August 29, 2024

自転車が盗まれる

 文字通りである。友人の博論の最終口頭試問に招待されたので大学に行こうとしたら、自転車がなくなっていた。ロックは壊されていた。ケンブリッジに引っ越してきてから400ドルほどで買った新品だったのだが、ものの見事に10日ほどで盗まれてしまった。ケンブリッジは自転車の盗難が多いとは聞いていたのだが、身を持って教えてもらうことになった。安くはない授業料である。所属しているセンターに自転車に非常に詳しい人がいて、彼いわく、自分のロックは丈夫そうに見えて意外と壊すのは簡単で、そのメーカーは新興だが、おそらく盗みを働く人の間では、壊しやすいという評判があるのだろうと教えてくれた。つまり、ロックをみて盗まれたということだ。ひとまず警察に届けようと思うが、一難去ってまた一難である。

11時過ぎに、所属しているHarvard Academyのチェアの先生と面談だった。この2日で10人以上のAcademy scholarと個別に面談しているのだから、頭が下がる。ロシア政治が専門の、70歳を超えるベテラン教授だが、自分のような若造でも、日本の専門家として扱ってくれて、話を聞いてくれて、その姿勢に感銘を受けた。あまり年齢や地位の差を感じない、不思議な45分間を過ごした。

12時過ぎから、次はUS-Japanのアドミンディレクターをしている人とランチを食べた。自分はUS-Japanには所属していないのだが、日本の専門家でもあるので、何かしらの形で関わりを持ちたいと考えている。US-Japan programの歴史や現在地、ハーバードの日本コミュニティなどについて有益な情報をもらうことができた。

チェアの先生と面談の日ということもあり、オフィスにはいつもよりも多くの人がいた。Academy scholarでランチを食べに行こうという話になったのだが、あいにく自分は上記の予定が入っていたため参加できず。このあたりの自然発生的にランチに行こうという空気になるのは、学生の雰囲気がまだあるのかもしれない。

August 28, 2024

Harvard AcademyとWeatherhead

 今週からオリエンテーションが始まり、オフィスにも活気が出てきた。怠惰な性格なので、何も予定がないと11時くらいまで寝てしまい、その結果、寝るのが午前3時くらいになる生活リズムが続いていたので、午前9時から始まるオリエンテーションは、眠気との戦いだった。

私のポスト、というか肩書きはAcademy Scholarというもので、これだけだと何なのか全く検討もつかないだろう。2年間のポスドク、というのがシンプルな言い換えである。所属の方は、ハーバードの国際地域問題研究所であるWeatherhead Centerの下にある、Harvard Academy(HA)という組織である。HAは、実質的にはAcademy Scholarの受け入れ機関としての役割が主で、Weatherhedの他のプログラム(例 US-Japan relations)のように、セミナーシリーズや実務家、研究者のビジットの役割は持っていない。アドミンスタッフも、二人しかいない。

ポストについて、もう少し付け加えると、ハーバードではsalaried postdocs と stipendiary postdocsの2種類があり、前者はラボなどでPIに雇用されるタイプのポスドクで、被雇用者として扱われる。一方で後者は、自分で好きな研究をしていいタイプのポスドクで、雇用関係はない。若干のベネフィットの違いはあるが、現在のところ気になるところはない。

stipendiary postdocsは短期的には誰の役にも立たないので、基本的には1年のオファーで、毎年新しい人をリクルートすることで、組織の新陳代謝とネットワーキングの役割を担っていると考えられる。なかなか腰を落ち着けて研究、とはいかず、次のポストが決まっていない場合には、着任してすぐ就活をする必要がある。

そうした1年任期のポスドクに比べると、私のポストは2年なので、若干の余裕がある。diversity系の3年ポスドクもあるが、なかなか私には出せない。総合的に考えると、自分ができる中では最高の条件のポスドクだと言えるだろう。

しかしなぜ「2年」なのか。オリエンテーションを経て、オファーをもらってから抱いてきた疑問に対する答えが、少しだけわかってきた。ここ数日、強調されたのは、ポスドク期間にbook projectを進めること。Harvard, Cambridge, Princetonなど、大手の大学出版会のエディターと直に話せる機会や、原稿が揃った段階で、討論者を招待するブックカンファレンスを主催してくれたりする。これらにかかる出費は、基本オファーに入っているresearch fundingとは別で出してくれるため、本を書きたいと考えている人にとっては、かなり魅力的なポスドクだと思われる。国際地域問題を扱う社会科学の中で、その道の専門家として本を書けるような人を育成したい、そういうモチベーションが、HAのアジェンダのコアにあることがわかってきた。

ちなみに、HAは2年目のオファーを使うタイミングがフレキシブルで、例えばアシプロを経て早めのサバティカルとして使うこともできる。今年の同僚で2年目の人の中には、すでにアシプロを始めて3-4年経った人もいる。1年目の人は全員、博士号を取り立ての人で割とライフステージ的にも近い人が多いが、2年目の人の多くは家族を持っていて、同じプログラムの中でも、キャリアステージ的には多様性がある。

少し話が逸れてしまったが、そうした組織の目標からすると、自分のような人間は、いささか宙に浮いた存在かもしれない。自分は基本的に本を書くbook personというよりは査読付き論文を書くjournal article personで、本を出版することは、至上命題ではない。その割に、出願時のアプリケーションでは、日本の難関大進学におけるジェンダー差で本を出したいとホラを吹いてしまい採用されてしまった。Academy Scholarの中には経済学の人もいて、彼らは私と同じように、あるいは私よりもさらにjournal article personなので、私が一人だけ孤立しているというわけではないのだが、組織の目標や同僚がみなbook projectを意識しているので、自分も自然とそちらの舵を切る可能性はある。

同僚はというと、端的にいうと超がつくエリート揃いである。2年目の人にはプリンストンの社会学の先輩がいるのだが、彼女の博論は、その年のASA best dissertation awardを受賞している。雲の上の存在である。周りの半分以上は、すでに北米の研究大学からアシプロのオファーをもらっている人で、彼らの輝かしい経歴や業績を見ると、私のそれは、どこか寂しい。もっとも、選ばれてしまった以上、そんなことを気にしても意味はないので、得られる利益を享受していくだけである

真逆のことを言うようだが、全体として居心地はいい。まず、Academy Scholar全員が北米以外の地域を対象にしているというのが大きい。世界情勢を反映してか、中国と中東地域が対象としては多いが、それ以外にもブラジル、メキシコ、パキスタン、日本(私)を対象としている人がいて、研究者自身のバックグラウンドも含めて、国際色は豊かである。分野も政治学、人類学、社会学、経済学、歴史学と、社会科学系のなかでバランスを取っていて、会話で出てくる内容のバラエティの豊かさには、毎回感銘を受ける。さらにいうと、人間的に魅力のある人ばかりである。

Weatherhead Center自体、社会科学の国際地域研究所としてのアイデンティティがあり、オリエンテーションで聞く機会があった発表は、empiricalではありつつも自分と異なる理論的、認識論的な視座に立ったものが多く、かつシニアの研究者を中心にhigh level summaryに自分の研究の知見を落とし込むプレゼンスキルが非常に高いので、とても勉強になった。6年間社会学部に身を置いてから、こういう環境に移ると、少しだけ鎖から解き放たれたような気分になり、発表はどれも、自分の頭を柔らかくしてくれる。

今のところ、HAからのオファーをもらって良かったと、心の底から思う。これを最後に書くと身も蓋もないが、なぜアメリカ人でもない、日本の人口や格差の研究をしている英語も下手な人間に2年間のオファーを出すのか、訳がわからない。博論コミティの先生の一人に言われた、お前のポストは福祉だ、と言う言葉は、核心をついていると思う。私の研究のどこにポテンシャルを見出したのか、それは全くわからない。一つだけ確かなのは、この2年間は自分の人生の中でも本当に貴重な機会であり、その機会をもらった以上、意味のある時間を後悔しないように、なにより楽しく、健康に、過ごすことだろう。

オリエンテーションの最後のイベントはバーベキュー。ロブスターサンド(下)が美味しかった。



August 16, 2024

引越狂騒曲

 マサチューセッツ州にあるケンブリッジに引っ越しました。ハーバード大学で2年間のポスドクをするためです。

アメリカの引っ越しは、慣れないこともあり、心労が多いです。デフォルトがDIY、つまり自分で引越しする社会なので、日本のように単身引越しサービスを複数の業者がオファーしている世界とは全く異なります。プロの引越し専門業者もあるのですが、基本的に私の周りでは、近場の引越しであれば自分でトラックを手配して、最初から最後まで自分で引越しをする人が多い印象です。おそらくその方が安いのでしょう。

トラックをレンタルできる業者はいくつかありますが、最も有名なのはU-Haulという会社です。広大なアメリカで、数少ない全国チェーンの業者なのではないかと思います。対抗業者はPODSですが、街中で見かけるのは圧倒的にU-Haulです。

U-Haulに代表されるアメリカのレンタル業者がすごいのは、トラックだけではなく、倉庫も貸している点です。退去日と入居日が合わなかったりすると、荷物をどこかに保管する必要が出てきます。プロの引越し業者に頼めば、そこも含めてやってくれるわけですが、その分お金がかかります。U-Haulは自分で荷物を運び、運んだ荷物を一時的に倉庫に保管するところまで同じプラットフォームでできるので、便利ですし、自分で運ぶ限りにおいては、安いわけです。

そういうわけで、U-Haulはトラックと倉庫貸しが基本です。なのですが、引越しの多様な需要に対応して、実質的には引越し業者と同じこともやっています。まず、自分でトラックを運転できないような人には、ストレージ用の箱(箱といっても、小型の車で一台すっぽり入りそうなサイズ)を退去する住所まで運んでくれます。そして後日、その箱をまた取りにきてくれ、引越し日まで倉庫に保管してくれます。引越し先が遠い場合、例えばニュージャージーからマサチューセッツに引っ越しするような場合には、マサチューセッツの倉庫まで運んでくれます。そして、引っ越し日にまたトラックを使って、箱を住所まで運んでくれるのです。このサービスは、U-boxという名前で展開しています。

さらに、引っ越しに対して、荷物の搬入や荷下ろしをしてくれるサービスまで展開しています。実際には、U-Haulのサービスというよりは、U-Haulと提携している、現地の引越し業者にアウトソーシングしている形をとっています。

私の場合は、プリンストンを出るときには箱をアパートの前の駐車場まで運んでもらって、友達の手を借りて荷物を自分で搬入しました。当初は、荷下ろしも自分でするつもりだったのですが、ケンブリッジの住所には無料の駐車場がなく、日を跨いで車を止める場合には、かなりの料金(最低200ドル)がかかることをU-Haul側から伝えられ、その日のうちに引越しを終えることを勧められました。1日駐車しているだけであれば、moving containerからmoving vanというカテゴリに変わり、最低60ドルで済みます。

というわけで、U-Haulの口車に乗せられて、提携する地元の引越し業者から人を呼んでしまいました。

結果的に、ケンブリッジのアパートが3階かつエレベーターなしという物件だったこともあり、業者に搬入をお願いして正解でした。U-Haulに払った総額は、2000ドルといったところでしょうか。私は箱を2つ注文したので高くつきましたが、単身の引越しであれば1箱で十分だと思います。その場合、NJからMAの移動であれば、最安で1000ドル程度でいけるのではないかと思います。

終わってみれば、意外とスムーズに行ったのですが、アパートの前にある駐車場を市のホームページで申請して事前に押さえておく、という経験も日本ではしたことがなく、初めてのことが多いので疲れる経験でした。

July 20, 2024

study hard, play hard

 アイビーリーグを典型に、アメリカの学歴エリートにはstudy hard, play hardと形容されるようなメンタリティがあります。要するに勉強にも遊びにも全力で取り組む、アメリカ的な全方位型能力の現れなのだと思うのですが、例えばプリンストンだと、学期中は学生は勉強に真面目に励む一方で、試験が終わるとパーティ三昧、フットボールでハーバードとイェールに勝ったら彼らの大学のマスコットを火の中にいれて勝利を祝うbonfire、そういった遊びの要素が、大学生活の中に仕組みこまれています。

Princeton bonfire: https://www.youtube.com/watch?v=L5NvyROse-U

そうした遊びの場面では、どうしても羽目を外す人が出てくるわけです。大学側もある程度のルール違反は、他人に危害を加えない限りは目をつぶるのだろうと思います。未成年での飲酒や喫煙にどれくらい目をつむるのかまでは分かりませんが、世界的に超えてはいけないラインが厳しくなっているのかなと、日本のオリンピック代表選手のニュースを見て思いました。

ちなみに、study hard, play hardのメンタリティは東大生にはないわけですが(多分)、先日KOのとあるビルのエレベーターで一緒だった学生が「今朝まで千葉でオールしてきたけどこれからゼミで発表でマジ辛い」と言っていて、日本版のstudy hard, play hard型エリートはKOにあったのだと気が付かされました。個人的には、playしたあとにstudyするのではなく、studyしたあとにplayしてほしいと、こっそり思いました。

July 15, 2024

非常勤講師という地位

昨年に引き続き、上智大学で留学生向けのサマーセッションで教えています。一時帰国の折に、高騰する東京のホテルに滞在させてもらえるのが有り難いです。国籍多様な留学生に日本社会の話をするのは楽しく、自分にとっては当然に思える日本の慣行に、論理的な説明を求められる機会が多く、勉強になります。

今年はきちんと講師向けのオリエンテーションに出たので、上智ではサマーセッションの講師の待遇は実質的に非常勤講師に等しいこと、非常勤講師に等しいため、非常勤講師控室を使っていいことを知りました。東京にいる間は個人用オフィスはないので、平日のかなりの時間を非常勤講師控室で過ごしています。

おそらく非常勤講師控室というのは朝から晩まで過ごすことは想定されていないと思うのですが、オフィスがないために(それにホテルから近いために)、授業が終わってから夜まで控室に入り浸っていると、日本の大学にいる間、たくさん見てきた非常勤講師の人たちの待遇がよくわかってきました。

控室には複合機やホチキス、文房具や自販機があり、授業準備は一通り完結できるようになっているのですが、教室にあるような移動可能な長い机を2つ突き合わせた形のテーブルが15個くらいあるようなシンプルな作りで、混雑しているときには他の先生と相席になることも珍しくありません。昼時は食堂が学生で混むこともあり、控室でお弁当を食べる人も多く、その時は正直、作業できる静かさではありません。一応、壁には「静かに利用しましょう」という貼り紙があるのですが、先生たちはそんなことはお構いなしで、語学の先生が多いこともあって、実に様々な言語の雑談が飛び交います。

そういうわけで、正直いって、長時間作業する場所ではないのですが、それでもたまに閉室の9時過ぎまでいる先生がちらほらいます。常勤の職を探している間、非常勤講師を複数の大学でこなして生計を立てている若手研究者の話は聞いていたのですが、遅くまでいる先生は、割とベテランにみえる先生ばかりです。この先生たちには、果たして常勤の所属があるのか、気になっています。

非常勤講師の給料だけで生計を立てることは、かなり難しいと思います。なので、基本的には、常勤の先生が他の大学で教える時に与えられる待遇が、非常勤講師なのだと思っていました。が、控室の様子を見ていると、専業非常勤にみえる人がちらほらいます。

私の理解では、非常勤講師というのは、一種のアウトソースで、専任の教員だけでは回せない学部生向けの授業を、他の大学の先生にスポットでお願いするものだと思っていました。特に日本の社会学のように、一つの大学にあまり多くの教員が在籍していないような分野は、他の大学と教員の「貸し借り」をすることで、自分たちでは教えきれない授業を学部生に提供しているのだと思います。非常勤講師一人あたりにかかる人件費は常勤の教員に比べれば比べ物にならないくらい安いので、このアウトソースは大学経営的にはなかなか優れた制度です。

しかし、もともと常勤の所属がある人がするからこそ、非常勤の待遇は低くても問題が起きないのでしょう。そもそも専業で非常勤をするというのは、制度的に想定されていないのではないでしょうか。

アメリカだと、基本的には日本のような非常勤講師という職業はなく、大学がフルタイムのレクチャラー(講師)を雇います。レクチャラーはテニュア付き(あるいはテニュアトラック)の教員とは異なるトラックで、教えることがメインのポジションです。そのため、教えるコマ数はテニュア教員よりも多いです。給料もおそらくテニュア教員よりは低く、多くのレクチャラーは学期単位あるいは年単位の契約を更新する必要があります。ただし、フルタイムのポジションなので、レクチャラーのポジションだけでも、生計は維持できます。

日本では、アメリカのようなフルタイムのレクチャラーポジションがなく、非常勤講師という制度が発達しているわけですが、これがなぜなのかは気になります。もしかすると、フルタイム(常勤)の職位を与えてしまうと、他の常勤の教員との区別が曖昧になり、待遇の格差が問題になるのかもしれません。

日本の常勤の教員は、研究と教育以外にも、アメリカでは事務が担当するような仕事もこなしているので、典型的なメンバーシップ雇用の中で複数の業務をこなす正社員にみえます。常勤の教員が高い給料やベネフィットをもらっているのは、教育以外にも、こうした仕事を任せられているという側面が大きいのではないでしょうか。そうした仕事が割り振られていないために、非常勤講師の待遇は低くても問題視されないのかもしれません。

常勤・非常勤の待遇の格差は、外から見ていると、正規・非正規の格差とよく似ています。

June 5, 2024

遺伝と社会階層

 引越と並行して、遺伝と社会階層に関するレビュー論文みたいなものを書いています。

最初に依頼があったのは4年以上前でした。もちろん私になんぞ依頼が来るわけではなく、社会ゲノミクスで一緒に論文を書いていたプリンストンのファカルティに依頼が来ました。当時、彼と進めていた論文の一つで、アイデアの部分をレビュー論文のコアの主張にしてみると面白いかも、ということで、当初はsecond authorとして加わりました。まあ、こういうファカルティとの共著のsecond authorというのは、実質的にfirst authorみたいなもので、ドラフトを一から書いたのは私です。最終的には、私がfirstになりました。

ちなみにこれは論文というよりは、社会階層に関するハンドブックの1章といったほうが正確です。当初はエディターの先生から、刊行記念に執筆者を読んでドイツでワークショップでもやりたいね、という威勢のいい話まで出ていたのですが、コロナでおじゃんになり、企画も長いこと停滞気味でした。しかし去年くらいからエディターたちがやる気を出し始めたのか?、ちらほらチャプターがonline firstで刊行されるに至っています。

The Oxford Handbook of Social Stratification

しかし私はというとジョブマーケットや博論もろもろで火の車で、目立った業績にはならない今回のチャプターについては、かなり怠けていました。そんな中、先月にエディターから「結局出すの、出さないの?」というメールが来て、もうやるしかないなと思い、現在に至ります。

このチャプターの主張は割とシンプルで、遺伝という概念を社会階層の研究に持ち込もうとすると、この研究分野で当たり前とされてきた二項対立が、曖昧になるというものです。

この二項対立とは何かというと、ascriptionとachievementです。社会階層の中でも、特に社会移動研究では、社会が産業化すると、生まれもった性質(親の職業や人種)ではなく、自分で獲得した地位(学歴など)が個人の人生を形成する際により重要になると考えてきました。この産業化命題が正しいかは諸説あるのですが、理論的にはascriptionとachievementという区分は、社会階層の古典的な概念といっていいと思います。

遺伝という概念が、この二項対立においてどのように厄介かというと、つまるところ両方の側面を含んでいるからです。遺伝というのは親から継承するものなので、その意味ではascriptionです。一方で、遺伝的に教育年数が高くなりやすい人はいます。そういう遺伝の因果効果的な部分は、どちらかというとachievementを予測する要因として考えたほうが適切です。

直感的には、遺伝もascriptionなんじゃない?と思う人は多いかもしれません。それが直感だと思います。その直感に従うとしましょう。

その場合、遺伝は他のascriptionと同等の地位を得ます。例えば出身階層、social originとgeneticsをともにascriptionと考えます。両方とも、親から継承している性質という意味では、同じです。

しかしsocial originと同じ地位を得ると、社会階層研究における概念に照らし合わせた時に、遺伝は奇妙な位置づけになります。社会階層、というよりどちらかというとそうした研究が依拠しているメリトクラシーの理想郷では、出身階層の影響が全く無く、個人の能力のみで学歴が決まる社会を一種のベンチマークにします。もちろん、そんな社会は実現しませんので、あくまで一つの理想です。たしかに、親が医者だから大学に行ける、という社会より、個人が勉強を頑張ったから大学に行ける、そういう社会のほうが「いい」気がします。

社会階層研究で、教育達成における出身階層による格差を研究している分野を、特にinequality of educational opportunityといったりもしますが、この分野では、暗黙のうちにsocial originによってある教育段階に進学する機会が決まってしまうのは望ましくないという想定を持っています。

さて、そうしたsocial originと同様に地位を獲得した遺伝を、この想定に照らし合わせて考えてみると、同じascriptionという意味で「遺伝的な理由によって教育機会が制限されない社会の方が理想」という主張が導かれると考えられます。この主張は、一見すると正しいように聞こえます、ある遺伝的な特徴を持っている人が大学に行けなかったとすると、それは正義に反する気がします(冗長になるので割愛しますが、この点は「遺伝的に赤い髪になる人が大学に行けない社会」という、行動遺伝学でよく用いられる比喩を知っていると、より理解度が増すと思います)。

厄介なのは、行動遺伝学の知見に依拠すると(詳細なメカニズムはまだ十分わかってはいませんが)、教育年数を予測する遺伝的な因子は存在し、それが我々が常日頃考える「テストができる」「勉強を頑張れる」人の特徴と、全く関係がないわけではないという点です。

これはある種の思考実験なので、例えば実際に「学力」や「努力」の何割が遺伝によるものなのか、という議論には突っ込みませんが、遺伝による影響がまったくない、という主張は、個人的には非科学的だと思います。

遺伝と教育年数の関係を認めたうえで、ascriptionとして遺伝を考えてしまうと、以上のような矛盾が生じてしまいます。少し穿った見方を示すと、ascriptionによって教育機会が異なるのは良くないという考えは、政策的な介入とも親和的です。例えば、親の所得によって教育機会が異なるのは良くないので、貧困家庭には奨学金を給付する、といったように。それでは、遺伝によって教育機会が異なるのは良くないと考えて、遺伝に介入するのはどうでしょう。こうすると、急に優生学的な考えに聞こえてきます。

なお、こうした考えは(遺伝とsocial originを同列に置くという意味で)strong formと呼ばれます。これに対して我々のチャプターでは、遺伝とsocial originは異なると考えるweak formを取っています。そのうえで、遺伝を(実現した)教育年数の「ポテンシャル」として位置づけています。つまり、潜在的には、誰しも教育年数が高くなりやすい遺伝子を持っているわけですが、それが実現するかどうか、という観点で遺伝と教育年数の関係を捉え直しています。

さらに、このようなフレームワークにおいては、social originは遺伝と教育年数に代表されるアウトカムの関係を変えうるmodifierとしての役割を持つと主張しています。このように考えることで、社会階層におけるinequality of educaitonal opportunityの基本的な想定とも矛盾せず(ポテンシャルの開花を阻害するsocial originの影響を最小化すべき)、社会階層研究に、矛盾なく遺伝を取り込めると議論しています。

ちなみに、遺伝といっても、少なくとも2種類のレイヤーがあり、私個人としては、この区分は社会階層と遺伝の関係を考えるうえで、決定的に重要だと考えています。その区分はbetween-familyとwithin-familyの違いです。

between-familyから始めましょう。実は、遺伝の分布は社会階層間で異なります。要するに、教育年数の高い人のほうが、教育年数が高くなりやすい遺伝子をもっている傾向にあります。したがって、高学歴の親のもとに生まれた人は、そうではない親のもとに生まれた人よりも、平均的に教育年数が高くなりやすい遺伝子を持つ確率が高いわけです。これをbetween-familyによる遺伝的な影響と考えます。これは、実質的には「生まれる親は選べない」またはchoose your parents wiselyと呼ばれる現象で、実質的には「出身階層」と同じだと考えています。

これに対して、within-familyによる遺伝的な影響というのは、ある親のもとに生まれたという条件のもとで、その親のどの遺伝子を継承するか、というものです。私は、これがsocial originと異なる地位にある遺伝だと考えています。

行動遺伝学では、betweenとwithinによるgenetic effectというのは、全体の遺伝効果を分解するときに用いる便宜的な区分の趣が強いのですが、社会階層研究に照らし合わせると、両者は全く異なる質的な意味を持つことになります。こうした点もチャプターでは議論しています。

May 30, 2024

博士号

 先日、プリンストン大学の博士課程を終え、Ph.D. in Sociologyをもらいました。この1年を振り返ると、就活で世界中を飛び回り、就活後は引き続き残された研究と引っ越しの準備に追われ、疾風怒濤という言葉で形容したくなる日々を過ごしていました。

学部生だった2010年頃に、(淡く)大学院に進学しようと決めてから、博士号取得は目標の一つだったわけですが、思いの外、時間がかかってしまったと思います。学部時代に交換留学で留年をし、日本で修士2年、博士1年半を過ごし、アメリカの博士課程に入ったのは2018年、すでに28歳になる年でした。学部卒業後に何年かギャップを置くアメリカの基準では、特別遅くもないと思いますが、学部同期の多くがすでに教職についている中で、自分は博士課程の修了が最も遅くなり、回り道をしていることに対して、焦りというか、歯がゆさみたいなものは、正直ありました。形式的な資格なのに、博士号があるとないとでは、できることの幅が違います。博士課程の最後の数年間は、博士課程をすぐ終わらせたいという思いを強くしていました。

それでは博士号を取得したから気分が晴れやかかというと、必ずしもそうではありません。結局のところ、独立した研究者となっても、まだ何も得ていないわけです。ハーバードの2年ポスドクのオファーを取ったことは後悔していませんが、ポスドクを挟むことで、教授職としてのキャリアのスタートが更に遅れることを全く気にしていないかというと、嘘になります。

ハーバードでポスドクを2年したからといって、アメリカで安定したキャリアを歩める保証はありません。これから、再びジョブマーケットに出て、競争の日々が始まります。そういう競争に参加するためには、競争の先に待っている未来が今よりも明るいという期待が必要です。たしかにそういう期待はあります。アメリカの研究大学で職を得ることができれば、充実した環境で研究に集中できることでしょう。しかしそういう期待が現実のものになるかは、正直わからないわけです。実現する可能性が判然としない未来がいつか来ると思いつつ、目の前の研究に集中することは、必ずしも容易ではありません。

博士課程を終えて今後のキャリアを見通してみる時、いつまでリスクを取り続けるのか、自分にとってベストなプランが様々な理由で実現しない可能性が少しでも上がった時、それでもリスクを取り続けられるのか。リスクを取ることで、将来自分がやりたい研究ができるのか、リスクを取り続けることの代償として、自分がやりたい研究をできていないのではないか。「どのあたり」で、リスクを取ることから距離をとるのか。

立ち止まる時間が出来てしまうと、そういうことを考えてしまうのです。なので、今の自分は研究で忙しい日々を過ごすことで、そうした雑念から離れて、結果的に吉報が来るのを待つのが良いのではないかと思います。隠れていた不安が吹き出す、修了式が終わってからの時間は、あまり気分が落ち着くものではありません。