September 27, 2022

近況(博士課程5年目)

 9月になり、プリンストンも新学期です。昨年に比べ、コロナ禍の雰囲気は収まり、1年目に見たような賑やかさがキャンパスに戻って来ています。私はその状況の良し悪しを判断する立場にはありませんが、少しずつコロナ前の日常が現実として感じられつつある、そんな日々です。

報告する近況もなかったといえばなかったのですが、毎日が忙しく過ぎ去っていく感覚は、学年を経るごとに強くなります。2年目までは、コースワークが終われば暇になると思っていて、それは確かに事実なのですが、別の面では忙しさは増すばかりで、落ち着いて近況をまとめる時間は減っていると感じます。特に、人の論文をレビューする機会が増えました。それと、ミーティングをオーガナイズする機会も、増えています。

この近況も、まとめてものを考える時間がなかなか取れないので、数日をかけて書いています。その日その日で書きたいことも移り変わるのですが、できるだけそうしたばらつきを無くしつつ、アメリカ博士過程5年目を迎えた心境、というか近況についてまとめておきます。

・博士課程も、5年目

この歳になってくると、新学期にある「何年生?」という質問に答えるのが億劫になってきます。「5年生だよ(何か文句ある?)」とまでは言いませんが、もう5年生になってしまったのかと、感慨深くなります。ただし、プリンストンは4年目で、うち2年近くはパンデミックでほとんど記憶がないので、実質的には3年目くらいの気持ちです。

取る授業もなくなり、基本は研究、研究、そして研究の日々です。恐ろしいくらいに、研究しかすることがありません。他にあるのは、セミナーです。社会学部や人口学研究所のランチセミナーで腹と知的好奇心を満たし、午前や午後にある院生を中心とする進捗報告系のワークショップでは、何かしら報告をしたりします。

今年はこれらに加えて、新しくPrize fellowに選んでもらった縁で、毎週火曜日のランチセミナーの後に、ポリシー系の研究をしている院生が集まるセミナーにも顔を出して議論に参加しています。こちらはどちらかというと、ポリシーという傘のもと集まった分野横断的な集まりで、ネットワーキングの意味合いが強そうです。ちなみに、こちらでも昼ごはんが出るので、火曜日は夜ご飯に困りません。

夜は夜で、日本にいる人とズームミーティングをしたり、オンラインセミナーのオーガナイズをしたりしています。忙しい日々ですが、研究だけで忙しいので、特に不満はありません。人の論文を読んだり、何かをオーガナイズすることは時間を取られますが、その過程で学ぶことも多いです。予定が多過ぎる時があって、たまにリマインダがあっても忘れてしまいます。

・研究

研究では、この1年でポジティブな変化がありました。博論になる3つの章は特に目立った進捗しておらず、このまま提出してもいいくらいに思っていますが、代わりに博士課程後に取り組みたいテーマが見つかり、今はそれに時間を費やしています。

内容としては、シンプルに「難関大学に女性が出願しにくいのはなぜか」、これを問うています。昨年度までは既存の社会調査データを用いた分析をしていたのですが、夏に全国12の進学校を訪問し、生徒と教員の方にインタビューをしていました。この過程で、「なぜ」の部分に対する答えを見つけ、今はその主張をサポートするべく、論を組み立てているところです。

ふと気づくと、このプロジェクトはいつの間にか一種の日本社会論になっていることに気づきました。似たような話は既に以前のブログでも書いたのですが、もう少し煮詰めたものを書いておきます。

高校生に話を聞いていると、女性の方が明確に職業意識があり、将来つきたい仕事、それと大学で学ぶことの関係について、真剣に考える傾向が見られます。職業意識の男女差は、定量的なデータでも確認される傾向です。

特に資格が取れる専攻は、周りの勧めもあって考える人は多いです。こうした職業から考えて進路を選ぶ人にとっては、同じ資格が取れるなら、偏差値にはこだわらずに現役で進学できるところに進学する、そういう進路選択が取られる傾向にあります。これに対して、男性の方が将来に対してまだ明確なプランを持っておらず、大学に入ってから考える人が多かったです。

私の考えでは、日本社会の仕組みが女性には将来を考えさせ、男性には棚上げを許す、そういう社会化がされる構造になっているのだろうと思いますが、そうした考えを所与とした時、日本の大学入試は男女の差を拡大しているのではないか、そのように考えています。

日本の入試の特徴は、まず学部単位の出願が多いことにあります。職業・専攻への意識が強い人は、そうした入試だと自分は何を学びたいのか真剣に考えることになります。一方で、将来つきたい職業や、学ぶ内容を密接に考えていない人にとっては、入試が学部単位でも、具体的な職業選択とは別の理由(例:潰しが効く)で進路が選択される傾向にあるのではないかと考えています。

次に、日本の国公立入試は、実質的に一発勝負の構造になっていて、必然的に不合格、からの再受験(浪人)が生じやすくなっています。浪人という選択肢が普通にある状況だと、難関大を志望する人は浪人してもそうした大学に進学することを許容できてしまう一方で、現役志向の強い人は、浪人にメリットを感じにくいのではないか。こうした制度的な背景もあって、男性の方が難関大学を志望し、女性が現役合格を優先して、難易度は多少落ちる大学に進学するのではないかと考えています。

学校の先生は、難関国立大学を志望することは「潰しがきく」と言って、高校生に最後まで目指すよういう傾向があります。ここでの潰しが効くというは2種類あって、第1にそうした大学を目指しておけば、後から違う大学に志望を変更しやすいという側面、第2にそうした大学に入ったら、苦労はしないという潰しが効くがあります。後者は具体的には、大学名と企業規模が密接に関連しているという既存研究の知見からもサポートされます。難関大学に入っておくと、将来が不確実でも、痛い目には合わない、そう考えて高校生は難関大学を志望しているのではないか。

しかしそうした大企業のキャリアが、万人にとって魅力的な選択肢にはなりません。長時間労働、転勤、年功序列で一度企業を離れると戻ることは難しい、そんな日本的な長期雇用の慣行は、両立志向で家事育児負担を担わされる女性にとっては、現実的な選択肢として浮かび上がってこないのではないか。むしろ結婚出産後も同じ待遇の職業を見つけやすい「手に職」系の資格を持つ方が、日本の労働市場を考えると合理的なのではないか。

高校生がどこまでそうしたキャリアを念頭に置いているかはわかりませんが、親や周囲の助言もあって、実質的にはそうした考えに影響される形で進路選択をしているのではないかと考えています。つまるところ、日本で難関大学に女性が少ない減少は、日本の労働市場の問題が背景にあるのではないか、そう考え始めたときに、この話は単に難関大学進学のジェンダー差というよりも、日本社会の根深い問題に触り始めているのではないか、そう考えるようになりました。

そうして問題の構図を考えていくと、明らかになっていない問いがどんどん出てきました。これはなかなか興味深い瞬間でした。探索的なインタビュー調査から、こういうことが起こっているのではないか、それら気づきを昇華して分析枠組みに仕上げていく段階で、いくつも仮説が出てきており、研究は急に仮説検証型のプロジェクトに移行しています。

そういうわけで、今は上で書いたようなビッグピクチャーをもとに、個々の問いを検証できるようなデータベースを作成するべく、研究プロジェクトを立ち上げる準備を始めています。データベース・プロジェクト以外にも、引き続きインタビュー調査、及び(これはまた書く機会があればと思いますが)サーベイ実験の実施を進めています。三つのプロジェクトをまたぐ組織として、自分で勝手にEducation Inequality Japan Labを立ち上げました(無給ですが、メンバー募集中です)。

余談ですが、この2週間でチームに加わってくれる3人のM1の方の卒論を読みました。どれも読み応えあり、ポテンシャルの高さを感じます。日本だと教育社会学はかなりempiricalで、アメリカの研究とも距離感が近く、少しフレーミングを変えるだけで、十分トップジャーナルも狙えると思います。

・その他、非研究的な出来事

  1. 引っ越しました。前の家から車で数分の距離にある、新しいgraduate housingです。室内に洗濯機、乾燥機、備え付けの電子レンジ、食洗機、ジム、勉強スペースなど、至れり尽くせり。
  2. NJの車の免許を取りました。筆記試験で一度落ちたのは内緒です。
  3. 濱口竜介監督がプリンストンにいらっしゃいました。彼が東北の震災を機に始めたドキュメンタリーの関係で一度プリンストンに来た縁ということです。Drive My Carを見たのは今回で通算5度目になるのですが、みるたびに出てきた疑問を、正直にぶつけて、監督から色々と教えてもらい、感無量でした。
  4. 一つ上の学年の友人たちが、続々トップスクールのジョブトークに呼ばれていて、彼らの優秀さを確認するとともに、自分ごとのように嬉しくなる日々です。

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