水曜日にポスドクの面接があり、ボストンに行ってきました。ハーバード大学にあるWeatherhead Centerという国際地域研究所の下に、Harvard Academy(HA)という名前の組織があるのですが、そのセンターのポジションで、正式名称はAcademy Scholarといいます。多くの地域研究系ポスドクは1年なのですが、このポジションの任期は2年間で、その点を魅力的に感じています。また、(Senior scholarとして所属するファカルティや同じAcademy scholarとの夕食やセミナーを除くと)義務らしい義務も特になく、自分の研究に集中して取り組むことができます。プロジェクト雇用のポスドクは任期が2年や3年でも自分の研究をする余地が限られることを考えると、大きなメリットです。
と、つべこべ御託を並べていますが、ジョブマに入った時はこのポスドクの存在は全く知らず、おそらくASA(アメリカ社会学会)のジョブサイトに出てきて、初めて知ったと記憶しています。最初見た時は、「ああ2年のポスドクか、出してみよう」くらいの気持ちでいたのですが、11月初めに「442人の応募者の中からあなたを30人のセミファイナリストに選びました」という、何とも有体なメールがきました。最初スパムの可能性を疑ったのですが、中身を読むと、HAからの本物のメールでした。11月中旬に次の選考があり、そこで10人のファイナリストに選ばれたらボストンで面接があります、と書いてあり、ポスドクなのに現地で面接とは何やら大袈裟だなと、そのあたりで怪しく思い始めました。
気になったので、よくウェブサイトを見てみると、過去の応募数の統計が出ていたり、さながら博士課程の入試のような雰囲気。ひどい年?には716件の応募がある中で、たった4人しか採用されなかったとあり、ポスドクでこの競争率はちょっと異常だなと思いました。さらに見てみると、どうやら他のポスドクに比べてリサーチサポートなどがかなり充実しているように思えてきました(substantial supportと書いてあるだけで具体的にいくらか書いていない、普通は3000ドルの研究資金が出ますみたいに書いてあります)。
この時点で、少しおかしなポスドクに出してしまったことを悟り、淡い期待を持ちながら、11月中旬のフォローアップを待ちました。そして、なぜか10人の最終候補者に残ってしまい、今週の面接に至ります。
11月半ばにもらったメールには、面接官はSenior scholarとしてHAに所属しているハーバードの教授クラスの先生で、30分の面接時間でひたすらアプリケーションに基づいて質問しますと書いてあり、やっぱり他のポスドクとはちょっと違う雰囲気を感じます。10人の候補者を一度にケンブリッジに集め、1日で面接して、その日のうちに5人に決めますというガイダンスが書いてあり、どことなく文章からはbriskで冷徹な感じが伝わってきました。
前日に予約してもらった飛行機でボストン入りして、これも予約してもらったホテルにチェックインしたのですが、どうやらスイートルームを予約されているようでした。対応してくれたホテルのスタッフの人にも、僕が一人で来ていたので「え?お前がスイートルームなの?」みたいな反応をされ、一瞬、変な空気が流れたのを覚えています。スイートルームはリビング兼会議室の部屋が一つ、そして(部屋が別々の)ベッドが2台ありました。ここまでくると怪しさも頂点に達し、苦笑せざるを得ませんでした。正直にいうと、もったいないのでやめて欲しいなと思いました(別に空き部屋があってアサインされたのなら、誰も困らないのでいいのかもしれませんが)。
食事代も制限は特に書いてなく、ちょっとした霊感商法に引っかかってるんじゃないかという疑いを拭えず、翌日のことを考えて眠りにつくのですが、枕があまりあわず、起きた時には少し頭痛気味でした。あー、これは終わったなと覚悟して窓を開けると、雪が降っていました。まさか、ボストンで季節で最初の雪を見ることになるとは(しかもボストンでの今年最初の降雪だったようです)。朝食とシャワーを済ませ、想定問答を考えながら、チェックアウトをして会場に向かいます。
Faculty Clubという大学関係者用のイベントスペースが会場だったのですが、ドアを開けると、スタッフの人が待っていて、立て替え払いの書類を渡してもらいながら、時間になるまでしばし雑談します。普通、ポスドクは現地で面接はしないと思うので、驚きましたなどという、当たり障りのないことをいうと、スタッフの人からは「丸一日かけて選考するsociety of fellowsに比べれば、うちらは30分の面接だから大したことないですよ〜」という謎の謙遜が入り、あ、この人たちはHAをsociety of fellowsと比べているのだと思い、ちょっとしたエリーティズムを垣間見ました。
面接の時間3分前になって、もう一人のスタッフが2階から降りてきて、私を会場の部屋まで連れて行ってくれました。11時20分に面接は開始だったのですが、スタッフの人は時計を見て、11時20分ちょうどになった時にドアを開けてくれて、アメリカらしからぬpunctualさに動揺し、緊張のレベルが1段階、上がります。
席に座ると、そこには9名の教授たちが、私の目の前に逆Uの字になる形で白くてピンと張られたテーブルクロスのかかったテーブルの周りに座っており、もうこの時点で「これは殺されるな」と覚悟します。テーブルの上には、候補者の論文やアプリケーション資料と思われる書類が束になったフォルダが重ねてあります。圧迫面接のセッティングとしては、これ以上出来上がった場面もなかなか想像できません。
チェアの先生から軽く自己紹介があった後、最初に質問してくれたのは、中国政治が専門の先生(一番分野的に近い人が質問するとマニュアルにありましたが、社会学の先生がsenior scholarには一人しかおらず、その人は欠席していたので、東アジアということでその人が質問したのだろうと推測)。
質問は、ざっと30秒。事前に送られてきたメモには、回答は簡潔に(なぜなら全員質問するので)とあったので、あ、これは2分くらいで締めないといけないやつだと思い、眠い頭をフル回転させて、30秒間、質問を聞きながら、何をどの順番で言うのか、この人は政治学の人だけど、どのレベルの深さで回答すればいいのか、そんなようなことを同時に考え、少しパニックになりながらもひとまず一つ目の質問に答えます。その後、文字通り間髪入れず、次の先生から、また質問、それが終わると次の先生からまた質問、この2分半のセッションを12回くらい繰り返しました。
正直、人生で一番の圧迫面接だったと思います。
いったいぜんたい、この面接で何をみようとしているのか、皆目検討がつきませんでした。圧迫面接の中でも、ロジカルに本質をついた答えを、素早く簡潔に答える能力を測っているとしたら、それは別に研究者には必要ない能力だと思います。
前半は、苦労しながらも一応納得のいく答えを出していたのですが、中盤である経済学の先生が質問した内容が、一瞬理解できず、しかし聞き直す空気でもなかったので、混乱しながらも答えていたのですが、会場の空気が「あ、こいつ質問の意図わかってないな」という感じになるのを察し、頭が真っ白になりかけました。なんとか答えきったのですが、質問をした先生は「あ、そう」みたいな反応で、この時点で不採用を覚悟しました。
後半の質問に対しては、この中盤の出来事がひきづって、ずっと宙に浮いたような気分で回答するばかりで、もう一思いに殺してくださいと言いたくなる時間でした。
そうやってなんとか30分が経って部屋を出た瞬間、「もうこれはダメだな」と諦めの境地に達しました。意気消沈したまま、友人とのランチに出かけ、少し気分は紛らわすことができたのですが、帰路に着く時には脳内でずっと自己反省会をしていました。もう少しよく眠れていたら違っていたんじゃないか、中盤の質問が最後だったら後半に響かず、印象も違っていたんじゃないか、そもそも、なぜあの質問にテンパってしまったのか、日々考えをめぐらせていない自分の不勉強を恥じるばかりでした。
そうやって底をついた気分で、夜の便でプリンストンに戻り、ルームメイトにことの顛末を話して、もうその時点では今回の面接はちょっとしたdisasterだったと思うようになっていました。今までの面接の中でも、一番プレッシャーがあり、中身も濃く、そしてうまくいかなかった、ちょっとした悪夢のような時間で、すぐ忘れたい、そう思いながら眠りにつきました。
そして翌日、早く目が覚めてしまい、何もやる気が出ず二度寝三度寝を繰り返し、ツイッターをいじりながら、そろそろ起きるかと思っていると、10時ごろになって電話がかかってきました。知らない番号で、怪しみながらも出ると、昨日のスタッフの人からで、開口一番「おめでとう」と言われました。
現実のはずなのに夢みたいな瞬間というのは、本当にあるのだと知りました。
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