September 22, 2025

クライミング

 最近、週一の頻度でクライミングに行っています(クライミングとボルダリングは異なります)。

こういう風に言うと、クライミングに「ハマっている」ように解釈されることがあるのですが、特に情熱を持って取り組んでいるわけではなく、友人に誘われて行ってみたら割合楽しくて、肩甲骨の可動域が広がり肩こりがとれ、フィジカル的にそんなにハードではないので自分にもできると思ったからです。本当の楽しみは、毎回クライミングが終わったあとに友人たちと行くインド料理のランチスペシャルだったりします(すごく美味しいし安いので、ケンブリッジ近辺に来られたときには案内します)。

要するに、私にとってクライミングとは、流れに身を任せていたらなんとなく続けていたくらいの趣味にもならない習慣なのですが、この話は仕事に対しても通じて、とかく「好き」とか「夢」とか「理由」を求めなくてもいいわけです(と、私は思います)。

最近、職探しをしていると、カバーレターで毎回「なぜ私じゃないといけないのか」に類するファンシーな言葉を紡いで、雇用主と私は運命の糸でつながっているように書くわけですが、正直に言えば「代わりはいくらでもいるだろうけど、強いて言えば私を雇ってくれるとこういういいことがあるんじゃない?」くらいのレベルで均衡が取られるべきなのは両者とも薄々気づいているわけです。それなのに、自分がいかに特別なのか、雇用者にとって自分じゃいけないのはなぜかを書く時間は、演技であることはわかっていても若干徒労感を覚えます。ただ、これはコミットメントという名の演技であると思えている限りにおいては、お祈り状が届いても(あるいは届かなくても)喪失感はないわけです。本当に運命だと思っていたのにそれが叶わないときのほうが、だめだったのかと、喪失感は大きくなりますから。

研究についても、流れに身を任せた結果として取り組んでいるものがちらほらあります。あまりにあちらこっちらと研究テーマに一貫性がない人は業界からあまり評価されません。言い換えると、研究者の世界では、テーマに一貫性が求められ、その背後には「その研究に情熱を持って取り組んでいるはずだ」「他のテーマではなくこのテーマを選んだのには理由があるはずだ」そういう信念が見え隠れします。

もちろん、自分が運命だと思った研究テーマに出会って、それに情熱をもって突き進んでいる人を見るのは美しいです。でもそれを、すべての人に、すべての研究に求めるのは、少し違うと思います。

私は自分が情熱を持って取り組めるかも、研究テーマを選ぶときには(もちろん)重視していますが、相対的な度合いはケースバイケースです。もう一つの軸には、日本のデータをきちんと社会学や人口学の土俵に乗せて議論したいというモチベーションがあるので、両者を比較して、私がやるべき、コミットする必要があると思ったプロジェクトを選んでいます。もちろん、「情熱」理論を懐疑的に見ていても、社会の流れには逆らえず、優先順位としては「情熱」を持っていると自分が思っているプロジェクトに時間をかけますが。

こうした非情熱ロジックは、言い換えると「ご縁」という考えにつながると思います。この言葉は、進学校の高校生にインタビューしていた時、生徒さんが最終的にどの大学に行くかを考えている中でよく使われる言葉でした。日本の国公立大学入試は実質的に一校しか出願できないので、国公立第一志望の人は、第二志望以下の私立に乖離がみられることが珍しくありません。そうした場合、第二志望以下の大学に行くことは理想的ではないと考える人は多いわけですが、そうしたときに「合格通知をもらった大学に行くのも何かのこ゚縁なので」と語る生徒さんがいました。この「こ゚縁」志向の正体はわからずじまいですが、圧倒的に女性の方が「こ゚縁」という言葉を使います。男性のほうが、大学進学を目的と考えている人が多いからでしょうか。

私自身、大学入試のときは絶対東大に行きたいと思っていましたし、大学院入試のときは絶対ウィスコンシンに行きたいと思っていました。その時の自分には「こ゚縁があったところに世話になる」という考えはほんの少しもなかった気がします。この「絶対〜〜を手に入れたい」という考えは、年を取ると現実的ではないことに気付かされます。競争のあとには競争が待っているので、どこかで「ご縁」志向を導入しないと、何も得られないからです。

「ご縁」志向をもう少し言い換えると、世界には自分の力ではどうにもならないことがある、ある種の不可抗力を認めることだと思います(これを職探しでは「フィット」といったりします)。人間は自分で決められることを過大に見積もる傾向がある気がしますが、実際には、人生で出会う出来事の大半は、不可抗力によるもの、あるいは最初の話で言う「流れに身を任せる」結果として生じているような気がします。

私が研究プロジェクトを選ぶときに「それも何かのこ゚縁なので」と考える場合は、時と条件を踏まえて、私がやるのが適任だと思ったときです。それもある種の不可抗力の中で支えられています。もちろん、手を抜くことはしませんし、限られた時間と資源の中でベストを出せるようにはします。ただ、そこに情熱や理由が相対的に少ない(ようにみえる)ことに懐疑の目を向けられることは、残念ですが存在します。

もうそんなこんなで、常に情熱や理由を求められるところで仕事をしていると、週末に特に情熱も理由もなくできる趣味は、実は最高の贅沢なんじゃないかと思っているこの頃です。

書きながら気づきましたが「こ゚縁」に理由を求めるのも、「自分にはこれじゃなきゃだけ」と考えるのも、両方ある種の運命史観ですね。だんだん、違いがわからなくなってきました。

September 6, 2025

ビザの更新をめぐる夏休みのハラハラ

 現在、私はアメリカのマサチューセッツ州にあるケンブリッジというところに住んでいます。ご存じの方も多いかもしれませんが、ケンブリッジはボストンから見てチャールズ川を挟み北側にある街で、ハーバード大学のキャンパスがあることで知られています。私も、ご縁があって去年の夏からハーバードで研究をさせてもらっています。

9月はじめのボストンの天気は晴れの日が多く、昼は夏に比べると日差しの強さも和らいできて、日陰に入ると心地よい風に秋の訪れを感じます。朝夜は少し寒いくらいです。日本では残暑、というよりまだ真夏の途中かもしれません。

ともあれ、最近はとても心地よい日々を過ごしているわけですが、わずか三ヶ月前は、9月に無事アメリカに滞在できるかも、気を揉む状況でした。

トランプ政権が学生ビザの面接を停止し、ソーシャルメディアチェックをするというニュースを見たのが5月28日です。そこから急いで申請手続きをしましたが、その時点で東京での面接は9月なかばまで一杯でした。仕方なく、その日に予約可能だったなかで最短の、9月17日に東京のアメリカ大使館でのビザ面接のアポを入れます。つまり、もしそのまま予約枠が見つからないままだったら、執筆時点で私はアメリカに戻れておらず、まだ面接を待つ状況にあったわけです。

それから数日間、空いた時間にやることといえば、ビザ予約のページをひたすらクリックし、突発的なキャンセルによって生じる予約枠を見つける作業でした。幸いなことに2日後の5月30日、7月1日のスポットを見つけて再予約しました(なお、当日は面接時間に都内の私大でセミナー発表の依頼を受けていたため、そちらの時間を後ろにずらしてもらうことになります)。

約2週間後に帰国をする予定だったため、そこから数日間は、帰国してすぐの6月なかばの予約枠が見つからないかと思って、予約ページを更新する作業をしばらく続けていたのですが、さすがに幸運は二度も起こらず、7月1日の面接で投了することにしました。なお、日本での面接は東京の米国大使館以外でも、札幌、大阪、沖縄の米国領事館でも受け付けていますが、領事館ではそもそもの面接枠が少なかったり、管轄が東京から移ったりして混乱を招くため、あまりおすすめはしません。

6月に入ると、トランプ政権がハーバードの新規留学生に対してビザを発給しないという、字面だけ見ると全く信じられないニュースが飛び交い始めました。その頃から、入国時に何かしらの干渉を受けることを懸念して、周りの留学生も夏休みに母国に一時帰国することは見送り、アメリカに残ることを考え始める人も出てきました。私はビザを更新するという必要もあり、日本に帰ることにしましたが、たとえビザを更新できたとしても、入国を拒否されたらどうしよう、という一抹の不安は、一時帰国のあいだ、常につきまとっていました。また、帰国時に夏からアメリカに留学する人と話す機会が何度かありましたが、面接の予約が9月以降でないと取れず、予定通り出国できるか不透明なケースを、複数みかけました。トランプ政権のビザ政策をめぐる混乱は、国境をまたいで存在していました。

そしていよいよ迎えた面接当日の7月1日。面接開始時間は1時45分でしたが、午後3時からセミナー発表の予定が入っていたため、余裕を持って1時間前に大使館に到着しました。6月にビザを更新した友人の話では、面接自体は数分で終わると伝えられていたので、1時間みておけば余裕を持って終わるだろうと踏んでいたのです。

にもかかわらず、大使館に着くと待っていたのは面接を待つ人の長蛇の列。恐らくですが、自分のように早めに面接を受けようと、同じ日でも私より遅い時間に予約が入っていた人が殺到していたのではないかと思います。あるいは、ビザの面接を中止していた影響で、再開後に通常より多くの枠を提供していたのかもしれません。

そういった事情で、面接は予定していた開始時間を大幅に過ぎて開始。面接自体はこれまでのように、なぜアメリカに滞在するのかといった簡単な質問で終わり、なんとか予定していたセミナー発表の時間には間に合ったものの、大学に着いたのは開始時刻の10分ほど前で、本当にギリギリといったところでした

さて、面接が終わればハッピーエンドかといえば、それですまないのがトランプ政権です。面接の最後に、若干申し訳なさそうな顔の審査官から「これからソーシャルメディアのスクリーニングが入るので、すぐに承認は出せない」と言われます。具体的には、まずスクリーニングのためにXやInstagramのアカウントを公開設定にすること、さらにスクリーニングが終わったあとにビザを発給するので、パスポートを預ける必要がありました。

厄介なことに、私は翌週に海外での学会を控えていました。そのためダメ元で「ビザは1週間後には発給されるだろうか」と聞きますが、それまでには確実に間に合わないと言われたので、一旦パスポートを返してもらい、それからオーストラリアと韓国の学会に参加することにしました。パスポートが無いと海外には行けないという、極めて当たり前な事実を、さらに言えば、自分の身体や移動が国によってコントロールされていることを再確認しました。

不幸中の幸いは、スクリーニング自体はパスポートがなくても進められるということでした。そのため、日本に帰国した時点で、パスポートを大使館に郵送すれば、(スクリーニングで何も問題が生じていないという条件の上で)後日パスポートを受取るか、指定した住所まで郵送してもらうことできます。

そこで、7月20日の午後にソウルから戻った私は、急いで郵便局に向かい、パスポートを郵送しました。しかし翌日はあいにく祝日(海の日)で大使館は休み。そして翌7月22日にビザのステータスが“rejected”から“approved”になりました(機械的な分類なのですが、面接時に承認できなかったビザ申請を一旦rejectedにするのは、あまり気分がいいものではありません)。

しかし、“approved”になるだけでは足りず、ビザをもらうためには、監督者の最終判断をもって発給される状態(issued)になる必要がありました。“approved”から“issued”になるまで、通常は1-2日しかかからないと聞いていたにも関わらず、私のビザ申請は2日以上経っても状態が変わりませんでした。この辺りから、私の背筋は凍り始めていきました。8月4日にアメリカに戻る予定で航空券をすでに予約していたからです。

その頃の私と言えば、もしかして、Xなどで変なことをつぶいていなかったか(正直に言えば誰しもが不快に思わないツイートしかしてこなかったといえば嘘になりますが、まさかトランプを不快にさせるようなこと、私つぶやいていたっけ?と不安になりました)、そうした杞憂に終わるような心配ばかりしていました。

翌週の月曜になりようやくビザが発給され、その週の木曜日に自宅に郵送されました。これが7月31日です。あと4−5日遅かったら航空券を変更する必要がありました。

振り返ると、たかだか一年の研究滞在ビザをもらうために、なぜこんなにもストレスを抱えなければいけなかったのだろうかと、今振り返っても疑問に思います。面接を受けた際に、大使館に貼ってあった一枚のポスターに目がいきました。そこには、アメリカへのビザは「権利」(right)ではなくて「特権」(privilege)と書いてあり、それが今でも強く印象に残っています。アメリカに滞在するための「特権」を得るために、一ヶ月以上にわたる不安に耐えるのは、これからますます当たり前になっていくのかもしれません。

アメリカの大学院への留学は、留学した人に有形無形の機会をもたらしてくれるものと思っていました。しかし、現在の状況が続く限り、周りの人にアメリカへの留学を勧める気にはなかなかなれません。

September 4, 2025

矛盾する気持ちのバランス感覚

 就活も3年目に入ると(プリンストンの先生からは就活は5年かかるつもりで計画しておくようにと言われたので、ようやく半分というところ)、「今年テニュアトラックのジョブが取れなかった場合は今後1-2年どうやってやりくりしようか」と条件反射的に考えてしまうようになります。このご時世なので、今後社会学でも2度目3度目のポスドクは珍しくなくなってくるんじゃないかと思うことで、未来の自分を正当化するようにもなります。

「背水の陣」という言葉は、耳にする頻度に比してそういった状況に陥る人は実際には少ないのかもしれません。誰しもプランBを考えます。現実にはプランBさえも難しいわけで、外から見れば延命治療にさえ見えるプランCを考えることで、プランAが成功するという期待をそもそも持たずにプランAを実行することになります。本当に、粛々とです。ジョブが出たらエクセルに記録して、そのジョブに就いたときの自分を想像して、幸せなイメージができたら公募の書類を進めます。幸せな自分を想像する瞬間というのは、年数を経るにつれてだんだん短くなり、可能性を過大に見積もらず、それでもその可能性が実現した時の自分を想像するという、矛盾した状態になっていきます。

公募が出たときに一喜一憂しないことと、その公募をみた瞬間の自分の直感を信じて可能性を見出す、この二つは矛盾しつつも就活の際には不可欠な要素なのではないかと思うようになりました。この種のバランス感覚は、不確実性の高いキャリアを志す場合一般において重要な気がします。