September 6, 2025

ビザの更新をめぐる夏休みのハラハラ

 現在、私はアメリカのマサチューセッツ州にあるケンブリッジというところに住んでいます。ご存じの方も多いかもしれませんが、ケンブリッジはボストンから見てチャールズ川を挟み北側にある街で、ハーバード大学のキャンパスがあることで知られています。私も、ご縁があって去年の夏からハーバードで研究をさせてもらっています。

9月はじめのボストンの天気は晴れの日が多く、昼は夏に比べると日差しの強さも和らいできて、日陰に入ると心地よい風に秋の訪れを感じます。朝夜は少し寒いくらいです。日本では残暑、というよりまだ真夏の途中かもしれません。

ともあれ、最近はとても心地よい日々を過ごしているわけですが、わずか三ヶ月前は、9月に無事アメリカに滞在できるかも、気を揉む状況でした。

トランプ政権が学生ビザの面接を停止し、ソーシャルメディアチェックをするというニュースを見たのが5月28日です。そこから急いで申請手続きをしましたが、その時点で東京での面接は9月なかばまで一杯でした。仕方なく、その日に予約可能だったなかで最短の、9月17日に東京のアメリカ大使館でのビザ面接のアポを入れます。つまり、もしそのまま予約枠が見つからないままだったら、執筆時点で私はアメリカに戻れておらず、まだ面接を待つ状況にあったわけです。

それから数日間、空いた時間にやることといえば、ビザ予約のページをひたすらクリックし、突発的なキャンセルによって生じる予約枠を見つける作業でした。幸いなことに2日後の5月30日、7月1日のスポットを見つけて再予約しました(なお、当日は面接時間に都内の私大でセミナー発表の依頼を受けていたため、そちらの時間を後ろにずらしてもらうことになります)。

約2週間後に帰国をする予定だったため、そこから数日間は、帰国してすぐの6月なかばの予約枠が見つからないかと思って、予約ページを更新する作業をしばらく続けていたのですが、さすがに幸運は二度も起こらず、7月1日の面接で投了することにしました。なお、日本での面接は東京の米国大使館以外でも、札幌、大阪、沖縄の米国領事館でも受け付けていますが、領事館ではそもそもの面接枠が少なかったり、管轄が東京から移ったりして混乱を招くため、あまりおすすめはしません。

6月に入ると、トランプ政権がハーバードの新規留学生に対してビザを発給しないという、字面だけ見ると全く信じられないニュースが飛び交い始めました。その頃から、入国時に何かしらの干渉を受けることを懸念して、周りの留学生も夏休みに母国に一時帰国することは見送り、アメリカに残ることを考え始める人も出てきました。私はビザを更新するという必要もあり、日本に帰ることにしましたが、たとえビザを更新できたとしても、入国を拒否されたらどうしよう、という一抹の不安は、一時帰国のあいだ、常につきまとっていました。また、帰国時に夏からアメリカに留学する人と話す機会が何度かありましたが、面接の予約が9月以降でないと取れず、予定通り出国できるか不透明なケースを、複数みかけました。トランプ政権のビザ政策をめぐる混乱は、国境をまたいで存在していました。

そしていよいよ迎えた面接当日の7月1日。面接開始時間は1時45分でしたが、午後3時からセミナー発表の予定が入っていたため、余裕を持って1時間前に大使館に到着しました。6月にビザを更新した友人の話では、面接自体は数分で終わると伝えられていたので、1時間みておけば余裕を持って終わるだろうと踏んでいたのです。

にもかかわらず、大使館に着くと待っていたのは面接を待つ人の長蛇の列。恐らくですが、自分のように早めに面接を受けようと、同じ日でも私より遅い時間に予約が入っていた人が殺到していたのではないかと思います。あるいは、ビザの面接を中止していた影響で、再開後に通常より多くの枠を提供していたのかもしれません。

そういった事情で、面接は予定していた開始時間を大幅に過ぎて開始。面接自体はこれまでのように、なぜアメリカに滞在するのかといった簡単な質問で終わり、なんとか予定していたセミナー発表の時間には間に合ったものの、大学に着いたのは開始時刻の10分ほど前で、本当にギリギリといったところでした

さて、面接が終わればハッピーエンドかといえば、それですまないのがトランプ政権です。面接の最後に、若干申し訳なさそうな顔の審査官から「これからソーシャルメディアのスクリーニングが入るので、すぐに承認は出せない」と言われます。具体的には、まずスクリーニングのためにXやInstagramのアカウントを公開設定にすること、さらにスクリーニングが終わったあとにビザを発給するので、パスポートを預ける必要がありました。

厄介なことに、私は翌週に海外での学会を控えていました。そのためダメ元で「ビザは1週間後には発給されるだろうか」と聞きますが、それまでには確実に間に合わないと言われたので、一旦パスポートを返してもらい、それからオーストラリアと韓国の学会に参加することにしました。パスポートが無いと海外には行けないという、極めて当たり前な事実を、さらに言えば、自分の身体や移動が国によってコントロールされていることを再確認しました。

不幸中の幸いは、スクリーニング自体はパスポートがなくても進められるということでした。そのため、日本に帰国した時点で、パスポートを大使館に郵送すれば、(スクリーニングで何も問題が生じていないという条件の上で)後日パスポートを受取るか、指定した住所まで郵送してもらうことできます。

そこで、7月20日の午後にソウルから戻った私は、急いで郵便局に向かい、パスポートを郵送しました。しかし翌日はあいにく祝日(海の日)で大使館は休み。そして翌7月22日にビザのステータスが“rejected”から“approved”になりました(機械的な分類なのですが、面接時に承認できなかったビザ申請を一旦rejectedにするのは、あまり気分がいいものではありません)。

しかし、“approved”になるだけでは足りず、ビザをもらうためには、監督者の最終判断をもって発給される状態(issued)になる必要がありました。“approved”から“issued”になるまで、通常は1-2日しかかからないと聞いていたにも関わらず、私のビザ申請は2日以上経っても状態が変わりませんでした。この辺りから、私の背筋は凍り始めていきました。8月4日にアメリカに戻る予定で航空券をすでに予約していたからです。

その頃の私と言えば、もしかして、Xなどで変なことをつぶいていなかったか(正直に言えば誰しもが不快に思わないツイートしかしてこなかったといえば嘘になりますが、まさかトランプを不快にさせるようなこと、私つぶやいていたっけ?と不安になりました)、そうした杞憂に終わるような心配ばかりしていました。

翌週の月曜になりようやくビザが発給され、その週の木曜日に自宅に郵送されました。これが7月31日です。あと4−5日遅かったら航空券を変更する必要がありました。

振り返ると、たかだか一年の研究滞在ビザをもらうために、なぜこんなにもストレスを抱えなければいけなかったのだろうかと、今振り返っても疑問に思います。面接を受けた際に、大使館に貼ってあった一枚のポスターに目がいきました。そこには、アメリカへのビザは「権利」(right)ではなくて「特権」(privilege)と書いてあり、それが今でも強く印象に残っています。アメリカに滞在するための「特権」を得るために、一ヶ月以上にわたる不安に耐えるのは、これからますます当たり前になっていくのかもしれません。

アメリカの大学院への留学は、留学した人に有形無形の機会をもたらしてくれるものと思っていました。しかし、現在の状況が続く限り、周りの人にアメリカへの留学を勧める気にはなかなかなれません。

September 4, 2025

矛盾する気持ちのバランス感覚

 就活も3年目に入ると(プリンストンの先生からは就活は5年かかるつもりで計画しておくようにと言われたので、ようやく半分というところ)、「今年テニュアトラックのジョブが取れなかった場合は今後1-2年どうやってやりくりしようか」と条件反射的に考えてしまうようになります。このご時世なので、今後社会学でも2度目3度目のポスドクは珍しくなくなってくるんじゃないかと思うことで、未来の自分を正当化するようにもなります。

「背水の陣」という言葉は、耳にする頻度に比してそういった状況に陥る人は実際には少ないのかもしれません。誰しもプランBを考えます。現実にはプランBさえも難しいわけで、外から見れば延命治療にさえ見えるプランCを考えることで、プランAが成功するという期待をそもそも持たずにプランAを実行することになります。本当に、粛々とです。ジョブが出たらエクセルに記録して、そのジョブに就いたときの自分を想像して、幸せなイメージができたら公募の書類を進めます。幸せな自分を想像する瞬間というのは、年数を経るにつれてだんだん短くなり、可能性を過大に見積もらず、それでもその可能性が実現した時の自分を想像するという、矛盾した状態になっていきます。

公募が出たときに一喜一憂しないことと、その公募をみた瞬間の自分の直感を信じて可能性を見出す、この二つは矛盾しつつも就活の際には不可欠な要素なのではないかと思うようになりました。この種のバランス感覚は、不確実性の高いキャリアを志す場合一般において重要な気がします。

July 11, 2025

上智大学サマーセッション

 昨年、一昨年に引き続き今年も上智大学のサマースクールでeducation in Japanの分担をしました。

少人数、国籍多様な学部生を教えるのは楽しいです。3年間あまりスライドをアップデートしていないお陰で()日本の教育のどの部分がウケるのか(=不思議に思われるのか)、わかってきました。 

事実を述べるだけでも、よく考えると不思議な現象があることを思い出させてくれます。

例:日本は半分くらいの大学生が学生ローンを使っているのに中退率が低いのはなぜ?日本の私立大学の1割はミッションスクール起源なのに日本でキリスト教を信じている人が2%もいないのはなぜ、など。 

いくつかハイライトもありました。例えば初日、大学の学費や名ばかり奨学金の話をしたら、日本の教育は平等だと教えられてきたけど、日本の高等教育はrightsではなくprivilegeなのでしょうか、と言われて少しハッとしました。

月曜から金曜まで毎日午前9時からの授業は、慣れもあり授業ごとの疲れはそうでもなかったのですが、毎日同じ時間に起きて、同じ時間に学校に行くという経験を10年以上してなかったので、それがなかなか大変でした。週5コマというのは慣れれば不可能ではないと思うのですが、これを毎週続けながら研究を続けている日本の先生たちはすごいです。

June 16, 2025

本の審査員をした(正直な)感想

 私が所属しているアメリカ社会学会には「セクション」というものがあり、毎年、セクションごとに選挙があったり、学会のセッションもセクションがオーガナイズしています。

セクションの一つの機能が顕彰、つまり論文や著作を審査して、優れたものにアワードをあげるというものです。私も、人口社会学セクションなどで院生論文賞をもらったことがあります。

今年はアメリカ社会学会のとあるセクションのブックアワードの審査をしていました。結論からいうと、単著を書いたことがない自分が審査する資格はないなと思ったのですが、素人なりにどういう本が面白かったのか、少し書いておこうと思います。

コンテクストをいうと、私が審査を担当したセクションは「アジア」というざっくりしたもので、何かしらアジアに関わる著作であれば、提出資格がありました(アジア系アメリカ人に関する著作は別のアワードが用意されているので、国や社会としての「アジア」が範疇です)。

テーマではなく地域で定義されているセクションなので、提出された本も千差万別と言った感じでした。具体的にどういう本が提出されたのかは書けませんが、アジアに関する、英語で2023年から今年にかけて出版された本が対象です。社会学者ではない人が書いた本も結構あり、個人的には審査に困りました。結果的に、「社会学的な示唆(果たしてそんなものが本当に定義できるのかは置いておくとして)」がないものは、審査から外す、あるいは審査されても評価は低くなりました。

この辺りは足切りラインなので、本題は社会学者の書いた本をどう審査するかです。セクションの性格も関わってくるので、少々真面目に書きます。

基本的に、社会学の著作は一つの社会を対象にしたものが多いです。例えば中国の社会運動、など。そのため、ほぼ必然的に「アジア」という大きな括りをしているセクションと、地域的な境界が一致しなくなります。言って終えば、中国研究者ではないけどアジアセクションにいる一社会学者として、私は「中国以外のアジアにおける社会運動に対してどういう示唆があるのか」を考えました。もちろん、アジアという括りを外して、社会運動研究全般への示唆を基準にしてもいいのですが、そうすると社会学者の専門家ではない自分が本当にそんな視点で審査できるのか、という問題が生じてしまいますので、今回は「アジア」一般への示唆を考慮しました。

そういう視点で著作を読むと、驚くほど多くの研究が「一般」的な示唆、あるいは他の社会と「比較」して何が言えるのか、という点について、検討が足りないことに気づきます。もちろん、こういう論点はないものねだりというか、本人たちは(例えば)中国の社会運動において重要とされている問題を、それこそ10年以上かけて検討してきた集大成を出しているわけなので、そういう著作を目の前にして「日本の社会運動に対して何が言えるの?」というツッコミはいじわるな気がします。しかし、繰り返すように中国の社会運動の専門家ではない私からすると、そういう視点で読まざる得ないわけです。著作の評価と賞に値するものかというのはイコールではないので、個人的にはいろんな視点から審査されても良いと思います。

提出された著作は、どれも前者の視点で見れば一流あるいは超一流の成果だと思いますが、「超一流」の著作は、やはり他の社会にも通じる論点を意図的あるいは非意図的に書かれていることが常でした。繰り返すようにこれはないものねだりなのですが、著作を並べてみると、違いに愕然とすらします。

May 27, 2025

トロントでの学会

 先日まで、カナダのトロントで開かれた日本研究の学会(というには小さいワークショップ)に参加してきました。トロント大学日本研究所の主催です。旅費を補助してもらい、ありがたかったです。

オーガナイザーが政治学者ということもあり、参加者の8割くらいが政治学者でした。私が現在所属しているウェザーヘッド国際問題研究所も、政治学者が中心的な役割を占めており、この一年は、体感としては今までで一番、政治学の人と接触した気がします。 

政治学者は自分の守備領域をしっかり意識している人が多い気がします。例えば、自分はcomparativistでpolitical representationを日本を事例にやってる、みたいな。

自分の場合でいうと、「社会人口学で結婚行動を日本を事例にみている」という感じでしょうか。とはいえ、結婚行動をみてても、先行要因として女性の教育や就業パターンにも注目したりしますし、政治学の方がサブフィールドのサブも境界線がはっきりしてる気がします。

日本研究の学会なので、今回は理論なしでスライドを作ったのですが、政治学の皆さんのスライドはきちんと理論から入っていて恥ずかしくなりました。分野外の人には、話がややこしくなるから除いたのですが、政治学の理論をわかりやすく説明している人の発表はすぐ内容が入ってきましたし、自分も、社会学にいない人にもわかるような理論の説明を心がけるべきだと思いました。また、理論を通じて日本という事例をより面白く見せることができるよう、心がけたいなと思いました(PhD一年目の学生みたいな感想)。

もう一つの洞察は、例えばrepresentation ではgenderはかなり蓄積しててもう新しい研究でなさそう、raceはまだ盛り上がってる、ageは最近ホットになりつつあるみたいに、参加者は自分の分野流行りもしっかり意識してる人が多くて、トップジャーナルちゃんと読まねば…と再びPhD一年目並みの感想を持ってしまいました。 

自分の場合、流行を意識しながら日本をみる、というアプローチではなく、日本をみることで流行っていない研究を流行らせたい、といったマインドで研究してる気がします。だからトップジャーナルには載らずに、カウント稼ぎみたいなことしかできていないのかもしれません。

まあ、自分のテイストは別として、理論への貢献がトップジャーナルへの必要条件だと思うので、日本を事例にする時は、自分はどのように理論に貢献しようとしているのだろうか,という点をまたしっかり考えたいです。

トロント大学キャンパス
トロント大学キャンパス


March 4, 2025

アカデミアは無償労働の玉手箱

 アカデミアは無償労働の玉手箱みたいなところがあり、サービスという名の下、金銭的対価のない仕事が大量に降ってくる業界です。私の元指導教員は、いつも誰かのテニュアレターを書いていました。シニアではない私もいっぱしの「サービス」はしていて、その最たる例は査読です。業界で定評のあるジャーナルであれば、投稿したことがなくとも基本的に断らずに査読するようにしていますが、最近は負担が増えてきたので、そろそろ断ろうかと思っています。

目に見える対価が発生しない業界なので、ビジネスライクになることが難しく、代わりにウェットな人間関係の中で互酬性の規範が発生しやすくなります。要するに、X先生には昔お世話になったので、その周りにいるYさんからのお願いは断らない、みたいな世界観です。

私も最低限は社会化されているので、村の掟には従います。したがって、知り合いの紹介によって生じる「仕事」は基本的に断らないようにしています(サービスはこの業界では仕事なので、知り合いの研究者からの依頼は「仕事」の一つです)。

人からの紹介に社会的な統制機能があることを知ってかはわかりませんが、先生の紹介で日本から学部生の方がわざわざボストンまで私を訪ねに来てくれる機会に、最近何度か恵まれました(正確には、私を訪ねにボストンまで来たわけは全くなく、ボストンまで来たついでに現地にいる人間として私に会いに来たという表現が適切)。

ご足労いただいたので、こちらも時間を作って会いますが、蓋を開けてみると聞かれるのは「どうやって英語を勉強されたのですか」「アメリカの博士課程に入るのは難しいですか」「そもそもなんで留学されたんですか」などです。

口が開いたまま答えに窮してしまうのは、私の心が狭いからなのでしょうか。やはり、ここは威勢の良い留学一年目の私に気分だけでも戻って、なにか気の利いたことを言えばよいのでしょうか。あるいはこれはアイスブレーク的な質問で、本質めいた質問はあとから来るのでしょうか。

個人的には、こういった質問は、大学を卒業してしばらく経った人に「大学に入るためにどうやって勉強したのですか」と聞くようなものだと思います。私もまだ若く見られていることに感謝すべきなのかもしれません。きっと私も若いときにはされた側からすれば「なんで今の私にそんなこと聞くの」と思われるような質問を数え切れないほどしたと思うので、因果応報なのかもしれませんが、これから一見して目的がわからない面会の連絡は断ったほうがいいのかもしれないなと思い始めました。

とはいっても、向こうからしたら特にメリットのないインタビューをたくさんしているわけでもあるので、こういうのも何かしらの還元だと思って引き受けたほうがいいのかもしれません。年を取れば自然とこうした連絡はなくなると思いますが。

February 3, 2025

近況

 先週の話になりますが、所属するHarvard Academyにて自分の研究を報告してきました。

私のポストは、2年間好きなように研究していればいいだけの福祉みたいなポスドクなのですが、唯一仕事があり、それが在任期間中に一度、自分の研究についてプレゼンするというものです。

普通のプレゼンであれば別に困らないのですが、Harvard Academyの伝統で、なぜか報告ではスライドは使用不可、配っていいのは5ページまでのハンドアウトのみ。これは通称「サロンスタイル」と呼ばれていて、Harvard Academyの伝統になっています。サロンスタイルなので、本当にサロンのように、周りが私の話に耳を傾ける、というスタイルなのです。

この時点で学歴エリート気取りが過ぎますが、その前後もちょっと普通の研究報告とは異なります。まず、会場はハーバードの懇親会が開かれるような、高級なホール。さらにトークは6時から始まるのですが、5時半から受付が始まり、その間は「レセプション」があります。お酒や軽食をつまみながら、参加者が世間話をするんですね。

6時から30分話して、30分質疑応答なので、トーク自体はそこまでの量にはなりません。ただ、スライドなしは不安で、アメリカに戻ってから2週間、ろくに英語を話してなかったこともあり、ノンネイティブにはちときつかったのですが、なんとか終えました。

これで終了、と思いきや、その後に待っているのは「ディナー」。約30名弱の人が招待されているのですが、7−8人が一つのテーブルにアサインされて、フレンチっぽいコースメニューを食べます。学歴貴族、ここに極まれり。ネットワーキングの機会ですね。

というわけで、個人的には報告だけでいいじゃん、と思うのですが、ひとまず無事終わりました。ジョブディスクリプション的には、このプレゼンだけで2年間の待遇が与えられるので、本当に貴重なポスドクの機会をいただけたと思います。

私の方で4人までゲストを招待できたので、ハーバードでお世話になっている人を誘いました。ダメ元でクラウディア・ゴールディンさんに招待状を送ったら本当にいらしてしまい、緊張度マックス(自業自得ですが)。ハーバードのポスドクが決まってから、知り合い経由で日本の難関大進学のジェンダー差について知りたいということで、メールをくれて、そこで一度やり取りをしていました。対面でしっかり話したのは初めてで、それも含めて良い機会になりました。


ディナーで一緒だった人と記念撮影