January 9, 2013

雑感

日記を書かなくなって3週間以上かな.代わりに,実家で十分休息したので料理を再開した.鮭のフライ揚げとか,鶏胸肉の味噌炒めとか,結構美味しい.毎日,起床→家事→勉強→昼食→勉強→帰宅→家事→勉強→就寝の繰り返し.TwitterとFBを適度に見て,メールに返信して,読書会やって,友達とおしゃべりして,お金が足りなくなったら親に電話して.そんな毎日.これがずっと続くとは思わないけれど,あと2年くらいはこのまま続いても良いような気がする,少し誇張したかも,1年くらい?

日々の生活で物足りなさを感じるのは,やっぱり話す人が限られるし,話す内容も間ギラレているということ.家をシェアハウスにしたは良いものの,生活リズムは違うし,実家に戻ったときのようにみんなでご飯を食べることなんて滅多に無い.それで全然不快じゃないし,お互いのリズムを保つにはちょうどいいと思うんだけど,やっぱ心無しか寂しいよね.特に,一人で料理して一人で食べて一人で片付けするときとか.何にも楽しくない.料理は楽しいけど,食べてても楽しくないし,片付けしてるときも楽しくない.何のために食事ってあるんだろうって.そのくせ食べたら眠くなるし.だけど,外食はお金がかさむし,なにより何の意味もないじゃん.松屋で牛丼食べるとか,えさを与えられている家畜くらいには人間らしくないと思う,あの機械的な空間で,機械的にものを食べるのは,あんまり好きじゃない.だからといって,家のご飯が楽しいかって言われると,微妙.

だけど,それを除けば,今の生活には満足している.特に,社会学研究室での毎日は本当に楽しい.固定化されているけど,仲のいいみんなと毎週読書会やゼミで顔を会わせて,一緒に議論して,一緒に笑ったり,互助組織になっている.先輩たちも面倒見が良いし,新しい出会いもたまに会ってとても楽しい,何が楽しいって,その都度自分が社会学の世界に身を踏み出している感じがするからね.もちろん,勉強しないと意味が無いから,それをともなってなんだけど.だから読書会とか研究会で勉強しつつ新しい人と出会えるって言う過程を繰り返すことができるのは,幸せだなあって思う.
そして,良い人しか無い社会学研究室の毎日を延長すると,院進学になるんだろう.困ったことに?僕の周りはみんな進学希望だから,このままいくと終始に入っても同じような毎日が続くような気がする.だから,このままでもいいんじゃないかって,このままでも多分刺激しあいながら勉強する日々を過ごせるんじゃ無いかって思ってる.こういうのってすごく幸せなことなんだろうと,将来が予測できるっていうのはね.
だけど,この環境に安住したままなのも果たしてどうなのかって言うのも感じる.就活とかしたほうが良いのは百も承知だし,チャンスがあれば留学だってしたい.だけど,それは今の環境を少し変えてみたいって言う好奇心に近いもので,特に目的性はないんだよね.ふと,どういう研究者になりたいのかって自問自答するけど,まず答えが明確にならないし,答えを暫定的に作ったとしても,それにどうやって行き着くか,今の環境はどれくらい適合的かなんて分かりゃしない,今の状況に関しては,ただ満足(いや,不満もあるけどさ),このまま勉強していれば,そこまで外れないんじゃないかなって.安心感はあるけど,でも,前期課程のときのような競争心って,最近持ってないような気がする.


あと,あれかな,家族社会学やジェンダーをやってるからかもしれないけど,異性関係についての考えが変わったかも.これはいいときもあれば悪いときもある.勉強に集中できる間接的な動機を発見できたけど,たまに,やっぱ誰かと付き合った方がいいのかなあとか思ったりする.だけど,何かを犠牲にしてまで付き合いたい人とかいないし,そもそも人間的に好きな異性はいても,その人と付き合おうと踏ん切れない.リスキーだし,今の状況は居心地が良いからね.なんか,その人のことどう思ってる?って聞かれたら,多分好きって言葉になるような人でも,友達のままで終わっていきそう.臆病になっている訳じゃなく,やる気を失ってるのかなあ,人間としての 苦笑

No comments:

Post a Comment