために意図的な避妊などが行われた時に出生を指す。ここで、重要なのは、個人がparityに関連しないところで行うコントロール、具体的には出産間隔を延長するためのspacingなどは両者にも属さない。したがって、前者のような出生が多い社会においても、個人の合理的な意思は働いている。しかし、あまりに社会レベルの規制を強調してしまったがために、出生の規制が転換前では社会によって規制され、転換後には個人によって規制されるという理解が生まれてしまった。実際には、出生の規制における個人と社会は共存しているという。

4.10年単位の時間軸への注目
10年単位(decadal scale)それ自体がダメというよりは、あまりに時間軸を短く設定してしまって、その近接要因を指摘する研究は、直前のイベントにすぐ反応して人口変動が生じるという想定をしている点を批判している。つまり、人口転換(特に出生の場合?)時間的にしばらく前のイベントが後になって影響を及ぼす可能性を捨象してしまうことを批判している。引用すると、

By choosing a decadal time scale and using a regression-type framework for testing the theory, the project implicitly assumed that the effects of economic modernization on fertility would be felt immediately, regardless of other conditions. As discussed earlier for the case of mortality decline, however, there is every reason to expect loose temporal connections between the structural or ideological changes that may underlie fertility transitions and the onset of these transitions. (Mason 1997: 449)

Bongaarts, J., Watkins, S.C. 1996. Social Interactions and Contemporary Fertility Transitions. Population and Development Review 22:639-683.

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