August 3, 2019

近況(2)憂い再び

大学院生の待遇について、先ほど憂てしまったが、最近の日韓対立の激化についても、憂ている。徴用工の問題自体は、様々な立場から意見があると思うので、私にはどうするべきなのか、一概に言うことはできない(そもそも専門的な知識にも乏しいと言わざる得ない)。ただ、この記事を含め色々とニュースをみながら、日韓政府とも本来望んでいなかった方向性に進んでいるような気がしてならない。熱いお湯に浸かって先に出た方が負けという賭け事をして、我慢比べでどちらものぼせてしまわないか、心配である。

この20年で日韓関係は最悪だと思うが、改善する気配も見られない。あるとすれば、どちらかの政権が変わることかもしれないが、それが起こるかもわからない。アメリカも(そして最近はイギリスも)日本や韓国に比べるとより多くの人がその社会の将来を憂いていると思うが、アメリカに関しては、来年の選挙が終わればこの憂いが解消されるのではないか、というか解消しなくてはいけないという意識は強い。民主党が勝つかもしれないし、再びトランプかもしれない。しかし日本は、政権が変わることはしばらくないだろうという予想が立つし、これは現政権を支持しようが支持しまいが、多くの人が感じていることだろう。

そんな中、ここ数日でまた一つ騒動があった。経過が早すぎで私も追いきれていないのだが、脅迫によって展覧会が中止に追い込まれてしまったのは、非常に残念だと思う。いくつかのタイミングの問題が重なったことも、今回の中止の背景にはあるのかもしれない。開催時点でこれだけ日韓の関係が悪化していることを、主催者関係者は予想できたのかは分からないが、結果としては最も緊迫感のある時に入ってきたニュースになってしまった。さらに中止の原因になった「ガソリン」という言葉は、数週間前にあった悲惨な事件の後に発すると形容しがたいリアリティを帯びてしまう。中止の判断を選択せざる得なかったことは、想像に難くない。さらに、開催場所の市長が右派的かつメディアに度々登場する人物だったことも、情報が想像以上に波及してしまったことの要因の一つかもしれない。また、主催者の政治的なスタンスと「表現の自由」という内容の一般性のミスマッチを指摘する声もあり、それには首肯した。ただ、「表現の自由」を訴える時に、政治的なバランスに配慮しなくてはいけない訳ではないとも思う。

こうした状況下で中止の判断に至ったのは理解できる。これに対して、脅迫からの抑圧事例としないよう、再開を望む声もあり、自治体や国が本来は率先して環境の整備に尽力すべきことだと思うが、(1)政治的な環境からいえばそうした可能性を期待することは難しい(2)再開しようとしても、今度は安全を憂う声が出てきて再開も批判されそうなので、現実的ではない気がする。(a)政治的なスタンスで支持できない内容だが、(b)表現の自由を守るために環境を整備する、という選択肢を突きつけられた時に、現政権というか自民党に所属する議員というか、彼らが(b)に賛同したとしても(a)が理由で整備を渋るとすれば、それは悲しいことだが、彼らは選挙に当選することが第一の利益なので、理解はできる。そうした政治家を非難すべきなのか、そうした政治家・政党を当選させてしまった人を非難すべきなのか、またはそのどちらかなのかは、わからない。

最後に残るのは後味の悪さで、民主主義を成り立たせるため価値の一つが揺らぎかねないという不安である。研究に従事する者としてできることは、政治学や社会学のバックグランドを持つ人が、表現の自由がどうして重要で、これが保証されないとどのような社会になるのか、何が表現の自由として許容されて、何がヘイトスピートして許容されないのか、これらの点について、パブリックにアウトリーチすることだろう(本来は、中等教育で学ぶべきことかもしれない)。私はこの分野は専門ではないが、研究者に求められている役割の一つだと思う。

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