July 20, 2015

桐野夏生「抱く女」

帰省先の本屋で桐野夏生「抱く女」を買い、帰りの特急電車の中で読む。新聞の書評欄で紹介されており、吉祥寺を舞台にした本ということで読んでみた。桐野は金沢の生まれで、成蹊大学を出ている。舞台は1972年の吉祥寺。主人公の直子は20歳の女子大生で、大学近くの酒屋の娘。授業にはろくに出ず、駅近くの雀荘で友人たちとつるんだり、友達の縁でジャズ喫茶でバイトをする。恋愛が何か分からず、次々に友人の男と関係を持つ直子は、次第に自分が女性として差別されていることに気づく。

70年安保が終わり、あさま山荘事件や連合赤軍のテロに翻弄される時代、直子の周りにも政治闘争に関わり、死んでいく男たちが出てくる。直子もリブの運動に関わろうとするが、そこで女性同士の対立を見、彼女らが根本的な問題(男女差別)を見逃していることに対して苛立ち、途方に暮れる。

失望とともに新宿に逃げた直子は、別の男に誘われて酒と薬に溺れる。倒れていた直子を助けたジャズシンガーのアキと彼女のバンドメンバーの付き人深田に魅力を感じた直子は、深田と同棲し、大学を辞め、家を出る決心をする。そんな中、次兄の和樹が対立するセクトの襲撃を受け、昏睡状態になる。

読了後、なぜ桐野が2015年になってこの本を書こうと思ったのか気になった。革命闘争が男女差別の上に成り立つに過ぎず、直子の視点からは男たちの「政治ごっこ」に映る。リブにも女性同士の分断を見る。こういう話はもう終わったかのように感じられるが、最近の動向を見るとそうでもない気もする。


角栄以後の日本政治を特集した昨日のNHKスペシャルで、御厨氏が安倍政権は田中以来の利害政治から岸時代のイデオロギーの政治へと回帰していることを指摘していて、妙に納得してしまった。この小説が古く思われないのは、今も右派と左派がイデオロギーで対決しているように見えるからかもしれない。

最後に、「抱く女」における72年の吉祥寺駅周辺の描写は、当時の吉祥寺には中央線沿線で新宿と並ぶ飲屋街があったという話が本当だったことを思わせる。今の吉祥寺を語るときに出てくる自然の豊かさやオシャレな感じはどこにもない。井の頭公園の描写もない。あるのは雀荘、ジャズ喫茶、飲み屋、ラブホテル。

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