July 15, 2016

帰省(長いのであとで編集します)

6月末にAASで報告したあと結構ドタバタしてました。

7月になって大小の勉強会で報告3回(1日の経済社会学研究会、2日のパネル研究会、13日の階層研究会)、ゼミの報告が2回(8日、13日)、社研のPhDセミナー(7日)、3日のSSMの関東地区研究会、9日の課題公募の二次分析研究会で報告して、14日の修論セミナー。足したら9つもレジュメやら何やら作ってました。その間に、4日に気分転換に友人とイメージフォーラムで『シリア・モナムール』鑑賞をしたりもした。ドキュメンタリーだけどシリア内戦の悲惨さと並行して詩情的な男女の対話が重なっているのが独創的だった。他には、マンチェスター時代の友人が日本にフィールドワークに来るということで、12日に午前6時半に羽田というアクロバティックなことしたり、ちなみに翌日は天ぷら食べに行った。あとは、駒場時代のゼミの先生の紫綬褒章受賞記念パーティなど。共著者のミーティングを水曜にして、どうやら論文に必要な分析が帰国までにできている必要が出てきた(汗)。ASSも一人でやるので結構重荷である。

火曜日(12日)はお世話になっている松尾先生と会食。今日のこくわの大将と合わせて、向こうでの足しにと励ましてもらったので恐縮。30日の計量研は楽しかった。海外の印の人がきれくれたこともあり、興味深く、モチベーションあがったかも。

社研のセミナーでは、主張がindirectだというので、要するに変数の効果見て解釈してるだけじゃんというコメントをもらった。確かになあ、もっと直接的に観察できればなと思った。とはいえ、社会調査には社会調査でおおよその推論は許容しながらトレンドだったりもっと広いこと見ている気もする。ただ、重要なのは発想なのはその通りだと思って、興味その議論からこういう仮説はどうだみたいなのが結構ポンポン出てきて楽しかった。全部は検討できないけど、仮説思考の人が集まって議論すると結構分野外でも発展的に話せることがわかった。もちろん、配偶者選択に関して厳密な仮説検証は結構大変。

この間に、5日あたりに出身階層の影響力という点にこだわろうと決め、短大の記述含め修論を書き、幾つかは報告した。あと、連携と離反の東アジアが朝日の吉岡さんに書評されて嬉しかった。

SSM研究会では(以下twitterメモベタ貼り)、二次会で言われたことを踏まえると、問題設定を(1)現実社会で問題となっていることから出発するか(2)先行研究で理論的に重要とされていることから始めるかに大別すると、自分含め周りの友人は(2)を重視するけど、もしかするとベテランの先生は(1)に比重を置いている人が多いのかなと思った。
互いに両立するしどちらも大事だと思うけど、例えば自分の分析の結果を解釈するときに、それはひょとすると都市と地方の格差に関係しているんじゃないのかという点は、同意するしより現実的に理解できる説明のような気がするけど、リファーしている先行研究からは導きがたい主張ではある。
可能性としてはそういうのから出発して日本の事例から抽象度の高い理論に持ってくことはできるかもしれないけど、(いいか悪いかは別として)自分含め周りのスタンスとしては欧米の知見がまずあり、理論的に含意されることが日本ではどうなっているのかというラインからスタートすることが多い。
その中で、理論的に導かれることをローカルな文脈に置き直して再構成する程度の修正はある(し自分もそうして推論する)けど、やはりまず理論的命題があって、その上で我々が一次的に理解できるような説明が加わるというイメージでいる。なので、自分はそうした一次的な説明から出発することはしない。
その理論の前提には雑駁に言えば開放性だったり格差の連鎖だったりがあるのかもしれないけど、その先行研究をリファーしている限りは妥当な説明のように思える。計量分析にも現実世界のリアリティに近い説明を好む人もいれば、理論から出発する人もいるだろうというくらいのこと。
さっきの話の続きなんですが、そういうすでにある欧米の理論から出発してそれを部分的に修正するような進め方だと、日本のローカルな特徴が前面に出た説明はできないなという気もしている。例えばBrintonの人的資本形成システムの議論とか。
先進諸国のうちの1つとして日本を検討して、理論を修正するというやり方だと、なかなか「なぜ日本なの?」に答えられない。よほど理論に対してインパクトのあるテストとかじゃない限り(身近な例だとRaymo & Iwasawa 2005とか)あと、海外の研究者からはなかなか引用されにくそう。逆に欧米の知見から始まるスタンスだとBrintonのような説明はなかなか受容しがたい(日本にほとんど固有とも言っていいような説明なので)。ここ数日の研究会などの議論を聞いているとそういう点について考えました。本当にどちらも必要なスタンスで、先行する理論が適用できる範囲(レバレッジ)を徐々に修正しつつ広げていくというのも大事だし、日本は日本として地域研究のように説明するのも必要だし。ただし、非常に均質的な集団(日本の社会学界やRC28とか)だと前者のような説明が好かれるかなという印象。
どちらも必要だけど、一方で実践としてはよく問答として(日本の学会とかで)「A理論が妥当するか日本で検討してみました」「ふむふむそうね」となりそうな一方、少し分野が離れると「なんで日本だけなの?」みたいに聞かれるという話。(最初の話とやや離れてしまった。)日本の社会学者しかいない均質的な集団だと日本だけの説明でも十分満足されそうな気もしてきた。一方で日本のXを事例としてAとBの関係を根本から問い直すみたいな研究もあるかもしれない。

まあ、いろいろ勉強は必要、Association modelとかforce of attractionとか。

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