October 29, 2018

人口学セミナー第9回文献レビュー(低所得国の出生)

Sinding, Steven W. (2008). ”Overview and Perspective.” Pp. 1-12 in The Global Family Planning Revolution, edited by W. C. Robinson and J. A. Ross. Washington, DC: The World Bank.

1960年代の家族計画には二つの思想があった。一つ目はbirth control、当初は女性の権利が意識されていた。望まない妊娠を下げるため。個人の女性に焦点。もう一つがマルサス的な考えで、戦後の急速な人口増加に対する懸念があり、焦点は女性個人の権利よりも食糧不足などだった。

この出生制限と人口制限の運動が一緒になるまでの道は平坦ではなかった。前者からすれば、後者の政策は個人の権利に国家が介入するものと考えられた。それでも、二つの運動はともに(女性による)自発性を強調する形で統合していく。1962年になると、スウェーデン政府によって南アジア地域に対する家族計画プログラムが実施される。これらの統合の起源は人口学や公衆衛生ではなく、開発経済学者の手によっていたとする。

これらの動きによって家族計画プログラムはアジア地域をはじめとして進んでいったが、最初のインドやパキスタンの例では出生率が減少せず、プログラムに対する疑義が呈された。同様の疑問は他の学問分野の側からも提出され、人口学ではDaivsを中心として、出生力の減少のためには価値観の変化が重要であり、家族計画のみで出生力が低下することはないとした。これに対して、公衆衛生ではプログラム自体に問題があったことに原因を求めた。

こうした人口プログラムに対する懸念や対立は、1974年のブカレストで開かれた世界人口会議で収束することになる。インド派遣団の代表によって、避妊の最も有効な方法は発展(development)という声明が出され、インド政府によって20年間取り組まれてきた政策が否定されるともに、世界全体が避妊プログラムではなく、高出生の背景にある貧困と欠乏に取り組む必要があるという合意が形成される。途上国の出生抑制を強硬に主張していたアメリカは孤立することになる。

1960年代から90年台中盤にかけて、途上国の出生率は大きく減少するとともに避妊法も広まった。先進国が1世紀かけて達成したような急激な出生力の変化を説明するためにはなんらかの政策的な介入があったからだろうとする筆者は、実際に強力な人口プログラムを導入した国では出生力の減少幅が大きいとする。したがって、1974年から94年にかけて、ブカレストでの宣言の一方で多くの国が家族計画を導入し、出生力が低下していった。

1984年の世界人口会議では、ブカレストで決まった原則が確認される一方で、家族計画運動に対して長く影響を与える暗雲が立ち込めた。長く人口計画に投資をしてきたアメリカが中立的な立場を取り始めたことである。1994年になる頃には多くの国で出生力が再生産レベルを下回るようになり人口爆発が課題とは認識されなくなる。さらに女性運動が活発化し、家族計画に対して反対する声が大きくなる。

この結果、カイロ会議において世界の人口政策は再構築されることになった。その意味で、カイロは分水嶺だったという。

Thornton, Arland. (2001) The Developmental Paradigm, Reading History Sideways, and Family Change. Demography 38 (4): 449-65. doi:10.2307/3088311

この会長講演では、社会科学においていかに発展パラダイム、歴史を横に読む(reading history sideways)、及びcross cultural dataが世界における家族の変化を理解するのに使われ、結果としてそれが発展的理想主義という概念を形成し、家族の変化に対してどれほど影響を与えてきたかについて論じている。発展パラダイムの考えでは、人間が成長するのと同様に、社会も他の社会と同様な経路で発展していくという見方である。ただし、人間において個体差が見られるように社会においてもバリエーションが生じることは認めている。そのため、世界には発展が遅れた社会と早い社会があるが、同じレールの上に乗っていることになる。典型的なのは近代化論かもしれない。
加えて、ヨーロッパ人の他の世界への進出によって、文化間を比較するデータが集められるようになり、ヨーロッパ社会における世界の見方に対して多くの課題が突きつけられる。

草創期の社会科学者は歴史的なデータを用いて社会の変化を記述しようとしたが、歴史的なデータを手に入れるには限界があった。そこで彼らは、歴史を横に読む、つまり現在の社会における違いをもっと歴史的な変化に代替しようとした。ヨーロッパ世界が歴史の先端にあり、ヨーロッパと最も異なる社会が一番遅れているとした。

以降で、筆者は家族の変化を事例にしてこの発展パラダイムを検討する。このパラダイムに乗った研究では非発展の北西ヨーロッパ以外の国では家族は集団的で、親の権威が強く、arranged marriageが多いとする。一方で、発展の北西ヨーロッパでは、家族のシステムはより個人主義的であると考えている。変化の説明としては産業化や教育の拡大などがあげられた。家族システムの変化は原因としても考えられ、社会経済的な発展に伴って家族システムが変化し、結果として出生力が減少すると考えられた。

その後20世紀後半になって実際に信頼できる歴史資料を使って、北西ヨーロッパの歴史分析が行われた。この結果、20世紀初頭の説明とは大きく変わらないが、変化の程度はそこまでではないことが明らかにされる。加えて、新たな知見、すなわち1800年以前では結婚タイミングが今よりも遅く、独身期間が長いといったことがわかった。これらの結果は以前の世代が唱えてきた家族変動の議論に対して異議を唱えることになる。近代化によって現代的な家族ができたわけではなく、現代の家族が現代の出生の原因ではない。実際には、大規模な家族の変化は19世紀の前ではなく、そのあとに生じていた。

合わせて筆者は発展史観によって実際に未来がどのように影響を受けたのかについて論じている。ここでは発展史観によって裏付けられた考えを発展理想主義(developmental idealism)としている。この考えの命題は以下のようになる。第1に、現代社会は善きもので達成可能なものであるという。第2に、現代家族は善きもので達成可能なものである。現代家族を構成するものはthe existence of many nonfamily institutions, individualism, nuclear households, marriages arranged by mature couples, youthful autonomy, courtship preceding marriage, and a high valuation of womenである。第3に、現代家族は現代社会の原因でもあり結果でもあるという。第4に、個人は自由で平等であり、社会関係が契約に基づくという考えである。これらの命題からも明らかなように、発展的理想主義の考えは栄養社会の歴史的文化的遺産に由来している。


筆者はこれらの命題をテストすることはしないといい、代わりにこれらを規範的な命題として取り扱ってその影響力について論じている。つまり、ここでは正しいかはともかくとして人々がこれらの命題を信じるかどうかが重要になる。筆者は、この考えが広がった影響について、ヨーロッパと非ヨーロッパ諸国を事例にとって検討している。

Johnson-Hanks, J. (2002). On the modernity of traditional contraception: Time and the social context of fertility. Population and Development Review, 28(2), 229-249.

家族計画研究ではbiomedicalな避妊方法が推奨されてきた。こうした「科学的」な手法は「減退的」な手法というラベルを貼られる傾向にあり、「伝統的」な方法と対比されることが多かった。こうしたハイテクな避妊手法への移行は人口転換のモデルとも考えられて来た。例えば、Alan Guttemacher Instituteでは伝統的方法を取っている人を「避妊が必要な人」と認識していた。この論文ではこうした「伝統的」な避妊方法について批判的に検討している。

結論から言ってしまうと、カメルーンの一部の集団では「伝統的」とされる方法に対して肯定的な意味合いが与えられており、高学歴層が進んで取り入れている。さらに、「伝統的」とされる方法を取る人たちの方が出生力が低い。

この主張にたどり着くために、筆者は一人のカメルーン人女性の例を引用する。Ebeneはカメルーンの首都ヤウンデに住んでおり、大卒の公務員の男性と結婚し3人の子供を産んだ。4人目は(経済的な)資源の制約から諦めることになった。彼らが取っていた避妊方法はperiodic abstinenceだった。しかし、彼女は4人目の子供を妊娠することになった。もっとも、彼女は他にbiomedicalな避妊方法があることを知った上で、いわゆる「伝統的」とされる避妊方法を選んでいた。それは、達成すべき社会的な目標を満たしているからだという。

これは彼女に限ったことではなく、カメルーンでは多くの人がperiodic abstinenceを選んでおり、高学歴の人でも選択する方法だという。ある論者は社会によって避妊方法の構成が異なることを経路依存や不完全情報から説明しようとしているが、筆者はカメルーンの場合にはsocial repertoireがあるという。特に南カメルーンのBetiと呼ばれるエスニック集団では、periodic abstinenceが効果的であると考えられているばかりではなく、規律的で現代亭なアイデンティティを得ることを可能にするという。このBetiというグループはカメルーンに300万人ほどおり(20世紀の終わり頃の値)、この集団では植民地化の過程を経て、自律性と自己の規律に対する名誉を与えるようなシステムができているという。当初、このBetiの地位は男性に限られていたが、徐々に女性にも付与されるようになった。また、名誉の中身も教会や公的教育が中心的な制度になるにつれて変化していった。また、名誉の中身も冷静であること(self-possession)に自己を律すること(discipline)が加わるようになった。このdisciplineはBetiの間ではカソリックであり、学歴が高く、「現代的」であるというラベリングがされるようになる。特に学校ではperiodic abstinenceが教えられることもあり、学歴を身につけていることとperiodic abstinenceを実践していることには共通に意味が付与されるようになる。

筆者はこの可能性を検証するために、184人の女性へのインタビューと、Demographic and Health Surveyを使用している。この結果によると、periodic abstinenceを使っている女性の方が出生力が低い傾向にある。periodic abstinenceを使用している人が高齢であるというわけではなく、むしろ若い傾向にある。また、periodic abstinenceを実行している女性はmistimedな出生を開けようとするために使用しており、また他の利用可能な手法も知っている。


したがって、「伝統的」な方法を使用していることを説明しようにも、彼らは有効な避妊をしようとしているし、さらに他の方法も知っているので、説明にならない。筆者によれば、Betiの女性にとっての社会的なモチベーションを理解することが重要だという。理由は大きく二つあり、第一にperiodic abstinenceのほうがそれ以外の方法よりもネガティブな副作用(再生産、性、社会的な意味で)が少ない。第二に、periodic abstinenceは現代的で名誉のある方法だと理解されている。他の方法と比較してこの方法はcomplementaryな方法だと認識されており、認識されているコストは自己を律することだけであり、これ自体が社会の中で評価されるため、積極的に利用されるという。さらに、学校教育で正式に教えられる他、カトリック教会がこの方法を認めているため、9割の子供が洗礼を受けるというカメルーンでは避妊方法の中で支持を受けているという。

Yount, Kathryn M., Sarah Zureick-Brown, Nafisa Halim, and Kayla LaVilla. (2014) Fertility Decline, Girls’ Well-Being, and Gender Gaps in Childrens Well-Being in Poor Countries. Demography 51 (2): 535-61.

20世紀の後半では低所得国の出生が減少している。先行研究では女性の機会の変化に着目した分析を行ってきたが、実際には出生の減少によって女性のライフコースにも影響があるだろう。
そこで本論文では24年間における低所得国における出生力の減少と結婚年齢の上昇が子どものウェルビーインングに与えた影響を検討している。本研究では、ウェルビーイングをchanges in girls’ basic needs for survival and nutritionと changing aggregate investments in girls’ intermediate needs for vaccination coverage、及びその男女格差に求めている。出生力の低下によって妊婦の死亡リスクが減少すると、母が健康な状態で生存することによって子どもにもメリットがあると考える。また、子ども数が減少することによって子ども一人が受ける資源も増えるだろう。先行研究によれば、79の低所得国においてTFRは母親の死亡比と正の相関があったとされる。後者についても、19の低所得と高所得の国で、TFRは子供一人当たりの人的資本と負の相関があったことが指摘される。そして、

ここまでの議論は、子どもの性別を区別しなかった場合の想定に基づくが、論文では影響が男女で異なる可能性を検討している。Das Gupta and Bhat (1997) では合計出生力の減少は男児が選好される社会におけるジェンダーギャップを縮小させると考える。特に、high parityの女児は不利を受けやすいとされ、この場合出生力が減少することによってジェンダーバイアスが生じるパリティの子供が減るので男女の格差は減るとする。

Das Gupta and Bhat (1997) はTFRが減少することによって男女格差がどのように減少するかを理論化しているが、論文では母親の第一子出生年齢についても検討している。以下の四つのシナリオがあるという。シナリオ1では、男女の格差は維持されたまま、全体のウェルビーイングが増加すると考える。シナリオ2では、パリティによらない男女格差が存在すると、あるいは出生規範とジェンダー規範の間にギャップが生じると、各パリティでより男児に投資しようとする傾向が高まるため、男女格差は増加すると考える。シナリオ3ではパリティによるジェンダー格差が減少するので、女性の方が男性にキャッチアップすると考える。シナリオ4は2と3の組み合わせで、最初は男児規範が変わらずラグが生じるが、規範が変わることで女児のメリットが上昇すると考える。

したがって、出生力の減少と出産年齢の高齢化によって女児のウェルビーイングには絶対的に上昇すると考えられる(仮説1)。次に、ジェンダー平等規範は低出生規範の後に登場すると考えられるので、男児選好が強い社会では低出生によって男児の相対的ウェルビーングが上昇する(仮説2)。最後に、出産年齢の高齢化自体はジェンダー平等のサインとして考えられるため、男児選好が弱い国では、出産年齢の上昇によって女児の方が相対的ウェルビーイングを高める。

分析では、60-75カ国における152-185のDemographic and Health Surveysを使用している。女児のウェルビーイングでは1-4歳の1000人の女児あたりの死亡数が10年前の調査から改善したかを指標にしている。また、0-36ヶ月の年齢別の身長体重のデータも栄養状態の指標として用いる。また12-23ヶ月の子供が推奨されるワクチンを全て摂取したかも用いている。独立変数としてはTFRと第一子出産年齢の平均を用いる。その他国と時間の固定効果、100人あたりの携帯契約数、都市人口、GDP、ODAなどを共変量として投入している。

ランダム効果と固定効果モデルの分析の結果、出生力と出生年齢の変化と女児のウェルビーングは仮説の通りの関係を示していた。具体的には、出生力の低下と年齢の高齢化によって女児の絶対的なウェルビーングは上昇していた(仮説1を支持)、出生力の低下は仮説2で予想したような男女のギャップの増加を示していた。最後に、出産年齢の高齢化によって女児の相対的ウェルビーイングが高まっていた(仮説3を支持)。

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